第3回高等学校部会における主な意見

■.何を学ぶか(教科横断的な視点での教育課程の編成)

○必ずしも知識があって、その後に運用する力という順でなければならないということはない。基礎的な科目を履修した上でなければ探究的な学習ができないということはなく、実際に総合的な学習でも、それがはっきりと見られる。問題は、科目の順番ではなく、そこで何が行われるかの担保。

○国際化に対応した教育は今後重要となる。英語、語学にとどまらず、総合的なコミュニケーション能力、自己主張をしっかりできるようにするため、国際感覚をしっかりと身に付ける、あるいは日本人としてのアイデンティティも培っていく上で、科目横断的な取組や授業以外の学校活動の中での取組も必要。学校現場では、まだ手探り状態なので、その部分を総則の部分でしっかり書き込んでいただきたい。

■.どのように学ぶか(指導案等の作成と実施、学習指導の改善・充実)

○通級指導の話ではあるが、先生方がそれぞれ自分のクラスで、全員の子供が分かるようにするという授業改善を行うという授業研究そのものが余り高等学校で行われていない。多少なりとも改善していくという視点で、必要であればICTを用いるということも考えられるのではないか。

■.何が身に付いたか(学習評価の充実)

○理数探究、総合的な学習の双方に関して、単位認定の在り方について言及して欲しい。単位認定は基本的に各教科で、目標準拠をどのようにするかということになっている。総合的な学習の時間については、各学校で目標を決めるため、直接関わる形では目標準拠を書けず、曖昧な書き方になってしまう。これは恐らく理数探究も同じ。しかし、探究のプロセスに関わる目標準拠評価の視点やルーブリックは示すことができるのではないか。それをしっかり示し、それが担保されていなければ認定できないという形にすることで、総合的な学習と理数探究の内容が変な方向に引きずられず、探究の内容までは規定できないが探究のプロセスを踏むという点を規定することができるのではないか。

○探究的科目は基礎と実際に探究を行う部分とに分けている。基礎の部分は実際に手を動かしながら勉強していく、理解していくこと。これを学校でどう評価していくか。ポートフォリオ的なルーブリックをきっちり決めて、評価をすることになるのではないか。高等学校ではポートフォリオ型の評価が一般的ではないが、今後はきちんとしていいかなければならない。大学はポートフォリオ的評価が進んできているので、高大接続でつながっていく視点は持っている。

○探究的科目を実施する上で重要になるのは、生徒の現状がどうなっているか。探究的科目をどう位置付けるか、高等学校の教育目標が明確にあり、どういった生徒を育成して社会に送り出すのかというものがはっきりした上で設計されるもの。評価の在り方も含めて、現在の高等学校の現場からは新しいものになる。

○現状の目標準拠評価は、ある意味でのルーブリック。新たにルーブリックを作って5段階にするのではなく、今が3段階のルーブリックだと認識をする必要がある。各学校で学校に合わせた教育課程の中で5段階の評価をしなければならないが、今回の指導要領の指導事項に示されていること自体がB段階であることを押さえておかなければ、評価論がまた新たな評価論を生み出し、混乱を生むということになってしまう。

○一人一人のキャリア形成と実現という観点から、カルテやポートフォリオなど自分自身で自己省察、自己内省をし、記録していくことで、教える側だけでなく生徒側が自分どう自己省察していくかを教科やボランティア活動など、高等学校においても多面的・総合的に評価していくことが求められる。個に応じた学習の支援も含め、自分で付け、自分で考える力を育んでいくことが全体を通じて重要になる。

○ポートフォリオ、仮称キャリアパスポートは教育活動全体を通じて活用されるべきもの。特に理数探究や産業社会と人間などの教科と、深い学び、探究的な学びが、今後大学受験や就職活動に結びついていく可能性がある。自らが積み重ねてきたものを振り返り、自らの自信とし、自ら身に付けた能力を自覚していく手段として、ポートフォリオの活用を、高等学校を含めた初等中等教育段階で真剣に考えていくべき。高等学校の多様化は今後避けられず、多様性は当然広がってくる。その中で、筆記試験や実技試験ではカバーできない学びをどう評価していくことを考えたときに、ポートフォリオのようなツールがどうしても必要。また、それをどのように記載し、どのように自己評価し、第三者評価をどうしていくのか議論を積み重ねていかなければ、学校現場に大きな負担が生じてしまう。

