幼児教育部会(第1回、平成27年10月23日)における主な意見

1.新しい幼稚園教育要領が目指す姿について

(幼児教育の特性に配慮した幼児期に育みたい資質・能力)

○ 就学のときに身に付けてほしいものとして、規則的な生活習慣ではないか。就学前に身に付けてほしいことというのは、逆に、ある意味育成すべき資質・能力ということではないかと思う。「論点整理」に示された育成すべき資質・能力という基本的な考え方を踏まえた上で、その観点から接続を考えていくということが今回すごく重要ではないか。


○ 「論点整理」に示された育成すべき資質・能力の基本的な考え方である三つの資質・能力を幼児期の教育と小学校教育への接続期に確実に引き継ぐということが非常に大事ではないか。その際、幼児期の教育における遊びを通した総合的な指導の良さと小学校教育の各教科を中心とした学習の良さを尊重するということも併せて大事になってくるのではないか。

○ 自己を発揮しながら人や社会、自然などと関わって学ぶことにより、新たな価値を見いだすとか、もっと知りたいとか、できるようになりたいとか、そういった情意や態度に関わってくるものではないか。そういった教育を取り入れている幼児期の教育の良さを明確に幼稚園教育要領の中で示していく必要があるのではないか。あわせて、小学校の各教科にもそのところをつなぐ、小学校学習指導要領にもつなぐということがとても大事な観点だと思う。


○ 幼稚園、保育所、認定こども園において、子供たちが置かれている状況が結構危機的だと思う。それは預かる施設なのか、子供を育てる施設なのかというところが曖昧になっている。子供を育てるというと、何かさせればいいのかとか、先生とか保育者の言うことを聞けばいいとかという話になりやすい。そもそも子供が大事にされたりとか自分が大事にされたりするということが乳幼児期に認められることで、それがあるから自己肯定感が育っていったり、人を思いやったりということが育つのである。人との関わりの中で問題解決をしたり、人を思いやったり他者を受け入れたりとかいろいろなことができてくる。


○ 「多様な動きをつくる運動(遊び)」ということが小学校学習指導要領の体育に新たに入ったが、やはり当たり前のことができない。転ぶと、手が出る前に顔を打ってしまって歯を折ってしまうという子供が大変多い。これは小さなときに転んでいる経験自体が少ないからではないか。体力を高めようとか、さらには、技能を身に付けようと言っても、その前の段階がないといけない。やはり幼児期から様々な遊びをしていくということがいかに重要かということを感じている。特に、幼児期でないと身に付かない、この時期だからこそ伸びる、いわゆる神経系もあるし、看過できない部分ではないか。幼児期で実験的に介入していくと、確実に小学校以降も体力が高い。追跡調査により、体力が高いとか、地域の運動などに参加する割合が非常に高いとか、幼児期に耕しておくということがその後に非常に長く影響してくるということもある。


○ 体力、運動能力、健康保持に関連して、非常に注目される点は、子供の意欲的な心が育まれるということである。体を使ってたくさん遊んでいる子供たちには、積極性、協調性、コミュニケーション能力が身に付いている。たくさん遊んでいる子供ほど多くの子供と遊んでいるので、トラブルもいっぱい乗り越えているし、協調性というところに非常に関わっている。
認知的能力にも関連する。少し体を動かすだけでもいろいろな脳を使うということがかなり数値的にも出ていた。体を動かして遊んでいくということが、「健康」という領域のみに関わるように見えるが、実際には、「健康」、「人間関係」、「環境」、「言葉」、「表現」と全ての領域に関わっている。総合的に子供を育む上で非常に重要ではないか。


○ 資質・能力の要素を幼児期の段階でどう考えていくかということをしっかり議論していくことが必要ではないか。「何を知っているか、何ができるか」という個別の知識・技能、「知っていること・できることをどう使うか」という思考力・判断力・表現力等、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という学びに向かう力、人間性等を幼児期から積み重ねていくためには、こういった資質・能力の三つの柱を支点に、幼児期の教育の在り方を議論していくことが必要である。「論点整理」に「発達に応じて、これら三つをそれぞれバランスよくふくらませながら、子供たちが大きく成長していけるように」とあるように、この発達に応じてということと、三つの資質・能力をそれぞれにバランス良く膨らませていくということを幼児期の段階でどう考えていくのか、幼児期の教育の中でどう考えていくのかということを議論することが大事ではないか。


