理科ワーキンググループ(第7回)における主な意見

1.理科を通じて育成すべき資質・能力について

(1)理科を学ぶ本質的な意義や他教科との関連性について
○ 特になし。

(2)幼稚園・小学校・中学校・高等学校を通じた理科において育成すべき資質・能力の系統性について
○ 特になし。

(3)三つの柱に沿った育成すべき資質・能力の明確化について
○ 資料7-3(高等学校の理数科において育成すべき資質・能力(案))の資質・能力には各教科に共通した「学びに向かう力」があると思う。全ての教科で大事なものや特に理科との関係性の高いものは、この「学びに向かう力、人間性等」に加えた方がよいと考えており、多様な他者と関係性を築く協働性に関わるような態度も入れておいた方がよいのではないかなと思う。

○ 資料7-3(高等学校の理数科において育成すべき資質・能力(案))に書かれている育成すべき資質・能力に関しては、よく考えられていると思う。これに関連して気になるのは評価である。実際にこの教科「理数」の中に新しい科目を設けて、高校生にそれを履修させた場合、それを評価しないといけない。非常に発展的な科目になると思うが、それを評価する観点としてどうすればよいのか。非常にチャレンジングなことであるので、結果として必ずしも成果が出るという保証はないわけで、挑戦したこと自体を評価しないといけない。そういう点で他の教科・科目、学ぶべき内容が高校生のいわゆる知的な能力にある程度見合ったものを用意して、それがどれくらい定着・習得されているのかを見るのとは違ってくるので、新たな評価の観点が必要になるのではないかということが気になる。

○ 教科「理数」を履修する生徒を何回も教えたことがあるが、高校1年生で最初は理数をやるのだが、その時点ではそれ以外に教科「理科」を履修する生徒と余り差がないというか、そこからだんだん差が出てくるわけである。そういう意味では、例えば理科の中にある「知識や技能」のところで、「探究のために必要な観察・実験等の技能」だとか、あと「思考力・判断力・表現力等」の「目的意識を持って観察・実験」だとか、「学びに向かう力、人間性等」のところも「科学の必要性や有用性の認識」、こういった力も身に付けた上でこの理数に取り組んでいくというような表現をするとしたならば、やはりこの観察、実験についての表記など理数の方に少し含めていった方がよいのではないかなと感じた。

○ 資料7-3(高等学校の理数科において育成すべき資質・能力(案))の教科「理数」の資質・能力(案)の「思考力・判断力・表現力等」の3番目の項目で、「探究的な学習を通じて課題解決を実現しようとする力」というのが入っており、どちらかというと情意面に関するような表記にも読み取れて、据わりがよいのかどうか。問題解決能力であればずばりここだと思うのだが、「課題解決を実現しようとする力」というのが、読んだときにすぐに思考力などとの関連が分かりにくかった。

○ 資料7-3(高等学校の理数科において育成すべき資質・能力(案))については、数学と理科を併記して書こう、だから、数学的見方、科学的な見方というふうに両立させようという印象を受けるのだが、資料7-1(幼・小・中・高等学校を通じた理科教育のイメージ(案))の表題が「理科教育のイメージ」となっているので、そうなるだろうと思うのだが、高等学校の発展のところは、これは理数というふうになると、ここが完全に理科という、数学のスの字も入ってないような感じがするので、もしここの内容が理数の内容であるのであれば、高等学校の発展、下の方に「理数科、理数探究」ってあるから、ここにやや数学的な表記が入る必要があるのではないか。

○ 理数科で育成する資質・能力の評価について、理数科では、知識・技能のところに「研究倫理についての基礎理解」が理科、数学と違って出てくる。「研究倫理」はとても重要なものだが、その基礎理解をどのように評価するかというのはとても難しいと思う。昨今、大学人の我々も研究倫理が問われており、「倫理教育のプログラムをちゃんと受講したか」とチェックされる時代になってきた。高校生にどこまで求めたら良いかは分からないが、教える内容と、「何が分かったか」、「どういうことができるようになったか」をどう評価するかも、抱き合わせて考えていく必要があると思う。

2.アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた、資質・能力の育成のために重視すべき理科の指導等の改善充実の在り方について

○ 資料4-1(理科における見方や考え方について(案))において、文の末尾が「発展的に考察すること」と書いてあるが、どちらかというとブラッシュアップするとか物事を明らかにする、分析的にしていくというのが考察なので、「発展」という言葉との相性がよくない気がしている。「多面的、総合的に考察して、発展的に思考する」などと修正することが考えられる。つまり、集中しておいて最後は拡散的というふうにした方が「発展」と言葉の相性がよいと思っている。

○ 資料4-1(理科における見方や考え方について(案))の大きな文字で書いてある3行の「発展的に考察する」という、この「発展」がひっかかる。資料5と資料4-1が整合するような書きぶりに修正するのがよいのかなという意見である。それで、資料4-1は、4領域を全部総合するとこういうことになりますよという意味合いで上位に位置付けて、その下にこの3行を位置付け更に各エネルギー等の領域に分けて領域固有の物の見方を主としてピックアップすると、エネルギーについては量的・関係的な視点と、そういう説明ができるのではないか。

