第2回小学校部会における主な意見

■.発達の段階(低学年・中学年・高学年)を踏まえた学習・指導の在り方について

○ 小学校の場合の六年間は、学制改革をするわけではないので、それは変わらないが、他の校種と比べると、非常に長い年数。そういう意味で、小学校の低学年と中学年と高学年が同様の刻みでいいのか。例えば、低学年の場合には幼児教育との関連、高学年の場合には中学校教育との関連をもっと強くしていくということも提言されているわけで、そういうことを含めながら、小学校の低学年教育、中学年教育、高学年教育のそれぞれの特徴を生かす。そのためには、指導要領上の改変もいろいろあるとは思うが、やはり学校のカリキュラムをどうめり張りをつけていくかみたいなことをもう少し考える必要がある。

○ 一年生で一年生の内容、二年生で二年生の内容という今の基本的な仕組みについても、もう少し一人一人に応じた調整の幅を付けられるべきではないか。知的能力というのは、例えば、IQで示される知的能力については、同じまま推移するのではなくて、何年かたつと随分大きく変動するらしいということが分かってきている。二年生のときには二年生のことができなかったけれど、三年生になったらそれができるようになる子供も確実にいると思われる。そうすると、義務教育段階の内容を必ずその学年で習得しなければいけないのではなく、中学校の三年生までに何とか追い付けばよいというぐらいの幅を持って教えることができれば、全ての子供たちが学習を分かり、しかもきちんと社会に出ていけるという、そんな教育が実現できるのではないか。

○ 小学校の六年間は、特に低学年と高学年を見ると発達段階も全然違う。それが同じような指導の在り方で授業等を行っているということは、やはり不自然だと言わざるを得ない。現行の指導要領でも、発達段階、それから、子供の集中時間や持続力に応じて多様な枠組みは取れるわけだが、現実問題としては、45分の授業が基本。学校教育は、集団で学習することの良さを生かした、協働的な学びの部分と、自律した学習者を育てるという個に応じた指導というのを、授業の中でもかなり意識的に切り分けて入れていくべき時期にあるのではないか。日本の場合は、集団による授業研究、指導案を作って、授業をみんなで練り合うというようなことが強調されていて、いろいろな授業が、ある意味一律に、導入、展開、振り返りという形で構成されていく。1単位時間の弾力的な運用を進めるべき。

○ 1単位時間については、小学校の六年間、一年生から六年生まで45分を基準としているが、低学年あたりは学習に集中できる時間を考慮してもう少し短くする部分があってもいいのではないか。

○ 標準は45分だが、特に低学年の一年生などは15分、まず最初集中できればいい。その一方、高学年は、問題解決的な学習などを行うときには、45分では足らないのが実態で、60分は必要。ただ、このようにしたときに、他の教科との関係が出る。ここがやはりカリキュラムを考えていくときの一つ課題になる。

■.特別支援教育の在り方について

○ 発達障害の中に、読み書き障害と呼ばれる、聞く、話すは普通にできるのに、読み書きが難しい学習障害の一つがある。これは、実は使用する言語の特性によって表れてくる割合が違うと言われており、英語を使用する場合には、特に困難が高く表れるということが、ほぼ確実だと言われている。日本語の場合には、表記の方法が、平仮名、片仮名、漢字という三種類を常に使っていることが読み書きの困難を軽減しているという可能性が指摘され、一方、英語の場合には、アルファベットという少ない文字数のみを使っており、非常に複雑なルールに従って書かなければいけない。そのため、日本語の読み書きは普通にできるのに、英語のみ読み書きにつまずく子供たちが現れる。これから小学校に英語の読み書きを導入する上で、その点を、指導する教師がきちんと理解した上で配慮していく必要がある。

○ 英語の特性を考えるならば、読み書き障害の著しい子供については、中国語又は韓国語を外国語として習うという選択肢も与えるべき。中国語の場合には漢字というある程度親しみのある文字を使うということ、韓国語の場合には、表音文字というよりは音節を表す文字であるから、日本語との親和性が高く、さらに、非常に近隣の国で仲良くする上で有益である。

