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初等中等教育分科会(第28回) 議事録

1.日時

平成16年9月29日(水曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館 2階 オリオンルーム

3.議題

  1. 義務教育に係る諸制度の在り方について
  2. 幼児教育の在り方について(中間報告(案)について)
  3. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、小栗委員、梶田委員、加藤委員、田村委員
臨時委員
 河邉委員、高倉委員、角田委員、永井委員、西嶋委員、野村委員、藤崎委員、船津委員、宮崎委員
意見発表者
 安彦忠彦氏(早稲田大学教授)

文部科学省

 近藤文部科学審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口初等中等教育局担当審議官、山中初等中等教育局担当審議官、前川初等中等教育企画課長、塩見教育制度改革室長、常盤教育課程課長、戸渡教職員課長、豊岡幼稚園運営支援室長、その他関係官

5.議事録

午前10時 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)義務教育の諸制度の在り方について、資料1に基づき安彦氏の意見発表の後、意見交換を行った。

委員 加藤委員
 先生の御意見を伺いたいのですけれども、4年生と5年生の間に大きな断層があることはよく理解できたのですが、これは一人の子どもの連続性といいますか、成長過程でいえば、個々のバラツキが出るとか、個人として体と心が変わっていくというのは非常に不安定な状況なのだろうと思います。それは先生の御意見で、例えば6年を4と2に分けて、カリキュラムや教え方等を変えたほうがいいという御意見なのかどうかお聞きしたい。先生の理想としては、学校そのものを分けてしまうというか、4、4なのか、5、3なのかというところもあると思うのですが、そのように学校の区分まで変えたほうがいいと思われるのか。
 一方で、区分を変えるということは、不安を高めるということもあると思うのです。それから、これは前にも私は少し申し上げたのですが、小学校から中学校というところの大きな差は、縦の関係が中学では薄くなって、小学校は縦社会というもので育っていく。それが中学では横の関係が強くなると思うのです。
 そういう点で言いますと、不安を増長するのか、安定的なところでカリキュラムだけが変わったほうがいいのか、その辺は非常に悩ましいところだろうと思うのですが、先生の御意見としていかがでしょうか。

委員 安彦意見発表者
 おっしゃるとおり、当初は、アメリカが5、3、4に変えましたが、それは40年かけて変えてきているのです。本当に草の根で変えてきた。上から一気にやるということではなかった。ですので、いろいろな影響を及ぼす範囲も徐々に変えながら一緒にやってきた。
 そういう流れの中で、実は最近ですけれども、今の中学校を調べた大規模な調査報告が出た。これはランド・コーポレーションから、調査グループがアメリカのミドルスクールの実態をきちんと調査した結果を出したのです。ここでおもしろいのは、途中区切らないほうがいいのではないかと言っている。5、3と区切ること自体、そこでまたいろいろな抵抗が生じて、学力も落ちたり、いろいろな問題が出てくる。だから、9年一貫、あるいは8年一貫、一貫させてしまったほうがいいのではないかということを提案しているのです。私は〈エエッ?〉と思いましたが、これはもとへ戻った発想でして、もともとアメリカの場合に8、4だったのが、中等教育の上の4が大学のほうから見て、中等教育が遅過ぎる、もっと早くからやってくれないかという、実は大学のほうからの声で、中等教育を早くするために、8のうちの最後の6とか7を取り込もうかという動きになって、前へ出始めたのです。それはだから、いわば大学教育のほうから声が出てきて、6、3制が生まれてくる。本当は6、6から、それからまた切って、二つに分けられるのではないか。
 歴史的に言うと、そのように区切る発想は、もともと一貫していた、何も区切らない時期に出てきた発想なのです。区切りがないほうがいいのだというのだったら、もとへ戻るわけです。そういう意味では、8あるいは9というものを何も区切らないで、1つにしたほうがいいのだという声になってしまいます。その辺は、私としては正直言って、その視点は十分あり得るなということを考えながら、確かに制度をいじると、本当にいろいろな形で影響が及びますので、そういうことを十分に配慮できないうちは、混乱が生じて、一時的にものすごいダウンが起きるのではないか。それは本当にあってはなりませんから、そういう意味で慎重にやっていただきたい。
 ですので、当初はアメリカを念頭にモデルを考えていまして、アメリカも子どものこういう発達のことが前提にありました。直接の前提ではないのですけれども、教育的な前提としてそれがあったものですから、理想ではないかと思っていたのですが、今はどっちかというと慎重論ですね、制度そのものにすぐに手を加えることについては。ですので、カリキュラムだけでまずは様子を見てはどうか。これでまだ不十分だと言ったら、そこで手を入れるほうがいいかなと今は思っております。

委員 藤崎委員
 改めて勉強になりましたが、私は長く中学校で教員時代からやってきておりまして、内容が非常によくわかる。中学校のほうで教員としてやっているころから、いろいろ問題が多くて悩んでまいりましたけれども、今のお話を伺っていて、確かに中学校は難しい。それから5、6年生も難しくなってきている。これもわかります。
 最後のところでおっしゃったように、このことを改革するというのは混乱を生ずるおそれもある。このことについても私も同感です。今、こうして毎日やっているわけですけれども、少なくとも今の子どもたちに悪影響を与えたくないし、もちろん先を考えて、いい方向に持っていかなければいけないと思うのですが、できるだけ現場の混乱は避けたい。その上で、今の5、6年生はやはり難しいであろう、これは想像ができますので、それをどのような形にするかということは考えていかなければいけないと思っています。
 あと多様な区切りを認めてもいいのではないかということがあるのですが、この辺はどうなのかなと私は思います。この狭い日本で、バラバラになってしまっていいのかなということ。転勤も多いことですし、そんなことで、区切りの部分があちこちで違ったときに、それぞれの区切りに応じた教育内容になると思うのです。そこら辺がどうなのかなという感じがいたしました。

