資料1 これまでの主な意見(第3回、第4回、第5回)

特別支援教育部会(第3回)における主な意見(未定稿)


(教科等の学習における配慮について)
○ 情報処理のところで、継次処理が苦手な場合もあるが、特記するのであれば、むしろ同時処理が困難な場合の方が、より現実的ではないか。

○ 視力の問題ではなく、よい視力を十分に上手に機能的に使えず、学習が成立していないというところに適応の困難さが潜んでおり、ビジュアル・アビリティをどうするかということを、幼児期から押さえる必要がある。

○ 通常、学校の先生は、可視性を手掛かりに理解しようとするため、肢体に不自由がある子供は、学習の困難は肢体不自由との関係で理解するが、知覚や認知の課題がある場合、国語や算数などの子供の学習上の課題に気付かないことが多い。ステレオタイプ的な障害の理解に基づくものではなく、子供の一人一人の学習上の困難さに着目した捉え方ということの視点を提示することは、非常に有効だと思う。

○ 障害に応じた配慮事項とすると障害そのものに注目してしまうため、各教科等における障害に応じた配慮事項という表現も修正する必要がある。

○ 学校の先生方から今までの障害がある子に対する観点も大切で、障害と困難の両側が記載できるような工夫が必要である。

○ 一人一人の先生が対応する部分と、チームとして特別支援教育コーディネーターに相談しながら対応する部分も示していく必要がある。

○ 言語障害、例えば、吃音(きつおん)があって、言語能力はあるが、うまく表現できないといった、一次的な障害として困っている部分と、例えば、吃音(きつおん)であれば、からかわれてという経験があって、何かしゃべったときに、変な目で見られるのではないかという心理的な二次的な部分に対しても、困難さというところに含めて、何らかの形で考慮する必要があると思う。

○ 同じ見えにくいということでも、その背景は様々異なり、背景が分かっていないと適切な対応はできない。機械的に見えにくいということだけを捉えてしまうと、間違った対応をしてしまう可能性がある。障害別の配慮の仕方とリンクした、ガイドブックのようなものを用意して、丁寧に示していく方向を示していく必要がある。

○ 背景にある病理的なものとか生理的なものをある程度教員も理解する必要がある。子供たちの様々な困難は、その方の日内変動も含めた病状によってかなり変化するという、そういう様相も理解する必要がある。

○ 今度の学習指導要領の改訂では、何を学ぶのかとか、どのように学ぶのかということも含めて一体的な検討を行っており、配慮事項についても、何を学ぶのか、どのように学ぶのかということにも関連する必要である。特に、どのように学ぶか、例えば、アクティブ・ラーニングについて、障害に応じてはいろんな困難が生じるということを考えた場合に、その際の配慮はどうしたらいいのかとかも考える必要がある。

○ 育成すべき資質・能力を中心に教科の目標・内容が定められていくが、どのような学びをしたか、それをどう評価するのか、この学習評価の際にも、障害種によっては見えにくい部分があり、学習評価の配慮事項もあってもよいと思う。

○ やる気がないとかという、そういう否定的な定義ではなくて、何かやろうとしているんだけど、うまくいっていないという、その背景に障害があるのか、家庭的な状況があるのかという、複数の要因をきちっと分析する必要がある。

○ 配慮について、学習指導要領で記載するか、解説で記載するか、今度は指導資料で記載するかも含めて考えていく必要がある。

○ 今回の子供の困難さに対応して工夫を示していくという示し方、また、その考えられる背景に対応させながら示していくということは大切である。今回示された配慮の例がどのように導き出されるのかということを示すということが大事だと思う。

○ 教科の目標が何なのか、この授業の中で子供から引き出さなくてはいけない姿が何なのか、評価規準に照らしたときに、どのような学びにくさが生じるのか、それを踏まえ、どう手立てを講じるのか、その結果、導き出された例を示していく必要があると思う。

○ 例えば、肢体不自由の子供は、体が動きにくいので、体育は全般的に難しいだろうというような構えもあるが、実は体育の目標をしっかり分析すると、肢体不自由の子供でもしっかり学ぶことができるということがたくさんある。

○ 算数の授業の中で、子供自身がグラフに表記できるということが非常に重要な活動である、目標達成に必要な姿であるという場合と、授業の目標はその過程でグラフを活用するという場合においては、別の手立てを講じることがより目標達成に迫るという場合もある。

○ 例示をするということでも、読み手はどういうふうに受け止めるかで、もしかするとワンパターンで受け止められたら弊害も生じることがあるかもしれない。

○ 障害別にという場合は、例えば、弱視や難聴などの場合は、診断を受けることが考えられるが、学習上の困難さといった場合には、誰がアセスメントするかという問題がある。見立ての仕方が非常に難しく、悪いところ探しみたいになってしまうことがあり、その子の強みにも焦点を当てられるようにしていくことが必要である。

