ここからサイトの主なメニューです

初等中等教育分科会(第24回) 議事録

1.日時

平成16年7月5日(月曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館2階 スターホール

3.議題

  1. 義務教育に係る諸制度の在り方について
    ・委員からの意見発表(市川委員、高倉委員、若月委員)
    ・自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、小栗委員、梶田委員、加藤委員、田村委員、渡久山委員、橋本委員、横山委員
(臨時委員)
 市川委員、今井委員、河邉委員、高倉委員、角田委員、永井委員、野村委員、藤崎委員、船津委員、宮崎委員、森川委員、若月委員

文部科学省

 結城文部科学審議官、山中初等中等教育局担当審議官、前川初等中等教育企画課長、森田初等中等教育局企画官、塩見教育制度改革室長、常盤教育課程課長、義本幼児教育課長、戸渡教職員課長、その他関係官

5.議事録

午前10時 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)市川委員、高倉委員、若月委員より資料に基づき意見発表をした後、意見交換。

委員
 今伺った点で、もう少し補足してほしいのが、小学校と中学校の発達が随分違う、それから先生方の意見も違う。もしおやりになっている4・3・2ということでお考えの場合、小学校の上級、5年、6年、あるいは中1、これで小学校4年までと違えたいところ、例えば学級担任制と教科担当制の問題とか、生徒指導の体制とか、等々おありだと思いますが、その辺、4・3というのは単なる区切りではなくて、教育の具体的な活動の在り方とか、子どもと先生とのかかわりの持ち方をかなり大きく変えようとしておられると思いますが、その辺をお願いしたいと思います。

委員
 4年生までは基本的に学級担任制をとろうと考えております。そして、5年生以上になりましたならば、これはすべての教科でできるかどうかはまだ検討中ですが、教科担任制をできる限り導入していって、なるべく多くの先生、大人に子どもが接する機会をつくっていきたい。それから、教員の専門性を生かしていきたいというねらいが、5年生以上ではございます。
 それから、特に5年、6年、7年生からの学習の内容についてでありますけれども、本区の場には、ステップアップ学習と名前をつけているのですけれども、当然、基礎・基本的な学習といったようなものは、ある意味では一斉指導でやるかもしれませんが、その後の子どもたちの見せる学習の―これも先ほどちょっと話が出ていました、修得の状況によって、ステップアップ学習という幾つかのカリキュラム、個別のカリキュラムをつくっていって、簡単に言えば個別対応ができるようなカリキュラムの作成であるとか、その時間の確保を、今、盛んに検討しているところであります。
 したがいまして、8年、9年になりますと、当然、その8年、9年の基礎・基本はあるわけですけれども、さらに子どもたちが自分の意識で学習課題をつくり、学習を進めていくといったようなプログラムがかなり多くなってきます。
 ただ、1つだけ難しかったのは、特に8年生、9年生で、そうした学習を相当入れたのですけれども、地域の保護者の方々にそれを説明すると、「それはいいけれど、高校は受かるんでしょうね」という質問がやはりきました。したがいまして、若干ステップアップ学習の時間をやや縮小したということはあります。
 ついでなのですけれども、そこで出たのは、そういう心配が出るということは、どうなんだろう。今の高等学校の入学、卒業の認定の問題なんだけれども、入りたいなら誰でも入れてくれないか。そのかわり簡単に卒業させないでほしい。それなりの認定制度をそこでつくる。それは義務教育ではないのだから、できるはずだという意見が保護者のほうから出ました。もしそういうものがなければ、子どもの個性がもっと伸ばせるのにという御意見がありました。

委員
 幼児教育、3歳から5歳の間に、子どもたちは第1次自立期と言われる反抗期を起こします。あれで1つの大きな変化が起きるわけです。中学の2年のときに第2次自立期が起きるわけです。つまり、中1、中2、中3というときに、彼らはいわゆる第2次反抗期というか、そういうものを持っている時期を持つということです。その間、小学校はある意味では精神発達上安定していると考えられていまして、目標を持って、インダストリーとか、いわゆる勤勉性みたいなものをテーマにして仕組むという、こういう仕組みでそれなりに安定してやってきたわけです。6・3・3の小・中のつながりのところを、お考えのように4・5で区切った場合、幼児教育のときにはちょうど3、4、5のところであるものですから、一応の区切りがついて小学校に行くという仕組みになっているのですが、その辺が5年生の中等教育のところがすごく難しくなるのではないかという気がするわけです。発達段階からいうと、5年生の前半と後半は明らかに違ってきますので、3年が限度ではないかと個人的には思っていたものですから、その辺はこれから出てくることかもしれないのですが、お考えがおありになったら、教えていただければと思います。

