第6回小学校部会における主な意見

1.小学校段階におけるプログラミング教育に関する有識者会議について

○ 小学校は教科担任制ではなく、一人の先生が全て教えている。また、何々教育というものが次から次に入ってきており、次期学習指導要領においても、中学年における外国語活動、高学年における教科の外国語が入ってくる中、なかなかコマ数が取れないので、短時間学習でやるといった議論を行っている。その中で、新たにプログラミング教育を入れることについては、内容自体が不要だとは思わないが、具体的に小学校の学習環境の現状において、誰が一体どの枠を使って行うのか、実現可能な道を考えてほしい。

○ プログラミング言語を教えるのではなく、社会の中でのプログラミングの役割、論理的思考を学ぶとすると、既存の教科の中での論理的思考を教えるということと、どう関わるのか。例えば、総合的学習の時間の中で情報を扱っている学校の場合、どう扱うのか。また、中学校・高校での情報教育との関係も明確にする必要がある。

○ 内容を増やすばかりでは、到底小学校の先生はやり切れないと思う。新しいことをやるのであれば、それなりの人員と条件整備が必要である。デジタル教科書の導入等、ICTの活用についても、地域格差が懸念されている。このような段階で、次から次に新たなものが出てくると、小学校の先生の疲弊感は強くなるばかりなので、実現可能性を考えてほしい。

○ 小学校の現場にいたが、ICTの活用が、往々にして非常にドリル的に使われたり、ICTの活用自体を目的として使ったりしてきた中で、思考を深めるためのプログラミング的なことを行うことに賛成する。

○ 何をどう使ってどう考えさせるかがとても重要であり、それを明確にした上で、教材なり教具なりを選んで活用していく必要があると思う。プログラミングといった片仮名の言葉を前に、現場の先生が右往左往しながらも飛び付いているような姿が見受けられ、少し危険を感じている。例えば、具体的にプログラミング的思考がどういうことなのか示し、それぞれの活動の中でそのうちのどの部分が伸びるのかといったことや、プログラミングの教科から離れて教科横断的に活用されていくときに、プログラミング的思考のどの部分が教科のどういう活動でどう役に立つといったことが、明らかになる必要があると思う。

○ プログラミング教育が論理的思考力、創造性、問題解決能力の育成、コーディング教育という大きく二つの内容から成り立っており、ITを武器として創造性を発揮し、アイデアを実現できる人材を育成していくことについて、非常に魅力的だと思う。

○ 実際に小学校の現場でプログラミング教育を実施していくときに、どこで誰がどのようにやっていくのかが疑問であり、また、学校として既に多くのことに取り組まなければいけない現状の中で、どのような位置付けでやっていくのかも大きな課題である。
例えば、総合的な学習の時間でプログラミング教育を行い、教科と関連させていくという提案があったが、今、総合的な学習の時間では、例えば環境教育など、○○教育を切り口として学習を進めており、そこに新たにまたプログラミング教育をうまく取り入れていくだけの余裕があるのかというと、非常に厳しいというのが実感である。

○ 私が運営委員をしているICTの研究校では、音楽や国語の授業において考える場面でICTを活用していたり、理科では、グループで実験を行う際にタブレットや電子黒板を活用してそれぞれの考えを共有していたりする。また、図書室においても、タブレットを活用して、子供たちがどの本をどう読んでいるのかといったことを司書が把握できる状況となっている。これらから考えると、プログラミングも、各教科等の授業と組み合わせることで、円滑に行く可能性はあるかと思う。

○ 職員会議の効率化が果たされている。自分の机の前にある情報端末で、ほとんどのことは把握しているという状況を前提とし、長く縛られる会議を出来る限り排除することで、その分、授業研究に充てられる時間を学校内で作るといった工夫がなされている。

○ 喫緊の課題は、全国的な環境整備だと思う。ある過疎地の学校では、児童生徒も大変少なく、先生の数も限られ、専門の先生がいないといった実態である。このような環境にいる生徒が、ICTの活用によって他の地域と同じ授業を受けられるようになると考えると、今後必要になってくると思う。