○ 子供の状態だけ、深くアセスメントができないと、適切な対応ができず、反対に不適切な対応になる場合がある。

○ アセスメントと裏返しの記述が必要であり、例えば、自分の立場以外の視点で考えたり、他者の感情を理解したりするのが困難な場合、これは、よく子供を見ていないと、むしろ、文の理解ができていないのではないだろうかとか考えてしまい、自閉的な特徴のあるお子さんの心の理論の課題であるとかにまでは行き着かないのではないかと思う。各教科で出てくる困難さの見え方をまず例示し、そして、それから考えられる背景であったり、特にこれは通常の学級の困難を抱えている子供たちを指導する場合に、そういう裏返しの記述が必要なのではないか思う。

○ 学習指導要領の総則において、しっかりとICFモデルのことを整理して、明言化、言語化しておく必要がある。現場の先生、管理職、保護者も、ICFモデルのことを知っている人は非常に少なく、見える障害については非常に理解があるけれども、それ以外については少し様子を見ましょう的な形で先送りにしてしまうことが多く、障害種別だけではないいう発想を言語化していく必要があると思う。

○ 発達特性を見て指導を考えていくというやり方をちゃんと明示していくということが本当に必要である。それと障害特性と分けて考えていくことも必要である。例えば、まだまだディスレクシアの子供たち、あるいはLDの子供たちは、本当にクラスの中で置いていかれている。ただ勉強ができないわけではない、怠けているわけではないというところをどうやって見ていくか、その背景から見ていくことは非常に大事である。

○ これまでの学習指導要領などの書き方とは違うかもしれないが、例えば、行動観察から見える課題とか、その課題の背景の可能性は何があるのかとか、アプローチはどういう可能性があるのかというような形でのマトリックスにして示すことが、各教科で使えるのではないかと思う。

○ Visual Abilityの問題や、情報入力がどうかということ自体が、一般の先生には難しく、専門用語ではなく、行動観察や行動分析から分かること、可能性としての背景、発達特性から見える背景プラスアプローチの方法、仮説の立て方、実践、検証という方法論をもう少しこ学習指導要領などに書いていくことが、より具体的に使えると思う。

○ 配慮なのか、指導方法なのか、現場では混乱がある。これは指導方法なのか、あるいは、配慮、つまり、気を使うべきことなのか、合理的配慮、つまり、必要かつ適切な変更及び調整なのかというところを分ける必要がある。

○ 到達目標をまず明確にし、その上で、どう成果を評価していくかということを明確にしておかないと、合理的配慮につながらない。今、学校の先生は、どう指導したらいいかということはとても熱心で、授業研究も行われているが、それが「いや、学べない子もいますから」とか、「あれはあの子の問題で」と、なぜかそこですり替わってしまう。到達目標が到達していないのであれば、指導方法を変える、あるいは、成果をどう判断するかというようなことも示す必要がある。

○ 例えば、LDとかADHDの子供たちは、学べても思い出せないわけですよね。そこに課題があり、思い出せないからしょうがないねではなく、ここまでは頑張って思い出そうよねというところも踏まえて評価をしていかなければならない。最終的な課題が、実は学びの仕方だけではなくて、ワーキングメモリーにあるところを踏まえた評価をどうしていくのかも考えていかなければならない。

○ 小学校では、各教科等の授業で、どのように指導したらいいのか戸惑っている。一般的な障害別の配慮事項は当然必要であるが、各教科の中で具体的にあの子にどのような配慮が必要なのかという発想で、授業づくりをするための分かりやすい例になると思う。これは例示であり、当然、障害の程度によっても違いがあり、実際に目の前の子供から、計画を立て直したり、配慮をいろいろ考え出すことが大事であるということを示しておく必要があるの。

(交流及び共同学習)
○ 通常の学級と特別支援学の子供たちとの生活場面での交流、子供によっては、算数とか、数学とか、英語とか、得意な教科の交流ができるというような実態がある。

○ 就労支援の現場でも同様のことが起きており、企業の方が採用されるときに、障害種別でその方を理解しようとすると、非常に困難さが出てくる。身体障害ということで理解したけれども、実は認知的な課題があるとか、共通性がある。

○ 勝ち負けにこだわって、感情を抑えられなくなったというところが、本人の育ちの問題とか性格の問題ではなくて、実は脳の問題があるとか、その行動の背景にどんな障害があるかという気付きにつながるので、こういったテキストを是非充実していくとよい。

○ 特に中学校では、二次的な障害がかぶさってきてしまい、本来の障害として特性が隠れて、困難の背景が更に複雑になってしまっていることも、記述が必要である。

○ 困難さだけでなく、子供の良さを十分引き出して、困難さを薄めていき、これから中学生が世の中に出ていくためには、そういう強みを持って、自信を持ってやっていくという部分も必要である。