○ 資料4-1(理科における見方や考え方について(案))の中では、「量的・関係的」、「質的・実体的」がペアになっており、その次の欄には「多様性・共通性」が記されている。更に最後の欄には「時間的・空間的」が記されており、表の中の欄を比較しても、バランスの悪い状態になっている。表の記載事項を文章にしたときには、初めて読む人にそれが理解できる文章になっているかどうかについて、しっかり検討した方がよいと思う。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))において、これまで、何をもって「深い学び」とするかということについては議論されていたが、まだ混沌としている感じがする。私は、全国学力・学習状況調査の小学校・中学校で共通して設定している理科の活用の枠組み、つまり、B問題の四つの枠組みが深い学びを実現するための指導の在り方の視点になると考えている。その四つの視点とは、一つ目が適用、二つ目が分析・解釈、三つ目が構想、四つ目が検討・改善の四つである。これら四つの視点のどれかが実現された授業が理科における「深い学び」と考えてよいのではないかと考え、これらの四つの視点というのが、分かったレベルという知識から、さらに、有意味に使えるレベルの知識として学習した原理原則の意味や根拠、理由が説明できる学びを求めているものであって、資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))の丸1で示された科学的な見方や考え方が更に成長していくための学習の視点とも考えられる。
  既に平成24年度と3年空けて平成27年度の2回の全国調査を実施しており、国研から問題の解説書や報告書又は「授業アイディア例」の中で、この四つの活用の視点、理科における「深い学び」としての活用の視点の四つは現場に、もうかなり浸透しつつある。このことからも、小・中学校においては深い学びを実現するための指導の在り方の視点としてこの四つの視点が参考になるのではないかと思っている。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))について、小学校の内容を見ると、もともと学習内容に出会ったときの子供たちというのは、既有の見方や考え方とか素朴な見方や考え方で解釈をして学習に入っていく。それを実証していく過程の中で実証して再現性、そして客観性を加えて科学的に判断して、科学的な見方や考え方に変容させていくわけなのだが、こういう学習がほとんどで、科学的な見方や考え方、常にそれを基に次の段階でそれを成長させるような、また高次な科学的な見方や考え方の場面に持っていく単元内容の方が少ないと思う。
  恐らく中学や高校になると、当然、小学校とか中学校とかで得られた科学的な見方や考え方を用いてできてくるのだと思うのだが、その点で考えると、もう少し深い学びの段階というか、いきなり科学的に育ってきた見方や考え方を持ってなければそういう深い学びにならないという論調ではなくて、素朴な概念を子供なりに変容させていくところが理科の特性である。その理科の特性は非常に深い学びのベースとなって関係していくのだというようなところは押さえられておいた方がよいのではないかなと思った。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))について、丸1の「理科の学習では、自然の事物・現象について、『科学的な見方』を用いて」の「用いて」は、いわば「適用」になると思う。科学的な見方や考え方が既に備わっているのがおかしいとすれば、「子供たちが持っている科学的な見方や考え方を用いて」とすると、適用ということが当てはまる気がする。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))について、丸2の「例えば」の2行目のところで、「個人で考え、その後、お互いに意見交換したり、議論したりして、より多面的・総合的に考察し」って書いてあるが、ここは全国学力・学習状況調査でいえば分析・解釈ということに当たるので、こういう視点も大事ということになると思う。

○ 次の行で「考えをより妥当なものにする学習場面を設けること」とか、丸3の「例えば」のところにある「観察・実験の結果を分析・解釈して仮説の妥当性を検討したり、全体を振り返って改善策を考えたりする」というところは、正に改善という四つ目の視点になる。となると、抜けているのが三番目の視点で「構想」というのがある。構想というのは、丸1の「例えば」のところを見てもらうと、「自然の事物・現象から問題を見いだし、見通しをもって課題や仮説の設定や観察・実験の計画を立案したりするなど課題解決に向けて科学的に考える学習場面」と書いてあるが、ここを「課題解決に向けての過程を構想する学習場面」ということで捉えるとすると、自分たちで実験を計画したりプロセスをデザインすることになる。このようなことをここに入れておくと、これからの教育で育成しようとしている自ら何かをデザインする、構想するという力を理科でも育てていくのだということになってとてもよいのではないか。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))のアクティブ・ラーニングの三つの視点の丸3で主体的な学びの過程についての例示の中身で、例えば、「観察・実験の結果を分析・解釈して仮説の妥当性を検討したり」というのは、論理の方法でいう帰納法、次の「全体を振り返って改善策を考えたりする」は自然の探究の評価のこと、「得られた知識や技能を基に、次の課題を発見したり」は仮説形成に当たるようなところで、これらは探究の過程ではある。これらを踏まえることが主体的な学びの過程なのかどうか、例示としてしっくりこないと感じた。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))の深い学びの過程という部分について、育成すべき資質・能力の三つの柱を踏まえたカリキュラムデザインのための概念ということで、「何を知っているか、何ができるか」、「知っていること、できることをどう使うか」、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という三つの柱の「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」という部分が、この資料の中で急に薄くなってきたような気がする。でも、この部分が逆に理科の活用と同じく「深い学び」につながる視点だと思うので、その部分が少し出てくるとよいかなと思う。

○ 資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))の丸1の「自然の事物・現象から問題を見いだし」で、「自然の事物・現象」の「自然」には、身の回りや日常生活の中にある現象という意味が含まれていると思うが、読み方によっては、いわゆる野や山などの自然環境をイメージする方もいると思う。自然の事物・現象から疑問や課題を発見するには、機会が限られる校外学習や旅行だけでは不十分である。この表現だと、特に都市部の子供たちにとって、理科の学びにおける課題発見の意味を狭くさせてしまうのではないのかなと思う。限られた機会だけではなく、継続的に触れている現象から気付きが導かれる。したがって、「自然の」には、生活の中の事物・現象、日常生活の近くにある自然や現象という意味を含んでいることを明記すべきではないか。