■.個々の子供の発達をどのように支援するか(個々の児童生徒の発達の支援(生徒指導、キャリア教育)、特別な配慮を必要とする児童生徒への指導等(特別支援、日本語指導)

(キャリア教育)
○今の日本の若者は、大学入学のために受験対策、就職のために就職対策といずれも対策を乗り切っていく形になり、ミスマッチが出てくることが多い。そのためには自己省察、自分をきちんと振り返っていくことが重要。キャリア教育については、思考力・判断力・表現力の部分を「できること」「意義を感じること」「したいこと」を通じてまとめてはどうか。これは「will」「can」「must」と言っていて、やりたいことに対してやるべきことをやっていき、できることを増やしていって向かっていくというもの。これを総合学習の時間だけではなく教科を通じて、一緒に連動してできるようにしていくことが大事。

○高等学校に限らず小・中・高を通じてキャリア教育の視点をもって見直していくことが重要。新入社員に求められる能力としてコミュニケーション能力が挙げられるなど、いわゆる基礎的・汎用的能力、ジェネリックな力が日本の企業では特に求められている。そうした汎用性の強い力をどう付けていくのかをキャリア教育という視点で見直し可視化することは重要であり、特別な教科道徳、総合的な学習な時間、特別活動のみならず、各教科を通して身に付けるということを明示すべき。その上で、公共や理数探究、基礎、あるいは産業社会と人間など各教科等との関係も将来的には整理されるべき。

○特に中・高においてはキャリア教育と進路指導の理念に差がないと説明をしてきた中、キャリア教育というタイトルの付く資料の中で進路指導という言葉を使うときには慎重にならなければ混乱が生じる。進路相談とする、あるいは横文字でキャリアカウンセリングとするなど考え得るのではないか。

○個々の生徒の発達の支援というところにキャリア教育を充実が書かれていると、結局は個人面談で、面談をちゃんとやって大学にきちんと合格させて、親御さんも本人もうれしいことが良いという理解を助長してしまわないか懸念がある。

○現在の学習指導要領は、中学校の学習指導要領にはキャリア教育という文言がなく、高等学校のみにキャリア教育という文言が入っている。そのため中学校の並びをとるということで進路指導とキャリア教育を並び称する形になっているが、そのメリットとデメリットをもう一度御検討いただきたい。現在の文言だと、生徒が自己の在り方、生き方を考え、主体的に進路を選択するための幅広い資質・能力を養うキャリア教育という位置付けではなくて、進路を考え選択していくというところに標準化される狭い進路指導、進路選択の教育のように読めてしまう。文言の検討と同時に、ガイダンス、カウンセリング、両方含んで教育活動全体の質を向上させるキャリア教育なのだという意義が全面に打ち出され、加えて、それが個々の生徒の発達にもつながっていくという構造にすることが望ましい。

■.実施するために何が必要か(家庭・地域との連携・協働、チーム学校等)

○理数探究については、諸条件の整備として必要経費の確保という言葉が出てくるが、他の教科はみんなICTの整備といったことが書いてある。費用の問題をしっかりと含めていかなければ学習指導要領が変わるだけで、こうしなさいと言われても、私立学校の場合には保護者負担がどうなるのかも考えなければならないので、しっかりと考えていただきたい。

○今回の改訂では、企業の協力、産業界との関わりが触れられている。理数探究の場合にも、現実に社会にある課題を捉えて研究する場合、大学や企業からの協力が必要となる。これを大学の場合はまだしも、企業に対してどう働きかけていくのかが重要。文部科学省として、社会全体として企業にどういう働きかけをしていくか、今回の学習指導要領の改正に併せて具体的に何かアクションプランがあるのか。それに対して企業側も積極的に協力していく。今の段階で、商工会議所や経団連など企業側とも是非連絡をとっていただきたい。