○ 障害者理解について、教師がどういう対応をしていく姿を見て理解をするため、教師自身の障害の理解が大事である。

○ 交流及び共同学習は、子供の育ちに是非資するものであってほしいと願う。親子供はあったことを家で親たちに語るわときに、親がどういう姿勢でそれを受け止めるのか、ポジティブに受け止めているのか、ネガティブに受け止めているのか、それによって、子供の出会いだとか気付きの意味が全然違ってくると思う。保護者にまでそのことのポジティブな意味をしっかり伝えていくことが必要である。

○ 交流及び共同学習の機会は、障害のある子供にとっての学びとは何なんだろうと考えていかないといけない。かなり交流の部分に重きが置かれおり、共同学習、例えば、教科で共に学ぶという観点が根付いていない。共同学習という言葉を前面に出すと、通常の学級の先生方にも非常にファミリアリティのある言葉であり、通常の学級の先生に非常に理解されやすいと思う。

○ 交流及び共同学習の目的の1つの中に、その子は地域の中にいますと、また12年後、地域に戻って生活しますと、これが共生社会ですということを、交流及び共同学習も使って地域の方等にも知らせて、構成員の一人であるということをお互いに学んでいくという要素がある。現行の学習指導要領にも、交流及び共同学習のところに、地域の社会との交流が入っており、是非今後は、学校同士の交流及び共同学習だけではなくて、地域の社会の中での共同学習の在り方を周知する必要がある。居住地校交流や副次的な籍の取組が全国的に広がっていくとよい。

○ 交流及び共同学習のいい学びの1つの例としては、特別支援学校(知的障害)の高等部で、自分たちが行っている作業学習の内容を小学生や中学生中学生とか小学生に教える取組が増えている。教える側の特別支援学校の生徒にとっては、教えることの難しさを通して自分の学びを高めることができ、小学生、中学生にとっては、特別支援学校の生徒の教え方がすごく練られており、とても分かりやすい学びになっている。お互いが学び合える、いい例を紹介していくことも今後必要である。

○ 交流及び共同学習は、成功事例ばかりではなく、こういうところに失敗したが、このような配慮を重ねてうまくいったというような事例の示し方も大事だと思う。

○ 現行の学習指導要領の、交流の機会あるいは共同の学習の場を設ける、機会を設けるという記述について、機会を設けるだけではなくて、活動についてきちっと評価をすることや、改善をするということも入れてもいいのではないかと思う。場や活動を共有する機会が増えてきたがが、これから先、共生社会を実現する上では、やはり意識を共有していくという展開に行かなければならないことを考えると、交流及び共同学習を評価し、改善していくこと、意識を共有するためにどうあるかということを盛り込んでもいいと思う。

○ はじめから、障害を持っている子供と交流というのは難しいと考え、視覚障害の大人の方に来ていただいて、様々な適応の状況のようなものを、通常の学校の子供さんたちとやりとりをした上で、障害を持っている子供と出会う段取りがあってもよい。事前的な学習と、それを踏まえた事後的なものという流れも必要である。

○ 健常な子供を持つ保護者の方の理解を広めていくということが重要であり、校内にインクルーシブ委員会を設けて、その中に健常の保護者の方も入ってもらって、学校の中の環境改善をどうしたらいいかとか、地域の障害のある子とともに生活していくためにはどうしたらいいかとか、共に考えていくような仕組みとができると、広まっていく可能性があると思う。

○ 海外の取組の事例では、学校群という仕組みを使って、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校が1つのグループを作って、特別支援学校にいる子供は、その地域で、長い時間、その地域の人たちと触れ合うというような取組をしている国もある。

○ 日本の教育の中では、全てなくすことは難しいが、競争の在り方ということを見直すことで、丁寧な対応ができるのではないと思う。

○ 交流及び共同学習は、その中身がどれだけきちんとできているのか、どういうことがどれだけできているのかというようなことを見ていく、量的な評価から質の評価へと入っていく段階にもう入っている。例えば、学校評価の中に取り込むこともできるのではないかと思う。

○ 小中学校等での特別支援学級や通級指導教室は、子供の動線の非常に頻繁なところに配置してあるとよい。

○ 到達目標を明確にすると同時に、いかに組織経営をしていくかということだと思う。学習指導要領に書くことではないが、多様性がある異質集団の中で学べることというのは、障害のある子供も、定型発達の子供も、ただ場を共有すれば理解し合えるということはまずない。

(幼稚園における特別支援教育について)
○ 幼稚園、保育園は小学校や中学校とは形態も、行っている方法も違う点や、幼児期として、発達がまだ十分でなく、個人差が大きい時期である点などを考慮しなければならない。3歳の時点の状況が固定化するわけでないので、継続的にフォローアップできるということが大事である。

