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初等中等教育分科会(第8回) 議事要旨

1.日時

平成15年2月20日(木曜日) 15時~16時30分

2.場所

霞が関東京會舘ゴールドスタールーム

3.議題

  1. 分科会長の選任について
  2. 初等中等教育分科会運営規則等について
  3. 初等中等教育分科会等のこれまでの審議状況及び今後の予定について
  4. 自由討議
  5. その他

4.出席者

委員

 木村分科会長、國分分科副会長、今井委員、小野委員、河邊委員、梶田委員、田村委員、永井委員、野村委員、橋本委員、船津委員

文部科学省

 工藤文部科学審議官、矢野初等中等教育局長、小田主任視学官、金森初等中等教育局審議官、樋口初等中等教育局審議官、辰野初等中等教育企画課長、大槻教育課程課長、竹下教職員課長、瀧本初等中等教育企画課教育制度改革室長

オブザーバー

 鳥居中央教育審議会長

5.議事要旨

(1)矢野初等中等教育局長より挨拶が行なわれた。

(2)事務局より初等中等教育分科会に新たに就任した委員の紹介が行われた。

(3)第2期初等中等教育分科会の分科会長ならびに分科会副会長の選任が行われた。

(4)事務局より配付資料の確認を行なった後、資料の説明が行なわれた。

(5)自由討議が行われた(○:委員、●:文部科学省)。

○ この10年間、アメリカも、ヨーロッパ諸国も、力をつける教育を考えて、実際に手を打ってきた。
 残念なことに日本では同じ10年間、そのような考察がなく、子どもたちは勉強で疲れ果てているのではないかという観点からの施策がなされてきた。その結果、学習意欲の大幅な低下を招いた。
 さらに、学力について考えると、規定の仕方によるが、『文部科学白書』に出ているように、安心していい状況ではなくなっている。将来のことを考えると、日本がきちんと主要国に伍して教養があり、科学技術などの国際競争力も持っているという国としてやっていくには、これから5年、10年がクリティカルな時期である。

○ 今までは「学力」という言葉に振り回されてきた。「学力」という言葉のきちんとした定義づけもできていないが、現状は何となく学力に揺らぎがあるという不安感が世の中に漂っている。
 今の子どもたちを現場で見ていると、例えばコンピュータの知識や英語の力、それからものを発表、プレゼンテーションするという能力など、明らかに昔の子供たちとは異なった能力を身につけている。それらは、従来の評価でいえば学力に入っていない。そういう力をつけながら、いわゆる基礎・基本と言われるような学力を身に付けさせるということにどういう意味があるのかという議論をきちんとしないとならない。
 「新しい学力観」という今回の提言の実証をしていく必要がある。また、現在の方向できちんと進めていけば、結果としてうまくいくと考えており、ところどころに出てくる問題を大きく取り上げるのではなく、着々と進めていくことが大切である。

○ 学校週休5日制や新学習指導要領の実施などの教育改革の大きなうねりの中で、学力というもののとらえ方も含めて、各学校はいろいろな取組に努力している。
 知識理解だけが学力ではないというとらえ方もあるが、知識理解も重要である。生きる力を身に付けるための基礎・基本とは何かということで、総合的な学力というもののとらえ方を明確にするために審議していかなくてはならない。
 さらに、日本の将来を考えたときには、産業教育が重要である。従って、産業教育振興法等についてもきちんと審議していかなければならないと思っている。

○ 学力の問題について、危機的な状況であると強く感じている。
 気になるのは、知識理解だけが学力ではないという考え方がかなり浸透しているということ。特に小・中学校の教員の落差が大きい。小学校の教員の中に、中学校で受験用の勉強をしているのはおかしいのではないか、という考え方がまだまだ根強くある。
 また、ひとつの地区に対して中学生に対して標準学力テストをやると、その地区の中学生は全国レベルよりも低い結果しか得られないということがある。これは、従来、基礎と言われた小学校教育における指導法が崩壊しているということではないかと思っており、このことを何とかしなくてはならない。