○ 児童生徒がある事象の実態を見て、つかみ、問題を見つけて、課題を把握する、その過程は実態を伴ったものだと読み取れるようになる。そして、その実態のある事物・現象には量的な関係性があるのか、何か要因があれば、実験で確かめられるかなと考えることになる。何か関係的なものがちょっと見えないなということになれば、とりあえず観察の方で問題解決に入っていけるのではないかなということになる。そこで、資料4-3(理科の内容における主な見方の整理例(案))において、「実体的・関係的、」更に「質的・量的、」という組合せにすると日本語として読みやすくなり授業や観察実験が構想しやすくなると思う。

○ 「理科における見方や考え方」という、その「理科における」という表現と、それから、資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))の「科学的な見方・考え方」が鍵括弧付きで入っている。それぞれ「科学的な」というのと「理科における」というものの区別を明確にしておかないと、現場の先生は今まで「科学的な見方・考え方」というのに非常に親しんでいるので、それとの違いはどこなのかと迷う。区別をはっきりさせなければならないと思う。例えば、「科学的な見方・考え方」が土台にあり、その中で理科としてはこういうところに特徴がありますというような示し方がよいのか、何らかの違いを出さなければいけないだろう。

○ 現行学習指導要領解説では、「科学的な見方・考え方」に対しての記述が小学校・中学校では書きぶりが違っている。その辺り、実際に作っていく際には小学校・中学校の整合性が必要である。高校になると「自然観」というような言い方をしているから、小学校・中学校・高校の先生方は小・中・高連携などが進んでいて、小学校の内容を勉強している。小学校と中学校と高校の一貫性がどこにあるのかという部分は、今後、検討していかなければならないと思う。

○ 「深い学び」に関しては、一覧表の中の「深い学び」の定義だと、大体今まで書かれたものとあんまり変わらないという印象を持つ人もいると思う。ここでは、定義の中に、うまいキーワードを組み込むことが必要と思う。先ほど大杉室長が言われた教育内容の構造化ともすごくリンクするところである。
教育学者で高久清吉先生は「よく分かった」という状態は、構造的に理解している状態(「構造的理解」)と述べている。それが「深く分かる」とか「納得する」分かり方になると、「ああ、そうだったのか」というふうな分かり方になり、それを「全心的理解」と言っている。「深い学び」という言葉はすごく響きのよい言葉なのだが、それを具体的にどのように表現していくか、事例を挙げて説明する必要がある。

3.資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))で学習活動例ということでフロー、流れが書いてある。教科書に掲載されている観察・実験の一つ一つについてどのような探究の過程を経るかを検討してみると、全てがこのフルコースをたどるわけではないというのがおのずから見えてくる。そうすると、例えば中学校の1年生のエネルギーの領域の実験を精査したところ、仮説の設定から最後までフルコースで流れるのはこの実験だけじゃないのというのがはっきり見えてくる。そういう軽重が付けられるというような判断をして良いということが現場の先生方に分かるようにできると、負担感が相当減るのかなと感じる。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の高校の基礎科目の評価場面の例で、一番右側の「主体的に学習に取り組む態度」の表現で、他の二つの項目は丁寧に学習活動のどのステップでどの評価をするかというのが書かれているのに対して、「主体的に対象とかかわろうとしたり、観察しようとする態度」から矢印で課題の解決のところまでというのが、流れなのか、それとも連続して全ての場面で行う態度の評価なのか、分かりやすい表現があるとよい。
  もう一つ、この右側の態度のところで、一番下の「学んだことを生かそうとする態度」のところに見合う学習活動はどこになるのか。態度の最初の「観察しようとする態度」、これは自然に対する気付きという、学習活動のところで、子供が問題意識を持っていて、これは調べていきたいという態度が持てるかと思うのだが、「日常生活や社会に生かそうとする態度」をどの学習例の場面で評価するのかが、一番左側と右側も一致している方が先生方はなおイメージしやすいと思った。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の二枚目で、観点別学習状況の評価の三観点の中で、課題の解決のところの「知識・技能」の中に入っている「観察・実験の結果を分析・解釈して考察したことから得られた事実や概念等に関する知識の再構築」とあるが、こちらは知識を再構築する資質・能力というふうに考えると、何か「思考・判断・表現」の方に入った方がよいのではないかと感じた。

