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初等中等教育分科会(第26回) 議事録

1.日時

平成16年8月26日(木曜日) 14時~16時

2.場所

如水会館 2階 スターホール

3.議題

  1. 義務教育に係る諸制度の在り方について
    ・委員からの意見発表(寺島委員)
    ・自由討議
  2. 諸外国における義務教育制度の概要について
  3. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、梶田委員、加藤委員、田村委員、寺島委員、渡久山委員
(臨時委員)
 今井委員、高倉委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、藤崎委員、船津委員、森川委員

文部科学省

 結城文部科学審議官、近藤文部科学審議官、板東官房審議官、銭谷初等中等教育局長、樋口初等中等教育局担当審議官、山中初等中等教育局担当審議官、前川初等中等教育企画課長、塩見教育制度改革室長、常盤教育課程課長、戸渡教職員課長、吉田調査企画課長、その他関係官

オブザーバー

(意見発表者)
 寺島委員

5.議事録

午後2時 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)事務局より資料1に基づき説明が行われた後、意見交換が行われた。

委員
 ここに記載されている内容と、その性格づけについては今の説明で概略は理解したつもりなのですが、一部報道されている中で、これに関しての別途何かプロジェクトチームというのか検討会のようなものを設置されるというようなこともちょっと記事がございましたけれども、それはそうであるのかどうか。
 そうであるなら、おそらく私的諮問機関というような形になるのかもしれませんが、そこと中教審との関係というのはどういうふうになるのかということと、ここに記載の内容というのは、これまでこの場や、あるいはほかの審議会で議論されているような内容にある程度合致している部分もありますけれども、かなり違った部分もあるような気がします。大臣は副大臣時代に、よくこちらにもいらっしゃって意見を聞いていただいたりというようなこともございましたけれども、かなり根幹にかかわるような話ですので、直接こういう場で御議論されたらどうかと、率直にそんな気もしないでもないのですが、そういうようなことというのは今後お考えなのかどうか。
 国民の議論を活発に行っていただきたいというのは、それはどういう内容なのかということも、もちろんそれは一般論としていろいろなところで議論していただきたいということもあるのでしょうけれども、私どもはそれを代表しているという立場でもあると思いますので、そのあたりの解釈といいますか、ちょっと説明してもらえればと思いますので、お願いします。

事務局
 まず、将来にこの「義務教育の改革案」を受けましてプロジェクトチームを設置したいということは事実でございます。8月20日に大臣官房及び関係局の関係者で構成される「義務教育改革推進プロジェクトチーム」というものが設置されております。本部長としては近藤文部科学審議官が充てられております。これはあくまでも事務方として大臣のこの案を受けまして検討するという場でございまして、この義務教育改革案の具体化にあたりましては中央教育審議会において検討していただく必要がある、これは間違いないところでございまして、それぞれの課題に応じまして、当分科会あるいはその他の関係分科会・部会、それぞれ現在既に様々な問題について御審議をいただいているところでございますけれども、それをさらに進めていっていただくということで、その中から、この改革案を踏まえてどのような具体的な改革方策が可能かということについて結論を出していっていただきたいということでございます。場合によっては大臣御自身が中教審の会合に御出席になるということもあり得るのではないかと思っております。

委員
 中教審でも既に論議してきたことがいろいろとこの改革案に発表されておりますが、その中で、小・中の区切り方、小中一貫導入につきまして、知事会のほうは中学の教員の給与だけと言っていますが、実は区切りが弾力化されれば、その辺がなかなか難しい問題にもなってくるのではないかと思いますが、現実に既に、この前の品川区の小・中、4・3・2でやっているというのがありますね、小・中の区切りを変えてという。少なくとも四つぐらいはそういう学校をつくってという話がありました。それから、今、特区で幾つか、小・中、4・3・2を中心にいろいろな区切りでやっているところが出ていると聞いております。これをしかるべきときに、できるだけ早くその辺の資料をぜひこの初等中等教育分科会に出していただきまして、既にどういう試みがあって、いろいろな問題点が出ていたり、あるいはメリットが出ているかもしれませんので、ぜひ具体的な検討の資料として、議論の資料として出していただければと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

事務局
 御趣旨に沿って用意させていただきたいと思っております。

(2)寺島委員から資料に基づき意見発表が行われた後、意見交換を行った。

委員
 1つは、「私立の中高一貫教育との適合」ということですが、これはどういう趣旨なのか、ちょっとよく分からないものですから、どういうお考えなのかを御説明いただけるとありがたいと思います。
 2点目は、「義務教育の意義の再確認」というところで、誰の義務なのかという話ですが、これは人権にかかわる世界宣言の中で、26条3項でしたか、「親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する」という有名な条項があるわけですけれども、親のそういった選択権にかかわって義務教育がどういう位置づけになるのか、お考えがお伺いできればと思います。

委員
 私立の中高一貫教育という意味においては、今、私立の中高一貫といっても3・3なわけですね、6年間なわけですね。私は、これをより充実させるためにも、例えばこれが5・3ということになるわけですね、いわゆる私立がもし中高一貫のシステムなら、公的な中学校、小学校のシステムが4・5制になったとき、5・3制になるということですね。8年間ということになるわけですね。そうなってきたときに、例えば、今、3・3制でやっているよりもはるかに中高一貫教育の実が上がるのではないかという部分のニュアンスと、その教育効果が高いということになったならば、例えば都市部なんかではどんどん中高一貫のほうに流れていってしまうと思うのです。そうなると、一種のいい意味での競合関係というものが生まれて、中学校の5年制というのが公共教育においてもより充実するのではないかということを期待してこういう表現をとったというのが、私の申し上げたかったことです。
 それから、誰の義務なのかということなのですけれども、もちろん親にも子どもの教育に対する選択と今おっしゃったような点があるのだろうと思いますけれども、私が申し上げたかったのは、かつては、教育を受けられないままに社会人の年齢に達するような人ができてはいけないからということで、親に対して、教育をちゃんと子どもに受けさせるのですよという考え方をにじませた憲法になっているけれども、今、子どもに教育を受けさせないなんていう、例外的な人はいるかもしれません。いじめとか、虐待とかという問題もありますから、一本化できませんけれども、多くの人が、経済環境からして、子どもに普通教育を受けさせないというのは、特別な事情でもない限りあまり存在しない時代になっている。
 そういうときにより重要なのは、今度は子どもの側の視点に立って、学校教育制度そのものに参画するというのだけが教育ではないという意味も含めてなのですけれども、事実この中教審でもだんだんそういう流れが出てきていますけれども、大検制度の柔軟化だとか、それから中学卒業資格の柔軟化だとかということで、いろいろな形の教育を受けられる、しかも大人になってからでも受けられるとか、そういう様々な教育を受ける権利をきちっと国家として保障するような方向に思想を持っていったほうがいいのではないかというのが、私が言いたかったところだということだけ申し上げさせていただきます。

