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初等中等教育分科会(第30回) 議事録

1.日時

平成16年11月2日(火曜日) 10時30分~13時30分

2.場所

KKRホテル東京 10階 瑞宝

3.議題

  1. 今後の教員養成・免許制度の在り方について
  2. 義務教育に係る諸制度の在り方について
  3. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、小栗委員、加藤委員、田村委員、渡久山委員、中嶋委員、橋本委員、横山委員
臨時委員
 今井委員、高倉委員、西嶋委員、平出委員、藤崎委員、船津委員、宮崎委員、森川委員、若月委員

文部科学省

 近藤文部科学審議官、前川初等中等教育企画課長、塩見教育制度改革室長、戸渡教職員課長、勝野視学官、杉野専門教育課長、佐野主任大学改革官、その他関係官

5.議事録

午前10時30分 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)事務局より、今後の教員養成・免許制度の在り方について、資料に基づいて説明をした後、意見交換を行った。

委員 高倉委員
 免許制度につきましては、前回、平成14年に答申を出しました中教審の教員養成部会で審議をさせていただきましたが、その中で、免許制度の弾力化等につきましては、そのとおり制度の改正もしていただき、それが現在、実施に移されており、今日の様々な状況、例えば初中分科会で議論しております義務教育におけるアーティキュレーションの在り方等々とも密接に関連して、それに先立って免許制度の弾力化ということで、うまくフィットするような取りまとめができたのではなかろうかと思っております。
 その他の問題もございましたけれども、一番の気がかりになっておりましたのは、更新制の問題でございます。更新制の見送りについては、前にもこの分科会でお話ししましたが、これは永久に見送れと言っているわけではなくて、その後の様々な状況の変化に応じて、やはり再検討しなければならないということは鮮明にしておいたつもりでございます。ただ、更新制度を見送った背景は、たくさんございましたけれども、大きく分けますと、要するに甚だ残念であるという意見。これはとにかくそのまま更新制を導入すべきだという意見が1つ。
 もう1つは、更新制を導入することのデメリットではなくて、導入しないことのメリットを並べて、だからしないほうがいいだろうというのは、いかにも消極的ではないかといったカテゴリーのもの。
 第3番目は、制度論としてはそれなりに整ったものであるけれども、政策論議が欠けているのではないか。このような3つの問題が指摘されていたと私は総括して、この分科会でも説明をしたことがございます。
 そういうことになってまいりますと、やはり政策論議がなかったというようなこと、あるいはやや消極的で腰が引けていたというようなことなどなど、さらに今日の状況に応じて、続けて議論が必要なのかなということは考えておるわけでございます。
 ただ、朝令暮改というような言葉もありますので、答申を出してその2年後に、突如としてというよりも、この前が生煮えであったのかもしれませんが、いずれにせよ2年間というような間隔でもって、新しい諮問がなされてきたということは、一面ではやっぱりそうかなと思いながらも、一面ではやや唐突過ぎるのではなかろうかという気持ちも隠せないということでございます。
 どういう課題があるのかということを、御提示いただきましたけれども、細かいことにつきましては、こういうことについて議論してほしいということが述べられておりますので、それらについて議論していかなければならないともちろん考えております。
 ただ、この問題は、先ほど事務局からの御説明にもございましたように、教員免許取得者が20万人、実際に教員に就く者が2万人というような数の問題等々から考えまして、タンス預金ならぬ、タンスの中のライセンス、ペーパーティーチャーですね、こういった問題を一体どうするのかという技術的なこともあります。こういった技術的なことに対する事務的な困難さも、前回見送りになった、そう積極的な理由ではないにしても、理由の1つとしてはあるわけでございます。そのような数の問題もあろうかと思います。しかし、もっと本質的な議論をここでやっていかなければならないのではないかと思います。
 前回の答申をまとめるときに、これまでの教員の免許問題、あるいは教員養成問題を考える場合には、とにかく専門性の問題を前面に出して議論すれば、大体それで足りていました。ところが、前回、平成14年の場合には、専門性、適格性、そして何よりもまず信頼性という、この三つを持ち出して、信頼性というのが全体を覆っていく最も中心になるものであろうという考え方でまとめたわけでございます。
 そういうことからいきますと、先ほどの御説明にもありましたように、前回の答申で、指導力不足教員の問題について、これは前回の答申以前から、教養審の答申の時代からいろいろと答申はさせていただいてきたと思いますけれども、指導力不足教員への対応が政策的にだいぶ徹底してきた。徹底してくると同時に、もっとはっきり見えてきたことは、指導力不足教員と言われる先生方がかなり多い。その状況は非常に憂慮すべきものがある。それが、教員に対する社会的な信頼性の回復ということを言っているけれども、それを十分に実現することが難しくなる大きな要因ではないか、こういったことが社会的に渦巻いてきていることも、よくわかっているつもりでございます。
 そういうことから考えますと、今度の問題も、社会的な信頼性を中心に置いて、さらに専門性、適格性の問題をもう一度ここでしっかりと議論し直す必要があるのではなかろうかと思うわけでございます。
 その場合、2つだけ申し上げておきたいと思いますのは、1つは、この諮問にもありますように、単に更新制の問題だけを考えるのではなくて、その前の養成制度、特に課程認定ですね、この問題につきましても、課程認定のワーキンググループ等で一所懸命やっているわけでございます。1つだけ申し上げますと、課程認定がなされた後のフォローアップにつきましては、極端に言いますと、100年に1度しか事後のフォローアップのための実地視察がない。100年に一度というのはオーバーな言い方ですが、単純に計算するとそうなります。そういうことが大きな問題となっていないだろうかということと同時に、教員養成制度は開放制を前提にしておりますが、開放制は戦後守ってきた制度で、これは大切なことだけれども、節度ある開放制ということでもって、もうちょっと踏み込んだ議論をし、節度ある開放制を前提にした上で、なおかつ更新制の問題を議論する。いきなり更新制の問題に入っていって議論することは避けるべきではなかろうかというのが、第1点でございます。
 第2に申し上げたいのは、更新制というものを、更新制だけ取り上げる ―免許を取った後の更新をどうするかということだけではなくて、免許制度それ自体、例えばアメリカの免許の制度が、プロベーション、リミッテド、パーマネントという少なくとも三つの段階と申しますか、種類と申しますか、そういうものに分かれているのが一般的だと思いますが、そういった免許制度の抜本的な改革を視野に入れた上で、プロベーションからリミッテドにしていく、あるいはリミッテドからパーマネントにする。そういうふうな時期に更新制という働きをはめ込んでいくということはいかがなものなのか。
 もう一遍繰り返しますと、免許制度全体の抜本的な改革も視野に入れて、この問題の御審議をぜひお願いしたいということでございます。