○ 教師がこの観点別学習状況の評価で評価することによって、次の指導に生かしたりとか、子供にフィードバックをして次の学習に役立てたりということが従前から言われているわけである。それに加えて、子供自身が自分の学習を振り返って自分の力の向上や発揮というのを自覚していくような評価というのも、資質・能力の育成というものについて考えると必要ではないかと考える。例えば自己評価をするだとか子供同士で相互評価するだとか、そういった場面で自分の力の発揮というのを振り返る、そういうことが子供の資質・能力というものを子供自身が振り返っていく。そうすることによって資質・能力というのが更に育成していくのではないかと考えている。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の一枚目の「主体的に学習に取り組む態度」の例示について、「主体的」というキーワードと「日常生活と社会」の関連について、二点記されているが、これ以外に、継続することや協働することも大切だと思う。そこで、諦めずに繰り返し観察・実験を行う態度や、多様な他者と関係性を導く態度などが評価の例示として入るとよいと思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の「資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について」について、小学校理科の部分で、「知識・技能」のところに、高等学校・中学校では、最後に「知識を身に付けている」という終わり方をしているが、小学校の方には「相互の関係などについて理解している」ということで、知識の押さえがないが、そのままでよいのかというのが一つ気になった。
  真ん中の段の「思考・判断・表現」、これも小学校理科のところで、語尾が「より妥当な考えを表現している」って書いてあるのが、「より妥当」と言われると、何と比較しているのかがよく分からないという感じがするので、例えば、「より妥当な考えを選択し、表現している」というふうにすると、幾つか出てきた中から自分のよりよいと思うものを選ぶという感じになるので、「より」の不安定さがなくなるのではないか。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の小学校の「主体的に学習に取り組む態度」のところで、現在、小学校は日常生活への適用・活用がよく実施されているが、今回、語尾が「自然の事物・現象の把握に生かそうとしている」と終わってしまっている。「自然」という言葉だとなかなかすぐに日常生活とつながらないという感じになってしまい、本当にこのままでよいのかなという思いである。この「態度」の記述だと、理科の中で留まってしまって、日常生活に活用する態度まで意識できなくなるのではないかというのが気になったところである。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の二枚目で、高等学校の基礎科目のところの「知識・技能」のところで、一番上に「対象を観察し」と書いてあるが、今後、観点別の資料などを作っていくときに、「対象」と言うとよく分からないので、同じ言葉の繰り返しになるが、「自然事象」のままの方がよいのかなと思いました。
  また、「知識・技能」の最初の項目に「既習の知識や概念を基にして、必要な情報を抽出・収集する技能」と書かれているが、「収集」というと何か集めなきゃいけないようなイメージがどうしてもあるので、「抽出・整理する」とか「抽出・分類する」とすべきかと思う。
「思考・判断・表現」の部分にも「抽出・収集」とあるため、そこも同時に直す必要があると思う。最後に、「主体的に学習に取り組む態度」のところも、「主体的に対象」と書いてあるが、ここも「対象」ではなく、「自然事象」としておいた方がよいのではないかと思うし、本来、「たり~たり」にしなければいけないところかなという気がした。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の小学校の「主体的に学習に取り組む態度」のところで、「自然の事物・現象の把握に生かそうとしている」ということがよく分からなかった。中学校や高校の日常生活につなげるという観点でということは分かるが、ここは小学校段階においても日常生活という文言を用いてもよいと思った。ただし、学習したことを日常生活に生かすというのは、小学校段階だとかなりハードルが高い、日常生活という他の場面、他の文脈に転移させようという視点はかなり高いので、その前段階として小学校では、今日学習して分からなかったことをもう一度勉強してみたいとか、今日の観察だけでは不十分だから、もう一度観察してみたい、明日もう一度同じ実験をしてみたいというような、そのような学習に向けて新たな疑問とか視点を見いだすというようなことが小学校段階では必要なのかなと思った。従って、「日常生活」という文言を小学校段階でも入れてもよいと思うのだが、その前段階を入れた文章としては、「問題解決の過程などを通して新たな疑問を持ったり獲得した知識・技能を身の回りの自然の事物・現象の日常生活に生かそうとしたりしている」ということで、前段階のところが必要かなと思った。いずれにしても、小学校の段階では毎時間、自分で学びを自覚してやろうというよりも、教師が「今日はこれをやります」というふうに宣言してスタートすることが多い。毎時間のつながりを子供自身が意識して、学びに向かう力というのを評価するには、学習の必然性とか学習のつながりということを子供自身が自覚できるようにするような文言が入ると新しさが出るのかなと感じた。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の高校部分で、「主体的に学習に取り組む態度」のところで「探究の過程などを通して獲得した知識・技能を日常生活や社会に生かそうとしている」、という部分を読むと、日常生活や社会に生かすのは知識・技能であるというふうに読めなくもないというところである。高校で自然科学を学んだ結果として、もちろん知識や技能はそうなのだが、普段の生活の中での判断力に理科の学びを生かしていく、あるいは思考力を生かしていくというのは、かなり重要なことだと思う。なので、この部分をもう少し幅広く、理科の学習によって獲得した力を生かそうとするというような形に拡張できるような書き方にしてもらうとより良くなると思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の二枚目で高等学校の基礎科目の中で左側の探究の過程の学習例は、現場の者から見ると理想郷の世界に入っていると思う。これを現場の授業の中でどうできるかといったときに、多くの課題がある。実際、探究の過程の学習例がどういうことができているかというと、例えばSSH校の中で課題研究の中でできる。それから、実は今、高校の方では総合的な学習の時間というのがある、そこを使って、理科に限らずだが、一つの課題を設定して、それで年間を通してこういうプロセスを使っていくということで、この探究の学習活動例というのは実際にたくさんの学校が実施しているところである。だけど、理科の中でこのプログラムを全部できるかというと、本当にそれは至難のわざで、これは1時間の中で全部できるようになるわけじゃなくてもよいのだと。ステップ・バイ・ステップで今回はここの部分ができてもよい、次はこの部分ができてもよいというふうに小分けにして、最終的に全体ができればよいというような、何かそれでもよいのだよというふうなやんわりとしたものが学習指導要領の中に入っていただけたら、現場の教員としてはやってみようと。そして、恐らくそういう力というのは理科だけじゃなくていろんな科目を通じて培われていくものだと思うので、総合的な学習の時間を通して、あるいはほかのものを通してでも、プラス、プラスで最終目標に到達すると思うので、現場の教員がもっとやってみようって思われるような形に何か一文を加えるとか、何かしていただけたらうれしい気もする。