○ 早期発見、早期支援という意味で、アセスメントが難しいという特徴がある。3歳になっていると、ある程度の行動特徴が出てきているが、入園したばかりで環境に慣れないことにも配慮しる必要があり、アセスメントが難しい。例えば、3歳児健診や1歳半健診とリンクできると早期支援ができるが、個人情報の問題などあって、連携が取りにくい課題がある。

○ 早期支援コーディネーターを配置して、福祉と教育、様々な分野のことを総合的に見る人を配置する取組が行われてきているが、まだ数が少なく、自治体によって配置が異なり、園とか保護者も含めて、どこへ相談していいのか利用者側も分かりやすくすることが必要である。

○ 支援手帳や支援ファイルを積極的に活用している保護者もいるが、まだ自分の子供についての受容が進まないという保護者には、行動の記録を取ってもらったりすれば、ほかの機関なんかに接続したときもそれを活用できるシステムを、園でも心がけて行っていくとよい。

○ 特別支援コーディネーターの配置とか園内委員会の設置率は、小学校や中学校に比べて低くい状況である。特別支援としてコーディネーターが何をすべきか、コーディネーターを本当に置いたらいいのかということについても、園の中でまだ疑問を持っているのではないかと思うので、理解をどうやって進めていくかが課題である。

○ 保護者は、障害理解が難しいことが多いが、子供の行動特徴でどう見ていくかという点を保護者と協議し、そして、子供の行動変化をしっかり見ていくということが非常に重要である。また、保育者は、保育園での保育としてはこうしていきたいということを、保護者とコミュニケーションを取ることも重要であり、研修等で保育者がそういう視点を高めていく必要がある。

○ 困難さはどこから起因するかを考えると、例えば、そのお子さんが本当に視覚障害があられてとかいう場合もあるが、保育の仕方で困難さを生み出してしまっている場合もあり、保育そのものの在り方も十分検討していく必要がある。

○ 保育者サイドからの問題として、特に私立幼稚園では、人手不足の問題がある。自由に動き回る子供たちに目が行き届くような人手が必要である。ただし、保育者同士がうまく連携が取れずに、子供が何かしようとしていたところに、ほかの先生が声を掛けて全然違う文脈になってしまったりするなど、保育者同士のコミュニケーションの取り方も身に付けなければならない。

○ 個別の教育支援計画を作成している幼稚園は非常に少ないが、幼稚園には、教育課程、年間指導計画、月間指導計画、週案と言われる週間指導計画、日案というものがあり、その中で個別に、この子には配慮しようと記述している園も多い。

○ 外部専門家、例えば、特別支援学校の教員が助言する場合もあるが、幼稚園と小学校では指導法が異なり、幼稚園の特徴というのをしっかり押さえて指導していただきたい。

○ 巡回相談も、実施主体が教育委員会、保健所関係、厚労省関係と様々であるが、この子のためにということで、個に焦点が当たり過ぎて、集団の保育の場では無理なことを助言する場合もあり、幼稚園や保育園の特徴を理解して巡回相談を行う必要がある。

○ 「共に育ち合う」インクルーシブ教育システムの理念の実現を目指すということで、個なら個のことだけに集中するのではなく、集団なら集団のこと、個と集団の関係性を大切にしながらクラス運営の中で障害のあるお子さんもどう育てていくか、その違いをどう認めながら共に育ち合えるかということが大事である。

○ 子供には発達の可能性があり、幼児期からもう「このお子さんはこうなるでしょう」、「これしかできませんでしょう」や、小学校に行くためにこれはどうしましょうというだけでなく、やはり長期的展望に立ちながら、その先のことも保護者と一緒に考えながら移行支援をしていくということが非常に大事である。

○ ゼロ歳から2歳で、聴覚障害と肢体不自由や、重い知的障害など、重複障害のある子供については、保育、療育、教育に適応しているかどうか難しい面がある。

○ 重複障害の子供を、嘱託医がいて、医療面での配慮が必要な場合があるという条件で受け入れている幼稚園がどれだけあるかという問題はあるが、肢体不自由の子供で、聞こえがちょっと難しいとか、知的に難しいという子供を受け入れている園がある。どこまで器具を整えるか、医療面や、専門的な療育の面との連携が取れるかなど、幼稚園がその配慮ができれば受入れが可能である。

○ 行動チェックリストのようなものを使って、子供自身が、園の生活の中で、こういう点で苦労している、こういうことがちょっと難しいかもしれない、ということを保育者が、保護者に伝えられるようになることが必要である。

○ 家庭では困ることがない子供が、幼稚園の集団生活の中で、刺激が多くとても大変になることがある。このため、保護者に、子供が集団の中で実際に困っているところを見てもらい、チェックリストを使いながら、一緒に協議している。

