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大学院部会(第3回) 議事要旨

日   時 平成13年9月27日(木)14:00~16:00
     
場   所 文部科学省別館第5、6会議室(郵政事業庁庁舎10階)
     
議   題
  (1) 通信制博士課程について
  (2) 専門大学院1年制について
  (3) その他
   
配付資料
 
    資料   1 大学院部会(特別会)議事要旨(案)(略)
  資料   2 通信制博士課程に関する主な論点
  資料   3-1 専門大学院制度の概要及び主な論点
  資料   3-2 専門大学院1年制について/論点を反映した骨子(案)
  資料   4 大学院における学位について
  資料   5 これまでの主な大学院改革について(検討事項関係)
  資料   6 大学分科会の今後の日程について(略)
   
5 出席者
   
(委         員) 中嶋嶺雄(部会長),佐藤幸治(副部会長)の各委員
(臨 時 委 員) 天野郁夫,石弘光,猪口邦子,井村裕夫,荻上紘一,黒田壽二,長尾真,南雲光男,濵田道代の各臨時委員
(専 門 委 員) 伊藤文雄,清水康敬,舘  昭,福田康一郎の各専門委員
(文部科学省) 御手洗文部科学審議官,結城官房長,工藤高等教育局長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長 他
     
6 議   事
   
(1)    部会長に中嶋委員(東京外国語大学長)、副部会長に佐藤委員(近畿大学法学部教授,京都大学名誉教授)が選出された。
     
  (○:委員,●:事務局)
  【通信制博士課程の議論】
     現在置かれている通信制修士課程の人間科学専攻や環境科学専攻は、実習を含んだコースなのか。情報科学はどちらかというとサイエンス分野なので、いろいろな実習が必要になるのではないか。ラボラトリーが必要なコースも設置できることとするかどうか、コースの意味づけが今後通信制博士課程を設置する際に非常に大きな問題になる。
     
     人間科学は複数の大学に設置されているようだが、具体的に何をしているのかわからない。大学院や教員によって内容が違うようだ。
     
     京都大学の人間・環境学研究科は、教養部改組で出来たもので、文系理系双方の要素を持っている。通信制の博士課程の場合、範囲は限定されると思うが、その範囲をどう考えるかが問題である。「環境科学」がどのようなものかはわからないが、一定のラボラトリーワークを課すのなら、その間大学に来てもらう必要がある。
     
     私立大学を含めて多くの博士課程が置かれているが、課程修了者をほとんど出していない大学院も多い。そのような現状の中で更に開放的な博士課程を作ることには懸念がある。博士課程の在籍者及び修了者はどのくらいか。また、夜間大学院の実績はどうなっているのか。社会的有効性がない大学院を作ることには問題があるので、実証的なデータを踏まえた上で検討すべき。
     
     専門大学院や社会人を対象とする大学院を充実して、大学院の門戸を広く開くことは非常に大事だ。多くの博士課程が出来ているが、国内外での評価や、博士課程修了者の進路、博士課程修了という効果の活かし方等を知りたい。今後、経験を積んだ社会人が定年後自分の経験をもとに研究を行いライフワークにしたいという人がかなり出てくると思う。現にそういう要望は様々ある。そういう人々は貴重であり、レベルの高い論文を書ける人が多い。
     
     教育工学の分野で博士を希望する社会人を受け入れたことがある。修士課程を修了していなかったが、認定試験を受けて入った。コンピュータを使った教育システムやその評価に関する論文を書いたが、自社の研究環境でシステム開発をし、評価も社内のフィールドを使って行った。平日週一回と土曜日に大学に来て、その他はメールでのやりとりで博士を取得できた。この経験から考えると、通信制博士課程においては、教授方法・研究指導の在り方を十分配慮するだけではなく、具体的にどういう成果を求め評価していくのかを明確にして、個々に審査していくべきではないか。通信制博士課程の設置に際しては電子メールを利用するという考え方があるが、大学院生側にメールでやりとり出来るリテラシーはあるのか。文章レベルでのやりとりは出来るかもしれないが、研究指導では図表の作成等様々なことが必要となる。この点も踏まえて考えていく必要がある。
     