委員
 親の階層化とか、人口減少の問題ですね。極めて深刻な、日本の将来における問題点について御指摘いただいたことについて非常に感銘を受けているわけですが、1つ意見を含めながら御質問させていただきたいと思うのは、2ページの「地域の学び推進機構」の話から、40人学級、30人学級ということの話が出ましたけれども、先生が言われるように、教員の数を減らさないためにという主張もあるかもしれませんが、実際に現場教員の経験といたしまして、教育効果というのがどれぐらい上がるだろうかといったときに、やはり少人数学級の教育効果というのはてきめんに上がると思うのです。特に小学校段階では私は非常に必要だと思っているのです。ですから、この主張は恐らく、教員の数を減らさないというような主張が主な主張ではなくて、やはりいかにして教育効果を上げて子どもたちにわかる授業ができるのかというようなことを真剣に考えているというのが現場の教員の多くではないかなという気がいたします。
 しかし、先生が言われたように、やはり地域の父母の参加を得て、もっと教育効果なり、あるいは地域に密着した教育をしていくということは非常に大事なことで、これはあちこちで今なされていることなのです。そういう面では、私は、今のお話は参考になるだけではなくて、実行されておりまして、より多くの日本の学校でそういうことができていけばいいなと思っています。
 それから、「(2)」の「教員への適切な評価システムの確立」ということですが、今言われたように、管理者だけの評価ではなくて、より客観的な業績評価ということがあっていと思います。昨今は、評価というものについては、学校を含めて非常にいろいろな形でなされております。ですから、教員に対する評価も、今言われた提案は、私は大賛成であります。
 ただ、言われたときに、視野が狭い教員と言われましたが、一般論として、私も海外へ行って見るのですけれども、日本の教員の質は高い方だと私は思っているのです。確かに、高い方だからといって視野が狭くない教員が多いかといったら、そうでもないと思うのですね。ご案内のとおり、22歳で大学を卒業して、そのまま入職するわけです。入職した後、結局、最初から「先生」と呼ばれる。担任をするのが小学校の6歳児ですから、そうすると、少なくともそれよりも年上の人が保護者になっているわけですね。その保護者から「先生、先生」とあがめられような感じでされるものですから、やはりそういうようなこと。それから、学校という、ある意味では非常に閉鎖社会の中での育ちですから、やはりそういう意味での質の向上のための研修ということは必要になってくるとは思いますが、それは一面的なことだと私は思っているのですけれども、いかがでしょうかということであります。
 それから、先生は義務制の4・5制ということを言われましたが、私も4・5制ということについては一定程度妥当ではないかなと思っていますが、同時に、1年延長して5・5制にしてもいいのではないかというのを、この間、私は意見として申し上げましたけれども、参考資料の中にもそういう「46答申」の中の部分が出ていますけれども、これと関連して教えていただければと思います。
 それから、最後の「(4)」の、教育の無償制の問題がございましたけれども、実は、今、先生が言われたように、子どもたちの教育を受ける権利あるいは教育への権利というものを保障していくという場合に、具体的に、機会均等の場合、あるいは水準を維持していくという場合、あるいは実際に日本の国のどの地域にいても平等に一定程度この権利が具体的に保障されていくという内容を見たときに、先ほど先生が指摘されたように、保護者の、あるいは地域による所得の階層化というのが出ているという現状の中では、逆に権利が具体的に保障されていかない、内実的にはですね。そういう意味では、やはりできるだけ無償制にということ、あるいは国際人権規約あたりは、高等教育まで漸進的に無償化していくことがいいのではないかという国際的な多くの考え方の合意を得ている部分もございます。そういう意味では、無償制というものは、やはり今の知識社会を展望していく意味では、逆に非常に大事ではないだろうかというような感じがいたしますけれども、このことについてもう少し詳しく教えていただければと思います。