委員 安彦意見発表者
 今おっしゃる内容については、私もよく考えておりますが、特に後半の多様に区切るということについてのとらえ方につきましては、実はイギリスに行ったら、イギリスはものすごく多様なわけです。同じミドルスクールという名前で呼んでいるものが3種類もありまして、学年の区切り方がみんな違っている。「何でこんなに違うのか。子どもはこんなには違わないだろう」と言いましたら、「イギリスの公立学校は子どものことは考えない。学校が何でこうなっているのかというと、全部歴史的、政治的な理由によるんだ」と平気な顔をして答えられました。労働党が政府になると、その制度でコンプリヘンシブスクールとか、学校制度をいじります。また、保守党が取り返すとまた教育制度をいじって、前のものをつぶすわけにいかないから残すわけです。いじれるところをいじる。本当にバラバラにいろいろな学校が存在している。
 その状況をどうとらえているかというと、その次に言われたことは、「子どもはいろいろいるんだから、いいじゃないですか」と言うのです。これは何というか、私たちの実感と違うところでして。今、転勤等々で、狭い日本でとおっしゃることは、イギリスとそんなに変わったものではないわけですが。正直言って何が違うかといいますと、見つめている相手が違うのです。一人一人の子どもの個人差や個性の違いに非常に注意して、ある意味ではそっちを絶対視するぐらい見ています。だから、変わっていていいじゃないですかというのは、いろいろな子どもがいて、そこで自分の子に合った学校を選んで、そこに入れればいいじゃないかという発想なのです。
 その点はある意味では徹底していまして、違っていても、変わっていった場所で一番合ったところを探して、完全には合わないわけですが、その場合には、その子に対する対応をその学校に求めるわけです。これはアメリカもそうです。アメリカも隣の郡、さらに隣の郡、みんな郡単位で学校制度が違っていたりして、ボストンの周辺なんかはいろいろな学校の区切りがあります。でも、それに誰も文句を言いません。うちはこれでいいのだと。ボストンの周辺で5、3、4をやっていて、6、3をやっていて、6、2をやっていて、8、4が残っている、そんなのが隣り合わせであるのです。にもかかわらず、誰もということはないでしょうけれども、あまり問題にならないというのは、うちはこれでいいと思っている。
 今おっしゃったような人が来たらどうするのですかと。いや、その子にはその子に対して個別に対応してあげますと、こういう考え方なのです。ある意味では個人主義的なというか、対応の仕方を徹底してもらえば、そういう違いはそれほど大きな問題ではないと思っています。
 私はどっちかというと、最初に申し上げたように、アメリカ的に5あるいは4で区切るとよいと思っています。理想的には、アメリカの学者は4、4、4がいいと言っています。果たして、実験しているわけでもないのでそう言えるかどうか分かりません。今アメリカでは、中学校の2割ぐらいが4、4、4の真中の4なのですが、そのほうが5、3よりいいと言っているところが多いです。しかし、その一つに決めてしまって本当にいいのかな、ということは、逆に今度は子どもの個人差のことを考えたりしますと、もう少し柔軟でもいいのではないか。あまりめちゃくちゃに違っても困るとは思っていますけれども、そのように考えております。

委員 角田委員
 小学校の校長の立場から申し上げたいと思いますけれども、先生がおっしゃられたことは、私は現場の実態を見ていて、子どもの発達の状態、体の問題、心の問題から、よく実態に合っているなということを感じております。ただ、区切りという言葉が、いわゆる小学校、中学校、あるいはミドルスクール、名称はどうあれ、そのように学区制度をいじる形になるのかどうかというところに、現場を預かっている校長としては心配を感じるわけです。実態から見ていって、4年生から5年生というのは、本当に大きく違うなということを痛切に感じています。
 うちの学校では呉市の学校と同じように、教科担任制を5、6年生で導入をしていて、子どもたちのアンケート結果、あるいは保護者のアンケート結果なども、ここに示されているように、大変好意的といいましょうか、親は好意的に受けとめているし、子どもたちは勉強が楽しくなったというし、興味、関心が多様になってくる、それが深められてくるという点でも、教科担任制というシステムを導入するというのはいいことだと思いました。
 と同時に、複数担任制というのでしょうか、担任がうちは2学級しか各学年がないわけですけれども、その2学級にもう一人の副担任をつける。これはそんなに余裕があるわけではないですから、専科の先生が入ったり、あるいはTTの先生とか、少人数加配が入ったりする、そういう方たちにその学年に入っていただいています。結局、先ほどのお話の先生が、女の子の気持ちがわからないというおっしゃり方をされたときに、女の先生が入ってくれたらありがたいのだけれどもという。学級担任の意識というのは、学級担任制というのが小学校では非常に強いと思うのです。それを5、6年生では、学級担任から教科担任、あるいは学級担任以外の人でも相談ができる体制があるということがわかれば、子どもたちはかなり安定して生活ができる、あるいは相談ができる、あるいは学習ができるのではないかということを、経験の中から感じています。
 今日、先生からお話をお伺いして、まさにそうだな、ピッタリうまく当てはまっているなという感じがしましたし、多様な区切りという言葉についても、例えば学年によって違うのです。5年生から教科担任制を入れたほうがいい場合と、もしかするとこの子どもたちだったら4年生から入れたほうがいいかもしれないというところもあるわけです。
 それから、今、うちのところでは一律に、2年のところと5年のところ、つまり4、5のところでクラス替えをしているのですが、そういうクラス替えの時期にも大きくかかわってくる問題だろうと思うのです。4年生から5年生になるときの校友関係は、4年生の末期になるとかなり密度の濃い校友関係をしてきます。それが切れて新しい学級に入ったときに、人間関係が壊れてきて、不安定になってくる。そのことが不登校を引き起こしてくるということにもなりかねないわけですから、学級の壁というか、あるいはそういうものをもう少し薄くして、何か工夫をしていけば、私は制度を変えなくてもいけるのではないかと思います。
 そういう意味では、先生がおっしゃられた区切りという言葉にもう少しこだわって、その辺の先生のお考えを、先ほどもお話ししてくださったわけですけれども、もうちょっと小学校の6年間が果たしていいのかどうかわかりません。6年が7年になるのか、いずれにしても学年がどのようなまとまりになったとしても、小学校から中学校、あるいは幼稚園から小学校に上がるときは必ずギャップがあるのだと私は思っていますので、どういう区切りをしたとしても、そのギャップは校種が変われば出てくるのだろうと思います。
 したがって、区切りというものの考え方を、小学校の6年間でいったときに、この区切りを3、3にするか、4、2にするか、その辺を弾力的にやれるというようにするのであれば、どのような考え方をすればいいのかということを、もう少しお話しいただけるとありがたいと思います。

