総則・評価特別部会(第2回、平成27年12月2日)における主な意見

1.学習指導要領等全体及び総則の構造に関する考え方

(各教科等の本質的意義と教育課程の総体的構造について)
○ 現行の学習指導要領の構成は4章立てになっている。これを構成を含めて抜本的に変えるというのも一つ考えられる選択肢かと思うし、一方、基本的にはこの柱をそれぞれ生かしながら、今回の論点整理以下の考え方をこの中に盛り込んでいくというような形も考えられる。第4の配慮事項という部分で、その他の配慮事項の中にはいろいろなものが入っていて、教育方法の工夫から物的整備のところまで様々な形で記述されているが、アクティブ・ラーニングとそれからカリキュラム・マネジメントということへの示唆ということを考えたときには、この第4のところの書きぶりというのが一番直接的に関わってくるところ。論点整理の文章をここに総則風に当てはめていって置いていくとすると、その原型みたいなものが見えてくるわけだが、そういうふうにしたとしても、今回趣旨が伝わるかどうか、アクティブ・ラーニングとかカリキュラム・マネジメントを促すような配慮事項になるかどうかというのは、検討の余地が多分にあるところかと思う。カリキュラム・マネジメントやアクティブ・ラーニングの具体的な姿、要件というのをここにどういうふうに描いていき、そしてそれが現場に伝わるような、実践を促していくような記述の仕方をしていくということだと思う。配慮すべき事項ということを一度抜本的に見直して組立てていくのも総則というものを見つめ直すときの一つの視点になるのではないかと思う。

○ カリキュラム・マネジメントとアクティブ・ラーニングという大きな二つの観点から物事を捉えるという中で、配慮事項をどうしていくかというところについては、各教科、縦横の関連性を考えながら、表現がされることが必要だと思う。

○ 現行の指導要領総則の最初、全体の目標が書いてある1ページ目、非常に大きな目標が書いてあるだけで、ほとんどそこから具体的なものが見えてこない。現在の学習指導要領の一番の問題は、大きな目標が出されて、そしていきなり各教科の目標に移ってしまっていることではないか。その間をつなぐ中間的な目標、全体的な目標をもう少しかみ砕いて示す中間的なレベルの目標がほとんどない。全体の目標は全体の目標で余りにも大きな目標で、中間レベルの情報活用能力が必要だというのが、全体の目標として記述されていない。言語能力についても同じで、総則の最初のところに漠然と書いてあるだけで、いきなり国語に行ってしまう。中間段階は一切ない。これが今の我が国の学習指導要領の一番の問題点。(中間的目標というのは良くない表現かもしれないが、ほかに言いようがなく、英語だと簡単で、大きな目標はaim、次の目標はobjectiveということになる。

○ 今回中間的な目標が必要になったのは、これまでの我が国のカリキュラムは、内容中心のカリキュラムだったため、学習事項を中心に規定すればカリキュラムはそれでよかった。前回改訂で言語活動が入り、今回は、より広く資質・能力を取り入れていこうという方向なので、これまで中間的な目標がなかったのは、そういうカリキュラムの編成の仕方の考え方が変化し始めたことが十分に学習指導要領に対応できなかった、そういうことが中間的な目標がなかった最大の原因ではないか。

○ 中間の目標という表現は、現場にしてみると何か目標ばかりみたいなイメージで捉えられると思うので、中間目標のところのカテゴリーの表現をもう少し違う表現に工夫できないか。

○ 中間的な目標をどうするかというのはなかなかイメージが湧きにくいが、ある意味学校に任されているところでもあると思う。中間的なものを学校がどういうふうに設定するかという意味で考えると、ある意味学校の主体性を尊重しているというふうにも言える。一方で個々ばらばらでは本来の教育が行われないのではないかという課題ある中で、どういうふうな形がいいのかということを考える必要がある。