委員
 最初の40人学級、30人学級の話なのですけれども、私、たぶんおっしゃっているとおりだと思います。つまり、少人数のほうが教育効果を考えたときにきっとベターなのだろうと思います。
 ただ、私は団塊の世代で、北海道で育ったわけですけれども、中学校なんかは65人ぐらいで20組あるような極端な、プレハブを建てなければ持ちこたえられないようなぐらいの団塊の世代だったわけですけれども、では65人学級で全く教育効果が上がらなかったかというと、極端な例かもしれませんけれども、必ずしもそうではなかった。ワイワイガヤガヤだったけれども、それはそれでそれなりの盛り上がりもあったというか。だから、教育効果があがらなかったから今日のありさまになったんじゃないかという議論もできるけれども、一方で、人数の問題ではないというような気もしないでもないということなのです。つまり、情熱といいますか、人数を減らしていけば教育効果が上がるのではないかという考え方のもとにあまり引き寄せられてはいけない部分もあるのではないかということが言いたかったということです。
 それから、教員の評価なのですけれども、たぶん、ある種の統計から見れば日本の教員の質というのは世界的に見て決して低くはないということになるのかと思います。ただ、かつて「でもしか先生」なんていうことが言われたわけですけれども、今、民間との交流だとか、いろいろなことも行われ始めていますけれども、さっき視野が狭いという失礼な言い方をしてしまったわけですけれども、例えば小学校の先生なんかは、特殊な例なのかもしれませんけれども、短大なんかを出て小学校の先生の資格を取れる制度もあるのですね。ですから、東京周辺のある特殊な地域なのかもしれませんけれども、お母さんやお父さんの受けた教育のレベルと非常に段差のあるような先生が教壇に立っているために大変なヒッチが起こっているような例を私は幾つか目撃しているのです。要するに、よほど心を決めて教員の質を高めるためのシステムを導入していかないとまずいのではないか。国際体験だとか、海外交流だとか。私は、海外の日本人補習校なんかにどんどん日本の先生を送って循環させているなんていう制度は、結構いい経験をさせているのではないかなというような気がしますけれども、いずれにせよ何かがだめだとか言っているのではなくて、何とか教員の質を上げる方法はないものかなというふうに悩ましいテーマだと思います。
 それから、4・5制よりも、この際5・5制ではないかという議論も非常に魅力的です。特に、5・5制の5というときに、幼稚園とか保育園の幼保一元化ではないですけれども、1年早めてそういう公教育を受けさせる制度に日本全体が合意を形成していくということも大切かもしれないなという気がします。いずれにせよ、私が一番大事だと思うのは、10歳から15歳までというゾーンを相当しっかり制度設計しなければいけないところにきているのではないかという意味で申し上げました。
 それから、無償制については、本当に無償であることが担保されなければいけないのが義務教育だという意味においては全く異論がないわけですけれども、これからの時代を考えたときに、ローカル・オプティマムという表現にそれを込めているつもりなのですけれども、受け身で、天からお金が降ってくるように地域の教育―子どもたちはそういう無償のところでしっかりとそれを享受して育てられるべきだと思うのですけれども、お金は外から自動的に回ってくるものであるという考え方で教育という世界に与えるインパクトということを考えたら、少し考えてしまうことがあるのです。
 具体的に事例を申し上げると、今日の表にも出そうかなと思ったのですけれども、例えば全国で去年、25万件の個人破産が起こっています。10年前は1万2,000件だったのです。この10年間で個人破産というのは20倍以上になってしまったのです。そして、地域別にものすごく偏差があります。ほかのところは詳しく調べていないから無責任なことは言えませんけれども、全国で一番、いわゆる禁治産者、個人破産の発生が悲惨な状況になっているのは北海道なのです。産業が劣化しているからだけではないのです。中央依存、官依存で、開拓使の時代、お金は外から回ってくるものだという中央依存型の行政になっているところほど、不思議なくらい個人破産の発生が多い。なぜなら、人に金を借りるとか人に依存するということを恥ずかしいと思わないからなのです。
 全国で個人破産件数が極端に少ないのが、愛知、東海から岐阜にかけての地域です。この地域の人たちは人に金を借りるとかということは孫子の代まで恥だと思っているのです。要するに歯を食いしばって自己完結しようとするわけです。ですから地域偏差があるということを言いたい。何がポイントかというと、やはり他人依存ということがあたり前だと思うような状況の中では教育効果というのは生まれないのだろうなと。
 だから、例えば北海道というのは、信販、お金を借りて月賦で物を払うというビジネスモデルが最初に定着した。今、サラ金天国なのです。冗談でも何でもなく、北海道へ行って御覧になったら、新聞をめくったら分かります。3ページはサラ金の宣伝で、3ページはパチンコ屋の宣伝というようなのが地域カルチャーになってしまっている。残念ながら、いわゆる生活保護世帯の発生率というのが全国の4倍です。
 そういう状況の中で、結局それでも義務教育は無償なのだということは原則的には絶対正しいわけですけれども、そういう中で、自分が歯を食いしばって立ち上がるという克己心といいますか、そういうものを植えつけていくような思想とか発想というものがなかったなら、ますます他人依存型の構図というものになってくる。
 何も北海道の悪口を言うためにそんなことを言っているのではないのです。具体例としてわかりやすいから申し上げているのですけれども、例えば西友ストアの肉代の返還という事件が一昨年北海道であったのですけれども、買いもしなかった人が行列をつくって、お金を返してくれといって並んでいる。変な人は、3万円も買ったといって金返してくれと、領収書がないのに並んだという事件がありましたけれども、ああいうカルチャーになってしまうのですね、変な言い方をすると。
 ですから、極端な話題だと思ってお聞きいただいたらいいのですけれども、私は、義務教育は無償とするというのは正しいけれども、世界を流浪して苦労したユダヤ人の話なんかを聞いていると、親が歯を食いしばって自分の教育のためにお金を絞り出してくれて、初めて自分は勉強しようと思ったという経験談を聞いたことがありますけれども、ただ国が保障してくれて教育が受けられればいいというものではない。
 ただし、頑張る人間に対してのサポートシステム、これは特に高等教育のほうですけれども、いわゆる奨学金だとかそういう類の制度はもっと充実させなければいけないと思うし、本当に貧しい世帯の子どもに対して、教科書の無料配布はもちろんのこと、肩身の狭い思いなんかをさせないような配慮とか工夫とかが必要だということは当然だろうと思います。

