生活・総合的な学習の時間ワーキンググループ(第1回、平成27年11月16日)における主な意見(未定稿)

1.生活科及び総合的な学習の時間の現状と課題について

○ 総合的な学習の時間の一番の問題は、現場の先生方がその趣旨をうまく理解していないことによるロスがすごくあるということ。特に総合的な学習が導入された13、4年前でいうと、提示された環境とか、地域理解とか、そういったことについてのテーマ学習をさせるということに重きが置かれて、その時点から今までに至って、育成すべき資質・能力というところに関しては軽視をされているような気がする。

○ 育成すべき資質・能力に重きを置いて、それが小学校から中学校、特に小中一貫連携と言われているような過程においては、継続的に連携をとっていかなければ何の意味もない。よくあるのが、小学校の先生方は割と細やかに生活科から総合的な学習の時間、そして、6年生ぐらいまで、スキルとそのテーマをうまく組み合わせながら組み込んでいるが、中学生になると、踊り場からかくっと落ちてしまうような、そんな感が否めない。そうなってくると、高校においてより探究的な学習活動を重視するというような、本当の意味での資質・能力の育成と同時に、テーマを自分で選んで、アクティブ・ラーニングで能動的に探究学習をしていくというようなところがなかなか実現をしていきにくいのではないか。一番重要なことは、学校現場にこの意図を伝え実践していけるような後押しをすることではないか。

○ 現場の先生方にどこまで今までの生活、総合的な学習の時間の趣旨が理解されているのかというのは、長年この分野の周辺を取材して常々感じてきた。また、例えば、小学校で、生活を大変熱心に取り組んでいる学校があり、そこで授業を拝見してもかなりのことをやっているけれども、趣旨が保護者に理解されないがために、この学校は先生が何も教えてくれないということで、保護者の協力が得られない。実際は生活、総合的な学習の時間を通していろいろなものを身に付けているわけであるが、そういうのが伝わらないということで、先生方がかなり困っているという話も聞いている。

○ 総合的な学習の時間の実施状況について、先ほど高等学校の話があったが、中学校がかなり小学校と比較してキャリアの部分に傾いてきている。そのあたりをどうバランスよく地域の素材を生かしていくのかということが問題になるかなというふうに思っている。

○ せっかく総合的な学習の時間、あるいはアクティブ・ラーニングと呼ばれる学びをかなり先進的かつ積極的に実施している高校ですら、高校3年になると、それをぴたりとやめて受験シフトに切り替わってしまう。これは先生方がとても残念がっているが、こういうことの背景には、やはり学習指導要領の、ある意味での分かりにくい部分があると考える。先生方に伝わりにくい部分があるので、保護者にも伝わらない。今度の指導要領で、社会に開いたということをうたっているが、地域社会の協力を得るためにも、その辺を意識した表現を工夫できないものかというふうに感じている。

○ 高校というのは最後3年になると受験シフトというお話が出た。本校は保護者も含めて、日々の学習と探究的な学習というのは一体化しているものだという啓発と取組を入学時点からしてきた効果があり、3年のセンター試験の前日、前々日、やったとしても受験科目と関係ない、いわゆる歴史の核抑止論についてという最終講義を聞いて、すっきりしてセンター試験に行けるというような、理系の生徒がたくさんいるのはまだ健全な方だなと思っている。そういったいわゆる5教科以外の教科・科目であったとしても、そのような形で生徒が日々の学習と探究的な学習を、たとえ受験の前の日であっても普通に受けられる、そういう学校を目指していけたらなと思う。

2.生活科及び総合的な学習の時間で育成すべき資質・能力について

○ 小学校は横断・総合、児童の興味・関心、地域・学校の特色と3課題、中学校にはこれに職業や自己の将来に関わるというのが付け加わって、高等学校はまた構造が違う。小・中・高で示し方の枠組みがちょっと違っている。例えば、防災とか職業といった似たような、ドメインが違う課題の中に、今、位置付いていて、これでいいのか。もちろん校種が違えば、変わってもいいわけだが、これは一度見直す必要があるのではないか。