委員 安彦意見発表者
 最初に制度の方の区切りといいますか、これは今申し上げたように、私個人的には現段階ではまだ慎重である。むしろカリキュラム上の区切り、今おっしゃった中身の区切りをもっと子どもに合わせてやってはどうか。そういう意味では、一部の研究開発学校、鹿児島大の附属では教科によってとか、領域によって、特活なんかでも、学年の区切り方をいろいろに変えているのです。ですので、先生のところもそういう工夫をしておられるということで、なるほどなと思いました。子どもに沿ってという軸で見ますと、分野、領域によってはそうなるのだと思います。そういう意味では、その学校で決められるものといいますか、裁量を認めてもらいたいということが1つあります。
 にもかかわらず、さっきのお話のようにバラバラでも困るのではないか、学区でやっていることが違ってしまう。例えばイギリスの場合は、ナショナルカリキュラムが88年にできておりますので、これでもってチェックをかけているわけです。4回のナショナルテストを用意しておいて、その年齢の時期までにはこれだけのものができていなければいけないというふうに、国が大まかな基準をつくってありますから、それは何歳までという形で考えてやっていく。あとの区切りの仕方は学校が考えて結構ですよと。そういう発想で、例えば指導要領なども弾力的に考えてつくられるといいと思います。
 もう1つ、学級に対する在り方は、教科担任を取り入れれば、当然そういう配慮は必要だろうと思います。私が思うのは、これはほかのところでもやられているところもあると思いますが、愛知県のある中学校で、副ではなくて、両方とも学級の正担任。そうしませんと、保護者が副だというと信用してくれない、心配だとかって苦情を言ってくるというのです。両方とも正にしてしまって、平等の責任。もちろんペアのつくり方は工夫しているようですけれども、そのようにやると子どもも保護者も非常に落ちつくというのです。そういう点では、特に生徒指導上の人間関係上のことについては、まさに複数でというのはとてもいいことだと思います。
 実はミドルスクールというのがジュニアハイと一番違うのは、チーム・オーガニゼーションといって、先生のほうを集団指導体制にしているということなのです。先生のほうをチームとして、集団で、この先生たちが1つのチームとして全部対応するというふうにして、今までジュニアハイですと、1教科、1人の先生、このクラスの子どもという関係しかなかったのですけれども、それをチーム、10数人の先生が一団になって、このチームの3クラス分の子どもたち、100人なら100人は面倒を見ましょう。そうすると、いろいろな情報が複数の目で入ってきますから、指導もそれで複数の手で入っていくというようになっているところが、ジュニアハイと一番違うところなのです。そういう意味で、おっしゃるような方向が私も望ましいなと思っております。

委員 小栗委員 小・中から御発言がありましたので、責任上、高校からも少しお話をしなくてはいけないと思いますが、高校は切り方に関しましては、今の議論の中には入っておりませんので、どちらがいいというふうに私は責任を持って言えない部分があるのですが、1つは以前にも御意見があったと思いますが、同質の者を集めたほうが教育効果が上がるのか、異質な者の集団のほうがかえって切磋琢磨して教育効果が上がるのかという議論はあると思います。
 それから、成長の表から言いますと、では4年、6年というのが同質の者を集められるのかという話になってくると、後期の6年間がこの表からも問題行動等が多い生徒ばかりを集める形になりますよね。そうすると、後期の6年間の指導がかなり難しくなるだろうなという気はいたします。
 話題を変えて、今日のお話の中で、初潮時期をはじめ、身体的にはどんどん早まっているというお話がありました。逆に精神的な成長がどうなっているのかということに、私、非常に興味があるのですけれども、今日は話題になりませんでしたが、5歳で入学をさせるかどうかという問題にも絡んでくると思います。高校生を見ておりまして、また、大学生が幼稚になってきているという論がかなりなされておりますけれども、これは多様な生徒が大学に入ってきたせいもあるとは思うのですが、高校生を見ていまして、精神的な成長はむしろゆっくりになっているのではないかという考え方を持っております。
 これは乱暴な言い方ですけれども、人生わずか50年の時代と80歳まで生きられる時代で、人間の生物的な成長がゆっくりになってきているのかなという気もちょっとしているのです。その点から言いますと、50年の時代は15歳で成人していたわけですから、今、計算すると24歳成人が生物的にはちょうどいいということになるのかもしれません。
 やはり高校生は、ある意味で幼稚になってきています。これは学校教育、家庭教育の影響もあるのかもしれませんけれども、どうも生徒がこれからの人生を考えていくスパンの中で、80歳まであるというような精神的なベースもあるのかなという感じはしております。
 端的な例が、本校は文化祭等で演劇をやらせるのですけれども、今年、10幾つ演劇が出ましたが、これの監督は全員女子です。今までなかったことですけれども。よく昔言われていたのが、中学の3年生ぐらいまでは女子のほうが元気がある。精神的な成長が早いから、指導的な立場も女子のほうが担っていくという論があったのですが、どうもそれが2年ほど高校のほうへずれてきているような感じがするのです。これは感覚的に物を申し上げて申しわけないのですが、そんなようなところから考えて、精神的な成長で進んできているのか、むしろ少し遅くなってきているのかという、御感想があれば伺いたいのですが。