○ フルコースはとても大事なので、これをなくせとかそういうものではない。私もSSH校に11年ぐらい勤務しており、この課題発見をしっかりさせて、仮説を作って、最終的に結果を処理し、考察して、それをまとめて発表することが、いかにすごいことなのか、生徒はどんなに力を付けていくものかというのは十分理解をしている。ただ、それを学校の中の日々の授業の中に入れると少し問題があるということなのであって、この探究の過程そのものは本当にすばらしいものなので、これを理想として絶対残しておいていただきたいと思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の中学校の理科の「思考・判断・表現」のところで、「導き出した考えを根拠を」は、実験結果に基づいているということになると思うので、「根拠に基づいて考えを導き」という流れになるかと思う。「思考・判断・表現」では、高校・小学校それぞれ、子供がどう考えていったという考えの中で表現するという方がよいと思った。
  高校の「主体的に学習に取り組む態度」のところで、観察しようと、では実験がもう一つあるのだなというイメージがどうしても出てしまう。関わろうとしたりという方が実験を表現しているのかなと思われてしまう。表記を考えておいた方がよいと思う。

○ 学習過程を一通りフルメニューでやるというのは大変で、例えば一年間の理科の学習を通して、それぞれの場面が一通りできるようにしておこうとか、教科書の中でもそれぞれの場面が必ず一個入るようにしようというような扱い方をする。資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))に「特に育成したい資質・能力に焦点化してもよい」あるが、現場でも1時間の授業で全ての観点で評価するということはもうしなくなっている。これは、そのことを書いていると思うので、同じように、全体的なカリキュラムを作る際に、ここではここら辺を少し重点的にやろうとか、そういう設計をしてもよいのかなということを書いておくとよいのかなと思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))が資料7-2(小学校・中学校・高等学校を通じて理科において育成すべき資質・能力(案)」に書かれている内容に含まれているという確認ができればよいのだろうと思う。例えば「学びに向かう力、人間性」とかというのは「主体的に学習に取り組む態度」につながるって考えてくると、資料7-2に書かれている一通りの内容がこの資料5の中に読めるということになっていれば、資料5の方はすっと通ると思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の2枚目の一番右の一番下に「学んだことを日常生活や社会に生かそうとする態度」、「主体的に学習に取り組む態度」で、そういう態度が発現するのは理科の時間とは限らないのではないか。それを評価しようとするとき、誰がそうした生徒の態度を観測するのか、そして評価に生かすことができるのか、疑問に思う。この趣旨自体は支持できるものなので、生徒の実際の生活に即した形で「日常生活や社会に生かそうとする態度」を誰が観測し、評価し、評価に組み入れるのかまできちんと考えていく必要がある。そうしなければ、実質的な効用は望めないのではないか。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))と資料4-2(理科におけるアクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善について(案))を照らし合わせると、学んだことを日常生活や社会に生かそうとする態度が、「主体的に学習に取り組む態度」という項目の中で、いわゆる「やる気」として処理されるものなのだろうか、という疑問があります。資料4-2の丸3の最後から二番目の行には、「次の課題を発見したり、新たな視点で自然の事物・現象を把握したりする学習場面を設けること」とあり、「日常生活や社会に生かそうとする態度」はここに含まれるのではないか。新しい視点や発見、新たな課題を体得した技術や技能や知識を生かして取り組むことを期待し、それを学ぶべきこととして提示するなら、この「主体的に学習に取り組む態度」よりは「思考・判断・表現」の一番下のところに入る方が流れとしてはきれいである。今回の学習指導要領の柱の一つであるアクティブ・ラーニングを大きく取り上げた流れの中にもその妥当性が見いだされると思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の二枚目で、見通しと振り返りの例があり、問題解決の過程、探究の過程を一つの授業の中で1時間の中で全てステップを踏んでいくということは、とても困難なことなのだが、やはりこの流れを意識しつつも、その問題解決の過程にメリハリを付けるのが見通しと振り返りの場面ではないかと思っている。そういった点で、この資料の見通し・振り返りというのは、そこに「見通しと振り返りの例」と書いてある。それは、仮説の設定の場面、そして考察・推論の場面を一つの例ということで位置付けているという意味だとは思うが、この資料を見たときに少し分かりにくいなというところがある。学習の場面の中では非常に大事なところなので、もう少し記述が丁寧にあるとよいなと思う。「思考・判断・表現」のところ、右の方を見ると分かるのだが、そこにアンダーラインを引くとか同じ色で強調するとか、そんなことがあれば見ている者に非常に分かりやすいなと思った。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の二枚目の高等学校基礎科目における評価場面の例について、このフルコースについてはいろいろ思うところがあるが、ただ、こういう形で学習活動例の横に3観点が示され、どういう場面で評価されるのかというのが示されたこの資料そのものは、すごく貴重なものだと思うし、三つの観点がバランスよく評価されるということを示しているものであるので、非常に貴重なものだと思う。

○ 先ほど来、このフルコースを学校現場の中で授業の中で取り入れていくのはなかなか不可能に近いだろうという話の中で、強弱を付けるという話も出ているのだが、もし可能であれば、この学習活動例は実験・観察を伴う探究的な学習活動の一例だと思うが、それ以外の学習活動の例もお示しいただき、三つの観点がバランスよく評価されるのだよというところを示していただけると、より具体性もあり、現場の教員としてはヒントになるかと思う。もしこの一つの例だけで行ってしまうと、ある一部分だけ、例えば知識・技能の二つ目の四角の中にある観察・実験を実行する技能とか、こういう部分だけが取り出されて、いわゆる形成的評価に近いものが重ねられていく、それで最終的な生徒の評価につながっていくことになりかねないのではないかと思う。この三つの観点をバランスよくやるというのは、この一連の学習過程の中で三つをバランスよく評価する、あるいはいろんなタイミングで評価していくということに意味があると思うので、どこか一部分だけを取り出して形成的評価を重ねるということではなく、総括的評価として生かされるものだと思うので、その部分が形跡的評価と総括的評価を区別して表現してもらうということも一つの方法だと思うが、クリアになるとよいかと思う。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の「思考・判断・表現」の高等学校理科の4行のところで、朱書きで「科学的に探究し」というのが入っている。小・中学校は「考察」とか「分析」、「解釈」という言葉が入っているが、恐らくこの「探究し」の中に「分析」、「解釈」、「考察」まで入っているという理解でよいとは思うのだが、もし仮に「探究し、得られた結果を分析・解釈し」というと、言葉に言葉を重ねる形にやっぱりなるという自問自答である。