○ 3歳の時点で誰も気にしなかった子供が、後で障害の問題が明らかになるような子供もいる。個々の関わりというのが非常に薄いため、周りの先生や親御さんにも共通理解をしてもらうためには、簡易的でもチェックリストがないと、情報が伝わらず、保護者の受容も難しいと思う。
○ 行動チェックリストを作るときには、その子供の時間的経過、関係性の問題をしっかり捉えるような視点が必要である。保育の中で、配慮の必要な子供だけではなく、ほかの子供もどうかというあたりも見ていく必要がある。こういう環境だから、子供はこういうふうになりやすいというあたりもアセスメントする必要がある。

○ 福祉では、平成24年から障害児相談支援事業所が開始し、まだ十分ではないが充実する方向に向かっており、地域の中に子供の育ちに関して相談できる人と場所があるという、縦横連携を積極的に進めようとしているときに、幼児期の教育支援という問題が、それぞれ非連続に進められているということの効率の悪さ、コストの問題も含めて、やっぱりロスは大きいと思う。幼児のときに、福祉と教育がもう少しリンクすべきだと思う。

○ 福祉、医療の様々な機関が連携していくことが必要である。モデル事業として、早期支援コーディネーターという取組が少しずつ始まっているが、次年度予算でも大いに期待したい。その際、どういう人で、どこにいて、何をやっている人かということを、相談する側が分かりやすいようにしていく必要がある。

(教員の専門性向上)
○ 小学校をみても、教員の専門性が一層必要になってきている。大学の教員養成課程の中で、ベースになる特別支援教育に関する基礎的な理論については、教員免許を取ろうとしている全ての人が、基本的なこととして学ぶことが求められている。学習指導要領などの記述を充実しても、実際に指導する教員に特別支援教育に関する理解がなければ、進んでいかず、情報発信が必要である。

(教員の配置)
○ 通常の学級での指導、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校という多様な学びの場について、現在の状況で見ていくと、やはり通級による指導というのが、教員加配の配置で、各自治体では十分でない現実がある。多様な教育形態を考えていく中で、条件整備が不可欠である。


特別支援教育部会(第4回)における主な意見(未定稿)


(改訂の方向性について)
○実際にどんな力を身に付けさせたいのかということを先生たちが意識して、本人の目指す姿として個別の教育支援計画に埋め込んでいく。それをベースにして個別の指導計画に全ての教科、指導の領域、つまり自立活動を踏まえて目標・内容を書いていく。そして評価をしていくという形で、先生たちが授業反省会の中で評価していきながら、いわゆるPDCAサイクルの中で、先生たちが意識的に教育課程を考えきれるということが大切。

○どのような力を育むのか、そのために子供たちが何を学ぶのか、どのように学ぶといいのかということが議論される。どのようにといったところについては現在アクティブ・ラーニングがよく議論されるところであるが、教育内容、何を学ぶのかという議論は非常に重要。それがなければ、カリキュラム・マネジメントも成立しない。各学校の教育課程において、指導形態と教育内容が混乱している、教育課程と時間割が混乱している、というような現状が見られる。教育課程というのは学校の決意表明なので、教育内容と指導時数でしっかりと示していただきたい。

○障害名から子供を理解するのではなく、教科の学びとは何か、その学びがその子供の中で成立するためには、どんな手立てが必要かという見方で子供を見ていく。このメッセージを次の学習指導要領で発信していただきたい。

○キャリア教育の視点で特別支援学校の縦の連携、横の連携、それをきちんと考えていくことがキャリア教育の充実につながっていくのではないかと思う。

○教育の場では、自立や主体性といった言葉がキーワード。これを否定する人はいないと思うが、スキルを幾つ積み上げてもそういうものにはならないのではないかと思う。もっとベーシックな有用感、評価されている、注目されている、期待されているということの実感が大切だと思う。

○重度の子供の10年後、20年後の姿というのがなかなかイメージできずに、目の前の発達の水準にこだわってしまうところがある。その結果、何か楽しくて活動的なこと、そういう活動に終始してしまっていて、将来この子はどういう生活をするのだろうと思う。今の時代にあって、将来は何かの職業に就けるかもしれないという発想も持ってもらいたい。

○キャリア教育について、スキルについて高めるということは非常にいろいろな取り組みがされている。一方で、進路選択を自分で納得して決定しているかどうかというところ。様々な学校の活動や学習の場面の中で、自分で選択して、自分でその結果を引き受ける、という経験を増やしてほしい。

○障害のある子供の自立と社会参加をどう考えるのかということを詰めて、言語化して、明文化していく必要があると感じている。彼らの自立を踏まえた本当の意味でのベーシックスキルをしっかりとつけていく必要があるだろうと思う。

