資料1 第4回体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループにおける主な意見(未定稿)

□健康,安全等に関わる育成すべき資質・能力について

1.安全に関わる資質・能力の育成について


○ 学校にはAEDが用意されているにも関わらず,学校で実際に失神した子供たちにどのくらいの割合で使われているかというのは,4割弱ぐらいじゃないかと聞いている。中学校,高等学校では,実技を通してAEDの教育がされているが,小学校の高学年,5年生・6年生ぐらいになると,もう理解できるので,もし可能ならば,前倒しをして,小学校の高学年にもこうした教育ができるということが,結果的にAEDの普及を促進することにもなるのではないか。

○ 総則の部分において,防災・安全に係る記載の充実が必要というふうに,今回前に出てきているのは,東日本大震災を挟んで出てくるものということで,防災を特に重視するということがあるのだと思う。だとしたら,安全に関する指導というところでは,「防災をはじめとする」などの言葉を加え,やや表に出していくというのも一つの方法ではないか。

○ 安全に関わる「育成すべき資質・能力」とは何かというところで,3つの柱を出していくのは,ほかの教科との関係もあるので,なかなかこう書くのは難しい部分はあるかと思うが,この安全に関しては,特に東日本大震災以降,様々な議論があった。例えば,文科省では,防災教育・防災管理に関する有識者会議や中教審の学校安全部会で議論されてきた。その中で出てきた,「主体的に行動する態度の育成は」や,「安全教育について前から言われていた危険を予測し回避する能力を育成する」といった部分が少しこの辺では見えにくくなっている。また,学校安全部会のときは,自助・共助・公助ということが議論されていたが,これもちょっと見えにくくなっている。これまでのそういう背景とかいうものをうまく,特に東日本大震災以降のことがこの中で生きてくるといいのではないか。

○ 防災教育を含む安全教育の今後の在り方についての検討素案で,防災教育を含むと頭に書いてあるので,どちらかと言えば,防災を重視したような書きぶりではあるが,そもそも学校安全というのは,生活安全,交通安全,災害安全が3つの領域になっているので,防災以外の生活安全,特に学校生活などの部分が少し薄い。特に交通安全の表記がほとんどない。確かに,交通事故死者数はどんどん減少はしているが,特に中学校では,自転車の事故というのは非常に大きな問題なので,交通安全に関する記述ということはやっぱり重要ではないか。特に,もうすぐ出る第10次の交通安全基本計画を反映したような部分も,これまで交通安全教育は学校の中で随分やられてきたこともあるので,やはりこの中にも盛り込んでいただければと思う。

○ カリキュラム・マネジメントのところと,総合的な学習の時間のところが入っているが,もう一つ,安全教育で大事なのは,特別活動である。例えば,防災だと,避難訓練なども月一でやっているような自治体もありますので,特別活動の中での位置付けもやっぱりもっと出しいくといいのではないか。これは昨年度の学校安全部会の中でも,学校行事のところで安全や防災をもう少し表へ出した方がいいと答申に少し盛り込まれたはずなので,やはり学校行事だけではないが,特別活動の中の安全の扱いというか,それを具体的に同じように示していただくといいのではないかと思う。

○ 2ページ目の防災・安全に係る記載の充実と赤字になっているところについて,防災・安全という表記をしたときに,今まで安全の概念の中にあった「防災・」が前に出ると,その後ろの「安全」には,防災というのを除く安全ということになるのか。ちょっと言葉の整理が分かりにくくなる。

○ 7ページの右下の「知っていること・できることをどう使うか」のところの赤字について,意思決定と行動選択という表現があり,この意思決定が「思う」という字になっているが,健康では,保健の領域では意志決定は「志」を使っている。家庭科においては,現行でも「思う」の意思決定を使っているようであるが,今度,安全のところで,家庭科が現行で使っている「思う」を使うようになるのかどうか,その辺の整理が必要。

○ 検討素案において,危険予測・回避能力の育成というのが小学校に示してあるが,系統性といったときに,この能力が小・中・高で,発達段階を踏まえて高められていくという軸というのを考えることが1つではないか。これが今のところ,小学校だけでとどまっているのは,極めて残念といいますか,惜しいような気がしている。それから,心肺蘇生法の中学校・高校の書きぶりで,高校のところで,「救命救急に係る」という表現になって,発達段階を踏まえて恐らく書き分けてあるのだろうが,非常に分かりにくい。もう少し中学校と高校が単なる繰り返しではなくて,はっきりと学ぶべき内容,あるいは,育成すべき力の違いが見えるようにする必要がある。さらに,交通安全のことが見えにくい。この後10年を考えたときに,交通安全のことを,これまでからぐっと引いていいのかという話だと思う。確かに,死亡事故の発生件数も減りつつあるのかもしれないが,子供たちのまさに身近な安全ということで,極めて理解しやすい題材でもあるし,そうしたところを大事にしながら,危険予測・回避能力の育成ということを一貫してやっていけるということは非常に重要だと思う。

○ 6ページ目に,安全確保のための的確な思考・判断が挙げられているが,これと危険予測との関係について整理する必要がある。一般的に思考・判断というと,課題を明らかにして,情報を集めて,どんな選択肢があるかというのを考えてというようなことを行うわけであるが,ちょっと時間をかけて行うような印象がある。それに対して,危険予測というのは,比較的瞬時に行わなければならないものかなという印象がある。両者はいずれも大事であり,共通するところもあるであろうが,これらの整理を行う必要がある。

○ 危険予測について,中学校・高等学校で,どのようにそれぞれの発達段階を踏まえた特色を出していくかということであるが,1つは,こういう危険予測について,それを促す要因とか,あるいは阻む要因のようなものがあるのではないか。例えば,自分には災害は降りかかってこないというような誤解や様々な社会的な情報などが,意思決定や危険予測なりに関係してくる。それによって,人というのは,危険予測とか,あるいは,意思決定に関わるものですけれども,判断などを誤ることもあり得るというようなことを,中学校・高等学校で扱えるのではないか。

○ 6ページの「安全で安心な社会づくりに参加し貢献する情意や態度」に関わって,7ページ左下,「何を知っているか,何ができるか」に,安全で安心な社会づくりの意義の理解のところに挙げられているが,ここで意義の理解ももちろん大事だが,加えて,この社会づくりのためにどんな活動がされているのかということを知ること自体も大事。小学生は地域などでどのような活動がされているかというのは知らないことが多いので,それを知ることが,意義の理解と併せて大事。