○ 今提案されているプログラミング教育が、一つの可能性としてなのか、あるいは教育課程に入れ込む必要があるのか等の方向性を明確にする必要がある。今も企業や団体から提案されている学校への出前授業やプログラミング授業などのように、選択肢の一つとして、各学校が判断して行うのか。あるいは、子供の資質・能力に応じ、教育課程において取り組むのか、またその場合、学校現場が何を担うのか、他の地域、企業、団体がどのような形で参入するのか。このようなことが具体的に見えてこないと、意見を出しづらい。

○ これからの時代、子供にゲームの方面ばかりたけていくよりは、こういう方面でどんどんたけていってほしいなと思っており、良い方向ではあると思う。

○ ICTについては、条件整備の格差が課題であり、ICTの活用方法が提示された時の受け止め方は自治体によって異なってくると思う。より効率的な授業や、より創造的な授業のため、子供の表現力の一つのアイテムとして、あるいは公務改善のためといった、基本的なICT活用の意味での整備ができていない自治体もある。

○ 現在は、小さい子供もスマホを使っているような環境であり、これからの情報化、グローバル化の時代の流れを考えると、プログラミング教育などを入れていく必要があるように感じる。

○ 小学校段階におけるプログラミング教育の取り入れ方について、中学校では技術・家庭の中に位置付けられている。小学校では、プログラミング的思考というものをうまく組み入れていく必要があると感じている。小学校段階で何を求めてプログラミング教育をどう使っていくのかを、小学校の発達段階を加味しながら、ツールの一つであること、アナログ感覚も重視すること等をよく考慮して導入していく必要があると感じている。

○ 情報化社会、グローバル社会といった社会の大きな変化に対応し、また子供たちの実際の姿からも見て、プログラミング教育というのは魅力的かつ、必要性もあるように思う。2030年を見通すと、今の状況はもっと促進されていくのではないかと思うと、今そのことを見通しておく必要があると思う。

○ カリキュラムの中での位置付けについては課題として出てくると思う。例えば現実の学校に適用しようとしたときに、既設の教科・科目の中に位置付けていくのか、一つの教科・科目という形ではなく、教科横断的な形にするのか。既存の科目で言えば、総合的な学習の時間、算数科などが関わってくると思うが、それらを勘案しながら方向性を模索していくことができるのか。

○ プログラミング教育を行うに当たっては、それぞれの小学校でどのように取り入れられていくのが望ましいのか、小学校6年間は幅があるが、これを実現していくときにどのように具体化をしていけるのか、といったことも課題だと思う。

○ ICTは障害のある子供たちに良い支援をしている。子供たちが身近にあるものがどうやって動いているのか、簡単な原理・原則、考え方、論理性を触れて、知って、更に役立つ様々な発想が生まれてくることを考えると、非常に重要だと思う。

○ この先生きていく子供たちにとってより重要な課題だと思う。大人になじんでいないからとりいれるのは難しい、ではなく、子供にとっての必要性から、共に育てていこう、学んでいこうということで考えるのが良いと考える。教師が全てをマスターした上で教え込まなければいけない、知識・技能を伝えなければいけないという考えではなく、教師が一歩だけ先に予習しておき、子供たちとともに学んでいくといった学び方を想定するならば、現場にそれほど負担感はないのではないだろうか。

○ 小学校レベルでプログラミング教育をどうするかというときに、大まかに二つの立場があると思う。一つは、プログラミング言語の子供用に向いたある種のものを取り入れて、何時間かでそれを訓練していろいろなところで使うというもの、もう一つは、それは早過ぎるので、特定の言語に依存しない形で、どちらかといえばプログラミング的な思考が分かる活動を用意しようというもの。後者を重視すべきと考える。

○ 特定の言語は中学校以降に任せて、小学校では、現段階では、各教科の教材あるいは単元開発の中でプログラミング的思考を取り入れるのがふさわしいと思う。プログラミング的思考は、情報の流れで明示化、明確化していながら考える論理的思考といったものであり、ポイントは、幾つかの操作すべき記号、言語と、操作されるべき限定された現実の対応関係の中で考えることである。