○ 教科ごとが縦の線だとすると、教科を横断した全ての教科に関わる育てるべき資質・能力というのがあるべきだと思う。中目標のような形で、全教科に関わる目標として記述されると良い。一方で、教科ごとにそれぞれの教科の本質を検討していく中で出てきた目標の、中目標とのすり合わせがうまくできると、そしてそれが一致すればそれは一番望ましい形だと思う。中目標のところには言語技術や思考スキル、探究力、情報活用力といったようなものが入ってくると思う。

○ 中間的な目標がないということについては、日本の在来の教育課程が、各教科があらかじめ存在するということについては不問に付してきたということから生じる問題かと思う。つまり、各教科が十全に実施されれば、予定調和的に上位の目標が実現されるだろうという観測のもとに作られているのではないか。中間的な目標というのは、それを別な形で担保しようということではないか。中間的な目標として教科を超えたようなもの、あるいは資質・能力的な描き方を工夫して、多様な○○教育という単独教科では解決し得ないような問題に対して、それを解決に導くような資質・能力ということにつながってきたりするのかなと思う。そう考えたときに、現行の教科が、その教科の親学問、あるいは親学問を基底にした業界なり産業なりということに向かって構成されているということだと思う。それに対して今話題に出ていることは、その教科を専門にして生きていかない人々にとっても、その教科を学んだ意義が残り、それが人生を切り拓いたり、社会を構成する主体として働くようなものになっていくかということではないか。現状では、教科はもっぱらその教科を専門にして将来職業的に生きていく人に向かって作られていて、多くの人は途中でドロップアウトしてしまって、ドロップアウトした人に何が残っているかというと、コンテンツのかけらが残っているに過ぎないようになってしまっている。それを変えようということであると思う。つまり、最終的には一部の教科を専門にしてそれを職業的にとか専門性として生きていくのだろうと思うが、その時にも、専門とか職業にしなかった教科を学んだ意義が残るようにするにはどうするかということ。それはコンテンツのかけらが残っているということではなくて、そのコンテンツを学ぶことを通して形成された資質や能力や、それを通して市民としていろんな○○教育的問題に対して対処するというふうな能力や態度なんだろうと思う。そういう観点から、中間的なものを、もう一層記述する必要がある。その教科を深めていって、それを将来専門にしたり学問にしたり、その業界やその産業に貢献する人たちももちろん国家としてはきちんと育てていかなければいけないが、一方で、それを専門にしない人たちにとってその教科を学ぶ意義が何だったのかということを顧みる必要があるのではないか。、これまでは、とてもある意味でもったいないことをしてきた。どの教科を学んでも、それを専門とかある程度以上深めなかった人たちにとっても根底的な物の見方とか考え方とか、その教科ならではの問題に対する処し方ということが確実に残っていて、それらを組み合わせて市民として、あるいは一個人としてよりよく生きていけるような教育の設計の仕方ということに対して、これまでの日本の教育課程はややもすれば弱かった。そこを何らかの形で総則のレベルで整理していきたい。極端に言えば、その教科が何で必要なんだということに対して、きちんと答えられる教育課程にするということだと思う。その教科を専門としない人たちにとってその教科は何だったのだという問いに答えるということが今の時代求められていて、それが市民性の育成であるとか、あるいは自分の人生を自分で切り拓いていけるような資質・能力の育成とかということと深く関わってくるのではないかと思う。

○ 総則の中になぜその教科は教科として必要かという論拠が見えるようにした方がいい。今の総則の在り方は、教育基本法、学校教育法などの法的根拠を最初に示すということと、主に時間、授業時間に関わる配列的な部分を示すということと、それから教育方法の配慮事項がいろいろ入っている。改訂のたびにこの方法的配慮事項が広がってきた。前回の改訂の折に言語活動を重視するというのが入っているが、これなどは現場でもいろいろな理解があって、必ずしもすっきりしてないのではないかと思うし、例えば言語能力と国語科の関係というのはどこにも書いてないように思う。言い換えれば、個別の教科はかなり組織的・体系的にそこにおける知識とか考え方を指導する必要があるが、その前に、そもそもその教科を必要とする人間の在り方や生き方、生きる力の基本を成すものは何かとか、あるいは現代の社会の中で学校を卒業した後に、その人はどういうふうに生きていくか、その折に学校で学んだことはどう役立てられるかというあたりのこと、それらについてもう少し触れてもいいのではないか。それがそもそも生きる力というものを提言した意味だと思う。

