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初等中等教育分科会(第25回) 議事録

1.日時

平成16年7月21日(水曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館 3階 松風の間

3.議題

  1. 義務教育に係る諸制度の在り方について
    ・委員からの意見発表(梶田委員、渡久山委員、船津委員)
    ・自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、小栗委員、梶田委員、渡久山委員、橋本委員
(臨時委員)
 市川委員、今井委員、河邊委員、高倉委員、角田委員、永井委員、西嶋委員、野村委員、平出委員、船津委員、宮崎委員、若月委員

文部科学省

 山中初等中等教育局担当審議官、前川初等中等教育企画課長、森田初等中等教育局企画官、塩見教育制度改革室長、常盤教育課程課長、蒲原幼児教育課長、その他関係官

5.議事録

午前9時59分 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)委員(梶田委員、渡久山委員、船津委員)からの意見発表後、意見交換を行った。

委員
 義務教育の基本的な考え方、役割は、今、品川でもいろいろなことをやっておりますけれども、この二つをいつも押さえてやっているつもりであります。大きな間違いはないということで、大変参考になりました。
 そこで、お伺いしたいことがあるのですが、初めに学習にかかわる費用の公費負担の仕方についてですが、この辺についてもう少し先生の問題意識といったらいいでしょうか、この辺を教えていただければありがたいと思います。
 これに関連しまして、教育費の無償制の拡大というのがあります。これは先生の今日の御意見の中では、高等学校まで義務教育といったようなものを拡大していってという前提があるわけでありますけれども、この場合、教育費の無償制の拡大について確かに階層差、地域差といったようなものを少しでも解消していくことは大事なことではあるけれども、この辺はどうなのだろう、一定の受益者負担という歯どめは当然社会のルールとしてあるべきだろうと思うのです。
 教育費の無償制をより拡大していくには、例えばOECDのGDP比をもう少し国の方で頑張ってもらうということもありましょう。ただ、そういったこととほかに条件といったようなものが必ず出てくるのではないか。極端な言い方をすれば、例えば目的税といったような発想もあろうかと思うのです。学校税とか、教育税という。何らかの具体的な条件もなければ、ただ無償制を拡大する、すると言ったところで、これは権利と責任と言ったらいいでしょうか、こういったようなものが伴わないものになってしまうような恐れがある。そのあたりをちょっとお伺いしたい。
 もう1点は、6・3制をいじる必然性はあまり感じないということをおっしゃいましたが、私は逆に、高等学校まで義務教育にする必然性をあまり感じない。確かに今、高校に行く割合は、東京都の場合には90%を超えていますよね。
 全国では相当の高い率でしょう。みんなが行くから義務にするのでしょうか。大事なのは、そこにどんな動機が働いているか、ここをきちんと見なければ、高校全入とか何とかといったようなものは、あまり教育論的な意味がないのではないかという気がする。そのあたりのお考えがあれば教えていただきたい。

