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資料2の16ページと19ページにある「学位を取得しやすくなるような仕組みを検討していく」という表現について,「学位を取得できるような新たな仕組みを検討していくこと」と改めるべきではないか。大学院の国際的通用性や大学院教育の実質化について議論し,中長期的には論文博士について廃止する方向性を示すならば,「学位を取得しやすくする」ことを目的化すべきではない。
34ページの「(2)産業界等多様な社会部門と連携した人材養成機能の強化」については,大学院が地域社会に開かれ,地域社会との連携を強化している点を考慮し,タイトルに「地域社会」という文言を加え,「産業界・地域社会など多様な社会部門」とすべきではないか。
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今の「地域社会」の点は非常に重要である。国公私を問わず,大学にとって地域社会との連携は重要である。大学院においても地域社会との連携を今後強調すべきであるという点は,異存はない。今の意見は取り入れたい。
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この中間報告(案)の中で大学院設置基準について言及している点がいくつかあるが,大学設置基準と比べて,より厳しい規定ぶりになっている。例えば,32ページの<各大学院における成績評価基準の明示と厳格な成績評価の実施>については,専門職大学院設置基準の規定を参考に「修士課程及び博士課程においても大学院設置基準に規定を置くことが適当だ」と書かれているが,専門職大学院設置基準の規定を研究者養成も目的としている一般の大学院に当てはめることが適切なのか,疑問である。
体系的な教育課程の編成と教育内容・方法の改善のための組織的活動の実施>についても同様に疑問がある。専門職大学院設置基準に規定が置かれているファカルティ・ディベロップメントについても,「修士課程等において実施する」と書かれている。専門職大学院が「専門的な職業能力を形成するため」の大学院であり,教育方法に工夫が必要であることは分かるが,本当に大学院設置基準にファカルティ・ディベロップメントの規定を置く必要があるのか。
なぜならば,日本ではこれまで大学院と学部は一体のものであり,学部のファカルティ・ディベロップメントが重要であるということについては,これまでもコンセンサスがあったが,さらに大学院においてもファカルティ・ディベロップメントを行う必要があるのか。学部と大学院の関係について,この中間報告(案)は大学院の独立性を強調する余りに,学部との関係を無視しているところがあるのではないか。
42ページの<教員・研究者の流動性の拡大についても重要な問題であり,そのこと自体に異論はない。しかし,任期制の導入について,「各大学院においては,今後とも教員の採用の公募制,任期制の導入等を進めていく」との記述があるが,これは大学院ではなく大学の問題ではないか。
また,「一回異動の原則」についての記述も,大学院にのみ適用するのか。さらに,43ページで研究面における取り組みも研究費の配分の指標とすると述べており,全体として大学院の教育・研究に多様性を求めると言いながら,枠が非常に厳しくなっているという印象を受ける。
改革の全体の方向については賛成するが,大学院にとって規制が厳しくなる部分,あるいは教員の自由な活動が妨げられる部分については,もっと慎重な検討が必要ではないか。また,専門職大学院設置基準の規定を大学院設置基準にあてはめることが妥当か,あるいは,大学設置基準と大学院設置基準において,大学院設置基準の規定の方がが厳しくなるという在り方が妥当かどうか疑問がある。
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4ページの《近年の主な大学院改革の進捗状況》について,すべて昭和63年との比較となっているが,「専門職大学院制度の創設」は平成15年に行われており,昭和63年と平成17年を比較するはおかしいのではないか。スタートの年度を工夫すべきである。
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大学院の中でも法科大学院は,改革が非常に進んでいる。まず,教員が教育にエネルギーを割くようになり,大変忙しくなっている。
基本的なことをしっかり行う,例えば,コースワークを充実させる,学生に対し1単位が45時間の学修を必要とする内容であることを徹底し,予習,復習を徹底させることで,大学院というものがこんなにも変わるものかと痛感している。
その一方,余りにもコースワークが強調されすぎて,学生が論文を書く機会が減少してしまうのではないかと危惧している。論文を書くという経験は,「研究者としてのトレーニングを積む」ほかにも研究者を目指す動機づけにもつながり,その経験が大きな意味を持つということを実感している。研究者を目指す者が減少すると,10年先の法科大学院では教員のなり手が少なく,そのことが問題になるのではないか。よって,論文による単位授与を認めないものではないということを明確にしておく必要があるのではないか。