○カリマネと評価をしっかりと実施しようと思うと、学校には多くの負担が生じることになる。全ての教員がカリマネに関わろうとすると、そのための体制が必要であり、そのための時間と人がいる。評価の方についても、多面的な評価をしようと思うと、今の授業を持っている以外に特別な時間を作らなければ不可能で、必要な条件整備が重要。

○高等学校の現実の授業の中で学習指導要領が実効性のあるものになるためには、教科の具体的な指導の中で教科書の問題がどうしても出てくる。指導要領の教科・科目の構成内容に即した教科書になることが望まれ、指導要領が変わって、新しい内容になる教科書検定の在り方が大事。先生方が今まで行ってきた授業を引き続いてやるだけではなく、新しい理念や考え方が盛り込まれるような教科書が使われていくようにしなければならない。

○例えば、キャリア教育という言葉の意味がなかなか伝わらず、職場体験教育という見方になってしまう可能性もある。あるいはまた、総合的な学習の時間が高等学校で定着していない中、探究という言葉の独り歩きし、誤解を伴ってしまう可能性もある。評価の在り方も含め、周知徹底、共有を図っていく必要がある。

■.教科・科目等の構成及び単位数

○共通性の確保とは、進路に関わらず、学ぶべきもので、深い学びを含んだものである。一方、教育内容は減じないということは大変ありがたい考え方だが、例えば家庭科では、社会の要請もあり、例えば乳児との関わりや、高齢者の生活支援も盛り込むべきだといった意見がある。そうした中、この必履修がうまくはまるのかは検討が必要。

○家庭基礎は現実に6割を超えて7割近い学校が履修している一方、専門科目としてフードデザインや子供の発達と保育といった科目を加えて履修をしているという現状もある。学校の実態に応じて様々な履修が考えられるという点は引き続き確保すべきだと考える。

○選択科目の在り方について、共通必履修がそれぞれ何時間ぐらいになるのか、選択必履修がどうなるのか、また、数学の細かい科目や物・化・生・地等の在り方、大学サイドが今度どこまでのものを望んでくるのかなどが見えてこない。理数探究ができることで、数学や理科の細かい科目がどうなるかなど、変化がわかるようにして欲しい。 総合単位数74単位を変えないのであれば、この74単位をどう振り分けるかという表を早く出して欲しい。

○卒業に必要な74単位で、それぞれの各高等学校が特色を出すということは良いことだが、実行する段階で、本当に単位認定ができているのかを考えなければならない。すなわち1単位50分で35週、1,750時間をきちんと実行できているかどうか。90分授業で35週をしたのでは未履修が生じることになるが、こうした時数の問題、さらには高等学校3年生1月以降の授業時間の確保、特に大学受験との関係など、74単位の単位認定が曖昧になってしまわないよう実効性を確保する必要がある。

○教科・科目の構成及び単位数について、総単位数74単位以上とすること、あるいは各教科・科目の単位数について、あるいは理数探究(仮称)に関する総合的な学習の時間との読み替えなどは、事務局からの説明及び本日の議論の方向性で良いということでよろしいか。また、総則の改善イメージについても、指摘のあった点を踏まえ、大体がこの方向性ということでよろしいか。(委員から意義はなし)

■.高等学校におけるカリキュラム・マネジメントの具体的な方向性

(義務教育段階での学習内容の確実な定着)
○義務教育の学び直し、授業になかなかついていけない子への配慮については、従来から学習指導要領に記載があった。教育には、伸ばす教育と支える教育、二つの面があると思う。学習指導要領では、その性格上、伸ばす教育についてはこれまでも書かれているが、支える教育の方は、どうしても小さくなってしまう。実際の学校では支える教育が非常に重要で、本体を書く場合にも、これまで以上に強調して書いていただきたい。小・中についても学習に遅れをとる子は必ず出てくるので、小・中も同様にしっかりと書き込んでいただきたい。こうしたことは、子供の貧困対策といったことからも必要と考える。