委員
 公費負担の仕方は、その時期、その時期の社会の豊かさによって違ってくると思うのです。もちろん、最低限、今やっているような小学校、中学校は教科書が無償であるとか、授業料がないとか、こういうことはあっていいし、あるべきだと思うのです。ただ、私のイメージでは、豊かな社会になってきたから、いわゆる最低保障ですね。公立学校という形での、あるいは国立も含めて、国公立の学校という意味では、大学まで授業料とか、教材費まで、豊かな社会になったのだから、ただになっていいのではないかと思っているのです。ただし、それはプラスアルファの教育、ユニークな教育を受けるために、小学校のときからでも余分なお金を払って、そういうことがあってもいいということとセットになっているのですけれどもね。全部無償になるから、お仕着せの画一的なものになっては、上のほうになったら、どんどん多様化して、みんな別れていかなければいけないと思っているのです。私は何度かそういうことを本の中に書いたのですけれども。そういう意味では、ある最低保障は国公立でやっていきながら、プラスアルファの教育を違う形で保障していくような形にならないかなと思っております。
 ただし、それには大前提がいりまして、例えば地域によって、今、私立の高校なんかが公立の高校の補完でしかないというような位置付けになっている。公立に枠があって、入れない子は私立にというね。そういうことではだめだと思うのです。そうではないような、新しい私学の在り方、つまり、国公立でのいわば教育条件の基本的な整備と同時に、プラスアルファのことをやる、今は私立と言われておりますが、ついでに言いますと、私は私立学校という言い方は非常に誤解を招くし、まずいと思っておりまして、できるだけ早く私立学校法、学校法人法ということに変えてほしいといつも思っているのです。というのは、学校法人というのは公法人ですから。私的な営みではないです、私立学校をやっているのは。中身は学習指導要領によって公教育をやっているわけだし、運営しているのも学校法人という公法人ですから。「私」と言うと、恣意的な、あるいはいろいろなゆがみがあっても、それは当然だとなると非常に困りますので、そのようなことも含めての新しいプラスアルファの、いわば今言われているところの私立学校の整備の仕方、発展のさせ方ができるならばということなのですが。
 私の夢物語は、土台となるような教育というのは、私は義務教育という言葉は、これからあまり使う必要はないのではないかとも思っておりますが、大学まで無償でやれるようになったら非常にいいなと思っております。
 全入制の関係は、今の現実を踏まえたときに、後期中等教育まで国民の教育を保障しようという基本的な考え方を私は持っているのです。そうであれば、今90何%いっているところを、あえて選抜という形をとらないで、選択制によって子どもたちに後期中等教育までは保障したらどうだろうかということで、全体的には6・6でいってもいいのではないかという考え方です。
 それから、無償制の問題については、確かに日本の場合は、受益者負担主義というのは、随分考え方としてあるのですけれども、やはり例えば文部科学省から出されている資料によっても、知識社会への展望を持っていったときに、高等教育へのシフトは非常に大事だ。例えばアメリカでは、今、高等教育への希望者全入というのをやっているのです。それから、イギリスでも高等教育への入口の拡大が施策として出てきている。フランスではバカロレアがありますが、その80%達成ということは、8割以上の子どもたちが高等教育を受けようという形まできている。中国もそうです。国民高等教育化という。ですから、世界はすべて高等教育へシフトしている状況です。
 そういう中で、日本も考えたときに、高等教育までもちろんですけれども、高等学校までは無償にしていく。私の出した資料の3ページに、国際人権規約のA規約と言われるものですけれども、そこには高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育への漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が保障されるというようなことが書いてあるわけです。だから、国際的な感覚として、高等教育まで無償化していこうという努力は、政策課題として持っていていいのではないかという前提からです。

委員
 教育委員会がリードしながら、学校改革、教職員の意識改革に取り組んでいる具体的な実践をお話しいただきまして、また、これから教育委員会の在り方を検討する上でも、勉強になりました。
 義務教育費の国庫負担のことについて、本当に多くの資料をいただきながら御説明いただきましたけれども、私も全日中の校長会の予算対策部で、財務省、それから文科省、昨日は都道府県会館の中の37都道府県を回ってまいりました。所長さんや次長さんにお会いしたわけですけれども、ちょうど7月15日に全国の理事会が行われ、そこで多くの三位一体の改革の中の1つとして、義務教育費の国庫負担金について、どのようにしたらよいかということについて話し合われたことも伺っておりますが、8月18日、19日が全国知事会で、ここが1つの大きな山になっている。8月20日に知事会のまとまったものを国に提出する。こういった大きな流れの中で、一人一人の方々と、100何ヵ所ずうっと陳情に歩いてまいりましたけれども、その中から、いろいろな意見があるものなのだなということを伺ったのと同時に、絶対義務教育費国庫負担については堅持していただきたい。ここが崩れたならばすべて崩れてくると、そういったことを思いました。
 今日、たくさんの資料の中から御説明いただいて、さらに中教審としても意見をきちんとあげていかれるような状況にしていかないといけないのではなかろうかと、そのように思いました。以上です。

