特別活動ワーキンググループ(第1回、平成27年11月25日)における主な意見(未定稿)

1.特別活動において育むべき資質・能力について

 ○何ができるか、あるいは何が分かっているか、どう使えるかということについては、社会との関わりでどうかということを考えていく必要がある。いろいろな調査等をやれば、特別活動は十分機能している、あるいは成果を上げているという回答が返ってくる。これは全国行脚をしながら授業を実際に見てきたが相当なギャップがあると感じている。つまり、資質・能力がそれだけ曖昧だということだと考える。そこにも大きな問題があって、何となくやっていればよいという感覚が非常に強いのではないかと思う。そういう意味では、もう少し、特別活動は見えない学力を取り扱っているとしても、どのように見えるようにするのかという課題があるのではないかと思う。

○ 特別活動で資質・能力といったときに、限定することを嫌う先生が多い。カリキュラムの中で人間形成、人格の完成というかなり大きなことを特別活動に期待された経緯から、総合的な力を出しているので、例えば、協働的な力だと言うと、それだけではないという話も出てくることもある。

○ 特別活動が担う役割が、1970年代、80年代までの姿と、90年代以降、変化が激しくなった社会の中での姿とでは大きく変わってきているという気がしている。その中で、これから社会に開かれた教育課程という観点でいくならば、例えば、企業から見れば、リーダーシップの育成やチームワークビルディングなどが恐らく期待されていると思うし、そういった社会への接続を考えた資質・能力論というのは特別活動にとって非常に重要なのだと思う。

○ 特別活動は、恐らく学校の先生方には、学級経営とか、ある種の機能が期待されてきたというのが大きいと思う。例えば、子供を学校に適応させるとか、生徒指導の重要な機能を担っているとか、そういったいわゆる機能論でコンテンツを考えてきたが、今度は資質・能力ベースでもう一回精査してみようという観点には、すごく期待している。

○ 学級崩壊をしている学校を回って指導しているときに、やっぱり弱いクラスというのは、言われたことはできるけれども、多様性を認めるといった面がすごく弱いということを感じた。それから、子供たちがもっている力をベクトルに表すと、どのように社会と関わってよい人生を送るかとか、知っていることをどう使うかという方向性などをしっかりもっている子供は強いけれども、幾ら知識や技能があっても、それをどういう方向で使えるかというところをしっかりもつ資質・能力がなければ、社会参画や、よりよく生きるというところが弱いのではないかということはつくづく感じた。

○ 卒業生に会うと、卒業生の体の中に主体性とか協働性というものはどういうものかということが確実に残っていて、それが社会人として生きている彼らを支えているなと感じる。特別活動で身に付けたい資質・能力の明確化という点では、学校行事で育まれる主体性や協働性、問題解決能力などではないかなと現場の実感として考える。

○ キャリア教育コーディネーターの育成手法の開発として、全国のネットワーク組織を作って、県教委や市教委と連携しながらキャリア教育を推進しているが、キャリア教育とは一概に職業教育ではなく、生き方教育と考えたときに、特別活動こそが学校におけるキャリア観の発達という部分で非常に重要なのではないかと捉えている。掃除や給食当番も、これは集団で活動していく上で、自分がやらなければいけない役割を身に付けていく上では必要なことであり、例えば福井では、福井の学力、体力を支えるのは拭き掃除ではないかと思うぐらいである。足腰を鍛えているという気がする。ただ、それが強制になるのはいけない。やはり主体的、能動的、協働的にという観点が重要である。

○ 全国を回ってみて、教員の養成がいかに重要かということは、全てに言えると考える。教員が子供たちのことをうまく引き出し、ファシリテートする能力をいかに高めていくかということに尽きる。先生たちの中に、それぞれがもっている個性的なファシリテートする力、子供たちの力を引き出す力を身に付けていくかということが、非常に重要だと思っている。