次に,施設の問題については,若手教員の研究スペースの確保の問題だけではなく,もっと踏み込んだ記述が必要ではないか。
最後に少々話は変わるが,49ページにおいて留学生の問題にも触れている。実際の教育現場においては,留学生の急増により様々な問題が生じてきており,全体の状況把握を行う必要があるのではないか。
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ここで申し上げている修士論文は,あくまで区分制の博士課程を前提として,前期課程から後期課程へ進学する際の修了要件としての修士論文の作成についてであり,論文作成の重要性についてではない。前・後期課程について,本来は博士課程として5年一貫で体系的に教育が行われるべきところであるが,博士前期課程が修士課程として取り扱われている中で,前期課程を修了し修士の学位を取得するということに力が注がれ,前期課程から後期課程への一貫性が欠け,後期課程への進学がむしろ減少しているということが,各分野別ワーキング・グループでも議論された。
次に,若手研究者については,今回,助教授から准教授への変更及び助教の新設を内容とした学校教育法の一部を改正する法律案を国会に提出しており,法律改正と併せて,若手研究の教育研究環境をどうすべきかについては議論しているところである。
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ここで御議論いただきたい大きなポイントは,現在,博士前期課程が,大学院設置基準上,修士課程となっており,博士課程において前・後期一貫した形での教育課程を構築するためにも,前期から後期に進学する際にあまりエネルギーを割かずに,前期課程の修了要件を緩和していくということである。
その場合,大きな問題となるのは,修士の学位について,博士前期課程を修了した段階で取得する修士と修士課程を修了した段階で取得する修士の間に修了要件において差が出てきてしまうことである。
前・後期一貫としての博士課程全体としての連続性を重視して,前期の修了要件をできるだけ緩和していくという考え方をとっている。逆に2年制の修士課程のみの研究科で修士の学位のみを取得しようとする者に対しては厳しい要件になるが,アンバランスは生じないだろうか。その点からも,博士前期課程を修士課程として取り扱っているという現在の大学院設置基準の考え方について真剣に検討しなければいけないと考えている。
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諸外国の例を見ても,修士を厳格に出しているところはある。日本の大学院がすべて5年一貫制になる必要はない。これまでの議論の問題意識は,修士論文の作成にエネルギーを割いたがために,博士論文をほとんど書かない状況で,満期退学,単位取得退学となっていることの弊害である。
一方,論文を書くことの持つ意味は重要であり,双方の意見とも重要であるので,文言上双方の意見が反映できるよう検討したい。
29ページの2つ目の○にある,「その在り方について検討する必要がある」については,具体性に欠けているので,どのように検討するのか,もう少し書き加える必要がある。
若手研究者の研究スペースの問題について,予算や財政的な問題も絡んでくる。国公私を問わずいろいろ問題がある。
留学生の問題については,如何に日本に優秀な留学生を呼び寄せることを課題にしているが,外国から日本に留学する場合,どこで情報を得たらよいのかが非常に見えにくい。
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この中間報告(案)は「21世紀の知的基盤社会において,世界的水準の大学をどのようにつくるか」という問題意識でつくられており,いわゆる旧帝国大学を中心とする国立大学と一部の私立大学を中心として,先端的研究や研究者養成を行うことが大きなねらいである。
一方,500以上ある人文科学系の大学院をどうするのか。これは高等教育という資源を効果的に使う観点から重要である。その役割については,8ページにおいて「知的基盤社会を多様に支える高度で知的な素養のある人材」,20ページにおいて「各大学の人材養成に係る目的の明確化」「各大学における教育の実質化の取組に対する国の重点的な支援」と書かれている。しかし,これは読む人が読めばわかると思うが,日本の500ぐらいの大学がどう受け取るのか疑問である。もう少し明確な指針を打ち出す必要があるのではないか。一部の大学だけを強くするのであれば,他の大学も相対的に高くしなければいけないという視点を文部科学省は持つべきであり,それをうまく打ち出す必要がある。
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49ページの「国際社会における貢献と競争」については,よく書かれており,このとおり実行して欲しい。しかし,それで国際競争力のある一段アップした日本の大学院像というのができるのかという疑問は残る。日本の大学院を伸ばそうという根本的な発想は分かるが,その上の「世界に通用する」ためには何をすべきかという強いメッセージがないといけないのではないか。49ページと50ページの国際化に関する根本的な記述については,もう少し強いメッセージを発する必要がある。今後5年,10年の新しい方向性をもう少し強調した方が良い。