委員 横山委員
 私自身、前回の議論の会に参加していたのですが、実は教員の免許の問題というのは、これまで教員の資質能力に問題ありという前提で、いろいろ議論されているわけですよね。したがって、免許制度の更新云々といっても、教員の資質能力をいかに確保していくのか、あるいは高めていくのかという観点から議論がされる。
 例えば地方の議会でも、いろいろ議論されるのですが、そのときに、今の教員の現状を本当に把握しているのかという議論があるわけです。例えば指導力不足教員が、かなり多いとの話がございましたが、全体でいえば非常にごく少数なわけです。だけど、これは民間の企業の方がよく言われるのてすが、いかなる組織でも1割ぐらいは不適格者がいる、それが組織の現状である。
 私が実際、東京都の教育現場を見ていて、見ているといってもそれほど深く見ているわけではないのですが、圧倒的多数の教員というのは、やはり教師としての使命感に燃えて、ちゃんとやっているわけです。
 したがって、今回、免許制度の検討について決して疑義を挟んでいるわけではないのですが、これから議論する教員の現状が、国民がどう見ていて、あるいは現状はどうなっているのか。その辺の分析を前提にして議論していきませんと、極端に言えば、指導力不足教員あるいは問題教員の対応策を検討すればいいのか、その辺のところが従前から疑問になっているわけです。したがって、もし資料等があるのでしたら、現在の日本の教員に対してどういう現状分析がされているのかということについて、今後の課題ということで是非お知らせいただきたい。

事務局 戸渡教職員課長
 詳しいデータ等については、今の御指摘を踏まえてまた準備をしてまいりたいと思いますが、本日お配りしている資料の中にはございません。いわゆる指導力不足として認定された教員の数といったこと、それが全体としてどの程度に当たるかとか、そのような資料はまた整理をして準備させていただきたいと思います。

委員 木村分科会長
 それは出せそうですか。

事務局 戸渡教職員課長
 いわゆる指導力不足教員としての認定者数、それから教員総数の中で、それ以外に懲戒処分等を受けた者とか、そういった部分のデータについては整理できるかと思います。

委員 木村分科会長
 しっかりとしたデータが出るかどうか、私は疑問のところがあるのですけれども。

委員 横山委員
 申し上げたかったのは、教員に限らない、これは公務員ですから、国のほうで身分保障制度そのものを検討されていますね。例えば指導力不足教員といえども、これは累積をしているにすぎないわけです。昨今、例えば地教行法の改正でも、そういった教員を法改正して教壇から排除するという方向に現在動いているわけです。そういう対応策で済む話なのか、あるいは抜本的に全体的な教員の資質能力が問題だ、そういう観点から議論するのかという視点なのです。

委員 平出委員
 何度か私、どこかで発言し続けているような印象を持つのですが、前回の教員養成部会で、先ほど委員より、検討事項という中でも若干触れたかと思いますが、更新制にとってかわるぐらい重みのあるものとして、10年研修を導入したと記憶しているわけです。その10年研修がどのくらい実際行われているか。聞くところによると、やむなく聴講しているけれども、居眠りしている教員がいるように聞いているわけですので、10年研修の実態をぜひ明らかにしていかなければならないのではないかと思っております。

委員 森川委員
 開放制の免許制度の中で、新たに更新制を導入するということになりますと、一般大学あるいは一般学部等では4年生で一応出しています。出して、その後、我々は教員養成の大学・学部では、特に義務教育関係を中心にして出している。更新制というのは、どういう場合だって、一般大学であれ教員養成の大学・学部であれ、同じような形で更新制というものを見ていくのかどうか。これは養成段階のことに絡むものですから、その点だけお伺いしたいと思います。

事務局 戸渡教職員課長
 免許制度の仕組みとしては、開放制前提ということですが、資格の部分になりますと、同じ取り扱いでございますので、基本的には同じように考えていくことになるのではないかと思いますが、その辺も含めてまた御議論はこれからいただく部分があろうかと思います。

委員 渡久山委員
 平成14年度の中教審の答申を、その後また繰り返し読んでみると、多角的な観点、あるいはいろいろな問題等を、状況を含めて真摯な議論、検討、あるいは審議がなされているのです。そういうことを踏まえて、2年前には慎重でなければならないという結論であり、その後、何も検討してはいけないという話にはなっていないのですが、慎重でなくてはいけないということになっています。
 それだけではなくて、教育改革国民会議が17の提言をいたしましたけれども、その中にも教員問題がありました。それを踏まえている部分も若干あります。そういうことからしますと、適格性と専門性と、委員の方より信頼性ということについて話がありましたが、適格性の関係については、その後、不適格教員あるいは指導不足教員が出ているわけです。それにしっかり政策的な対応をしてきているわけです。
 もう1つは、今の専門性については、10年研修を取り入れてきて、実施されているわけです。しかし、10年研修が、導入して間もなくて、それがどういう成果を上げているかという総括というものは、ほとんど出ていないと思います。
 もう1つ、それに対する財政措置が非常に貧弱なのです。ですから、各県の負担も大きくなっている。それが実施されることによって、学校現場での子どもたちに対する授業とか、あるいは教育活動はどうなっているだろうか。もちろん夏休みを中心にして実施されていますけれども、原則的に夏休みについては、学校に来ない日ではないのです。全部教員は学校に来ることになっているのが実態です。
 2年前に出た答申と、それを受けて今実際やられている施策の検証をもう少しやるべきだと思います。そういう議論をちょっとやって、その中で、どうしてもというのがあるのかないのか、これが一つあると思います。
 それから、今、更新制をとっている国はアメリカしかないのです。アメリカでも、今、委員から話があったように、免許を与える際に幾つかの種類があって、その中で更新をしなくてはならない、あるいは更新したい教員について更新しているという実態なのです。そういうことを考えますと、日本の教員の質がそれほど悪くて、あるいは更新しなくてはどうにもならないような状況にあるのか。
 例えば、本当に指導力不足教員とか、あるいは不適格教員がそんなにたくさんいるのか。それと同時に、質の悪い教員が多いのかと、このようなことが逆に言われると、これは全く心外で、そうではないと思うのです。今の義務教育の様々の困難な状況、例えばいじめとか、不登校とか、あるいは中途退学というのは、教員の問題だけに問題をすり替えて解決できるものでは全くないと思います。逆に言うと、現場の教員のあの多忙さ、それからどれくらいの時間を割いて子どもたちの教育や生活指導に当たっているかという実態を見ますと、まずそのような条件の改善をして、教員が本当に教育活動が十分にできるような体制をとっていくという施策が、最初に出ていくべきではないだろうかと思うのです。
 そういう意味では、教員だけに問題を押しつけるような、あるいは教員バッシングみたいなものをやることによって、逆に義務教育が抱えている本当の教育的な問題、課題を避けているというか、あるいは解決のための努力が不足しているという感じが非常にしてならないのです。そういう意味では、更新制については、今、幾つか意見が出ましたけれども、これを重々実態を把握して、必要性がどれくらいあるのかという観点から整理して、議論あるいは審議をしていただきたいと思います。

