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資料2


教育行財政部会における審議状況について


   教育行財政部会においては、公教育及び義務教育の意義・役割について、また、これを踏まえた学校の管理運営の在り方について、アメリカのチャータースクールに関する海外視察報告、規制緩和の観点からの有識者ヒアリングも含め、6月18日以降、4回にわたり審議を行った。
   主な意見の概要は次のとおりである。


   公教育及び教育制度の在り方について

公教育が国民の信頼に十分応えているか、どのような部分で学校が信頼を失っているか分析し、そのために制度改革を含め、どのようなことを行う必要があるのかということについて検討することが必要。
公教育として確保すべき一定の教育内容・水準は全国的なものでなければならず、国民に対して平等に保障されることが必要。
教育の公共性という観点から考えたとき、教育というサービスを提供する側の視点だけでなく、教育を受ける子どもの側の視点に立って考えることも必要。
教育を受ける子どもの視点から考えたとき、学校教育という公共性の高いサービスについては他のサービスとは大変異なる性質を持っている。例えば、学校教育以外の他の多くのサービスについては、購入するかどうかは自由であり、代替性もある。また、サービスを提供する側も比較的容易に方針を変えることができる。こうした学校教育というサービスの特質も踏まえて、学校教育の在り方について検討することが必要。
日本の教育は世界的にも評価されているが、経済社会構造の変化に対応しきれなくなっている。過去の教育制度に対する評価を行い、さらに必要なことを改革していくことが必要。
単なる競争原理の導入で学校が良くなるかは疑問であり、追跡調査を行うことが大切。
教育は将来に向けての先行投資であるという考え方に立ち、家庭の教育状況や我が国の経済情勢を考えたとき、教育の質を高めていくためには公教育に対する財政投資が必要。
財政支出削減については、経済の活性化や国の財政の逼迫状況の観点からの考え方が先行しているのではないか。
最少の経費で最大のサービスという財政の論理だけでなく、子どもにとって最善の制度や内容は何かを考えていくことが必要。
とりわけ義務教育については国の根幹であり財政投資を減らすべきでなく、教育に対する予算全体もメリハリをつけていくことが必要。
就学年齢を弾力化すると、今までの日本の同学年はみな同年齢という基本的な意識が大きく変わることになるため、慎重な検討が必要。
就学義務の弾力化は、就学義務の猶予・免除との整合性を図って検討すべき課題。
教員の給与にはインセンティヴメカニズムが働いていない。すぐれた人材を確保するためにはそれに見合う給与が必要。


   義務教育の意義・役割、義務教育のあり方について

義務教育におけるナショナルミニマムを明らかにすることが必要。
義務教育の大きな意義・役割は、国家・社会の形成者の育成であり、また、一人一人の個性・能力を伸ばすということと考える。
義務教育のナショナルミニマムは、国家が国民に対してどのような教育を保障するかということと考える。
日本のどの地域に住んでいても、一定水準の教育を受けられることを保障することが義務教育の役割であり、国策としてこれを維持することが必要。
我が国の義務教育制度の最大のメリットは、日本中のどこでも同質の教育を安心して受けられることが担保されていることである。画一性を排除するための努力は当然必要であるが、過度の規制緩和により、義務教育制度の優れた面が崩れてしまうことはあってはならない。
義務教育については、子ども一人一人の発達段階に応じて、何を身につけさせるかという面からの検討が大切。
義務教育は国民の信頼に十分に応えられるようにすることが必要。
義務教育制度を変えたことが学力低下をもたらした他国の例もあり、国民に保障すべき国の最低基準を確保する観点から制度の改革には慎重な検討が必要。
未来を担う子どもたちに対して良い教育条件を整えることが今の大人の使命であり、義務教育では、通学しやすく、安心して信頼できる学校を用意することが大切。この点、消費者主権を強調しすぎると、何のための改革かが忘れられる可能性がある。
義務教育に国際競争力の視点を忘れてはいけない。そのためには、諸外国の事情を分析することも必要。
公立学校は、一定の教育条件を整え、ある意味では画一的な教育をせざるを得ない。そのような制度に合わない不登校の児童生徒が増加しており、このような子どもたちについては、民間の教育施設等の協力により何らかの教育を行っている。義務教育制度の在り方を検討するに当たっては、このような点も十分考慮することが必要。
不登校児童生徒数等を見たとき、今の義務教育制度が必ずしも機能していない面もあるのではないか。その点、学校外の資源を活用していくシステムを考えていくべきではないか。
障害児教育やLD/ADHD等発達障害を持つ子どもに対する支援についても検討することが必要。
我が国がよって立つところは人的資源に他ならず、教育が人的資源向上のために役立つものであれば、教育を受けた子どもは一部の地域のみならず国全体の財産であるから、国庫負担制度の維持は大きな意味があるのではないか。
教育は人づくりの基本であり、それを支えているのは義務教育制度である。その教員の給与等の基盤が地方公共団体に完全に委ねられてしまうことは義務教育段階の学力の一定レベルを保つ上で不安がある。
保護者の経済状態によって義務教育に格差が出るということは認められない。