委員 安彦意見発表者
 最初の集団の同質性、異質性のことについては、これは何を指標に持ってきて、異質と同質と切るかによって、議論の仕方が違ってくると思います。一般に学力などの場合には、実はアメリカは研究者は一様に反対なのです。それに対して、実践家はやりたいと。あるいは、やっている実践家はやめたくないという状況にあります。研究者は、学力面でいうと差別の心配というのがあって、学力格差もさらに拡大するという、日本でも行われる議論が行われております。
 そうでなくて、今日のこういう部分を見た場合に、そういう子どもたちを、そういう子どもたちとして押さえて指導するというのが必要だという点では、それは御理解いただけるだろうと思います。
 学力的にはいろいろな子どもが出てくるわけでして、そういう意味では、この子どもたちに、次の段階でどう対応するかについては、今日は論じることはいたしません。
 もう1つ、精神的なことについては、精神という言葉が微妙な言葉なものですから、何をもって単なる心理と精神とに分けるかというところが難しいのですが、私は簡単に言えば、今のようなニュアンスを伺いますと、自立が遅れているのだととらえさせていただきます。そうすると、自立を遅らせているのは大人だと思います。あるいは、今の社会だと思います。
 私があっと驚いたのは、もう20年ぐらい前ですが、NHKの「論点視点」で前に上智大の学長をやられたクラークさんが、日本の人たちはおかしい、アメリカでさえ12歳で自立させようとしているのに、何でいつまでも自立ということを考えないで教育しているのか。私は、そうなのか、12歳で自立させようとしているのか。逆に言うと、アメリカ人というのはそんなに早くから子どもが自立できると思っているのか、という驚きでした。
 そこで、改めて日本の教育学者の言っていることを考えてみましたら、大田尭先生にしても、心理学のほうでモラトリアムを言われた小此木先生等にしても、とにかく日本の社会が複雑になって、心理的にも発達的にも難しい時代になったから、どうしても自立は後ろへ行かざるを得ないという議論の立て方をされている。自立は難しいので、後ろへ後ろへと行かざるを得ない。そういう意味で、モラトリアムを与えるのは不可避であるというか。
 私はそれを聞いていて、だったらアメリカのほうが日本よりよほど複雑な社会だろうに、何で12歳で自立させようというのか、むちゃなことではないか。逆に疑問を持ちました。私はやはり日本のほうが不健全だと思います。自立ということをしっかり考えない。受験が入ってきて、これが一面的に大写しになっているものですから、子どもの教育ということを自立という観点から見なくなってしまいました。上の学校に入れればいい。大学まで行ければいい。自立はしばらく棚上げだ。こういう親の態度や学校の先生の態度ですから、これでは子どもは自立しないのは当然だと思います。
 逆に言うと、おっしゃるように自立をあまり早めると、さっきのエルカインドという児童心理学者は、強引に大人が子どもの成熟を加速化させるようなことをやると、アンバランスが生じるということで、警告をしているのです。しかし、日本のように逆に、自立そのものに対して自覚も持たせないという状況で高校までこさせる。私はだから、義務教育9年というのは、ある意味で大事な9年間という、義務教育の本来の姿を意識してほしいので、たとえ95パーセントの高校進学率であろうと、一人でも社会へ出る子がいる限りは、義務教育できちんと自立の基礎を育てきるという構えが、親にも、学校にも必要だと思うのですが、それがいつの間にか欠けてしまった。基本的には子どもの成長の自然な流れではなくて、周りの大人、あるいは社会の要因のほうが大きいのだと思っております。

委員 野村委員
 最近は子どもの身体的な発達状況から、あるいは子どもを取り巻く社会的な状況が、複雑になったために、4年生と5、6の間に非常に際立った境が表に出てきたという御報告がありましたが、これまでも小学校の5年生、6年生になりますと、「人間とは一体何者か」とか、「人生いかに生きるべきか」ということについて関心を持つようになり、偉人伝とか、伝記物を好んで読むようになったりする、そういうことを受けて、教科書にも人間とか、人生について描かれた教材が選ばれて授業がなされてきておったわけです。そういう点では、以前からも4年生と5年生の間に際立ったものがあるというような自覚をわれわれもしてきていたし、学校の先生たちの中にもそういう対応をしてきた教師がいたわけです。
 そういう中で、授業をしながら、特に最近の学校の先生たちの中には、子どもの問題行動などの対応に追われて、あるいは総合的な学習の時間などに追われて、そういう教材が教科書の中にあっても、授業の中でたっぷり時間をかけて、「人間いかに生きるべきか」とか、「人生どう生きたらいいのか」「人間とはそもそも何者か」ということについての追求をする余裕がなくなっていることも事実です。そうして中学生の場合は、特に入試ということと絡んで、そういう教材があっても、知識としての理解をするだけに終わり、人間や人生の在り方についての追求が十分なされていないという現実があることも事実です。
 その上に、さらに現在は親の生き方が見えにくくなってしまった。以前は、農業をする場合でも、自分も親と一緒に農業をしながら、生きるということがどういうことかということを体験的に学習してきたわけです。しかし、今は農業の場合でも、トラクターに乗って、かっこよく農業をしている。それも借金のトラクターの上に実は乗っかっている。父母がどういう苦悩を抱えて働いているのかという心の中が見えないし、職人の親の場合も、漁業の場合も見えない。親とのかかわりの中で、親がどういう生き方をしているのか見えにくくなっている。その親の生き方を授業の中で、教材を重ね合わせて、教材を媒介にして、親とのかかわりについて考えさせるような授業が実際に組めなくなっている。それで子どもたちが生き方や人間についてどういうふうに考えたらいいのかということで、混乱をしている部分もあるのではないだろうか。
 そういう中で、小学校高学年に教科担任制を持ち込むにしても、ただ持ち込めばいいのではなくて、どういう持ち込み方をすれば、人生とか、人間を考える時期の子どもに親の生き方と重ね合わせて考えさせるような対応ができるのか。現実に親の生き方が見えにくくなっているわけですから、親の生き方を見せるような授業を仕組むには、どのような仕組み方をしなければならないのか吟味しなくてはならないと思います。そういうことから、学年の区切り方で旨くいくものと、教科担任制を持ち込めば旨くいくものと、いかないものとがあるのではないか。
 ドイツの場合、私の記憶に間違いがなければグルントシューレ(基礎学校)は4年で、その上の中等段階のギムナジウムは9年制とか、レアルシューレ(実科学校)は6年制、ハウプトシューレ(基幹学校)は5年になっている。ドイツの場合は初等段階の4年を区切りにしている。ドイツの場合は、何を基準にして4年で切っているのか。私の理解では、事物教授をグルントシュールで体験的にしっかり4年生までやらせて、5年生以上の特にギムナジウムでは知的に訓練をやらせるような形でドイツの場合はやっているのかなと思うわけです。アメリカの場合はよく知りませんけれども、ドイツの場合、4年で区切っている根拠を知りたいものです。
 そういう感想を持ちながら、私も時々現場に立って、今でも授業をしたりしているのですが、今でも追求させると、子どもたちは人生とか、人間を考えることができる。また、子どもたちは考えたがっていると言ったほうがいいかと思います。そういう点では、時間配当などのことについても考えていかなければならない部分があるのではないだろうか。先生はカリキュラムの専門家ですから、その点について、御意見をいただければと思います。