委員
 地域の方々からよく苦情をちょうだいするのですけれども、これを国のレベルと言ったらおかしいのですが、教育という視点で合わせてみると、学校に対する批判というのは、教育制度に対するのも含めてあると思うのですが、もう少し考えると、例えば社会全体の責任、ちょっと大きいのですけれども、家庭そのものの責任もあわせて考えていかないと、学校のやるべきことが明確になっていかないのではないかと考えています。例えば横というか、現代社会そのもので見ると、例えば24時間営業のスーパー、コンビニエンスストアの24時間営業というのはあったのですけれども、企業によっては24時間営業のスーパー、こうこうと灯りが照らされている現実があって、果たして青少年に対してそういう問題がいいのか悪いのかということが、まず挙げられると思います。
 また、縦で考えてみると、出た先の現実、学校を卒業した、例えば中学校であればその先の入試、高校でも入試、それから大学、高校であれば、企業の例えば正社員になれない現実が厳然としてあるわけであります。そういった部分の論議をしていかないと、学校だけの話し合いでは不十分ではないかと考えました。
 最後に、それ以上に大きい問題は、入ってくる前の環境、幼児教育部会での検討はあるのですけれども、集団不適応の傾向の強い小学1年生の存在とか、また、保護者や家庭の都合でかかわりを拒否された児童生徒の増加の問題、これはいえば自立支援施設、社会として対応すればいいではないかという回答がなされるかもしれないのですが、そういう施設はいっぱいで、なかなか入ることもできないという現実があります。ですから、教育制度をせっかくこうやって御議論していただいているわけなので、あわせて社会なり家庭での教育に対するかかわりの責任なり、要求をしていかないと。この中教審でも話し合っていかないといけないのではないかと考えます。

委員
 前回のことともかかわりますけれども、委員の方の学校型の義務教育の優位性という論についてですが、現在その学校の機能が社会の変化によって大きく変質しているのではないかと思います。前々回のときに、不登校やいじめは、子どもたちの現代の学校に対しての異議申し立てなのだという意見、あるいは、前回に、足に合わない学校という靴をはかせているのだというようなことも言われました。私は、その学校という靴は大きさが足に合わないだけではなしに、足の形が変わってきている、その足に合わないことのために、子どもたちは不登校やいじめを起こしていると理解しました。
 非常に社会が変化して、かつては学校が知育の専売特許だった。学校が知育の中心であるということについては、今も変わりないと思いますが、現代は学校だけが知の教育の専売特許の場ではもはやなくなってきている。現在は、いろいろな場で知の教育がなされるようになった。また、子どもの生活も大きく変化をしてきた。動植物の命に出会うことのない子どもたち、物自体に出会うことのない子どもたち、いわゆる仮想現実を生きる子どもたちである。そのように子どもの生活様式が非常に変わってきている中で、学校の機能が大きく変わらなければならないはずなのに、相変わらず学校がこれまでと同じような(今変わり始めておりますけれども、)ことをしている現実が今ある。そのことに対して異議申し立てとして、子どもたちが反乱を起こしていると、これまでの委員の方の意見を受け取りました。
 さて、学校型の義務教育という学校型をどのようにとらえたらいいのか。そういう新しい時代の学校の在り方は追求していかなければならない。今日は義務教育について、概念がA型、B型で出されました。また、「我々」と「我れ」ということが出ました。そういう意味で義務教育について、どんな時代になろうとも義務教育が追求すべきものはこれだということについて、この会で論議しなければならないのではないだろうかと思います。
 しかし、義務教育のコンセプトについて論議したにしても、その一方で、これは時代の変化によって、その内容は質的に変わってくる。前回、委員の方がうちでは10年ぐらいのスパンでしか、教育改革について物が考えられないということを言われました。それほど社会の変化、あるいは子どもの変化によって、学校教育の、あるいは義務教育の概念そのものが変わっていくべきである。そういうことについても、私たちは受けとめていかなければならないと思います。
 私は、履修主義から修得主義のことについて申し上げました。委員の方が、学習歴より修得率の重視というのを挙げておりますけれども、私は論理的に、どんな社会になろうと義務教育を終えた者であれば、とにもかくにも人間として生涯を生きていくことのできることを保障するのが義務教育である。その基礎的力を修得させるということから、履修主義よりも修得主義を述べてきました。けれども、そのように学校の質が変化し、あるいは義務教育のコンセプトを追求しても、その質がまた大きく時代とともに変化する中では、修得すべきものが限定されたり確定できない状況があるということからすると、論理的には修得主義であっても、実際的にはそれは難しいのではないだろうかとも思っております。
 それから、新しい学力観の中で、基礎・基本など測定できる学力については、修得主義が実施できるけれども、自ら学び自ら考えるといったようなメタ理論的な学力については、測定できにくいということを考えれば、修得主義を貫けない弱さを持っているのではないだろうか。そういうことについても、この会議の中で、限定して議論していかなければならないのではないだろうかと思います。
 もう1つは、この会でいつも問題になってくるのは、高等学校の教育、大学の教育の問題、それにかかわる高校入試の問題、大学入試の問題です。社会が変わって、大きく学校機能が変化している中では、高校教育も変化を要求されているはずなのに、高校教育、大学教育が変わっているのか変わっていないのか。大学改革を言っているけれども、大学がどこまで変化しているのかどうか。大学がもし変化しているなら、その変化に対応した入試があるはずなのにそれが見えにくい。この前、委員の方が、最近の東大の入試はめちゃくちゃに難しくなったと言われました。東大の学部教育の教育が変わり、その教育内容を修得させるためのめちゃくちゃな難しい入試の内容であるかどうか。単に選抜のための入試のようなことがないかどうか。それが高等学校、義務教育をゆがめているのではないだろうか。
 そういうことからしますと、高等学校も、大学も、それに今変化を迫られている学校教育の機能、それから入試の在り方、そういうこともひっくるめて論議をしなければならない。その整理が必要なのではないだろうか。
 それから、少人数学級の問題で、私も40人学級を少人数学級にしていかなければならないと思いますけれども、現実に地方には小規模学校、小規模学級があり、10人、15人の学級があるわけです。40人の学級は確かに人数的には多く教育する上で問題がありますけれども、15人、10人、あるいは20人の学級で、40人の学級に比べ、学力が向上している実績を示さなければならないはずですが、それがなされていない。20人学級の場合、15人学級の場合は、40人学級に比べてこんなに学力が保障できるということが実証的に示されなければならないだろう。
 ただ、これは教員養成大学の教員養成の在り方の問題でもあります。私も教員養成大学の学長をしておりましたから、反省ですけれども、教員養成大学が40人学級の授業方式の教員養成をやってきただけで、学級の多様性に応じた授業研究などが教員養成の中でなされて来なかったのではないか。反省を込めて、そのように申し上げるわけです。

