教育課程部会 国語ワーキンググループ(第8回) 議事要旨

1.日時

平成28年5月31日(火曜日) 15時00分~17時00分

2.場所

文部科学省 東館3F1特別会議室

3.議題

  1. 国語教育の改善充実について
  2. その他

4.議事要旨

1.本ワーキンググループにおける取りまとめについて

 2.(1)について、「考えを深めること」が「言葉に対する見方・考え方」という文章の流れに違和感がある。また全体的に文章が分かりにくいので、もう少し表現の工夫が必要だと思う。

 2.(2)について、◎と2.の文章で文言が重複している部分は、◎から削除した方がシンプルで分かりやすいのではないか。

 2.(1)と(2)について、言葉に対する見方・考え方を説明する「自分の思いや考えを深める」という文言と、◎の「自分の思いや考えを形成し深める」という文言で意味が重なってしまっているので、整理した方がいい。

 2.(2)の◎にある「言語感覚を養い」の位置付けなど、◎1.2.3.の構造が分かりにくいので、表現を工夫する必要がある。

 2.(2)の◎について、「理解」と「表現」は、現行とは逆の順番で書かれているが、この順番としていただくのが適切だと思う。

 2.(2)の高等学校の2.の「他者や社会との関わり」について、中学校の「社会生活」よりも空間的な広がりと質的に高度であることの両方の意味が含まれるように、「多様な他者や社会との関わり」とするか、「文化や価値観、言語等の異なる人々も含めた他者や社会との関わり」としてはどうか。

 2.(2)の3.「国語を尊重して、その向上を図る」について、何の向上を図るのか、向上を図るのは高等学校だけでいいのか、などの疑問がある。

 2.(2)の幼児教育で育まれる具体的な姿については、幼児教育部会で整理された大項目を転記した方が分かりやすいのではないか。

 小中学校の書写教育と高等学校の芸術科書道とのつながりが重要であり、4ページの記述は、今後、中高連携がさらに充実するということで、非常に重要な記述だと思う。手書き文字というものは、「用」と「美」の両方の側面を持って発展してきたことから、これから小中学校においても、その両方の背景を扱っていくことが適切だと思う。特に、美の側面がどのように扱われるか期待したい。

 12ページの伝統文化に関する学習について、小学校段階から古典に親しんだり楽しんだりというところに、古典にちなむような遊びという要素を加えてはどうか。

 12ページの伝統文化に関する学習の記載全体について、古き良き典型的な古典をリバイバルしようというイメージに誤解される可能性があるため、ここで言うところの「古典」とは何かを明確に示す必要がある。「古典」は古典文学全集に載っているか否かという視点ではなく、これから生きていく上で私たちを支えてくれるような、日本人がこれまで言葉によって蓄積してきた精神的所産の固まりであるというメッセージを強く出さないと、矮小化して捉えられるという心配がある。

 現行の学習指導要領においては、伝統的な言語文化として、いわゆる古典を読む、理解するというだけではなく、もっと広がりのあるニュアンスを目指しているので、それをより広げるという方向性になるよう、表現を工夫した方がよいと思う。

 12ページの下から2つ目の○について、「昔話や神話、伝承」と「古典」が並列になっているのは不自然なので、修正した方がよい。

 12ページの下から2つ目の○について、高等学校の段階において、古典を自分の生活や生き方に生かす観点から学習を充実するとあるが、その前提として、文語のきまりを学習したり現代語訳をしたりするというような方向に誤解されることがないように留意していただきたい。

 13ページの言葉を取り巻く環境の変化ということで言えば、方言についての記述がなかったと思う。近年になって、沖縄やアイヌの言葉が絶滅の危機に瀕していたり、東日本大震災後の復興の際、地域コミュニティを再生させるために方言を使うような取り組みがあったりするなど、地域の生活や文化を支える地域生活語としての方言を大切にしていくということを盛り込んでほしい。また、方言には、情緒を支えるという大事な役割もあると思う。