○ 第一に、高度かつ複雑な現代の社会において、人間として生きていくための最低限の力をつけるのが義務教育である。力をつけていないまま社会に出すということは、教員として無責任ではないのかという問題意識を持っている。
 世界的な水準に見合う競争力をつけなければならないのと同時に、一人一人の子どもにとっては、この社会を生きていけるだけの学力をつけなければならない。そうすると、義務教育の中で段階的に子どもの力を確認、評価することが必要ではないだろうか。
 第二に、悲しいことに、学力低下が問題になっている現状で、新しい学習指導要領を読まない教員がいる現実がある。その教員にどのようにして読ませるか。
 さらに、学習指導要領を読まないだけではなく、子どもの問題が大変なことになっているのに、新しい知見が発表されている書物もほとんど読まないという教員をどうするか。
 採用試験は通っているが、一度採用されたら学ぶことをせず、大学時代に読んだ本しか書棚にないような教員がいる。活字情報である書物を読んで、新しい知識を得ながら教育のプロとして学校教育をやっていくという当然のことをやらない教員の問題をどうするか。
 第三に、学校の教員の場合もそうだと思うが、実績のある校長は歴史と伝統のある、あまり問題のないような学校の校長になって退職していく人事慣習がある。新任の若い校長は、どちらかというと僻地の学校、問題のある学校の校長になる、ということがある。
 教育委員会はどういう人事をしているのだろうか。問題のある学校にベテランの校長を配置して、歴史と伝統があってあまり問題のないようなところに新任の若い校長を配置するというのが当然やらなければならないことであり、教員の場合でも同様である。
 このような配置をしていない教育委員会がある。文部科学省はそのことについて徹底した指導が必要ではないか。

○ 第一に、学校の先生や世間で、学習指導要領は5年ともたないという論がまことしやかに語られていることが気になる。中には、6日制復活論、総合学習の廃止論もある。それを受けて、いろいろな人からもう中教審は検討に着手しているのかといった質問をまじめに受けたりもする。もう少ししっかりと新しい指導要領の趣旨を徹底、広報していく必要がある。
 第二に、いわゆる自由化・規制緩和に対する地方や学校現場の反応について、大胆な言い方をすると、「攻めの文部科学省、守りの地方、困惑する学校と教師」という図式がまだ残っている。もちろん熱心な教育委員会や教員もいるようだが、そんな新しいことはしたくないという反応を示す学校もまだまだ多い。やれば面白いのだ、やる気になればいろいろなことができるのだ、ということをきちんと伝えることが必要ではないか。
 また、質問が一点。第15期中教審の1次答申で、将来課題として教科の再編統合について、常設の委員会をつくって検討に着手すべきであるということがうたわれているが、それはその後どうなっているのかを伺いたい。

● なくなったというわけでは決してない。当面は14年度からの新教育課程の実施状況をみながら、しかるべきタイミングでまた議論していただきたい。我々も課題として引き続き受け止めている。

○ 幼児期の子どもたちをみていると、人とかかわる力が不足していると感じる。その原因は家庭の状況の変化であると考えている。
 家庭の教育力が低下しているが、家庭の当事者は決して教育力が低下していると自分たちでは思っていない。幼稚園と家庭との間にはまだギャップがある。幼児教育において、これから始まる長い教育に耐えられるような力をつける方策を家庭ともども考えなければいけない。
 また、教員養成の面からも、幼稚園はこの不況の時代に手っ取り早く資格が取れて、就職先もしっかり確保できる分野のように思われているようだが、このことは幼稚園の先生になった人たちが定着せずに、離職していく率が高いということにつながり、どうしたら専門性の高い教員を育てることができるかというのが、教員養成の大きな課題である。
 さらには、集団を育てるという問題や、運営の弾力化が図られていく中でカリキュラムの充実をどう図るかという問題など、様々な課題がある。幼稚園での教育を小学校の教育にどうつなげていくのかという視点から検討していただきたい。

○ 新しい学習指導要領が完全実施になったが、学校や教員の意識は急には変われないということを現場で実感している。
 ただ、評価の在り方が変わった。目標に準拠した評価をするということは、中学校にとって大きなインパクトになっている。評価計画を作るためには充実した指導計画を作らなければならない。本来、14年度が完成時期であることが望ましいが、やや遅れ気味ながらも現場は取り組んでおり、もう少しじっくりとやれば必ず新教育課程の真価が現われてくる。現在の状況をもって、新教育課程の成果は判断できない。
 第二に、現在、総合的学習の時間に中学校の各教科の教員は力点を置いて取り組んでいる。従って、これも未完成だが、かなりよい結果を収めつつある。
 その一方、総合的な学習の時間や他の学校行事等に力点をかける必要があるため、教科の指導の面でやや行き届かない面が生じていないかという危惧もある。というのは、教科指導に喜びを感じる教員が減っていないだろうかという懸念があり、中学校において教科教育を充実させていくことが必要である。