委員 安彦意見発表者
 ドイツの場合に、今は4年までが、おっしゃるとおり初等教育で、上に中等教育段階の1というのがきまして、そこがどっちのコースに入っていくか、ギムナジウムに行くのか、レアルシューレに行くのか、いろいろ探りを入れられる時期になっています。中等段階の2で、純粋に中等教育のギムナジウム的なものをやるとか、そのようにはっきりと。今、制度を単線型にしておりますので、そういう組み立て方をしております。
 中等教育の1というのは、今の日本の子どもたちのこの時期に当たるわけですね、小学校の5、6年から中1、2年というあたり。この辺の子どもたちに、おっしゃるように人生に対して探りを入れる。いろいろな意味で、自分探しの最初が始まるというか、そういうところについての配慮が、いずれにしてももうちょっと必要だろう。
 その点でもう一つ、なぜそれが今まで欠けていたか。自立ということを視野から飛ばしてしまった、それからだと思います。本当に子どもが自立するというのは、まずは精神的に、あるいは思想的にといいますか、自分の一つの観が形成できるということが大事なわけですから、その最初の段階がこの時期だろう。しかし、実はその部分をどこが担当してきたかというと、はっきりしないわけです。本当はというか、道徳の時間などがきちんとそれをやるべきだったと思うのですけれども、何かあまりに特定の項目、徳目を細かくやってしまうだけに終わってしまって、ちっともそういう方向につながらない。その点は、教育課程をつくっているほうもそこの自覚が足りないのではないかと私は思います。
 基本的にはおっしゃるようなことを含めて、現在の段階ですと、総合の時間などを、先生方がそういう観点をしっかり持って使っていただくといいなと思います。総合や道徳をそういう意味でもうちょっと工夫して、機能的に連携をとってプログラムを組めればいいのではないかと思っております。
 最終的に申し上げるのは、人生観的な観をきちんと形成できるのは、高校段階だと思うのです。そういう意味で、それが高校を見通していることがまた一方にないといけないので、この点、義務教育の段階のつらいところは、義務教育の考え方と中等教育の考え方、高校まで含めて見なければいけないという、その辺との矛盾ではないのですが、それぞれの必要な部分について、途中の義務教育で切らなければならなかったり、あるいは切るのを無視して、高校のほうにまでズルズルといくというあたりで議論がうまくかみ合わなくなることが起きるのです。そういうことはおっしゃる方向で改善できたらいいなと思います。

委員 木村分科会長
 自立の問題が出ましたけれども、自立の問題というのは、私は社会のシステムの問題だと思っています。先ほどアメリカの話がありましたけれども、ヨーロッパを見ていますと、できるだけ早く子どもを自立させようという社会システムがありますね。
 例えば、多くの子どもの交換が行われます。つまり、イギリスのケンブリッジの先生がフランスの研究者の家へ子どもを預けるとか、そういうことがさかんに行われています。そういうことを積極的に親がオーガナイズしていくのです。そういうことによって、精神的な自立といいますか、そういうものを早める。そういうことが必要なのだということが、彼らの頭の中に入っている。
 それから、ヨーロッパでは、高等学校を出たら、親の家から大学に通うということは恥じなのです。私、じっと観察していると、親のほうもエゴがありまして、高校まで面倒見たのだから、あとは自分たちのことをやるのだという、非常にはっきりした意識があって、そういうものがうまく回転しているような気がします。
 グレゴリークラークさんと学生による授業評価について議論したことがあるのですが、私は日本では大学生による授業評価は非常に危険だということを言ったら、彼も全くそう思うと言ってました。日本人の学生は社会的な成熟度が非常に低いということを言っていました。彼はもともと英国ですから、その辺、はっきり意識していたようですが、その辺は社会のシステムに密接に関係するのではないでしょうか。それが学校教育にもまた非常に大きな影響を与えるということではないかと思っております。

(2)幼児教育部会長より、幼児教育部会における中間報告案について、資料2及び参考資料2-1、2-2に基づき説明を行った後、意見交換を行った。

委員 河邉委員 厚労省との話し合いに向けて、一番最初の幼保一体化施設の話が大部分を占めていたのですが、それについてはまだ取りまとめができていませんし、だいぶ温度差とか、言葉のとらえ方のニュアンスの違いなどもあるようで、現場の方たちは、そのことを一番早く知りたいと待ち望んでいるところです。

委員 田村委員
 厚労省との話し合いは、具体的には総合施設という施設を18年から、実際に動けるようにしなければいけないということでございますので、至急に、今年中ぐらいに話し合いをして、まず30ヵ所で試験的な総合施設を全国に展開する。今の予算要求は幼稚園部分にかかわることを文科省がして、保育所にかかわるような部分は厚生労働省がやるのだという話ですが、その辺は役所のことですから、うまくやるのでしょうけれども。とにかくそれを30ヵ所に分けて、全国で一度展開してみて、その次の年から実際に取り組むという話でございます。むしろそちらのほうのスケジュールが先にいっていまして、内容の議論が遅れているという感じです。
 難しい点は、幼稚園的な機能を保育所の中に実際にうまく入れられるのかどうかということ。それから、細かいことを言うといっぱいあるのですが、あまり細かいことを言っても、できなくなってしまいますから、目をつぶるところはつぶらなければいけないのかなというように思いますが、非常に技術的には難しいことがいっぱいあります。
 つまり、4時間で教育することを、8時間いる子どもたちにどうやって伝えるのかということ。幼稚園側から言いますと、それは教える側も、教わる側も問題があるわけです。保育所側から言うと、また違った問題があるのです。保育所というのが、今、社会の要請に従って、どんどんつくられています。決して認可保育所だけでなくて、いろいろな形の保育所が地域ではどんどん認められて動いております。東京なんかその典型なのですけれども、そことの整合をどうするのだという話がどうしても出てくるわけです。ですから、とにかく至急に議論を進めて、開所にこぎつけることが先決みたいな感じなのですが、こうなりそうだということはまだ議論がまとまっておりませんが、何とか結論を出したいと思っております。

