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教育課程部会(第12回) 議事要旨

1.日時

平成16年3月11日(木曜日) 10時~13時

2.場所

如水会館 「スターホール」

3.議題

  1. 初等中等教育の教育課程及び指導の充実・改善方策について
  2. 今後の教育課程部会の運営について

4.出席者

委員

木村部会長、石川委員、市川委員、今井委員、小栗委員、加藤委員、田村委員、渡久山委員、中許委員、西嶋委員、西村委員、平野委員、船津委員、宮崎委員

文部科学省

(事務局)
文部科学省: 近藤初等中等教育局長、金森初等中等教育局担当審議官、河野主任視学官、布村生涯学習政策局政策課長、大槻教育課程課長、今里教育課程企画室長、山脇国際教育課長、久保田文化庁国語課長

国立教育政策研究所: 月岡教育課程研究センター長、西尾教育課程研究センター研究開 発部長、その他関係官

オブザーバー

小久保委員

5.議事要旨

(1)初等中等教育局長より挨拶が行われた。

(2)事務局より資料1から資料5について説明の後、初等中等教育の教育課程及び指導の充実・改善方策について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。
(○=委員、△=事務局)。

委員
 設定通過率の考え方をもう少し詳しくお伺いしたい。理想的な水準をベースに置いているのか、標準的なものなのか、それとも最低限で考えているのか、その辺の考え方を少し伺いたい。
 また、「数学的な考え方」というのはどういうことか伺いたい。

事務局
 設定通過率は、学習指導要領が定めている内容を標準的な学習活動などが行われた場合に、子どもたちがどの程度正答し、あるいは準正答するかという割合を、各教科の専門家の複数回にわたる協議において定めたものである。
 したがって、例えば学習指導要領に定めてある以上全員ができなければならないといったようなことを要求しているわけでもなく、標準的なところで、こういったことをこの程度の子どもたちが通過しているという状況を期待していいのではないかという数値である。
 「数学的な考え方」は、観点別評価の四つの観点、関心・意欲・態度、思考・判断、技能・表現、知識・理解に基づいて、児童生徒の学習の実現状況を押さえ、指導をしていくこととしているが、数学の場合には、「数学的な考え方」に関する評価の観点があり、その学習の実現状況を調査しようという趣旨の問題をつくり、調査を実施したということである。例えば、単に計算ができるということではなく、数学的に処理をすることのよさを理解するとか、そういったことを考えていく力とかを見ようとしたものである。

委員
 設定通過率というのは、恐らくこのテストを実施したらこのような結果になるであろうという専門家の立てた一種の予測であって、それがこの段階に達していれば満足であるという意味での期待とは違うのではないか。設定通過率を上回ったかどうかということは、専門家の予測が当たったか外れたかということを示しているのであって、これに達していれば十分だということでは決してないと思う。予測なのか、ある程度の目標水準なのかということを改めて伺っておきたい。

事務局
 予測ではなく、どの程度の子どもたちが正答ないしは準正答することを期待することができるかという値であり、標準的な学習活動が実施されているとすれば、この程度の子どもたちが通過することが期待できるというものである。

委員
 期待という意味が、例えば数学などでいう期待値という場合の期待と、そうあってほしいという期待とかなり混同されて理解されるような気がする。

委員
 子どもたちに要求する学力が、独創性であるとか、創造性をもっと重視すべきであると変わってきている。例えば数学であるならば、一つの解答はこうである。あと二つ別解を考えなさいという問題を問うた場合に、本当にそれに答えられる生徒が、これから望まれる学力を持っていると思う。そういうような方向性も考えていただきたい。
 それから、高等学校に関しては、勉強は大切だと思うけれども、勉強は嫌いである。生徒が何のために勉強をするのかというところで迷っている状況が現状のような気がする。以前は、大学入試があり誰も疑問を差しはさまない部分があったが、昨今のように大学に入ることが比較的楽になってきている現状においては、そこだけに目的を置いて勉強をさせていくのが難しくなってきている。それ以外の自己目的がなかなか見つけられない。

