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初等中等教育分科会(第18回)・教育行財政部会(第18回)合同会議 議事録

1.日時

平成16年2月10日(火曜日) 14時~16時

2.場所

文部科学省仮庁舎 10階 10F1会議室

3.議題

  1. 中央教育審議会中間報告「今後の学校の管理運営の在り方について」について
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居会長、木村分科会長、國分副分科会長、小栗委員、田村委員、渡久山委員、横山委員
(臨時委員)
 今井委員、岡本委員、小野委員、河邉委員、高倉委員、永井委員、西嶋委員、西村委員、野村委員、船津委員、宮崎委員

文部科学省

 樋口初等中等教育局担当審議官、金森初等中等教育局担当審議官、辰野初等中等教育企画課長、森初等中等教育企画課企画官、塩見教育制度改革室長、大槻教育課程課長、月岡教育課程研究センター長、その他関係官

5.議事録

午後2時 開会

(○=委員、●=事務局)

(1)事務局より資料1~5に関する説明があり、質疑が行われた。

委員
 1つはヒアリングをお受けして、いろいろな御意見を聞かせていただいたのですが、今、公教育に対する幾つかの批判がありますね。それをどう解決するかということに対しては、いま一度もっと踏み込んだ取組なり発言が欲しいなという気がしたのです。
 しかし、ヒアリングを受けた団体がほとんど中央団体ですからね。そうすると、地域とか、1つずつの学校の実情とか、そういうことが十分に出ないということがあるのですけれども、今、学校で一番必要なのは、子どもたちが本当にわかる授業を受けているのか、あるいは本当に学校が地域に開かれていて、地域の皆さんと学校のコミュニケーションがうまくいっているか。ヒアリングのときには、学校の情報がうまく公開されているかという話もございましたけれども、これが非常に不足しているのではないか。日本の公教育が極めて画一的だと言われるのは、逆に地域のバラエティーがほとんどない。逆にほとんど全国どの学校でも同じことをやっている。もちろん、「確かな学力」と言われる、いわゆる読み書きの問題、算数の問題、基礎・基本については、1つの標準あるいは水準があって、当たり前なのですけれども、そうでない部分についても、何かそうなっているということで、ヒアリングを受けた関係から、私は非常にそれを感じました。
 そういう意味では、今の評議員制度を強化・発展させるという方向性もありますけれども、ここにありますように、校長の求めに応じて例えば学校運営や、あるいは学校に意見を言うのですから、選ばれている人も、あるいは意見を言う人も、校長の味方ではないけれども、校長をサポートすることになっているのですね。だからこそ逆に、地域性がない。あるいは、学校運営について全般的な判断ができない。
 ということからいうと、これは学校運営協議会という形に発展をさせて、その中で、地域のニーズというよりは、地域に密着した学校づくり、開かれた学校づくりをしていくという意味では、このように思い切って前進させてみたらどうだろうかというのが意見です。ただ、これは教育委員会、あるいは設置者が決めた学校にしか、これはできませんよという話になっていますけれども、文部科学省でも実験校なり、実験エリアなりをつくって、積極的にこれを進めていかなければ、今の日本の学校は何かしりすぼみになって、学校自身が楽しい教育機関でなくなっていく。子どもたちがスポイルされていくということがあるような気がして、非常に危機的なものを感じますので、これを生かしていただきたいなと思っています。

委員
 私はこれまで述べてきた意見の中で、学校評議員制度がうまく機能しているところもあるけれども、多くは形骸化しているのではないかと言ってきました。そのこととかかわることですが、学校運営協議会の場合、学校評議員制度の延長線上にあるようなものでは問題だと思うのです。今日は学校評議員と学校運営協議会の違いについて、だいぶはっきりしてきました。
 ただ、その中で、学校評議員制度に比べて、学校運営協議会は非常に権限を持つということから、そのメンバーの地域住民や保護者の選び方が問題になってくると思います。権限があるということは、責任も伴うわけです。どんな形の中で選ばれた人が権限を発揮し、そして責任をとるのかが問題になります。責任をとらされるなら、そういうものに選ばれることは御免だという人も出てくるかと思います。学校評議員と学校運営協議会との違いは明確になりましたけれども、権限と責任制との関係はどうなっているのかが明らかにされなくてはなりません。
 もう1つは、校長の力量の問題です。これまで地域住民と保護者の選出の仕方についての心配を述べてきたのですけれども、次は校長の問題です。校長はこれまでも学力保障の問題、子どもがわかる授業をして、子どもの可能性が開かれていくような教育、学力が保障されて、人間性についての教育を追求してきたわけです。さて、この新しい地域運営学校の場合は、校長が地域住民や保護者の意思をどのように反映させるかということが問題です。これまでにはあまりなされてこなかった面がある。本当は民主的な教育ですから、なされてきたはずですけれども、なされてこなかった。新しい学校運営でも地域住民や保護者の意思を組織化して、学校運営で実践をするためのトレーニングが、校長の中にできていないのではないかという心配があるわけです。
 ですから、校長を選んで、その校長をどのようにしてトレーニングしていくのか。そして、地域住民や保護者の意思を反映しながら、学力保障して、学校運営をやっていく、校長としての資質を高めていくという、もう1つポイントが要るのではないかと思うのです。
 これまでは地域住民と保護者論だけが出てきて、校長論があまり出てきていなかったのではないか。校長の権限が非常に強くなるということは、裏返せば校長としての資質能力がトレーニングされていなくてはなりません。そういう力を持った人でないと、政治的な介入をされるという、心配がヒアリングの意見の中にありますが、それに教育的に対応することができません。それに教育的に対応することができません。そういうことが1つ心配としてあります。