委員 國分副分科会長 部会で幼稚園の教育自体のことが中心ではありましたけれども、かなり保育所についても議論がありました。当然のことだと思うのですが、若干内輪話になりますけれども、最終の段階の中間報告の案を議論している過程で、どうしても中教審ですから、幼稚園のことにある程度限定せざるを得ないのではないかという形でまとまりかかっていたのですけれども、国民にとっては、幼稚園も保育所も、あるいは文部科学省も厚労省も同じなのであって。では保育所のことを触れない幼児教育というのは何だと、こういうことになってしまう。しかし、中教審のある意味では守備範囲を超えてしまう。そこをどう調整するかということで、先ほどお話がありましたように、この中間まとめで言うと、1ページの「はじめに」というところで、結局、幼稚園には170万人、保育所には190万人の子どもが在園しているということで、保育所においても3歳以上については、幼稚園に準じた教育が行われている。だから、幼稚園の中身について議論すれば、それは当然保育所のほうにも反映するのだという前提に立って、そういうものは「幼稚園等」というようなことにし、幼稚園だけに限定したものは「幼稚園」というふうに使い分ける形でまとめようということで、一種の苦心の作みたいなところが実はあったわけでございますが、その辺をどうするかという問題。
 それから、先ほどの総合施設の関係で、幼児教育部会と児童部会との合同の会議の中間報告が出ましたが、まとまったようでかなり玉虫色なのです。例えば、総合施設について、コアになる時間は幼稚園の関係者は4時間だと。しかし、保育所の関係者は、それではどうだろうかということもある。その辺を「共通の時間」ということでぼかしている。
 例えば、幼稚園あるいは総合施設における教育自体なのか、それとも育児サービスとか、いろいろなサービス機能を含めて、要件にするか、あるいはそれは補完的なものにとどめておくのかということについても、必ずしも一致していないということで、その辺もこれからの議論になっていくのではないだろうかということが、これからの問題点で、その結果によって、この中間報告も手直ししていかなければならないかなと思っております。

委員 梶田委員
 中間まとめで本当に御苦労いただきまして、ここまできたわけですけれども、國分先生がおっしゃったような保育園との問題は、今、話し合いの途中ですから、どうにもならないという点もあるでしょうし、もう1つは、中教審ですから、文部科学大臣の領域の外に出る部分もあるかと思いますが、何とか最終まとめのときには、提言の形でいいですから、もう少し踏み込めるといいなあという気がいたしますので、よろしくお願いしたいと思うのです。
 それから、例えば色刷りの資料集の最初のところの子どもの育ちの変化というのがございますね。これが基本的な生活習慣の欠如とか、コミュニケーション能力の不足とか、自制心や規範意識の不足。これは、さっきお話がありましたように小1プロブレムとの関連で論じられたり、あるいは幼稚園、保育所の関係者自身がこういうことを御指摘になっていたり、これは非常に大きな課題だろうと思うのです。課題といいますか、今当面する問題だろうと思うのです。
 ただ、これに対してどうするかということが、例えば本当は4ページの「幼児期の発達の特性に応じた幼稚園教育」というところで、少しなければいけないのではないかと私は思います。つまり、例えば環境の設定ということだけでいいのか。あるいは、指導という言葉を使わないといけない部分があるのではないか。規範意識なんていうのは、おのずから遊びの中で気がつくなんて言ってもらったら困る部分がありますのでね。あるいは、基本的生活習慣もおのずから気がつくなんてことを言ってもらったら困る部分があります。やはり先生が言わんといけないところがあるのです。
 私はよく幼稚園の関係の方に申し上げてきたのですけれども、危険が迫っているときと、人権にかかわるもの、つまり、いじめとかそういうことですね。これは保育者は顔色を変えて介入しないといけない。介入を一切抜きにした、子どもにお任せきりの保育をしていたら、教育という名には値しない。ただ単なる保護ということになるだろう。みんな遊んでいるから、おのずから発達するでしょうと。それは結構な話なのですけれども、やはりそういうことがあるだろうと思います。
 ただ、指導という言葉を使うと、すぐギリギリ注入主義的に、インドクトリネーション的なものをイメージする人がおりますが、そんなことはありませんので。前にも申し上げたと思いますけれども、アメリカのヘッドスタート計画で、「セサミストリート」をなぜつくったか。あれは指導なのです。セサミをよく御覧になりますと、あれは本当に上手な指導をしています。これは知的な発達のための指導もあるし、いわば社会生活といいますか、友達とどう遊んだらいいかということの指導も中に入っております。ほかにもいっぱいありますが、例えば「セサミストリート」を御覧になるだけでも、指導ということのあの時期についてのやり方の具体が見えてくるのではないか。私、何度か申し上げましたが、そういうことを思います。
 したがって、私の意見というか、願いですけれども申し上げますが、ぜひ4ページのあたりの記述に若干の工夫をしていただけたらと思います。
 それから、15ページで、幼稚園教育要領の趣旨や内容についてということが書いてあります。これがこれからは大事になると思うのです。というのは、保育所の指針も幼稚園教育要領にのっとってつくられているわけですから、これをちゃんとしたものにすれば、幼稚園も保育所も含めた一つの幼児教育の具体的な在り方、子どもに対する働きかけやら、子どもにどういう場を設定し、どういう活動をさせるのかというのが出てくるだろうと思います。
 したがって、とても大事な指摘が15ページにしてありますので、もし可能ならば、最後の最終まとめのときに、中身ですね、例えばというようなことで例示が1,2あれば、方向づけができるかなと思います。