○ 生活科の目標は、自立への基礎を養うことということで、解説に、自立への基礎というのは何かということが三つ述べられている。この基礎を養うということは、生活科の方では非常に明確に打ち出されているが、なかなか今回、生活科を通じて育成すべき資質・能力についてというようなことになったときに、ここの究極的な目標とどのように関係があるかとか、あと、この三つの自立への基礎というのは、恐らく幼児教育とも非常に密接につながっていると思うので、そういったところなども明確にしていけると、自立への基礎を養うという生活科の究極的な目標が一層達成できるようになるのかなと思う。

○ 今日の検討課題のところで、生活科、総合的な学習の時間を通じて、どちらもやはり育成すべき資質・能力の可視化あるいは明確化というところで、この辺が非常に難しいところだなと認識している。とりわけ今まで日本の教育課程全般を通して、目に見える学力のところにやはり力を置いてきて、見えるもの、コンテンツ、個別具体的で、要はリストアップできるようなもの、そこからは見えにくいもの、コンテンツをどのように社会的にも広げて、認識の幅を広げていくのか、ここは非常に高いハードルだなと思う。

○ より探究的な学びという話も出た。より探究的なというのが、その生徒の学力に応じてというのであれば、これは全然違うと私は思っている。小学校から、調べ学習を通して、そして、答えのない問いにチャレンジしながら高校を迎えたときに、高校は単に調べ学習で終わってはいけない。課題の設定や、課題をクリアしていくための方略や、そして、何に役立つのか、何に役立てたいかというのを、それぞれ学校の課題に応じて、学力に応じて、どれぐらい教員が設定して支援していくかという、それをそれぞれの学校で考えるべきであって、したがって、高度な調べ学習で終わるという探究で終わっては、恐らくこれは何にもならないのだろうなと思っている。したがって、高等学校については、文部科学省が具体的な例示をすれば、必ずそれをやればいいという学校が出てくるので、それこそ校長、教員がより探究的に自校の総合的な目標と具体的なテーマを考える、そのような構造で御指導いただくと有り難い。

○ 小・中・高をつなぐ視点というのをこれからやはりしっかり考えていかなければいけないと思っている。小学校の生活科から3年生以降の総合的な学習の時間、そして、中学でどのようにアップしていくのか、さらに、高校ではどうなっていくのかという視点が重要。これまでの内容が自由であることのよさ、それは守っていきたい反面、同じことを繰り返しているのではないかと周りから見られてしまう点をこちらの部会の方では議論させていただきたい。また、系統性を持たせた形で、一方で、系統的に仕切るのがいいのかという議論もあるかと思うが、そこら辺を是非議論させていただけたらなと思っている。

○ 資料を拝見してとても危機感を持ったのが、高等学校の総合的な学習の時間においてどのような内容を取り扱っているかという表で、普通科で見ると、全部キャリア教育である。キャリアのところが1年生77.8%、2年、3年次はいずれも80%となっている。小学校とか中学校だともう少しバランスよくほかのことも考えられているが、これを見て危機感を抱くのは、学校で子供たちの未来を考えながら教育課程編成をしていると、隣にあるまちづくりというのをセットで考えざるを得ない内容だと思う。自分たちの地域あるいは社会の将来像と、それから、自分の将来像というものを重ね合わせて考えていくということが、子供たちの学ぶ意欲であるとか、実践力であるとか、あるいは主権者意識というものを生み出していく源泉であると思うので、高等教育に送り出していく最終段階で、こういったまちづくり等を扱う分量が少ない中でのキャリア教育というのは、一体どのようにやられているのかなというのがちょっと気になった。

○ 幼児期の教育の成果を引き継いで小学校生活科があり、そして、生活科から総合的な学習の時間へ、中学校の総合的な学習の時間、高校の総合的な学習の時間というように、ここのワーキンググループが考えなければいけない縦の大きな柱というのは重い。頂いた資料の例えば、総合的な学習の時間、資料9-2の2ページ、この三角、この図がやはり、先生方が自分の学校の子供たちにどんな資質・能力を付けていくのか、これがすごくいい手掛かりになって、うちの学校はちょっと個別の知識・技能に偏っているなとか、あと、幼児期の方が主体性とか活発に身に付いていて、小学校に来るとここがちょっと受け身になって落ちるんじゃないのとか、この三角形の図がとても私たちの考えを示すときの手掛かりになるのではないかなと思っている。