■.幼児教育、中学校教育との円滑な接続の在り方について
○ 小学校と就学前教育とのスタッフが全然違う。小学校の先生で幼稚園や保育所でも指導したことがあるという人は非常に少ない。そのつなぎの部分(小学校の最初の段階)に、小学校も就学前教育も知っているという人を何らかの形で入れていく必要があるのではないか。また、高学年は高学年で、中学校との接続の部分について、現状では、教科担任制を取り入れている傾向が強くなってきている。小学校と中学校の大きな分かれ目は、教科担任制であるのか学級担任制であるのかということ。そのつなぎをうまく行うべき時期に来ている。

○ 幼児期との関連で、小学校の学びとどう結ぶかということについては、入門期の学びについて考えておくことが必要である。一年生は入学した当初、当然のことながら教科横断型である。だから、生活科などと関連させて、各教科が入門期においてどのようなことを学習内容としていくのかということが大事になろう。

■.学習や生活を支える「言語」の役割を踏まえた、言語に関する能力の育成について
○ 英語の場合、文字の教え方というのにも、いわゆる分析的なフォニックスのような形で一つ一つの文字に分析して文字を教えていくというやり方と、いわゆる単語を一つ、ホーワードアプローチのような形で読み書きを教えるというやり方など、まだ具体的にどれがいいというようなことは決まったものは何もない。そういう文字指導の在り方に関して、アメリカでもいろいろな形で実験されており、きちんと調べた上で、英語に関しても、そういう学習困難のある生徒に対して文字指導をどうすればいいか今後検討する必要があるのではないか。

○ 外国語については、必ずしも英語に全て偏る必要はない。外国語活動であるから、必ずしも英語だけである必要はないのではないか。

○ 情報活用能力の基盤は、多くの部分を言葉の能力が担っている。総合的な学習の時間は、これを活用したり、応用したりしていくことになる。情報活用能力を効果的に習得するためにも、あるいは発揮するためにも、言葉の能力をどのように育てていくことが大事なことになっていく。

○ 就学前教育の機関がいろいろあるということ、また、家庭の言語環境が様々であるということもあり、明らかに学校へ入ってくる前の、語彙力も含めて言語能力にかなり差がある。実際、母語である日本語の読む能力にかなり個人差がある。他教科の学習も全て日本語で書かれた教科書を使って行われており、そのことにより更に差が広がっていくことになっている。母語であるが故に、実態として子供の日本語による情報処理能力に、小学校の低学年でかなり差ができているということが余り認識されてきていないのではないか。それがその後の学びに、どんな分野の学びについてもかなり決定的な影響力を持っている。実際、その後の中学校以降の勉強においては、ある分量の文章をどのくらいのスピードで、しかも確実に読んでいけるのかということが、それ以外の発信能力にもかなり影響してくる。基礎的な言語能力の育成というのは、小学校段階では、教科横断的にかなり意図的に考えていく必要があるべき課題である。

○ 言語活動としての外国語習得の場面を、教科横断的に外国語の時間以外、全教育活動の中にいかに盛り込むかも重要。

○ 英語ができる人は、国語ができる人。英語ができる人の日本語訳は美しい。英文の確かさは、日本文の確かさである。逆は真ならずで、国語ができる人は必ずしも英語ができるとは限らない。だから言葉の力を育む国語(力)が重要となる。

■.教科横断的に取り組むべき現代的課題について

○ 情報活用能力を教科横断的に育むということは重要だが、その場合に、情報活用能力を教科の内容の文脈の中で育てる場合が有効なものと、そのスキルだけを取り出して育てた方が有効なものがあり、その両者をある程度区別して考える必要がある。

○ 情報活用能力のスキルを取り出してトレーニングする場面は、どのようにどの時間に育てると良いかというのは割と具体的に示すことができるが、教科の文脈の中で資質・能力を育てるということについては、学習指導要領での書き方が難しい。教員が教科指導をする際、何年生のここの部分ではこういうことがこの教科のこの中でできるのではないかということが明らかになっていた方が、自分のアイデアと方向性とが一致しやすいが、その書き方が具体的になり過ぎてしまうと、今度はそこで教員のそれぞれの教科の中にどういうふうにそれを横断的に盛り込んでいくかとか、それから、学校としてどういうふうにそれを盛り込んで、その教科を特徴付けていくかという独自性が薄れてしまう。そういう意味で、教科の文脈の中でこの情報活用能力をどう育てるかということについて、どのように指導要領の中に示していくかということがとても大事になる。