委員
 イギリスの学校理事会のことで、どこまでわかるか、もしわかったら教えていただきたいのですが、資料4の一番最後、4ページに、理事会、校長、地方行政当局との関係というペーパーがありますが、そのうちの「1」の「校長との関係」の2つ目の「○」で、「校長の固有の権能については、理事会がこれを取り上げることはできない」と書いてあります。ところが、一番最初のほうを見ますと、学校理事会というのは、学校の管理運営、まあ、教育課程だったり、人事だったり、予算だったり、それについては、いわば決定権を持っているという前提を置くと、「権能を取り上げることができない」というのは、どういうことであるのか。
 ある事項については、そうは言っても、校長さんが決めたら、それが最後であるということであるのか。それともそうではなくて、例えば卒業証書の授与というのは、通常、校長さんがやるわけですね。しかし、そういうことを理事会の名においてできないという、いわば代理的なことができないという意味なのか。その辺、なかなか実態はわからないと思うのですが、学校運営協議会の権限の与え方いかんによっては、微妙にその辺が影響を持ってきやせぬかと思うものですから、ちょっと伺いたいと思います。

事務局
 私のほうで理解しているところは、3ページに「管理運営における校長と学校理事会の役割」とございますけれども、例えば教育課程についていえば、校長がその法令等、学校の方針の枠内で教育課程を編成し、そして実施をしていくことになっておりますので、例えばこういった権限については、学校理事会が代わって学校の教育課程を編成して、結局、授業時間割をどうするかとか、そういったことを理事会が代わってやることはできないということで、校長の権限とされていることについては、校長の名において実施して、理事会がいわば代位してとって代わってやるということはできないということではないかと理解しております。
 実際、卒業証書をどちらの名で出すか、イギリスでどちらで出すかということは、私もわかりませんけれども、これを日本に引き替えて考えれば、日本の法令等におきましては、卒業を認めて、卒業証書を出すというのは校長の権限になっておりますので、公立学校におきましても、教育委員会の名において出すということではなくて、学校において校長が卒業認定を行って、卒業証書を出すということになっております。現在考えております学校運営協議会等におきましても、学校教育法等の規定におきまして、校長の権限とされている事項については、校長が行うことに変わりはないのかなと考えているところでございます。

委員
 ちょっとわからないところがあるのですけれども、例えば教育課程の実施を校長の名において行う。つまり、学校理事会の名において行うのではなくて、校長の名において行う。それは一種の名義人だと思うのです。先ほど言った卒業証書についても、名義人の話を言っているので。ただ、こういう教育課程を実施せよということを学校理事会が決めたときに、現実に実施するのは校長ではあっても、校長の名においてやっているわけですよね、名においては。ただ、実質空っぽになっているわけですね、権限としては。もし指示に従うとすれば。その辺をどのように理解したらいいのか。ちょっとイギリスのケースでは、そこまでなかなかわからないかもしれませんけれども、どうかなという疑問を持ったものですから。

事務局
 教育課程の編成に関しましても、理事会では大枠なり、方針の決定ということになっておりますので、方針を決定してくのであろう。具体の実際の日々の授業の時間割をどうするのかということは、学校が決めて、日々の教職員の監督・指導等は校長が行っていくとうことであって、理事会が代わって高校の教職員を指導・監督することではないという関係に立つと理解しております。

委員
 その辺が運用上の配慮であるのか、制度的な歯どめがあるのかということによっても、随分変わってくると思うのですが。

委員
 結局、今のことに帰着されるのですけれども、校長の権限が、先ほど学校教育法に沿ったものであるということになれば、学校運営協議会は何らなすすべがないわけですよね。承認と決定と関与、その言葉が未定義で使われているところが、よくわからない部分なのですね。これはすべて学校運営協議会が校長の方向性を支持している場合には、それでいいですよという承認で、学校は動いていくと思うのですが、なかなかそうとばかりとは限らない。これは承認いたしませんというケースの場合には、校長の学校教育法の権限というのは行使できないのでしょうか。

事務局
 その辺については、私の理解は、校長が行使できないとうことではなくて、それは最終的に校長が決めないといけないわけですが、学校運営協議会が置かれている学校におきましては、それを決めるに当たっては、学校運営協議会の意見を聞いて、その承認を得るという手続を経て、校長は策定をするということになると理解しております。

委員
 ですから、それは校長と学校運営協議会が同じ方向性を向いていて、そういう形なら承認しますよといえば、私のほうは決定しますよと。そういう関係ならば、いいのです。当然、意見がぶつかることもありますし、これは承認できませんということがなければ、承認するということ自体が意味がないわけですよね。校長がやっていることをすべて承認するというだけの機関であるならば、承認ということ自体が意味がなくなるわけで。承認をするということは、承認できないということも当然あるということが前提になっていると思うのですが、それは校長を縛ることにはならないのですか、権限として。

事務局
 それは権限を縛るということより、そもそもこの学校運営協議会を置いて、学校運営の改善を図ろうという趣旨は、設置者たる教育委員会が、学校等におきまして校長の意見を聞きながらだろうと思いますけれども、地域の意見を聞きながらだろうと思いますけれども、地域でありますとか、保護者の意見を学校運営に取り入れていこうということで置いているわけでございますので、そこは承認がされなければ決定できないわけでございますので、決定できるように十分に協議をして、その学校運営協議会で一定の方針を出すという、そのために置かれるものではないかと理解しておりまして、もともと対立をして、それをどうするのかということではないと思います。
 最終的には、運営協議会で方針なりを決めて、そのもとに日々の運営を校長が考えていく。そういう学校なのだろう、この地域運営学校というのは。そういうことで構想されているものだと理解しています。