○ 一つは、子どもたちが勉強しなくなったなということ。授業時間が減ったためなのか、学力というものが総合的学習で獲得すべき学力も含めることになったからなのか、いわゆる教科の学習に関して子どもが意欲を示さなくなった。
 もう一つは、格差について。総合的学習でも教科学習でも、我々はプログラムを組んで展開しているが、それに食いついてくる子どもと、そうでない子どもの違いが明確になってきた。テストをすれば平均点が出てくるが、残念ながら意欲を低下させている子どもたちに対して、学校現場ではかなり手当てがしづらい。それは我々の努力不足ということもあるが、子どもたちが教室内で遊んでしまうような現実もある。そうすると、授業が中断されたり、その子どもとのかかわりに膨大なエネルギーを注がなければならなかったりということがある。
 もう1点、教師に関して。私は社会科の教員で、1年生の地理と歴史を教えている。一方で、学校事情によって学年主任という立場でもあり、総合的学習のプログラムづくりもしている。さらに、体育も2学年分担当している。そうすると、社会科と総合と体育が2学年分、それに3年生の選択社会、合計五つの分野を担当しているということであり、これはこれで楽しいのだが、綿密な指導計画を作るためには時間的に厳しいものがある。これが現場の現実である。

○ 中教審の答申では、教科の再編について検討する常置的な機関を設けるとなっているが、教科の再編成がいいのかどうかということは別として、少なくとも議論すべきではないか。という質問に対して、教育課程の改定がすぐ目の前にある時期にはとてもできない。という回答であり、常にそういうことで見送られている。
 今、前回と同じような答弁があって、数年たつとまた改定の時期がきて、時間がないから今回も見送ろう、となってしまうのではないかという懸念を抱いた。これは大変な作業であることは間違いないが、少なくとも議論は避けて通れないのではないか。
 もう一つ、教師の問題について。「教育は人なり」という古い言葉があるが、教師がちゃんとしていれば、極端に言えば、クラスサイズがどうであろうと、建物があろうとなかろうと、指導はできる。やはり教師の力は非常に大きい。もちろん養成の段階、採用の段階、研修の段階といろいろ課題があり、改善をしていかなければならないが、教師になってからの外部からの刺激、評価が必要である。長くいようとすれば長くいられる職場であることが問題であり、きちんとした評価をし、だめな教員は指導力を徹底的に鍛える。それでもだめな者は場合によっては排除するというぐらいの刺激がないとだめなのではないか、ということを考える時期がきているのではないか。

○ 先ほど、日本では子どもたちが勉強しなくなったという話があったが、アメリカやイギリスの教育関係者と話をしても最近の子どもたちが勉強しなくなったという声はほとんど聞かない。
 イギリスの例だが、子どもたちや親に、教育のパスが見えているという感じがする。つまり、7歳、11歳、14歳で徹底的に試験をし、16歳でGCSE、つまり職業に就くための試験を受ける。ここで成績が悪かったら就職がない。そういうシステムが親や子どもに見えている。
 また、教師の問題が出たが、イギリスでは、教師が悪いからクラスの行儀が悪くなったとは言わない。教師の責任ではなく、システムが悪いのではないかという視点から議論をする。特定の教師なり、特定の校長を追及するのではなく、システムを見ていく。ここまで行くには随分苦労したようだが、そこまで到達している。

○ 皆さんのご指摘にあったように、我々が抱えている最大の問題は、どうやって先生たちの力をつけるかということと、それから学校の運営のシステムをもう1回、日本全体として見直すということなのではないかと思っている。
 先ほど出た幼児教育の関係だが、幼稚園の先生方も年齢が二極化していて、若い先生と、高年齢だといわれている先生とに分けられる。その両方に共通して、こんなことを知らないの、ということがある。
 どこまでが失ってはならないものかを見極めて、幼児教育の中に復活させるかということも大問題だと思っている。

○ イギリスでは基礎・基本が何か、あるいは学力をどこで測るかという点が徹底している。英語と算数と理科だけを考えている。7歳のレベルでは、理科がなくて、英語と算数だが、学校のカリキュラムで教えたことが身についているかどうかを調べる。
 イギリスは、歴史や社会を大事にする国であるが、それらの科目は先生の評価のみで処理してしまい、試験はしないようだ。なかなか面白いと感じた。

