資料1-2 第2回体育・保健体育、健康、安全ワーキンググループにおける主な意見(未定稿)

□体育・保健体育,健康,安全に関する資質・能力について
(三つの柱を踏まえた構造やとらえ方について)

○ 資質能力の三つの柱を議論するときに,体育,保健体育の独自性というのがあるが,保健体育科だけが別の解釈というわけにはいかない。独自性はあるが,教科の中での独自性なわけで,ここに示された知識・技能とか,思考力,判断力,表現力などの柱に沿って議論をする必要がある。

○ 3本の柱に合わせたスタンスで作っていくことが,現場ではより継続性があって分かりやすい。

○ 4・4・4の枠組みについても,見直すというのは時期尚早ではないか。

○ 構造としては,それぞれの要素に分けているが,実際の教育・学習というのは,これらが当然つながっている。そこのレベルが,外から見ると同じ内容を扱っているように見えるが,実はそれは校種別で基本的には異なるという表現の仕方も出てくるのではないか。

○ アクティブ・ラーニングも同様で,様々な資質・能力というのがどういう関連性を持つのか,その辺のところも同時に議論しないと,授業の場面や学習の場面でそういうことが生かされていかないのではないか。

○ 体育の知識では,例えば,技術が分かるために必要な知識と,できるようになるために必要な知識と,関わるために必要な知識,すべて知識ベースにある。現行の技能,態度,知識・思考判断でいえば,技能に関わる知識を技能に,態度に関わる知識は態度に,思考判断に関わる知識についても知識ベースに書いてきたから,現行と大きな違いはない。ただし,今の現行の知識ベースの配置の仕方,そこから意味が作り出していって,子供たちがそれを学習として,ある一定の行為の発動にまでつながっていかない,ここで言う表現力までいかないというのであれば,むしろそれに議論を集約して,議論を深めていく必要があるのはないか。

○ 個別の知識や技能と,学びに向かう力と人間性には,双方に介在するものもあり,どのように配置するのかによっては,読み取る人たちが混乱する場合もある。

○ これから社会は,すごい勢いで変わってきているのは事実で,ここで育成すべき資質・能力というのは,そういうことも考えながら各教科の中でどういうような学びを子供たちに提供しながら,子供たち一人一人が健やかに育っていくためにどのような形で評価していくかについて議論する必要があり,そうした部分も含めて,イメージしやすいものをこれから提示していく必要がある。

○ 知識・技能となり,何ができるかが入ったことが,かえってよくなると思う。子供たちは,目の前の健康は,小学生・中学生は,自分自身が健康なため,別に健康や病気について余り関心がないが,将来を見据えて今何ができるのか,何をしなければいけないのかということを知って,それを実践できることが,非常に大切である。将来的に健康で過ごせるためには,幼児,小学校,中学校となるべく早く取り組んで,分かって実践する方が効果的であると考える。

○ 保健は,今回の柱は非常にしっくりくると思う。三つ目の学びに向かう力,人間性という表現だけで見ると分かりにくいが,情意というキーワードが入っている。情意に迫る健康教育の重要性は,これまで指摘されていることころである。

○ 実際の現場でどうカリキュラムが機能していくかという問題意識,懸念は共通するものとしてある。総則・評価特別部会で検討する項目の一つとして,カリキュラム・マネジメントということが挙げられており,これから議論する中で,その辺りのことも視野に入れた議論になると思われる。

○ 保健については,現行の指導要領では知識の部分だけが記述されていて,思考・判断や関心・意欲・態度の部分は記載がなかったことにより,保健学習は知識・理解のところだけの評価と誤解している者も中に入る現状を考えると,三つの柱でというのは,思考・判断,表現力や学びに向かう力,人間性等も記されることで,指導法も変わるのではないかと考える。

○ 保健においては,これまで現場の教員は知識・理解しか書かれていない学習指導要領を基に,実際の評価は,思考・判断,関心・意欲・態度の評価してきたことを踏まえると,新たに枠組みがしっかり位置付けられることは,現場は非常にやりやすくなると考える。