○ 今回、教科も全部含めて資質・能力ということが明確にされてきたということがある中で、総合的な学習の時間は資質・能力を第一優先で目指す時間である。また、やはり答えが一つに定まらない問いを扱うということ、それから、教科横断的にアプローチ、実社会、実生活の問題を扱うというあたりに存在意義があったと思う。資質・能力の育成ということは各教科でもやるということになってきたのはいいことだと思うが、そうすると、総合的な学習の時間の独自性をどこに求めるか、教育課程上の任務をどこに求めるかということになってくる。

○ 社会に挑むという中で、いわゆる非認知的能力の育成ということも重要になるんだろうなと思う。日本の子供は自己有用感が低いとか、自己肯定感が低いとか、社会との関わりとか関心が低いということが言われるが、そこは当然総合的な学習の時間でやれるところで、社会に挑むというところでやれるところで、そういったまた非認知的能力の重要性、それが全体としての学力にも反映されるというような国際的な研究が多くあるが、そういう意味でも総合的な学習の時間の価値を訴えていくと同時に、本当にそれができるように、質の高い実践をサポートしていくようなカリキュラムにしていくということが今回課題ではないか。

○ 教育の歴史でいえば、ルソー、ペスタロッチというふうな系譜にあるような生活教育の系譜の中に総合的な学習の時間のアイデンティティー、生活科のアイデンティティーはあると思う。そう考えたときに、学際科学としての教科横断ということと、実社会、実生活の問題を丸ごと引き受けて解決していこうとするという、二つの教科横断的ということの、多少質の違うことの関連をカリキュラムではどう位置付けるかということが必要ではないか。特に高校ではこのことが大事になってくると思う。学際教科としてのアプローチと、総合的な学習の時間の独自性ということが多少明確になってくるし、その中で連携しながら、win-winの関係をどう作っていくかというあたりがカリキュラムの構造において重要ではないか。

○ 総合的な学習の時間の教科横断的ということのもう一つの位置付けとして、これは国際バカロレアのTheory Of Knowledge(TOK)のようなイメージが一つあるんだろうと思う。つまり、各教科で資質・能力を育てて探究的にしてきたとしても、それが全体としてどういうものなのかということを鳥観的に見る。一つは、そのために社会現実に挑んで、社会現実問題に適用するということもあるんだろうけれども、高等学校とか中学校の後半になると、もっと学んできたことがどういうことなのかということを一度整理して、鳥観的に子供たちの中に位置付けて、一種の道具にする。有用な道具として、その意味では汎用的な、これは脱文脈的な方向での汎用的な。社会生活に当たっていくというのは極めて明確な文脈を持つということでの汎用的なということだと考えるが、それはある種の脱文脈的で道具的な汎用性ということが、中等教育になると認知的な発達も高度になってくるので可能になると思う。そうなっていったときに、ある種のTOKのようなアプローチがあっていいのであろう。既に開発されている思考ツールであるとか、あるいはTOKのように知識というのはそもそもどういうものかということに対するメタ認知的な認識であるとかということが、高等学校の中では扱われていいだろうと思う。

○ 総合的な学習の時間の成果に学びながらもう一度総合的な学習の時間が担うべき教科横断的ということの任務と、その関係構造、その可能性を考えたい。例えば、高校の総合的な学習の時間の単位数は今のままでいいのか、もっとあってもいいという考え方もあるのではないか。でも、それもそういう任務がはっきりしてきて、位置付けがはっきりしてきて、カリキュラムとしてちゃんと積み上がったときに、それがまさに時数なり単位の累積根拠になるので、そのあたりをきちんと議論していくということが大事と思う。