○ 小・中・高と,系統的に学習できるような仕組みになっているところに,学習指導要領の意義というのをすごく感じているところ,AED・心肺蘇生法は,応急手当というところで,小・中・高と項目が立っているが,中・高と内容的にダブってしまっているのではないかなという懸念がある。中学校で教えた内容と全く同じ内容を高等学校で教えるというよりも,このスコープがだんだん広がっていくといった内容になるように,これから書いていくべきである。中学校では,学習指導要領レベルでは,応急手当は,心肺蘇生等があることで止まっていて,解説で更に詳しく実習等を通してというところが入っている。そのため,解説で,詳しくそこは入っていくといった現行の感じでいくと,スコープがだんだん広くなっていく感じでいいのではないか。

○ 中学校にある地域の犯罪被害の防止といったところが今までの学習指導要領の中には入ってきていなかった部分かなと思われるが,これが現場で指導するとなったときに,発達の段階を考慮すると,いろいろな犯罪被害等がある中で,デリケートな問題等もあって,現場が行き過ぎた指導になりはしないかという懸念もある。ここをどのような内容にするのかといったところは,とても大きいことだと感じた。

○ 子供たちを取り巻く環境の変化を現場から見ると,生徒指導的なところで配慮するべき事項というのは,集団指導ではなく,個別の指導が必要な部分である。中学生では,集団指導で教えるべきなのか,個別指導で教えるべきなのかというのを,ちゃんと学習指導要領レベルですみ分けていく必要がある。例えば,犯罪被害となったときに,性被害というのも1つの例となるが,全ての子供たちに教える内容として,かなりデリケートな内容になってしまうことがある。そういった面では,個別にその子に対処しているというのが,今,現場の実態である。全体に詳しく規律だとか,ルールを守るといったところでは全体指導はしているが,そういったデリケートな問題では,個別の危険予測だとかといったところで,個別指導をしていっている。性的な被害も含めて,これからの10年あるいは20年というのを考えたときに,果たして個別指導でいいのかというところも,もしかしたら今後は議論されていく観点なのかもしれない。

○ 危機管理をできる,自分の身は自分で守るということを,教育の中でいかに担保するかを考えたときに,例えば,ドイツの教育で,壁を登るなど,自分で危ないことにも挑戦させるといったことが,日本の安全教育というのは,けがをさせないようにするためにどうするかというふうに,危ないものはやめておこうとする傾向がある。けがをしないように,自分の身を守りながら身をかわすということが大事になってくる。

○ 生活の中で,日本ほど安全な国はないとよく言われているが,大人がその反面教師になっていて,スマホを見ながら歩く,イヤホンで音楽を聴きながら歩くなどの状況がある。その辺を,大人も含めて,日本の安全教育をどういうふうに考えていくかということも大きな問題ではないか。

○ 東日本大震災を経験した次の教育課程の改定ということで,防災・安全に係る記載の充実が必要ということは,すごく大切な視点である。石巻市には大川小学校という学校があって,そこでは,教職員・子供たち84名が犠牲になった,いまだに行方不明の子供が4名いるという,そういう学校を抱えた教育委員会,又は,学校支援をやっていた中で,簡単に言うと,「学校に行ってきます」と行った子供は,「ただいま」と安全に帰さなきゃいけないということをすごく強く感じた。そのため,この防災に係る記載の充実が必要ということは,とても大切な視点である。

○ 安全教育という面で言うと,例えば,AEDを小学校高学年で実習としてできないかとか,いろんな新しい内容が入ってくると思いますが,実際に教育課程を作る段になって,例えば,解説などを作る段になったら,新しい内容が入ってきた分だけの,時間の確保をしておかないと,結局,学習指導要領には書かれたけれども現場ではやられないというようなことになってしまう。残念ながら,安全という教科はないので,学校では時間割のどこかに入れていかなければいけない。防災に関してここに入れるということは,とても大切なことだと思うが,同時に,時間の確保というか,どこの時間にどうやってやるというように具体的に考えていかないと,現場のレベルでは広がっていかない。

○ 安全管理の部分だが,実際に,被災地を回ってきたときに感じたのが,特に小学校高学年,中学生,高校生ぐらいは,これは災害安全の部分であるが,例えば,炊き出しをしたり,学校が避難所になったりしたときに地域の中で安全確保にものすごく力になる。地域の防災訓練に部活動で中学生,高校生の参加がほとんどないような場合もあるので,実際に災害安全を考えたときには,学習指導要領上に,更に地域との連携をより推進するというような記述があるといいのではないか。


○ 安全教育の指導内容の充実というところに「心肺蘇生法・AEDの実習を通した理解に係る指導の充実」と赤字で挙げられている。知識を主体的に行動に結び付けるためという意味から,実習がとても重要な視点になってくる。例えば,AEDは一回やってみると,とても使い方はシンプルだが,いざ使おうとする段になるとそれを促す要因であったり,阻む要因があるわけで,実際に使うとなったときに,一回も使っていない人はやっぱり躊躇すると思う。そういったことを考えると,AEDや心肺蘇生法のダミーを使って実習をしておく意義というのはとても大きい。そのための予算についても検討して普及ができたらいい。

○ 一番生活に直結した安全,中学生までの死因の一番というのは不慮の事故であったと思う。不慮の事故の第一番は,やっぱり交通事故である。中学生は自転車通学,加えて高校生はバイク通学もあるので,身近な交通安全というところをもう少し充実させていくということも,是非考えていただければなと思う。

○ 学習内容に関して,社会現象として,安全とか危険に対する過剰な反応といいますか,一過性の反応というのが目立つということがしばしば言われるわけですけれども。そうしたときに,リスクの概念が正しく理解されていないというか,教えられていない,そういうところが1つの原因ではないか。

○ 安全教育において,危険を予測して回避する能力というような文脈において特に言えると思うが,安全か危険かと二者択一ではないはずで,その辺の学習を担保できるような工夫が,次の改訂においては今まで以上に重視した方がいい。それは安全のみならず,実は保健の方でも同様で,共通する内容になってくる。感染症に関してなどは,その顕著な例である。

○ 現実的な時間というものがある中で,これまでは安全に関しては,交通安全を中心にということになってきたが,今のままでいきますと,教科の学習において防災,防犯,生活安全をみんな均等に扱うのか,あるいは,やはりそこは保健体育という中での安全ということで,どこに基本として押さえて,コンピーテンス,育てるべき能力を実現するためには,どの題材で中心にやっていくのかというような精選の観点は必要である。