(その他、高等学校におけるカリキュラム・マネジメントの具体的な方向性)
○高等学校は、基本、単位制だが、一般的には学年進行という縛りがある。入学から卒業までを見据えた視点でカリキュラム・マネジメントを考えていくことが重要であり、その突破口として、総合的な学習の時間をキャリア教育とも結び付け、3年間にわたって追求するテーマを設け、部活動のように1年から3年が同時に出会うような、時間を設け、効果を上げている例もある。子供たちは先輩の探究する調査や本を読む姿、討論する姿を見聞きしながら、自分もさらにその上の学年、社会も見据えながら学習する姿が作られ、教員も自分の教科・科目に縛られず、そのテーマに沿って勉強してテーマを支えるという取組で、カリキュラム・マネジメントの効果もあげている。こうした視点も是非総則でも考えていただきたい。

■.その他、高等学校の教育課程の改善充実に関する事項

○知識・技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力・人間性の学力の3要素を義務教育段階からつないでいこうとしている中、学習指導要領に書いてあることを先生方が理解しても、生徒がきちんとこの能力を身に付けるかどうか、認識できるかどうかが重要。義務教育段階から大学まで含めて、生徒や学生が身に付ける資質・能力を意識しながら教科に向かっていく、あるいは学生生活を送ることが重要。

○小・中の通級、発達障害への対応が強化されている中、小・中学校にあって高校にないというのは教育課程全体を通しても非常に違和感がある。保護者や生徒自身からもそういった声がある中だが、高校の教育現場では今までなかったことなので、教材や指導者については手探り状態。実際に通級を設定していくためには時間と人材、教材を準備していかないとなかなか満足な受け入れ体制ができない。その点は文科省の方でサポートをしっかりとお願いしたい。

○高校改革の中でのインクルーシブ教育を主とした高校を作る中で、特別支援学校の分教室として高校の中で支援教育を行う高校があるが、現状、どうしても通常級の教育が主に置かれ、例えば分教室でも交流授業や交流学習を多くやるようにと言っても実態的には、文化祭や体育祭などの行事的な部分でしか交流が行われていない。小・中学校では取り出し指導など、学習面に関しても一緒にやっているケースが多くあるので、どう障害のある子供たちと向き合うか高等学校の先生方の意識改革、特に研修面で今まで以上に取り組み、是非定着するような形で実行されたい。

○98%の子供たちが高校に進学する中、小・中学校で言われている、いわゆる6.5%の特別な支援を要する子供のうちのほとんどが高校に進学することになる。その中で教員への研修をはじめ学校全体で取り組まなければならない問題として取り組んできているが、どうしてもそれだけは充足できない子供たちが、現実問題としている。教育課程上は通常学級の教科で履修できるとしても、対人関係上の問題やコミュニケーションに問題があることで、他の子供たちとうまく関係性がとれない、授業の中、少し認知面で問題があるなど通常学級の中でだけはカバーできない部分がある。通級という特別な指導の枠を設け、自立活動の指導を中心として、そこでの学びが通常学級の中で生かされていくことが必要。その際、時間数については、子供のケースによって柔軟に幅を持たせ、選択教科的な入れ方や時間外、放課後にとれるといった工夫も必要。

○よく課題になるのは、保護者の理解。またこうした指導の時間割をタイトな高等学校の教育課程の中でどう確保していくかも重要。この辺りについて、具体的に実践されている例などがもう少し紹介されると良い。

○各学年に相当数の特別な支援を要する生徒がいるとするならば、その他の生徒たちがこういうした生徒たちとどう触れ合うのか、助け合うのかという指導がかなり重要になる。

○専門高校の多くは25単位は下らないということで専門科目の学習を行っている。これを変えないとすると、一番気にするのが、特に大型の産業機械を使うなど、けがをする危険性のあるもの。こうしたものに取り組む場合、かなり人の手を必要とする。制度としては賛成だが、安全面にも配慮する必要があることに留意していただきたい。

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