委員
 学校運営協議会を設置する学校は、1つの公共団体の中でチョイスされるのでしょうか。というのは、例えばこの学校は設置する、この学校は設置しない。それが中高一貫教育とタイアップしたときに、1つの公共団体の中で、その学校とそれ以外の学校、要するに民主的な学校と民主的じゃないという言い方かもしれませんけれども、その違いというのが選択肢を広げるという積極的な前向きな考え方をとることももちろんできるのですけれども、逆にそうではない、否定的なネガティブな考え方をすることも、もしかしたらできるのではないかという考えを持つのですけれども、やはり設置は公共団体に任されるということになるのでしょうか。

事務局
 その辺は、これまでの御議論でも基本的には設置者で判断すべきではないか。というのも、1つは新しい試みであるということもございますし、地域においてそういった学校運営に参画をしていくような、ある意味人材といいますか、そういった人々が支えられる地域であるかどうか。そういった面を教育委員会なりが判断をして考えていくべきものではないかという理解だったかと思います。
 他方、ある教育委員会が域内の学校全部に置きたいということであれば、全部に置くことも可能という仕組みで、今は考えられているものではございます。

委員
 イギリスの自主的学校運営の仕組みですけれども、私は5~6回取材調査に出かけたという記憶の中で、かすかな記憶の中で申し上げるのですが、たしかイギリスのシステムは、ナショナルカリキュラムがバックグラウンドにあり、あわせてナショナルテストがあって、そのテストがすべての小学校、中等学校について、学校ごとに公表されるというシステムがあり、それから準政府機関によるインスペクションが行われというような枠組みの中で、この自主的学校運営、そしてそれを担う主体が学校理事会というスタイルになっているのだと思います。
 そうなってくると、これをもし仮に部分的に導入するということになれば、国と都道府県、市町村、学校との関係、整合性をきちんと交通整理しておかないといけないのではないか。その場合に、今ある普通の学校はこれこれこういうぐあいになっていて、新しくできる地域運営学校はこうなっているという整理をきちんと果たした上でやっておかないと、何だかどこかに風穴があいたにすぎないということにならないかという気がするのです。

委員
 確かに英国はこの学校理事会制度だけを見ていてはだめなのですよね。その背後に、今おっしゃったような大変なことをやっていますので、それと込みで考えていかなければいけないということはあるのですね。

委員
 言ってみれば、中央統制部分と学校の自主的裁量権がゆだねられる部分とのバランスが非常によくできていると思うのです。

委員
 今おっしゃった、学校ごとに全部成績を出してしまいますから、そうすると、学校に格差がものすごくついてくるわけですね。それを親がそうでないようにするにはどうしたらいいかということでできたシステムなのですね、これは。

事務局
 イギリスの学校理事会を引き写しているわけではないのですが、若干補足して御説明いたしますと、イギリスの学校理事会制度そのものは、法令上あらわれたのは1944年の法律からあらわれていたわけでございますが、当初はすべての学校にもなくて、パラパラとあって、その権限というのも必ずしも明確ではなかったけれども、そういった形で学校ごとに理事会組織というガバニングボディーを置いていくという趣旨で始まったものでございます。それが1980年代に入りまして、今、おっしゃいましたように、学校における自律的な学校運営を広げるということで、一方で中央集権といいますか、政府の力を強めると同時に、学校現場への権限の移譲という2つの方向に力が働く中で、学校理事会がより権限が大きくなり、また責任も重くなってきたということもございます。
 当初のスタートにおきましては、ある意味、地方教育当局が大部分の委員の任命をしていてというようなことで、それぞれの学校におきます1つの管理組織として行われていたのが、だんだん権限が強まってきて、また、任命の仕方も変わってきたという歴史をたどっているようでございます。

委員
 学校運営協議会というか、地域運営学校を設置するということは、学校選択の一つとして導入しようということなので、その基本的な枠組みの中で、学校運営協議会をつくることについては、私もその方向性はいいのではないかと思うのですが、学校全体のかさ上げをすることがやはり求められているわけですので、先ほど来、学校評議員制度が形骸化したというような御意見があったりしているのですが、まだ十分に機能を現在しつつある。まだ設置をしていないような県もあるわけですね。したがって、まずは地域運営学校をつくるということもそうなのですけれども、学校評議員制度の強化というのですか、そういうものをこの中には盛り込んで、さらに地域運営学校があるのだというような、最終答申の中ではそういったようなところも入れていただきたいという気がしています。
 特に学校教育法施行規則では、学校評議員を「置くことができる」という、できる規定ですから、「置くこととする」というような形をとるべきではないか。全体をかさ上げしていくのがまず必要だと思います。しかも、学校評議員制度の中には、評価委員会がありまして、その評価委員会が機能しているのです。
 さらに、設置権者が委嘱をする形をとっているのですが、これがきちんと機能しているところと形骸化しているところがある。例えば東京などは、学校評議員の方々を一堂に会して、その会を実施するというような動きをして、全体的に都の動きを見てもらうということなどもされているわけです。そうした具体的な構造をつくっていかないと評議員制度は形骸化していく。そういったもの、プラス学校運営協議会ということになっていくのかなという気がしております。
 それから、運営協議会の中で、校長と協議会の権限についてあれこれあると思うのですが、これはこれから検討しなければいけないのですが、一番問題になるのは、人事をどうするかということが、これまでずっと議論されてきたような気がしておりまして、教職員人事への関与がどうも見えにくいのですね。この仕組みをきちんと検討する必要性があるのではないかと思いながら、先生方のお話を伺っておりました。

委員
 人事の問題に関しては、先ほどの学校評議員制度と学校運営協議会制度の違い等に、ヒアリング、その他でかなり疑義が出されましたし、御質問もありました。また、今出されました人事への関与の問題が、たぶん最も関心が強いところだと思います。これはたぶん法律を整える段階で、ある程度は明記されなければいけないことだという印象を持っておりまして、事務局でも若干そのような準備はされているようであります。