○ 教科としての保健体育なので,災害自体の防止,あるいは,交通安全自体の防止,犯罪自体の防止など,これら自体の防止は保健体育の学習内容ではなく,それに伴う生命や健康に関わるところに限定的に扱うことになる。もちろん,総則のところでは,学校教育全体,教育課程全体で云々ということで書き込まれると思うが,例えば,防災でいうと社会科や理科など,それぞれの教科で位置付けるべき内容があり,そういう視点での精選は必須だと思う。

○ 不審者の被害や交通事故など,学校で背負っていくものが日々増えてきている。本当は時間がどんどん増やしていければ,あれもこれもやりたいというものはたくさんあるわけだが,枠が決まった中で何を教えるかということで,内容はより精選していくべき。

○ 危険予測・回避能力の育成については,やはり小・中・高と継続して取り組むべき。その下の安全指導や避難訓練のさらなる充実のところは,これは小・中・高と記載がありますが,ほぼ同じ記載の内容でありまして,ここは小・中・高で書き分ける必要はないのではなか。

○ 今,避難訓練といっても,従前のような画一的な避難訓練というのはなくなってきたが,一方で,子供たちの主体性を育むという名の下で,やらせっぱなしのような避難訓練も増えてきていると思うので,やはり小学校年代ではこういう力を身に付けさせたいというところを,もうちょっと明確に議論の中で深めていければと思う。

○ 中学校のところの犯罪被害のところも,これは性被害だけではなくて,非常に被害も多種多様になっている。また,女子だけではなく,男女を問わず被害に遭っているような状況も見受けられる。そのため,ここはやはり安全指導としてはかなり重点的にやっていく必要はあると思うが,この教科の中で取り扱うかどうかという部分については,これまで交通事故の防止,自然災害の障害を保健の中で扱ってきましたけれども,新たな内容を入れるかどうかというところについては,慎重な議論が必要。生徒指導などとも非常に直結した内容なので,教科に合うのかどうかというところを議論していただければと思う。

○ 聞いていると,ミニマム・エッセンシャルズは何かというのが,よく分からない。つまり,本当に教えなければいけないミニマムな重要なものは何かということがよく見えない。

○ 危険がいっぱいある社会で我々は生きているので,そういうレベルで言うと,非常に重要な側面としては,経験をまずは重視しながら,経験から論を構成していくのか,あるいは,この10年,防災科学というのは,パニック心理学を含めて,随分学際学の中では発展してきている。そういう学問的な成果,科学的な成果,これをどういうようにタイアップして取り込むのか,取り込まないのか。そこの辺がよく見えてこなかった。

○ 体育・保健体育の限られた時間内で,どういう優先順位で,プライオリティでもって,この安全教育,あるいは,防災に関わって取り込んでいくのかということ,これの視点が,先ほど申し上げたミニマム・エッセンシャルズとプライオリティがはっきりしないことには,やっぱり見えてこない。何から何まで言い出したら,きりがないわけで,そこのすみ分けをしていく論理をどこかで誰かがお示しいただけるのか。

○ 諸外国のスタンダードを見てくると,安全教育について,いろんな問題があるが,非常に限定的に,優先順位をはっきりと明確に立てて書き込みをしているという印象を持っている。それになぞって言うと,教科と教科外とのすみ分けのところの論理をどう作るかというところ,ここもやっぱり意識をしておかなければいけない。

○ 学校現場としては,やはり東日本大震災が起きて,意識は変わった。避難訓練のやり方についても,高台訓練を入れたり,経験から内容が変わってきた。防災についても,やはりやらなければいけないことだが,保健の内容でそこを深くすると,本当に健康増進についての内容が深まらないところもあるんじゃないかと心配はしている。やはり中学校の場合は,日々の交通安全や自転車の乗り方など,実際にスタントマンが来て,現場の危険の状況を見せて予測させるような,そういう体験学習もしている。

○ 保健体育としては,交通安全や健康の保持増進,傷害の防止といった内容を抑えた上での健康・安全なので,防災についてあまり触れ過ぎてしまうと,身近な現状として教えなければいけないことが教えられなくなっていくのではないかと危惧している。

○ 時間の中で,各教科の中でどのように内容を盛り込むかということになると,それ以上教えなくても,子供たち自身がそういうことに配慮していくようになるということの見通し,そういう学習の在り方というものを考えていかなければいけない。その場合に,安全というより,リスクというコンセプトの捉え方の発展が重要になってくる。人間の文明が高度化すればするほど,リスクの要因というのは大きくなる。人間が利便性を高めれば高めるほど,人工的なものを増やせば増やすほど,自由は拡大し利便性も拡大するけれども,それに伴って安全が脅かされていく。人・もの・自然というのが,我々のいろんな身の回りの中でそれぞれがリスクを高めていく。そういう枠組みで安全というものをリスクの側から考えていくと,どのような整理の仕方ができるのか考えていくと,保健で引き受けられるもの,あるいは,体育で引き受けられるもの,といったように少しずつ関連が見えてくるのではないか。

○ 保健体育の態度の内容の中に,公正,協力,責任,参画とともに,健康・安全に関する態度が位置付けられている。特にそこで求められているのが,危険を予測し,回避行動をしっかりとれるかである。新しいものが増えることもあるが,今の,現状の中で,うまく関連付けていくことも重要である。例えば,より身近な生活安全で言うと,熱中症などを体育の中でも十分扱っていきながら,波及的なものとして提示できるのではないか。危険を予測し,回避する能力というのは,今のところでも,学習することができることを位置付けていくこともいいのではないか。

○ ミニマム・エッセンシャルズは何かという話があったが,これはやはり協議していかなくてはいけない。現行の小・中・高の傷害の防止をまとめてみると,結局,傷害の発生要因が主体要因と環境要因にある。それを防止するためには,主体に対する働きかけとか,主体の能力を高めていくということと,環境を整備していくということ,これである程度貫かれている。

○ 傷害,災害の種類などを挙げてみると,本当にもうきりがないなという話だったが,主体・環境要因が発生要因になりという話は,ある程度共通しているかなと思うが,やはり各災害の特性というものもあるので,そういう特性を知っていく,理解させていくということも重要じゃないのか。

○ 生活安全,交通安全等を均等に扱うというのは,かえって学習の効果を下げていくかもしれない。あることを学んで,それを別の災害に適用させていくというような考え方もあっていい。

