高等学校の地歴・公民科科目の在り方に関する特別チーム(第1回 平成27年11月12日)における主な意見(未定稿)

1.「歴史総合(仮称)」について
○ 「グローバル」という言葉が非常にたくさん出てくる。例えば歴史だと、「自国のこと、グローバルなことが影響し合ったり、つながったりする歴史の諸相」「自国のこと、グローバルなことを横断的・相互的にとらえる力」と二項対立的に捉えられているように思われる。グローバルなことというのは自国の中にも入り込んできており、決して自国とグローバルというのは対立するものではない。

○ 高校では世界史が必修であり、小・中学校では日本史を中心に教えてきた。高校では、世界史必修がグローバル化のための教科・科目として十分機能してこなかった。今回、高校で「歴史総合(仮称)」と、日本史と世界史の新しく科目を作るということは大変よい。世界史的知識は非常に必要である。是非、世界史的な基礎・基本は、小・中・高のトータルで育成するようにしたい。

○ 大学入試で4単位科目を2科目要求される場合がある。高校で「歴史総合(仮称)」と「地理総合(仮称)」が2単位ずつ必履修になるとすると、受験科目によっては「2単位+2単位+日本史を4単位+世界史を4単位」と、合計12単位を高校でとらないといけない場合もありうることは課題である。

○ 近代の区切りは、日本中心の時代区分ではなく、世界で共通の尺度で時代区分した方が応用が効く。

○ 今までは、事項を教え過ぎるということがあった。生徒が調べたり、資料に基づいて議論したりできる科目にしたい。

○ 教育の対象とする範囲の始まりについて、15、16世紀あたりから始まるという案も考えられる。

○ 転換の軸とは、歴史を動かすエンジンと理解した。近代化については産業化という方が捉えやすいと思うが、例示された捉え方もあるだろう。

○ 歴史には大きくかわる時期と比較的安定的な時代がある。例えば、ナポレオン戦争後から第1次世界大戦までは安定し、その後大きく変わり、また、冷戦期は安定的であった。ここでは、世界システム論的な捉え方が重要になってくる。歴史がものすごく変わる時と安定している時で、どういう力が働いているか。この二つの発想法が要るのではないか。

○ 歴史の教育においては一次資料と年表は必須。地理は地図、公民は統計や政治家の演説などが一次資料となる。このため、こうした資料がそれぞれ教科書に入っている必要がある。

○ 高等学校に進学する生徒が98%を超えるというような状況の中では、全ての子供たちで、どの内容を共通に学ぶかという絞り込みが重要である。

○ 次の教育課程や「歴史総合(仮称)」、「地理総合(仮称)」、「公共(仮称)」については、目標、内容、方法の3点から構成しようとしている。知識が中心の学習を克服して、内容を通して何を身に付けてくるかということを目指したい。

○ 歴史や地理の学び方が、社会の中でどのように生きてくるか、社会人になったときにどのように生きてくるかを考えていきたい。歴史教育では、小学校は人物中心に学ぶ。中学校では通史となり、全体像はわかるようになるが、個人や集団の果たした役割を学ぶことはなくなり面白みが減る。議論に当たり、内容の選択は重要だが、その理解を通じて子供たちに何を身に付けさせたいのかを考えることが重要。高等学校の授業はどうしても先生が講義されることが多い。やはり子供たちが調べたり、疑問を出したりして一定の何かをつかんでくる、学んでくることが大事なことではないか。

○ いわゆる近代が始まる以前の初期条件から見るという視点が必要ではないか。

○ 地域間相互作用が古くからあったわけで、特に近隣との地域間相互作用の視点を常に入れていってほしい。先進的部分の国だけが注目されるだけではなく、例えばマレーシアや太平洋の島々、アフリカはどうだったかという視点も世界史の中に入れていきたい。

○ 生徒の意欲を伸ばしていくことが重要。社会科で、歴史の転換点を学ぶということは、18歳選挙権の件も含めて、彼ら自身が何かを変えていくという力、社会を変えていく当事者なのだということを自覚するために、希望を持てる重要な内容なのではないか。

○ 指導する内容ごとに必ず各学校で扱う内容と選択できる内容を設けてはどうか。生徒が自ら学べる余白の時間を取り入れたい。最近のAO入試でも何かを調べ抜いた経験が評価されるようになってきている面もある。

○ 時代区分については、近代について幾つかの説がある。もし、開国以前か、さらに100年さかのぼる18世紀後半にした場合、近世史、江戸時代が二分されることになり、江戸時代という時代概念との整合性が問題となる。教育的な配慮が必要ではないか。また、西洋基準の近代像でいいのかどうかは問題である。

○ 東日本大震災以降、変化を伴う転換より、変わらないことの大切さ、変わらない日常が重要視されてきており、例えば一日2食の生活が3食に変わったときやお正月を家族で祝うようになる等生活文化から見た歴史の視点なども必要。

○ 時代をさかのぼって学習する場合には証明をしていく必要がある。その証明の手段として文化財や歴史的遺産について学ぶ等、もう少し広い歴史をトータルに扱うような視点が必要である。

○ 政治的な区切りだけで時代を区切ることに難しい面がある。「歴史総合(仮称)」では、少しグローバルな視点での経済史、文化史といった視点からの転換を教えることも必要ではないか。