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51ページの一番下から2番目のところの書きぶりをもう少し具体的にし,「国際的な知的集積ができるよう」のように膨らませるという考え方ではどうか。
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それでよいのだが,メッセージが伝わるようにもう少し力強い記述が欲しい。
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56ページの「大学院教育振興プラットフォーム」中で,具体的な方策を記述している。
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例えば人材養成に関して,中教審だけではなく,科学技術・学術審議会でも対象が日本人に絞られている。日本人が国際社会の中でいかに活躍するかはもちろん大切だが,日本を国際的に優秀な人材を集める場として,大学という知的共同体の持つ意味を考えると,集まる人材は必ずしも日本人でなくてもよい。大学はグローバル化時代に対応していかなければいけない。
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特にこれまでは国立大学は海外に進出しにくい事情があった。私立大学は欧米に教育機関を設置しているが,できる内容は非常に限られている。
今の日本の事情から言えば,国立大学が海外に進出するなどして,日本の大学院の情報を発信しないといけないのではないか。
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49ページのタイトルは,大学院を通じて国際貢献していくという趣旨でつけた。これまで,日本の大学が海外で教育研究を行う際には別法人を作っていたが,平成16(2004)12月に制度改正を行い,日本の大学の海外進出が可能となった。海外に学部や学科や大学院を設置する際の具体的な手続きを,大学設置・学校法人審議会において,現在審議中である。逆に外国大学の日本校の取り扱いについても制度改正を行った。それらを踏まえ,全体の流れの中で,もう少し詳しく方向性を打ち出していきたい。
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この答申の中心は「大学院教育の実質化」であるが,今の議論を伺っていると,それ以外の部分に関心が向いているように感じられる。このままではせっかく「大学院教育の実質化」というテーマで答申を出しても,また実質化されないまま次の10年が過ぎるのではないかと危惧している。
タイトルについては,「大学院教育の実質化」をメインテーマに掲げるということをもう少しわかりやすくする必要があるのではないか。一般の方がこれを読んで「大学院教育の実質化」が今回の答申の目的であるということが理解できるようにすべきである。
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今回初めて「大学院教育振興プラットフォーム」を作り,年次計画を設けて,財政的な措置を含めて投資しようと考えている。その点で内容については,工夫する必要があると考えている。
一方,先程の大学院設置基準が大学設置基準よりも厳しくなるのではないかとの御意見に対して発言したい。制度改正の理想的な姿は,大学制度全体,そして,学部教育,大学院教育が整合的に改善されていくことである。しかし,その中で財政上の問題等により,ある時には大学院の部分を先行させ,それにより改革を大学全体に広げるという手法をとった場合もあった。
特に「大学院教育の実質化」に関しては,今まで繰り返し理念的な事柄を明確にしてきたが,実現できなかった。その過程において「コースワークの重視」という考え方が生まれ,それにより,組織的な教育活動が行われ,その中でファカルティ・ディベロップメントが行われると考えていた。大学院は学部とは違うものであり,学部の単なる延長線上の組織ではなく,固有の組織として教育活動を展開する以上は,関係教員間での意思疎通のためにファカルティ・ディベロップメントを行うべきである。
また,規制強化ではないかという意見に対しては,この中でも一律の規制強化が妨げになってはならないということを記述している。
予算措置を含めて大学院教育を実質化し,それに対して思い切った財政投資をしていく場合,政策的展開が必要であり,理論的なあるべき姿と政策を展開していく関係上,必ずしも理想的な状況にはならないことがあるということを御理解いただきたい。
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国立大学では,大学院重点化により,教員が大学院に所属しているが,学部は空洞化していないか。
さらに,大学院では全体のカリキュラムや養成する人材像について,担当教員があまり議論することがないのではないか。そうすると,その担当教員に対するファカルティ・ディベロップメントが必要なのではないか。