委員
 既に御議論が済んでいることであるとも思いますし、大変プリミティブな質問で申しわけこざいませんが、よろしくお願いいたします。
 資料3の一番右の上のところですが、学校運営協議会について4行ほど書いてある。これを見ますと、質問が次の点ですが、校長の役割というのは2つの役割を果たしているのかどうか。つまり、校長は合議制機関の一員としての役割と、もう1つは設置者管理主義の原則に基づいた学校運営の最終責任者としての役割、その2つの役割を同時に果たすべき―どういうふうに果たすかは別としまして―存在として校長が位置づけられていると理解していいのかどうかということです。お教えいただければと思います。

事務局
 学校運営協議会に校長がメンバーとして入るということになりますれば、それはおっしゃったとおり2つの機能を持っているということになろうかと思っています。それはあたかも大学におきます管理機関におきまして、学長であり、また学長がいろいろな管理組織の委員になっているという形もございますけれども、その1つの組織体の中にいわば校長として入って、合議にも参加し、協議した事項に基づいて、日々仕事を行っていくという2つの役割をする。通常の校長に加えて、合議体としての構成員の一員としての役割が加わるということだろうと理解しております。

委員
 この問題は、中間報告の段階でも相当意見を申し上げさせていただいたのですが、あくまでも学校運営連絡協議会というのは、従来の閉鎖的な学校運営を開かれた学校、つまり、地域の方々の意見を反映した学校運営の1つの形態の在り方として、これは提言をされているわけですね。
 したがって、学校運営連絡協議会という仕組みを導入するとしても、今、御議論があったようないろいろな懸念があると思います。ただ、これは懸念というのは、それぞれの地方公共団体の実際の設置者の実態が違うがゆえの懸念であって、例えば校長を委員に入れるというのは、私は絶対反対です。中間報告の段階でも、報告の段階では、設置者の裁量が入ったものの言い方をしているわけですね。あくまでも校長というのは、委員として入れる場合も考えられると。したがって、学校運営連絡協議会というのは、あくまでも地域の開かれた学校づくりの一環としての仕組みづくりですから。その仕組みをどう構築するかというのは、ある一定の規制は必要でしょうが、あくまでもこれは画一的なものではなくて、個々の地方自治体の状況に応じて、地方自治体のかなりの裁量が入る形で仕組みづくりがされるという形に是非してほしいと思っております。

委員
 資料5の中ほどの活用状況のところで、平成14年度、1万7,650人、外部の人材を特別非常勤講師として採用したという実績がありますが、これについて年次的な傾向はどうなっていますか。わかりますか。かなり増えているのでしょうか。

事務局
 資料5の3ページを御覧いただきたいと思いますけれども、特別非常勤講師制度の件数の推移ということで、平成元年からございますけれども、このように、この10年間でかなり増えているということがございます。これは地域のいろいろな人材の活用ということもございますし、あるいはこのほか、道徳教育におきまして、いわゆる心の先生という形で、地域の人材の活用も進んでいるということ等も反映しているかと考えています。

委員
 ありがとうございました。かなりのピッチで増えていることは増えていますね。

委員
 今の資料5の問題とも関係するわけですけれども、結局、このようにして外部からの人材というか、皆さんを学校教育の中に協力してもらうということをしていく場合も、地域と密着していないとなかなかできないのです。これは非常に大事なのですね。ですから、今の評議員制度も私は悪いとは言わないので、それもいいのですけれども、これがやはり5割からちょっとしか出ていない現状があるのですね。それは何かというと、不十分なところがあるからだと思うのです。
 しかし、そういう意味では、資料5にありますように、いろいろな皆さんに学校に多く協力してもらったりしていく場合には、こういう評議員制度、あるいは学校運営に対して、もっと地域がきちんとかんでいることが必要だと思うのです。これが日本の学校では非常に少ない。それは学校そのものも地域に開かないというか、なかなか開きにくいものがあるしね。特に中学校がひどいのではないかなと。そんなことを言っては悪いけれども。ほかの学校もそうかしれませんが。そういう気がしてならないのです。
 何故かというと、高校受験というのがありまして、特に最近は高校入試に内申書というものがあって、この評価が非常に関係してくるということもあるのかもしれませんが、日本の学校を子どもたちにとって生き生きした学校にするように活性化していく、あるいは子どもたちが本当に喜んで行ける学校づくりのためには、外部の皆さん方に協力をしてもらう。そして、外部からも運営や経営にもいろいろな話をしてもらう。そして、校長の権限は校長の権限としてきちんとあるわけですよね。校長の権限と今の協議会の権限が違うところがいいところなのですね。同じなら何にも意味がないですよ。校長に呼ばれたイエスマンばかり集めたのではね。違うところに民主主義の非常にいいところがあるので。そこでいろいろ話をすることによって、本当にこの学校はどうあるべきかということを見つけていくという意味で、ここが日本の学校では非常に不足していた部分だと思います。そういう意味では、積極的にそういう面で進めることが大事ではないかという気がしているのですが、いかがでしょうか。