委員
 今日、3人の委員の先生方からたくさんの御意見をいただいた中で、義務教育費国庫負担を堅持していかなければいけないということについては、お三方とも共通していたように思います。私としても義務教育費を地方に移すということについては、非常に問題が出てくるであろう。この義務教育費については、御承知のように、かつては教材費の問題もありましたし、それから学校図書の問題も義務教育費国庫負担の中に含まれていて、今は教員給与だけになってきているわけでございますので、ここだけは何としても確保していかなければいけないのではないか。それが日本の義務教育をきちんと維持していく大もとになっていくのではないかと思っております。
 さて、委員からの発表の中で、5歳児入学のことが出ました。と同時に、前回4年生と5、6年生を分けて、4・3・2とする、そういう学制の分け方の問題が出てまいりました。就学の問題については、幼・小との連携の問題からいうと、なかなか厳しい問題があって、確かに5歳児が1年生に入ると、幼児化するのではないかという問題や、あるいは小学校の6年生がリーダー的な役割をしていたにもかかわらず、中学校に入ると非常に赤ちゃんぽくなってしまうということの指摘があるわけです。
 私としては、人間というのはリニアに成長していくのではなくて、段階的に、あるいはスパイラルに成長していくのではないか。したがって、そういうことが行きつ戻りつしながら行われている中で、人間形成ができてくるのではないだろうかと思うと、こういうことの行ったり来たり、あるいはスパイラルな関係というのはむしろ大事なことなのではないか。ある程度のゆとりがなければ、学校教育の中で、子どもは健全に育っていかないのではないかという気持ちがあります。
 ただ、そうは言うものの、5年生、6年生の問題は非常に大きな問題だと考えています。4年生までの子どもの発達の状態と5、6年生の状態というのは、実態的にかなり違いがあります。この辺のところは何とかしていかなければいけない。その何とかするのは、制度として変えるほうがいいのか、それとも運用として、例えばそこのところに少人数加配を十分充てるとか、あるいは教科担任制を導入して、小学校も中学校並みの教員配置数にしていくとか、そういうことによって、できるのではないだろうかと思っています。制度をいじることで物事を解決するというのは、私としてはもう少し慎重にすべきではないかと思うところです。
 2番目に、今日、委員の方からまさに校長の力量と教育委員会のやる気が現場を変えていくんだなということをお示しをいただいたような感じがして、大変嬉しく思いましたし、その中で、37.6%しか校長が学校にいないという話を聞くと、非常に耳の痛いところでございますけれども、学校といいましょうか、日本の風土の中で、校長ないし学校に頼るというものが非常に強いのではないかという感じがします。
 これは先ほど委員の方からも行政のほうでも何かにつけて校長を引っ張り出すというお話がありましたが、これは町会とか何かでも、いつもそうなんです。今日も、私もラジオ体操へ行ってまいりました。土曜日になると、必ず何かの催し物があります。お祭りのときには、必ず校長さん来てくださいと。校長が行っても別に挨拶するだけで、何もすることではないのだけれども、校長が行かないと何かしめしがつかないようなところがあって、日本では学校依存型の社会というのがあるのではないだろうか。
 これが顕著にあらわれているのが、学校週5日制が出てから、学校が非常に忙しくなったというのは、学校が主体的に行っている事業なのではなくて、地域が主体的に行っているのだけれども、校長や先生方が来てくれないと、5日制のこの事業が進んでいかないのだという、こういう保護者の要望があるのです。これは過渡期として、ある程度やむを得ないだろうと思いますけれども、日本の風土の中に、学校に対する依存のスタイルは、おそらく制度を変え、あるいはいろいろなことを考えて変えたとしても、なかなか意識が変わらないのではないだろうか。このあたりの意識を変えていかない限り、学校なり教員なりの多忙感というのは変わっていかないのではないかと思いました。
 と同時に、先ほど教育委員会のやる気、むしろ教育長のやる気が学校の文化を変えていくのだという話がありましたが、教育委員会制度はやはり維持していかなければいけないだろう。というのは、この分科会で論議するかどうかということは、この前ありまして、これもしていいのですかという話があって、ちょっと広がって恐縮ですが、やはり教育委員会の中立性であるとか、あるいは独自性であるとか、執行機関としてのやるべきことというのはあるであろう。是非、校長を支援していただいて、これからも教育委員会を存続させていっていただければと思います。