委員
 これはいろいろな考え方があろうかと思います。うちの中で議論されたことは、今の子どもたちの発達の状況から考えたときに、むしろそれで難しいのは幼小ではないかというのが、逆に意見として出てきたのです。幼小のほうが一貫にする場合は難しいだろう。例えば、これは幼稚園の園長の報告なのですが、3歳―幼小の場合、3歳児はまだ対象に入っていらっしゃらないかもしれませんけれども、3歳の場合でもまだおむつがとれない子がかなりいるというのです、現実に。それから、4歳になっても、まだ水道の蛇口をひねる、それから衣服の着脱、用便が終わった後水を流す、こういったごく当たり前のことができない子がまだ4歳でいる。こういう子どもを小学校に引き受けてしまったら、大変なことになるだろう。むしろ幼小の連携あるいは一貫を考えるのだったならば、義務教育年限を1つ前に倒して、5歳からだったならば可能性はあるだろう。したがって、先生が御指摘になりました、例えば第2次反抗期であるとか、その時期の落差よりも、むしろ幼小におけるこの落差のほうがはるかに大きいものがあるというのが、私たち教育委員会の中で出た大きな意見でありました。
 また、5年、6年、7年、8年、9年と分けるのは、長いわけですから、難しいのではないかという御指摘なのですけれども、私たちはそこら辺で、今まで第1次成長、第2次成長の速度は、前倒しで早まってきているという、先ほどのデータだけでは説明はできないにしても、幾つかのデータを見てこれは早まってきているという1つの仮説を立てても、それほど子どもたちの現実と大きな齟齬がないのではないかということに、これは仮説でありますけれども立っております。
 8年生、9年生の学校の中での扱いといったようなものについては、今もこれは検討はしていますけれども、かなりいろいろなアイデアが出ています。場合によっては、学習指導の中で、先ほど言いましたステップアップ学習を5年、6年、7年生はやりますけれども、そこに8年生、9年生が相当かかわってくるといったような場面をつくるようでありますし、それから学校生活全体のまとめ役といったらいいでしょうか、こういったようなものを8年生、9年生に積極的に持たせることによって、今まで言われていた発達心理学的な区分が、私たちはカバーができるし、その違いをむしろ教育的に利用できるのではないか。また今度詳しいデータをお持ちいたしますが、その辺は随分そんな議論をした経緯がございます。お答えにはなりませんけれども、そんな仮説を持っています。幼小のほうが難しい。先生は小中を盛んにおっしゃっていらっしゃるのですけれども、私たちはそれで検討したのですが、幼小のほうが難しいのではないかという、今のところはそんな立場です。

委員
 第1次成長の第1次反抗期と言われている3、4歳児、第2次と言われている14歳児、自立期。私は中学校の立場ですけれども、小学校の高学年の5年生から、今の中学3年生の5、6、7、8、9の5ヵ年間というのはものすごい難しい時期だろうと考えているわけです。
 5年生を境として、子どもの身体的、生理的な状況が大きく変わっているということは、今御説明いただいた1ページの資料からもよくわかるのですけれども、例えば個人差に応じた対応が必要な教科担任制の導入となった場合には、当然のことながら、高学年から必要になってくるという御説明をいただきましたけれども、教員の定数の増加等も必要になってくるでしょうけれども、私が一番心配するのは、心の成長が最も変わる時期 ―今、低年齢化していますので、小学校5年生ぐらいから変化が著しいということですけれども、品川区の2ページのところの資料に、自己肯定から自己否定への移行の時期ということで、小学校5年生から中学3年生が著しい。また、3ページの資料に、不登校、問題行動の発生率も、小学校6年生から中学3年生が急に多くなる時期。心と体の発達が著しい、アンバランスの時期と言ったらよろしいでしょうか、また、小学校の中学年ぐらいから、潜在化してきた諸問題が急に表面化してくる時期の5年間というものが、本当に大変だろうなと。今、中学校で3年間の成長発達を見ているだけでも、大変難しい。そういった時期が5年間とした場合に、不安定な時期の5年間の子どもたちの発達状況、そこに携わる教職員。ただ単に資質の向上を目指せばいいよとか、そういった問題ではなくて、心のケアがすごく大事な時期、また、大きな成長発達をする時期、そのときの対応の難しさを現在でも日々感じている中で、大変だろうなということが実感として言えるわけです。
 したがって、5年制にした場合に、3年制、2年制と分けたといたしましても、学習指導、生活指導のみならず、著しい成長発達の段階の年代に対してどのような手立てが必要なのか、これを真剣に考えていかなければ、ただ単にクリアできない問題があるであろうと考えております。
 御説明いただいて、資料提供していただいて、その中からもっともであるということがあるわけですけれども、現実に学校に現在携わっていて、中学生の発達段階の難しさを感じながら、いかに健全に成長発達させるかということを日々行っている中から発言させていただきました。

