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資料2
義務教育制度の今後の方向性について


(問題提起・永井 順國)

 今回の検討課題はいずれも重いテーマであり、軽々に扱えない。義務教育の性格・位置づけについての変遷、子どもの発達段階の変化などさまざまな論証・データを踏まえて、慎重に検討を進める必要があると考える。とりわけ、何らかの制度変更をする場合、想定し得る副作用や弊害など二次的効果を補うための配慮が不可欠であることは言うまでもない。このことを前提にした以下の問題提起は、教育問題を担当してきたジャーナリストの「目」によるものであることをお断りしておきたい。

1  就学機会の弾力化について
 欧米や戦前の日本のように、例外的に学校以外の場をも認める方向を検討する。

1  理由の第一は、近代学校制度の歴史の中で、「学校に行くことの意味」が大きく変わってきたことにある。かつて、学校は「行かせてもらえるところ」であった。それが今、万人にとって「行かなければならないところ」と変わっている。
 近代学校制度は、一握りの子どもたちの「特権」であった学校での教育を、すべての子どもに「権利」として保障することを目指してスタートしたと言い得る。
 近代公教育制度の下では、教育を強制され、義務づけられていたのは、保護者や国家であった。就学義務は親に課され、国家には、子どもたちに学校教育の機会を平等に保障することを法によって義務付けられている。
 ところが、すべての子どもに義務教育学校への就学が行きわたり、さらにより長く学校教育を受けられるようになった結果、本来は子どもにとっての「権利」であったはずの教育が、「義務」あるいは「強制」されるものへと変質している。1970年代から社会問題化した登校拒否(不登校)やいじめ、校内暴力などの現象は、強制色があらわになった学校に対する「異議申し立て」と見ることもできる。
 ついでながら、義務教育制度は近代化(産業化社会、工業化社会)とともに誕生し発展し成長し成熟してきた。その近代化が終焉を迎え、ポスト工業化社会・高度情報社会・知識基盤社会に転換しつつある以上、裏表の関係にある義務教育のシステムも内容も、変革の対象として例外ではありえない。
2  第二に、不登校の子どもの増加傾向との関係から考察したい。不登校問題はさまざまな要因が複合しているから、単純には論じられない。けれどもこの問題への対応として、かつて以下のような経緯があったことは着目されていいと考える。
 1992年3月、文部省学校不適応対策調査研究協力者会議が、「登校拒否(不登校)問題について―児童生徒の『心の居場所』づくりを目指して―」と題する報告書をまとめた。報告書は、「特定性格傾向の子に起こる」とされていた登校拒否を、「どの子にもおこりうるものである」という視点に一大転換したものとして知られる。
 この問題の論議の過程で、協力者会議では、欧米にはホームスクーリングやホームエデュケーションを認めるなど、義務教育を定めた法律に例外規定を置いている国が少なからずあること、日本でもかつて同様の規定が存在していたことに着目し、さまざまなデータを収集して議論を重ねたという経緯がある。
 ついでながら、日本の場合、1900年(明治33年)の改正小学校令で、「市町村長の認可を受け、家庭またはその他において尋常小学校の教科を修しむることができる」とされていた。現実にこの規定によって、家庭内で教育した事例や、法律上の義務教育学校ではない「トモエ学園」「池袋児童の村」などが存在した。1941年の国民学校令とともに廃止され、戦後の改革の際も復活されないまま現在に至っている。
 こうした論議を踏まえ、報告は「公的な指導が得られないあるいは公的機関に通うことが困難な場合で本人や保護者の希望があり、学校や教育委員会が適切と判断される場合は、民間の相談・指導施設も考慮されてよい」との方向性を打ち出した。これに沿って文部省は、学校以外の施設において相談・指導を受けた日数を指導要録上出席扱いができるよう措置している。また、これに準拠する形で、通学定期が発行されるようになっている。この措置は、学校以外の場での教育を、極めて限定的に認めた戦後初の事例であり、ある意味で「就学義務」と「教育保障」とのバランスを図ったものとも言い得る。

 今後、義務教育の例外的措置として、一定の条件つきでフリースクールでの教育機会を認める、あるいはアメリカンスクールなどの就学を可とする方向を模索する。ただし、副作用や弊害など二次的効果について配慮する必要があることは言うまでもない。

§ 学校教育法の用語について若干のこだわり
 学校教育法の目的条項に、「普通教育を施す」との文言がある。この「施す」という言葉には「広い範囲にゆき渡らせる。あまねく及ぼす」という意味合いもあるが、他方「恵み与える。あわれんで与える」という意味もある(いずれも日本国語大辞典)。
 義務教育制度が、子どもの「教育を受ける権利」を前提にした「就学保障」をベースとしていることを考えると、「施す」という用語は、一方的に「上から施される」ものとして、違和感を覚える向きが少なくないのではないか。

2  就学時期の弾力化について
 現行の就学年齢を原則にした上で、プラス・マイナス1歳の幅で、就学時期を保護者の選択の余地が入るようにすることを検討する。

 いわゆる「早生まれ・遅生まれ」の問題は、かねてより経験則的に語られてきた。中には、医師と相談の上であるいは医師に勧められて出生日を「虚偽申告」する例も現実にあると聞く。また、医学の発達や栄養状況の改善などによって、心身の発達段階がかつてと大きく変わってきてもいるだろう。逆に発達が未成熟のまま学齢期を迎えるという事例も少なからずあると聞く。
 そうした、医学的・栄養学的・教育心理学的データを詳細に分析した上で、弾力化の方向を探れないか。
 また、少子・高齢化がさらに加速されることを考えると、数の少なくなる子ども一人一人のポテンシャルを高め伸ばしていかない限り、社会の活力は維持できない。子どもの自己実現をサポートする意味も含め、可能な限り発達状況に応じて就学時期を決めるという考え方も成立するのではないか。
 ただ、就学時期の決定に際しては、保護者の意思の表示をベースにした上で、例えば医師、心理学の専門家、教員などで構成するティームの意見・判断を参考にするなどの枠組みを用意することが必要になると考える。

3  多様な学校間連携
 現行の学校体系の枠組みの中で積極的に進め、将来的には学校の区切りの変更につなげることを模索する。

 歴史に「もしも」は禁句だが、いわゆる四六答申が打ち出した「先導的試行」が全面的に実施されていれば、現在の学校体系はかなり変わっていたと思われる。
 四六答申は、幼・小一貫教育のほか、小学校と中学校、中学校と高等学校の区切りを変えることによって、各学校段階の教育を効果的に行うことをねらいとして、先導的な試行に着手することを促した。しかし、83の研究開発指定校の10年間にわたる取り組みは、ことごとく「点」の研究実践にとどまり、その後の学校制度の改善にほとんど生かされなかったという経緯がある。
 幼小連携や小中連携は、現在一部で実践が進められており、これをさらに促すことによって、将来の学校体系の変更を検討する際の参考とするのはどうか。とりわけ、幼小連携は、生活科の授業を合同で行うなどの実績が各地にあり、もっと広がっていい。



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