     通信制修士課程の修了率は全大学平均で42%で、修了認定が安易に行われていないことの現れだとも考えられるとのことだが、これを良いと見るのか悪いと見るのか、どう解釈すればよいのか。また、理系では実験や実習を伴い来学する必要があるが、これらを全て通信教育だけで対応することが可能なのかどうか。学習需要の多い分野と通信教育で可能な分野との兼ね合いを考えるべきではないか。
     
     通信制修士課程では設置基準上単位数を決めて対面授業を課すということはしていないが、通信メディアだけを利用しているとは限らず、スクーリングを課している大学院もある。博士課程の場合も、制度上は通信メディアだけを利用しても良いという基準にするのか。スクーリングを残すのかどうかについては、分野により様々な考え方があると思う。通信制修士課程22専攻のスクーリングに関する要件がどうなっているのか調べてほしい。
     
     分野により面接授業や実験・実習が必要なことは事実であり、各々の分野の特性や教育課程に合わせて一番ふさわしい方法を採っていただくのが良いのではないか。例えば通信制の学部レベルの社会福祉分野では実習があり、通信媒体によるやりとりだけではないのが通常だ。分野により差があるが、制度上最低限必要とされる単位分以外にも、実際は面接授業を取り入れている。修士課程の面接授業の現状については調べて報告させていただく。
     
     通信制修士課程在籍者の9割が博士課程を望んでいるようなので、博士課程の設置を認めてもいいと思う。社会人で博士を取得する率が高くなってきているが、生涯を通じてステップアップし、そこから新しいインテリジェンスが生まれて社会を変えていくこととなると思う。分野毎に教育方法等の工夫は必要だが、積極的に進めることが必要ではないか。その際、専任教員の配置について、国としてどう整えていけるかという問題がある。また、日本の教育水準の低さは問題であり、分野毎に教育等は厳しくしつつも、道を開いていくことは必要だと思う。
     
     通信制博士課程の設置は長年の課題なので、実現する方向に移したらいいと思う。ただし、導入した時には「論文博士」と「課程博士」の扱いが大きな問題になると思う。現状として、連携大学院を作ると、企業人が研究論文を提出し、審査をして博士を出すということがあるが、これは一種の通信制のようなものであり、一定期間だけ大学に来ることになるが、このようなケースと通信制との区別をどう付けるのか。「論文博士」をやめるというのであれば、通信制を利用して博士を出す意味も生きてくると思う。通信制はあくまで社会人を対象とすべきで、修士課程を修了後そのまま入って来る学生は制限すべきだ。また、分野毎のアクレディテーションをきちんとしなくてはならない。第三者評価で大学院の価値を定めていかないと、大学院教育の質はますます低下してしまう。私学の博士課程は学位をあまり出していないが、このような状況も今後正していかなくてはならない。こうしたシステム作りをきちんとした上で、通信制を大いに推奨していったらいいと思う。
     
     通信制博士課程を認めることについては、前向きに考えて良いと思う。通信制としては、修士課程より博士課程の方が認めやすいのではないか。修士課程を認めた以上、その続きとしての博士課程を認めないのはふさわしくない。そもそも論文博士の制度がある以上、それと比べて通信制が認められない理由はないのではないか。通信制については様々なハンディキャップがある中での教育であることを自覚してその仕組みを考えるべきではないか。このことは通信制の全ての教育段階に当てはまる問題だと思う。単に情報が行き交うだけでは足りないので、それを補う仕組みを取るべきだ。また、教員と学生の連絡が出来れば十分と言うことにはならない。学生間の刺激が如何に影響を与えるかということを我々は日々実感しているが、通信制でも学生間の交流を確保する仕組みを要求し、成果を上げていくことが必要ではないか。通信制でも一度は会い、その後メディア等を通じて交流すべきだと思う。
     