委員 若月委員
 免許更新制については、私は議論に加わるのは初めてなのですが、以前から制度がどうであれ必要ではないと思っております。
 先ほどから、これは何のためにやるのか、一体何をターゲットにしているかということですが、具体的に指導力不足の教員あるいはM教員と呼ばれる教員に対する1つの対応でもありますが、私が例えば地教委で今一番困っているのは、教員のレベルが大変低いということで困っているのではないのです。教員が自らをエンカレッジしていこうという意欲に乏しいことに困っているのです。質そのものが悪いとか、教員がだめだからということで私は困っていません。今日、明日の授業ぐらい、ほとんどの教員が上手にやってくれるでしょう。しかし、世の中というものは刻々と変わってきているのです。そういう社会に対して、自らをエンカレッジしようとする意欲を、どれぐらい教員が持っているでしょうか。自らの教科だけに閉じこもったり、ほかのことは一切関係ないといったそんな教員ばかりではないですけれども、しかし、多くの教員はそうした意味で、自らの殻に閉じこもっている。自らを広く開放し、エンカレッジしようとする意欲に乏しい。ここに教育委員会としては非常に問題意識を持っています。
 そして、今までの手段として、研修というものをやってきました。しかし、この研修といったようなものは、それこそ水を飲みたくない馬を連れていくような部分がかなりあったということもまた事実であります。研修が効果を奏するのは、自ら自分でエンカレッジしようとする強い意志を持っている人間のみ効果的なのであって、無理やり連れてきても、なかなか研修といったようなものの効果があるとは思いません。今まで営々として私も研修をやってきましたけれども、砂をかむような思いがあります。それは決してM教員だからではないのです。教師の持っているそのものの体質に根差すものだろうと思います。
 そうした意味では、先ほどの委員の話にもありましたが、更新制そのものをいじくってどうするこうするということよりも、もっと広く、大きく、教員の採用から養成から、その中で免許の更新制といったようなものが1つの方法として考えられる。そういう高い立場から議論をしていくべきではないだろうか。
 つけ加えて、教員の免許更新制を言うのであれば、管理職の期間限定つきの辞令交付をしたいぐらいです。ただ、これは分限との関係が出てきますので、いろいろ議論をしなければならないと思います。そういった意味では、更新制そのものに目を奪われて議論することはどうなのか。教員養成という大きな立場からこの問題を考えていく必要があるのではないだろうかと思います。

委員 小栗委員
 今までも話がありましたけれども、2年前に答申が出ているというところと、今回との差がわからない部分が一番大きいですね。現場におりまして、2年前以前でも、もちろん指導力不足教員はおりましたし、この2年間で教員の質が変わったとは思えないわけです。それで、あえて2年後に同じものが出てくるということは、結局、議論がまた同じ議論になってしまうような気がします。そうしますと、同じ議論が行われて、違う結果が出るというのも、おかしなことになってくるものですから、ぜひ事務局のほうとしては、この2年間で何が変化したのか。また、諮問をしなければいけなくなった事情をしっかり教えていただきたいということが1つであります。
 それから、私はまだ更新制の是非について両方持っているのですけれども、やるのであるならば、本当に教員の資質が問える更新制度をつくらなければ全く意味がないと思います。ペーパーテストをいくらやっても、本当にいい教員は見つかりません。これは長年、私は教員をやってきて、その経験からそう思います。ではどんな試験方法があり得るのかというところからやらないと、制度は決めたけれども、試験は本来の教員をはかる試験でなかったということになりますと、何の意味もなくなると思います。ですから、そこのところを考えて提案をしていただきたいのであります。

委員 加藤委員
 2年前の議論というのは、私はそれほど承知しているわけてはないのですが、この2年間で何が変わったのかというのは、やはり明らかにする必要があるだろうと思います。
 その中で、私が個人的に感じておりますのは、1つは、先ほど説明のときにもありましたけれども、公務員制度の改革議論が非常に盛り上がっているということは、大きな変化の1つと見ていいのではないか。ただ、これも政局と何となく一体化したような議論で、なかなか法案がまとまらないような状況がございます。公務員制度改革の問題でいえば、これは公務員の皆さんと我々民間サイドとは必ずしも見解が一致していない面もあるわけです。公務員制度改革で、今、一番焦点になっておりますのは、人事制度です。能力評価を入れるのかどうか。それはいかなる評価基準に基づくのかということです。一方で、いわゆる労働三権を認めるのかどうかという問題があって、私たちは三権を付与すべきだと申し上げております。三権があるということになりますと、我々民間から言いますと、三権があって、身分が保障されているというのもおかしいのでないか。民間とのイコール・フィッティングであれば、今の身分保障も考え直さないといけないのではないか、こういうことなわけであります。
 この更新制という話は、免許の更新でありますから、更新をしないということがあり得るということが前提だろうと思いますが、その場合は、当然のことながら身分を失う。免許が更新されなければ、教師でもあり得ないということになるのだと思いますが、その場合に、公務員制度との問題が出てくるわけですから、これと全く別な議論というのはあり得ないだろうと思います。
 もう一面で、いずれにしても、まさにどうやって評価をするのか。そこでの評価の在り方について、これはまだ方向性が公務員全体の中でもコンセンサスが得られるところまで話が進んでいないわけです。公務員制度改革の議論がされないと、更新制の部分だけでは恐らくおさまらないのではないかと思います。

委員 中嶋委員
 2年前と現在という問題にこだわらずに発言させていただきたいと思うのですけれども、1つは、国際化、グローバル化という大きな国際社会の変動に対して、日本の義務教育なり、あるいはこれは高等教育も含めていいと思うのですが、どのように対応するかという観点を考えますと、やはり日本の教員の在り方というのは根本的に考え直す必要があるのではないかと思います。
 例えば、今、英語教育の問題を見ますと、外国ではTESOLという国際的な共通の語学教師の資格がありますよね。こういうものを取っている優れた先生でも、日本の高等学校や中学では英語の教員になれないのです。つまり、日本の教職免許制度をくぐらないとなれない。それでは、日本では教員養成系の大学なり、あるいは教員養成に特化した大学院大学が、上越とか、鳴門とか、出ているのですが、そういうところで卒業して免許を取ってきた人が、果たして英語教員として適格であるかどうかということになると、もちろん適格の人もいると思いますが、必ずしも十分ではないと思います。
 そういうことを考えますと、国際社会の中で訓練を経た者とか、日本の大学をパスして、アメリカの大学を出てくる、語学にすごく堪能だという人が、日本の教員資格を取るということは大変なことなのです。特に最近は、教職免許を124単位のうち64単位を取る場合には、教科の勉強以外に、今のいわば教員を取り巻くクラスの問題とか、学級経営とか、そういう授業もとらなければいけない。英語については非常によくできるのに、もう1回教育実習を受けなければいけない。等々のことを考えますと、非常に大きな変化があるので、もうちょっと教員になりやすい、実際に力のある人が教員になれるチャネルを開くべきだとかねてから思っております。
 また、同時に高齢化社会でもありますから、実際に商社や新聞社で退職した人で、すごく国際経験を持っている人、国際機関などにいる人など、最近は特別非常勤制度もありますが、教員としての適格性がある人はなれるようにする。そういった単なるバッシングの形で、いわば問題教員を再更新しないという形ではなくて、もっと根本的なところで考えるべき時期にきているのではないかと思います。
 もう1つは、今、教職になる入口はかなり狭いので、非常に大変です。優秀な方がなると思いますけれども、やはり基本的にはペーパーテスト、あるいは1回の面接です。一度採用したら、今の制度ですと終身雇用になります。ここを直していかないと、これは高等教育でもそうです。大学の教員だって、一度助手になると、問題教員でも、少なくとも国公立に関しては、そのまま教授になってしまうわけです。あるいは、国公立に関しては、外国人がトップに立つことができなかった。私どもの国際教養大学は副学長がグレゴリー・クラークさんで、公立大学法人だから初めてできたのです。
 そういうことを含めて考えますと、もう少しその辺のところも考え直して、初めに1回採用した者が、教育なんていうのは人間対人間の関係ですから、本当にペーパーテストだけでは、その先生の点数がいくらよくても、適格かどうかということは、経験してみないと全くわからないわけです。今の制度だと、それを全部抱えてしまうことになりますね。そこに問題があるわけで、これは初中教育だけでなくて、まさに日本の大学、高等教育にも必要な措置だと思っています。是非そういう観点から、抜本的な教員免許の在り方を考えていただきたいと思います。
 それから、事務局にお願いですが、諸外国の例で、オーストラリアの例をぜひ入れていただきたいと思います。我が家は小学校4人の子どもが、オーストラリアの小学校に入りまして、ものすごくいいスペシャル・ティーチャーに出会ったのです。これは全く外国語ができない者に英語を教える先生ですけれども、その先生は普通の先生とは違いますが、日本の非常勤のような先生ではなかったです。本当に一生涯、息子の結婚式にも来てくれたり、そういう関係になったような教員が、外国にはいますよね。それらの人たちは、日本の教育制度の中では、ほとんど教員になれないわけです。その辺も含めて、教員の在り方の多様性を考える意味でも、オーストラリアの例をぜひ調べていただきたいと思います。