○ 例えば、コンテンツでいえば、総合的な学習の時間の場合でも、同じ活動、例えば、車椅子体験のような活動でも、小学校5年生でもやるし、中学校2年生でもやる。同じ活動だからいけないかというと、そうではなくて、その中で育てるべき資質・能力は違うのではないか。だから、同じ活動をやっていても到達すべき高さが違う。例えば、それも一つの例として紹介していきながら、大きな理解を図っていく必要があるのではないか。

3.幼児教育との円滑な接続について

○ 幼児教育とのつながりということでは、生活科について、昨年度から自分のやっていた経験を基にして、渋谷区には幼児教育プログラムというのを昔から作っており、特に5歳児との教育を連携していたが、昨年は4校、モデル校として、1年間でどれだけ生活科とうまく結び付けていけるかということをやった。今年の10月から全校で一斉にやるということのプログラムを作っている。今日、生活科についての論点として、幼児教育との円滑な接続を図るスタートカリキュラムというのが出たので、自信をもって実践例を育んでいきたい。

○ 幼児教育、幼児期の子供の発達を学校の教育の最初だということで位置付けていただいていることは大事なことである。生活科との関連で言うと、三角形、これが皆さんの基本になるということはとても大事なんだなということを思っている。それに加えて、幼児教育と小学校教育の円滑な接続の在り方についてという報告が出されており、ここで具体的な幼児の姿というものが示されている。このように、幼児期から高等学校を卒業するまで、生活科、総合的な学習の時間を、先ほどの三角形の三つの視点から具体的な幼児・児童・生徒の姿を出していくことによって、日本の子供たちの、3・4・5歳児から18歳までの育ちということをみんながふかんするようなことが大切なことであり、そういうことができる教科が生活科、総合的な学習なのではないかなと思っている。

○ 幼児期の教師の在り方というものが、幼稚園教育要領の解説書の中に示されている。それは、教科書があるわけではないので、時には理解者としての立場、モデルとしての立場、子供の興味・関心に応じてどういう指導をしていくかということが具体的に書かれている。生活科などでの教師の在り方ということとつなげて考えることができたら、非常に面白いものが見えてくるのではないかなと思う。

○ 小学校の授業を見ると、やはり大切なのは、子供たちの強い思い、やってみたい、知りたい、そういうことがベースにあるということがとても大切なんだなということを改めて感じている。

4.教育課程全体における生活科及び総合的な学習の時間の意義について

○ 今回の審議のまとめの中にある、教育課程の総体的構造の可視化、この中で相互の各教科等の関連付けを行う、あるいは、教科横断的な学びを行う総合的な学習の時間の役割は重要だということは、大変重要な御指摘だなというふうに思っている。やはり総合的な学習の時間というものは、単なる1教科等ではなくて、3か年あるいは6年、あるいは子供たちの学び全体を通じた背骨になり得るものであると思っている。


○ 総合的な学習の時間のことで、例えば、学校での取組とか、学校種間によって取組の温度差があるというような話が出ていたが、やはり学校の場合は管理職の考えだとか意識だとかということが、非常に総合的な学習の時間の取組についても大きく左右する。
このワーキンググループは生活・総合的な学習の時間であるが、是非総則部会等との連携もしっかり図っていただき、学校の教育課程、カリキュラム・マネジメントの中で総合的な学習の時間というものをきちっとやっていくということをもっと強く押し出していくことが必要であると思う。

○ 総合的な学習の時間については、どうしても教育課程で取り組むときに、行事のような活動であったり、単発的な行事であったりするので、教育委員会としては、教育課程届出のとき、余りにも単発的なところは突き返して、これはおかしいじゃないかということで、非常に厳しいと言われたけれども、やはり総合的な学習の時間の意義をしっかり分かった教育課程を作ってくださいということで検討し直してもらっており、今後も頑張ってやっていきたいと思っている。