委員
 これと直接的ではないのですが、中学校の校長先生、あるいは小学校の校長先生の現状を見ますと、こういった協議会制度のほうに移行していくには相当な訓練が要るだろうという、先ほどの委員の方の御意見と同じなのですが。大体、中学校の教師の考え方は、教科主義ですね。自分は社会科の教師であるとか、国語の教師であると。免許状も教科の免許になっておりますので、非常に教科を中心とした考え方で、すべてを回そうとするような体質がもともとあるわけで、校長先生もその教諭のステップアップしたものであるという意識で、私は思っているんです。
 例えば、中学校で音楽の教科を担任している先生が、自分が学級担任になったとき、時間数からいえば1時間というような状況ですね。それが総合学習と選択と合わせますと5時間ぐらいです。あと道徳、特活を入れて約7時間ぐらい自分のクラスを指導するわけですが、教科は1時間です。そういった中で、先生たちの意識が教科を中心としたことで、あとは雑務といいますか、非常に負担感を持つというような体質がもともとあるということで、私は免許状を変えないとだめではないか。義務制ぐらいの免許にしてしまわないと、中学校の教師の場合は教科担任主義ということが非常に大きなウエートを占めていて、すべてはそこから発して、その枠内でとらえがちなのです。ですから、今までの免許では当然だろうと思うのですが、20何歳で初任者になったときから、教科の教員です。そして、あまりほかのところを勉強しにくい。これは極端な例で申し上げておりますが、今の教育改革の中では、それは随分変革してきているし、意識も変わってきておりますが、もともとそういう体質にあるということで、校長先生も相当レッスンといいますか、訓練、鍛錬が要るだろうという気がしております。
 そして、基本的には閉鎖性を突破する新しいスクールの在り方ということでも入れない限り、なかなか現状を打破することはできない。特に子どもに生き生きとした学力といったときに、生徒の個々の興味・関心を育てるということで、教課審でもそれを随分言ってきているし、必修教科の拡大においてもそれを言ってきているのですけれども、どうもそちらのほうはおろそかにされて、習熟度別だけに目が向きがちだ。中学校では特に受験を控えた学校の性格上、そういうことが強いという意味で、やはり「確かな学力」を子どもが身に付けるといったときの大きなバックグラウンドとしても、方向性としてはそういうものが要るだろうと思いますが、校長先生の役割、あるいは権限、それから働きといったようなものについては、相当勉強しないといけないのではないかという気がしております。

委員
 今の御意見と同じような考え方ですが、この変革というのは、要するに現場がやりやすく、いろいろとやろうということで、校長先生の権限ももっとうんと広げようというのが、考え方の基本にあるわけですね。そのことについて、ただ広げたのでは心配だから評議員制度を設けた。さらに今度は、運営協議会みたいなものを設けて、校長さんがやりやすいようにしようではないかというのが、この制度の基本なのですね。ですから、やりやすくするために権限を拡大した。それはだけど、困るというふうに考えられちゃうと、生きなくなってしまうんですね。よしチャンスだと。変革を、よしチャンスだととらえてやる人か、あるいは面倒くさくて嫌だなと。やるけど、じゃ決めてくれと、こういうような対応をするか。これによってこの制度の生き方が全然違うのですね。
 基本的には、現場がやりやすいようにするために、権限を広げようと。だけど、権限を広げただけでは心配だから、評議員制度を設けたり、運営協議会を設けて、校長さんが広がった権限を行使できるように、相談する人を仕組みとしてつくろうやという考え方なのですね。だから、意見が違ったときにどうするかというのは、それこそまさに議論をする、そしてよりよいものができるというチャンスなのですから。そのことを心配したら、こういう制度自身ができなくなってしまうのですね。そういう考え方でいけば、私は大きな問題はないのではないかと率直に思っているのです。
 だから、現場の先生方の、つまり意識改革というのでしょうか、今度は変わるのだからという気持ちをまず最初に持たないと、変えても実際上、評議員制度でも今全然採用していない県もあるというふうにお聞きしていますが、そういう意味では、姿勢によって随分変わってくることはあるかなと思いますけれども。そんな印象を持っています。

委員
 校長がやりやすいようにということの御意見で、全くそのとおりだなと思っているのですが、また、一校長として、本当にできるかと言われると、しんどいなという思いがあります。学校風土、あるいは教育風土というのは、非常に保守的だという思いをいつも持っておりますし、どっぷりとそのように浸り込んでいる現在、新たなこういう制度ができることについて、うちの学校にはそういうことはないよ、持ってこられないよという思いも、多くの校長にはあるのではないかという思いをしております。
 しかしながら、新たな学校制度の仕組みに変えていくということにおいては、この中間まとめを私自身は積極的に評価したいと思っております。そういう意味においては、様々な困難なことがあろうかと思いますけれども、それはやりながら克服していくべき問題ではないかという思いをいたしております。
 1つ、先ほど学校運営協議会を設置することについて、学校評議員制度が沈滞しているというか、機能していないということがあるのでという部分がありましたけれども、なぜ学校評議員制度が機能していないのかという原因を、改めて追及する必要があるのだろうと思いますし、学校評議員制度が充実しているところもあろうかと思いますので、そういうモデルも含めて新たに出していく必要があるのかなという思いがしております。
 本校の場合も十分に機能しているとは言えないわけでありますけれども、ただ、ある意味では、学校評議員になっていただいている方が、いかに学校に対して当事者意識を持つかどうかということに大きなかかわりがあるのではないかという思いがしております。ということは、ある意味では、対学校という立場ではなくて、学校の中の1人としてどう変えていくかということが、学校を変えていく1つの大きな要因になるのかなと思います。そういう意味においては、人選等を含めて、非常に大きな課題になっているのではないか。
 例えば学校運営協議会が、設置者が任命することになっておりますけれども、どういう人を任命するかということも、例えば意識的に学校に対してという、対学校という意識でもってやられる、そういう人が学校運営協議会の委員になられると、ある意味ではぐあいが悪くなってくるのではないかという思いをしております。
 例えば、先日、目黒区は全保護者に対して学校評価を実施いたしました。そのときに、第三者評価という名前を使っていないのです。学校評価の第三者評価という形にしないで、保護者対象のアンケート評価と言っています。なぜかというと、保護者もまた第三者ではなくて、当事者だという観点で学校評価をしてもらいたいということで、特に私の小学校の場合は、全部記名式にしたのです。中学校の場合、記名式にしなかったようでありますけれども。記名式にするか記名式にしないかということも課題があったわけでありますけれども、記名式にすることによって、初めて学校をどう変えていくかということを、保護者の責任として意見を述べられるのだと思ったので。そういう意味においては、学校運営協議会の委員をどう人選するかということも、今後の大きな課題だと思いますけれども、そのときに、ぜひ対学校という意識ではなくて、学校教育の当事者だという意識のもとの方々を選んでいただきたいという思いがしております。