○ 論点整理にも書いてあるように、小・中学生の65%は、今ない職業に就くということであるから、自分で職業をクリエートしていかなければならない。そうすると、小学生にSNSを持たせて、資金をあげるから会社を作りなさいといっても、結局うまくいくはずもなく、そこにはやはり知識や経験を積み上げて、やっとできるわけであるが、大学を卒業する頃には、自分で職業をクリエートできるまでにしていかないといけない。特別活動ですとか学校の意義、集団の中でどのようなよりよい人間関係をつくっていくか、いかに豊かな心を育んでいくかということも大事である。

○ 特別活動については、やはりいまだにキャリア教育であるとか、こういう学校行事をやっていますということになる。中身も大事だけれども、そういう内容を通じて、あるいはそういう活動を通じてどういう資質・能力を育てようとしているのかというところまで話がおよぶ先生方は、残念ながら総合的な学習の時間などに比べてまだまだ少ない状況だと思っている。

○ 宿泊活動で児童生徒に育まれる能力を、宿泊活動を受け入れる青少年教育施設の立場からもっと明確に出していくことが必要であると考えている。宿泊活動の意義を広く知ってもらうためには、ワーキンググループにおける検討事項の、児童生徒の資質・能力の明確化、宿泊活動を通じて子供たちがどのような力を身に付けていくのかということを打ち出していくことが求められていると思った。

2.学習指導要領の構造化について

○ 発達の段階というのが前回の改訂ではかなり大きかったと思っている。幼稚園から始まって、今回、選挙権年齢の引下げもあったので、18歳までの間にどのようにして発達の段階を踏まえて構造化していくかというのは、やはり今回もかなり重要だと思っている。

○ 学級経営と特別活動の関係を明らかにしながら、それが引いては学力向上とも大きく関係しているというところが構造的に示されればよいと考えている。

○ これからの教員は、学級経営や生徒指導がしっかりできなければ駄目だと思う。そして、OECDも日本の学力向上の環境づくりにおいて特別活動を評価しているということも含めて考えたときに、では、どうして特別活動が見えにくいのだろうかということである。議論の中でそういったものを、いかに見えるようにしていくかということも必要。

○ 特別活動の内容、実践を踏まえたときに果たしてこういう内容構成でよいのか。領域として教科外に位置している特別活動については、機能的な役割が大いに期待されている。また、それが一つの役割というか、ミッションになっているので、その兼ね合いを、育てる資質・能力の中でどうこれから整理していけばよいのかとか、そういう方向でかなり絞られてきたと感じる。

3.特別活動の役割・意義の明確化について

○ 道徳の教科化の話が当然出てくるが、やはり前回、「豊かな心をはぐくむ教育の在り方に関する専門部会」というのがあって、その中で、学校というのはやはり楽しい場所でなくてはならないということになった。その基盤となっているのがやはり特別活動だと思っているので、子供たちの豊かな心をどう育んでいくかという観点を、道徳が特別の教科になったので、では、特別活動の役割はどうなのかというのがとても大切だと思っている。

○ いじめの問題や不登校の問題を考える上での基盤になる楽しい学校にするには、やはり特別活動が充実していないと駄目だと思っている。どの都道府県も教員の世代交代が大きく、学級経営がとても大変になってくる。恐らく、今後10年ぐらいで半分ぐらい入れ替わるという県もある。つまり、学級経営ができにくくなるということになったときに、実際に学校で学級経営がうまく行われるように、かなり強いメッセージを出していきたいということを強く希望している。

○ ちょうど今から30年ぐらい前であるが、あの頃、校内暴力の嵐が全国を襲って、私が赴任した中学校も例に漏れず、大変荒れた学校であった。目の前の子供を何とか学校を変えていくパイオニアにしようということで、毎日学級通信を書いたり、学級の中で役割分担をしたり、学級行事を作ったりとか、そういったことを3年間ずっと重ねていく中で見事に学校が変わっていったという経験を私はもっている。専門は美術教育であるが、私の頭の中でいつも教育の前提には特別活動や生活指導があり、それがないと学校が学校にならないという信念をもっている。