委員
 今、就学年齢の引き下げの問題が出ましたので、重ねてお聞きしたいのですけれども、私は今日、我々の社会と我れの社会を生きる力というすてきな言葉を得て、まさに2つの力を同時に人間は生きるのだということを、初めて体験するのが幼児教育の場であるわけです。初めての学校教育の場であるわけですけれども。だからこそ、基礎的な力をしっかり身に付けさせてから、小学校にあげていこう。その使命はとても強く感じました。
 ところが、現状では、例えばうちの園でも、この間お泊まり保育がありましたが、5歳児で3人、夜、おむつに取り替えてお泊まり保育を過ごすような現状でして、3年間の間で我れを生きる力さえつけるのに大変苦慮しているという現状の中で、本当に就学年齢を引き下げることが可能かどうかという疑問があります。現状の小学校の教育の体制や枠の中に5歳児を組み入れることになったならば、たぶん教育は最初から破綻してしまうだろうと考えます。同時に、しっかりした幼児教育を義務化によってすべての子どもに与えることができるならば、それはまたすばらしいことだと思うのですけれども、その二つの矛盾するようなものを抱えながら、それをどう考えていけばいいのかと思うのです。
 意見発表の中で、5歳児就学の根拠として、就園率が大変高いというデータを出されたわけですけれども、もっと強い根拠があるのか。5歳児就園を支援するような強い説得力のある根拠があるのかということと、現実的な問題を見据えたときに、それが本当に可能だと思われているのかどうか、お聞きしたいのですけれども。