委員
 学校評議員と学校運営協議会はこの比較のとおりだと思います。私は学校評議員が今、発展途上といいましょうか、充実をしようとしているわけですから、それを待つ姿勢も持っていただきたいと思っています。学校運営協議会は、特定の成熟した地域で、試みにやる制度としてはいいと思うのですが、一般の義務教育に入れていくことは賛成しかねます。
 次に、中学校の現状認識ですけれども、こういう認識でもって中教審で論議がなされるというのは、私は非常に心外に思います。今、例えば学校評議員にしても、それから地域に開かれた学校づくりを進めるにしても、教育のすべてについて、地域住民が評論家でございまして、保護者もそのとおりですので、厳しい意見をたくさんいただいています。外部評価にしても、保護者から私の学校では75%いただいています。その中に厳しい意見もございます。すべて公開を原則としています。どの学校も、中野では全部です。東京都はほとんどそうなると思います。
 そういったことを進めているところで、また新しい制度が入ってくることは、学校は戸惑いを持つだけでございます。学校をつくるのは、学校と保護者と地域であるという認識に立って、今、全日中等でも地域とともにつくる学校ということで、運動といいましょうか、活動を始めています。まだ目に見える成果は上げていませんけれども、上げつつあるというふうに受けとめていただきたいと思います。
 なお、中学校では、今ではまだ幾つかの学校でしかありませんけれども、中学生の学校運営への参加というようなことも試みになされているところです。ぜひ、今進みつつあるところを、やはり評価に加えてほしいと思います。

委員
 先ほどのお話で、人選をというお話があったのですけれども、人選はとても大切だと思うのですけれども、私は外部の人間として、学校ではないですけれども、既存の組織の評議員をお受けしている場合があるのですけれども、せっかく評議員を任命しても、その組織がその方の意見を本当に受け入れようとしているかどうか、それによってどう変わろうとしているかという姿勢がないと、こういう制度を持ってきても役に立たないのですよね。何のために評議員を置いて、それを組織の中でうまく使っていくかということを、皆さんが合意の上で評議員制度を使わないと、これは形だけのものになってしまうと思ったので、私は評議員をやっている立場から、せっかく意見を言っても、ここは全くそのまま変わらないのだなというような組織だと、発言するのも嫌になってしまうし、何のために来ているのかなということにもなってしまうので、ちょっと御意見を言わせていただきました。
 もう1つ、先ほど、外部の講師をお願いする場合に、地域とのつながりが非常に重要だとおっしゃっていた。本当に地域に目を向けてみると、すごくいい方たちがいて、何でそういう人をうまく使わないのかなと思っています。でも、学校って本当に情報が偏っていて、地域の人たちについて、ここにこういう人がいるというのが入っていないというのが実感なんですね。ここにも人材バンクと書いてありますけれども、人材バンクという大げさなものではなくて、その地域の中で、こういう人たちがいて、こういう人をうまく使ったらいいというのを掘り起こして、リストなりをして、それを共有化して、地域の学校の中で使うという努力が必要なのではないかと思いました。

委員
 先ほど御紹介がございましたけれども、学校理事会制度そのものは、英国は古くから法制化されていたのですが、実践はしていなかったということで、サッチャー政権になってから、幾つかの新しい地域、新しく学校ができたところで実験をやっていたようです。そのころ、スクール・ガバニング・ボディーという言葉を聞いて、何だろうなと思っていました。
 私の見ました限りでは、スクール・ガバニング・ボディーというのは、校長と対立する関係ではないのです。校長のアクティビティーをさらに増す役割だというふうに定義をしておりました。時には激しい議論があるようです。殊に校長先生になるような人はパーソナリティーの強い人が多いですから、すごい議論があるようですが、結局、議論の中からいいものをたたき出してきて、いい学校にしようという方向でコンセンサスが形成されるようです。
 私は、英国におりました時に、突然、スクール・ガバニング・ボディーから呼び出されて、学校の運営について意見を言えと言われて、本当に困ったことがありました。そういう意味で言うと、一番最後の外部資源の活用も、英国は徹底してやっているなという印象を持ったことがあります。
 それから、先ほどの、校長のキャパシティー・ビルディングの問題ですね。これは非常に大事だと思います。英国も1992年に、すべての大学がエージェンシー化、日本でいうと独立行政法人化したのですが、なかなか学長に人がいない。学長に大きな権限を渡しましたが、人がいないということで、今、英国全国学長会というのが、学校の管理者を養成するコースを開いています。そういう機関をつくって、別枠で育てなければだめだということになっているようです。日本もその辺についても大いに考えていく必要があるのではないかと思っております。

(2)事務局より中高一貫教育に係る教育課程の基準の特例について、資料に基づき説明があり、質疑が行われた。
 
 委員  先ほど外部資源の活用について、ちょっと意見があったのですが、言いそびれてしまったので、そのことと絡めてお聞きしたいのですが、このようにカリキュラムが柔軟になると、生徒たちはとても学習しやすくていいだろうなと感じます。そのときに、さっき外部資源のときにも感じたのですけれども、この外部資源というのは、地域の人たちをいかに学校の中に招き入れるかということに重点が置かれているけれども、地域の中学校の先生が小学校に来て教えるとか、あるいは小学校の生活科の指導は幼稚園の先生がそこでやるとか、学校種を超えて子どもに向き合っていくことがとても大事ではないかと思っているのです。
 この中高一貫のときにも、持っている免許にかかわらず、カリキュラムに応じて、ここにはティーム・ティーチングとか、協力とか、協働という言い方で書かれていますけれども、かなり柔軟に教員は交流し合って、交流でなくて、本当に向き合って教えることが可能なのでしょうか。