○ デジタルとアナログは二者択一ではなく、共存あるいはそれを統合的に捉えることが、2030年に向けた一つの方向ではないか思う。

○ 現場からすれば、小学校のいつから始めるのか、時間はどうするのか等、よりもっと具体のところ知りたいところ。総論と、現場に下ろしたときの具体のところのすり合わせをうまく整えることが、今後の課題になるのではないかと思う。

2.小学校学習指導要領総則の改善イメージについて

○ 第3の小学校教育を通じて育成すべき資質・能力のところに、初等中等教育を通じて育成すべき資質・能力との関係ということが明記されていることは大変よいこと。今回、教科横断的に育てるべき資質・能力ついて、幼稚園・保育園の段階から高校3年生までの段階、それぞれの学年、それぞれの年齢で育てるべきというものを、ある程度具体的にしていく必要がある。それぞれの段階で育てるべき思考の種類、また、その指導目標が明確になっていく必要がある。それが、今まで話し合われてきた学習指導要領の縦の構造と横の構造のうちの、教科横断的に横に見たときに育てるべき資質・能力というのを明確にさせることだと思う。この点が明確になっていると、例えばこの思考力を育てるためには、この学年のこの教科のこの単元ではこのような活動をすればよいとか、そのときにはこのようなシンキングツールを使えばいいといったことが、その次に出てくると思う。

○ 第5及び第6のところで、家庭・地域との連携・協働ということが明記をされているが、ここで、どこまで具体的に今までとは違った協働ということが表現されるのか気になっている。分かりやすく表現をすると、実際に地域の方々が目にされても理解が早く進むのではないかと思う。

○ 第3で、主体的・対話的で深い学びを通じてという文言があり、この部分が肝要だと思う。主体的で対話的だけではいけないわけで、深い学びが非常に大切になってくる。この深い学びというのは、その教科等に特有の見方あるいは考え方、そういうものが身に付くということ。そこを明確にした表現の仕方が必要かと思う。

○ 主体的・対話的で深い学びの実現の視点からの授業改善については、算数・数学ワーキンググループにおいても、かなり関心をもっている。資料5の一枚目、新たな枠組みに関して教科の独自性を反映するような形での整理、それから二枚目、三つの柱との関わりで学びがどのように高まっていくかというイメージ図。これらについては、第3のところで、もう少し目立つようにしっかりと表現できればと思う。

○ 第4に関して、発達の状態に個人差があるということを考えると、障害のある児童が様々な面で遅れるということはもちろん、障害のないとされる児童たちの中にもかなり個人差がある。1年生なら1年生の内容が全部できるかというと、そういうことではない。感覚的に言うと、大体できるのは7割ぐらいかと思う。文部科学省の過去の調査によると、学校の勉強が分かると答えた子供さんの割合が小学校で7割という数字があった。分からないことがあるといった子供たちに対して、もう少し柔軟に、ゆっくり学習ができるようなことができると、本当に全ての子供たちを救える学習指導要領になるのではないか。

○ 第1、2の健やかな体については、安全に関する指導や食に関する指導のことが現行でも書かれているかと思うので、今回も具体に明記をしていただきたいと思う。併せて第5の学習活動の充実のための基盤というところについて、安心・安全な学校づくりには地域の力、保護者の力が欠かせないものかと思うので、ここで子供たちの安全・安心を守るための活動のような内容で、地域とそういった協力がより深まるような言葉を入れておく必要があると感じている。

○ 特別な配慮を必要とする児童については、できるだけ早く発見して早く支援することが大事かと思っている。幼稚園や保育所は私立が多く、公立は少ない。私立についてはなかなか教育委員会もアプローチできない。この点をどうするかが喫緊の課題だろうと思う。