○ 資料5(資質・能力の育成のために重視すべき理科の評価の在り方について(案))の「思考・判断・表現」の二枚目の学習活動例で、これは高校基礎なので、多くの子供たちが高校の基礎を付した科目で理科の学習が終わる可能性がある。そうしたら、この時点で身に付けてほしい科学的な考え方は何かというのを考えたときに、やはり世の中に出て役に立つのは科学的な思考の方法だろうと私は考える。それを高校の基礎を終えるまでには是非身に付けさせたい。教材に応じてどのような学習活動が必要かというのが決まってくると思うので、高校の基礎を付した段階では、仮説を自ら形成するという思考の方法であるとか、あるいは帰納法で規則性、法則性を自分から見いだしていく、そういった論理の方法が分かっている。そして、この教材、このテーマでは、このステップを探究のプロセスをやっていくのだという軽重の付け方というふうになるのかなと思った。学習指導要領解説に書くかどうかは別として、そこら辺が理科の教員が分かっていれば、フルコースはこれだが、今回はこれで行くのだということは納得できるのではないかなと考えている。

○ フルコースの議論があったが、本当に大事なことであって、それがアクティブ・ラーニングも含めて「深い学び」に結び付くということで整理されたかなと思うので、アラカルトであったりとかいろんなメニューも含めてそれをきちんと整理していくということが、一つ大事なことではないのかなと思っている。

4.必要な支援(特別支援教育の観点から必要な支援等を含む)、条件整備等について

○ 小・中・高等学校の理科教育設備の整備の予算として、資料6-2(理数教育充実のための総合的な支援及び小・中・高等学校におけるICTを活用した効果的な実践例について)にあるように、今年度17.8億円の理科教育設備整備費補助金が計上されているが、昨年度の理振協会による全国小・中・高等学校観察・実験機器充足調査の結果からは、まだまだ小・中・高等学校の理科観察実験機器は不足していることが分かる。観察・実験機器の設備充足率、重点品目で小学校が61.0%、中学校が45.3%、高等学校では23.7%と、多くの学校で観察実験の設備整備が整っていない。充実した理科室の環境で観察実験授業を児童生徒たちに体験させることができるように、実験・観察に関わる理科整備の充実が更に必要だと思う。

○ 観察・実験のできる場所として、理科室や十分な消耗品費が確保されて、初めて理科の楽しさ、面白さを十分に体験できる理科室になるのだと思う。また、理科教育における観察・実験の支援として、今年度2.6億円の理科観察実験支援事業に予算が計上されている。小・中学校に理科の観察・実験の準備・調整等を行う補助員が配置され、教員が観察・実験の指導に注力できるすばらしい制度だと感じる。今後は、安心・安全な理科実験を行うためにも、理科観察・実験支援事業の更なる充実が必要だと思う。同様に、高等学校においては、より専門性の高い理科実習助手の配置整備が重要だと思う。

○ ICT機器の活用という観点から、なかなか実施する、使う学校が増えないというのが現状で、教育研究校であれば、毎時間のようにICT機器を使った授業を行い、それを研究会や学会で発表したりするが他にはなかなか普及しない。一つの大きな理由は、教科書に書かれていないからである。教科書の中にICTを活用した授業の実験例が出ていない。教科書会社に「どうして入れないのか」と聞くと、機器を持ってない学校が多いので、学校で実施できないものが教科書に書かれていると、それはまたかえって生徒から見たときに不安を与えるとのことなので、多くの学校で実践されるためには、教科書でそういうものを使った実験などが紹介されるのと同時に、各学校に機器が普及していかないと定着しないと思う。コンピューターやタブレット端末とともにセンサーを購入するということを積極的に支援していただくと同時に、ICTのCはコミュニケーションであるから、対話的な学びを促すためにはそういうツールが非常に有効であるということを明記した学習の指針が示される必要があると思う。

○ 私がICTを使った授業を紹介しても、年配の先生は反応が悪い。昔からの機器を使った実験のやり方、グラフにプロットすることが理解を深めていくということの信念を持って指導されている。しかし、時間を短縮して生徒に議論させる時間を保障する、あるいは実験結果を予想することに時間をとるためには、実質的にICT機器を使わざるを得ないという状況があるので、授業の在り方そのものを変えていく提案が必要になる。若手の先生は非常に興味を持つ。私の授業を見学した先生には、本校に機器を借りたいということを申し出てくる方も多くいて、実際に我々の学校ではそういう方に機器のレンタルをしている。今の若い先生は、コンピューターやタブレット端末を使って授業することに気持ちが開けているので、そういう授業実践例が普及していけば、多くの学校で授業の在り方そのものが変わっていくのではないかと思う。よって、そういう教材の提供と機器の普及ということの両面での支援が必要だと思う。