○ 幼稚園教育要領が目指す姿ということ、要するに、資質・能力という考え方とアクティブ・ラーニングという視点ということをどう考えるかであるが、幼稚園教育はある意味、以前から資質・能力を大事にし、アクティブな在り方を基本にしていたと思う。その意味では、幼稚園教育の基本、中心部分はまさにこの方向で引き継いでいくということなのだと思うが、幼稚園教育要領という文章の中で十分それが分かりやすく明確になっているか、こういった資質・能力、またアクティブな学びというのを幼児期の在り方としてどう定義するかとか、そして、それがまた小学校教育という枠の中でのそういったものとどうつながるかとか、その辺について十分明瞭かというと、分かりにくいところが今の要領ではあるのではないか。


○ 子供の表現やその中で発揮されている豊かな表現能力を見取り、そのような子供に既に備わっている力や芽生えつつある能力が、人とのコミュニケーションや環境との関わり合いを支え深めたり、音楽など文化としての表現の基盤となったりしているという意識が、人間形成としての表現教育への意識改革にとって不可欠だと考える。
そういった、遊びを通した学びや子供の総合的な経験の中で育まれていることが、小学校以上での学びへつながっていく重要な基盤であるという視点を、保育者はもちろん、保護者や小学校以上の教員に対するメッセージとしても、教育要領に書き込むことが必要であると考えている。例えば音楽においても、音楽文化の学びへつながる道筋を明示していくことが、発表会などの場で体裁の整った成果を性急に追い求めることや、そのために必要な技能を身に付けさせるための偏った指導から、子供の表現を軸に置いた保育の在り方へと転換させる方向性を示すことになるのではないか。

(アクティブ・ラーニングの視点に立って、幼児期における指導方法をどのように充実するか。)

○ 自分は人並みの能力があるということが諸外国に比べて低いこと、自分は駄目な人間だと思うことがあるということが諸外国より高い77.5%であるなど、日本の高校生の自己肯定感とか社会参画に関する意識について非常に危惧している。また、アクティブ・ラーニングの基本として、先生が答えを一方的に教えて、このとおりになるというものではなく、違う答えもあるとか、違う答えや価値観をもう少し自分で考えさせるとか、そのようなところの入り口がもしかしたら幼児教育にあるのではないか。答えをすぐに求めるのではなく、アクティブ・ラーニングだとか、もう少し自分で物事を考えて、自分で責任をとって、自分で行動するような、そのような教育になっていったらいいのではないか。幼小接続は当然大事ではあるが、そこから先まで見据えた人材育成というところも議論できればよいと思う。

○ 日頃から一番大切だなと思っているのは、本質的な理解ではないか。先生方は、どこに行っても、どの校種も非常に忙しくて、新しい方法とかキーワードが出てくると、やはりそれに引っ張られてしまう。アクティブ・ラーニングと言うと、アクティブ・ラーニングの方法をとれているかどうかということが目的になってしまっているところもあり、そうではないよという話をいつもしている。幼児教育についても本質的な理解に迫れるといいなと思っている。

○ 幼児期の教育は、感情をコントロールしながら、自分の気持ちを調整しながら、自分の言葉で伝えるというような、いろいろな日常の体験が一つ一つの育ちを作っていくのだと思う。このことがなかなかわかりづらい部分であり、先生方も意識していないところもあるのではないか。そういった指導の仕組みは、実は子供の気持ちを整えながら、自分でやってみたいこと、してみたいことなど、今の幼稚園教育要領の規定にも幾つかあるかと思うが、それを言葉にすることで、それは日常の保育にちりばめられていて、なおかつそういうことを重ねることによって育てるべき資質や能力というものがしっかり見えてくる。そのことが接続につながっていく、そういった仕組みをもう一度、教育要領に書かれていることとのつながり、指導方法とのつながり、発達の姿と小学校の接続と、そういう問題をこの三つの柱に沿って考えてみるということが大事なことではないか。