事務局
 どのような調査問題かということについては、例えば数学だと、四つの観点にまたがって出すようにしている。中学校・数学の第2学年では、関心・意欲・態度で11問、数学的な考え方で20問、数学的な表現処理の問題で37問、数量・図形などについての知識・理解で15問というように観点を意識しながら調査問題をつくっている。御指摘の別解を問うものとかについても、このような解き方があるが、これと違う解き方ではどのような解き方が考えられるかということを問う問題とか、ある問題では真っすぐ解答を求める問題と、それから違う冊子に同じ問題を出して、途中経過が間違えている解き方を示し「どこが間違っていると思いますか」ということを問うといったようなこと、同じ問題を二つの冊子で違う形で聞いてみるということなども行っており、引き続きいろいろな観点から改善を図りたいと考えている。

委員
 分析の中で、不十分とか、十分でないとあるが、それはなぜかというのがない。例えば、教育課程あるいは指導要領が難しいからそうなのか。また、指導の仕方が悪いから、こういう結果になっているとか。何か原因というか、その分析がなければ、次にどうすればよいかというのが出てこない。
 また、学校の授業がどの程度わかるかというと、高学年にいくに従って、だんだんわからない率が高くなってくる。それもなぜかという原因の分析が必要だと思うが、どう考えているのか、あるいは実際どの程度分析されているのか。

事務局
 結果の概要という形で示しているが、全体を教科別の報告書として市販している。したがって、すべての学校において、調査結果をベースにした分析と指導上の改善点に関する提案については閲覧できるし、検討できる状況になっている。
 御指摘の、原因は何か、その原因を確定することは難しいが、現実として、設定通過率に達していないのであれば、どこか改善する必要がある。それを考えていくに当たり、調査問題の数がたくさんあるので、それを例えば領域とか、あるいは評価の観点といった形でグルーピングし、そのグルーピングしたところを通して、共通的に見られる傾向とか、あるいは顕著な相違点とか、そういったものに着目しながら結果を見て、あるいは児童生徒の意識調査の結果とクロスしながら、問題の分析、あるいは問題と児童生徒の意識調査、教師の指導の実態に関する調査と関連づけながら、各教科ごとに作成し、全部の先生方が閲覧できるように市販をするという形で取り組んでいる。

委員
 時間数の問題に関して、減になった理科、外国語に関しては、どちらかというと設定通過率からいうと悪いのではないか。時間数を増やせば成績が上がるのではないかと思っている。

委員
 資料にはないが、「勉強が好きだ」とか、「大切だ」というのは、各教科についても聞いており、国語は「好きだ」という子が高い。英語も高い。それに比べると、理数系は「大切だ」と思っている子は、パーセンテージも低いし、「好きだ」というのも低い。「勉強は大切だ」と思っている子が、高校まで含めて80%近くいるが、「好きだ」という子が、そこでガタッと減ってしまう。そこに我々が何をしなければいけないかという答えがあるように思っている。
 また、算数・数学で、設定通過率で見ると、例えば中学校で設定通過率を下回るのが1年、2年、3年とも、いずれも半分以下であり、全体的にはよくやっている。ところが、それを同一問題で比較すると、3年になると成績が大幅によくなる。受験のせいだと思うが、1年、2年だとほとんど全部の問題で前回を有意に下回っていることをどう解釈すればよいのか。

事務局
 私どもの解釈としては、学習指導要領に照らした学習の総体としての実現状況は満足できる状況にあると思うが、前回と比べると、その中にあって、なお下がっているということではないかと考えている。
 教科別の好き嫌いは、例えば理科だと、小学校5年生は約7割の子どもたちが「好き」あるいは「どちらかといえば好き」と答え、中学校3年生では55%となる。一分野、二分野別では、中学校3年生では一分野では約45%ぐらいの子どもたちが「好き」あるいは「どちらかといえば好き」、二分野は7割の子どもたちが「好き」または「どちらかといえば好き」と答えている。一分野というのは物理・化学の系統、二分野は生物・地学の系統だが、一分野のほうが二分野に比べると、「好き」に対して肯定的に答える割合が低いという状況が、中学校の段階では出ている。特に中学校3年生でその辺が顕著で、1年生では基本的に変わらないような数字が、一分野は徐々に下がりながら46.5%になり、二分野ではちょっと上がりながら、70%のところに、中学3年生でグッと改善される。