○ 研修所に勤めており、小・中・高の先生方と接していて、特に理科の授業に取り組んでいる方々は非常に熱心に取り組んでいると感じている。その中でも一つ課題として感じているのが、高等学校の理科の課題点として、現行の学習指導要領で基礎の付く科目、物理、化学、生物、地学から3科目を履修するということになったということで、その各科目の履修率というのが当然上がったわけだが、同時に、教員にとっても自分の専門外の科目を教えることが増えていったということがある。これが一つ課題ではないかなと感じている。現場の教員に話を聞くと、この基礎の付く科目の中で観察・実験を実施するというものについて、十分でなくなってきているのではないかというふうな感想を持っている。その要因としては、現場の先生方が言うのは、「標準単位が2単位になって、授業が週2時間になった」、私自身は、それに加えて、やはり専門外の科目を教える機会というのが増えていったということが、この観察・実験の実施が十分でないということに関係しているのではないかと感じている。免許状は高等学校の理科ということだが、実際に教員採用試験では自分の専門とする科目に関する試験を受けて、そして採用されていくというケースもあるかと思う。特に近年、若い方がどんどん増えているという現状を見ても、この点について何らかの支援というか、対策というか、そういったものを何か考えていく必要があるのではないかと感じているところである。

○ ICT環境で大事なのは、黒板等と同じように、常時そこにあるということではないかと思う。蛍光灯のスイッチを入れるように、すぐ使える。先生が機材をガラガラ移動したりとか、設定が複雑だったりとか、「よし、今日はICTをやるぞ」という状態だと絶対普及しないと思うので、カスタマイズはできるようにしてあったとしても、一番必要な機能だけがすぐ使えるような、そういう状態にしないとなかなか普及しないなと思っている。

○ ICT機器の購入者が教師なので、どうしても先生向きに発想してICTがつくられたり、使われたりしている。しかし、それこそ常時置いてあるなら子供たちがどんどん自由に触って、こんな使い方があるのかと先生が逆にびっくりするような形で、普及させていく。こうした子供たちの発想が先生を動かすという逆転の発想というのもすごく必要なのではないかと思っている。また、メーカーに希望するが、ICT機器はオフィス中心で作られるので、人数が6から20人ぐらいを対象にしたものが主に作られているように見えるが、学校サイズはまだ相変わらず30ぐらいはあるので、是非学校にしっかり入って、30サイズで、あるいは40人サイズで使いやすいものというのを真剣に開発してもらえればなと思っている。

○ ICTの有効性には様々あって、拡大したり縮小したり、時間軸・空間軸を超えていろんなことができたり、モデルを使ってシミュレーションしたり、イメージを膨らませたり、これからだと子供たちの学習の記録をしっかり残したり、そんなようなことができるのがICTの有効性かと思う。今後、特に大切にされるべきICTの役割は子供たちの思考を見えるようにして、「深い学び」につなげるような活用ではないかと思う。できるだけ子供たちの思考を今までの方法では見ることができなかった部分を、ICT機器を使うと見られるというようなものを開発してもらうとすごくよいのではないかと思っている。

○ ICTを使うと様々なよい面があるのだが、理科は実物を見せるというのもとても大事である。実物を見せた上で、より実物をよく理解するためのICTの利用とか、実物を見る意味を持たせるための事前のICTの活用とか、実物そのものをうまく生かすようなICTの活用の工夫というのをしていかなければならない。でないと、どんどんバーチャル時代が進んでいるので、理科教育の場合、概念形成などに大きな影響が出てくるのではないかと思っている。

○ 中・高は専門の理科の先生が基本なので、小学校は専門性の苦手な先生もいるということは、課題が違うのだと思う。当然それに対しての支援は違ってくると思っており、調査をしたときに分かったのだが、まず、小学校は、今まで大切にしている問題解決の追究の仕方は、意識がすごく高いのだが、知識と技能に不安を抱きながら授業をやっている先生が大変多いということである。となれば、それに不安を抱かせないような、現在も支援している人的支援をしていくことが有効だと思う。

○ 中・高の先生たちは、当然、スキルだとかというのは高いのだが、これまでも議論に出ているように、探究活動の時間がないということである。その保障をやってあげるような、人的なことなのか、あるいは内容の重み付けなども含めて考えていかなきゃならない。それをやると、今、話し合っている授業の理想に近付けるような場づくりとかができるのだろうと思う。理想というか、それを実現させていくのがこれからだと思うのだが、そういう支援をそれぞれの校種に応じてやっぱり検討していくべきだと思っている。

○ 理振などで備品だとか消耗品だとかを学校に整備していただけるのは非常に有り難い。これは理科の推し進めてくれる一つの大きな政策なのだが、理科室そのものが、新しい学校は非常にすばらしい理科室が造れる。でも、古い学校は何十年も同じ理科室なのである。それで、これからのアクティブ・ラーニングをやっていこうとするには、やっぱり理科室を造り替える補助を作ってほしい。かなりのお金が掛かると思うが、それに見合った理科室の改善を図る補助は、一部あるようであるが、全国の学校を小学校だけでも、2万近いので大変だと思うが、そういうことを少し検討していただいてやっていただくと多分意識が変わる。小学校の教師は、理科の授業をやることによって他の教科の授業もうまくなっている。これはすごく感じている。というのは、非常に論理的に整理された問題解決する教科特性があるから、このパターンが他の教科への転用が図りやすい。だから私は、小学校に専科を入れるというのも一つなのだが、多くの小学校教員が理科の授業を経験して、その学び方や指導方法を身に付けることは大きな意味があると思っているので、それを支援していただきたいというのがある。