○児童生徒の学習評価をもとに、授業の評価や改善、あるいは単元計画や年間指導計画を柔軟に見直していく視点が大事。全教職員の参画のもと、組織的・体系的なカリキュラム・マネジメントを図っていくことが重要。

(自立活動の改善・充実について)
○自立活動の成果について、児童生徒本人に実感があることが大切だと思う。他教科との関連で、自分もこういうことができるようになったとか、生活上の困難がこういうふうに変わってきたんだというようなことが実感できるような積み重ね、そうしたものを考えていくのが指導上必要ではないか。

○知的障害の子供に対する自立活動、前の改訂のときに26項目になって様々なものが位置づけられるようになるかと思ったが、実際は総花的で何でもありというようになってしまっている印象がある。項目の中で、こういった子供にはこれが大事というようなことを強調して、自立活動の中身は先生方が編成するのだということをもっと強調して述べた方が良いのではないか。今も書かれていると思うが浸透していない。

○自立活動の改善・充実について、きちんと一人一人の苦手としているところ、あるいは得意としているところをしっかり見て、個に視点を当てた指導をきちんとしていくことを盛り込む必要があるのではないか。教科等の指導とは違うんだということを入れていく、特に通常の学校の先生にこのことを伝えていかないと理解は進まないのではないか。

(知的障害のある児童生徒のための各教科の改善・充実について)
○特別支援学級の子供の教育課程について、知的障害は非常に軽度であったり、知的障害という枠には入らないが検査などをとってみるとアンバランスがあって生活上の困難さがあったりする子供などがいる。各教科の下学年適用の部分、知的障害特別支援学校の当該学部段階の各教科の内容、この部分を強化していくことが知的障害の特別支援学級の子供たちの教育課程に必要ではないかと思う。

○各教科等を合わせた指導をする際、どういうふうに教科をうまく合わせて指導が展開できるかを考えないといけない。いわゆる生活単元学習の中では、意欲的に取り組んだかなど、評価の観点が狭い範囲になっているということがある。目標を設定しないと評価は出てこない、各教科、道徳、総合的な学習の時間、自立活動ごとの目標をきちんと個別の指導計画にきちんと入れていくことが大切。

○知的障害のある子供の各教科の改善・充実に関わって、個別の指導計画を活用するなりして、校内で一人の子供を長期的に見立てて的確な対応をしていくということが大切。5年とか10年とか先を見通して対応していけば、いろいろと伸ばせるのではないかと思う。

(学びの場の連続性について、小中学校等の学習指導要領について)

○何を子供たちに学ばせるのかということで、教育内容を選定するが、子供が実際ちゃんと学べているかを把握するときに評価規準ということも必要になってくる。特別支援学校はここが弱い。ここがしっかりできてこないと、幾ら多様な学びの場、学びの連続性といっても、保護者にとってはそうは映らないということになるだろうと思う。

○通常学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校における連続性を可視化するとともに、「個別の教育支援計画」や「個別の指導計画」の作成・活用を通じて、学びの連続性を実現していくことが求められている。

○小中学校のほとんどの教員は自立活動というものが分からないので、小中学校の学習指導要領の方にも特別支援学校の自立活動を参考にしてなどの文言が入ると良い。

○就学先が決定した後も柔軟に転学ができるようにということも書かれているが、特別支援学校と小・中学校の教育課程の取扱いのところでうまくいかなくて、なかなか転学がスムーズにいかないという例もある。各教科の考え方、連続性について検討していただければと思う。

○学びにくさの背景によって手立ては変わる、学びにくさの背景を理解する、そのときに必要な視点が自立活動ということ、自立活動の視点の重要性というようなことを小中学校も含めてしっかり示していただきたい。

(教員の専門性について)
○視覚障害、聴覚障害、病弱といった1県に1校しかない特別支援学校もあり、こうした希少障害の教員の専門性について、どう担保していくかが大きな課題。

○特別支援学校の教員の免許状が今のままでよいかという問題を提案したい。自立活動について特出しして指導しなくてもいいようになっている。基礎理論で少し触れられたりはするが、体系的に学ぶことができない。

○教員養成課程の中で、子供の発達の段階を学び、その上でアセスメント・実態把握ができるというカリキュラムを作っていただきたい。また、自立活動については、通常の学校の学習指導要領の中に是非記述をお願いしたい。

○障害種別の指導法の中で自立活動があるのではなくて、共通の見方があって、結果、障害に対応した指導が成立するということ。教員の養成段階でこういう科目が必要だというメッセージを投げる際には特別支援教育について学ぶことが大事なんだではなく、特別支援教育を担うために自立活動について少なくとも学んでいただく必要があるんだというメッセージを投げていただきたい。