委員
 その問題は、中高一貫を議論したときにも盛んに出てきましたね。一体どこまでできるのかという声が、地方の教育委員会の代表の皆様から随分上がっていました。その点についてお願いします。

事務局
 中高一貫教育校の教員の免許状でございますけれども、基本的には中学校段階、高等学校段階、それぞれの免許を持っている人がそれぞれの段階を教えるということが原則でございまして、ですので、例えば中等教育学校は6年一貫の学校でございますけれども、そうした学校の教員につきましては、免許につきましては、中学校の教員の免許状と高等学校の教員の免許状の両方の免許状を有するということを原則としているわけでございます。
 当分の間の経過措置といたしまして、中学校の教諭、あるいは高等学校の教諭の免許状のいずれかを有する方であれば、それぞれ前期課程、後期課程における教科の授業を担当するということができるようなことになっているわけでございますけれども、基本的には免許制度がございまして、それに基づいた形でそれぞれが担当するという原則になっておりますので、中高一貫教育においても同様な扱いにはなっております。
 先ほど先生がおっしゃった御趣旨の一部といいますか、関連するお話になるかと思いますけれども、平成14年に教職員免許法の一部が改正されておりまして、例えば他校種免許状による専科担任制度の拡充といったことが行われております。これはどういったことかと申しますと、例えば中学校、高等学校の教員の免許状を有する先生が、小学校の相当する教科、あるいは総合的な学習の時間の教授を担任することができるようにしようということでございますとか、あるいは高等学校の専門教科の情報とか、農業とか、工業、商業、種々ございますけれども、こういう専門教科の免許を有する先生については、中学校の相当する教科、例えば理科とか、技術とか、あるいは総合的な学習の時間といったものを担当することができるようにしようという改正もなされておるところでございます。

委員
 一度、その辺、実態がどうなっているか調べる……。14年からですよね、それができるようになったのは。

事務局
 ええ。拡充されたのが……。中教審でも御議論いただいて。

委員
 私も覚えておりますけれども、一度、具体的にどのぐらい利用されているか、その辺も調べておく必要があるかもしれませんね。

委員
 中高一貫の場合は、非常に特色ある教育課程を組みますので、こういう一方通行ではなくて、逆もあり得る、可能とするということをぜひお願いをしたいと思います。

事務局
 先生がおっしゃっておられる御趣旨は、例えば高校の理科、生物1を中学校のほうでも一部教えることができるようにしてはどうかということでございますね。そういうことも今回、可能にしようという趣旨でございます。すみません、少しわかりにくい書き方でございますけれども、例えば中学校のときに、高校の生物1の一部を指導したと。そういうことが行えるということなのですけれども、そういうことを行ったときに、重ねてもう一度高校で指導しなくてもいいよというのを、後段のほうに書いているところでございます。

委員
 例えば、後期課程を前期課程でやってもいいよというのは、どこかにあるのですか。

事務局
 それが「(3)」の前段のほうでございます。

委員
 そうすると、「(2)」で言っていることは、この逆は「(3)」で読めるということですか。

事務局
 おっしゃるとおりでございます。

委員
 そういうことですか。わかりました。

(3)事務局より高等学校教育課程実施状況調査の結果について、資料に基づき説明があり、質疑が行われた。
 
 委員  今、調査結果の御報告がありましたので、おそらく専門的な観点からいろいろ分析し、対策を講じるということはやっておられるのだろうと思いますが、私は詳しく存じませんし、感覚的なことですが、ただいまの報告の中では言っていませんけれども、新聞の見出しはすべてトップで、理数科惨敗というのが、すべての新聞に共通しておりました。ちょっと私もショッキングな見出しにつられて、中を読んでみたのですが、どちらかというと、文科系の立場から言うと、そんな惨敗だろうかという気が正直言ってするわけです。
 というのは、今、説明の中にあった、特に設定通過率というのがありますね。設定通過率を上回っているか下回っているかということで、理数は下回っているのがほとんどだから大変だと、こういうことなので、ポイントは設定通過率の設定が妥当であるかどうかというところがかなりあるのではないかという気がしたわけです。報告の中にもありましたように、特に数学なんかは二極化とは言わぬまでも、普通のなだらかな山を書いていないわけです。できないのは徹底的にできないわけですね。できるのは徹底的にできるという二極化現象が生じている。
 それから、数学1というのは、多くの場合、高校1年で受けるようですけれども、今、多様化が進んでいますから、高校1年で数学をやって、あと2年、3年と全くやらないという人間がかなりいるわけですね。そうしますと、私の経験からしますと、試験が終わるとできるだけ忘れたいというのがあって、2年間もあいたら、完全に忘れてしまうのではないか。
 ところが、国語とか、英語は、3年間続けてやりますから、何らかの形で復習的な機能が行われるので、そういう懸念が少ない。しかし、数学についてはそういった現象が生ずるということで、専門家はどういう視点から設定通過率をつくったのかわかりませんけれども、そこまで考えてつくられたのかどうか。ちょっとどうかなという気がします。もちろん前回の調査との比較で下がったというならこれは問題ですけれども、今回初めてのようですから、その辺は、この資料では言っていないのですが、マスコミの判断は正しいのかどうか、ちょっと伺いたいと思います。