○ 「論点整理」のアクティブ・ラーニングの視点をより砕いて見ると、三つの学びである「深い学び」、「対話的な学び」、「主体的な学び」が解説されている。この書き方をこのまま幼児教育に適用されるわけではない気はするが、幼児期なりに近いものはいろいろあり得ると思う。
「深い学び」では、例えば、領域「環境」において、子供たちの思考力を育てるために好奇心、探究心を大事にするというようなことが規定されていることとも関連するのではないか。また、「対話的な学び」の関連では、「言葉」の領域や「表現」の領域などで自分たちの考えや思いを表すとか、それを介して子供同士が協働するといったことはもちろん幼稚園教育の中心である。「主体的な学び」でいえば、そもそも幼稚園教育の基本である、心情、意欲、態度などを大事にする、あるいは自発的な活動としての遊びを中心とするということであるから、まさにここが幼稚園教育の中心であると思う。
この学びの在り方について、もう少し具体的に、これまでの領域の記載その他に書かれていることと結び付けながらより明確にしていく必要がある。その際に、5領域を大きく変える必要は全くないと思うが、領域という考え方と、それに対して資質・能力とかアクティブ・ラーニングという領域横断的な部分が必要だと思う。そのあたりを幼稚園教育要領の規定上どういうふうに表していくか考えていく必要がある。


○ 教師の役割がすごく大事になってくるのではないか。子供に対し、一つ一つの生活の中でどういう働き掛けをするということが結局観察するポイントに多分なってくると思う。その当たりをうまく表すことができないか。

2.幼稚園教育における改訂の具体的な方向性について

(幼児期の終わりまでに育ってほしい姿をどのように明確化するか)

○ 幼児期の終わりまでに育ってほしい姿をどのように明確化していくかということが一つのポイントではないか。平成22年11月に幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方に関する調査研究協力者会議報告において、幼児期の終わりまでに育ってほしい幼児の具体的な姿(参考例)を示したが、これを手掛かりにゼロベースからではなくて、平成22年の報告書を基本とすることでより論議が深まっていくのではないか。


○ 幼児期に育ってほしい姿としては、やはり善悪の判断というか、こういうことをしたらまずいなということをしっかりと教育してほしい。そういう意味で倫理観というか、善悪の判断とか、人が困るようなことはしないこととか、あるいはうそをつかないこととか、そのような基礎的な能力が幼児期の教育として重要ではないか。

○ グローバルな観点から、今後は外国人も随分日本に入ってくるかと思う。人と違っていることを責めるのではなくて、人と違ってもいいとか、そのような教育が求められるのではないか。倫理観とか社会に出てからより良い人生を送るかというところの一つに幼児期が非常に重要になるのではないか。

○ 幼児期の終わりまでに育ってほしい姿ということと、幼稚園、小学校の円滑な接続において、幼稚園における遊びという体験の中身が、どういう体験をすることが小学校の学びにつながっているかという部分と、そこにいる幼稚園の先生がやはり言語化してくれる人としての役割というものがなければいけないのではないか。体験すればいい、遊べばいいというわけではないと思う。そこを的確に明文化できればいいのではないか。人間社会で生きていく上で、幼児期から、人との対話の過程でできる力、インクルーシブというような支援を要する子供も含めた中で、多様な文化を持った子供同士が小学校に行ったときにも関係性を作っていけるような部分、適応できる人材としての「生きる力」が要るのではないか。

○ 幼小接続が今回とても大きくなっていることを感じつつ、言語活動の関連から、言葉がつながりとして大きく出ていることをとても感じている。そこで、5歳児の具体的な育てたい姿を出す際に、小学校以降だけではなくて、幼稚園の前にどういう育ちがあってここに至っているのか、それまでの育ちの過程を丁寧に見ていく必要があるのではないか。5歳の子供がそこに至るまでどういう育ちをしてきたのかという流れとか過程を押さえて、幼児期の終わりまでに育てたい姿を出していければ良いと思う。

(幼児期にふさわしい評価の在り方をどのように考えるか)