○ 総則の位置付けとして、各教科への留意事項が並んでいるということよりは、各教科の根拠を成すもの、全体を統括するものになって、そこから教科が出現してくるような記載が必要。

○ 各教科での話し合いが進む中で、縦横の内容が総則とどういう具合に相互していくかという点は、きちんとわきまえていかないと、各教科は各教科でどんな話し合いが進められ、それを総則でどうやって集約していくかというところの問題が発生してしまうと思う。中間的な目標の話についても、おそらく各教科のまとめとして入ってくるのではないかと思う。

○ 今回の最大の論点は、各教科と全体の目標の関係という横の構造(共時的な構造)と、高等学校を到達点としてどう考えるかという縦の構造(通時的な構造)。この両方から日本のカリキュラムを考える必要があるのではないか。

○ 現代的課題にたくさんこれから子供たちは遭遇すると思う。今教科書にないことを30年後ぐらいには解決していかなければいけない。様々な知識やスキルを総動員してキャリアを積むなり社会の課題を解決するなりしていくのが今の子供たちだと思う。そういう場合、やはりどう学ぶかということが大事。そのことを今回多く取り入れるのならば、何を学ぶかだけではなくて、学ぶプロセスについて、配慮すべき事項という柔らかい言い方ではなく、もう少し打ち出してもいいのではないか。生涯学び続ける力を持つ人間を育てなければ、これからの世の中は対処できないのではないかと思う。学ぶ方法、プロセスを学ぶとともに、学びが自分の気持ちを高めたり、社会が良くなるのを実感できるような、そういう楽しさを伝えられるような総則だといい。

○ 各教科・領域ともに、分量がこのまま際限なく増えていってしまう事態は避けたい。考えるべきは、引き算や割り算をしていくようなダウンサイジングの発想。総則に書くことは何なのかと同時に、何は書かないでおくのかという線引きが必要になるだろう。今の総則も非常に長い。一文の字数制限も考えてもいいのではないか。これまで足し算の発想で長くなってきた。大事なものを追加していくとなると、どうしてもそうなってしまう。一方で、各部分がうまくいっていれば全体は果たしてうまくいくのかという合成の誤謬の問題がある。総則は全体を統括する部分とに考えればあまり書き過ぎてしまうと、今度は各教科・領域の方が書きにくくなってくるだろう。詳細に書き込まれてはいるけれども、基本的に読まなくても済むようなものとして総則を位置付けるのか、あるいはすき間だらけかもしれないけれども、分かりやすくて読みやすい総則ものを目指すのか、考えなくてはいけない。併せて、解説との位置づけ、対応関係とも考える必要がある。

○ 学習指導要領の英語版をどうしたらいいのかという問題もある。学習指導要領の英語版等ができると、例えば留学生等の関心も非常に高いので、是非御議論いただければと思う。

○ できるだけ統一的・全体的な形で教育の在り方を示すということが総則部会の一つ目指すところというのは非常に大事。どうしても各教科ごとに、あるいは各学校種ごとにそれぞれの独自性があるわけで、それぞれの立場になれば、そこのところがやっぱり目指す方向になっていく可能性がある。そういうベクトルに対して、総則部会というのはバランスを取るという役割を果たさなければいけない。学校種を超えて、教科を超えて、できるだけ共通したものとしてこれを作り出すということが大事だと思う。