委員
 非常に斬新な視角からいろいろと御提言くださいまして、ありがとうございました。2つほど発言させていただきたいと思いますが、教員の免許更新制度の導入の件ですね。これはこの中教審が始まった最初の答申、教員養成部会の答申をまとめさせていただいたときの部会長でございましたけれども、そのときは、まだ議論が残っているので今実現するのはちょっと早いというような、やや歯切れが悪い答申ではございましたけれども、そういう答申をまとめる作業をさせていただきました。
 これが出てきますと、わずか2年ぐらいのところでまた出てきたのかという気持ちもしないではありませんが、ただ、率直に言いまして、この更新制の問題をこのときには先送りにした、それに対するいろいろな御批判の中で、制度論としてはつじつまが合っているけれども、政策論議がないのではないか、この御発言というのは、今でも私、非常に強く受けとめている。もう1つは、更新制を実施しないことのメリットだけをずっと書き上げて更新制を実施しないというのはいかがなことか。むしろ、しないことのメリットではなくて、することのメリットについてなぜ述べていないのかというような御意見。その他ございましたけれども、この2つの御意見というのは非常に重く受けとめながら私もずっと考え続けてきたことでございます。
 そういうことで、前の答申からまだ2年しかたっていないのにまたこういう論議かというような気持ちも一方ではしますけれども、やはり謙虚にこれを受けとめて、何が議論で足りなかったのかというようなことをしっかり受けとめていきたいなと。そのためのインパクトを与えてくださったというようなことで、今、深く考えているところでございます。
 もう1つ、最後の「義務教育の意義の再確認」のところですが、教育を受ける権利のほうへ流れを変えて云々というのは、もう流れはそう変わっているのであって、つい最近の3月の「今後の学校の管理運営の在り方について」の答申でもやはりそれを冒頭に書いて、それから様々な法律上の義務について書いているわけですから、私は、これは流れは変わっているというふうに断定して全く差し支えないのではないか。
 1点だけ質問をさせていただきますが、教科書無償。これも考えてみますと、無償というものは授業料無償から始まって、教科書無償、教材・教具の無償、通学に要する費用の無償、さらには生活費の無償というようなことまで限りなく広げて考えてしまったというような時代があったことは確かですね。それをどう考えるかということの、その見直しとして非常に大きなポイントを示していただいたと思って、私、感謝しております。
 ただ、教科書無償を考える場合に、教科書の供与、日本のように差し上げますよというのか、それとも、アメリカ的と申しますか、一般にアメリカで見られるような教科書の貸与、そういったことを間に挟むというようなことについては、先生はどういうふうにお考えなのか。

委員
 私、おっしゃるとおり、教員の評価のことについては、導入のメリットだけでは確かにないと思いますけれども、かなり思い切った判断がいるのではないか。
 ただし、ちょっと気になるのは、先ほど大臣のメモの中で、学校評議員とか学校運営協議会の全国化ということが出ていましたけれども、この学校評議員とか学校運営協議会に、つまり学校に保護者が参画するというのは大変いいことだということの一般論はそうなのですけれども、ここで例えば教員の任用だとか何かについていろいろ発言権を持つというような流れが一部に報道されていましたけれども、これも変なふうになると、非常に情熱を持って取り組んでいるような先生が逆に排除されてしまったりするような、一般的ではないからということで排除されてしまったりするように機能する危険だってなくはないから、この評価というところだけは相当戦略的にも考え直して仕組みを考えないとまずいなと実は思っていたところなのです。
 それから、教科書の無償については、まさに申し上げたかったポイントを整理していただいたわけで、限りなく拡大していけば、初等中等教育にかかわるあらゆる間接的なコストまで無償にしたほうがいいというようなところまで踏み込んでいってしまうわけですけれども、やはり私は国としての傾注判断だと思うのです。より戦略的に初等中等教育を充実させるためにお金を使おうという考え方で、例えばさっきのように、教員の質を高めるためのほうにお金を注入するのだという考え方を国民の前に提示して、そのために、教科書は無償でなくていいという人はちゃんと負担してもらうという考え方をこれからとるのだということで多くの国民は納得すると私は思うのです。
 その際に、おっしゃっていた貸与というのも、これまた現実に貸与された教科書を使っている子どもたちを私は見ていますけれども、きれいに使うかどうかとか、自分に回ってきたやつがどうのこうのとかといういろいろな問題が起こるから、単純にそれはいいと言い切れない部分もあるのですけれども、そういう選択肢も確かにあるでしょうね。今、汚れたりしないような素材をできるだけ使って、何年かだけは貸与という形でするというのも1つの選択肢かもしれませんね。