委員
 私たちの問題意識として、今の3年制だけでも難しい、あんなに苦労している、それが5年になったらもっと大変なのではないか。私たちの物の考え方の前提としては、こういうものがあるのです。今、3年間でも大変なんだ。これはちょっときつい言い方になるかもしれませんけれども、3年間でも大変なんだ、よくわかります。先生方もよくやっているでしょう。しかしなんです、成果は出ているでしょうか。要するに、一所懸命やっているんです。それは私は否定しないんです。難しい状況で頑張っていることもわかるんです。しかし、その方法が今のままでいいんですかという、1つの問いかけなんです。小学校の先生方ともっと交流をし、5年、6年の年の子どもたちの発達の状況もよくわかった上で、そして中学1、2、3と接すると、そこには何か教員の中に変化が起きてくるのではないでしょうか。あるいは、教員自身が子どもから学ぶべきものがあるのではないでしょうか。
 要するに、これは子どもの足に靴を合わせるのと同時に、底流にあるのは、教員の資質をどう向上させるかということなんです。それは単発的な研修で、知識で向上するというものではなくて、もっと多様な子どもたちと教員自身が接する中で、今までのよきものはよきものとして残しつつもなんです。改善すべきものは多々あるだろう。先生方は一所懸命やっていらっしゃるだけに、私は本区の例えば不登校なら不登校、問題行動なら問題行動の数値がピンとはね上がる。これをただ単に先生たちの徒労に終わらせたくないんです。やはり努力はよくわかるし、難しいこともよくわかるけれども、だからといって、そのとき、そのときのやり方で、本質的に解決できるんだろうか。そういう状況が今まで我が国の学校教育の中で、何年続いてきただろうか。もうこれ以上、子どもたちは待たせられない、そういったせっぱ詰まった気持ちが教育委員会の中にあったということも事実でありますので、御理解をいただければと思います。

委員
 大変興味のある内容で、参考になりましたけれども、私どもの認識といいますか、最近、多様性とか、あるいは精神的な発達が大学生になっても、まだ子どものような気持ちの人がいるのではないかという感覚でお話になる方がいらっしゃいますが、多少私もそのように思うことがあるのです。これは時系列的な変化という意味で、例えば2ページの小学校4、5年のところの変化、あるいは肉体的な部分もそうかもしれませんが、例えば20年ぐらい前にどうだったのかというような検討をなさったことがあるのかどうか。もし似たような調査結果が、品川区ではなくて、文科省のほうでお持ちであれば、その辺を少し見てみたいと思いましたものですから、もしそういうことをおやりになっているのであれば教えていただきたいと思いましたけれども。

委員
 残念ながら本区だけのデータで、20年前、10年前のデータというのはなかったんです。要するに、こういうことをまだ何も考えることもなかったんでしょうね。全くありませんでした。したがって、本区が持っているデータは5年前からです。5年前からはあります。しかし、それ以上はない。これが事実であります。ただ、国のほうや研究機関ではもしかするとあるのかもしれませんが。誠に申しわけありませんが、本区はそういう状況です。

委員
 IDEに出ていた「変わる高校生」という特集号の中で、同じ高等学校について、10年前にやった調査と全く同じ調査を10年後にやって、明らかに意識が変わっているというデータを見て、自分で持っていますけれども、細かく探せば研究者の方でそういうことをおやりになっている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

事務局
 少なくとも本日お出しいただいている資料の中で、身体的な数字の部分は、文科省のほうの調査でわかると思いますし、あるいはこうした自己肯定から自己否定への移行といったところで御紹介いただいているようなデータについても、全く同じ設問でずっととっているデータがあるかどうかわかりませんが、少し参考になるものがないかどうか調べてみたいと思っております。ありましたら提供させていただきます。

委員
 今の関連で。実は中教審の46答申の後、研究開発室を中心として、研究開発の委嘱研究ということで、こういうデータを、当時、5・4・4とか、4・4・4が論議されましたので、心身発達のデータの後づけをするという研究書を30年前から20年前にかけて出して、同時にそれのまとめが何冊か冊子になっております。覚えておりますが、そのときに東京学芸大学や横浜国大のグループの方々がそのまとめに当たっております。その中にはもちろん体の問題もありますが、心の問題、例えば結果道徳から動機道徳に主要な判断様式が移っていくのが、やはり5年生、6年生とか、そういうのもありますので、当時ですが。よく言われたように、発達前傾現象、発達加速現象というのが、既に1970年代から顕著に見られるということがあります。出してもらいますと論議の裏づけの裏づけになると思います。

委員
 私も新聞報道などで、品川区が6・3から4・3・2と区切っていくという話を聞いたときに、確かに最近の子どもたちの発達からいえば、そこで大きな区切りがあるということについては、確かにそうだろうなと。ある意味では、それは理にかなっているなと、そのときは思ったのです。
 ただ、問題は、4・3・2という発達上の大きな区切りを校種に対応づけることが適切かどうかということにかかっているような気がするんです。5年生、6年生は、確かにぐっと大人に近づくときでもあり、同時に不安定でもあり、個人差が相当大きい時期です。5年生、6年生、中1。
 考え方としては、そのときだからこそむしろ小学校という、これまで慣れ親しんで、先生も同じで、そこで5年生、6年生になると、学校のリーダーシップをとるようになります。そこで、低学年の子どもたちの面倒を見たりする。そこで、不安定な時期だからこそ、そのことによる有能感とか、一応小学校での最高学年にいて、そして中学校に入っていくというメリットもまたあるのではないかという議論もあると思うのです。ここが私も一番難しい、悩ましいところだと思うのですが、発達の区切りということから言えば、確かに4年生が終わった段階で、大きな区切りが転換点になっていることは、私も非常に理解できるのですが、そこで、だからといって新しい学校へそこで進学させるというのが……。結局、リーダーシップをとるような時期は、3年生、4年生だとちょっと難しい。5年、6年だからこそある程度できる。その時期を新しい学校の一番下の学年にということが、果たしていいのかどうかというあたりが、議論の焦点になりそうな気がしています。