委員 橋本委員
 先ほどから、教員の現状のこともお話がありましたけれども、少し教員の現状についてお話ししたいと思います。8時から勤務をして、1日の終了が19時とか、20時ぐらいになります。休憩休息はほとんどとれないのが現場です。全員が部活動の指導もしておりますから、部活動指導が18時ぐらいに終わって、それからほとんどの教員が翌日の授業の準備等に入っていきます。学校でできない方は、ほとんど家庭に持ち帰ってやっているのが現状です。本当にほっとできる時間というのは18時過ぎというのが、毎日の生活です。
 不登校の子どもたちを抱えている担任は、空き時間を使ったり、また空き時間は、ほとんど教科指導の準備に入りますから、放課後、不登校の生徒への家庭訪問であるとか、適応指導教室に通っている生徒への訪問等を行っております。
 このような中で、目いっぱい子どもたちとの関わりに時間を使っているというのが現状です。教科の中では、空き時間の教科がある方、全くない方、一人一人状況は違いますが、そのような現状の中で、本当によく頑張っているなということを、私などは毎日思っています。確かに狭い社会かもしれません。その中で、やはり教科指導に対してはプロという意識を持ちながら、本気になってやっておりますし、そのあたりの現状について、そういう教員ばかりではないという話もありましたが、一部の指導力不足という教員が各学校にいるかもしれませんが、本当の一部です。ほとんどの教員はそういったことはないということが現状でもあるわけです。
 最近、教育実習生について思うことがあるわけですけれども、優秀な学生がきたり、また、心配な学生がくることがあります。共通して言えることは、教科指導に対して本当にもっと専門性を高めてほしい。これは知識だけではなくて、特につまずきがあるのが、実験・実習、体験、製作、実技、これらができない学生がものすごく増えています。ですから、教材開発をするといっても、特に新規採用教員が本校にもおりますけれども、既成の教材で指導してしまうという教員もいるわけです。「手づくり教材がどうしてできないの」「時間がなかなかとれないから」「時間がとれないのではなくて、時間を生み出すんでしょう」と。教育実習生の中にも教材開発すらできないで、子どもたちにとってどのような教材教具がよいのか考えずに、ただ単に授業を行うという学生も増えているのは事実です。
 今、実技教科のことも触れることがあるわけですが、授業時数が減少している中で、本当に子どもたちに身に付けさせるべき内容があるわけです。短期で身に付けさせなければならない。指導力をもっともっと高めて、専門性を高めていく。これは知識だけではなくて、今話しましたようなことも高めていく必要があると思いました。
 もう1つあるのですけれども、これはやはり児童生徒理解、また、教育愛、このあたりがどうなのかなと疑問に思うこともあります。心身の発達段階をよく知った上で、特に体の特徴もそうですが、心の発達、義務教育の年代は思春期を迎えていきますので、こういった難しい子どもの年代の対応といいますか、そのことも、ただ単に子どもを指導すればよいということではなくて、これはバックに保護者がおりますので、保護者対応も必要になってきますので、本当に子どもたちにとってどうなのかということを考えていかなければならないでしょうと。
 私なども新規採用教員の面接等々を行うときに、「子どもが好きですか」と聞く場合があります。本当に根本から教育愛を持っているのかどうかということを、時々確かめる場合がありますけれども、20分、30分の面接ではそこまでわからないことがあります。
 最後になりますが、参考資料1-5の「高い使命感と指導力を持つ教員を養成する」という中に、「システムを改革し、専門的な知識と豊かな識見・人格」云々とありますが、専門的な知識だけではない。知識はもちろん大事なこと。今、教育実習生の話をしましたけれども、専門的な知識も必要ですが、それ以外にもっともっと身に付けていただきたいこともあります。ベースは、専門的な各教科指導がベースになりますので、その中で、ただ知識だけではないでしょうということです。
 この中で、教員免許制度を抜本的に改革すべきである。抜本的な中身は何なんでしょう。本当に言葉では抜本的に改革というのは言えることですが、慎重にいろいろ考えていかなければならないことがあるでしょうと、そのようなことを思いました。