○ 幼小の連携・接続を考えたとき、双方の教員が互いの子供の姿を見る機会を保障することが重要になる。小学校教員が幼児を観察し、遊びの中で子供がどんな能力を発揮しているのか、何を体験し、どう学んでいるのかといった具体的な姿を目にする機会がなくては、連続性を考えることも難しい。また幼稚園教諭が、卒園した子供が小学校でどのように学び、どう育っているのかを見ることは、育ちの見通しを持つために意義深いだけではなく、自己の教育の何よりの評価となるのではないか。
そういった長期的なスパンでの評価の視点を持たなければ、教育における評価は希薄で軽率なものになりがちである。実際の子供の姿を見る研修機会の充実を図ることが、それぞれの教員の資質向上につながると考える。

○ 幼児期にふさわしい評価を考えたとき、「子供の学び」は何かを「事実」を通して捉えるということの積み重ねが大事であると考える。
また、学びの過程を大事にするためには、「子供の学び」を捉えるときに必ず「事実」をどのように「解釈」しその学びを捉えたのか記録しておくことが欠かせない。そうすることで、事実の中には具体的な子供の姿とともに環境の構成や教師の援助も明確になる。解釈することは幼児理解を深めることになり、教師の関わりの意味を自覚することにもつながる。遊びの中の学びは何かを明らかにするとともに、教師の関わりの評価も同時に行うことになり、幼児期の教育を充実・発展するためにふさわしい評価であると考える。

(幼児教育の特性等に配慮した内容をどのように改善・充実していくか)

○ 平成24年に文部科学省から「幼児期運動指針」が出た際、幼児の遊びや生活習慣とか、幼児の体力、運動能力の調査を5年間かけて行った結論から言うと、遊びの力はすごいということである。決して運動ではなくて、体を使った遊びだからすごいのではないか。いろいろな研究において、幼児期に体を動かす時間が減っているということもあるが、それ以上に問題なのが、いろいろな遊びになっていないということ。遊びの固定化により、いろいろな経験をしているはずのことをしていない。結果的に、このようなこともできない、このようなことも身に付いていないということになる。生活スタイルがどんどん簡便で動かなくてもいい方向になっており、これは教育の中で手を打つしかないだろうということがそのときに非常に明快になった。

○ 現場では5領域を領域別ではなく、総合的に指導ということで、一つの遊びの中にもいろいろな多角的な視点があり、育ち合うということの意味が、現場では結局、実践で何をすればいいのだろうというところになってしまう。その間の過程を、年齢によっても当然違ってくるということをどう示せるかということが結果として幼稚園教育要領が浸透し役立つということにつながるのではないか。大きな意味では、この幼児期の長い見通しの中で、身体性をどう作っていくかとか、精神性をどう作っていくかとか、好きな遊びをするといっても、自分で自己決定できるとか自己形成とか、子供たちの体験を教育的配慮でもって言語化してくれる教師がいたときに、その体験が記憶となり、思い出して、それをもう一度、遊びの環境があればそれを再現できる。その辺の構造をどこかでうまく明文化できれば、幼児教育の中身そのものが小学校の先生や第三者の方々にとって意味を持っていくことになるのではないか。

(幼児教育と小学校教育との接続を一層強化していくための支援方策をどのように進めるべきか)

○ もう少し幅広く、豊かな感性、情緒、情操といったところをベースに接続というのを考えていかなければならないのではないか。道徳性やいろいろなところのつながりも考えられる。図画工作については、その後の創り出す喜びとか、何かをみんなで創りながら、そのことが協調性や社会性も養っていくこと考えると、近い立場で接続ができるのではないか。

○ 幼小の接続では、改めて乳幼児期は大事だとか、非認知な能力でいえば、乳幼児期に起こったことがやはり幼稚園、小学校だけではなくて、中学校、高校にまで大きく影響してくるのだということを、小学校の先生にも分かってもらいながら、何らかの形で明らかにされていくことを、議論を通して、もう少し分かりやすく社会に訴えていくことが大事ではないか。

○ 幼稚園教育要領とか、いろいろな自治体やいろいろな園が工夫して、幼児期にはこれが大事だよというカリキュラムがたくさん作られているが、それが現場で実践されるための、その間をつなぐ仕組みが重要ではないかと思う。やはり都道府県が広域調整機関として何をすべきかということも同時に考えていかなければならないことと思う。幼児期は小学校の前倒しや準備ではなく、子供たちが主体的に生涯学んでいく根幹なのだということを、幼稚園だけではなくて、保育所、認定こども園にも理解されるための仕組みにしていく必要がある。