 手で文字を書く感覚については、視覚としては字形、触覚としては筆圧や用筆、運動感覚としては書くスピード感やリズム感のことであるが、現在の書写の学習が、これらを満たしているだろうかと思うことがある。特に硬筆と毛筆の関係において、現行の学習指導要領に示されている「毛筆は硬筆の基礎を養う」ということが十分できていないように感じることがある。
 このため、毛筆と硬筆の架け橋になるような学習用具の改善を考える必要があると思う。例えば、軟筆という水書きする用具を使い、早い時期から上下動を感得するという方法を取り入れてはどうか。

 手書き文字は、受け取る側の感覚が活字で書かれた場合とは異なってくる。手書き文字には、ある種のパラランゲージ効果があるということを指導することが重要だと考える。

 13ページの「言葉を取り巻く環境の変化を踏まえた学習の充実」について、この環境の変化で一番大きいものは、文体の変化であると思う。本を読み、手紙を書いていた世代と、ツイッターを読み、メールを書く世代の違いがある。今の世代には、読むのも書くのも数行となったり記号を多用したりという省略の流れがあるが、整った文を大事にするような教育が、学校教育として重要である。

 なぜ手で書くのかという理由として、とにかく書けばいいのではなく、時間を掛けて思考を反映するプロセスが大事であるということを記載してほしい。また、キーボードでノートを取る場合、考えていないでただ書き留めているだけなので記憶に残らない。ノートを取るというのは要点をまとめるというプロセスであるという趣旨を加えてほしい。

 「推敲する」は、どうしても一旦書いたものを直すというイメージがある。時間を掛けて深く考えて書くには、材料を選んだり、取捨選択したり、構成を考えたりというような書く前のところに時間を掛けるということがより大切だと思うので、「推敲」以外の言葉も添えてはどうか。

 多くの人が、自分が書いたものが後々まで残る可能性を考えて書くことをしないのは、インターネットやSNSは基本的に匿名だからである。そうした問題点について、もう少し書き加えてほしい。

 特にSNSに関わって、人間関係がインターネットによるやりとりで壊れたり深刻な状況を生んだりするという社会問題があるので、それらに対する視野も一言加えてはどうか。

 4.(2)については、現行の学習指導要領において行われている言語活動をより充実させていく視点として、学習過程の改善が求められているということを改めて強調することが必要である。学習過程が改善されないと、言語活動の充実という方向に進まないということで、「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を踏まえる必要があると思う。

 アクティブ・ラーニングと言語活動の関係について問われることが多いが、自分としては、アクティブ・ラーニングを支えるのが言語活動だと考えているので、そのような整理の仕方を打ち出してほしい。

 4.(2)の2)対話的な学びについては、互いの知見を広げていく対話、深く思考し合いながら議論していく対話、志に向けて協力しながら問題解決に取り組んでいくという高める対話があると考えている。
 また、3)深い学びについて、「深さ」は単なるdeepではなく、真珠の珠が膨らんでいくような質量を持ったもので、広がり、深まり、高まりがあると考えている。

 5.の大学入試との関係について、高大接続の議論に委ねるということではなく、個を大切にするという視点を高校教育として重視し、単に入試対策のために高校があるのではないということを明言すべきと考える。

 5.の学校図書館の条件整備において、読書活動の充実のための取組や学習センターとしての在り方について、もう少し書き加えてほしい。

 5.において、地域の人たちが幼稚園や小学校に来て読み聞かせをしてくれたり、地域に出かけていって昔話を探してみようとしたりすることがあるので、地域の人たちとつながって学びの基盤を整えていくことについて、書き加えてほしい。

 最近、基本的な日本語の文章が理解できていない高校生がかなり多くいるということが話題になっていて、大きな問題だと思っている。基本的な日本語が理解できる力を国語科においてきちんと身に付けることが必要である。

以上。

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