委員 田村委員
 実は教育改革国民会議の更新制の提案のときも、それから、その後、文科省に舞台が移って、中教審で答申を出した、両方にかかわった経緯を少し御説明をさせていただいて、この問題についての私の考えを申し上げたいと思います。
 国民会議は、初等中等教育部分について、この免許状の議論をしたわけです。もちろん適格性、専門性の問題も大きくありました。例えば、当時、情報という新しい科目ができて、それは大学を出たときに情報という免許状を取ると、一生その免許状が有効だということは、誰が考えてもあり得ないわけです。これだけ変化していく内容がある教科を、卒業時の免許で一生教えられるというのは、制度としておかしい。これはあったわけです。
 それと加えて一番大きな問題だったのは、学校の閉鎖性という問題があるわけです。先ほど、委員の方の話にもありましたが、私も現場の人間として、一般的に教員の多くは問題がない、非常に一所懸命やっているのです。それは事実です。しかし、ごく少数でも出た場合、学校の現場はどうしているのかというと、その問題の教員を結局かばっちゃうのです。それはしようがないのです。閉鎖性があってかばってしまう。その根幹は、当時の議論では、上意下達の教育の仕組みに問題があるということでした。ですから、地域に根差した教育を意識して、それを学校に反映させるようにすれば、その問題は解決するだろう。
 その後、文科省も地教行法を改正しております。いわゆる上意下達の教育システムをやめて、地域の意見を反映した学校づくりをしようという制度改正をしており、それがこれからどんどん現場に普及していくのだろうと思います。
 現実に、一番最後のコミュニティスクールの実践研究の事例が、代々木のセンターで発表されるようですけれども、これはまさにその実態なのです。聞くところによると、地域の人が選んだすばらしい先生が、公立中学校の校長になって、地域に支持されているすごい学校ができ上がりつつあるという例も発表されるようです。民間校長というのは、いい場合もあるし、悪い場合もあるのですけれども、これはいい例としてそういう例が紹介される。こういう状況になっていれば、問題があったときに、教員をかばうということはあり得なくなるわけです。ところが、当時は現実にはあったのです。
 ですから、更新制という1つのショックを与えることによって、そこを直せないだろうかという考えがあったことは事実であります。例えば現在でも、定年間近の先生というのは、みんながかばってあまり仕事をさせないで、そういう先生は大した仕事をしないで、定時になるとパッパと帰っちゃう。ほかの先生も、「まあまあ、あの人はそうだから」ということを、やっているということも耳にします。そのようなことがあっても、いけないと言うつもりはないのですけれども、学校という仕組みだとそれを全部隠してしまうのです。みんながそういうことをカバーしてしまって、表には出てこない。そこを直してもらうためにも、更新制という制度が必要ではないかという議論があったことを記憶しております。
 14年の中教審の答申のときには、地教行法も改正され、学校も大きく改革している。新しい方向でいろいろな改革が進行しまして、例えば10年研修ということも出てきました。そのような、ここで更新をあえて強行するという道でなくてもいいのではないかという話で、答申が出たというように記憶しております。私は参加しましたから、その経緯をこのように受けとめております。
 しかし、そこに参加していなかった人たちが、免許法の更新はやはり必要だと言っているということは、現場がまだそこまで変わっていないのだなと。では、このことは真剣に考えて、よりよい学校がつくれるようなきっかけになるように、これを議論していかなければいけないかなと思います。
 これは、ただ問題解決のために、ここに適格性と専門性を問題にしているという形での更新の理由づけが出ていますけれども、それだけではないような気がします。やはり信頼性という点で、教職が働いている学校という場が、信頼性をつくり上げるのに非常に問題があるのです。例えば、先生と生徒の対話で教育が成り立ちますから、親は子どもから話を聞くわけです。その話の中には誤解もあるし、正確に伝わっていない部分がたくさん出てくるわけです。それに対して学校の評判がつくり上げられていくわけです。それを今、積極的に校長を中心にして、学校をもっと地域に開こうということで進めてきているわけです。それがまだ十分にいっていないのでしょう。ですから、いろいろな形で問題が出てきている。それを肌に感じた方々が、やはり更新制をやらないと、教員がもう少し頑張ってくれないのではないかという話で出てきているのだろうと私は受けとめました。
 ですから、この問題はそれほどこだわらずに、今言ったような視点を踏まえて議論していくことが大事なのではないかと思います。しっかりこれをしていかないと、それこそ今、日本の教育制度を揺るがすような義務教育費国庫負担の問題まで響く危険があるのです。要するに国民の信頼がなければ、こういう制度も維持できないわけですから、何とかひとつ、積極的にこういうことについては前向きに議論して、姿勢を示さなければいけないのではないかと思っております。

委員 鳥居会長
 この間、大臣から諮問をいただくに際して、私は中教審を代表して諮問をいただきましたが、その後で大臣といろいろお話を交わしまして、幾つか確認的に申し上げたことがあります。
 その経緯を簡単に申し上げますと、前回の諮問と今回の諮問との関係は、明らかに再諮問なのです。ただし、もう一度諮問をするという、そこに至った経緯を振り返ってみると、前回の答申の中で、免許の更新制をしばらく見送る。あそこでは、これからさらに検討するという言葉で結んでいるのですが、その理由として挙げられたものの中で、一番よく、なるほどとわかるのは、免許を与えるときに試験をしていないのに、途中で取り上げたりすることができるのかという論理だったわけです。
 しかし、実際の問題としては、いろいろな問題が指摘されていることは明らかで、そのいろいろな問題というのは、浅く言えば幾らでも浅く言えるし、深く言えば幾らでも深く言える。申しわけないのですが、お役所の作文で見る限りは、結構浅いのです。しかし、先生というものは、本来どういうものでなければならないかということを、深く突っ込んで議論するというのが中教審の場ですから、もう一度中央教育審議会が本気で教員とはいかなるものであるべきか、そして、その養成では何を心すべきか、どう制度を用意すべきかということを議論して、その上で、更新制も含めて免許制度全般を審議するのですねということを、私は今度の大臣にお話ししました。
 前大臣のときは、これからの教育を語る懇談会という長い名前の大臣の私的諮問機関がつくられまして、そこで教員養成の必要性と、免許の更新制の再検討の必要性ということが強く言われたわけで、そのことを新大臣はどう受けとめられるのかなと思って見ておりましたところ、これからの教育を語る懇談会はやめてしまうのかと思ったら、新大臣のもとでも続けるそうですから、その重要性というか、存在意義は今の大臣も認めておられるようです。
 そこで、私、前回の平成14年の審議のときに申し上げたことを繰り返し今度の大臣にも申し上げましたが、今日も一言申し上げたいのですけれども、教員というのは一体何をする人たちなのか。四つ、あのときは挙げたのです。
 1つは、生徒の人格形成の支援をする。
 2番目は、基礎知識を教える、基礎知識の学習の支援をする。
 3番目は、学習の方法を教える。
 4番目は、英語で言うとソシアライゼージョンの支援ですが、人生の支援と言ってもいいと思います。
 その4項目について、今、教職にある先生方は、それなりにみんなやっていることは確かです。しかし、日本の将来を考えると、こういう大事な仕事、人格形成の支援、知識の伝授の仕事、学習の方法を教えること、人生の支援をすること、こういった面で、日本の教育の水準をもっとアップグレードする。そのためには、先生方もこの4つの面で、もっと質の高い能力を持ってくれるような教員養成、あるいは再教育の仕組みを用意する。そのことを相談しましょうということで、前回も行ったわけですが、なかなかそこには話がいかないうちに、具体論としての免許更新制のところに話はおさまっていってしまうということの繰り返しだったように思うのです。
 ですから、今回はもう一度原点に戻って、そのような質の向上をどうするか。だから、今の先生たちの批判ではなくて、今後、我々自身が教育の質を高めるために、どう教員の質を高めるかを議論して、そのための教員養成や再養成の仕組みを相談して、その結果として免許更新制はどうしたらいいか。例えば、いきなり免許試験制度なんて導入できないと思いますけれども、それに近い何らかのチェックポイントを設けるのにはどうしたらいいのかということを議論して、その最後のところで更新制、どこかでチェックするというところにいくほうが自然の議論のように思っております。

委員 木村分科会長
 ありがとうございました。まだ御意見もあろうかと思いますが、今後、教員養成部会で御議論をお願いするのですけれども、いろいろな御意見をいただきました。確かに14年に答申を出しておいて、またかということで、朝令暮改という声も出ましたけれども、世界中が今、教育の質の向上に取り組み始めているわけです。そういうことを視点に据えて議論をすべきで、これはある意味では、国民の皆様の声だというふうに私自身は考えております。
 専門職大学院の件については、今後の議論で専門職大学院についても並行的に議論するのですか。それはどういう方針で教員養成部会で行うのですか。