委員
 中学校については同一問題というのがあるのですよね。だけど、高等学校はありませんから、苦しいところですね。

事務局
 今回の調査は、御案内のように40年ぶりに行ったということでございまして、40年前、昭和30年代に行っておりました調査におきましても、理数系の出来は必ずしも芳しくなかった。その当時も、当時の文部省が期待した実現状況は、理数系は実現していなかったという状況がございます。そういった意味において、今回も学習指導要領に照らして、合理的にこの辺ぐらいまでは要求してもいいのではないか、これくらいの子どもができると思っていいのではないかということを考えた線に達しなかったというところでございます。
 ただ、忘れているのではないかとか、確かに3年生でやっているという、その限界がありますので、小・中学校と同じように、終わった直後に調べていればどうなるのかというところはございます。
 ただ、履修の状況を見ますと、1年生だけで終わっているかどうかはちょっと疑問でございまして、数学でございますと、数学1を受けている子どもの約9割は数学2を履修いたしております。それ以外にも、例えば数学Aを4分の3の子どもが受けているという状況がございまして、数1を1年生だけでやって、あと2年間やっていないということはちょっとないかもしれないと思います。
 ただ、2年間やらなければ忘れるということもなくて、たぶん半年ぐらいで忘れてしまう可能性もございますので、そのあたりは課題だと思うのでございますが、履修学年の指定とか、履修順序の指定が原則的にないという指導要領のもとで調べてまいりますと、130万人の高校生全部を対象にした母集団をつくって、それを再現しようと思うと、今のような方法なのかなと思っております。これが今回、1つの出発点になりますので、次回以降また小・中学校と同じように、過去とはどうなのかといったことを問われるところもあろうかなと思います。

委員
 小・中・高校を通じて、「確かな学力」というのはこのとおりなのですが、小学校もそうだと思いますが、中学校も、標準時数にとらわれず、必要な指導時間を確保ということで、懸命な努力をしているところです。各教科の時数が極めて細切れになっていまして、少のうございます。それが厳選ということを経ているのですけれども、それぞれの教科の時数が足らないのではないかと思います。29コマを週5日制でやっているわけですけれども、それぞれの教科が努力しているのですが、定着しないというのは、その週に時間が少のうございますから、その次の週までの継続性が失われるのです。そんなこともあるので、教科の再編とまではいかないのですけれども、教科時数の見直しも課題ではないかと思います。

委員
 数学あるいは理科の場合、教科として積み重ねの教科ですよね。ですから、小学校でつまずくというのが非常に多いのです。小数とか、分数ですね。それがわからないままに中学に来て、中学でも十分消化されないままに、高等学校の数学を受けるということですから、子どもたちも非常に大変だと思うのです。極端に言えば、本当に数学がほとんどできなくても、高等学校へ入ってくるという状況があるのです。それから、高等学校の数学ということになったら、非常に厳しいですよね。
 ですから、高等学校の数学の教員は、中学や小学校のところから教えていくということまでやっていかなくてはいけないというのが、現状ではあるのですね。だから、学力の七五三というのがずうっと続いていて、特にこれが数学の中にずうっと生きていますから、尾を引いていますから。
 そういう意味でいうと、高等学校のこれをもしも反省し、あるいはこれから何かを学ぶとすれば、中学や小学校における数学教育、算数教育を、どういう形でわかることにしていくのか、その辺からきちんと整理していかないといけないだろう。いろいろな努力はされていますけれども、そういうことをしておかんと、なかなかこれは解決しない問題ではないか。これはゆゆしき問題で、大学まで引きずっているわけですよね。特に大学だったら、学問になってくると、どの教科でも、経済でも何でも、数学は非常に必要になってくるわけですね。そういうようなものを考えてくると、日本の学校教育の中における最も汚点としてずうっと残っているものですから、これを解決していくのは、小学校段階からきちんとしていただきたいと思っています。

委員
 感想なのですけれども、教育課程部会でこの話があったときに、盛んに調査官の先生が、実生活に結びついたような指導の工夫が必要だとおっしゃっていたんですね。ですけど、実際高等学校でやっている勉強は抽象レベルが高いので、実生活に役立たなくてもやるわけですよね。九九さえわかれば別にいいわけなのだけれども、サイン、コサインをするのは、抽象的な思考の喜びとか、思考のレベルを上げるために勉強しているので、そういうことも生徒にわからせたい。小学校からずうっと、具体的なレベルから抽象度を上げていくことの積み上げと、それから生活に役立たないから勉強しなくていいのだではなくて、調査の時期が11月だったから、進路が決まって勉強してないのではないかという分析もありましたけれども、それを考えることがあなたの人生にとってとても大事なんだということをもっと強調していただきたいと感じました。

委員
 今の御意見ですけれども、私はちょっと違ったふうに思っています。名古屋大学におられて、今、名城大学に移られた数学の教授が、いろいろな試みをやっておられます。これまでの日本の数学の教え方の最大の弱点は、今おっしゃった実際の現象、数学というのはすべての現象を解明する基礎になるというところが教えられていないということで、その教授はそれを名古屋大学で徹底的に教えました。その結果、随分数学の分野から、彼がいた時代に優秀な研究者が育ちました。そのような教える工夫も要るのではないかと思います。
 それから、確かに時間の問題はあるのですが、それより教え方の問題が大きいと思います。日本では、大学の1週間のカリキュラムは大体決まっていて、1つの教科について、1週間に一度しかやらない。英国はそれを1週間に三度ぐらい同じ先生がやります。短期に集中的にやるから、前の時間に教わったことができないと、ついていけないということがあるのです。そういう考え方は、日本ではほとんどしませんね。1週間に一度やって、それで済ましてしまう。英国のような工夫も要るのではないかと思っています。要するに、数学は反復練習しないと絶対だめなんだということで、その教授は具体的なデータも相当持っています。

 事務局より今後の日程の説明が行われた後、閉会となった。

午後4時09分 閉会

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