○ 幼児教育との関係では,幼児教育は5領域なので,余りにも健康の領域に特化されているのではないか。資質・能力のイメージを,例えば保健体育科というところから落としていったときに,当然,もともと幼児教育が固有で持っていた表現や人間関係のところって非常に大きくマッチするので,そことの重なり合いみたいなものを是非重視する必要がある。

○ 体育に関しては,この三つの柱の中でやっていくことに対して,分かりやすいのではないかと考える。高等学校については,例えば練習計画の立て方ということで,健康問題の単元が大きくなり,そのような力をどういうふうに育てて評価していくのかについても記載されると,なお資質・能力という部分で,生涯にわたったスポーツライフの実現に向け必要になってくるのと思われる。

○ 保健について,評価規準に記載のある内容が明記されるとわかりやすいのではないか。

○ 体育,保健体育を通じて育成すべき資質・能力ということで,時代の変化とともに,体育,保健体育に求められる,あるいは体育,保健体育で補える資質・能力というのが,非常に求められる部分も以前より多くなっているということもあって,非常に広がりがあり,今回の議論の中でいろいろと意見はあったが,体育,保健体育の本質は何か,どこを目指して何を求めていくのかというところを,時間はかかるところではあるがしっかり議論する必要がある。

(体育・保健体育等における知識・技能に関して)
○ 技能の部分の内容については,保健学習の中で何をもって技能と位置付けるのかという部分は,単に実践できればそれが技能というわけでないと考えるので今後検討が必要である。

○ 保健において,知識・技能の柱を踏まえると,技能が加わったというところでは,よりよく自分の健康を改善していくため,実践力や改善していく力を技能として捉えていいのではないか。

○ 保健では,健康に関心を持つことはとても大事なことで,調査によると,保健の授業に対して楽しいということが例示されていたと思うが,健康に対する関心と,保健の授業に対する関心には少しずれがあると考える。

○ 個別の知識や技能ということで,技能が入ってきたときに,これまで保健学習,保健指導ということで整理をしてきたところでの,実践力的なところの整理はどのように捉えていくか検討が必要ではないか。

○ 健康に関してどういう問題があるのか自分たちでデータを集め,そのデータをどういうふうに解釈するのかといったスキルが必要ではないか。それがデータの分析にかかるようなスキルを身に付けているとすると,それを評価することが必要になる。これは体育のところでも同じようなことが起こると思うが,この提示される資質・能力と評価観点の,今後一致させていくようなことを提案していく必要がある。

○ 技能にしても知識にしても,理解度だとか習熟度は,一見同じようなことを書いているようだけれども,小学生だからこれができるとか,中学生だからここまでできるだとか,習熟度の違いを,うまく反映させることができないと,小学校でも中学校でも高校でも同じことをしているようにみえる。この資質能力を記述するときに,能力そのものに全部レベルの違う能力があるというよりも,どういう状況の中でそれを発揮することが期待されるのかという,習熟度や理解度のレベルをうまく反映させるようにするべきではないか。

○ 枠組みが合うかどうかというよりも,枠組みに合わせるという考え方も一つある。例えば,これまでの保健では,応急手当は,技能のようにとれるが,これまで知識として位置付いていたわけで,これまでの知識・技能の考え方を変えるということになる。あるいは知識と技能と分けるのではなく,知識・技能という一つの形で位置付けるということもあるのではないか。

○ 保健の技能という部分で,例えば,生活習慣病と感染症の予防というときに,「できるようになる」というのは,どこをどうもってできるようになるというふうに,指導して,評価していったらいいのかを具体的な視点に立って検討する必要がある。

(体育・保健体育等における思考力・判断力・表現力に関して)
○ 表現力については,これも全体に関わる問題だと思う。例えば,アクティブ・ラーニングにしろ,子供たちが主体的に学ぶという中で,子供同士がどう関わり合うのかという,自分が持っている技能だとか,あるいは知識をどう伝えていくのかという表現力を非常に幅広く捉えたときに,コミュニケーションという中でその精度を高めていくとか,そういうことも考えられるのではないか考える。