○ 情報活用能力との関連で言えば、ローマ字学習は新しい活路になる。これまでローマ字の学習は、どちらかというと、社会生活の中で駅名などに使われている、あるいは英語学習の基礎をなすという理由で行われてきたが、これからの情報活用能力との関連で、キーボードの入力という点で極めて大事な力になっていく。文字学習の一つの活路となる可能性がある。

○ いわゆる○○教育、現代的課題への対応ということをどういうふうに整理して考えたらいいのか、そこのところはもう一段詰めなくてはいけない。要するに、○○教育を、御説明いただいた調子でいけば、それこそ総則はパンク以外の何物でもなくなるわけで、そのための一つの知恵として出てきているのが、教科横断、あるいはカリキュラム・マネジメント。これまでは学級担任制という制度の中に位置付けて、担任によって随分扱い方が異なることをある意味では許容していた。改めてこういう現代的な課題、○○教育の扱いを、小学校段階における教科横断という視点からどう検討していくのかがテーマになってくる。

○ 教科横断的な学びは、総合的な学習の時間が担ってきている部分が大きく、これからもまた鍵になっていく。ただ、総合と称してキーボードの操作の仕方だけを学んでいるというような、総合の狙いとしている探究のプロセスを大事にされない中で、とりあえず教科に入らないものは総合でというような、そんな傾向もこれまであったのではないか。それぞれの教科でスキルをしっかりと必要に応じて身に付けて、総合の時間にはそういったスキルを使って探究的な学びを進めていくというようなことも、一つ教科との関連でも、総合的な関連ということでも厚みが増してくるのではないか。

○ 教科横断的な学びとして、ESDについて、これは取り組んでいくべき重要な課題であり、検討をしていただきたい。

○ 教科横断的に取り組むべきことはたくさんあり、その中から何を取捨選択していくのかというときに、地域の実情、あるいは特色から地域社会の中の問題を子供たちが捉えて、それが発展していくという視点が必要。それが総合やいろいろな教科の絡みの中で、どう関連付けられるのかというところも考えていかなければいけない。

○ これからは、ESDという大きな視点、そういうものでカリキュラムを考えていくという、大きな捉えの中で考えながら、横断的な活動を目指していくということも必要。持続可能な社会の担い手となる子供を育てるというところを一番の基盤としながら、カリキュラムを作っていくという視点も大切。

○ 学校現場の中で、今、ESDという言葉が余り出ておらず、子供たち自身もよく理解できていないというところもある。もちろん先生方も全て理解しているわけではないので、こういったことも入れて、カリキュラムを組んでいくのが良い。

■.カリキュラム・マネジメントの意義について

○ カリキュラム・マネジメントの働きが非常に大きくなっていく。カリキュラム・マネジメントとしての、何とか教育とか、あるいは小学校教育として配慮すべき事項など、全体的に関わるものを、ある程度総則で示すわけだが、同時に、総則だけでは、現場の特に担任レベルではなかなか把握しにくいので、教科にも盛り込む。特に管理職を中心として、何とか教育のカリキュラム化を考えるとして、全部小学校の管理職にそれを作りなさいというのはかなり厳しい要求。そういう意味で、総則に細かいことは書けないと思うが、ある程度は書きながら、指導計画等のサポートや、あるいは、各教科の教科書の中にそういった面に関わる部分を入れて分かるようにするなど、総則の部分と各教科などをどうつないでいくか工夫が必要。

○ カリキュラム・マネジメントについての検討すべき課題、テーマについては、一つは、内容の関連をどうするのかという教科ごとの関連、相互の関連という柱がある。もう一つは、授業、教育課程に関わる中身を実施していくに当たって、どうリソースを充てていくのか。そして、一つ目の話と二つ目の話と一緒になっていくということ、これが三つ目で、これは言うならば正にマネジメントそのものという捉え方もできなくはない。それがそれぞれの学校における工夫の仕方。

○ カリキュラム・マネジメントを進めていくということは、学校の自由度を高める、地域の特色を表に出して、それをどんどんと子供たちとともにということになっていく場合に、もし子供が何らかの形で学校が替わって転校した場合に、ついていけるのか。若しくは、差があったところをどう埋めていくのかということも考えた部分でマネジメントされていくことが必要。