○ 小学校の接続に関して、福井県は連携推進カリキュラムを、まずは何ができるかを小学校とその校区にある園で考えようということから、公立・私立、保育所・幼稚園を問わず、福井県の全ての園と全ての小学校で作り、幼小接続を推進している状況である。そういった中で、やはりこれは、子供の指導のことだけではなく、学び続ける先生方の姿勢としてアクティブ・ラーニングで学んでいくということが必要ではないか、それを念頭に置いた仕組みが必要なのではないかと考えている。この幼稚園教育要領の中身を現場の実践につなげていくための多くのつなぎ手をどう養成するか、そして、つなぐ仕組みや仕掛けをどうするかということを念頭に置いて、幼児期において育みたい資質・能力を明確化し、分かりやすくすることで、現場の方が一生懸命やってきたことを力強く推進するというまとめ方をしていく必要があるのではないか。


○ 小学校教諭にとって保幼小連携の良さは、やはり小学校入学前に、就学前の子供たちがどのような遊びや経験を通して、今目の前にいるのかということが分かることだと思う。例えば、トイレの使い方の指導のように保育園や幼稚園で既に学習済みだったものを小学校でやり直したりとか、各園でリーダーとして育ってきた子供たちを小学校で完全にお客様として扱っていたりとか、どのように1年生と接することがいいことなのかと考えている。
そのほか、小学校側の良さとしては、今日的な教育課題の解決、例えば主体性や協働性を育むといったときに、やはりそれは園の保育者の支援や手だての中にヒントがあるものだと思い、保育者から学ばせてもらっている点である。小学校、保育園、幼稚園の連携を通して、発達の違いこそあれども、子供ということには変わりはなく、共通している点は多い。例えば、どうしたら子供たちがやってみたいなという気持ちを膨らませることとか、近くの友達やクラスメートと協働しながら問題を解決していくことなどである。

○ 保育者の側にとって小学校と連携する良さは何なのかということを考えたときに、卒園して送り出した子供がどのような小学校生活を送っているのかが見えることとか、園での遊びや経験が小学校のどのような学びにつながっているのかというのが見えてくることではないか。小学校の学びの現場を保育者の方が見たり、参観したりということは、今園児がやっている遊びが小学校のこういうところに役に立つのだというある程度の見通しを持つとか、保育者が自信を持って遊びや経験、活動に携われるということにつながるのではないか。


○ コミュニケーション以外の言葉の機能として、自分を作る、自我を作るとか、言葉自体が楽しいとか、それから自己コントロールを言葉でするのではないかと思う。言葉で自分の行動をコントロールする要素が言葉の中にはある。
コミュニケーションだとか伝え合いというところに観点を置いて幼稚園教育要領を作っていくが、子供にとっては言葉がもっといろいろ豊かな意味があったり遊びの部分があったりするというところを大切にしながら小学校につなげていけると良いと思う。

○ 幼児期から小学校、中学校、高等学校を見通してこの接続の問題を考えることはすごく大事なことではないか。滑らかな接続をなぜ必要かということをしっかり押さえておくことが大事である。教育課程企画特別部会では、幼・小・中・高修了する段階である18歳を見据えたときに学校間の滑らかな接続が大きくクローズアップされて、そのような流れの中で、幼小接続は大事だということを確認してきた経緯がある。一人一人の子供にとっては、小学校1年生の生活が楽しく充実して展開できるということ、自信を持って小学校教育がスタートできるということはとても大事なことではあるが、そこでおしまいではなく、その先も学び続ける、主体的に学ぶということをどう支えていくかということが、この乳幼児期の子供たちの生活の体験であったり幼稚園の中での様々な体験であったりするのではないか。平成22年の幼小接続報告書の中でも、学びの基礎力として、幼小接続の時期の大事さを確認したが、この接続の問題を考えるときに、幼小接続がなぜ大事なのかということを大事にしながら、幼児期の教育から小・中・高ということを見通していくことが大事ではないか。