○ 自分が集めた情報を整理して,人に分かりやすく伝えるということは要求されることだと思う。これは,言語表現であったが,そういうところで引き取ることはできるのではないか。 他方で,相手の感情をちゃんと見て話をするだとか,受け入れるところはしっかりと受け入れないと合意形成が図れないが,こうしたものを表現力とするのか,それとも,情意・態度とするのか整理する必要がある。

○ 思考力,判断力,表現力等は,知っていること,できることをどう使うかといった部分に関わってくることで,それこそ習得した知識や技能を活用していくところが入ってくるのではないか。体育における表現力といったときに,ただパフォーマンスの発揮とか表出とかだけではなくて,自分ができること,知っていることを,コミュニケートして人に伝える,教え合う,そういう具体的な活動としてイメージをしてするものではないか。

○ 現場の教員の授業作りは,グループワークとか,グループで必ず意見交換させるという授業を展開しなさいと指導が変わってきており,1時間の中に必ず思考判断するためとしてグループワーク,ペアワークなどいろいろな方法を使っているので,それが表現力という形で,体育にも保健にも生かされるとよいのではないか。

○ 表現力にも階層性があるわけで,表出レベルの表現力,つまり,情意と関わって,うれしいという笑顔を出したり声を発したり,こういう表現力のレベルも子供の発達段階に応じて認めてあげる必要があるのではないか。

○ 指導内容と関わった表現力であることに限定しておかないと,指導内容と関わりのない表現力というのはあり得ないわけで,あくまで体育の指導内容に関わるということでいえば,知識や思考判断,情意で,具体的に感動したり喜んだりしたときに,発達段階に応じて表現が変わってくるので,この意識を抜いて表現力の構想を立ててしまうと,単なるパフォーマンスに変わってしまう可能性があることに留意する必要があるのではないか。

○ 表現力は表現力だけで存在するのではなく,やはり思考力,判断力,表現力がセットなのではないかと考える。何も考えないで,何も判断しないところに表現力はないということで考えた方よいのではないか。

○ 思考力,判断力,表現力の観点を踏まえた教科等の本質に根差した見方や考え方といったときに,ゲームの記録を基に振り返りして話合いをするときにそうした活動の中で思考力を発揮し,次の作戦を考えて,みんなで共有して意思決定をするが,その力まで体育が担わなければならないのか。基本的には,例えば言語表現の部分は国語で,仲間と協働する部分は特活や道徳とかで担う部分を生かして,汎用的な能力を体育の授業の中でも生かしてやるということになると,体育で独自の思考力,判断力,表現力とは何かとの整理も必要になるのではないか。

○ 体育という身体を規律化するという危ない部分と,表出が自由にできる場面と,してはいけないマナーみたいなもののぎりぎりのところに身体があると思う。その辺も含めた表現を考えて,これは階層性でどうするかという非常に広い範囲になるがその辺も視野に入れた議論する必要もある。

(体育・保健体育等における学びに向かう力・人間性に関して)
○ レジリエンスの研究で,体を動かす体験を多くする中で立ち直っていくとか,今を一歩進めていくという体の領域の力がある。そうすると,保健と体育というのをどこにどうすみ分けたりするではなく,もっと融合される部分があるのかと思う。分けて討議していった部分が多いが,保健と体育が融合できる部分のところにも,この学習指導要領の改訂の中で組み込むことが可能ではないか。

○ 態度のところが,学びに向かう力や人間性という枠で示されているが,もっと,教科を超えて,体育がまさにいわれている主体的・協働的な態度を身に付けるところで貢献できるのではないか。態度自体がここにそのまま入ったらいいのか,態度に関する知識や技能は体育固有の内容でもあるので,この位置付けの仕方でいいのか。今の子供たちの自尊感情が低いとか,自己肯定感,あるいは社会参画等の学校全体で育む力として,体育はここの部分で貢献できるのではないか。

○ 学びに向かう力,人間性のところで,体育の特徴みたいなものが出せるのではないかと思う。例えば,協調とか共感となど,体育の現場で子供たちは経験する場が非常に多いので,そこまで踏み込んでもいいのではないか。

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