事務局 戸渡教職員課長
 今、御指摘等ございましたけれども、教員養成における専門職大学院におきましても、具体的事項として、今日の教員にはどのような専門性や指導力があるのかといったようなことで、全体としての養成の中で考えていただく要素がございますので、並行して御議論をいただきながら、お願いできればと現時点では思っております。

委員 木村分科会長
 わかりました。今日は、専門職大学院の件については御議論いただきませんでしたけれども、御議論を教員養成部会で行っていただいて、何回かやった後に、またここでその辺の議論を続けさせていただければと思います。

(2)事務局より、資料(2-1、2-2)に基づき義務教育に係る諸制度の在り方について説明の後、義務教育の目的、目標を中心に意見交換を行った。

委員 渡久山委員
 1つは、教育の目的、目標については、日本の場合でしたら、憲法や教育基本法で一定程度位置づけられていると思います。今、新しい教育基本法の議論もなされていますけれども。ですから、問題は、そういう人格の完成を目指すとか、いろいろな形で教育の目標や目的が非常に高い位置づけになっているけれども、実態とこれが非常に乖離している。そうすると、逆に日本の義務教育が成功しているのかしていないのか、その目標や目的に照らして、果たしてどの程度の到達度になっているのか、こういうことが非常に問題だと思います。
 そのためには、現場での教育実践や教員、あるいは学校の体制そのものが、目標をいかに達成するかということで、より効果的なところでないといけないだろうと思います。そのために、いろいろな努力がなされているけれども、実際には、例えば課程主義とか、年齢主義というものがありましたけれども、未消化のままに、具体的に学校で学力問題を考える場合、教育課程があって、指導要領があって、その指導要領によって教科書が検定されて、この検定教科書が具体的には教材として、唯一ではないけれども使われている。この教科書をどう消化するか、あるいは教科書がどれくらい子どもたちに理解されているかによって、結局は義務教育の目標や目的がどう生きているかという話になってくると思うのです。
 その場合に、1つは基礎知識やいわゆる基礎学力というものがどうなっているか。それから、道徳教育をはじめ、社会的なルールづくりというものがどうなっているかという部分と同時に、生活指導の部分というもの、要するに生き方の問題等が出てきているわけですが、どちらを見ても非常に不十分です。
 そうであれば、日本の今の義務教育で問題にすべきなのは、1つは、目標、目的が具体的な子どもたちの教育の実態として、効果を上げるということが、今、最大の課題ではないだろうかという観点から、私の場合は、やはり学校づくりですね。「学びの共同体」としての学校づくり。「学びの共同体」というのは、ある学者の言葉ですけれども、果たしてそれでいいかどうかは別としても、ともかく勉強が中心になった学校づくりをやれないか。非常に雑務が多い、あるいは会議が多い、あるいはいろいろな困難な状況がある。だから、条件整備をしてやっていく。小学校には単科の教員をもっと増やしていくとか、具体的な条件整備をしていく中で、今の子どもたちの履修や到達度をもっと増していけないか。
 ちょっとこれはジャーナリスティックな言い方だったのですが、例えば教育課程は今、7、5、3とよく言われています。これをもう1つずつ、10パーセントずつ上げていって、8、6、4にしたらどうか、あるいは9、7、5という形にして、目標をあまり大きくしないで、まず具体的にそういう形で学力をつけていく、あるいはいろいろな教育効果を上げていくという、具体的な問題に切り込んでいくということが、今、一番大事ではないかという気がいたしております。そのための条件整備が非常に大事であって、先ほど委員の方から話があったように、今、義務教育費国庫負担の問題がございます。そのような財政措置をきちんと確立していないと、どんなに目標や目的を高く挙げても、実効性がないということを私は感じています。

委員 加藤委員
 この問題を考えるときに、今の親たちの教育に対する不安は、やはり現状で落ちこぼれていってしまう人たちがいると、それが社会の不安とかそういうものにつながっている、その荒廃と言えるような状況をどうしていくのかというところが一番大きいわけです。
 そのときに、たびたび私はこの場の議論で思うのは、平均値を上げるためには、2つの方法があると思うのです。平均値を上げるためには、全体に目を当ててともかく上げるという、全体を上げていくという方法論と、それから上のほうをグーッと引っ張り上げて、全体を少し引っ張っていって、下のほうについてもカバーできるぐらい上方移動させていくというやり方があるのかもしれないのですが、必要なことは、今ある分布状態を見たときに、私は階層分化ということを書いたのですけれども、世紀分布していると家庭しますとその山の下のすその方の外れていこうとしている人たちをどのようにしていくのかというところに焦点を当てていかないと、常にそのことを念頭に置いて議論していかないと、今の親の不安は解消できないのではないかと思います。
 皆さんの出されている御意見は、それぞれごもっともだし、当然の御意見だと思うのですが、そこのところの視点の置き方ですね。高邁な目標を立てることはできるわけですが、誤解を恐れずに申し上げれば、ここで議論している社会階層の人たちではなく、もっと不安に陥っている人たちの立場で、かなり下のほうの子どもたちをどう引き上げるのか、どう落ちこぼれないようにするのか、優れて社会的な視野でこの議論をしていく必要があるだろうということを強く思っております。

委員 木村分科会長
 ありがとうございました。
 どうぞ、田村さん。

委員 田村委員
 義務教育については、個人的な考えでいえば、日本の義務教育というのは、私はある意味では世界に冠たるものだと思っています。IEAとか、PISAのテストでも常に上位を占めて、そういう意味では非常に機能している。ところが、実際に実力以上に割に低く評価されている。評価する際によく言われることは、典型的なのですが、画一的である、子どもを一人一人見ない、その部分が自分の子どもを預けるときに心配だということが大変よく言われます。義務教育段階で外国の学校に預けるという親の共通意見は大体そういう意見です。
 どうしてそういうことが出てくるのかなと常日ごろ考えているのですけれども、やはり入口と出口にもう一工夫必要なのかなという気がします。例えば入口のところでいえば、ようやく最近は、幼稚園と小学校の連携ができてきたという実感があります。これは教育委員会が介在することによって可能になってきています。ところが、実際には5歳児が行っている保育所と教育委員会の小学校との連携は残念ながらうまくいっていないのです。例えば、保育所というところは、性格上、子どもの家庭環境とか、おじいちゃんがどうだとか、そういうことも全部知っているわけです。どういう病気を持っている家庭だとか、うまくいっていないとか、そういう保育所の状況があって、子どもを預かって、小学校に行くようになったから、その情報を小学校に伝えようとすると、教育委員会は拒否されるのです。子どものプライバシーにかかわることを教育委員会としては預かれない。そこのところの連携がうまくいかない原因の1つだなと思います。つまり、最初に決めてしまっていて、その決めた形に合うような子ども育てようということを強く言い過ぎているのだろうと思います。その辺の連携をもう少し柔軟に、いろいろな情報を、また、いろいろな連携をとりながら、小学校教育もスタートのところでもう少しとその辺を柔軟にすることを工夫する必要があると常日ごろ感じております。
 もう1つ、画一的と言われる部分を考えてみると、出口なのです。出口はとにかく中3まではみんなこれだけのことを教えて、出口は高校に行くから、高校入試に備えてこういう教育をするということで、全部画一されていくという流れがあるのです。そこのところをもうちょっと柔軟に対応できるような仕組みが義務教育の中身としてできないだろうか。これからの議論の展開の中で、ぜひ御検討いただきたいと思っている点は、今の入口のところと出口のところ。
 私は中身は、世界に冠たる義務教育だと思っていますので、いじるとかえって悪くなるという気がしているのですけれども、御意見をぜひお伺いしたいと思います。ただ、入口と出口は少し工夫したほうがいいのではないかという気がします。 それは年齢の問題も出てきます。入口の6歳児を5歳児にということが、どういう意味があるのだろうかということを踏まえて考える。それから、卒業の年も、年齢を区切るということに意味があるのかどうか、そういうことができるのかどうか。そういうことをやると印象が随分違ってくるのではないかと思っております。