委員
 なぜそういう結果が出てくるのかということについては、解釈を裏づけるような調査をぜひ行ってほしい。同じ指導要領のもとでも、だんだん学力が変化していく。その間に、指導要領の内容とか、時間数とは別に、指導方針がだんだん、いい意味でも悪い意味でも浸透していくというか、その影響力が非常に大きいと思う。
 例えば、今の算数・数学の例でいえば、教えずに考えさせる授業がいい授業だということが、10数年前から急に言われ過ぎて、教えずに単元の最初から自力で考える、あるいはディスカッションで考えるということが言われ過ぎた。だんだんそれが浸透していくにつれて、基礎的な学力もつかない。先生がじっくり説明する時間もとれないまま、どんどん時間が過ぎていくというのが浸透していく。
 英語でいえば、私たちが20年前、30年前であれば、中学校に入ると当然のように言われていた、例えば発音記号であるとか、辞書をしっかり引くこととか、基礎的な文法は身に付けることとか、こういうものが確かに私たちのころは言われ過ぎて、かえって英語嫌いをつくったということが言われたために、10数年前からだんだん、そういうことは教えないのがいいのだということになって、逆にある程度学力の高い層が英語嫌いを起こしてしまったという現象が出ていると思う。
 同じ指導要領のもとでも、指導方針、それからそれに伴って教科書会社が出している指導書の内容も、その時代の考え方につられて、随分変わっていく。こういう授業をするべきだと。先生方の研究授業などの中でも、こういう授業が理想なのだという指導方針のようなものが提示されて、それが時代とともに浸透していく、変わっていく。
 そういう指導方針がどう変化していったのかということも、あわせて、これは先生方に対するアンケートでも、具体的な指導書の内容などがどう変わっていくかという調査でもいいと思うし、ぜひそういうものをあわせて調査していただいて、なぜこういうことが起きているのかということの解釈に役立てていただければと思っている。

委員
 地域によって学校に求めるものが全く違い、学力の向上を学校に求める場合もあるが、学力の向上より生活習慣の育成を求める場合もある。ジャーナリズムが、塾が日本の学力を支えているという面が非常に強いということを指摘しているが、その部分の分析も必要かと思う。

委員
 これからこれを根を詰めて議論していこうと思うと、ほかの観点も取り入れて見てほしい。例えば、基本的には現状の指導要領ありきで、その中でつくられた問題であり、その中で判断された設定通過率でしかないので、指導要領のねらい、中身、あるいは時間数がどのように変わってきているのかという側面的な資料がないとまず判断ができないと思う。
 それから、どういうふうなアウトプットを期待するのか。ある種のねらいとして、例えば非常に極端な言い方だが、本当の落ちこぼれだけをなくしたいということをねらってやるのか、あるいはそうではなくて、個性にあふれた秀才がたくさん欲しいということであるのかということによって分析が変わる。もうちょっと深く分析しないといけないのではないかという感じがする。
 二つ目に、検討するに当たっては、もっと別の角度から今の実態をとらえた、例えば塾の在り方とか、そういうことがもう少しデータとして、あるいは見解や意見としてないと、なかなか判断がしにくい。この結果を見ても、いわゆる考える力というか、そういうものに関するものが非常に劣ってきているという表現が多いが、学校だけで身に付けるものではないはずであり、家庭だったり、あるいは友達づき合いだったり、社会の中でということだと思うので、そういう観点がぜひ必要だろう。
 3点目に、例えば英語でも、何を求めるのか。例えば、昨今、日本人の英語力はだめだと言われるが、最近、会社を受けて合格する人たちのTOEICの点数はすごく上がっている。それは一部の人かもしれないが、そういうアベレージを求めるのか、誰でも英語を読めるようにということが本当に必要なのかということもある。何をどういう目的でやっていくのかということを、ある程度議論をする必要がある。

委員
 国語教育について、きちんとした日本語が言えなくなってきている一つの原因としては、テレビの影響がものすごく大きい。アナウンサーはもちろんだが、出演されている方々が、きちんとした日本語を使っていないということが多い。日本語がどんどん崩れていっている。ここで議論することなのかわからないが、そういうことを一つ頭に入れておいていただきたい。
 理数教育については、様々な事象について体験することが大事であり、国のいろいろな研究施設の公開日の一覧表を作り、先生方に、「こういうことを公開している」などの情報提供を行うことが必要ではないか。
 外国語教育については、きちんと上品な英語をしゃべる人を、どこかでフィルターをかけて採用しないといけないのではないか。