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大学院には多様な目的があるが,それがある面で「角を矯めて牛を殺す」ようなことにならないかとの懸念を持っている。専門職大学院については,カリキュラムを整備し,ファカルティ・ディベロップメントを行い,成績評価を厳格に行うことは当然である。しかし,一般の大学は,可能な限り独創性を持って研究者を養成する場であり,博士課程前期2年間にコースワークをきちんと行うことは当然であるが,それ以外は可能な限り自由な方が良いと思っている。
ところが,設置基準が全体として緩和の方向にある中で,カリキュラムや成績評価といったソフト面についてだけ非常に厳しくなる。大学院生が増えても,専任教員数が増えるわけでもなく,施設設備も十分でない状況で,ソフト面のみが規制強化されたように映る。しかも,基準を厳しくした上で,それを評価に結びつけるとなれば,大学院の自由度をさらに阻害する方向に働く危険性があるのではないか。
それから,一部の大学が大学院に教員を移したわけでありますが,これは学部と大学院の関係について検討した結果ではなく,予算を増やすためという側面もある。これを放っておけば学部教育が空洞化する危険性は多分にあり,教員組織あるいは研究組織と教育組織の関係をどうするかをはっきりさせないと,教養教育が貧困化してしまう。
様々な問題の中で,専門職大学院と一般大学院との関係において大学院設置基準をどうするのか,あるいは学部と大学院の関係において教員組織・資格の問題をどうするのか等に配慮した表現が必要ではないか。
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大学院の実質化というのは,現状の大学院をどう改革して実質化するかということである。
あまり専門的な議論をしていても実質化にはつながらない。世界的な研究拠点を作るにはどうすべきかという問題とどのような人材を養成するかという問題の2つがあるが,これらを同じように議論していたのでは実質化にはつながらない。
現在,修士課程と学士課程の連携が言われている。特に理工系では社会的にも修士の学位が必要と言われている。そのことをどのように扱うのかについて,修士課程の記述にはっきり書き込まれていないので,書き込む必要がある。
世界的に通用する大学院をつくるためには差別化しなければならない。そのための拠点づくりを行い,そこに世界中の学者が集まるようなシステムを作ることが大切である。そうしないと,いつまでも世界中から学生が集まってこない。
大学院重点化に伴う大学院教授という制度についても検討すべきである。大学院教授という制度を大学院全体に取り入れるとしたら,私立大学の大学院は成り立たない。専従の大学院教授を置いて大学院を維持することは不可能である。
その点からも,学士課程と修士課程との連携をどうするか。その上で,博士課程へのつながりをどうするか,どのように世界的拠点をつくるか,この2つをしっかりと議論していかなければならない。暴論かもしれないが,差別化のためには「平等」はやめて「特化」していくことが「ポスト21世紀COE」の在り方ではないか。そこまで踏み込んだ議論をしないと,いつまでも「大学院の実質化」は実現しないのではないか。
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16ページの表現について,先程,論文博士について廃止する方向を打ち出しておきながら,一方で「学位を取得しやすくなるような仕組み」というのは表現上工夫しなければならない,ということであったが,この点は修正するということでよいか。
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これまで,課程制を充実することの前提として,論文博士の割合を減らすという方向で進んできた。平成16年8月の「大学院部会における審議経過の概要」によると,平成13年度には博士号授与者に占める論文博士の割合は36パーセントである。一般の人がこの数字だけをみると,論文博士もまだ需要があるのではないかと思うだろう。したがって,課程制大学院の充実と論文博士の廃止の2つについては,どのように行うのかを具体的に書かないとその趣旨がはっきりしなくなってしまうのではないか。
一方で,各ワーキング・グループの報告書には,「課程制大学院の充実を前提に論文博士は廃止の方向である」と統一して書かれている。この書きぶりについては慎重にしなければならない。また,論文博士を全部廃止するとなると,社会的な道を閉ざすということにもなりかねず,表現については注意を要するのではないか。
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少し説明不足であったが,「学位を取得しやすくなるような仕組み」というのは,今まで論文博士として取り扱ってきたものを,できるだけ課程博士に誘導する仕組みのことである。人社系ワーキング・グループでは,66ページにあるように,「課程修了後,課程博士の趣旨を損なわない範囲で分野の特性に応じて一定期間内で課程博士を授与するための統一的な基準をつくる」という内容が盛り込まれている。こういった指摘を踏まえ,今後の仕組みを検討していくという意味である。