○先生方の資質について、全て自分でやるというのではなく、例えば障害者職業センターとの交流や福祉事務所の方など、どういう社会資源があるのかを知って、そういうところで補完できることもあるのではないかという考えを持ってほしい。


特別支援教育部会(第5回)における主な意見(未定稿)


(高等学校段階の特別支援教育)

○ 生徒の様子が高校によって違う、地域の違いもある。また外国籍の生徒、精神疾患のある生徒など生徒の状態像も複雑になっている。高等学校は多様であるということをきちんと踏まえていかないといけない。

○ 特別なグループをつくって支援するという方式はとりにくいため、それぞれの困難に対応できるような組織風土を作って、その中で積極的に障害のある生徒についての教育を進めていくことが必要である。

○ 学習指導要領において、生徒との対話的な関係性を作っていくということを盛り込むことも考えられないか。

○ 一番の課題は社会に出てどうするかということ。本人の意欲を引き出すには、強みの発揮という視点が大切。また、卒業後に相談する機関に行くように言っても行かないので、校内で在学しているときから相談できる場所があると良い。

○ 教員のモチベーションがないことには質の高い支援はできない。高校は下手をすると教科に閉じこもってしまいがちになるが、教員同士が対話をして、きつくてもやりがいがあると教員が認識して挑戦できる仕組みを作ることが大切。


(自立活動で身に付ける力について)

○ 自立とは何かというところ。自立とは生活自立であり、経済的自立であり、社会的自立であり、精神的自立であるという、自立の柱をしっかりと打ち出し、現在の「心理的な安定」や「人間関係の形成」を整理すると、わかりやすくなるのではないか。

○ 社会適応していくためのスキルがまだまだ障害のある子供たちにも不足していることを痛感している、規範教育の不徹底、法の素養の不足、あるいは経済教育の不徹底といったことが課題である。

○ 感情のコントロールだけでなく、言語、行動など含めたセルフ・コントロールというものをうまく落とし込んでいけば、最終的に逸脱行為、反社会的行動、非社会的行動の子供たちを少しでも予防できるのではないか。

○ 自立活動において、アクティブ・ラーニング、問題発見・解決を念頭に置いた深い学びの過程を実現していく上での困難さへの対応も議論していくことが重要である。

○ 発達障害の方たちには、根本的にセルフ・コンセプトやセルフ・イメージというものがしっかりしていないで、不安定といった根源的な症状があるのではないか。学習指導要領にある様々な目的や目標は最終的には必要であるが、その前にもっときちっと押さえておく必要のあるステージがあるのではないか。

○ 自分の得意なこと、不得意なことを理解する、というようなことは、いわゆる定型発達のお子さんでも大切。自立活動では、障害のある自己を肯定的に捉えて、それから、社会参加するために助けを得るためにどうするのか、といったことを強く書いてもらいたい。自分のことをどう開示するか、そういう力も非常に大事なのではないか。

○ 自立活動が非常に難しく考えられているのではないかと思っている。教科、道徳や日常生活とかけ離れているところで考えていると浮ついた内容になってしまうのではないか。

○ 自立活動の守備範囲を広げすぎないということが大事だと思っている。各教科、道徳等もあるので、そちらの目標に迫る教育活動はそちらでやる、それだけではうまくいかない子供たちのために自立活動を用意しますということを押さえたい。


(自立活動の考え方の理解推進について)

○ ICFモデルの考え方というのは、権利と義務を行使しながら、人として活動し社会に参加していく、そのための障壁を取りましょうというものであり、どの子供も市民として参加することが市民の第一歩であるということをしっかりと書いていく必要があるのではないか。

○ 自立とは何か。自立活動の6つの区分を仮に満たしたとなれば自立したということになるのか。説明として工夫が必要。

○ 「自立活動」という名称になってから20年近くになり、現代のいろいろな価値観や考え方を入れて、わかりやすく理解してもらえるようにしていくことが大事。

○ 自立活動の出発点は特別支援学校で、障害の状態を改善するということが目標になっている。特別支援学校だけでなく通級による指導も自立活動を行っており、例えばライフスキルという考え方で、どういった形で生活していくかということも含めた形での自立活動の方向性を考えていく必要があるのではないか。

○ 幼稚園、小学校、中学校にどのように自立活動の中身を示していくか、絶対にわかりやすさが求められる。開いた議論にしていくことで、教員の個別の指導計画のバランスがばらばらということではなく一定になっていく。そういうところを目指していくべきではないか。

○ 前回の改訂によって、現行の自立活動の解説については、LDやADHDについても触れられてわかりやすくなっていると思う。通常の学級の先生が読んでも参考になる部分がたくさんある。通常の学級の先生には御存じのない方もいるので、通常の学級で活用できるものだというPRをしていただきたい。