○ 安全教育をやっていく上で,人というのはミスをし得るものだというような視点が必要なのではないか。やはり人というのは安全でありたいと思っているが,日常生活からすると,やはりミスをし得るとか,安全と別の価値との対立の間で,安全を後回しにしてしまうということがあり得る。それを踏まえて,どういう対策をとっていくかということを教育の中に取り入れることはできないかなと思う。

○ なかなか時間もないというのは,間違いないことなので,他の教科や特活も含めて精査していくということは大事。また,今あるものの中でも,ウエートのかけ方を変えていくことによって,時代のニーズに応えられるのではないか。また,内容を細かく取り上げることも大事だが,学校には学校なりの安全計画があるので,そういったところに主体性を保証してあげるのも可能ではないか。

○ 防災については,地域と学校,地域と役所,その関係がまだまだ十分でないということがある。地域がものすごい勢いで,今,学校のため,それから,地域の人たちのために動こうとして,取組を始めている。これは地域の仕事じゃないだろうということも考えなければならないというようなところもあるので,十分その辺のところも,子供たちには知っておいてもらいたい。学校はいつまでも,学校,先生,子供たちという,世界ではなくなっていくということを,どこかで知らせておいてほしい。

○ 健康教育と安全教育のすり合わせという観点でいえば,例えば熱中症の予防などは一つのテーマになりうると考える。熱中症を予防するためには,起こってしまったときの応急処置の方法を理解し実践できるだけでなく,自分のその日の内調や健康状態と活動する環境の状況を正確に把握し,それをもとに運動・スポーツ活動の内容を適切にコントロールするというリスク・マネジメントに関する学習が求められる。

○ 自分の身を自分で守るというようなことに関連して言うと,体育の中で身につけていくような技術,技能,基礎的な動きづくりといったようなものが,単に運動やスポーツを行うために必要になるだけでなく,生活生存における危機回避能力などにも関連しているということを強調するような記述があってもいいのではないか。

○ 3つの柱の中で,「どのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか」というところでは,どのように社会と関わっていくかという部分で,地域との連携ということが非常に大切。10年前に,登下校中の児童が事件に巻き込まれるという痛ましい事件があってから,本当に地域の方々が見守りに出ているというような状況の中で,子供たちがどう地域の人たちと関わっていくか。そして,これが小学校だったら受動的な関わりになるが,中学校,高校といくと,今度,防災という面で,地域の方々にどう今度は自分たちが主体的に関わっていけるか。そして,これからの高齢化社会に向け,その方々をどのように助けていくのか。中学生,高校生と,発達段階に応じて関わり方が変わってくるとは思うが,地域の関わりは大事である。

○ 交通安全については,中学校,高等学校になるにつれて,自分も加害者になり得るという指導も,非常に大事になってくる。高齢者に自転車をぶつけてしまって損害賠償が大きくなっている事例などもあるので,自分が加害者にならないための,安全指導が必要になってくる。

○ このワーキンググループで検討した資質や能力をどう発達させていくかという段階をきちんと見ていくことというのが,非常に大切だし,難しい。

○ 福島に,震災後から1か月おきに入っているが,やはり地域の連携ってすごく大事。地域といったときに,根底になるのは,子供たちの保護者もあるので,地域と家庭に向けて発信することは非常に大きい。その中で,安全や安心な社会づくりをどういうふうにしていくかということをみんなで捉えていくという仕組みづくりも大事。

○ 欧米の健康教育,安全教育の中でも,既にリスクに関しての学習というのは結構位置付けられていて,例えば,西オーストラリア州では,課題に対する危険度,あるいは利益について,どのあたりなのかを子供たちがそれぞれの判断で,設定されたリスク・ベネフィットライン上に立って,どうしてそういう位置に立ったのかということについてまずはお互いに意見交換する。そして,その後に,基礎的な知識に関しての学習をしたり,関わる情報について入手した上で,自分の立つ位置が変わったのか,その理由を述べ合ったりするなんていう,学習からリスクについての考える力を鍛える授業がみられる。まさに保健体育で実践できそうな授業だと思ったが,そうした中で,安全の合理的な確保,あるいは,持続可能性のある安全の確保ができるような国民の育成というか,子供たちに必要な資質・能力が身に付いていくのではないか。

○ 安全に関して,これまでの議論を少し整理すると,学校教育全体として,防災を含めて,安全教育について充実を図るという方向性に関して,これはもう言うまでもなく,ここの委員においても共通理解は十分されているという意見だった。その中で,保健体育という教科において安全教育をどう改善・充実させていくのかということに関して,事務局からの提案もあったが,それに関しては様々意見があったということで,これは繰り返し整理はしない。そのときに,今後整理していくに当たって,もう一度,安全教育として,保健体育という教科において身に付けるべき資質・能力は何なのかということをまず明確にする必要があって,そのために学習する内容ということにおいて,基礎・基本という視点からどう精選していくのかということが重要な作業になる。その上で優先順位を考えることと,発達段階を考えることと,そして,実際の配当時間という現実も含めて判断していく必要があるというようなことで,具体的な内容の整理にはならないが,まだまだそういう作業が道のりとしてはある。
先ほど実習ということで,体験することが非常に重要という話があったが,教科として実習をやるのは,体験していないとできないものを経験させるという意味よりも理解を深めるために実習をする。例えば,応急手当の実習をするのは,原理を理解するとか,方法についての合理性について理解を深める,そのために実習を通して学ぶというのが重要である。

2.食育に関わる資質・能力の育成について

○ 小・中学校は給食があるところが多いので,給食を生きた教材として,給食の時間,及び,その他,特別活動等で指導する場合もあるが,本当に食育を行う時間が足りない。保健体育,家庭科では幾らか学習指導要領に入っているが,私たちの健康の中で,食べることというのはものすごく大きな影響する中で,本当に食育に対して重点的にやるような時間がない。以前に比べたら,組織的に取り組もうというふうに頑張ってはいるが,なかなか推進できていないのが現状。そういう中で,早寝早起き朝ごはんというのは,すごく言葉が進んできて,これは随分浸透してきたと思うが,朝ごはんの内容はどうかというと,バランスのいい朝食を食べているかどうかというのは疑問。

○ 肥満の問題はもちろんあるが,女の子の場合,やせ志向がすごく今多くなっている。これがどういうことにつながっていくのかということをもっと学習させなければいけない。

○ 親御さんも働いているとか,塾や習い事がある子もいる中で,孤食というのが課題であり,これからは共食,親子で食べる,これが食育の大事な課題となる。心の交流,感謝の気持ち,日本食や食事の伝統について感じるなど,いろんな意味で食というのは,心身ともに大きな影響があるので,食育ができる場面をたくさん増やしていければありがたい。