○ 高度に発達したメディア社会においては、いわゆるメディアリテラシーが大きく求められている。メディアを、受容・理解するだけではなくて、吟味・評価する面が大事になってくる。それを、発達段階とどのようにマネジメントしていくのか。受容・理解から評価・批評・吟味へ向かう、一般的にはそういう発展段階が考えられるのではないか。

■.カリキュラム・マネジメントを行う上での目標の重要性について

○ 小学校で○○教育、教科横断的な指導を主に行われているのは総合的な学習の時間。多くの学校では、学校全体の計画を策定して、その中で子供たちにどのような力を培っていくのかということを明らかにして、それに基づいて、それぞれの学年でどのような教科横断的な学習テーマを設けて取り組んでいくかということに取り組んでいる。まず、学校が全体計画を策定するということをきちんと位置付けていくことが必要ではないか。

○ カリキュラム・マネジメントを行うというと、どう行えば良いかという方法にウエートが置かれがちになるが、大事なことは、学校教育目標と関連させて、それをどのように実現していくのかということである。それを管理職と教職員との相互理解において、いかに実現していくかということである。目標をどのように設定し、それをカリキュラムでどう実現していくことができるかが問われている。計画を見詰めることは、目標を見つめることだと思う。

○ 単に時間から入るのではなく、教科の内容、目的をきちんと把握しなければならない。小学校においても、もちろん三、四年生の外国語活動から教科に移っても、英語を通して何ができるようになればいいのか、五年生、六年生が終わった段階にはこういうことができればいいという一つの目標が立ってくるはず。何ができるかというのは、コミュニケーション、そこに到達するためには、それに必要な知識が必要。知識が必要であって、またその知識というものをきちんと練習をしなきゃいけない。練習をしなければ、コミュニケーションに役立てるという活用はできない。知識の獲得も必要だし、その知識を練習する、そして、それを活用して何かが英語でできるようになっていくということを考えてやらないと、ほとんど意味がなくなってしまう。そのためにどれぐらいの時間が本当に必要なのか。短時間学習を含めて、どうすればどういうような目標達成が可能なのかということをきちんと把握していくことが今後必要。

○ 各学校においてカリキュラム・マネジメントを円滑に実施していくためには、まずは各学校が自校として育成を目指している資質・能力、それを設定することがすごく大切。総合的な学習の時間はこれまでも汎用的能力を育成してきたし、また、今後もその役割は一層重要になる。今後、学校全体で、また、教科横断的にというようなところを考えたときにも、総合的な学習の時間がそういった各学校のカリキュラム・マネジメントの中核になっていくということが一層必要になってくる。

■.短時間学習の実施など、効果的で柔軟なカリキュラム・マネジメントの在り方について

○ 授業時間の配分については、例えば、短時間学習などは、読書活動、ドリル、あるいは今後外国語活動なども検討するのかもしれないが、いろいろな活用が既に進んできている。従来も小学校の授業時間、45分という単位時間を標準として扱われているが、本来もう少し柔軟な組合せがあり得るが、結局なかなかうまくいかない。それは、授業として難しいということもあるが、算数は50分にしてこっちは30分と組み合わせると、非常に教務上、教員の労働の配置が難しくなることからなかなかやれない。授業時間というのも、カリキュラムを構成する重要なリソースであり、それをどういう配置とか組合せとか順番にするか、もう少ししっかり考えた方がいい。それがマネジメントの仕事であるということをはっきりさせた方がいい。

○ 短時間の学習については、記憶再生型の知識と技能の定着を図る一つの方法として有効性が確認されてきている。英語の短時間学習のこれからの可能性というものを非常に実感すると同時に、一方で、もう少し子供たちの生活情報を酌み取れるような活動も是非短時間学習の中で生かしていただきたい。

○ 短時間学習について様々な工夫、実践が進められているが、学校の中にゆとりがなくなって、どんどんぎすぎすした時間割になってしまう。集中できる力を付けるということについては非常に良いが、一方で、ほっとできるような学級経営ができるような工夫が必要だろう。