○ 何ができるようになるか、何を学ぶか、それからどのように学ぶか、それぞれ教育の構造で言うならば、目標・内容・方法になる。その後で、評価がくるが、資料3は正にその流れに沿って作られている。第3のところで教育課程の実施と学習評価とあって、ここは一緒になっていて、第3の2のところの学習評価の充実、これはここの第3の中に含めるのがいいのか、あるいは構造を明確にするという意味において、この学習評価は別立てする方がいいのかという構造上の課題がある。何が身に付いて何が身に付かなかったかという観点から、評価についてどのように明確に示していくのかということについては今後要検討。

○ 第2の3については、4の横断的にという表現と対照的に、縦断的にということで考えれば、非常に明確になっていく。タテヨコの全体の構造を明確にすることは非常に重要。

○ 各教科等の見方・考え方については、本体に記載するのがよいのか、リストとして付録の形で載せるのがいいのか要検討。第2の5に調和の取れた全体の指導計画というのがあって、各教科との連携ということが記載されている。各教科を連携していくときに、それぞれの教科でどのような見方・考え方というのが教科独自のものとしてあり、教科独自のものとしてあるけれども全体の中にどのように位置付いていくのかということが分かると良いと思うので、意欲的、合理的に位置付けていく必要がある。

○ 第1の4について、資質・能力育成のためのカリキュラム・マネジメントの実現の中に、教科横断の話や、一つの大きな枠の中で各教科を連動させていくという発想が出ていると思うが、各教科の目標と、横断的な目標というものをどのように関連付けていくのか。小学校の場合だと、教科担任ではないので、ほとんどの科目は一人の先生が教えていく。その中で、どういう形で各教科の目標というものと全体の目標を関連付けていくのかということが問題になるかと思う。中学校以上になってくると教科担任なので、今度は教科間での話合いができるかどうかというのが問題になろうかと思う。その点について具体的にどのようになっていくということについて、より明確に見えるようにしていく必要があると思う。

○ 「社会に開かれた教育課程」というフレーズについて、社会というのをどういうレベルで捉えるのかということと、開くということは具体的にどういうことなのかということを、それぞれの各学校が学校レベルで考えたときに、どのように捉えるのかということが、現場の先生方にとっては難しいところだと思う。社会というのは、グローバルな世界というような広いこともあれば、地域社会ということもある。いろいろな観点があるが、個々の学校で教育課程を編成するときに、今までと違って社会に開かれたというのは、学校レベルで考えたときに、今までとどう違うのかというのが分かるようなイメージで記述される必要があると思う。

○ 第5のところに家庭・地域との連携・協働という見出しがあるが、これは具体的にどういうことなのだろうか。例えば小学校で考えてみると、今まででも地域人材の活用や、地域の公民館活動への参加等、いろいろなことをやっている。だからそういうレベルは既にやられていることなんだけれども、それを超えて協働という言葉を使う限りにおいては、今までのものとどこが違うのかということの具体的なことがもう少し分かるような記述が必要。

3.総則・評価特別部会、小学校部会、中学校部会、高等学校部会の取りまとめに向けた論点(案)について

○ 資料4の3ページ目、高等学校の課題に、義務教育段階での学習内容の確実な定着とあるが、むしろこれは義務教育段階の大きな課題でもあると考える。高等学校というのは義務教育段階での学習を基盤として教育が展開されるということなので、むしろ中学校までに義務教育段階での学習内容をいかに確実に定着できるようにするのかということを、小学校・中学校での大きな課題として位置付けるべきではないか。

○ 小学校の教科書であっても、それぞれ教科によって違う編集委員会があって、ばらばらに作っていく。そういう意味では、それぞれの教科の中の目標を定めて、それをアクティブ・ラーニングでどう教えていくかというのはできるかもしれないが、教科横断をどういう形で実現させていくのかについては、中・高はもとより、小学校でも難しいと思う。例えば国際バカロレアの場合のように、テーマ別の観点があって、それをいろいろな教科から違った視点で見ていくような教科書作りであれば、教科横断型というのも実現できるかもしれないが、それが果たして可能なのかということもあるし、それがない段階でやるというのは、相当大変だという気がする。