○ 知識といったときに、知識感自体は随分変わってきている。もうこれは暗記的な知識ではない。少なくともB問題まで含めて知識というところに書かれていると思うが、そうなったときに、教科でここの知識というのは多分答えがないというところまで含むのかというあたりを、各教科がどう考えてくるかということとの関係で総合的な学習の時間、あるいは、先ほど話題になった数理探究から国語、総合的な学習の時間、情報、いわゆる学際科学的な教科はどう考えるのか。これも答えはあるものとしてやるのか、答えが一つに定まらない、ないものとしてやるのか。これはかなり知識感が違ってくるので、そのあたりとの関係で総合的な学習の時間が何を担っていくのかというようなことが大事かなと思う。

○ 生活科は、今までどちらかというと、職員室の中でも低学年の先生方、職員室の隅っこの方にあるというか、小学校の先生方の中でも生活科を専門にしている先生というのはなかなかいないが、実は生活科の指導の方法や学び方を修得していかれた先生というのは、教育課程全体を見通す力を付けていっている。生活科は、幼児教育との接合もあるし、総合的な学習の時間との接合もある。そういう意味で、教育課程の初等中等教育の入り口から出口までを見渡してみたときに、やはり生活科は実は学び方のモデルを提供している非常に大きな役割があるんだろうなということを感じている。生活科での学び方、子供の物事への着眼の仕方、あるいは、論述というとちょっと大げさかもしれないが、気付きを言葉にして伝えるというこの一連の過程が小学校1年、2年生のところから中学、高校、そして、自分の見方を伝えていく論述の方法、そういうところまでが非常に一貫しているというところで、生活科の役割、あるいは先ほどから議論に出ている総合的な学習の時間、探究型の理科のようなところまで非常に一貫したものがあるのではないか。そういう意味で、生活科を職員室の隅っこから職員室の真ん中へと、むしろ放射状に職員室の配置を変えてほしいと思っている。

○ 職員の意識が、前回の改訂によってかなり学校で計画を作ることを通して、カリキュラム・マネジメントの力は高まってきているとはいえ、やはり自分の教科領域、専門のところで壁を作ってしまう傾向はまだまだだあると思っている。そのあたりからか、小学校との接続、小学校のカリキュラムへの興味・関心、それから、高等学校でどう発展していくのかという興味・関心、そのあたりを高めていくことが必要である。その際、学級数が増えていったときに、時間割も含めてどう自由に創造性あふれるカリキュラムを作っていけるのかということが課題になるかなと思っている。

○ 相手意識に立った社会貢献する生徒を育てるためには、やはり探究活動の質の向上をもっとしていかなければいけない。その際に、育成すべき力を明確にして、カリキュラムデザインを作っていくということが大切である。そうしていくとやはり授業内容が変わってくるし、先生の意識も変わってくる。その際、特に課題の設定の仕方にもっと時間を掛ける必要がある。

○ まちづくりというのはすごく私は大事だと考えており、私が関わってきた小・中学校の生活、総合的な学習の時間において、子供たちが自信をもって、自己肯定感を発揮しているのはどういうところかなというと、やはり地域への愛着だと思う。低学年から培われてきた地域への愛着、そして、5・6年になると、こんなことをやってみたいという発信をしているわけであるが、そのベースには地域への愛着心があり、そこに生活科、総合的な学習の時間の意義があるのではないかと思っている。

○ 生活、総合的な学習の時間の横断的な部分で、発達段階において小学校低学年のうちは生活教育中心で進めていき、そしてだんだん学際的な部分が増えてくるようなマネジメントしていくといいのかなと考える。

5.その他

○ 生活科では答えがある暗記的な知識ではなく、気付きとか関係的な知識だということを言ってきたと思うが、各教科の方での知識感が大きくシフトしてきた中で、気付きという言葉で表現してきたものがどうなのか、あるいは、それがふさわしくないとすれば変えていくのかという議論の地点に来ているかと思う。

○ 今回の指導要領全体の改訂の検討に当たっては、知識というものをどう考えるかという質的な転換が中核的になってくると思うが、そのあたりは先行してやってきた総合的な学習の時間、生活科が今回そういう動きの中でどういう再定義をするか、位置付け直しをするか、あるいは分担をするかということが大事である。


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