委員
 少子高齢化のインパクトは非常に強烈なものがあって、言い古されたことですけれども、このように数字を挙げていただくと、本当にショックの上にまさにショックを重ねますが、このことから見ても、やはりこれからの社会は共助の社会にならなければならないと思います。
 そういう共助意識を義務教育段階でどういうふうに育てていくのか。年金の問題にしても、人生いろいろというわけにいかないわけで、やはりすべての国民が共助の中で生きるために何をしなければならないかということを、義務教育段階でそのための教育をしっかりやっておかなければならないと思います。もらうものだけはもらって、権利だけは主張するけれども、市民としての義務を果たさない。日本には都市居住者はいるけれども市民が存在しないと言われます。ヨーロッパの場合は市民革命によって血を流して市民社会を形成していったけれども、日本の場合は市民社会がいつの間にか与えられたものとしてあり、自分が主体者として市民社会を形成していくという意識がない。だからお上が何かしてくれるだろうという感覚で生きている。やはり義務教育の目的の1つは、市民を育てていかなければならないということであり、しかもそれは共助社会を形成していく市民としての教育である。そういう義務教育の在り方をこれからは追求していかなければならないと思うのですが、いかがでしょうか。
 もう1つは、そのこととかかわって、これから先は男女共同参画社会の中で、共働きという家庭が非常に一般化していくと思います。今は緒についたばかりですけれども、これからはますますそういうふうになっていくだろうと思います。保育所の問題などもそれに絡んでくると思いますが、それと同時に職場での男女の労働の在り方の問題、それに家庭の中での、共働き社会の中での父親、母親の在り方についての教育です。家事も育児も担わなければならない。そういう共働き社会の中に生きる子どもの教育を義務教育段階からしていかなくてはなりません。そういう意識形成をするだけではなしに、実際に家事や育児ができるような人間の教育をやっていかなければならないだろうと思います。少子社会になりますと、小さな子どもに直接かかわりを持つということが少なくなってくるわけで、例えば小学校の高学年、中学生になったら、そういう小さな子どもへの保育といいますか、そういう小さなものにかかわる教育が義務教育段階の中で考えられていかなければならないのではないだろうかと思います。
 それから、過剰依存と過保護の問題です。今でもそうですけれども、少子化が進めば、ますますそういうふうになるであろう。そのために大人になれない者が増えてきます。今、大人になれないまま、子どものまま中学を卒業し、高校を卒業し、大学を卒業しても子どものままで、子どもを産んで、その結果、子どもを育てられないために子殺し、子捨て、虐待をするということが現実に起こっております。これから過剰依存と過保護の社会になり、このままいくと、そういう子どものままの大人が増えてせっかく産んだ子どもを虐待死させたりするようなことでさらに少子化が進行する。そういう、大人になれない今の子どもの問題、子どもを産み育てられないまま子どもを産んでいる、そういう若者の問題などについて、義務教育段階の中で、大人にならせるための教育といいますか、親にならせるための教育といいますか、その教育を進めなくてはならない。子どもを産み育てられる人間の教育を義務教育の段階ではその基礎をしっかり押さえていかなければならない。
 これまでの義務教育では、基礎・基本といいながら、そういう共助社会だとか、共働き社会を生きる教育だとか、あるいは大人にならせるための、親にならせるための教育がどちらかというと欠如していたのではないだろうか。義務教育を考える場合には、これから先そういう社会のことを考えて、そういうことを義務教育段階の中でしっかり押さえておかなければならないのではないかと思います。
 それから、教員免許の更新制の問題が委員の方からもありましたけれども、私も2年前の検討の時、この更新制のことにかかわってきて、どちらかというと私は更新制に賛成で、積極的に支持した者の一人です。しかし、それも不適格教員を出すための更新制ではなくて、不適格教員を出さないために研修をさせ、すべての教員を子どもの前にちゃんと立てる教員として育てるために更新制を導入したらどうかという考えです。そうでないと、問題のある教員を生むということは、その段階ですでに、子どもが犠牲者になっているということです。更新制は、子どもを犠牲者にしないという前提に立たなければならないと思います。不適格な教員であるということでやめさせれば、それはそのことで済むかもしれませんけれども、不適格な教員が出るということは、その教員にとって、それまでに被害を受けた子どもたちがいるわけです。子どもの被害を出さないための更新制を構想していくべきではないかと思います。
 それから、教科書の無償制の問題も、今、貸与制の問題が出てきましたけれども、私は小・中学校で授業を参観して最近思うのは、教科書を非常に粗末にする子どもが目につくことです。国民の税金である教科書を国民から無償でもらっているという意識がない。非常に大事にしていないのです。血税である教科書という意識を親も教員も持っていない。それが子どもに反映している。そういうことから、この教科書の問題は何とかしなければならない。しかし、貸与制にしますと、汚すという問題もあります。書き込みをすることによって授業をより効果的にする場合の授業もあるわけですから、貸与制についてはどうかなと思います。しかし、親に買わせるということになると、教科書に対する意識がまた変わってくると思います。そこのところは、どうすべきかという形では結論が出ませんけれども。
 それから、学級規模の問題ですけれども、40人学級は確かに多いと思います。人数の多少によらず、先生の努力次第では効果が上がるということもありますけれども、40人学級はやはり多い。けれども、現実に地方には、小規模学級、少人数学級が、10人、15人の学級があるわけです。40人の学級もあるけれども、10人、15人の学級がある。その10人、15人の学級が、小規模であるために、これだけの学力が現実に上がるということが示されるべきであるにもかかわらず、全国的にこういう効果があったということが出されていないということは一体どういうことなのかと思うわけです。

委員
 最初におっしゃった「共助」という言葉は物すごく重要なことをおっしゃっていたと思いまして、私、大学院と大学でも教壇に立ってきていて、何年か前ですが、教養課程の高校を卒業したばかりの学生たちにアンケートをやって、そのアンケートの中に「尊敬する人物」という問いを入れておいて、その回答に改めて驚いたのですけれども、日本の高校を出て大学に入ってきたばかりの人間が、尊敬する人物というとスポーツ選手かタレントかみたいなレベルで、歴史の中で日本の中に足跡を残してきたとか、世界の中に足跡を残してきたなんていう人物がほとんど出てこないということに驚いたことがあるのです。
 そういう中で、よく考えてみると、子どもたちにとってどういう大人になりたいかという目指したい大人モデルというのがものすごく希薄化してきてしまっているのです。逆に言えば、自分はどういう子どもであるべきかということさえ混乱してきているというか、一生懸命受験勉強をやって上を目指しているという子どもがいい子なんだよというふうに、親もそういう目線で見ているということを受けとめているからかもしれないのだけれども。
 そういう中で、さっき私が申し上げた、市川伸一先生の提案している「学びのポイントラリー」みたいなものに本当に共感するのは、まさにおっしゃっている共助という意味で、大人が地域社会のためにどうやって額に汗流しているかとか、どういう大人が地域の、例えば消防署でもいいし、警察署でもいいし、いろいろな地域で支えているのかということを実感するような体験を踏ませるこのポイントラリーみたいなものが、NPO活動に参画だとかいろいろなことを通じて行われたならば、子どもにとって大人社会が見えるというのかな。そういう意味で、共助ということは何なのかということがわかってくるのではないか。したがって、それが、私、地域の個性だと思うのです。そういうことをどういうふうに企画して、例えば農業県であるならば、あるいは農業地域であるならば、その農業というものを支えているところにどれだけ汗流しているのかということを、各家庭だけではなくて地域社会としてきちっとした設計をして、参画せしめるようなポイントラリーみたいなものが制度設計されたっていいわけだし。そうしないと、共助というようなことは認識できないのではないかなという気がします。
 それから、男女共同参画なのですけれども、私はおっしゃっていたとおりの印象を持っていまして、私なんかの世代よりも、私の組織に帰属している若い連中のほうがはるかに家庭思いというか、家庭も顧みずというのに陶酔していた世代とは違って、一緒になって子育てに立ち向かっているという意味においては、私らなんかよりはるかに立派だなと正直言って思うのです。
 ただし、おっしゃるように、共働きの若い夫婦なんかをサポートする仕組みがやはりこの国は弱いというか。例えば東京の都心部に、24時間保育園ではないけれども、24時間きちっと預かってくれるぐらいのことも可能なような保育園制度だとか、そういうものをきちっと整備して、安心して女性が働けるような環境をつくらないと、ますます子どもを産まなくなってしまうし、さっきの少子高齢化に輪をかけてしまうという気がするのです。ですから、男女共同参画も結構なのだけれども、やはりそれを保障するようなプロジェクトをきちっと実現していかなければいけないなと最近思っていて、今、大本気で都心に、大手町、中央区に24時間預かってくれる保育所のビジネスモデルを立ち上げるという動きをサポートしているのですけれども、これは非常に重要だと実は思ったりしているのです。
 今回のオリンピックで日本選手団が予想外の成果を上げているというのですけれども、あれをよく分析的に見ていると、やはりシステム的にきちっと育てたものが成果を上げているわけで、突然何か精神作興運動で目覚めたとか、そういうたぐいの話ではないのです。ですから、やはりきちっとしたリードタイムをとって、指導者がしっかりしていないとだめだ。ですから、「大人になれない子ども」という表現がさっきありましたけれども、やはり教育という仕組みを通じて厳しく鍛えるということに対して覚悟を決めていかないとですね。私、日本民族というのは、気をつけないと、さっきの、1人の子どもに6人から7人の大人が群がりつく状況という中で、急速に逞しさというものを劣化させていくのではないかなということを、国際社会を動き回っていて痛感するものですから、その点、おっしゃるとおりだなと思ってお聞きしました。