○ この取りまとめとめや総則が出来上がったときのことを考えると、いかに一人一人の教員が手に取って熟読するかということがすごく重要。現実を見ていると、先生たちが実際に教科を指導するときに、各教科の解説はよく読んでいらっしゃるが、総則は棚に置いてあるイメージがある。今回の改訂は、総則をまずしっかりと理解しないと、なかなかその趣旨が生きて働かないところがあるように思う。取りまとめや総則は、図や表を文章と併せてお示しいただけると理解しやすいという場合がある。短い時間の中で取りやすく受け止めやすい工夫、例えば図表や、段階が分かるようなもの、系統性が見えるものを、より多く取り入れていただけると有り難い。

○ クラブ活動については一つの鍵になると思う。特に中学校・高等学校の先生方の中で、部活動に関わっている時間が非常に長いという現実がある。教員の場合には労働という言葉ではくくれないという御意見もあるが、労働の時間で見るようなことも今後求められてきたときに、今のようなクラブ活動の在り方が今後もずっと続いていっていいのかどうかということについては、考え直す良い機会であると思うので、あえてここにクラブ活動という文言を入れるとよいのではないかと思った。

○ 学校段階の間の接続については、小学校6年間は大変長い期間なので、1年生、2、3、4年生と、5、6年生ということで、三つ程度の大きなくくりの中で、三本柱を意識して、学びというのを子供たちのどういう発達特性や特徴をもって積み上げていくかということについての議論についてしっかり整理をすることが必要。それを踏まえて、学び手への配慮について、先生方に対して認識を改めて問うという意味で、それぞれの年齢レベルでの指導の重点ということが分かるようにしていく、あるいは、そのように配慮して物事を考えていくということを明確に示していただく必要がある。

○ 小・中接続のところで、義務教育学校が括弧で示されているが、義務教育学校だけではなく、小学校・中学校も、学びの接続は今後重要になってくると思うので、義務教育学校のやることでしょうと思われないような書きぶりを望む。

○ 部活動については、部活のコーディネーターという役目が置かれるケースを知っている。学校の先生だけが部活の指導に休みの日も潰してやっていくことは良いことではない。先生が本来やらねばならないこととして、学校での授業の充実や、児童・生徒との向き合いの中での社会的な活動等があり、部活動については、先生・親以外の新たなるスポーツ指導者との関わりということを視野に入れて考える時が来ているのではないか。また、社会との関わりの中での生涯学習スポーツのような考え方が盛り込まれるとよいのではないか。

○ 今回の検討においては、それぞれの教科の存立そのもの、目指す目標や果たすべき役割といったものが問われている。それについては取りまとめの中でも簡潔に示す必要がある。

○ 資料5、アクティブ・ラーニングの視点について、用語の問題であるが、改めて見たときに、「主体的・対話的で深い学び」、「深い」というところだけが和語になっている。ここの「で深い」という箇所について、言葉の使い方としては美しくはないと思うが、美しさだけを求められるわけじゃなくて、実質を表す言葉が一番適切なということはよく分かるが、何か工夫が欲しいなと思うところ。漢語は、ある程度概念規定が狭められているが、和語の場合、非常に範囲が広くなる。広くなると曖昧になるという側面を持っているので、「深い学び」の「深い」という部分がいつも議論になっているのは、こういう事情があるかもしれない。ある事実があって言葉を使うわけだが、使用を重ねると、言葉がその内容を規定していくという形になっていく。初めて見た人がこれをどのように受け止めていくかというところでは、言葉を使う側には、そういったところの意識が大事だと思う。「学び」というのも和語。これについても同様に、「学び」が含む概念・内容を概念規定する必要があるのではないか。

○ 「等」という言葉について、思考力・判断力・表現力等の「等」は意味を持っていると思う。一方、資料5のらせんの中の四角の一つ目1行目から2行目に、「見方・考え方を働かせて思考・判断・表現し」となっている。左側の大きな枠の中では「思考力・判断力・表現力等」となっているが、どのように整合性を見ていけばいいのか。

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