   学校の設置主体のあり方について

学校は児童生徒の立場から、ゴーイングコンサーンを基本としている。このことを無視して、マーケットメカニズムの観点からのみ考えることはいかがなものか。
私立学校が株式会社と異なる点は、私立学校の設立は私財の寄付によって成り立っており、事業失敗の退路を断っていることにある。
我が国の学校法人制度は、世界に類をみない優れた制度であると考える。参入障壁はかなり低く、多様な活動ができる仕組みになっている。
株式会社は学校法人と比較したとき、目的、ガバナンス(運営)、財務等の面から、教育の主体として扱うことについては、十分慎重であるべき。
株式会社の目的は営利追求であるから、悪いサービスの提供者は自然淘汰されるという考え方もあると思うが、短期的にも、学んでいる子どもを犠牲にするようなことはしてはならない。
地方と都会では教育事情が相当異なることに留意する必要がある。地方においては、地域が学校を中心としてコミュニティーを形成しており、地域が子どもの教育のセーフティネットの役割を果たしている。株式会社では、こういう点が切捨てられることにならないか懸念する。
アメリカにおいては、株式会社を含めて学校の設立は比較的自由であるが、公金の使用は厳しい。日本で同様のことを導入するのであれば、公金の支出については、厳しく点検することが必要。


   公立学校の管理運営のあり方について

管理運営の民間委託や義務教育費国庫負担金の問題については、もっぱら財政面から教員の人件費を削るべきなどの観点から議論されている。義務教育という視点から妥当かどうか検討する必要がある。
公設民営については、すでに保育所で始められているが、保育の質が低下しているのではないかと懸念する。学校の公設民営の検討においては、教育の質、教員の質が維持されるような枠組みをしっかりつくることが必要ではないか。
管理運営の問題に関して、教員の主体的な参加を促していくことも大切ではないか。今後は、教員以外の者が例えば補助員として協力していくことなども大切であり、その点について教員の意識改革も必要ではないか。
現在の制度では、設置者である市町村に人事の権限がないため、市町村が仮に管理運営の委託を行う場合でも人事については委託ができないことについて、最終的な責任の所在を含めて検討する必要があるのではないか。
地方と都市の学校が置かれている状況の違いも考慮して検討することが必要。また、地域ごとに特色ある教育を充実させていく視点も大切である。
旧来の学校文化からいかに脱却していくかという視点からの検討が必要。視点としては、1学校及び学校の組織の自由度をどのように高めていくか、2スクールガバナンスをどのように見直していくか、3資金調達の仕組みをどのように変えていくかということがある。

(学校の管理運営の在り方に関連して、アメリカのチャータースクールについて、以下のような意見があった。)
チャータースクールはいわゆる公設民営ではなく、「民設」で、教員も民間から雇い、運営については、公が資金を提供する。そこがチャータースクールとコミュニティ・スクールの最大の違いである。
チャータースクールは、チャーターを得た途端に、いろいろな学区の規制から外れ、自由になるが、その分だけアカウンタビリティの責任を負うことになるため、我が国のいわゆる公設民営とは異なる。
アメリカと日本では教員の資質やステータスが全く異なる。アメリカの場合は有資格者が足りず、無資格者が採用されている。
チャータースクールの規模は非常に小さく、法律により希望者は入れる仕組みになっているが、制度的に制限されていなくてもそのほかの理由で制限されているという指摘があった。
アメリカのチャータースクールは、子どものケアと安全を確保するために、貧困地域に設置されているが、これはこれからの日本の公立学校が直面していく問題とも言えるのではないか。保護者が子どもを十分に教育できなくなっている状況があり、これからの公教育の役割として、子どものケアを含め、福祉的な要素を担っていくという考え方も大切ではないか。
チャータースクールの成果の一つとして、授業以外の放課後のプログラムにおいて、地域の関係者や保護者も参加し、学校が地域の中心となって地域再建の一翼を担っている場合がある。また、チャータースクールにした指導困難校が他の公立学校と比べて同じ程度学力が伸びたケースがあるようだが、チャータースクールの評価自体はまだアメリカでも定まっていないのが実情である。




(参考)学校の管理運営の在り方等に関する米国調査結果概要


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