委員
 うちが今、分けているのは、あくまでもカリキュラム上の区切りということで、学校がガラッと変わっちゃうということではないんです。

委員
 生活は1年から9年まででする……。

委員
 そうです。生活は1年から9年になるわけです。

委員
 一貫だからですね。

委員
 もう1つは、先生がさっきおっしゃった、不安定だから、5年生、6年生にリーダーシップをと。実は中学1年に5年、6年に対するリーダーシップをとらせて、今の中学1年という、不安にさいなまれて入ってくる子どもたちに、具体的な目標を持たせてあげるという1つの考え方にも立っているということであります。あくまでもカリキュラム上の区切り……

委員
 カリキュラムや指導法や指導形態ということなんですね。

委員
 それの違い。そうです。

委員
 男女共同参画社会、多様性を認め合う社会、協同・共生社会。こういうことが私もキーワードになっていくべきではないかと考えています。
 そこで、地域学び推進機構のことをお尋ねしたいのですが、1つは義務教育制度の補完として、この地域教育というか、そういったものがなるのでないかということで、地域教育における補充というお話をされたんですが、そのあたりをもう少し補足的にお話をいただきたいと思います。
 学びのポイントラリーというのには若干書いてあるのですが、どんなインセンティブを持たせて、特に学校教育とのかかわりで、どんな関連をしようとなさるのかというあたりをお願いしたいということ。
 それから、今、品川区が出されている問題やら、現在の子どものいわゆる学力とか、知力といったような問題の根幹に、実は義務教育修了、あるいは学年修了の段階の子どもたちの到達度の問題等があると思うんです。戦前の課程主義が、戦後年齢主義になった、このあたりのいきさつというか、そのあたりの検討はどの程度国としてされたのか、あるいは学者の中ではこのあたりについてどんな論議がされたのか。最後に履修主義、修得主義と特別支援教育のお話をされたので、そういうことと今後、密接にかかわってきそうな気がするものですから、そのあたりについてお教えいただけるとありがたいと思います。

委員
 これからの教育というのは、広い意味での人間力を育てていくということについては、かなり社会的なコンセンサスもあるのではないかと思います。つまり、狭い意味での学力はもちろんのことですけれども、社会に出て、自分がどのような市民になっていきたいか、そのために市民生活あるいは職業生活の基礎のようなことも学んでほしい、育てていきたいということがあろうかと思います。
 学校のほうでは、そういうことも視野に入れて、今、総合的な学習の時間でも、あるいはキャリア教育の導入ということでも、随分広げてきたとは思うのですけれども、もちろんこれは学校だけでできることではありません。それをもっと地域教育の活性化ということで、補完していきたいということがもともとあったわけです。ところが、今でもそういうものがないわけではなくて、地域によってはそれなりにやっているところもあります。10年前に比べれば、あのころ教育のスリム化と言われて、もっと地域でも受け皿をと。学校だけにすべて教育を任せるのではなくて、地域でもっと育てていこうという話はあったと思うのですが、残念ながら10年前にはあまりそれほどの教育プログラムが地域には充実していなかった。ここへきて随分事情が変わってきていると思うのです。そういう市民団体もかなりのパワーを持ってきました。そういうものがあるにはあるのですけれども、残念ながらあまり利用されない。特に小学校の高学年から中・高ぐらいがなかなか出てこないということがあります。それはどうしても部活で忙しいとか、塾があるとか、そういうこともありますし、また、本当はそういうことに出てきてほしい年齢なのですが、どうもインセンティブがなさ過ぎるのではないか。どれくらいのインセンティブが適切かということについては、非常に議論をしています。インセンティブが強過ぎると形骸化してしまって、それだけの目的、つまりポイント欲しさということで来るだけに終わってしまう。かといって、インセンティブが弱過ぎて、ただラジオ体操のようにスタンプを押してあげますというだけでは中・高生には弱いのではないかということで、ある程度ポイントをとった子どもに対しては、確かにとっているという認定証のようなものを出して、それは今、高校入試でも、例えば東京都などでやっています自己アピールという制度があります。自分の学習歴、活動歴などを自分でアピールできる。部活や生徒会活動と同じように、活動歴として評価される。しかし、義務ではないくらいのことが適当ではないかと思って、そういうインセンティブをつけて、主に小学校高学年から高校3年くらいまでのあまり出てこなくなってしまった時期の子どもたちに、こういうものに参加してほしいということです。
 あと学校教育との関係ですけれども、学校教育は先ほど申し上げましたように、随分射程を広げてはきたのですが、どうしても時間数の削減ということもありますし、学校教育だけではとてもできない。むしろ最近の教育改革の動きとしても、土曜日を休みにするということは、もっと地域で社会の大人と接するとか、学校では得にくいような経験をしてほしい―ボランティア活動なども含めてです―ということがねらいだと思いますので、それを高まってきた市民のいろいろな教育プログラムというところで実現させてほしい。
 同時に、学校教育では相当議論になるものがあります。英語教育を小学校に導入すること、それから習熟度別についてもかなり議論があります。反対意見もあります。そういうものは、ある程度地域での教育プログラムの中で、自治体が関与しながらやっていくという方向が考えられるのではないか。つまり、英語教育も課外授業として、小学校で導入していくという方向は私は大事だと思いますし、保護者によってはそういうものにモチベーションが高い方もいれば、必要ないと考えている方もいます。それに対して地域で多様なプログラムを用意しながら、そこで補完していってニーズに応じるということが、学校教育との関係として考えられるかと思っています。