○ 継続と変化、原因と結果、類似と差異というのは非常に哲学的な問題である。何かの現象が起こったときに、それの原因を指定するというのは非常に難しい。何かの原因を述べても、それは一つの物語にすぎず、断定できるものではない。学説も蓋然性の高い一つの見方。高校生に求めることは難しいのかもしれないが、一つの見方だけが決定的な真実ではない、答えがないといったことも教えられるといい。


2.「地理総合(仮称)」について
○ グローバル、ローカルという問題について、地理では、スケールの大きさを変えることによりものの見方が違う、多様な見方ができるということを扱っている。例えば、日本のスケールでみると稲作は一般的だが、世界のスケールでみると稲作は一般的ではない。

○ 地図の活用については、小中高校の各段階において、スキルはそれぞれどこまで達成するのかを示すことが重要。

○ GISは技術そのものというより、古い地図に新しい地図を重ね合わせると見えるものがかわるという捉え方をすると、教員も受け入れやすくなるのではないか。

○ イギリスでは知識の重要性の見直しが進んでいるというが、それは探究の後に身に付く概念的知識というもの。その概念的知識は、実践力や応用力、他教科との関わりに反映していく。概念的知識を地理でどういうふうに育成していくかが課題。

○ 地理は空間的、歴史は時系列という捉え方が一般的だが、地理、歴史双方に縦軸・横軸が重なった両軸があり、相互に関連しているということを理解してもらうことが必要。

○ 地図は、視点を変えた地図や様々な要素の入った地図などいろいろな地図があり、地図をうまく使うと、ビジュアルに地理教育ができ、自分が今いるところはどういうところなのか等、生徒に関心を持ってもらえるのではないか。


3.「公共(仮称)」について
○ 国民国家の中でどのような責任を負うのかという視点は重要だが、国際的な公共性もあり、そのことについてもう少し強調して、他の科目との連続性を図るということを考えた方がいい。

○ 「公共(仮称)」で扱う主体の諸側面の関連が重要。例えば、民法は経済、家族、消費生活、情報等にかかわっている。法的主体といっても法律のことだけを学ぶのではなく、それぞれに関連しているということを学べるようにする。各分野にまたがる教材の選定も重要である。「公民教育に求められる今日的課題への対応」では、例えば契約というのが出てくる。契約に関するトラブルには高校生も巻き込まれるので、契約は今日的な課題だが、同時に、契約というのは我々の社会を構成している1つの考え方である。情報、雇用、金融等にも、これと同様の問題があるので、当面の課題とそれらの前提にある基本的な考え方との結び付きというのにも留意していくことが必要である。

○ 18歳選挙権で主権者教育をどう展開するかということで、あるアンケート調査では、主権者教育を担当している先生方が非常に不安・戸惑いを持っているという現実がある。その際、新聞を活用する教育を強化していくことがよいという結果が出ている。「公共(仮称)」の課題を取り上げる際、関係する専門家・機関同士とどのように連携をして、どういう課題について解決をしていくことができるのかということについて事例を集めて、交通整理をしていきたい。

○ 選挙権年齢の引下げに対応するため、高校生向け副教材を文科省において作成した。その際の議論も、今回の議論に反映させていけるとよい。

○ アクティブラーニングについて、学校現場は熱心に取り組んできているが、どのように学ぶかのイメージをしっかりと共有していきたい。国家・社会の形成者として求められる力を育むための学習方法として、正解が1つに定まらない学び、学習したことを活用して解決策を考える学び、他者との対話や議論により考えを深めていく学び等、副教材では、アクティブラーニング型の学習活動を示している。

○ アクティブラーニングに取り組もうとすると時間が足りない。本校では、模擬選挙など行う際には、総合的な学習の時間も活用している。

○ 政治的中立性の問題があるが、過度に意識させると敬遠されてしまう。そのようなことがないようにしていきたい。

○ 「公共(仮称)」はキャリア教育の中核との位置付けである。私的領域、公的領域とわけて考えた場合、前者はシチズンシップ教育であり、後者はキャリア教育と捉えている。そういったものが有機的に結び付き、全国の高校生に共通して保障されるような科目にしたい。

○ 内容、何を学ぶかということ、学び方、アクティブラーニング的なこともきちんと位置付けた新しい「公共(仮称)」という科目のイメージというのを打ち出すことが重要。学ぶ内容は「公共(仮称)」だけに閉じていない。「公共(仮称)」が成功するためには、学校のカリキュラムマネジメントが機能するかどうか。関連する内容をどのように整理をするか検討する必要がある。

○ キャリア教育の中核となる設定ということで、今回の全体的な改革の中で、この公民科目というのは重要。どんな幅広い社会の中で自分が生きているのかということを捉えられるような教科とするため、正解主義的な指導ではないものにしていきたい。

○ 今までの倫理というのは基本的に先哲の考え方に学び、それをどう自分の生活に生かしていくかということであるが、文献を基にした教育は興味が持たれにくい。今後は、生命倫理や環境倫理などの応用倫理を一層重視していくことが必要である。生命倫理なら生殖、安楽死など高校生にとっても身近な話題が扱える。このほか技術者倫理なども扱ってはどうか。そして、そうした話題を切り口にして、先哲の考え方の理解へと導くのが効果的だろう。ただし、応用倫理を教育として成立させる際の難しさは、評価をどのように行うかということである。

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