委員 中嶋委員
 まさに今夜からアメリカの大統領選挙がありますけれども、その争点はまさに今の問題ですよね、一つは。イラクの問題だけが表に出ていますけれども、2002年にブッシュ大統領は、ザ・ロー・オブ・ノーチャイルド・レフト・ビハインドという、落ちこぼれをつくらない法律を通しましたよね。これは追跡調査をして、我々の参考にもなると思いますが、私はかなりそれを評価する。評価する1つの理由は、幼児教育と小学校とを結びつけている点で評価したいのですけれども、一方、ケリーのほうは、予算と措置が伴っていないために、結局、逆に落ちこぼれを増大して差別を拡大してしまったのではないかという意見が、今回の大統領選挙で争点になっていましたよね。ぜひ文科省にこの点は、少し調査していただいて、次回にでもこの結果を、報告していただければいいと思います。非常に参考になるのではないかと思います。

委員 今井委員
 このペーパーの中に、私立と公立のことに関して何行か文章があるのですけれども、都市部のとある1地方の問題なのかもしれませんが、例えば私どもの学区でいいますと、小学校から中学校に上がってくる段階で、地元の小学生の学力的に ―点数です。ペーパーテストでいうと上位3割の生徒が私学を受験して、そのうちの合格した者が私学に行くわけであります。
 前から漠然として思っていたことだったのですが、つい最近、どうしても聞いてみたいことがあって、今日、発言させていただくのですが、地方行政の担当者から、文科省から調査がきている、特別活動についての調査であると。特別活動についての調査があったのですが、最後に、以下の質問は私学だけの学校にお願いしますと。要するに、週5日制を展開しているか展開していないかということなのです。もちろん公立小・中・高は当然週5日制を展開していますけれども、私立学校での展開、要するに実態調査をすることが目的だったのだと思いますが、裏を返せばそういう現実ではないことがまかり通っているということも事実として把握することができました。基準がもしかしたら2通りあるのではないかという点について質問をしたいと思っています。
 学校は、学力が劣っている子も、長所、短所を含めて、集団の中で切磋琢磨していくことがベストだと考えていますので、集団づくりという視点からも、もしかしたら現在の流れは不適切な流れのほうに進んでいるのではないかと考えています。

委員 西嶋委員
 個の能力を伸ばすということが、義務教育の中でとても大切だろうと思います。基本のミニマムを義務教育の中でやるということに関しても、平均的なレベル合わせではなくて、個に対応して、その人のいいところを伸ばしていき、そこのベースをつくっていけば、あとは学ぶ力がついていくと思うのです。そこをもう少し力を入れていく必要があるのではないか。これから子どもが少なくなるという中で、少クラス制ということが実現できるだろうし、そこの中で個に合わせて指導していく。それから進級ももう少し柔軟にやってもいいのではないかと考える。今の進級は、無理なら落第というネガティブな発想になっていますが、落第ではなくて、ステイする。まだそこに達していないのであったら、そこでもう少しやっていいよねというようなコンセンサスが得られるようなものにしていく。それに合わせて、逆に年度ではなくても、ここでカバーできたら、次へ行こうというような柔軟な仕組みが求められてくるのではないかと思っています。
 もう1つは、個に合わせた教育ということに関しても、家庭との協力も重要で、家庭と一緒になって育てていくということを、もう少し考えていかないといけないのではないかと思いました。

委員 藤崎委員
 毎日、私どもは学校におりまして、いろいろな状況があるのですけれども、自分自身が整理するために、子どもの様子、それから学校の様子からということで、義務教育の目的、目標に関する意見を出してみました。ここに書きましたように、ルールのことであるとか、心であるとか、安全であるとか、学力、健康・体力ということが、子どもにとって、今、やはり課題かなと思います。
 これは何も今に限ったことではなくて、これまでも、これからもこのようなこと、あるいは新しい課題が出てくるかもしれない。学校、子どもの様子というのは、社会の鏡というところもあります。でも、このようなことは課題だと思います。
 学校の状況については、先ほどから出ております、様々な仕事が教員のほうに降りかかってきていて、かなり多忙感がある。連携の部分が、なかなか実際にうまく機能しないところがある。
 改めて義務教育の目的といったときには、やはり大きな目的、目標でいいのではないか。もちろん発達段階でそれぞれ違いはあろうかと思いますが、大きなところではいいのではないかと思っています。
 私が改めて考えてみたことは、今の課題を考えたときに、あるいはこれからの時代のことを考えたときに、子育て支援といいますか、子どもが家庭教育で十分に手厚く教育されていないようなところが出てきている。もちろん学校のほうでもやらなければいけないのですが、最初のほうに出した課題の規律のことであるとか、心の面であるとか、非常に大きく影響すると思います。家庭教育の充実、支援はやはり大事だろう。あわせて、学校・家庭・地域、特に関係機関との連携、教育相談所であるとか、警察であるとか、様々な機関がありますけれども、もっともっと親密に、具体的に連携をしていかなければいけないと思っています。
 それから、1つのポイントは、大きな目的はあるのですが、具体的に下がった目標というのは、学習指導要領になると思います。学習指導要領でどのあたりまでどうするのか。これは非常に大事なポイントになると思いますので、これからの時代に合わせて吟味をする必要があるだろうと思います。
 最低これだけはどこの学校でも、日本中どこへ行ってもこれだけはやるということ。それから、例えば午前中はそういう必修で、午後はそれぞれの学校で特色を出していい、総合を徹底的にやりたい、あるいは部活をどんどんやりたい、あるいは音楽、体育をと、そういう学校があってもいいのではないかということを思っています。
 教員はかなり多忙になってきておりますが、いわゆる学校の組織というのは、校長、教頭がいて、教員、主任がいますけれども、なべぶた式な組織ですが、なかなか組織的な機能が難しい。組織的にこれからは学校を運営していかないとうまく機能していかないと思います。そういった意味で、ミドルリーダー、東京では主幹制度をしていただいております。ほかの県から言うと、「いいな」と言ってくれるのですけれども、さらにそのあたりを充実して、校長、教頭、主幹、あるいは主任というところが、きちんと組織で動けるような学校にしたいと考えています。