○ やせ願望のことについて,実は,我が国は,栄養状況が非常にいい先進諸国の中で,生まれてくる子供たちの出生時の平均体重が唯一年を追って低下している国である。小さく産まれた子供たちには,中枢神経にも大きな影響が及ぶことがはっきりしてきており,小さく産んで大きく育てるという概念は間違いになりつつある。だから,食育の問題にはこのような課題があることを考えていただきたい。

○ 日本は,米国と違って,非常に極端な肥満が少ない国ではあるが,それでも今,10%の子供たちが肥満のカテゴリーに入りつつある。肥満は思春期以後から成人病が出てくるリスクになるので,非常に大きな問題。また,和食には栄養学的に良い点も多いが,カルシウムやビタミンDが足りない。普通に食べていると,多分,必要な所要量をカバーできていない。小さな子供のくる病,女性の骨粗しょう症の問題になっていて,あえてふだんから気を付けてビタミンDやカルシウムを取っていかなければいけない。教科書の中で一律に書けないのかもしれないが,日照時間の少ない地域では,地域の特性に注意した食生活があることも,子供たちに教える必要がある。

○ 自己管理能力という言葉が何度も出てきて,キーワードになっているが,例えば,「育成すべき資質・能力」の中に,食に関する自己管理能力の基礎となるとあるが,能力を,言ってみれば育成するための能力みたいな書きぶりになっているのが,ちょっと違和感がある。書きぶりを何か分かりやすくできないのか。

○ 自己管理能力の自己のところであるが,最初の資質・能力のところに自己管理能力の自己があって,次は自らの健康をというふうになっているが,自分の問題だけでいいのか。食生活というのは,当然,家庭みんなで食べるということがあり,子供たちは大人になる。そうすると,自分の管理をしていれば,十分かどうか。安全だと,自助をベースにして共助という考えがあるが,食育が自分の問題だけに集約しているのが,違和感であった。

○ 食育ではなくて,保健の方になるのかもしれないが,食物アレルギーの問題がある。給食によってアナフィラキシーの事故が起きるということもあるが,食物アレルギーは,その子が知っていることも大事だが,クラスに食物アレルギーの子がいたら,ほかの子もそれをちゃんと理解しなければいけない。今,保健ではアレルギーのことを扱っていない。そうなると,食育の中で,そういったこともあるということを触れていただいた方が,事故防止にもつながる。命に係わる問題なので,大事なことである。

○ 中学校までは給食があるので,目の前に生きた教材があり,食の勉強もしやすい環境にはある。高校に入った途端に,自分の好きなものだけ食べるみたいな状況があるので,高校ほど,食育を進めてもらわなければいけない。家庭科や保健体育,それから,今,東京都の小・中学校にある食育リーダーのような,組織を作ってもらって,食育を子供たちにあえて教える機会を,考えさせる機会を持っていただければありがたい。

○ 若い世代が朝食欠食で仕事に行くとか,バランスの悪い食事を取っていることがこれから心配。また,アレルギーの問題が現場ではすごく大きい。除去食や代替食など,給食に対しても,ものすごくぴりぴりとしながら対応している。そういう意味では,子供たち,その本人だけではなくて,クラスのほかの子たちもそのことを理解していないと,事故が起こることが本当にあるので,アレルギーのことも触れていただければありがたい。

○ 高校の方で食育のことを扱うのは,保健体育と家庭科だと思う。実際に高校では,健康の保持増進と疾病の中で生活習慣病の関連として教えているが,非常に内容が多いという印象がある。先ほどから,女の子だとやせのこと,生活習慣病のこと,朝食欠食などとあるが,こういった内容は非常に大事で,特に高校卒業後に一人暮らしする生徒も多いので,必要だと感じる。

○ そこで,保健だとここの部分で,家庭科だとこんな部分でという教科ごとのすみ分けと,連携を図るということが非常に大事。同じようなことを家庭科でも言って,保健体育でも指導してと,ダブるのはいいところもあるが,その辺の連携をうまく取ると,もっと充実した指導ができる。

○ 教科にはそれぞれに目標やねらいがあるが,現行の学習指導要領の中には,食育の場合,「食育の観点を踏まえつつ」というのが,体育や特別活動の中に入っている。それぞれ教科のねらいに沿って授業を行っていく中で,更に食育の観点も踏まえつつといったところの意味合いが学校現場には伝わり切れていないように感じる。この「踏まえつつ」というのは食に関する指導の目標に感謝だとか,伝統文化だとか,栄養バランスだとか,幾つか目標がある中で,そういった意味合いであるとは捉えているが,「食育の観点を踏まえつつ」という意味合いが,現場の末端まで伝わるように,もう少し分かりやすく学習指導要領の中に反映されるといい。

○ 「育成すべき資質・能力」に関してのところ,やはり個人の能力のことにとどまっていて,もう少し食に係る社会づくり,環境づくりなどの視点からの資質・能力をうたい上げることはできないか。グローバル社会と言われる中で,栄養失調で亡くなる地球上の子供たちがたくさんいる。そういった視点も扱い得るような書きぶりが求められるのではないか。

○ 他の教科等というところで,具体的にどの教科がどう担っていくのかというような,安全に示されているような資料が作られる必要がある。家庭科と保健体育,さらには,特活や総合,道徳など様々。食育基本法に示されている,生産者への感謝の気持ち求めている資質・能力からいくと,そういった守備範囲も出てくる。今回は,3つ目の柱として,教科横断的なカリキュラム・マネジメントをうたっているが,総則で食育に関して高らかに示したものの,家庭科と保健体育だけとならないように,もう少しその辺の視点を考えた方がいい。

○ 食育も,重点的に書き,その大部分が保健体育の保健となると,安全と同じように,更に時間が必要になってしまうので,教科横断的にしっかり引き取っていくという書きぶりが必要。

○ 食育を推進するためには,やはり学校の中で中核となる人がいないと,なかなか推進できない。そういう意味では,小学校・中学校では教育課程に,位置付けて,しっかり推進できる土壌ができつつある。その辺が高校の方ではまだ少し厳しい状況ではないか。

○ 家庭科と保健のすみ分けの部分では,保健の取扱いとしては,健康の保持増進,又は,疾病の予防,発育・発達全て食育が関わっている。そういう視点で食育を捉えていく必要がある。家庭科は,高校の指導要領を見ると,「健康で安全な食生活を営むために必要な栄養,食品,調理,食品衛生などの基礎的・基本的な知識と技術を習得させ,生涯を見通した食生活を営むことができるようにする。」とのことなので,すみ分けは,ある意味,保健と家庭科というのはできているのではないか。