○ 授業時間の弾力的な運用――学習指導要領全般にわたって弾力的、あるいは学校現場で様々な裁量ができるという仕組みになっているが、そういったことを、大学院で現職の教員を相手に話をすると、実際にはできないんですよということを非常に強く抗議される。できるとは書いてあっても、どうやってやればいいのかということについて、学習指導要領に明示されていない。個人的に学習指導要領を守って弾力的な時間運用をやろうとしても、学校体制の中で、どうしてもできなくなってしまう。

○ 学校での外国語活動や教科としての外国語の学習を充実させるために短時間学習が有効かどうかということの前に、誰が教えて、どういうふうに時間を取るかということと短時間学習の関係ということを考える必要がある。一つは、誰が指導するかという問題。高校の卒業段階でCEFRのB1レベルを目指して、子供の英語の力を高めようとするならば、また、中学校の英語の授業を英語で進めることを目指すのであれば、学校は可能な限り英語の指導にたけた人材を活用する必要が出てくる。二つ目は、どのように指導時間を確保するかということ。全国共通の指導要領に定める時間数には枠があることから、その中でいかに効率よく時間を使うかということが重要になる。その際、担任が指導するのであれば、朝の時間帯に一斉にモジュールの形で英語の指導をするこが考えられるが、専科の英語の教員やALT、地域の中学校の英語の先生に来てもらって小学校で英語の指導をするということになると、モジュールは不都合な場合が出てくる。誰が教えるかということと、どのように時間設定をするかということを併せてマネジメントするということが必要。

○ その学習に適切な時間ということを考える必要はないか。例えば、読み聞かせだと、あるいは文章を書くのだと、さらにはディベートだったら、どのぐらいの時間が適切なのか、そういった効果(目標とする学力を育む最適な時間)についてカリキュラム・マネジメントとして考えていく必要があるのではないか。

○ 短時間学習については、活動本位になっていはしないか。この時間の中で一体どんなことが目指されるのか。もうちょっと言えば、どんな力を付けることができるのかというような形で、もう少し短時間学習には短時間学習にふさわしい目的、目的的にこれが活用できたら良いのではないか。

○ フレキシブルに時間を考えるということは構わないが、総時間からすると、知識と、その知識を使った機械的な練習、活動、文字の練習なども含めた練習と、そして、それを実際にcan doという形でコミュニカティブな目標に向けて使っていくという、この3要素をきちんと含めた形で考える必要がある。その辺をきちんと把握した上で、時間数などを考えていく必要。

○ 短時間学習と、いわゆる通常の45分を単位とした学習の有機的な関わりというのをきちんとしておかないと、負担増だけで成果が上がらない可能性がある。既習をすぐ習熟するものと、もっと前に学んだものを維持していくという二つの観点から、内容の多様性をしっかりと整理をして、適切な対応をし、通常の授業をサポートできるような仕組みが作れないか。

○ 平成16年以降、小学校での暴力行為がずっと増加している。分からないということが一つ、その原因にあるのではないか。基礎的な部分をきちんと身に付けさせることが授業が分かるということに結び付いていくので、朝の時間は非常に貴重。ただし、そのことが必要のない子供もいるわけで、どのような内容を組み合わせていくのか、検討していく必要がある。

○ 先ほど提示された資料の中でも、読書活動、漢字練習、計算練習というものの実施割合は非常に高い。その中でも、授業時間に含めて実施している割合というのは、少ない。ということは、やはりカリキュラムの中にこれを含めることができないというような考え方で朝の短時間学習というのは実施されているということ。それであれば、この時間をどうやったら授業の中に含めるような内容として学校は考えて、それをカリキュラムの中にうまく取り入れるように工夫していくことを考えていかなければいけない。

○ 以前に比べると大分、45分と言われても、かなり学校で工夫して、弾力的に運用している。チャイムが45分ごとに鳴っている学校というのが、今、少ないと思う。そういう意味では、あるポイントを決めて、学校ではその中で、やはり学級担任が授業を組みやすいような形でマネジメントを進めているということが、今の現状の中にも見られる。

○ 短時間学習について考える際には、45分授業そのものもいくつものモジュールで構成されているという捉えもできる。語学においては特に、1時間の授業である内容が完全に習得されるということは考えにくく、数時間にわたる内容のつらなり、繰り返しを通じて次第に習得されていくのが普通であると考える。