委員 宮崎委員
 先日の中教審のときに、特別支援教育の審議をしていただいたのですが、その観点からお話しさせていただきます。実は特別支援教育の根拠になったものが、非常に難しい子どもがたくさん増えている。子どもたちというのはもともと多様性があるわけですが、さらに現段階でも非常に難しい多動性の子や注意が集中しない子どもたち、あるいは自閉的な傾向を持つ子どもたちが、文科省の調査で6パーセント強おります。あわせて、障害を持っている子どもたちの問題などが、特別支援教育の動きの中でクローズアップされてきております。個に合わせた指導をしていくことで、この人たちの基礎的な学力を身に付けさせていくことが、今、重要になっているのだろうと思っています。
 この方々に適切な支援をしていくことで、私は十分力がついていくし、社会の一員として生活していく、あるいは社会自立をしていくにふさわしい国民としての力量もつけていけるだろうと思っています。
 そういう視点で考えますと、義務教育の入口のところで、3ページに、公民として必要なルールを身に付けさせることという話が書かれていますが、ソシアライゼーションへの支援ということから考えて、まず入口のところで一番重要なのは、私は、学びのルールみたいなものをきちんと身につけることで、子どもたちが基礎学力を身につける方向性がついていくのではないか。今はやりの言葉でいうと、ソーシャル・スキル・トレーニングということが言われているのですが、まず学ぶベースをつくっていくことが非常に重要だと思います。多様な子どもたちがいるという観点から、義務教育の仕組みをもう1回考え直していく必要性があるのではないかというのが、第1点です。
 2点目は、そういう子どもたちがいるときに、ここで書かれている、いわゆる学習指導要領の最低基準性の問題などについては、若干の留保が必要になってくるのではないかということです。そういう意味では、学習指導要領の中に、総則あたりのところで例外的な規定等を設けて、柔軟な教育課程が構成できるというようなシステムをつくっておけば、その点でもかなり有効な仕組みがつくれるのではないかという気もしております。このあたりがこれからの特別支援教育を考える場合に非常に重要になってくるのではないかと思いました。

委員 船津委員
 義務教育の目標、あるいは目的については、既に概念として国のほうから出されておりますこの大枠に対しては、きちんと捉えたほうがいいのではないかと思っております。
 私が教育長に就任してまず考えましたことは、荒廃した教育現場でしたので、焦点を絞ろうという考えが強かったわけですが、教育の質の向上といいますか、水準を上げたいということで、まず考えて、いろいろと施策等を取り組んできましたが、その中で、最も重要視したのが、基礎学力の定着、あるいは向上ということと、もう1つは心の教育ということで、生徒指導を含む問題として、このことを非常に重要視してきたわけです。教育制度等の問題とも関わりまして、教育改革も相当いろいろな形で、学校現場にも浸透しつつあると考えております。今年の夏、学校と地域社会あるいは保護者とのトラブルが顕著に出まして、その対応に夏じゅう追われました。
 それは学校と保護者がお互いに不信感でどうにもならない状況にまできまして、長期化して、半年ぐらいその解決にかかわった事例が2つありました。どちらもそれは小学校ですが、児童生徒理解ということについて、親と学校とのズレが随分あったと私は感じております。そういった意味で、児童あるいは生徒理解という点で、生徒指導の問題で大いに教師の資質向上が緊急な課題だと思って、教員の文化の改善とか、教師側に非常に目を向けた意見を出しましたが、後でいろいろ整理すべきことがたくさんあったと思っています。
 地方教育委員会としては、委員の方から教員の意識をどのように変えるかというのが大問題だというお話がありましたが、全く同じ考え方に立って、お話をお聞きしたところです。研修でどんなに頑張っても限界があるということと同時に、教員の考え方、あるいは意識を変えるには、どういう方法があるのだろうというような手法の開発が何かできないものかと考えているところです。教育制度の改革と同時に、学校文化、あるいは教員文化、学校の持つ閉鎖性に対して、もっと開発的な手法がないのだろうかと思っております。
 義務教育のことにかかわって、国と地方教育委員会の役割を明確にすると同時に、良質の教育を国民に、あるいは市民に提供していくという意味では、一番生徒に接する教員の問題がどうしても頭を離れませんでしたので、意見ではそういうことばかり出しました。
 特色ある学校づくりというのは、教科を中心としたものでなければならないと思っておりますし、今回の生徒指導上のトラブルの中で、ほとんど学校側は被害者意識に立って、保護者からやられているという発想で終始してきました。教師というのは、ボランティアではない、仕事として教員を選んだのであろうということを、校長や管理職等にも話をして、結論的には解決しましたけれども、この夏、学校とのトラブルで、学校が保護者に対して被害者意識を持つということで、なかなか改善につながらなかったという実感を持ったものですから、このような要旨を出させていただきました。

委員 木村分科会長
 私は、ずっと高等教育の分野にいたのですけれども、高等教育の分野でも状況が変わってきておりまして、普通、大学の1つの学科は大体6講座とか8講座、教授が6人とか8人いるわけです。私どもが助教授だったときには、教授と学生のトラブルは一切なかったのです。ところが、15年ぐらい前からそれが頻発しまして、例えば教授が8人いるところだと、4人ぐらいの教授が学生とのトラブルを抱えることになってしまったのです。というのは、学生も多様化していますし、子どもが変わっているということ。教師のほうは変わりませんから。したがって、そこにミスマッチが起き、例えばどこの大学でも、今、学生相談室をつくっていますけれども、すさまじい数の学生がそこに相談にきているのです。
 そういうことから言うと、従来型の教師ではだめだということなのです。外の条件が変わっていて、教師のほうもそれに合わせていかなければいけない。つまり、昔だと月並みなことをやっていれば機能したのだけれども、それが機能しなくなったということから、先生方かいかに自分をエンカレッジして資質を高めていくということをやっていかないと、たぶん教育の現場は機能しなくなっているのではないか。先生方に対する社会の要求、学生の要求が変わってきているということは、我々、認識すべきではないかと思います。これはたぶん義務教育でも同じなのではないでしょうか。

委員 中嶋委員
 今日は、専門職大学院の問題はやらなかったのですが、大学院部会でも法科大学院の問題に触れて、こういう状況の責任はどこかという議論もあり、抜本的なというか、かなり本質的な議論をしておりますので、こちらの議論とリンケージをとるようにしていただければと思います。

委員 木村分科会長
 専門職大学院の議論を避けたのは、大学院部会とのマッチングをとらないと、これはいわゆる教員免許とかそういう範疇の問題ではないのですね。もっと大きな問題ですので、今、お話しいただいたことを私も考えておりますので、その辺、事務局で工夫をしていただけませんでしょうか。

委員 中嶋委員
 特に専門職大学院はまだできたばかりですし、それ自体、形が整わない。それから、従来の大学院大学がありますね。さっきの鳴門とか、上越とか。それから、既成の普通の大学院もある。それがアプリオリに専門職大学院というものに、私は賛成なのですが、ちょっとそこも議論しないといけないと思います。

委員 木村分科会長
 大学院、あるいは大学制度の問題としてとらえていかないといけないと思っておりますので、事務局、議論の仕分けの方法をよろしくお願いいたします。

 事務局より、今後の日程等の説明が行われた後、閉会となった。

午後0時40分 閉会

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成21年以前 --