○ 縦横の構造を考えると、章の分け方も新たな考え方が出てくるのではないか。義務教育学校という一つの新しい校種ができたというところで、では五・六年の英語教科化の問題はどうなるのかとか、大きな点で捉えるならば、章の組立て自体ももっと大幅に変えることが新しい学習指導要領という観点に結び付くのではないかと思う。総則、各教科の後に特別の教科、外国語、総合、特別活動という枠組み自体を変えていかないと、例えば義務教育学校という校種の場合に、6・3制は残されているが、それが構造化されないといけないのではないか。

○ 資質・能力を中心として構成するとすれば、教育方法のところで配慮しなさいというよりももう少し大きなこととして考える必要がある。資質・能力を深めていくと、例えば言葉というものは、人間にとって不可欠な思考やコミュニケーションの働きを成すものであるとか、音楽というものは、人間が世界に関わる時の聴覚的な在り方の組織化だろうと思うし、それを美的に整理するというかなり人間の根源的な関わり方にあるわけで、そういう人類普遍の人間の在り方を踏まえながら教科として成り立ってきているんだろうと思う。教科というのが中心であることは確かだが、それ以外の場面でも使うということを考えると、総則というのは教科の配列とか注釈という機能だけでなく、もう一つその手前のところで大きな枠組みが必要なのではないか。そうすると、様々な○○教育も、例えば法教育というのは法という教科という意味にはならないけれども、様々な場面で、特に現代社会の中に生きていくときに、学校卒業後法律に出会う場面は多いので、そういうことを考えていく必要がある。現代的課題というのは、学校卒業後生きていく人たちにとって様々な問題の出会いがあって、そのときにいわゆる教科の組織的な知識体系だけでは足りない部分というものを複合的・総合的に考えなければならないという提言だと思うので、それの基になるような記載というものが必要なのではないか。

(教科横断的に育成すべき資質・能力と、教科等間の関係)
○ 言語能力、情報活用能力については、それぞれの広がりのある分野。横糸をつなぐ際に、どういうふうに言語能力を育成するかということは重要だし、また情報に関してもこれからの時代どう扱うか、どのように取り入れるかということは大きな問題になろうかと思うので、全体的な視点を入れておいていただけるとありがたい。情報のところで、情報の精査とか選択といったことについての記述が見られない。どのようにして精査する能力を育成するかということも、他教科との関係で重要ではないか。

○ 今度の資質・能力にとって、思考力・判断力、特に思考スキルや批判的思考力といったようなものが重要になると思う。情報活用能力とそれらはかなり近いイメージがあって、それを情報ワーキングのところだけに入れておくのか、もっと幅広く扱うのか。幅広く扱う時に、情報活用能力というと他の教科できちんと吟味してくれない感じがする。その辺のことを戦略的にこれからどう考えるかということは重要。

○ 情報活用能力のところに関して、各教科で引き取って議論していくことは重要。この先10年を見越したときに、情報活用能力は非常に大きな問題で、どの教科にとっても重要な課題。情報のところでまず議論をしてそれを各ワーキングに引き取ってという流れは当然だとは思うが、取って付けた感じにならないように、できるだけ早く各教科のワーキングに引き取って議論ができるようにしていただきたい。

○ 言語能力、あるいは情報活用能力、全ての教科でそれぞれ培っていくというところがあると思う。高校の場合、教育課程の編成において、各教科科目の各学校における編成の在り方、置き方で科目をどこに置くかによって、科目ごとの目標、あるいは言語能力や情報活用能力をどこまでの目標で科目構成していくのかということが大事。

○ 現代的な特定の課題を扱う、いわゆる○○教育について、今回の改訂では一つの課題としてしっかり受け止めておくべき点があると思う。横に各教科を並べて、そして今度はそれぞれのところに○○教育を並べてみると、それぞれの各教科と○○教育というのが、それぞれのところでそれなりに対応しているということがある程度見えてくるが、それはどうしても各教科の単元レベルに目を落としていかないと見えない。そこのところの工夫をどうしていったらいいのかという場合に、例えば資質・能力ベースで○○教育というのを捉え直してみるということが考えられる。