委員
 「1」の「21世紀の初等中等教育を取り巻く社会構造変化」、御説明ありがとうございました。かなり私ども知らない情報を得て、今後いろいろ考えていく上に役に立つ情報だと思っております。
 「2」の「義務教育制度の在り方」の「(1)」でありますが、「地域に根ざした教育」というのはもうかなり叫ばれてきております。ここ10年ぐらい叫ばれてきていて、個々の学校レベルでは、例えば郷土の産業、郷土特産物にかかわる社会科とか理科の教育をやっておりますけれども、それに親がどういう形で参画するかというところまではなかなか結びつかない、そういう気がしております。しかし、最近、学校教育支援ボランティアというのがNPOで幾つか立ち上がってきておりますから、恐らくは何か仕掛けを加えることでもって、それこそ一挙に具体化するのではないかと思っております。
 2つ目の、的確な教員評価システムの確立でありますけれども、先ほどの高倉委員、野村委員と同じように私も古参で、高倉委員のもとで副主査を務めたわけなのですけれども、野村委員がその当時、先ほど説明されておりましたように、免許更新制を推進したいと言うのを、どちらかというと私などは、初任者研修1年を2年とか3年に延ばして、10年研修を入れることでもって変えたらどうかという意見を述べさせていただきました。その後今日まで各自治体教育委員会による研修状況を伺う機会が何度かありましたが、研修制度の実効性という点に関しては、ここに書いてありますように、極めて疑問を持っております。
 そういう意味で、確かに質の向上が私は最大の課題だと思っているのですけれども、2つ目の更新制導入は、現状を考えて言いますと、実施せざるを得ないだろうという判断をするに至ってきております。
 3つ目の、評価の面なのですけれども、これはやはり多角的な評価をするようなシステムをしっかり確立しなければならないだろう。御意見に賛成であります。
 「(3)」の4・5制ですけれども、実は私は、参考資料2にあります研究委嘱の下から2番目、「生徒の内面形成を促進するうえで必要な教育上の配慮について」というテーマで、上司の下働きをしてまとめた記憶があります。そのときに、幼稚園の年長組のいわゆる年長効果とか、小学校6年生があれほど見事に生徒会のようなものを仕切る年長効果というのを示しまして、6・3制だけでない何かを考えていいのではないかということを確か報告書の中に書き入れましたが、ここにありますように、妥当と判断する資料をどのくらい集めて示すことができるかということになります。5・4がいいのか、4・5がいいのか、あるいは今の6・3のほうがいいのかということを比較検討するための資料がなくてはいけないだろう。
 今日、お手元に配付されております「子どもの発達段階の変化等について」という資料ですけれども、これはやはり子どもの心とか、意識内容の変化というのがほとんど示されていないという気がしますので、そういう資料をお示しいただかないといけないのではないかと思います。

(3)事務局より資料2に基づき説明をした後、意見交換を行った。

委員
 特に小学校、中学校といいますか、これは日本での議論ですが、区切りの、6・3なのか4・5なのか、これを途中で変えたりした国というのはあるのですか。そういう事例があれば少し参考になるのかなと思うのですけれども。

事務局
 アメリカ、イギリスが特にこの中でもいろいろな種類の形が示されていると思いますが、これはまさにそのとおりで、歴史的な中でこういう形が生まれてきたということで、例えばイギリスなども、初めはやはり基本は6・5なのですが、接続の問題などで、特に1960年代に3・4・4とか4・4・3が生まれてきたと承知しております。ただ、数は必ずしも多くないと承知しております。

委員
 私、さっきの話との文脈で、例えば「有償・無償」というところで、授業料を徴収しないというのはみんなそうだということなのですけれども、例えばさっきの教科書だとか、そういう類のきめ細かい有償・無償について踏み込んで調べられているのかなということが1点。
 それから、1つどうしても知りたいのが教員評価です。学校評価ではなくて教員評価をどうしているのか。個別の教員の業績をどういうふうに、どういうシステムで評価しているのか。これは一律ではないということはよくわかるのですけれども、例えばどういう事例で、納得のいくような先進的な事例があるのだろうかというようなことについて、もし資料があれば、今後の課題として教えていただきたいと思います。

事務局
 今回、冒頭にも御説明しましたように、義務教育制度ということで、あまり財政的な部分とか教員の部分というのは調査しておりませんけれども、また少し調べまして、資料があれば提供させていただきます。