委員
 1点だけ端的に申し上げたいと思います。委員の方から、「『学びの共同体』としての学校―障害児・者と共に」ということで、この件に関しては、展望として持つべきだと。これは私もインクルーシブな学校とか、ノーマライゼーションという理念等から考えると、そうだろうと思っております。個々の問題になったときに、義務教育制度上で障害児の学校をどう考えていくかというのは、非常に難しい問題が多々あるだろう。このあたりについて、特別支援教育の体制などと踏まえて方向性をどうお考えかということについて、お話をいただければありがたいと思います。
 あわせて、教育委員会の指導班の課題及び主な施策の中に、信頼される学校づくりで、一番右側のところの中・長期的な教育課題に関する課題調査研究の「4」番目に、「自閉症児に関する個別的配慮」という問題を挙げてくださっています。個に応じたきめ細かな指導の充実が今求められていて、なかんずく自閉症というのは、障害種別としては挙げていないのですが、固有の障害という点では、今、日本の中で一番多くて、大変課題を抱えている子どもたち、しかも、集団になかなかなじめない子どもたちの教育をどうするのかというあたりが課題になってございます。そのあたりで、もし分かれば、当該市においてどのような課題等について、実践研究をなさっているかということがもしあれば、お聞かせいただくと大変ありがたいと思います。

委員
 義務教育に係る制度の在り方を議論するときに、今現実にどんな問題がある、その問題を解決するのに、制度をこのように改革していくことが一番いい方策なのではないか。そういう議論であればよく分かるのですけれども、どうも先にこんなふうな制度にしてみたらどうだろうかという議論になっているような気がしてしようがないのです。
 ですから、とにかく今、最も問題とされているようなことは何か。そのための方策として、この諸制度の改革のプラス面とマイナス面、それを踏まえた上で、いくつか出てきたような具体的な議論、例えば6・3・3制をどう考えるとか、無償化の話とか、もっと修業年限を拡大していくというような話がいいのではないかという議論になっていないと、どうも分かりにくいなという気がして仕方ないです。
 確かに先に制度を変えてみると、こういうメリットがありますという話はわかるのですが、これまでの議論にも出てきたように、それをやりたいのであれば、もっとほかの方策、例えば運用でも十分ではないかとか、あるいは地域教育も含めたようなことで何とか対応できるのではないか。そういう方策の中での比較というように議論を持っていったほうが、きっと説得力があるのではないかと感じました。

委員
 私はそうは受け取っていないので、既に皆様方がいろいろな問題提起をされている裏には、それだけの問題意識を持って多分されているのだと思いますので、いくつか出てきていますから、その辺はきちんと整理して、後でまた論点整理という形でお出しすればよいのではないかと思います。

委員
 スキームとしてそういうふうになってくれば、たぶん国民にも分かりやすいと思います。

委員
 当然そういうふうにいかないと、世の中を説得することはできませんから、そっちの方向へ持っていきたいと思いますが、とりあえずはいろいろな立場からプレゼンテーションをいただいて、その中から問題を抽出していくことになろうかと思います。

委員
 私も、どの程度時間的な展望を持って意見を述べたらいいか、ちょっと分からない部分がかなりある。地に足のついた議論というのは、現在、何が問題であるかということがもう少し明確になってないと、なかなか説得させ得るといいますか、納得できるものができあがらないのではないかとうい気がしております。議論しあって何か出てきて、それを即、法の改正まで持っていくものになるのかどうか、そういう緊迫感とか、そういうものがいまいち伝わってこない。私、途中から参加したためかとも思いますが、そういう気がしております。

委員
 もちろん我が国の義務教育制度そのものは非常に大きな問題を抱えているのですけれども、この義務教育費国庫負担の問題の出てきた場所が、純粋に教育的な場所ではないんですね。ということで、非常に考えにくいという状況があるのではないかと思っております。それにどうこたえていくかというのは非常に難しくて、そういうことから言うと、いろいろな方から御意見を伺いながら、その中から問題を抽出して、であるから、我々としてはこういうふうな主張をするのだというところへ持っていかないといけないのではないかと思います。