○ 小・中・高と継続的に食育を推進していくためには,やはり教科を基本として,特活などで,より膨らませていく必要があるので,現在,保健,家庭科両方で推進している内容について,中身の充実を図っていくことが必要である。

○ 子供の貧困ということが大きな話題になっており,家庭で選んで食育が生かされて,バランスの取れたということは,当然望ましいという理想論を一所懸命言っても,家に帰ったら本当に選べない場合もある。そういったところもある程度配慮しながら,時代背景的に,そこをどういうふうに教育としても盛り込んでいくのかということも,少し観点にも入れる時代になってきたのではないか。

○ 小学校では,やっぱり栄養士が,いかに思いを込めて作っているかとか,それから,地産地消という観点から,周りの農家の方が作っているものを自分たちが食べていくということを総合的に学べるような仕掛けが必要だろうし,ずっと小さいときから上に行くまで,本当に命を育てているという意識をどうやってつくっていくかということが大事になる。また,高校生ぐらいだと,もう母胎,妊娠して出産するというときに,健康じゃないと本当に大変な状況になるということも含めて,とても広い観点から食べるということを学校教育の本当にベースに置いてもらえていく1つの流れの中に,この食育がある。

○ 資質・能力の問題,カリキュラム・マネジメントの問題,ティーチングスキル,教授技術の問題があったり,あるいは,モチベーションをどう生み出すのかという,戦略の問題があるが,これが三つ巴で現象だけが取り出されてきて議論をしてしまうと,問題がよく見えなくなってしまう。というのは,高校の保健体育の体育理論の2年生のところに,体との関連で,食生活の改善をしたら,自分の体がどのように効果的にいい状態が生まれるのかということを学ぼうという食育と関わる記載があるが,実際に高校の授業を見ていて,一番食い付きのいい授業の一つでもある。特にアスリート飯だとか勝負飯と言われている,ああいう形で教材を出していくと,食い付きがいい教材である。他方で,自分の大学を見てみると,スポーツ理論の講座は人気で,非常に興味・関心が強くて需要が高い。

○ 今,資質・能力の問題に限定して議論をしていったときに,例えば,体育の領域,や保健の領域で,社会状況や家庭の問題は一度置いておいて,食育に関わってどのような資質・能力が養われなければいけないのかということだけに焦点を絞って議論を進めていくことに徹していった方がいいのではないかということを感じた。また,私の現実の二面性,どちらが正解か,あるいは,両方とも恐らくその表裏一体をなしているものだろうということを思ったときに,教授技術やモチベーションの問題がほとんど絡んでくるところであって,今,ここで議論しなければいけないのは,資質・能力に特化した問題だろう。

○ 食事とか,運動とか,いわゆる休養及び睡眠については,健康的な生活習慣の形成とあるので,そこを考えると,連鎖をするということがすごく大事で,体を動かして,おいしい御飯を食べて,ぐっすり寝て,できれば排泄も含めて,そういったところをきちんと押さえた上で中身の充実をしていくことが大事。

○ 食に関する指導では,栄養教諭も全校配置ではなかったり,共同調理場という形で,学校に常駐していなかったりする場合もあるので,管理職や教育委員会の強いリーダーシップの下に,カリキュラム・マネジメントとかも確立していくといいと思うし,そういったことが名称として総則の方にも載ってくると,思い入れが強くなるのではないか。

3.心身の健康の保持増進に関する指導の資質・能力について

○ 少子高齢化だけでなく,グローバル化,高度情報化ということも念頭に置かないと,保健のこれからの10年間を見通した内容の改善ということでは足りない。そうした中で,まさに急速な変化をそれぞれ遂げているので,予測できない課題が出てくる。予期できない健康課題が出てきたことに対して,適切に対応できる基礎・基本としての学力ということで,どう資質・能力を身に付けるかという,どういう内容が必要なのかということが非常に重要。そのときに,リスクの概念というのが非常に重要ということ,社会学的な内容ということを重視していかないと,予測不能の社会の急速な変化に対応していける適切な能力ということに応えられないのではないか。

○ 健康な生活を送るための基礎となる保健領域の知識・技能について,新しい表現の仕方や新しい内容,新しい技能が入ってきたときには,現場としては,セットで時間の確保ということがないと,絵に描いた餅になってしまう。逆に,現行でやっていることがここに位置付くということであれば,それは無理なく現場にもわかりやすいので,基本的には,今やっていることの位置付けを健康という視点で分かりやすくまとめるという方向で考えた方がいい。将来,想定できないような内容が入ってきたときにも,大きなくくりで書かれていた方が対応しやすいのではないか。

○ やり方が分かっても,必然性を感じないと,それが長続きしないということがある。今現在は,保健学習と保健指導が別になっており,なぜといったところは,保健学習の中でしっかり教えることができているので,それは学校として教科横断的に学習することができている。

○ 教科完結にしないで,教科横断的なカリキュラム・マネジメントができるような,そんな保健体育の学習指導要領であってほしい。そうすることで,学校の独自性が出てくる。また,教科で完結するとなると,小学校だと45分の中で,実技も入れて,知識の習得だと,かなり難しい面がある。

○ 資質・能力をあらかじめ抽出することが,この総則の中に載っている目的を達成するのに,果たして現場サイドで有効に働くのか疑問に思っている。それぞれの最初の育成すべき資質・能力が3段階あり,最初に基礎となる云々と書いてあるが,教える側にとってはそれでいいが,子供の側からすると,何で大事なのか分からなければ,それはアクティブ・ラーニングにならない。実際には,子供の側から健康の大事さだとか,身の回りの現象に対して比較検討したり,興味・関心を持ったり,そういうところから入っていく。その辺について現場にお任せすればいいのではないか。

○ 基本的に押さえておかなければいけないのは,情報と知識の違いだと思う。健康に関わる情報はいっぱいあるが,知識というのは,常に問いを持っている。心身の健康に関するまさに基礎的な知識,すなわち問いを持った知識とは一体何かということを,この資質・能力の中で整理する必要がある。余りにも情報が氾濫し過ぎている時代なので,そういうことで,きちっとしたモデルを作っていく必要があるのではないか。

○ 今回,三本柱という趣旨を受けて,アクティブ・ラーニングで学ぶ,教科をもっと超えたところでと再三言われていた。法令が枝分かれすればするほど,大事な部分が何かわからないということにはならないようにしなければならない。