○ 「多様な個に応じた指導の在り方」、あるいは「インクルーシブ教育システムの理念を踏まえた連続性のある「多様な学びの場」における十分な学びの確保」。これらはまさしく現代的な課題であると思う。特に、障害のあるかないかということを出す前に、現代話題なのは多様性の理解。そういう視点でインクルーシブ教育、あるいは障害児教育、特別な支援が必要な子供の教育ということも考えていく必要がある。

(部活動の位置づけと留意点)
○ 中・高のところで部活動の位置付けというのが配慮事項の中に入っているが、配慮事項の中で学校教育の一環としてという文言の中で、現在教員の疲弊する第一がここに大きくある。日本の教育の中で文武両道というとすぐ部活動に結び付く部分があり、そのためにある意味不透明な部分も多くなっていると思う。部活動の位置付けについて、今回の資料にも記載があるが、これを入れる必要性があるのかどうか、そこから考える必要があるのではないか。部活動を巡るいろいろな問題、教員の問題等全部含めて、具体的なお話も進めていくべきではないかと思う。


2.発達の段階や成長過程のつながりを踏まえた総則の在り方

○ 小学校の冒頭で、小学校の教育課程を通じて育成する資質・能力だけを記述したり、中学校のところで中学校の教育課程全体を通じて育成する資質・能力だけを述べるのではなくて、特に小学校、中学校の場合は、高校卒業までを見通した中で、小学校段階で、中学校段階でという書き方をする必要があると思う。法律上は六年・三年・三年の区切りだが、違う形をとっている学校も今増えてきている状況の中で、いろいろな区切り方があると思うので、12年目に到達すべきところというのは、小学校や中学校の総則の中にもある程度見えてくるような書き方が必要ではないか。

○ 縦の系統性、幼・小・中・高のつながりについて、それぞれの部会がどういう形で議論しているのかということを注目していきたい。縦のつながりがよりはっきりと整理できているような形のところに持っていっていただきたいなという、総則部会の各部会へのメッセージでもある。

○ 小学校の方がコンテンツにウエートがあったり、高校の方が能力、課題解決学習的な要素があったりというように、校種別、あるいは発達段階ということも踏まえて、細やかにそれを落としていく議論が必要だと思う。

○ 特別支援教育の方で考えると、小学校の総則、あるいは中学校の総則を下敷きにして、小学部、中学部の学習指導要領の総則を編集している。そういう経験から申し上げると、この教育課程編成の一般方針のところにどういう形で目標を提示するのか、あるいは資質・能力で書くのか、いろいろなやり方があると思うが、余りにも小学校と中学校の内容が類似している。この辺でもう少し小学生らしい育てたい姿、あるいは中学生らしい育てたい姿ということを少しイメージして表現を工夫していくというのも一つの方法だと思う。