委員
 難しい御質問で、うまく答えられるかどうかわかりませんが、1つは義務修了の類型ということにつきましては、私は1、2、3と三つの類型を指摘しておきました。しかし、一般に知られているのは、1と3しか知られていなくて、年数主義はほとんどの方々は意識にもございません。私、こんなのをどうしてここで引っ張り出したかといいますと、1960年代だったか、ユネスコが出している『ワールド・サーベイ・オブ・エデュケーション』という全4巻の翻訳をやったというのが1つと、もう1つはユネスコで若干、文部省からの派遣で仕事をさせていただいたということで、開発途上国で年数主義というような新しい、日本人にはほとんど意識されていないものが、ユネスコにきちんと報告されているということに基づいて、2のことをここでポイントアウトしたということです。それに新しい意味付与をしようというのがねらいでした。
 ところで、義務修了の類型が1から3になったその時点で、どんなディスカッションがなされたかという御質問でございますが、率直に言いまして、あまりそのことについてのディスカッションは、少なくとも教育学の世界ではなされていなかったのではなかろうか。あえて言えば、第1番目に、教育というのは強制ではなくて、援助だというようなことで、そのためには、ミニマム・エッセンシャルズの修得を強制するのはいかがなものか。これは一般論として言われたことと思います。
 第2番目ですが、ミニマム・エッセンシャルズ、かつての古い制度のミニマム・エッセンシャルズというのは、確かに学力や知力なのですが、プラスして修身に盛り込まれたような特定の価値観についてのミニマム・エッセンシャルズがあったということです。
 したがいまして、特定の価値観についてのミニマム・エッセンシャルズを義務修了の前提にするというのはいかがなものかということが1つの大きなポイントだったというふうに私は理解しております。だから、それと裏腹になるものとして、例えば義務教育の年限を延長するということ、つまり、中学校まで義務教育がフルタイムで延長されたのですけれども、これは必ずしもプラスではないというような言い方がなされました。この言い方は私は反対なのですが、なぜそんなことをするかというと、年限を延長しておいて、その延長した分だけそういった特定の価値観の注入、イン・ドクトリネーションを可能にするということだって考えられるのだと。
 それから、第3番目に、マキシマム・グロースというものの利点、メリットが強調され、それがやがてはマキシマム・グロースを通り越して、ゴール・フリー・エデュケーションというような言葉にまで発展していっている。そのようなことではなかろうか。
 いずれにせよ、いろいろなポイント、義務修了のパターンが変わっていくということについての研究の視点はあろうかと思いますが、率直に言いまして、あまりクリアな研究、あるいは主張が見られなかったのではなかろうか。ということになれば、今こそ私ども義務修了の類型についての、非常にはっきりした研究をしておく必要があるのではないかという気もいたします。

委員
 公立校の地盤沈下と早期受験の弊害のところで、私、幼児教育をやっていますが、受験がどんどん前倒しになっている現状はすごいものがあります。小学校受験はまだ経済的に負担が大きいので、急速には広がらないかと思いますけれども、私学志向は着々と進んでおります。私が園長を務めます幼稚園でも90%の子どもが小学校を受験します。
 私は一所懸命、共生社会だよとか、多様性を認め合う社会の中で子どもたちは生きていくんだということを主張しても、それはわかっても、自分の子どもを単層の中に入れ込むことに対しては安心感こそあれ、危惧感とか、不安感は全く持っていない。理念としてはわかるんだけれども、うちの子のことを考えるとそれはまた別というふうになる。そうすると、どうやったら家庭の意識を変えていくのか、子育ての意識を変えていくのかというのが大きな問題だと思うのです。この地域教育の中に、そういう家庭の意識を変えていくような効果とか、プログラムがあるのか、ちょっと教えてください。