○ 幼小の交流・連携を通して、この成果を生かすために各幼稚園、それから小学校それぞれの教育課程に反映する段階まで草加市では進んできているところである。小学校ではスタートカリキュラム、幼稚園では草加市ではアプローチカリキュラムと言っている、カリキュラムの作成に係るアドバイザーの人材確保その際非常に必要ではないか。カリキュラムができても、内容的にはまだまだ大きな課題があることを踏まえ、それを支えていけるアドバイザーの育成というのが非常に今、緊急課題になっている。その意味で、実務的な研修会の持ち方について、多分解説になってくるかと思われるが、触れていく必要があるのではないか。

○ 保幼小連携を通して、子供が変わる、教師・保育者が変わる、保護者が変わるということと、また互恵性という言葉を大切にして本校では研究している。幼児教育と小学校教育の接続によって、子供たちにとってどのような良さがあるのか、保育者・小学校教諭にとってどのような良さがあるのか、又は保護者にとってどのような良さがあるのか、あるいは園児と児童にとってどのような互恵性があるのか、保育者・小学校教諭にとってどのような互恵性が生まれるのか、保護者にとってどのような互恵性が生まれるのかということをやはり大切にしていきたい。今後幼小接続の推進に当たって、接続する上ではやはり小学校教諭を変えることが大変だと思うので、幼小接続の良さが明文化されはっきりしてくるとよいのではないか。

○ 幼小の連携・接続の視点を、保護者に理解してもらう機会を設けることも不可欠だと考える。保護者から小学校での教育の先取りを求める声があっても、特に私立の多い幼稚園においては、それを受け入れざるを得ない状況も少なからずあるだろう。幼児期における子供の学びの特徴や在り方について、保護者の理解を深める機会を十分に持てるようにすべきであると考える。

(幼稚園における子育ての支援の在り方をどのように捉え、進めるべきか)

○ 幼稚園に入園する前の生活、基本的には入園してからになるが、実態として、特に入園当初の家庭教育の生活実態というものを踏まえた幼稚園教育と、その文化の接続と段差をどうするかというのは少なくとも教育課程の最初では若干意識する必要があるのではないか。それが結果として幼稚園教育、子育ての支援という部分に、家庭教育をどう充実していくか。幼稚園でやっている体験が一体どういう意味があるかということの家庭へのフィードバックが必要ではないか。その意味が分かればもう少し子育ての部分も変わっていくのではないかと思う。

○ 子育ての支援において、幼児期の教育の大事さということを家庭にしっかりと伝えていかないといけないのではないか。

(幼稚園教育の目的や目標を達成するために、幼稚園におけるカリキュラム・マネジメントをどのように確立すべきか)

○ 園としてどういう教育をしていきたいのか、どういう力を育んでいきたいのかなどを明らかにしていくためにも、カリキュラム・マネジメントをしっかりやっていくことが大切ではないか。幼児期の教育は見えにくいと言われる中で、保護者や地域に説明責任をしっかりと果たし、相互理解を深めていくことによって、地域や保護者、家庭などの協力を得て、子供の健やかな育ちをこれまで以上に保障できていくのではないか。そのためにも、地域の教育的素材を取り入れるなど、カリキュラムをマネジメントしていく視点も大切ではないか。

○ 私もいろいろな研究会の講師経験の中で、一つ前の学校種、例えば中学校の先生たちには小学校を見てもらうということをあえて研究会のスタートで入れて、小学校の先生には1回中学校に行って中学校で何が変わるのかというのを見てもらってから研究に入るようにしている。なかなか文章だけでは幾ら表しても理解しにくいところがある。カリキュラム・マネジメントもあるとは思うが、幼小接続の際にも、そのようなことが盛り込まれていかないと本質的にはなかなか変わっていかないのかと、現場を見て思うところである。

○ 教育要領の基本的な方向性については、現行の教育要領から大きく変える必要性は感じておらず、むしろ、その最低限の規準(ナショナル・ミニマム)がクリアされているか等をチェックするためのカリキュラム・マネジメントが重要ではないか。個々の園の独自性は保障しつつ、国に認められた教育機関としての規準を満たすことができるような仕組みづくりが必要ではないか。そのためには、地域や他校種との連携体制も重要になってくると考える。

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課第一係

電話番号:03-5253-4111(代表)(内線2903)