     日本には「論文博士」という特別の制度がある。これは欧米諸国にはないと聞いている。大学や領域により非常に違いはあるが、かなり利用されており、これと通信制との関係をどう考えるのかという問題がある。通信制という枠を特別に作らなければ社会人が博士や修士の学位が取れないという制度に問題があり、今の全日制の大学院にも問題があるということだ。現状でも、通学制の大学院で特別なケースで認めれば、通信制に近い形で学位が出せる。通信制という枠を設けたために、通信制の大学院でしか社会人が学べないというようなことが本当に良いだろうか。大学院制度自体をもっとフレキシブルにしていけば、様々なことが出来るのに、通信制大学院の枠にはめてしまうと一般の大学院の学位よりマイナーな学位だと見られる危険性が非常に高い。このことを危惧している。論文博士はスクーリングなしで学位を出している。また、同時に現在の博士課程でもスクーリングは制度上必ずしも必要ない。制度上あちこちに風穴を作っていて、全体の整合性が悪くなってきている。特に論文博士の問題と通学制の大学院をどこまで開放できるのかという点について検討する必要がある。
     
     大学院をフレキシブルにするという点と、大学院の質の低下を憂えているという点では皆意見が一致しているようだ。アメリカは大学院教育が厳しいが、これは、社会の活性化や学問の発展に役立てるという意味があるためである。我が国で大学院の問題が真剣に議論されるようになったのは、大学審議会に大学院部会が設置されてからのここ10年ほどだ。旧来の大学院の在り方を変えて、課程博士で十分学位が出せるようにしようと言うことが提言されてきた。しかし、今でもなかなか人文社会系は博士の学位を授与したがらない。そのために論文博士の制度が残ることになった。また、特別の体験を持った人の論文審査を受け付けないという現状もある。国際特許等の分野の国際的なベテランが論文審査を希望しても、指導できる教官がいないため、排除してしまうということがあった。こういう問題を全て整理しないと、古い体質のままの課程博士は改革できないと思う。また、ディグリーとサーティフィケートは異なるので、そのことも整理するべきだ。今は資格を取りたい人が各種学校や専修学校に多くいるが、それと同様に考えられては本来の大学院の目的は実現しないと思う。このことを含めて議論してほしい。
     
     日本の大学院の博士課程が本質的に何をするところなのかということが、十分に議論されていないと思う。旧制大学時代の博士課程は後継者・研究者の育成だった。しかし、博士課程を拡大した結果、全員が研究者になれるわけではなくなった。博士課程が職業教育でも研究者育成でもあるような曖昧な形で広がってきている。職業教育型と研究者育成型を区別して考えないと様々な混乱が起こってくると思う。その一つの典型が論文博士だと思う。大学院の博士課程は本来なら一定のスクーリングを課して、かなり幅広い知識を身に付けさせることが目標にある。アメリカではスクーリングを重視していて、その単位が取れなければ論文が出来ても博士号は取得できない。しかし、日本は論文だけで博士を授与しているので、そこにスクーリング軽視の姿勢が明確に表れている。今後の大学院の博士課程に我々は何を求めるのか。研究成果だけでいいのか、専門分野の中で幅広い知識を持たせるべきか。日本の大学院博士課程をどうするのか、何を要求するのかが重要だ。産業界の人は博士号を持った人を採用しないのは「専門しかわからない、全く役に立たない」からだと言う。一般論としてそういう傾向がある。通信制を考える前に、基本的に大学院博士課程をどう考えるか、論文博士と課程博士の関係をどう考えるのかを整理すべきだ。
     
  【専門大学院1年制についての議論】
     ファイナンスや情報通信分野など実務的・技術的能力の修得が目的である場合には短期集中型で2年の教育を1年に圧縮してやっていくことが出来るのではないか。1年制の場合、2セメスターでは困難であり、複数セメスターにすべきだろう。また、単位数をもう少し増やすべきである。修了要件として、特定の課題についての研究の成果は、具体的には例えば卒業制作やプロジェクトの遂行、授業で課したレポートの累積などが例としてあがっているが、これらを1年のコースで課すのは難しいのではないか。単位を今までの2倍くらいにし、カリキュラムを完全に体系化して必須科目を多くし、それが取れなければ学位は授与しないというような方法にする必要があるのではないか。そうしなければ、修士の学位の質の問題にかかわる。実務的・技術的能力を高める場合は1年制は可能だが、特定の課題についての研究の成果を求めることは合わないのではないか。
     