委員
 教員評価のことで、以前、文部省からアメリカの様子を調査に行かせてもらったことがありまして、ちょっと報告しますと、やはり客観的な評価が非常に大事にされております。御存じのように、アメリカの場合、1983年の「A Nation at Risk」の後、教員の質の維持・向上ということで、多くの州が3段階の給与体系を導入したのです、。これは、初めは同じ給与体系でいくのですけれども、州によって違いますけれども、7年とか10年たったところで評価をしまして、御承知のように、アメリカの場合、初等教育の場合だったら、給与が普通の職種の6割ぐらいですね。中等教育で大体8割から9割という、そういうあれなのですが、そのままでいく人と、それから上のあれですね、普通の職種より高い、あるいは同じぐらいに上がる人と、それからそのままでもだめなのに、もっと低い給与体系へ移る人、この3段階に分けるという教員評価をやっておりました。
 これは多くの州で、少しずつ違いますけれども、一番使っていたのが、私の印象では、違う町から教員の授業評価のためのチームをつくりまして、対象の学校に派遣しまして、15項目とか20項目のチェックリストで、1つは授業の仕方ですね。例えば子どもの疑問にどう答えていたかとか、教材の準備がどうとか、そういうのをチェックしていくというのが1つありました。もう1つは、同時に、子どもの側からの ―これは高知県なんか小学校、中学校でもやっていますね、授業評価ですね。この2つを両方合わせて見ていくやり方をしていた州が多かったという印象を持っています。これは83年の後ですから、80年代の後半ぐらいで私いろいろと見せてもらいました。
 アメリカの場合、非常に客観的な形での教員評価についてはいろいろな積み上げがありまして、そういう論文も出ておりますし、同時に、あそこはリージョナル・オフィスという、幾つかの州をカバーする教育センターみたいなものがありまして、これが連邦の教育省の出先機関になっていると承知しておりますが、そこがいろいろな客観的な方法を開発して、州の教育委員会あるいは地域の教育委員会、カウンティーに提案するというようなことをやっていたというのが印象的なので、ぜひ最近の様子を調査課のほうででもお調べいただきまして、この場に提供していただければ、客観的なやり方、つまり給与にまでつながるものですから、これはよほど客観的でないといけないわけですが、そういうことは日本でも参考になるのではないかと思います。

委員
 私も、最近の現場は見ていないのですが、英国の場合には非常に激しい、激しいと言ってよろしいと思うのですけれども、学校評価、教員評価をやっています。スクール・インスペクターを先生のOB、校長のOB、そういう人たちの中から任命しています。数も相当な数で、公務員は500人ぐらいしかいないのですが、たぶん全部で8,000人位いるのではないかと思います。その人たちがチームに分かれて、例えば普通のサイズの中学校ですと20人ぐらい来るようです。1週間その学校にいて、ほとんど全部の授業を見る。そして、その授業がどうであったかということを通じて教員評価をして、非常に悪い評価をとった教員については相当厳しい研修の義務を課したり、その学校が機能していないと判断した場合には完全に学校をクローズしてしまう、そして初めからやり直すというふうな激しいことをやっていますね。
 それから、そこにも出ていますけれども、子どもたちに今全部背番号をつけまして、そこに書いてあります7歳、11歳、14歳、もっとやっているのではないかと、私、去年行って聞いたときの印象で思うのですが、達成度試験をやって、その成績を全部データベースに入れてあるようです。ですから、どこどこ市のどこどこの町のAという子どもたちがどういう成績をずっととって、上級に進むかというのが全部わかるようになっていて、そのデータの管理のセキュリティーが大変だと言っていました。
 高等教育に行く者はいいのですけれども、高等教育に行かなくて就職する、いわゆるOレベルという試験を受ける連中ですね、それに対して徹底的にトラッキングをして、少しでもOレベル、つまり就職のための試験でいい点を取ってもらおう、そういう工夫を、データを通じて学校にさせるという非常に激しいことをやっています。
 このシステムは非常にコントラバーシャルで、スクール・インスペクション・システムが始まってから非常にノイローゼになる先生が増えたという話もあります。20人ものインスペクターに授業を聞かれるわけですから、たまったものではありませんね。そういうふうな、半分ジョークともいえるようなことも聞いてまいりました。
 諸外国の義務教育の状況について、もう少し詳しく知ろうと思うと、個々に相当調査研究をされている方の御協力を得ないと難しいかと思います。殊にアメリカ、ドイツは州によって違いますので、その辺の状況もありますね。

委員
 1点だけお願いですが、3ページのアメリカのところの「私立学校の扱い」のところで、「公教育に含まれない」。「公教育」という言葉がここだけに出てきているように思うわけです。委員の先生方はもう御案内のように、公教育というコンセプトそれ自体がいろいろなタイプがございまして、したがって、ここでは教育行政に含まれるのを公教育と呼んでいるのか、あるいは、補助金が、要するに公的補助があるかないかでもって公教育云々というのを見ているのか。いろいろな公教育のコンセプトがあるようでございますので、ここで言う「公教育に含まれない」という、この「公教育」というのはどういう公教育のコンセプトなのか、そのあたりはっきりさせていただいたほうがわかりやすいのかなと思いますが、よろしくお願いいたします。

事務局
 ここに書いてあるとおりでございまして、公立学校行政に含まれないという趣旨で「公教育に含まれない」と。ちょっと言葉として誤解があったかもしれません。

委員
 先ほど、30人学級、40人学級、あるいはそれより大きなクラスの話題が出ましたけれども、30人がいいのか40人がいいのか、委員の方から、そういうものを判断する資料、そういうものがないのではないかという御発言がありました。アメリカでチャーター・スクールの実情を少しだけ見てきましたが、アメリカのところに書いてありますように、いわゆる統一の学力テスト、あれは達成度ですけれども、それをふんだんに利用していますね。チャーター・スクールというのは必ずイノベーションがなければいけない。ですから、ほかの学校よりもよくなるはずだというのです。それをこの統一テストの結果で見ようとしているようです。それが全然効果がなかった場合には次の期間の許可を与えない。日本でもそういう実証をやらないと、30人がいいのか40人がいいのか、あるいはさっき寺島さんが言われた、私もそういう世代ですから、60人ぐらいの学級にいたものですから、どれがいいのかという結論はなかなか出てこないのではないかなという気がいたします。