■.効果的で柔軟なカリキュラム・マネジメントを実現するための教員の養成・研修の在り方について

○ 管理職のリーダーシップの下にカリキュラム・マネジメントを進めていく上では、一人一人の教員がカリキュラム・マネジメントをしっかり行える力が必要。そのためには研修の充実や、しっかり研修の体制を整えること、それから、指導主事としての支援が求められる。そういった支援体制をしっかりしていくことが大事。

○ 教員養成の中で、全体的なカリキュラムというものについて、学生に理解をしてもらうというのが非常に難しい。免許法上の教育課程論等については、四校種で共通解説をしながら一科目等をやっているが、カリキュラム全体を見通すような知見を持って、新任教員を養成段階から行っていく必要が出てきていると認識。ただ単に教科に通底するような課題を検討するというのは、総合的な学習の時間ができたときに、ある程度その内容は受け止められるようにはしてきているが、現実には、課題解決型の学習というものを十分理解して学生が新任教員として巣立っていくというところにはまだ至っていない。養成段階で教科指導の内容の定着もままならない中で、なかなか教科横断的な、課題学習的なものをこれからどうやってやらせていくのかというのが大きな課題。

○ 四年間で教員養成をして現場に出すといったときに、大学内でよほど頑張っても、コンセプトを伝えても、現実役に立つところまで行くのは大変難しい。例えば、初任者を二年くらい副担任的な扱いにして、その間にベテランの先生と組んだりして、カリキュラム・マネジメントに関わる内容、方法に関わるオン・ザ・ジョブトレーニングをきちんとやっていくというようなことも併せて是非進めていただきたい。

○ 実際に指導する先生方に非常に不安感がある。依然として地域差、学校差、教員差があり、これをどうするか。特に英語力。担任がやるとなってくると、保護者の方も高学歴の方がいて、小学校の仮に担任がやっていて、あのレベルねと言われると、不信感ばかり出て困ってしまうという心配を先生方は持っている。加えて、教科になってきた場合の指導力についても心配を持っている。それに対しては、行政サイドの連携をしっかり取って研修体制を組んでいくということが必要。その際に、中核教員を育てようと今やっているが、本当に指導者、中核教員を育てる場合に、どのレベル、どの人たちを引っ張り出せばいいのか。

■.効果的で柔軟なカリキュラム・マネジメントを実現するための指導体制・教材の充実等について

○ 学校がゼロからのスタートすることは大変難しい。モデル校とかをセットして、その効果的なカリキュラム・マネジメントの方策などを広く知らせて、学校が取り組みやすい形にすることが重要。

○ 現代的な課題に対応した様々なことを行っていく中では、いかにも小学校のスタッフが少ない。教育課程の改善をてこにした、小学校の教員定数の改善に結び付かない限りは、どれだけのことを言っても絵に描いた餅であるとしか言いようがない。

○ 短時間の学習時間について、今後それを活用していくという意味では、教材とか指導の仕方についての実践的な研究がもっと必要。計算のドリルで言えば、それぞれの子供にとって、適切かどうかは分からないわけで、むしろ個別的な学習で診断し、それぞれに対しての課題を与えて、フィードバックして、次の段階に進むようなことというのが必要なはず。もう少し賢い時間の使い方があるような気がする。朝の読書時間についても、朝、例えば15分、週3回だと45分、読書活動をすることによって子供たちの言語力が上がるということについては、それ自体としては、ほぼ期待できない。言語力の中核は語彙であり、重要なのは、あらゆる時間における教師と子供の言語的関わり方。短時間を活用するなら、指導の仕方とか教材とかをもう少し提供できる形、また、それを促す姿勢が必要。

○ 英語の短時間学習の可能性を考えた場合には、課題として、教材・教具の開発とか準備、そういった条件整備というのが重要になってくる。それあっての学習になってくる。

○ 人口5,000人未満の人口の町村では指導主事もほとんどおらず、指導主事がいても、校長退職者の生徒指導的な指導主事を入れているのみ。そうなってきたときに、町村の場合に、カリキュラム・マネジメントという形で、校長を中心にやろうとしても、なかなか大変。全体的なサポート、県を含めてサポートをどうやっていくか、どういう支援をしていったらいいかということを考えないと、絵に描いた餅になってしまう。

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