○ 運動,栄養,睡眠というのが健康の原則ということで,心身の健康というのは,本当に生きていくために,一番大事なことだと思う。横断的な取組をしていかないと,教科だけで完結はできない。特に心身の健康の心の部分というのは,保健の部分でやる部分と,それから,ほかの部分が入ってこないと,本当にできないところもあるので,横断的なカリキュラム・マネジメントは,絶対お願いしたい。総則に載せていただきたいということである。

○ それから,現代的な課題の疾病とか,だんだん世の中は変わってきていて,この先もその時々の話題が出てくる。やはりそこの精選を,今,一番大事なことではないかなと思っているので,そこの比重とか,内容の精選とかを更に深めていかないと,子供たちの将来の健康にはつながっていかないのではないかなと思っている。もうちょっと横断的に考えながらも,保健体育の領域として,より深めてもらいたい。

○ 技能の例として挙げられていた手洗いとかうがい,確かにこれは典型的な技能だが,ほかにも様々な健康上の技能はある。そういうものを取り上げようとすると,限りなくなってくる。一方で,技能に関わっては,認知的スキルなどが大事だということが言われている。例えば,ストレス対処に関わって,ストレスの捉え方を変えてみるとか,問題解決のようなアプローチをするのかとか,選択肢を考えてあげていくというようなことも,技能とも言えるのではないかと思うが,これは思考・判断に関わることなのかもしれないので,保健でいう技能とは一体何なのかということを明確に定義しなくてはいけない。

○ 心身の健康の保持増進に関する指導に関して,我々は心と体の一体化を目指した指導をしている中で,今,心の問題というのが非常に大きい。今も保健の授業で発達段階に応じて指導はしており,また,その学習形態も,ブレインストーミングやロールプレイを入れたりしてやっているが,子供たちがその場では理解しても,なかなか継続して考えていけないので,教科横断型もそうですし,モジュールという形でずっと横で取っていくということも必要なのではないかと思う。特に食育は,給食の前に食材や栄養なんかに関して話をしていくなど,継続的にもできるので,そういった取り方も考えられるということを考える。

○ 総則でということで,やはり命の大切さということを,これからは子供たちにも言っていかなくてはいけない部分。子供たち自身が自己肯定感を持ち,自分に自信を持ちつつお互いを認め合いながら,自他の命の大切さについて認識を深めていくことがとても大切なことだと考える。

□その他について
1.運動部活動について

○ 現在,私自身が週に何回か中学生,高校生,大学生と,いわゆる運動部活動,剣道部の中で生徒と一緒に汗を流しているが,やはりその中では,本当に教室では見ることのできない生徒の姿や表情がある。

○ 運動部活動は,学校活性化の大きな力,起爆剤になっていると感じる。強い弱いにかかわらず,学校が教育課程外の活動として,体験・活動を通してなすことによって学ぶ場を提供している。子供たちは口では表現することの難しい,いろんな思いを感じながら活動しており,そのことは,確かに子供の成長の糧になっていると感じる。

○ 入学する生徒にとっては,学校に行って勉強したいというと併せて,中学校になったら部活動で,こんな部活動に入って自分で頑張ってみたいと感じている生徒,保護者というのがたくさんいるということを感じる。

○ 加えて,部活動の在り方を考えたとき,学校の教員が子供たちと一緒に汗を流して活動するというところに大きな意義がある。そうした意味においても,外部指導者に丸投げするということではなくて,学校教育の中で活動していく運動部活動ということを,根幹としてしっかり押さえていくことが大切。

○ 運動部指導員のことにおいて,チームとしての学校の答申案の中にも書かれているが,現在,学校の管理下のけがについては,JSCの災害共済給付のデータを見ると,中・高では半分が部活動であるということが非常に明確になっている。その中で,外部の方が指導するとなったときに,やはり事故防止なり事故対応というのがきちっとできるのかという,そのような不安はあるのではないか。

○ 部活動の意義って非常に大事。優勝するとか,良い成績をあげなければならないということではなく,同じ目標を持って,異学年,1年生は1年生の役割,2年生3年生と人との関わりや,組織的な活動ができることはすごく生徒に力になっているのではないか。

○ 教員に技術的な指導ができなくても,そのほかの部分での生徒との関わりもあり,学校にいる分教員は,外部指導者より,より理解をして,いろんな角度から指導ができるということについても,部活動の本当の意義ではないか。学校教育の一環としてやっていくということについて,非常に意義を感じている。

○ 中学生にとって,部活動というのは本当に一番楽しい放課後の時間。そうした価値をすごく子供たちは感じている。そういう中で,私たちは健全育成のために,部活動を通しながら体力向上とか,規律とか,態度とか,挨拶とかを部活動を通じて指導しているところがある。そして,その中で,異年齢との交流の中で,人間関係の構築とか,先生と生徒の関係とか,それから,自分自身がいろんなところで活躍すれば自己肯定感を高めるとか,大変意義がある。意外と人生観が部活動で影響されることは生徒にとってとてもあるのではないか。

○ 現在,必ず正規の教員が付いて外部指導員を活用するという形で取り組んでいるので,是非,この意義を踏まえて,教育課程内に入れるのは厳しいとは思うが,教育活動の一環という位置付けをこれからも残すことが大切。

○ 体育・保健体育以外の先生方が非常に多い学校現場の中で,運動部活動の意義をそうした先生方にもどう理解していただくのかというところがすごく重要。

○ 部活動に教育的意義があるということについては,多分,国民的に支持があると思う。きちんとした教育活動への位置付けということが,現場のモチベーションも高めることから,部活動は,教育活動の中の大切な学校教育の中の一つであるということを位置付けるということは,とても大切。

○ チーム学校という,つまり,学校外の資源を学校教育に生かしていこうという気運がある中で,是非,この部活動の中に,どういう形がいいか,具体的なものはまたこれから精査していく必要があるのではないか。

○ 外部資源を入れながら,より質の高い教育活動の中の一環としての部活動を進めていくのが好ましいのではないか。

○ 地域型のスポーツクラブみたいに外に丸投げするというのは,日本の部活が今まで続いてきた中ではふさわしくないと考える。是非,学校教育の中で位置付けとして明確にするとともに,外の資源を入れて,効果的で質の高い活動ができるような方向を考えていければと考える。