○ 私もイギリスやフランスやドイツの教育者と話して、日本の問題点だと感じていることがある。
 古典を学ぶということについて、非常に弱くなっている。フランスでは小学校から、詩の暗記をさせたりする。州によって違うが、ドイツでもそうだ。イギリスも同様。
 この初中分科会での論議が、場合によっては世の中をどう生きていくか、そういう意味での生きる力をどうつけるかという点に終始するのであれば、それは困る。世の中をどう生きるかというのは大事だし、指導要領に書いてあるのは、そのために必要なものだが、同時に教育は一人一人が自分の人生をどう生きるかということだ。同じ生きる力といっても、その生きる力は違う。
 今までは、古典を学ぶことや、ヨーロッパでは宗教との関係で物を考えさせるということで身につけてきていたわけだが、どうしても現段階では定年までの人生を有効適切に生きるための力をどうつけるかで終わってしまいがちだと思う。
 80、90まで生きる時代であるから、社会的な役割が何もなくなっても、毎日、いろいろなことについて胸をわくわくさせながら生きていかなければいけないということの土台づくりをどうするかという問題だ。
 その土台となるものとしてたとえば古典があるだろう。あるいは命の問題についても必要だろう。あるいは人間としての生き方、在り方もとても大事だし、さらに言うなら世の中で得することばかりが人生ではない、という日本古来のものの考え方を身につけることもあるだろう。あるいは中江藤樹や熊沢番山が言ったように、結局は自分が最後のところはひとりきりでこの人生を生きていくのだという覚悟を、小さいときから少しずつ作っていかないと、みんなと一緒というだけでは、結局はたくましく生きていけないのだということもある。
 ところが、日本の場合、残念なことに伝統が切れている。これは中長期的な課題として、古典や命など、幾つかの大事なテーマに出合わせながら、世の中を生きていく力だけでなくて、一人一人の子どもが自分の人生を最後の最後まで力強く生きていくための具体的な方法、あるいは学習内容等も含めて考えていかなければいけないのではないか。

○ 今、少子化の影響または家庭崩壊などさまざまな問題がある。背景はいろいろあると思うが、かかわりがあまり上手ではない、生きていくということにおいて一人一人が大変弱い、何か困難なことに直面したときに逃げてしまう、といったことをどうしたらよいのか。
 現在、小・中学校の連携教育を進めているが、義務教育段階で各教科の基礎・基本について、子どもたちに発達段階に応じて何を身に付けさせたらよいのかということを論議しながら、ちょうど1年が過ぎた。
 その中で、子どもたちの学習意欲をどう高めていくのかということが大きな課題になっている。それは時数が減少したからという単純な問題ではなく、子どもたち一人一人に学習意欲を持たせ、取り組ませることが難しいからである。
 学習というのは、教科の学習とそれ以外の学習も含めてだが、特に積極的に、意欲的に、主体的に取り組む子どもたちを育てていかなければならない。そのためにはどうするかということも、小・中とのかかわりも含め、とても重要なことだと思う。
 子どもたちが生きる力を身に付けるということを前提として、そこに行くまでの過程でその力をどう身に付けさせたらよいのかといったことも議論できればよい。

○ イギリスでは、宗教教育が必須科目であり、クリスチャニティーをベースに行っている。ただ、カリキュラムのつくり方は、地域によって信者に多寡もあるので、校長に任されている。
 日本ではフリーターが増えたとか、勉強しない子どもが増えてきたとかの問題があるが、その辺が英国でそれほど大きな問題になっていないのは、宗教教育とも関係しているのではないかという気がする。
 また、科学技術に対するリテラシーを調べると、日本は子どもたちの理科の成績などはものすごくよいのだが、大人のリテラシーは低い。OECDの調査では、ポルトガルとほぼ同程度で、ほかのヨーロッパの先進国に比べると、リテラシーの度合いが非常に低い。
 最近、メリーランド大学の先生と話をして驚いたことがある。メリーランド大学は州立大学の中でもステータスが高い大学であるが、アドミッション・オフィスが学生を採ると、文系でも何でも分野にかかわらず全部、数学の試験をする。数学の知識が足りないと、補習のクラスへ入れられてしまう。
 何で文学をやる者が数学の補習授業をやらなければならないのかと思うが、彼らは敢然としてやっている。すなわち、マクロに教育のシステムを考えているのではないかという気がする。
 勤労意欲の問題、勉強しない子どもの問題について、彼らはそういうことが起こらないようなシステムを模索して運用しているのではないかという気がしてならない。

○ 日本とイギリスが決定的に違うのは教員である。大学を出て、教員になって、ずっと教員をやっているという先生はイギリスの場合はいない。むしろ例外である。自分の適性を常に求めて職を移転するというのが普通の考え方だ。教員については、リクルートのための市場みたいなのがあって、そこに自分の経歴と考え方を提案して、採用したい人はそこへ行って採用してくる。
 日本の場合、授業評価を始めたという話は聞くが、ただ評価をしているだけで結果をどうするかというと何もやっていない。評価した以上は、結果をどうするかを徹底していかないと改革にはならない。

○ BBCが、イギリスで一番改善した学校としてトニー・ブレアに表彰された学校のことを紹介していた。その学校の校長のやっていることは非常に激しく、授業を自分で見て、問題点を議論し、それが直らなかったら教員を解雇し、新しく有能な教員を採用してくるということを行っている。

(6)事務局より今後の日程の連絡があり、閉会となった。

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(初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室)

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