委員
 家庭の意識、保護者の意識を直接働きかけによって変えることは、なかなか行政の立場からはしにくいのだと思います。また、どれだけ話したからといって効果があるかというのも私は疑問を持っています。もちろんそのような講座で、何がこれからの時代に教育として大切かというようなお話があることはいいと思いますが、それだけではなかなか効果がないだろう。
 私がここでこういう制度の導入によって考えているのは、いわゆるいい私立と言われているところに入らなくても、学習のためのリソースは社会の中にたくさんあるんだ、それをうまく利用すれば、いわゆる名門というような学校に行って、受験にも有利とか、あるいは学校には問題が起きないとか、そういう枠の中に入らなくても、かなりいい教育環境に接することはできるんだということをつくっていくことではないかと思います。
 例えば、中学校受験を考えてみますと、私も親や先生といろいろお話しすることがありますけれども、結局、公立学校だと不安だという方が多いです。公立の中学校だとすごくレベルが低いんじゃないですかとか、あるいはなかなか授業が成立しないところがあるんじゃないですか、私立に行けばきっとそういうことはありませんよねということが、率直な気持ちとして出てきますが、それはたとえ公立に入っても、もしレベルが高い授業を受けたいと思えば、地域に自治体がかなり責任を持って提供してくれるプログラムがあって、発展的な授業も受けられる。さらに、狭い意味での勉強だけに限らず、数学教室であったり、科学教室であったり、あるいは社会的ないろんな活動にも参加できるというような様々なリソースがとにかくあるので、私立に入れなかったら大変なことになるということは決してないんですよという環境をつくっていくということではないかと思っています。

委員
 地域教育による学校教育の補充・補完という考え方は、現実の教育行政をやっている中の流れとして、また違うのではないかという感想を持っております。というのは、どういうことかといいますと、先ほど子どもたちの現状分析の話がありましたが、それを是として、決定的なものとして物を考えるのだろうか。今、教育で一番言われていますのは、子どもたちを主役にすれば、子どもたちの人格形成に影響を与えるという場面は、家庭、学校、地域があります。そのいずれも、子どもたちに対する教育力が低下している。その低下した教育力をいかに高めていくかというのが、まさに現場で行われている教育改革の核心なわけです。そうすると、先ほどの現状分析、例えば子どもたちの現状を見ても、それが家庭教育の教育力の低下による部分がないのか否か、あるいは地域社会の教育力の低下による原因がないのか否か、その辺を考えていきませんと、現に今、子どもたちがそうだから、とりあえず対症療法的にやることは必要でしょうけれども、もっと深く義務教育の在り方云々と言った場合には、そうではないのではないかなという気がしてしようがないのです。
 というのは、現在、学校教育が子どもたちに対する教育のウエートが高いとしても、それは主役ではないわけです。家庭、学校、地域という3つの役割分担論の中で物を考えていくべきです。当然、家庭における教育力というのは、学校の教育とは違う質的面を持っている。あるいは、地域社会における教育力というのは、かつての地域コミュニティのことを考えれば、やはり学校教育における子どもたちに対する影響力が違っているはずだ。そういうところで、現在、既に中央教育審議会の生涯学習分科会の中でも、そういった意味での地域教育サポートネットの提言が既になされているわけです。現実の教育の現場ではその方向に行っておって、それはあくまでも補完・補充ではなくて、役割分担論からきている。当然、密接不可分な話です。でも、やはり役割分担論の中で、それぞれの教育力を持つ主体が主役として、子どもたちに影響力を及ぼす、こういう方向に、私は行っていると認識して、現実の教育行政はなされているわけです。その辺のところをどうお考えになられるのかお聞きしたいのですが。

委員
 補充・補完というような言い方をしたのは、修正させていただきたいと思います。むしろ教育ということから言えば、家庭教育、地域教育、そして学校教育、さらに民間教育ですね。こういうものがそれぞれの役割や責任を持って、子どもの教育環境を形づくっていくものであろう。その中で、それぞれのメリット、デメリット、あるいは長所短所、強いところ弱いところみたいなものがありまして、地域教育がそれなりの重要な役割を担うはずべきものであるのに、どうもこれまで十分活性化されてきたとは言えない。そして、どちらかといえば日本の教育の現状が学校教育にかなりおぶさった形で集約されてきた。それをもう少し地域もかかわっていけるようなものにしていきたいというのが、むしろ私の気持ちに近いと思います。
 ですから、学校教育の補充・補完といいますと、本来学校がやるべきことで、それがどうもうまくいっていないので、地域で補充しよう、補完しようとか、そういう発想ではなくて、むしろ積極的に例えば職業理解教育でありますとか、市民教育のようなもの、それが生涯教育の基礎ということでも、むしろ地域のほうで役割を担っていただきたいというのが近いです。