〈 意見発表者のまとめ〉
委員  委員の方から、少人数学級の教育効果の問題がありました。私も地方で、中学校の1、2、3年生、5人の複式を持ったことがあるのです。そうしますと、確かに今言われたように、40人学級を中心にした教員養成というものでは絶対に間に合わないです。結局、1人でほぼ全教科を教えるというぐらいの形にならないといけない。私も30年前だったかな、もっと前だったかもしれませんけれども、高等学校を卒業してすぐでしたから。そういうことを考えますと、少人数だからというだけでは、教育効果は上がらないと思います。きちんとした指導体制、あるいは教員の資質、また、条件整備をきちんとしておかないといけないだろうということがあります。
 少人数の場合の率としては、40人学級よりはいいのですけれども、そういうことは考えていかなくてはいけない。前はよく複式学級なんて言ったのですが、今、だんだんそういう感じではなくなってきていますから、それは先生がおっしゃるとおりで、新しい対応をしていかなければならないだろう。ただ、40人学級でいいという話にはならないだろうと私は思います。それにはもっと積極的な対応をしていかないといけないだろう。それも各県に財政的な問題を任されていたり、判断も任されているようですけれども、それだけではいけないだろうというのが考え方です。
 それから、5歳児の場合、確かに今、幼稚園や保育所に通っている率の高さだけ言ったのですが、それだけではなくて、保育期から小学校の教育を受けるのに円滑に進めていく段階で、どの辺で年齢的に切ればいいだろうかということを考えたときに、今の中では一定程度、46答申の中教審では早熟化に対応したという考え方が出ているわけです。それもあるかもしれませんが、向こうは4歳児、5歳児と言っていますが、小学校の低学年と同じような、私は幼児学校的なものを、今の年齢でいいますと9歳まで入るわけですが、5歳から9歳までという感じで持てないか。それはカリキュラムとしては、ある程度遊びなども含めて考えていけるかどうかという問題はあると思います。ですから、これは大きな研究も要るだろうし、問題提起を今行っていることでありますので、ぜひお願いしたいと思います。確かに言われたように、どういう形でそれを誰が判断していくかということは非常に難しい問題でもあると思います。
 委員の方が言われた支援教育の問題ですね。私は原則をどうするかということを非常に大事にしたいと思っております。分離教育を前提にするのではなくて、インクルーシブで、インテグレーションとよく言われている考え方の中で、それを前提にして、障害児も健常児も一緒に受け入れることを原則にする。しかし、どうしても重複障害とか、あるいはいろいろな障害があります。そういう場合に、どうしてもいろいろな問題があるという場合には、それは分離して、もちろん子どもたちに対応した教育だけではなくて、いろいろな形がとられていっていいだろうと思います。
 私は、これは北欧で見たのですけれども、確かに1つの学校に2人だけ障害児がいる。そのために教員の問題、あるいはいろいろな条件の問題等、非常に金がかかるわけです。しかし、まず最初に、原則は障害児も一緒にした学校ということを前提にして考えたらどうか、というようなことで提起しているわけです。ですから、インクルーシブというのも、そのようなところから出てきているのではないかと思っています。

委員
 私どものところで自閉症児に対する個別というような、特別なことはまだ取組はしておりません。特に小学校のレベルでは、学級担任の中で、特学担任の中で、非常に難しい問題だと思っております。中学校では、私自身が校長をしていたときには、チームを組んで、5人ぐらいの教師がそれぞれにかかわって、その子に対応したという経験を持っておりますが、中学では、比較的そういったチームを組むということは、我が市ではやっておりますが、今後、支援教育については、市教育委員会としても大きな課題になるだろうととらえています。