(4)事務局より参考資料1、2について説明の後、意見交換を行った。

委員
 これは感覚的な問題ですけれども、多くの大人の中に子どもが少数いるという状況というのは、一方で面倒を見過ぎるという面もあるかもしれませんが、子どもがたくさんの大人を見る機会が増えるということは、精神的に早く発達するという可能性というのはないのだろうかということを少し思いました。
 それから、教員の資格ということで、私もこれは賛成なのですけれども、私どもが育ったころというのは寺島さんとほとんど一緒で、団塊の世代なのですが、そのころは、大学を卒業している人というのは非常に少なかったわけで、相対的な先生の社会的な位置づけといいますか、そういうものが非常に高かったわけでありますけれども、それが今は、半分が大学を出ている。そういう状況の中で、相対的に先生の位置づけが当時に比べるとあいまい化してきているといいますか、先生は偉いものだと昔思っていたほどではなくなっている面もあるのではないか。そういう面で、逆に言えば、先生の努力といいますか個々の努力、あるいはもっと広く見なければいけない。社会的に全体の学歴が上がってきたということでありますので、その中でより幅広く、また、より深化するといいますか、そういう努力が要るのかなと。
 それから、6・3なのか5・5なのか4・5なのか、これは私もまだ特定の意見に固まっているわけではないのですが、特にこの子どもの発達段階のところを見て余計にそう思ったのですけれども、子どもたちの中で、やはり小学校は6年間あることによって、5年生、6年生が小さい子の面倒を見る。最近は外で集団で遊ばなくなっていますので、そういう機会が減るということがどうなのだろうかということを非常に思います。
 それから、これも自分の経験で言えば、小学校に比べると中学というのは縦社会が弱いといいますか、小学校は集団登校も含めてかなり面倒を見合うようなことがあるのですが、中学へ行くと急に学年ごとということで弱まるわけですが、そういうことが5年間になることでどうなのか。
 それから、中学時代の早出しが起こるわけでしょうけれども、いろいろな問題が非常にふくそうしている中学、今、学校で一番言われるのは、中学が荒れているという問題を言われるわけで、数が増えるということは、さらに複雑化してしまうのではないかというような感想を持ちますし、ハードの面でも、3年が5年になることによって、学校の収容能力というか、簡単に言えば1.7倍になるわけでありますから、本当にそういうことができるのかなと思ったりもしましたけれども、感想めいたことも含めて、少し意見として。

委員
 一番最後のところから言えば、要するに少子化の中で、例えば中学なんかの収容が可能になるというか、そういう流れを1つ視界に置いているということです。
 あと、たぶんその辺は一緒なのだと思いますけれども、大人に取り囲まれることによって早熟になるという部分がもちろんあるのですけれども、逆に、目指したい大人に取り囲まれるのではなくて、目指したくない大人に取り囲まれることによって、たわいもない大人によって触発されて、世の中に対して間違ったイメージを持つということの危険性がどんどん高まっているなと。つまり、たわいもない中年というのが、我々自身も含めて、日本社会そのものの問題で、子どもに向き合っている部分があるわけだから、そこのところをどうするか。であるがゆえに、地域で学校教育にいろいろな形で、自然な形で参画できるような、子どもがいない人まで含めて地域社会が参画できるような、さっき言ったラリーポイント制だとかというのは何か変則的なように見えるけれども、そういう制度でも持ち込まないとだめになっているのではないかなということを考えたということだけちょっと申し上げておきます。

委員
 今、発達段階の、体の面を中心とした説明がありまして、私、これはこれからいろいろと議論するときにとても大事だと思いますが、今日お話しいただいた心の面についても、是非いろいろとデータをお願いしたいのです。
 「46答申」で言われた非常に強い指摘の1つが、内面的成熟、豊かな社会になることによって、あれは71年なのですけれども、御承知のように60年代が高度経済成長で、これを経験することによって、わずか10年で内面的成熟に非常にまずい形の影響が出ているのではないかというのが「46答申」の1つのポイントだったと思うのです。その後少しフラットといいますか、急激な高度経済成長のあれはなくなりましたけれども、あの後、文部省はいろいろなところに研究委嘱をして、内面的成熟についてのデータをあげてもらったり、あるいはまとめをしてもらったという経緯があります。
 80年前後に、例えば当時の横浜国大の間宮先生に、いろいろな学会なんかで出てきたそういうデータも含めて、年代別の内面的成熟、例えば道徳判断が、いわゆる権威道徳から結果道徳になり、動機道徳になる。これの、簡単に言ってしまえば学年分布とか、あるいは思考様式が具体操作から形式操作になる、これは課題によって少し違いますけれども、それの学年ごとのものとか、いろいろなものが出ております。
 ですから、私、もう20年前だから、古いといえば古いかもしれないけれども、60年代みたいな極めて急激な社会変化は、バブルが崩壊してから後10年ぐらいはいろいろなことがあったけれども、あそこまでひどくはないと思いますので、少しそういうものも参考になるものがあれば紹介していただいたらどうかなと。少なくとも議論には役立つと思うのです。私たち、見かけは同じようですけれども、今、「10歳の壁」と言われますでしょう。思春期発達に入った途端に内面が見えなくなってしまうのです。ですから、そういう問題を含めてということが1つ。
 もう1つ、ぜひ予算要求をしていただきまして、そういうことについての委嘱研究ができるような、科研費と別枠の。昔それがあったのです。研究開発室があったときには、科研費と別の。つまり、政策的といったらおかしいですけれども、こういうことの論議に必要なための研究委嘱を出すということで、かなり豊富にあったという記憶があるのです。やはりちょっと別枠をとってもらって、今の子どもたちの内面にかかわる発達の様相を、今、国立大学の教育学部とか、あるいは教育大学でもたくさんあるわけですから、そういうところに委嘱していただいて、少しデータを上げてもらうとか、ぜひそれもお願いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

事務局より今後の日程の説明が行われた後、閉会となった。

午後4時7分 閉会

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成21年以前 --