○ 時代の変化とともに、特別活動の位置付け、意義というのは変わっていると思うが、ただ、やはり今日、様々なツールの発達によって個別化されている子供たちが、一つの教室の中で社会を形成して、いろいろなグループができたり、グループとグループの間で様々な衝突や和解が起きたりしながら、人間というものを知っていく、社会というものを経験していくということは、普遍的に重要なものだと思っていて、学級づくりというのは、社会づくりの最も基本だと思っている。これから大きく社会が変化していく中で、社会を創っていくのは目の前の子供たちである。その社会の創り方を覚えるのは、正に特別活動であり、学校という教室を舞台としてそういったことを学んでいく、非常に重要な位置付けだと思っている。

○ 体育祭や文化祭などの行事づくりというのは、ある意味、教科の統合の場と位置付けることもできる。企画や実践を通して省察することなどが特別活動の中で非常に重要なポイントになると思っている。しかし、近年、なかなか特別活動の実践が生まれてこないというのが、困った事態だと思っている。子供たちのいろいろなテストや調査ばかりが報告されていて、こんなことを学級でやった、こんなことを学校としてやったなどということが出てこないということを非常に問題視している。本当にアクティブな特別活動をどのように再構築していくのかということを、この場で議論できればと思っている。

○ やはり最終的には学校教育を終えて社会に出ていくので、小学校、中学校、高等学校と、学校段階に応じても考えなければいけない段階性はあるが、最終的には、学んだ資質・能力、身に付けた資質・能力などをどれだけ活用しながら社会で生きていけるようになるか、又は社会で生きていこうとする意欲のようなものをもち合わせることができるようになるかという部分で、特別活動は重要な役割を果たしているのではないか。評価の枠組みの中ではなかなか難しいところまで担える分野なのではないかと思っている。

○ 中学校の社会科では対立と合意、効率と公正、高等学校の現代社会では幸福、正義、公正というような概念も今回の学習指導要領で入っていて、教科の中ではそういう概念も使いながら社会問題について主体的に考えていく、主権者教育というような方向性ももっているが、実際に生徒たちのいろいろな状況を聞くと、やはりそれが一人1票を投じるだけでは何も変わらないという生徒も少なくないようである。やはり社会の仕組みとして、政治や選挙の仕組みを学習して、重要性を知識としては習得できているけれども、実際に自分が社会に出て、それを行使した場合にどういう影響力を及ぼし得るかというような実感がなかなか湧かない。やはりそういう社会的なつながりの中で、政治的な学習、あるいは選挙についての学習がまだまだなされていない。そういうところはなかなか教科だけでは難しいところもあるので、総合的な学習の時間や特別活動の位置付けについて、どのように学習の場を学校だけでなくて社会の場ともつながりをもちながら、子供たちが社会とのつながりを実感し、学習が行われるようになるかという点では特別活動という場は大変重要な位置付けになるのではないかと思っている。

○ 構造的に捉えたときに、やはり確かな実践というものが十分に認知されていない。実践というのは、確かな理論に基づくものであり、いわゆる教育学的な、学問的な理論がきちんと特別活動は構築されているのだろうか。例えば、それを体系的に捉えたときには、教科外としての特質、そして、マニフェストカリキュラムではなく、hiddenカリキュラムとしての教科を横断するような、論点整理にあるような汎用的な能力との関わりなどをきちんとまとめた上で、特別活動の意義を明確にしていくことも必要だと考える。

4.その他

○ 学校行事の組替えというのが、毎年修学旅行に行っているから修学旅行とか、毎年卒業前ここに行っているからこことか、今までやってきたからこうというわけではなくて、もう一度、なぜ体育祭をやるのかとか、組み直しをする意義を考え直すということが、各学校において必要で、それがカリキュラム・マネジメントになると思っている。

○ 「どうせ先生たちが決める」というのが一番良くない。どうやれば日本の学校でクリティカルなことが認められるようになるのか、指導方法などいろいろあるかもしれないが、まずここかなと思う。自由に意見が言えたり、「間違っている」「間違っていない」ということがあったり、子供は本当に空気を読んで、先生の顔色をうかがって、「今の外した」とか、「今のKY」とか言ったりするので、どうやったら、どうせ先生たちが決めるではなくて、自分たちで少しでも決めていこうとすることを認めていってあげるのか、本当に難しいと思うが、ソフト面なのかなと思っている。

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