委員 河邉委員
 ただ放って遊ばせておくわけではなくて、幼稚園教育ですから、遊びを中心とした総合的な指導をしていく。それにはやはり子どもの姿を読み取って、そこに計画的・意図的にどのように環境を構成していくのかという力量が問われるわけでして、それが言い換えれば指導という言葉になるかと思います。幼稚園教育は教科書なしで行っている、大変高度な教育方法だと思いますので、それをよりよく遂行していくためには、教員の資質の向上はとても大事ですし、総合施設になった場合にも、高い資質の保育者がそこにいるということが、教育の質を守るのに大変必要なものですから、そういった意味で、幼稚園の機能が、今、保育所で行われているような教育の中にもどんどん普及されて、保育所にいる4、5歳の子どもたちにも高い教育を与えていく、それが守られるような総合施設になっていけばいいなと思っております。

委員 梶田委員
 結局、子どもの育ちの変化は、自然にできてきたものでもないのですね。親の問題は当然あります。同時に、ある時期の幼稚園教育が、環境や場の設定は言いましたけれども、その環境に実は教員が入っているという、教員が大事な環境であるということを言わないままの幼稚園教育があったのではないか。おっしゃることはそのとおりなのですけれども、事実の問題として、やはり私はあったのではないかと思うのです。私は少なくともたくさんの幼稚園を見ましたので、これはうわさ話で言っているのではありませんので、「あれ、あれ、あれ」と言っているだけの保育者。これは資質の問題だけではなくて、幼児教育というものには何が保育者にとって大事な、念頭に置くべきことかということが、やはり周知徹底されていなかった。あるいは、別の言葉で言うと、誤解されていた。子ども中心ということで、子どもにお任せしていればいいという、非常に安易な考え方がある時期広がっていたという問題があると思います。
 ですから、そこを新しい方向を出していく、別に新しい方向ということではないのですけれども、色刷りのものの1ページにあります、子どもの育ちの変化 ―これは幼稚園が悪かったからと言っているのではないのですが、もしこういう子どもの姿の現実というものに対応した幼児教育の在り方があるとすれば、今までのものがよかった、よかったということを言うだけではなくて、もう少しわかる形で、もし環境の設定の中に指導ということもあるとすれば、それは誤解のないように指導という言葉を使えばいいわけだし、必要なことは言葉かけしていきましょうとか、そういうこともあっていいと思うのです。言葉をかけてはいけないのではないかということを思っている保育者も一時期はおったわけですから。
 そういうことを私は申し上げておりますので、今までのことがどうのこうのではなくて、新しいこういうことでやろうという方向性が、少なくとも幼児教育の関係者みんなに誤解のないようにわかるような表現を工夫していただければ、私はありがたいと思います。

委員 河邉委員
 先生がおっしゃるように、平成元年の改訂以降、少しそういう傾向がありまして、平成10年の改訂以降はそれが軌道修正され、教師の役割も明確化されていますので、だいぶ御懸念は薄くなっているかと思います。今度のこの中には、共同的な学びをもう少し入れていこうということで、就学前の子どもたち、直前の子どもたちの教育は、もう少しきちんとしたものにしていくし、幼小の連携も色濃く出していますので、ますますよいものになっていくかと思います。

委員 梶田委員
 それを入れていただきたいということなのです、私のお願いは。

委員 田村委員
 御指摘は、自由保育と言われるような問題をどのように書くかという問題は確かにあると思いますが、すぐにお答えするわけにもいかないので、十分に部会で検討して、そういった御指摘があったことを踏まえて議論してみたいと思います。
 それから、今度の議論でいろいろわかってきたのですが、我々としては幼稚園の教育要領に準拠して保育指針がつくられていると思い込んでおりました。昭和38年の両方の役所の交換文書にそれが書いてあるわけです。ところが、現実に交渉して今回のいろいろな議論をしていく中で、向こう側は準拠してというふうに考えていないのです。参考にしてという程度なのです。こういうこともよくわかってきたので、今回こういう議論をしてよかったと思っています。これが1点です。
 それから、もう1点は、これは少子化対策の一環なのです。いろいろな役割があると思うのですが、一つには間違いなく少子化対策の一環。つまり、子育てが楽しく思えなくなってきているという現実に対応しなければいけないという面がありますので、その辺をよく主張していきたいと考えております。

委員 西嶋委員
 保育所と幼稚園の関係についてのお願いです。今働く女性たちがかなり増えてきて、これからますます人口構成が変わっていく中で、共働きの家族が確実に増えていくわけです。その中で、利用者の利便性を第一に考えて、検討していただきたいと思います。国民から見ると、厚生労働省がやっていようが、文部科学省がやっていようが、それは同じ行政がやっているというふうに思っていますので、縦割り行政の壁を取り除く形で、いい仕組みをつくっていただきたいと思っています。
 今、少子化問題、次世代育成という問題は非常に重要で、色々な検討が進んでいます。幼児教育が重要だということももちろん踏まえた上で、保育園の中にどう取り入れていくか。または幼稚園がもう少し長時間のサービスを視野に入れ、フルタイム勤務の人達へも対応できるようにして頂きたい。今度新しい取組をされるということで、大変期待しているのですが、なるべく早く実現するような方向で検討をお願いしたいと思います。