○ 全ての高校生に共通に見に付けていく資質・能力、これを三つの柱に沿ってということになると、最低限必要な資質・能力として育む上で、いわゆる必履修科目の内容と教育課程上の編成、これが重要になってくる。全国の高校を授業公開等を通じて、教育課程編成や教科指導の在り方を見ると、高校によって教育課程の編成は様々である。編成された教育課程を見ると、教科科目によって系統的に積み上げられていくものと、横断的総合的な教育活動を展開する総合的な学習の時間などを通じて系統的に積み上げられていくものとによって、今回の改訂で論点整理に見られる目指す資質・能力の育成にとって、共通性の確保という視点からも、高校での必履修科目の編成と学習達成の状況の如何にかかわってくると見ている。高校の教育課程によって少し具体的に見ると、例えば、言語能力については、現行の学習指導要領の必履修科目の国語総合や英語コミュニケーション1といった科目、情報活用能力については、教科情報をはじめ数学・理科・社会といった科目等を通じて、一年生の段階で、標準4単位でしっかり基礎を学んで高校教育でめざす共通の資質・能力のレベルに達することができるよう、学習指導要領上明確にしていく必要があるのではないか。また、地理・歴史・公民、理科という科目については、中学校の段階までで、社会では3分野、理科については4分野をしっかり学んできているわけで、それと高校での系統をそれぞれの科目でしっかり系統性を付けていく構造上の整理が求められる。実際、現行の学習指導要領では、理科では教科の理念に基づいて、物理・化学・生物・地学の4分野をしっかり学習していく考えから、そのうちの三分野以上は高校段階でしっかり学習していく構造になっている。そういうことを考えると、この地理・歴史・公民、あるいは理科といった科目の必履修科目の置き方、在り方というのが気になし、このことは教育課程の編成上で重視する必要が出てくる。特に、今回の論点整理では、新たに歴史総合や地理総合、公共といった新科目について、一年生、あるいは二年生ぐらいまででしっかり学ばせていく必履修要件の検討が求められる。特に、公共については、18歳という選挙権の問題がある。神奈川県の県立高校においてはシチズンシップ教育を全校導入していて、模擬投票を行う時期については、一・二年生で取り組んでほしいということで指導をしている。そうすると、中学校の公民で学んだことを、さらに多面的・多角的に思考させていくというところから公共の役割が出てくるので、これは高校三年生になる前までには履修しておく必要がある。理科については、一学年の中で、あるいは二学年までに履修するための教育課程を編成するということになる。現時点では時間数がかなりきつい状況である。単位時間の調整ということが出てくると思うが、一方で理数教育に重きを置いてということで、満遍なく、また細かい選択の取り方も出てきたわけだが、一・二年生で3科目取っていくということになっていって、この編成に非常に苦しんでいる。生徒の視点から見ると、複数科目を履修しなければいけないということから、逆な面で理数離れを起こしているという一つの見方もある。学校によっては、この科目の置き方が生徒に基礎学力が身に付いている、特に進学校においては、もう早くから4単位の科目をしっかり行うところであり、基礎科目との重複感もある。今回、地理・歴史・公民、そして理科の科目の必履修科目、特に共通性を確保するというところにおいて、十分考えていかなければいけない。

○ 単位制の高校は学年による教育課程の区分を設けてないことから、生徒の個性、進路の目標に応じて選択によって科目履修するという特性がある。このことは共通性の確保という点で、同一教科内の科目の系統性や順序性を考えて教育課程を編成して履修をしっかり行っていくという点で課題がある。このことは高校の履修と習得の問題にも大きく関わってくる。学年制のところにおいては、一つでも履修ができない、あるいは未習得があればもう一回原級留置で1年生やり直しというようなことも起こる。原級留置を起こせばまた中途退学も出していく。これも社会的な問題に大きくつながっていく。


3.学習評価

○ これまでは、内容中心のカリキュラムで、教科書に書かれた知識やいろいろな法則をどれだけ理解したかと、そういう面での評価が中心だったわけだが、資質・能力を考えたカリキュラムを編成し始めると、個別の知識や法則を対象とした評価だけでは済まなくなってくる。思考力・判断力に関しては知識と同じような評価方法はできない。知識とは違った評価の在り方、例えばルーブリック(国全体として行う場合はスタンダード、レファレンス、アセスメントという)のような形を思考力や判断力や表現力の方には使う必要があるのではないかと思う。その中で、例えば高等学校や中学校段階で最終段階だけでも思考力・判断力の望ましいレベルをスタンダートの考え方で表現したらどうかと思う。これは全体的に見ると、縦の構造化ということになる。