委員
 私は、初等中等教育分科会で、今、義務教育の問題を論議しているのは、大きく言って2つあると思うのです。
 まず当面は、小泉さんの構想ですね。義務教育というものがある。そこに6兆でしたか、国の費用が入っている、半分ぐらいでいいじゃないか、あとの半分は地方自治体で面倒を見てくれという1つの構想がある。これはこれで1つのアイデアとしてはいいわけです。これだけ国が借金を背負っているわけですから。いいわけだけれども、本当に教育論として、それが前進になるのかどうなのかということを考えておかなければいけないということがあると思うのです。
 ここでは、義務教育は無償とすべしということだけを皆さんたぶんおっしゃっているのではなくて、無償ということの中で何が具体的に保障されてくるのかということを、皆さんで話し合っていると思うのです。私が申し上げた、「A」と「B」に分けて、これはみんな分かっている話ですが、この2つは、結局、義務教育ということでどの社会もやはりやってこざるを得なかった、大きな社会全体としての必要不可欠な、しかも、優先順位の極めて高い課題である。これをやっていくためには、国なり社会なりが無償という言葉で呼ばれておりますが、そういう意味での十分な保障をしなければ、これは実現しないということです。このことを1つ考えなければいけないと思います。
 同時に、これを土台にして、初等中等教育分科会ですから、カリキュラムの問題もあるし、教員養成、いろいろなところへ発展していきますから、これからのことをそういうことを土台に考えていくときに、やはり原理原則として、いろいろな部会に分かれて、例えば幼児教育で5歳児から就学するのはいいかどうかということまで含めて考えていく場合に、一体何が原理原則になるのかということは、ここで話しておかなければいけないだろうということがあるだろうと思います。
 私は、確かにどんどん時代に応じて学校も変わっていくし、現代の幼稚園、大学も含めての学校が、旧来の枠組みと今のいろいろな子どもの様子とで齟齬をきたしている部分がある。それならば、それをどうするかということは考えていかなければいけない。1つは、今日も出ました、発達加速なり発達前傾現象が1970年代から顕著に出ているのです、データの上で。思春期は2年早まっているし、それから読み書き計算の能力は1年は早まっている。これは46答申で指摘され、後に文部省の中で、研究開発室を中心に随分データを集められた。これは論ではないのです。例えば、こういう発達の現実と学校制度との関係をどうするかということもあるし、あるいは学校のカリキュラムや教師の在り方と、子どもの今の在り方が齟齬をきたしているから、不登校の問題や、高校でいうと中退者10万という問題やらが出てきている。それをどうするかということがあります。
 しかし、だからといって、問題があるからといって、産湯と一緒に赤子まで流してしまうようなことはできませんので、何は押さえておいてというね、もう時間がありませんから、申しあげませんが、普通の人を学校に入れれば解決するみたいな一部、論がありますが、こういうのが一番困ったことだと思っております。読み書きを教えるのでも、計算を教えるのでも、もちろん高度なものを教えるのでも、専門家が教えれば、何分の1の時間とエネルギーで、しかも、ほとんど全員ができるようになるということがあるわけです。逆に言うと、そうでない人は教壇から去らなければいけないのです。
 だけども、今の教育課題と教員養成の在り方がうまくいっているかとか、あるいは現場の先生方がうまくいっているかというと、齟齬、問題があるから考えていかなければいけないというようなことで、私も5つ、「学校型」のということで条件を出しましたけれども、この具体的な展開の仕方というのは、これは時代に応じて議論していかなければいけないと思っております。私なりに考えると、2つの大きな課題性を持って、この分科会で義務教育の問題を議論していると思っておりますということを述べまして、まとめにはなりませんけれども。

委員
 教育の問題は非常に難しくて、どうしても世界的に見ていても、財政とは切り離せなくなっています。先ほど委員が、高等教育まで無償でいくという理想的な姿について言及されましたけれども、先進諸国でどうなっているかというと、御承知のとおり、伝統的に授業料を取らなかったヨーロッパの国が、ほとんど授業料を取るようになっています。英国が最高3,000ポンドという授業料を2006年から取っていいということにしました。
 それから、ドイツも過年度学生がたまってしまって、国家財政を圧迫するということで、ついに過年度学生からは授業料を取るようにしました。
 それから、中国も高等教育への参入率が20%ぐらいに増えてきたら、財政が破綻してしまい、高い授業料を取るようにせざるを得なかった。
 頑張っているのがフランスで、教育は国で行うべきだというスタンスを取り続けていますが、それでも遠からず財政は破綻するだろうと言われています。
 先ほど申し上げましたように、この問題は、純粋に教育的な議論から出てきたのではないのですが、実は世界の状況もほぼ同じになっているということで、バランスで考えていくより仕方がないのではないかと思っております。しかしながら、我々はここで教育について議論することを使命として与えられておりますから、義務教育に今何が問題になるのかという立場で御議論いただき、最終的には論点整理という形で、整理をしていくことになるのではないかと思っております。

事務局より今後の日程の説明が行われた後、閉会となった。

午後0時20分 閉会

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成21年以前 --