委員 鳥居会長 部会のときに一度お話をしたことなのですが、繰り返してお願いをしたいと思って発言します。
 今、厚労省との話し合いで行われている議論というのは、幼稚園の指導要領と保育指針とをどうすり合わせるかということをはじめとして、考え方のすり合わせが中心になっていると思います。しかし、せっかく省と省が真正面から一緒になって考えるという場をつくったのですから、要するに今度の名前が私はあまり好きではありませんが、総合施設の持っている総合性を、ハード面も、ソフト面も含めて、もっと夢のある大きいものに考えていただくという構えで最初からいったらどうかと思います。
 例えば、今、地域社会の教育力の低下ということが言われているわけですから、せっかくたてる30のパイロットプランの中には、地域社会の協力を取り込む部屋があったらいいですね。あるいは、家庭の教育力の低下、あるいは親の自己実現との矛盾があるわけですから、親がやってきて、一緒に子どもたちと過ごす時間をつくってあげることのできる特別な部屋がデザインされて、組み込まれているとか、そういう夢のある総合施設を考えたほうがいいのではないかと思っております。
 まだ言葉は足りませんけれども、それをもう少し総合的に考えていただくことを文部科学省にもお願いして、厚生労働省にも御理解いただいて、できれば財務省にも理解していただいて、その30にはきちんと予算をつけていただいて、ただ今までの幼稚園と今までの保育所を足し合わせたものではなくて、それプラス、はるかに大きなものを構想していただくことをお願いしたいと思っています。

委員 野村委員
 18ページの「幼稚園教員の養成・採用・研修等の改善」というところの2番目の「○」で、「標準的な養成年限である4年間の養成を経た一種免許状を有する教員の増加策を検討することが必要である」。このことについては、教員養成部会などでも、これまでも検討されてきたのですけれども、1つは短期大学の存在についてであります。これをあまり強く押し出しますと、短期大学の存在をも危うくする心配があります。短期大学の存在を保障するというのが一方にあるものですから、ここの兼ね合いについての配慮が必要です。教員養成部会のほうでは、ぜひこれを押してほしいのですけれども、短期大学のほうではそれなりに教員養成を非常に熱心にやられて、3年分ぐらいの教育内容を2年間でやっている。この前の免許法改正でも、これまで教育実習が2週間だったのを四年生大学並みに、事前事後を含めると5週間になります。今までは事前事後のほかに、本実習が2週間だったのを2倍にして4週間でやってもいいという短大協会からの申し出でそのような形にしました。そういう点でも非常に努力をされている。一種免許を中心にすると、これは現実的に、短期大学の存在を危うくするという心配があります。
 それから、雇用関係について、短期大学、二種免許を持った者を採用して、できるだけ入れ替えてというようなことも、現実には幼稚園雇用者のほうにあるのではないか。そういう矛盾を抱えながら、教員養成部会で検討したという経緯があります。

委員 高倉委員
 確かに短期大学の問題を真剣に考えなければならないということは、そのとおりでございまして、それを解決する1つの方法として、専攻科を通して一種免の取得を可能にするような制度的措置というのは前回しているわけです。そのあたりをさらに充実するというような視野もぜひ念頭に置いていただければと思います。
 もう1つ、資質・能力を考える場合には、必ずと言っていいくらい上級免許状の取得ということが出てくるわけですが、その場合に、実態から言えば一種免ということがまず望まれることですが、究極的には専修免の問題についてもどこか視野に入れておいていただければということを考えるわけです。つまり、幼稚園から高等学校までもし免許状を必要とするならば、すべて学校であるというようなステータスにおいて考えるべきだということ。これが第1点。
 第2点ですが、これまで例えば昭和63年に専修免許状の制度をつくりました。それから、平成10年に教養審が修士課程を積極的に利用した云々ということで、専修免の取得を標準的なものにしようという提言をしております。ただ、そのときに、非常に残念だったと思うのは、上級免を取得すればどういう点で具体的に高い資質・能力が担保されるのかという議論というのは、ほとんどされていない。ただ、上級免、上級免、そうだ、そうだということで、サーッと通っていってしまった。このあたりで、上級面を取得すれば、こんなふうに高い資質・能力が担保される、あるいはその中身がどういうものなのだということを、具体的に示していただければありがたいと思います。
 ただ、教員養成部会ではありませんから、そればかりやっているわけにいきませんけれども、そういう視野もお考えいただければというお願いでございます。

委員 田村委員
 今の御指摘でございますが、つまり、社会の変化とか、家庭の変化ということが言われているわけですが、現実問題としてADHDとか、ああいう問題のような子どもが幼児に出始めて、幼稚園の先生に相談に来る、あるいは生まれた子の60パーセントがアレルギーを持っているとか、昔とは違った状況が出てきて、それが全部学校に相談に来る。幼児教育であれば、幼稚園の先生に相談に来るわけです。それにこたえるというのでは、資質養成は2年間では無理なのです。ところが、免許状は取れるわけですから、2年制の免許状の短大と3年制の免許状の短大があると、みんな2年制に行くのです。それは長いことやることはないので、2年で取れるわけですからね。現実にはそれで養成された人たちが親と対応したときに、きちんとできない。
 基本的に日本の社会は男女雇用機会均等法ですか、あれができてから明らかに変わっているのです。つまり、女の人が働くことが普通なのです。子育てのために家にいるというのは損していると思っているという社会になっているわけですから、それに対応して学校が変わらなければいけない、幼稚園が変わらなければいけない。だったら、養成する先生も変わらなければいけないわけです。内容はいっぱいあるわけです。それをやろうというので、今、2年制のところはものすごい無理をしてやっている。ですから、全体一斉に3年制にするというふうにしないと、この養成の問題は解決しないのです。短大をつぶすわけにいきませんから、そういう意味では、そういう配慮をしながら、内容を工夫していかないと、子どもに全部しわ寄せがいっちゃうというふうに、議論の中でそういうことが言われておりました。ですから、ぜひひとつ今後いろいろなところでこの問題は取り上げていただきたい。
 子どものことをあまり大事にしないのが日本の特徴ですから。要するに日本という社会は、子どもがいっぱいあった社会の意識がありますから、子どもは放っておけば良くなるのだ、育つのだとみんな思っているのです。そのかわりお年寄りは大事にするという、いい面があるのですけれども。予算でも、今回の補助金でも、これはマスコミの方にぜひ書いてもらいたいのですけれども、子どもの補助金は全部カットです。老人の補助金は全部残っているのです。それで日本の社会の将来が成り立つのかなと、つくづく思うのですけれどもね。

 最終答申に向けて、今回の意見等を勘案して議論を続けることとし、また若干の修正については分科会長に一任とした。

 事務局より、今後の日程等の説明が行われた後、閉会となった。

午後0時7分 閉会

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(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

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