○ 通級による指導における自立活動を見させていただくと、自己流に解釈をして進めていっている結果、これで自立活動をやっているのか、少し違うのかなと思われるような内容もあったりする。科学的なものがどんどん先に進んでいるところがあるので、そういった新しい考え方などが入っていくと良いと思う。

○ 中学校では通級による指導の対象が少なくて、特別支援学級が中心になるが、担当者の中には自立活動について非常に理解が薄い場合がある。特別支援学級における自立活動について明確に推し進めていただければと思う。

○ ICFモデルという障害の捉え方を、現場の先生方は理解するべきだ。特に校長レベルでは理解が少ない。個人因子よりも環境因子でも自立を促進するのは大事な部分である。

○ 通級による指導について、通常の学級の先生たちも教育課程の作成に関わるので、通常の学級の教員がわかる内容にする必要がある。自立活動のポイントが見てわかる、具体的な内容、時間そんなところまでイメージできるような記述が必要だと思う。

○ 自立活動で、「人間関係の形成」が入ったことで非常に目標が立てやすくなった。図解されたものを幾つかの事例を挙げながら示すということは非常に大切だと思う。分かりやすさという意味で、図解を用いるなどの工夫をされるといい。

○ 高校の教員が読んだ場合、話についていけない感じもあるので、どちらかというと今いろいろやり始めていることを、こういうふうな区分でやると結構、頭が整理されませんかという入り口を提示してもらえると良い。

○ 自立活動は指導を担う教師に委ねられる裁量が非常に大きい。教師が戸惑うというところがあるので、実態把握から指導目標の設定に至る手続をしっかり示すことがポイントになる。


(自立活動の目標設定について)

○ 現在の自立活動については、子供たちが抱えている課題と教師の取り組むべき方向性が混在をしているような印象を受ける。もちろん課題と取り組むべき指針はそれほど大きな差があってはいけないことはわかっているが、目標がそのまま方法になってしまう。何々ができないから、何々をできるようにさせましょうという書きぶりの先生もいるが、今この問題が起きていて、その背景、メカニズムのこの部分について少なくともアプローチをすれば、その子供の発達を促す可能性があるのだという階層的な書き方になるよう整理していただけないか。

○ 通級による指導をいろいろ見る中で、どうもねらいが定まっていない授業がある。子供たちの様々な認知、運動、言語、そうした実態把握の仕方がわからない。自立活動の項目の中で実態把握の部分が明確に書かれる必要があるのではないか。

○ 自立活動の展開については目標設定が一番ネックになっている。実態から目標設定まで、どうやっていくのかというのが分かりづらいのが現実。どういう優先的な課題があって、どういうふうに関連付けて目標にしていくのかというプロセスを解説に入れると先生方も非常にやりやすいのではないか。

○ 自閉症の子供がいたときに、人間関係の形成のところに課題があるから、イコールそれが目標、というのは自立活動が求めていることではなく、他の区分からも見ていって、根底となる一番中心となる課題は何かということを押さえていかないといけない。そこまでのプロセスをもう少し具体化していくと先生方も分かりやすいのではないか。

○ 例えば歩けないという状態、脳性まひという障害名から、自立活動の時間に何ができるかということを考えるのではなく、歩けないという状態を自立活動の6つの区分の視点から理解して、指導目標を導き出すということが大切。


(自立活動の評価について)

○ PDCAできちっとした形で評価をしていかなければならない。ややもすると、目標設定はしているものの、そこをどういうふうに指導をしていくのかということが具体的に見えていなくて、評価できない。評価をしていく仕組みづくりをやっていかないと、なかなか先生自体に返ってこないということを感じる。

○ 自立活動は合わせた指導で展開されている場合もあるが、目標を設定して評価できているかというと、そうなっていないのが現実。評価をどのようにしていくのか、書式として整理していかないといけないと思う。


(知的障害のある子供の自立活動について)

○ 知的障害の自立活動の位置づけ方について、知的障害は独自の教科の目標、内容があることから、自立活動だけではなくて各教科による障害の対応も重要である。知的障害の各教科の評価をしていくと、自立活動に関わる内容というのは結構ある。

○ 知的障害のある子供については、具体的な自立活動の内容が教科と重なる部分がどうしても出てきて、どこが教科でどこが自立活動なのかということで、学校現場では混在をしているような感じをうける。先生方も自立活動的な側面から考えたいということをおっしゃるが、教科の側面から見てもそこまで大きな違いはないような印象がある。そこは明確にできるものではないかもしれないが、少なくとも視点については現場に伝わっていかないか。

○ 知的障害の特別支援学級について、どうやって知的障害の子供の自立活動に取り組んでいけばよいのか分からない、分かりづらいというところがあるので、今回の改訂で取り組んでいけると良いと思う。


お問合せ先

特別支援教育課指導係

電話番号:03‐5253‐4111(代表)

(初等中等教育局特別支援教育課)