委員
 義務教育の役割論ということで、いろいろと御示唆に富んだお話だったと思うのですが、中卒ということをどういうふうに考えるのか。今さら何だという話かもしれませんが、昨今で言いますと、民間企業の中でも、個々人に求める能力の広がりというのがあって、最近は成果主義なんていう言葉もだいぶ一般化しておりますけれども、1つ大きな現象として、年齢基準からの脱却といいますか、そういうものから離れてきているというのが、いわゆる社会全体、あるいは企業で見られる現象でございます。かつては日本は、中卒とか、高卒とか、大卒という区分で、いわば企業の中でも役割を分けておったわけですけれども、それは少なくともここ10年ぐらいの間に、そういうものがどんどんなくなってきて、今や履歴の欄に中卒と書くようなところはないと思います。
 1つ、お伺いしたいのは、中卒ということで―義務教育というのはナショナルミニマムという役割であろうということになりますと、中学を卒業して社会人として企業に入ったり、あるいはそうでなくても、個人としていろんな職を身に付けてやっていくということをイメージするのかどうかということですね。かつては私の年代ですと、中卒で社会に出ていく人はかなりの数いたわけですね。しかし、最近はほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。
 社会の側が中学卒に求めるものといいますか、そこは非常に重要なのではないか。そこのところをどのようにイメージされておられるのかというのは、ぜひ御意見を伺いたいと思うのです。私個人としては、多様化ということを考えるのであれば、少なくとも学校へ行くということで言うと、中学を卒業して、あとはいわゆる普通の学校に行かなくて、社会に出るというパターンが今後も存在してもいいのではないか。もう一度そこに視点を当てるというか。今はたぶん高卒が当たり前。例えば私どもの連合の中の日教組は、高校全入社会だと。高校へ行くのが当たり前といいますか、そういう社会になったので、それを前提に考えていこうではないかというふうな御主張ですが、私はちょっとそこは違う考えを持っているものですから、その辺についてどのようにお考えなのか伺わせていただければと思います。

委員
 まず中卒と義務教育修了ということが事実上イコールに、制度上考えられてしまっているということは、1つの問題ではなかろうかと思います。中卒というのは、中学校の課程を修了したことでございますが、しかし、義務教育の修了というのは、15年間、小学校が終わったら中学校に就学すればいいのであって、中学校を修了しなくても15年間在学等々していれば、それで義務教育は修了する。義務教育修了と中学校卒業、つまり、中学校の課程の修了は、制度的に違いがあるのだということをはっきりしておく必要があるのかなと。このあたりがあいまいで、中卒イコール義務教育修了というように、イコールで考えられてしまっている点が、1つ、制度論的には問題なのかなと。間違っているかもしれません。
 もう1つは、中学校からすぐに高校全入社会を前提して云々ということですね。これにつきましては、やや飛びはねた考え方かもしれませんが、必ずしも中卒と高等学校へのストレートの結びつきということを考えずに、いわゆるストップアウト、こういったものを柔軟に取り入れていくということも、今後、非常に必要なのではなかろうか。ちょっとお答えになりませんけれども、そんなことを私自身は考えております。

委員
 今の履修主義、修得主義についてお尋ねします。特に修得主義との関係で、特別支援教育の話をやられましたが、何となく今の学校は、確かに言われたように年数主義だし、あるいは年齢主義になっています。しかし、それを特別支援教育あたりでは、別に年齢にこだわるということをしないわけです。そうしますと、例えば義務教育段階においては、特別支援を必要とする子どもたちも原則として同じ学校で教育をするというようなことから切り口を持っていって、今の修得主義の関係をつくり上げていけないかどうかというような問題が1つです。
 義務教育におけるやわらかい構造を、それは年齢的なものだけではなくて、内容としてもいいのではないかという気がするのですが、どうでしょうか。
 もう1つは、年限の延長というところを言われれています。先ほどもございましたけれども、生涯学習とか、あるいは知識社会というような状況の中で、一定程度国としても、あるいは個人としても、そのような知識社会へのコメントが必要だと思います。そういう意味では、修業年限が何らかの形で延長されて、保障されていくということは大事なことではないかと思いますが、これはどうでしょうか。
 それから、その解決策として、私立学校の選抜制度の改革ということがありますね。私はこの選抜制度は、単に私立だけではなくて、公立もあるし、特に高等学校の選抜が中学段階の教育を曲げているような気がするのです、公立の場合も。そうであれば、私立とか、公立とか言わずに、接続の問題で抜本的に入試制度を含めて選抜制度を変えていくということがあってもいいのではないかという気がしますが、どうでしょうか。