○ そもそも運動部というのは,モデルはパブリックスクール。パブリックスクールというのは,もともとは中・上流階級の学校で,そこで何で放課後でなければいけなかったのかというと,自治の問題から。自由に自分たちが学校の管理外で,自分たちが試行錯誤して,それで,その中で自分たちがスポーツを楽しむということを学ぶ場だった。

○ 自由性の中に,子供たちが自分たちで規律をつくっていくという。まさに思考・判断ではないが,いろんな要素,エッセンスを自分たちが工夫していく場であったのが課外活動。だから,サッカーだとかラグビーだとかというものが発明・発見できた。まさにあれは子供たちが自分たちで工夫したのが発端である。

○ 日本の運動部活動で一番問題なのは,やっぱり一元的モデルで,チャンピオンシップをつくるための運動部になっていること。本当に様々な運動部活動があっていいはず。日本は運動部活動におんぶにだっこで高度競技レベルの資質・能力というものを高めてきたことから,活動としての目標に選択肢がないし,あったとしても広がりに対する平等な価値の重みづけがない。生徒にとって自由性が保障されない運動部活動は,本来の課外活動の趣旨からは逸脱している。

○ 複数種目が選択できる運動部や,シーズン制の運動部など,いろんな運動部活動の形態を考えるべきで,その辺のところは,きちっと議論していかなければいけないのではないか。

○ 教員にとって,学校教育の中で何に一番やりがいを感じるかというと,部活動が一番多い。その一方で,負担を感じるというのも一番多い。つまり,表裏一体になっているという現状がある。

○ 教育委員会に寄せられる具体的な相談の内容としては,創部してほしい,廃部しないでほしいとか,また,保護者や生徒のニーズが非常に多様化しているとか,また,指導者が足りないとか,教員の大会の審判などの補償問題をどうするのかとか,非常に多岐にわたっていて,これも我々が即答えが出せない問題が非常に多い。やはりそういったところを一つ一つ整理していく必要があって,今回のチーム学校の議論には,非常に期待をしているところである。

○ 勝利を目指していく部活動もあれば,運動そのものを楽しむ部活動もあれば,そういった幅広い部活の楽しみ方ができる環境を,これから考えていかないと,なかなか運動する子供たち,それから,大人になっても運動するという大人が増えていかないのではないか。

○ 学習指導要領の中で,前回,生徒の自主的・自発的な参加により行われる部活動と具体的に明記されましたので,それも引き続ききちんと位置付けていただきたい。部活動の教育的効果や部活動でどんな資質・能力が育まれているのかを整理していくと,よりしっかりした位置付けができるのではないか。

○ 社会や世界とのつながりといわれているというところは,まさしく学習したことを実際にやってみるところでもあるので,そうしたところで育まれる力として,部活動の目標・目的を明確にすることができるのではないか。

○ 自主的・自発的に参加したくなるような部活動をどう位置付けていくのか,部活動自体が,もっと生徒間で教えたりとか,指導力を身に付けるような場になっていったりとか,ニーズに応じるところがあってもいい,体力の向上に関する指導も,総則の3のところに位置付けられているが,そこの課題は,やっぱり運動部活動に入っていない子供たちが体力向上をどうするのかというところがあるのではないか。そうした子供たちも運動部活動により入りやすくするような手立てを,今後検討していけばいいのではないか。

○ 教員で部活に関わっている人たちは,本当にブラック企業以上に自分の生活を粉にして子供たちに関わっている。子供を産むとか育てるとかというのを放棄せざるを得ないような状況からは,やはり回避しなければならないと考える。

○ 外部指導員は,授業のみならず,部活でも制度としてきちんと導入する方向が決まったことはよい。このときに重要な役目を担うのが,外部指導員と生徒を繋ぐコーディネーターである。具体的に誰がその役をするかは,各学校で多用であろうが,外部指導者に丸投げでは絶対にだめである。そのところを課題として検討する必要があるのではないか。

○ 運動部と文化部と帰宅部という,このくくりが,自分の経験の中でもすごく疑問。文化部の子供も運動したいのではないか。帰宅部の子だって,たまには運動したいのではないか。運動部の子も,たまには文化的なことをやった方がいいと。その辺の自由性みたいなものが,問われるのではないか。

○ 一つのスポーツをやり抜くことで身に付けられる能力って非常にあると思う。もう一方で,競技スポーツではないスポーツの在り方みたいな,本来,体育・保健体育がねらっている生涯を通して運動をずっと継続できるということを考えると,生涯スポーツ的なねらいを持った部活動があってもいいのではないか。ただ,こうしたことに関する認知というのは非常に低い。

○ なぜ,引退という言葉は何であるのかなと思う。なぜ総体が終わると,インターハイが終わると引退するのだろうと。ずっと運動を継続していくということを考えたら引退ではなくて,3年生でいわゆる試合が終わった後も運動が継続できるような仕組みづくりも今後必要なのではないか。

○ アーノルドというラグビー校の校長が,「部活動」を教育の一環として組み込むことによって,初めていわゆる運動部活動というのは意義を持って,イギリス国中に広がっていき,先進諸国に伝わっていったということがある。

○ 多様な運動部の在り方を言う前に,現実的には既に多様な運動部になりつつあるということを確認しておいた方がいい。何かというと,勝利を目指さない運動部が創られてきたり,あるいは,リーグ戦でもって,トーナメントはやめたということで,近隣の高校が集まってリーグ戦でもって部活動をやっていこうというような実践が行われてきたりする。

○ この先,子供が激減していく中では,今までのような運動部活動の在り方そのものがやっぱり限界にあるということは,共通認識しておく必要がある。

○ 運動部活動を特に地域に委譲した方がいいというのは,記憶あると思うが,学校論,つまり,余りにも学校が背負い込み過ぎて,スリム化論が起きたときに,地域に委譲しようという経済界の要請もあったり,週休2日制が始まったりした,そういう社会背景の下にあった考え方である。

○ 実際,運動部の中でも世間話をするといった生徒一人一人の居場所としての運動部といった存在価値があって,だから学校へ行くという子供たち,不登校にならない子供たちも実はいて,おしゃべりの合間にスポーツを少しするような部も,実はある中学校なんかではあるという報告もある。

○ 運動部というのは,学校教育の一環として学校にあるべきだということをやっぱり確認しておく必要があり,これをこのワーキングの総意だというところで,合意をつくっておくことが大切ではないか。

○ 学校の中に位置付けるというところについては,このワーキンググループの総意として,運動部活動は学校の活動の一環に位置付けたいということは共通認識が取れたのではないか。

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スポーツ庁政策課学校体育室指導係

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