○ 資料6-1(理科ワーキンググループ(第1回~第6回)における主な意見(必要な支援、条件整備等関係))の「指導体制に関する考え方」の上から三つ目、「小学校は若手の先生が非常に増えてきており」については、教員養成大学で初等教育教員を中心に養成している立場の人間としては非常につらく、負のスパイラルに入っちゃっているのだというのを痛感するわけである。教員養成大学学部の初等教育教員養成のための器材、顕微鏡なり電流計、電圧計なり、恐らく厳しい状況に大学もあるのではないのかなと思う。教員養成の段階で十分に理科の観察・実験に必要な操作技能などの基本的なトレーニングが疎かにされたまま採用されて、また現場の方で研修に四苦八苦している。教員養成大学にも問題があるのではないか。

○ 条件整備の問題が一番、自治体によって差が激しい問題ではないかと痛感している。設備もそうだが、例えば先ほど御紹介のあった資料6-2(理数教育充実のための総合的な支援及び小・中・高等学校におけるICTを活用した効果的な実践例について)の人的支援である。確かに国ではよい事業を挙げていただいているが、一方、これを活用する自治体がなかなか手を挙げない、優先順位が低いということではないかと感じている。補助率が3分の1というのが少し厳しくて、これが2分の1だともう少し手を挙げる自治体もあるのではないかなと感じている。

○ ICTも本当に学校によって、自治体によってすごく大きな差がある。例えば、本校では実は電子黒板が1台しかなくて、ガラガラと同じ階のいろんな教室を移動している。けれども、他校から転勤した教員は、他校では教室に1台あったと。「すごく電子黒板が有効でよいということで、使いたい」と言うのだが、なかなかそれがままならない厳しい状況にもある。ICTにしかり、設備にしかり、人的支援にしかり、やはり自治体が求めたものを積極的に取り組めるような支援を頂けたらよいなと感じている。

○ 理科の授業を充実するためには、こういったICT機器があればよい、こういう器具があればよい、こういう人的支援があればよい、そういう指針といいますか、チェックリストというか、そのようなものがあれば、分かりやすく現場の教員もその自治体の方に要望することができるなと思っているところである。

○ 若い先生方が増えてきているというようなお話がある。実は小学校の先生方は女性の教員が多く、はっきり、「私、理数系は苦手である」という先生も多くいる。そういった先生方に初めに理科にしっかり出会っていただきたいなと思っているところである。その研修の体制であるとか、あるいは自主的に勉強をする場、若いうちに理科の方に引っ張って理科好きの先生方を増やす、そういう仕組みづくりも必要ではないかと考えている。国の方でJSTがCST(コア・サイエンス・ティーチャー)という事業を実施しておられ、本県でもその事業をずっと、国の支援がなくなっても続けているのだが、そこには若い先生方も手を挙げて研修を受けに来てくれている。研修を受けてCSTになった先生方は、先生方同士でネットワークを作って、更に自分たちの勉強会を続けているという例もある。そういった若いうちから共に学ぶ、そういう研修の場というのを作っていくということもこれから大事になろうかと思っている。

○ 人材育成をとにかくやらないといけないという状況に地方はある。教員養成系の大学については恵まれた状況ではなくて、かなり苦労している地方の大学は多いのではないかと思っている。もうそんなに悩んでいる時間はなくて、ここ数年のうちにどんどんと人が入れ替わる。そういった状況で、新しい人、若い人、教員養成をどうするか。それから、現職の教員の研修の話も出ているが、20年前、30年前の教育センターでやられていた理科教育の研修の数、予算と現在のものを比べると、格段の違いがあろうかと想像する。県の方でも、地方の方でも教員研修のお金は非常に困っている。もう一つ、教職大学院というのができているので、そこで中堅の教員をトレーニングして、現場に送り出して活躍していただくということがあるが、教職大学院のカリキュラムが例えば理数教育充実のために見合ったものになっているのか、状況を調べた上でカリキュラムの見直しも場合によっては必要であるのか、様々な方法をとらないと、次の学習指導要領、順調なスタートができないかなという危機感を地方では持っている。

○ 必要な条件整備ではお金を掛けていろんな工夫をしていかないと、やはり大きく変わっていかないような気がしている。国立大学の教員養成系の大学のみならず、国立大学系の附属学校でも同じようにお金がない状況で、実験・観察の授業を行っている現実があると思っている。また、実験室を整備していくのは本当に重要なことで、そこで学ぶ子供たちがすごく生き生きと学ぶようになる。あるいは、そこでの実際の授業がどんなふうに行われているのかと関心を示してくれる人が増えてくる。本日の皆さんの意見を基に、実験室や理科室がもっとICTが使えるようなよい環境に変わっていくよう努力していかないといけないと思った。

○ アクティブ・ラーニングと関係してICTというのも非常に重要な観点で、これは、特に理科の場合には実験と観察とそれを強化するという位置付けにもなっていると思うので、やはり実験・観察とうまく組み合わせるということと、あと、アクティブ・ラーニングの中での協働的な学びにもICTというのは非常に効果的に使われているので、最近はクリッカーといっていろんな反応を見るというのもあるので、やはり強化していくということ、ある意味、今まで理科で行われていた実験などのそういう分析も含めて、補完しながら、よい方向に持っていくという意味ではICTは非常によい観点だと思うので、それを今後考える必要がある。加えて、教科書はICTが取り上げられていないので、学習の仕方からも学習指導要領をやっぱりパッケージで考えていくということが必要であるので、ICTという新しい観点も含めながら、それをどう今後考えていくかというのが大事なのではないかなと思う。

5.現行学習指導要領における現状と課題について

○ 特になし。

6.その他の論点について

○ 特になし。

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初等中等教育局教育課程課教育課程第二係