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今までの議論の経過の中で,この点は相当議論されてきた。しかし,今回のように学問分野も含めて集中的に議論したことは初めてである。ワーキング・グループでは,論文博士は将来的に廃止する方向で議論が行われた。これらワーキング・グループの審議経過については,中間報告(案)の後ろに添付した上で紹介することとしたい。
他方,それらを踏まえ,前回廃止の方向性を打ち出したところ,多方面から反応があった。「直ちに廃止すべき」という意見もある一方で,「大学の社会に対して開かれた部分をつぶすのか」「単に大学に通うということと連動させるような考えはおかしいのではないか」等の意見がある。課程制大学院の充実等の議論の中で,それを実現するための学位制度の機能の中に論文博士の問題も位置づけて議論してきたが,それを抜きにして,廃止するのか否かという議論になりかかっている。事務局としては,今回の議論を客観的に整理した上で,きちんと記述するようにしたい。16ページから19ページに書かれている内容が未整理のまま,廃止するか否かの問題になってしまったために,議論が混乱してしまった。そこで,廃止か否かということよりも,基本的には廃止の方向ではあるが,今後当部会において検討しなければならない事項を詳細に書き,答申がまとまった後,学位の在り方を検討し将来的に検討していくように整理した。
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なぜ論文博士なのかというときに, 碩学泰斗型のもの, 企業や技術者が研究成果を論文として出す, 修業年限内に学位を取得できなかった,の3つが考えられる。 については,様々な理由が考えられるので,その点が明らかになるよう表現を工夫していただきたい。
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大学院教育の実質化に伴い,修士課程が幅広い人材育成機能を担うことになると,まさにファカルティ・ディベロップメントが必要になる。一方,博士課程が研究者の育成・大学教員の養成機能を担うとすれば,ファカルティ・ディベロップメントは必ずしも必要ない。それぞれの課程の目的を明確化したならば,それに応じて教員も分けて考えてなければならない。学部で教授だから博士課程も修士課程も担当できるというのでは実質化にならないのではないか。
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第3期科学技術基本計画の策定に向けて現在取り組んでいるが,いくらお金を注いでもトップの研究人材が育っていなければ意味がない。日本のトップの大学院,特に研究中心の博士課程の大学院が,アメリカ,中国等と比べると,将来非常に危ないと言われている。その点に危機感を持たなくてはならない。もっと世界中から優れた人材が集まるようにしなければならない。
5ページの当面の課題を見ると,細かなことだけが書いてあり,本当にこれらを解決したら全て解決するのかというとそうではない。世界中から優れた人材が集まる研究科をつくらないといけない。「ある専攻・分野では世界のトップである」ということが一番重要であって,そのためにどのような教育をすべきかということを考えるべきである。
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第3章についての議論がほとんどなかったので,そのことについて話したい。今後,いわゆる「骨太の方針」や来年度予算の概算要求の作業がある。したがって,第3章はそのことを念頭に置いた書き方をしなければならない。
第3章に何を盛り込むべきかについて,1つは,大学院教育振興プラットホームに挙げられている大学院振興政策に対する公的助成をどう考えるべきかである。もう1つは,公的助成と多元的ファンディング・システムの2つを強調することである。そうすると,54ページの「社会の役割」については「国と社会の役割」とすべきではないか。また,公的な役割については,「機関補助と個人補助」,「基盤的経費助成と競争的資源配分」に加え,21世紀COEを超える次の仕組みについての記述があると,公的助成のなお一層の充実という展望が開けるのではないか。
次に,54ページに<外部資金の導入促進とあるが,外部資金を分類すると, 寄附金, 寄附講座, 委託研究, 学校債等に対する投資, 知的財産に対する投資,等が挙げられる。これらについてもう少し明確に書かないと,それぞれに対応した税制措置が書けないのではないか。
さらに,34ページから35ページにかけて,国の役割についての言及しているが,もう少し強く書くべきではないか。
最後に,5ページの「当面する課題」の中に国の役割が書かれてない。はっきりと「国の支援」と「多元的なファンディング・システム」という表現を盛り込まなければならない。
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タイトルについては,事務局と座長に一任いただきたい。
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