委員
 小学校の場合、算数の設定通過率が落ち込んでいる部分に、やはり文章題が読み取れない子どもたちが結構いて、読解力不足が算数の学力に大きく影響しているということが非常に大きいと思う。
 これからの時代に求められる国語力について、文化審議会答申が出ており、施策としては大変よいと思う。
 先ほど、地域差とか、学校差ということの話があったが、地域とどのように連携した国語力向上を図っていくかとか、家庭とどのように連携を図りながら子どもたちの国語力を高めていくかということが大切であり、今後、国語力向上の答申をどう具体化するかということが課題になる。その辺のことについてもぜひお願いしたい。
 学習指導要領の不断の見直しについては、国語、外国語、理数それぞれの専門部会等で検討し、充実させる方向になると、それが各学校にはね返ってくる。その時に時数がそのままで、本当に充実できるのかどうかということもある。教科再編のことも含めて考えているかどうかということも含めて、お聞きしたい。

事務局
 学習指導要領の不断の見直しについては、各教科別の専門部会において、当面、国語、算数、理科、外国語について検討いただくが、当然、本来の不断の見直しという観点からすれば、総合的な学習の時間、あるいは特別活動、道徳等も含めて、それぞれ必要な検討を行っていく必要がある。順次、それらの専門部会等についても、設置をしていただきたいと考えている。
 そして、それぞれの専門部会における検討の結果、充実ということになると、今度は学校としてそれを受けとめることができるのか、あるいは子ども全体の中でそういったことが負担にならないのかという観点からの御検討も必要であり、教育課程企画特別部会等でそういったこともやっていただき、さらに、部会全体として御検討をいただくということになろうかと。その中で、当然、教科の構成等についても、研究していく必要があり、教育課程企画特別部会等ではそういったことも視野に置きながら、全体の不断の見直しという中で取り扱っていただきたいと考えている。

委員
 英語教育について、小学校の段階で、私どもの地域では数年前からかなり進んでやっているが、接続の問題をぜひお願いしたい。
 それから、国語の問題で、マスコミの言葉遣いと、現実の学校教育における国語というのは、本当にかけ離れているという現実を、どこかできちんと何か示せないのかという実感を持っている。

委員
 国語教育、英語教育の充実に賛成だが、児童生徒、教員に与えられている時間は定まっているという部分が問題である。質の向上は結構だが、新たな内容を入れる場合は、削る場所も考えていただきたい。そうしないと、学校はパンクする。

委員
 マスコミの言葉遣いについて、子どもの周囲にいる方々が、どれだけ子どもに注意をすることができるかということがとても大切である。子どもに対して、言葉遣いを注意できる、あるいは注意し合える環境をどうやったらつくれるかということが、一つポイントになってくる。学校の中だけで日本語を教えることには限界がある。
 外国語教育に関して「音声によるコミュニケーション能力の重視」の中で、高等学校のネイティブ・スピーカーの協力を得て行う授業を積極的に取り入れ、国際理解を深めるようにするとあるが、これはとてもすてきな取組である。これから国際社会ということを考えると、海外の人の姿を見ただけで萎縮してしまうということがないようにするためにも、この取組は大いに充実していただきたい。
 また、国語教育に関して、「地域の特色を生かした取組(うつくしい言葉の育成)」とあるが、方言のことを指すのであれば大賛成である。ただ、必ずそのときに共通語もとても大切な伝達手段であるということを、あわせて必ず教育をしていただきたいと思っている。

事務局
 このモデル事業はいろいろな地域でやっているので、あるいは方言も入っているかと思うが、例えば総合の時間などで、地域のお年寄りなどから昔話を聞くというときに、当然、方言で昔話を勉強するとか、そういったことはいろいろなところで行われている。

委員
 カリキュラムの問題で、実際決められた時間しかないわけだから、学校でどうするかが課題である。
 また、通過率を上げるためには、条件整備が必要。例えば教員の場合、1時間授業を持つのに、1時間あるいは2時間ぐらいの教材研究をする、そのような時間の保障をしていかないと、毎日毎日追われるだけで十分ではない。
 学校へ行けば行くほどだんだん勉強が嫌いになっていくというような結果は、これは日本の高校教育で非常に問題点である。今の学校教育の大きな問題を提起している。今度、指導要領の問題、あるいは教育課程の問題を議論する場合は、単なる内容だけの問題ではなくして、条件整備も含めてやらなくてはいけない、総合的にその辺の部分もやっていただきたい。
 理科基礎とか、あるいは数学基礎という場合に、やはり学問として成り立つようなきちんとした系統性を持っていないといけない。ただ何かの羅列だけでは不十分。
 英語の場合、海外研修に教員を出すことに賛成だが、対象が少ない。1年に15人しか出さないというのでは少ないので、充実する必要がある。