     公衆衛生の分野で2つ専攻が出来ているが、その学生の多くは社会人である。このことを考えると、1年で修士を取れるコースを設けた方がよいのではないか。既に看護婦や弁護士として働いている人が、医療の勉強をしたいという場合に2年は長く思える。レベルを落とすことがあってはならないが、職業人の育成が目的である以上、研究は不要である。むしろ集中的にスクーリングをして、十分な知識を身に付けさせる方が重要ではないか。
     
     大学審議会でも専門大学院の分野例について様々議論したが、例えばジャーナリズムの分野も重要だと思う。ニーズが多い分野をどう特定するか議論する必要があるのではないか。
     
     大学審議会の答申では、“こういう分野で設置が期待される”と言うような提言になっており、限定していない。例示していただいた分野以外にも様々あり得ると思う。
     
      分野については文部科学省が例示しない方がよいと思う。例示すると、皆がその分野であれば設置認可されるのではないかと考え、その分野に申請を出してくるようになる。これからの社会がどういう人材を求めているのかを大学が判断して、大学独自の方法でその分野を開いていくことが非常に重要だと思う。例えばアメリカのある州立大学では、大学院の修士課程で科学を一般の人にわかりやすい言葉で説明できるような人材を育成するコースを作ったところ、非常に就職が良いという状況がある。全く大学の自由な発想で作った例である。今後社会が多様化して、様々なタイプの人材を求めるようになると思うので、修士課程の一定の条件さえ満たせば分野は大学の自由な発想にまかせたほうがよいのではないか。
     
     その意見には同感だが、分野の例を示すことにより、大学内部で意見がまとめやすくなるという効果もあると思う。
     
     法科大学院については、現在検討している段階だが、1年制ではとても無理ではないかと考えている。1年制の専門大学院を実現するとしても、分野は相当限定すべきではないか。
     
     アメリカでは、1年制の専門大学院を出るとそれなりの社会的評価を受けるのだろうか。
     
  アメリカは制度が違う。社会通念と連邦統計上、修士課程は1年以上である。ただし、適格認定機関では、たとえば、MBAに当たる経営分野では50数単位-2年に相当するものを最低基準にしている。日本においては設置基準が最低基準であり、分野によって様々なことが起こるのだと考えれば、専門大学院の年限は1年以上でよいのではないか。
     
     アメリカで、1年制大学院でかなり評価が高いのはSchool of Advanced International StudiesやSchool of International Relations Affairsである。イギリスではSchool of Economics and Political ScienceやSchool of Oriental and African Studies。これらは修了まで非常に厳しく、入学するのもスクーリングも大変である。安易に専門大学院を作ると、必ず問題が出てくると思う。
     
     修士課程は、30単位以上の修得と論文の作成により学位を与えることになっているが、従来、大学院前期課程としての意味合いが強かったのだと思う。従って、単位数もそれほど多くはなく、勉強してよい論文を書けば博士課程に進学できるようになっている。しかしながら、修士号の性格はどんどん変わってきている。にもかかわらず修了要件は変わっていない。本当に職業資格を与えるためであれば、職業資格にふさわしい知識や技術をマスターしなければ学位を与えないのが本来の姿だ。そう考えれば、50~60単位要求して厳しくするところが出てきても当然であり、これを受けて、1年間で教育可能か不可能かという議論が出てくるのだと思う。現状として2年制で30単位取得させていて、この程度なら1年制でも出来るという考え方は本末転倒だ。どんな分野でも良いということになると、大学院とは何かという問題に関わってくる。徹底した議論が必要だ。
     
     専門大学院が作られたからには、それを育てていく必要がある。専門大学院を従来の大学院と区別して本当に実践的な教育に特化した大学院にするならば、研究指導の必要性の有無を考え、これに応じて教員数を考えていくべきだ。本当に専門大学院を育て技術革新の激しい中で短期集中型でやっていこうという場合に、研究指導や論文作成を前提とすると、従来の大学院から脱皮しない形になる。この問題を考えるべきである。
     