委員
 1番目の特別支援教育絡みでございますが、先生のおっしゃったとおりで、中身はずれていないような気がいたします。当然、インテグレーションとか、インクルージョン、こういったことを大前提にした上で、私が申し上げたいのは、やはりミニマム・エッセンシャルズの個別化、一人一人に見合ったようなプログラムをどういうふうに提供するかということをきめ細かく行っていく。このことが重要だ。したがって、マキシマム・グロースということだけで考えるということではなくてミニマム・エッセンシャルズの個別化が、まさに特別のニーズに合った教育の提供だと考えております。
 もう1つ、義務教育の年限の延長でございますが、これは私はパートタイムとフルタイムを重ね合わせて、歴史的な流れを類型化して説明しましたけれども、そこで申し上げたかったのは、まさに義務教育を年限の延長をするにしても、それはフルタイムの教育をそこにセットするということだけにこだわらずに、その他様々な学習のスタイルがあっていいのではなかろうか、そういうことを申し上げたかったわけでございます。
 古い話で申しわけございませんが、例えばある開発途上国で義務教育制度を導入したという場合に、導入してもそこのところで、子どもたちはフルタイムの学校におさまりますけれども、それからあふれてしまう成人といいますか、大人はたくさんいる。そういった方々に対してはまさにパートタイム、当時の言葉でいえば社会教育の義務化をそこにセットして、その社会教育の義務化というのは、リテラシーをいかに克服するかということであって、社会教育の義務化のところでは、実はミニマム・エッセンシャルズがとられた。そして、それはどれだけ字が書けるようになったか、読めるようになったかということが、成人の義務完了の1つの印だった。今はもちろん廃止されておりますけれども。
 私の言いたいことは、繰り返しますけれども、延長していくという場合に、それはフルタイムで対応するということだけは考えていないのであって、その他様々な学習のスタイルがあっていいのではないか。それはまさしく生涯学習体系への移行というのは、そのことを意味するのではないかということでございます。
 入学選抜の方法については、私自身が個人的に考えている、緩やかな大原則みたいなことがあります。
 1つは、入試そのものが、中学入試も、高校入試も、大学入試も含めて、全体的には緩くなっていく傾向にあるだろう。しかも、あるべきだろう。入試の段階で厳しい選抜をして、入ったら中ではあまりしっかりやってなくても出られるというものではなくて、入試自体は緩くなっていくけれども、そのかわり中でしっかり履修していく、修得していくという方向にあるべきだろうということです。
 それから、年齢に関してですけれども、学年が上がるにつれて、それでもだんだん入試は厳しくなるものだろうと思います。つまり、大学院入試というのは、それなりに厳しいわけです。大学入試はそれに次いで厳しいでしょうし、高校入試というのはそれにつれて厳しいというか、だんだん緩くなる。
 問題は中学校の入試ということになると思いますけれども、中学校の入試は、学力によってあまり厳しい選抜をするということには賛成していません。これは公立、国立、私立を問わずです。ですから、高校入試がかなり弊害だということで、中学の勉強を圧迫するというようなことで言われたわけですけれども、逆に高校入試をやめてしまったらどうなるか。中高一貫のところで中学入試というのが厳しくなって、受験の早期化が起きる。そのことのほうが問題だろうと思っていますし、上に上がるにつれてだんだん厳しい試験を、自分の意思でクリアしていくということのほうがよろしいのではないかと思っています。
 あとは技術的な問題として、高校入試がかなり偏った出題なのであれば、それはもっとより適切なものに変えていくということはあると思いますが、高校入試がよくないからといって、では中高一貫にしましょう、そして中学入試を厳しくという形になってしまうのは、私はむしろ賛成いたしません。

委員
 私は非常に不思議に思っていることが1つあるのです。前に申し上げたかもしれませんが、ここ8年程、年間600人、アメリカの小・中・高の先生方に来ていただいております。200人、200人、200人と3回に分けて来ていただいておりますが、これで8年目ですから約5,000人来られております。私、その先生方と毎回対話をしております。
 その先生方には日本各地に散っていただいて、ホームステイしていただいて、小学校、中学校、高等学校も見ていただくのですが、彼らの共通の感想は、日本の小学生はすばらしい、ものすごくライブリーで、大変クリエイティブだ。ところが、中学生になるとどうしてあんなに変わっちゃうんだというものです。アメリカではどうだと聞いてみますと、アメリカでは、多少思春期の問題はあるけれども、あれほど変わらないと言うんです。結局、何でそうなるかというと、先ほどから議論が出ています成長の問題もあるのでしょうけれども、やはり社会のシステムのせいだと思っております。中学校へ入る前の小学生に聞いてみると、勉強が大変だと思っている。それだけ社会のプレッシャーが働いているということですね。
 また、日本の社会構造そのものが、やはり大学を出てないとだめなんですね。そこに最大の問題があるので、社会全体で考えていかないとだめなのではないかと思います。
 先ほど、小学校5、6年に、最上級生の自覚みたいなものができていないのではないかという話がありました。東京の中学校を随分見ましたが、生徒はほとんどが白けちゃっている。ところが、五ケ瀬の子どもたちは全然白けてないのです。本当にみんな生き生きして、中学2、3年になると、高校3年もいるのですが、2、3年が1年生を徹底的に面倒見ているということで、全体のシステムの問題ではないかと思います。

(2)事務局より、今後の日程について説明の後、閉会。

お問合せ先

初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室

(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

-- 登録:平成21年以前 --