○ 評価論、つまりある種の学力論を今回打ち出していかざるを得ない。それが個別のコンテンツをどれだけ累積しているかということではなく、資質・能力、いわゆるコンピテンシーなんだと。領域固有知識は問題解決に常に重要なので、それが要らないという話ではないが、子供たちの学力を共通に保証するといったときに同時にコンテンツを保証しようとすると、結局パンクする。それに対して、資質・能力で保証しようとすると、例えば理科の4科目ある中で、科学的に物を見るとか判断するとかということは、物化生地がそれぞれ違うとは言うものの、どれかをきちんとやれば、市民として生きていく上での科学的な物の見方とか、それを使って環境問題やいろいろな社会問題を処していく能力の基盤としては十分だと考えれば、むしろ一人が学ぶコンテンツを減らすことができるのではないかと思う。つまり、国民としての教養ということを、コンテンツじゃなくてコンピテンシーと考えれば、教えるコンテンツは減らせる。ただ、資質・能力といっても、一切コンテンツに依存しないものでもなくて、その領域やコンテンツにも一定程度は依存する。だからそこが難しいが、それをどの程度まで見切るかということが大事で、その意味でまず評価をどうするかという話はすごく大事になってくる。コンテンツかコンピテンシーかという綱引き論とか二律背反論ではなくて、十分に両立するような構造化を改めて模索することで、それはまさに総則全体でどんなことを目指すかということを明確に書いて、そこから各教科にお願いを出していくということなのかなと思う。

○ 評価についても三つの柱に沿った評価ということになってくるかと思う。それを考えたときに、高校で観点別学習状況をどういう具合に評価していくのか、今現在それが指導要録ではなされていないとなってくると、縦横のつながりを考えたときに、高校での評価の仕方もきちんと議論されなければいけない。


(主査のまとめ)

○ 総則の中で教科を超え、学校種を超え、発達段階を貫くようなそういう姿を総則の中で示したいということが一つあり、それからもう一つは、読んでほしい、伝えたい指導要領の総則でありたいということが私どもの合意事項。こういった全体の雰囲気をできるだけ各教科等のワーキングでも少しお話をしていただけると大変ありがたい。そうすると今度は、恐らく各教科等の立場でまた全体の構造をどういうふうにイメージするかということもでき上がってくるのではないかと思う。

○ 総則の構造をどう考えるかということについては、中間的目標というキーワードが出た。これはどういう表現を使うにしても、それぞれの教育現場で具体化するための説明が我々として必要ではないか、あるいはそういう発信をしたいということの意思表示のように思う。そのときに特徴的なのは、これまでの縦の姿だけではなくて、横の関連を示すことができるようなものを考えていきたい。縦の場合には発達段階に応じた目標なりコンテンツなりが出てくる。横の場合には、○○教育という形で、現在の課題、あるいは将来を見通しての課題というものを考えた上で、それぞれの教科に何ができるかを示せると良いのではないかということだと思う。それぞれの専門の先生方は自分の専門の分野を考えているけれども、小・中・高等学校の教育の中で、それはどのようにして生かせるのかということを考えることが必要。これは専門の先生であれ、教育の場に身を置く者が自分の教えていることと社会の課題とどう関係するかということを常に意識する必要があるということだと思う。それが今回の指導要領の基本的な考え方「社会に開かれた教育課程」という形で統一されていくと良いのではないかと思う。

○ 書き方については、読んでわかるもの、日本語として質の高いものであることが重要ではないかと思う。そういった点にも注意したいということを、それぞれの分野の方にお伝えいただきたい。また、現在総則で第1、第2、第3、第4と書かれているところ、そこにどのような形でこれまでの取りまとめが反映できるかということを検討する必要がある。

○ 評価については、コンテンツかあるいは資質・能力かということがあったが、そこでもやはり両立する方法を考えるべきではないかというお話があった。今回の私どもの基本的なスタンスは、教科をそれぞれ独立させるというわけではなく、評価においてもそのコンテンツとコンピテンシーを相反するものをというふうに考えるのではなく、統一的な、あるいは全体的な形で教育の在り方を示すということだと思う。

以上

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