     日本の大学院は、研究指向や後継者育成という観点が強く、実学と離れた実態にある。発想が変わらないと、専門大学院もうまく振興しないと思う。社会的な需要があるところから全体像を見直していかないと、いくら制度を作ってもレベルが低いままで、駄目ということになる。医学の場合は、文学に比べて粗製濫造していると言われるが、実学で現実的で進歩が激しいので、実験・研究をしなくてはいけないし、臨床的な疫学研究を含めて日進月歩に対応している。あまりアカデミズムな観点で学位にこだわっていても、社会状況との間に矛盾が出てくると感じている。
     
     アメリカでは統計上、学位を修士と第一専門職と博士に分けているが、第一専門職も名称はドクターで、訳すと博士になる。日本で第一専門職に当たるものは、学士(医学)と学士(獣医学)だと思う。医師国家試験が受けられるという機能が同じだからである。また、第一専門職は、学部の延長として発達したものである。入学要件として大学2年の学習が求められ、第一専門職課程での学習期間を含めると計6年間なので、日本では医学部が相当する。修士の学位は大部分が専門職分野のもので、歴史的・組織的に第一専門職と異なるが、実際上は工学部も含めて専門職学位といえるだろう。MBA(Master of Business Administration)は、経営者としての素質を磨いた人という意味を持つ学位である。専門大学院が専門職大学院の意味ならば、学位は「学」を付けず、経営であれば修士(経営)のようにすべきだ。現在、学位に附記する名称は各大学が自由に決められるが、やはり専門職学位と研究者学位の区別はすべきだ。専門大学院は、専門「職」大学院として研究能力を求めないものとすべきだと思う。分野によってどのくらい単位を修得させる必要があるのかが整理出来れば、進展するのではないか。
     
     以前から「専門大学院」という呼称がおかしいと思っていた。この呼称により研究しなくてはいけないというような印象を伴うのではないか。できれば名称を改める必要がある。学位について、何にでも「学」が付くのはおかしい。研究を主たる目的として取得した修士と高度専門職業人としてトレーニングを受けたことの証明としての修士は、はっきり違うので名称を工夫すべきだ。日本は修了年限にこだわりすぎると思う。これは本質的ではない。教育内容を考え、これに応じた年限を考えていくべきだ。
     
     青山学院大学に国際マネジメント研究科があるが、学位の名称はどうしているのか。
     
     「学」は付けず、修士(国際経営)としている。私はMBAを専門職とは考えていない。社会人学生の産業・業種はまちまちであり、ロースクールのように専門職という形ではない。アメリカの場合、経営分野でもMBA(Master of Business Administration)とMSBA(Master of Science in Business Administration)の区別がある。
     
     日本の場合、大学院は全て「研究科」としているが、海外では、専門大学院の場合は通常「School」で、必ずしも「Research School」とは言わない。こういう問題も洗い直す必要があるのではないか。
     
     修了年限にこだわりすぎるのはおかしいし、中身こそが問題だという意見はその通りだと思う。2年制または1年制でスタートした分野において、後発でそれぞれ1年制または2年制を設置していくと、混乱を生じるのではないか。職業資格毎に勉強しなければならない年限は違うが、その具体的な期間についての議論を先行させるべきだと思う。分野毎にアクレディテーション・システムが導入されることが期待されているが、専門大学院1年制がスタートしてからでは遅い。これについても先行させて議論する必要があるのではないか。
     
     次回はデータを示してほしい。現在日本には650程度の4年制大学があるが、その中で博士課程を設置している大学はどのくらいあるのか、特に私学の場合はどれだけ学位が授与されていてるのか。また、学位取得後どのような職業に就いているのか。英米等ではアクレディテーションの評価がきちんとしているので、1年制でも良いが、日本では緩和しただけということになると大変なことになる。このような点についても整理していきたい。
     
次回の日程
     次回は、10月29日(月)に開催することとなった。