委員
 英語教育というのは、自分が話したいとか、伝えたいという動機がないと、英語教育が抽象的な存在で、なかなか難しいのではないか。英文学のための研究を含んだ英語教育と、単にスキルとしての言語教育とを分けて考えなくてはいけない。英語は、スキル教育ではなくて、動機形成とか、必要性とか、意識づけとか、みんながこれから英語とパソコンが必要だと言い出したとか、そういう環境づくりがすごく大事なような気がする。

委員
 小学校の英語に関しては、ネイティブ・スピーカーは、必ず日本語ができる外国人ということで採用しているが、小学校の現段階では、英語だけの先生では効果的ではないと思っている。ネイティブ・スピーカーの言葉遣い等も、注意して、変なスラングを使わないような方たちばかりである。そういった状況で、英語教育だけを小学校でということでなく、上の段階で、中学生を通訳をつけずに海外に出すという事業をやっている。

委員
 盲・聾・養護学校においても、若干の学校でフォローアップのために調査をしたりしているが、障害のある方々についても社会参加、自立をしていくということを考えたときに、教育課程上の達成してもらわなければいけない実力はつけていただきたいという願いはある。ただ、障害種別の状態や特性に応じて教育課程上、ある特別の授業時数を持っていたりするから、どうしても教科の時数が大変少ないという問題点等もある。教材教具の創意工夫等でカバーしているが、十分ではない。特に、中学から高校にかけての教科の構造については、勉強が好きだということと大切だという人の有意な差があるという問題と、頑張っても克服できない課題の多さに戸惑う生徒たちが多いことも事実なのだろう。そういう意味では、今度の検討の中で、一つは教科の構造についてもう一度少し見直しをしていただきたい。
 軽度の知的障害の生徒に対し理科の教育で、民間の航空会社にいた方に、流体力学を説明をしていただいたが、非常に上手であった。そういう意味では、英語で、ネイティブという話があったが、たくさんの専門家が日本にはいるので、そういった方々をどう学校の中に入れ、対応していただくか、教員が学ぶという方法論もぜひこの中で考えていただく。いろいろな力を結集して、指導方法の開発にも当たらなければいけないのではないか。そのあたりもぜひ検討していただきたい。

委員
 先日見たテレビでは、算数の授業を国語の先生と組んで授業を展開して、問題の解答をいきなり数字で出すのではなくて、そのプロセスをすべて日本語で書かせ、また、その結果をどうやって解いたかを発表させている。算数の先生と国語の先生がしっかりと協力してやっていて、すばらしいなと思った。算数をやりながら、国語力も身に付けていく。ああいう方法をもっともっと研究すべきではないか。
 また、青少年団体活動の世界は、国際交流活動が学校に比べて盛んである。学校の教師はぜひ参加してほしい。

委員
 指導要領の改訂の方針、これからの教育の目標は大変すばらしいものを掲げているが、学校現場で実施されるときに随分ひずんだ形になってしまうことがあるとを感じている。例えば英語で、実践的なコミュニケーション能力を育成する、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てるということは、大事なことであり、全く異論はない。ところが、これが極端な形で文法的なルールは教えないほうがいいとか、発音練習などはやらないほうがいいとか、言われることがあるが、ネイティブの子どもたちはそんなことを取り立ててやっていないではないかという論理でいわれる。そういうことをある程度きちんとやることによって、むしろここにある目標が達成されるのではないかと思っている。
 算数・数学でも、課題学習を充実する、生徒が自ら課題を見つける、主体的に問題を解決していく活動を通してというのは、もちろん大事なことであるが、例えば目標とプロセスを混合してしまうと、ほとんど方法が身に付いていない段階から、さあ、自分で課題を見つけましょうということになる。実際には時間だけどんどん費やされる割には、ほとんど充実した活動ができないし、基礎的な知識・技能も身に付けられないという状態になってしまうのではないか。
 これから専門部会ができるということだが、その議論の中で、ぜひバランスというか、結びつきがうまく統合されるような方向になっていくことを望みたい。

委員
 一日科学教室を大学で開催していたが、動機付けがうまく行われて、進学してきた例もある。
 学校のリソース、時間も含めたリソースというのは限られており、NPOとか、NGOを利用するのが効果的ではないかと思う。英国では、たくさんのNPO、NGOがあり、いろいろな形の動機づけをやって、うまくいっている。今後、文部科学省としても考えていくべきではないか。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)

-- 登録:平成21年以前 --