理科ワーキンググループ(第1回~第5回)における主な意見(現状における課題関係)

1.現状における課題について

(総論)
○ 現在の小・中・高校生の学習は、科学の成果の結果としての知識を学び取るという意識が強いように思う。自然の仕組みやその中に隠れている原理や法則性などを、科学の法を用いて自分で見付けていく教科なのだという基本的なところを理科の学習を通して気付けるような指導要領、指導の改善が必要である。

○ 高校の現場で教えられているのは知識・技能中心となっている。前回の学習指導要領はバランスが良いのだけれども、教科書と現場がそうなっていないので、実際の教科書が実際の学校で教えられるときの中身が、この三要素がバランスよくなるように、どのような学習指導要領を作っていけば良いかを議論すべき。

○ 全国の高校生を対象に中学校理科の実施に関するアンケート調査を行った。高校生が中学生のときに勉強した内容、3年前から5年前に高校生が学習した内容についてで、教科書に書かれていた内容を理解していない、あるいは、全くアイデア、概念を持ってないという割合が高い割合となった。数年たつと、学習内容を忘れており、中学校のときには、短期的に知識として持っているのかもしれないが、それが高校生まで理科の学力として受け継がれていないのが残念に思う。

○ 高校というのは、進学のことに絶対絡んでくる。参考、発展となっているところが、上限なく教科書の中に入ることができ、センター試験等がその分野から出題されたものがある。そうなってくると現場の教員としては、観察・実験どころではない、やはり参考のところまで全部網羅した授業をしなければいけないのだと思ってしまう。そういうことも考慮した上で教科書を作成していただきたい。

○ 本当に観察・実験をやって、探究活動をやって、能力が育つような、そういう授業ができるようなシステムを是非作っていただかないと、永遠に高校の現場の方ではもがき苦しんで、進路と教えたいものとの間のはざまに立ってしまうのではないか。

○ 現行の中学1年生では時間数が週3時間のままで、歯止め規定がなくなったことにより内容が実質増えているという捉え方があり、中学1年生の学習内容を週3時間の授業で終わらせることに、四苦八苦しているのが現状。その中で、問題解決的な学習展開を進めるのは至難の技と思われており、結果、生徒にとっては実験・観察が作業の時間となりかねない。

○ 歯止め規定がなくなった後、余計な部分が多くなってしまい、全体として教科書から受ける印象や学校現場で教科書を使って行われる教育活動は、主に学習指導要領に書いていない勝手に入れられた部分に沿って行われてしまっているのではないか。

(理科好き、有用感)
○ 理科の好きな子供が少なくなっていると感じており、これを改善しなければいけない。わくわくするとか、ドキドキするとか、さらに分かるとか、何か難しいことができたとか、成就感みたいなものを持たせることが必要である。それを授業の中で持たせるには、観察・実験だと思う。とにかく本物を見たり、触れたり、あるいは動かしたり、実際に体験するそういう授業をたくさん入れていくことが好きにつながっていく。ただ、指導の系統的な部分もあり、バランスがすごく難しい。

○ 国際調査において、日本の生徒は理科が「役に立つ」とか「楽しい」との回答が国際平均から見て低い。日常生活に役に立つという部分、理科で学んだことを活用し生かすということになると、他の国とは異なり日本の場合は、保健や家庭科、技術・家庭科の技術分野などがあり、子供たちはそれを理科の内容とは思っていないため、「役に立つ」という数値が他国より下がっていてもやむを得ない部分はあるのではないか。むしろ、子供たちの「好きだ」や「大切だ」などという項目が国内で上がったか、下がったかをしっかり見ていかなければならない。

○ 小学校3年から理科の学習を始めて、3、4、5、6の4年間で小学校の内容をやろうとすると非常に厳しく、3年生の導入は緩やかでも、5年、6年になると急激に小学生にとっては内容が難しくなるので、初めは好きだった子が嫌いになっているのではないだろうか。徐々に科学的な物の見方が身に付くような科目に変えていく、緩やかに小学生に理科を学ばせていくことを考えてもよいのではないかなと思う。

○ 子供たちの中に、小学校から中学に上がると、理科が好きで理科が大切だと考えている子供の人数が減るということを考えると、なぜ理科を学ぶのかということを丁寧に、学年を追って盛り込んでいく必要があるのではないかと思う。

○ なぜ学びたいのかということ、そして周辺にある身の回りの現象、自分たちの将来などに結び付けられるような働きかけ、表現、プログラムの工夫が教員や教科書や学習指導要領の中にあることが必要だということではないか。

○ 理科は暗記科目と思っている子供が多い。そうではないのだよと言っても、覚えることが多いと言う。教材に対して面白いと感じさせることが一つあると思うが、学習内容に関して、子供たちの関心とか意欲が持てるような整理をしていく必要があることと、探究の過程の面白さを感じさせる、こういうふうにやっていくと、考えることは面白いじゃないかということをどういう伝えていくのかという、これら2つのことが探究活動をする上で重要で、理科の有用性を認識するための解決の方策になるのではないか。

○ 深い学びというのが小中高の先生方にとってイメージしにくいのではないか。特に若い先生方が、活動ありきのアクティブ・ラーニングと捉えないようにするためには、深い学びも示していく必要があるのではないか。

○ 子供たちが身に着けた資質・能力が、将来理科に関わらない職業に就いても、生きていく上で役に立つという視点を持たせたい。学習の中で、学習した知識、身に付けた思考力が、将来役に立つと確認する作業を行う必要がある。教員は様々な授業改善をしていくが、それが子供にとって適切かどうか、意欲的に取り組んでくれるかなどを押さえておかないと、教育現場では空回りしてしまう可能性がある。

○ 中学校1年生は学習内容が多いので、この内容量で今後、探究的な授業、学習過程を組み入れていくことには非常に困難さがあると考えている。いわゆる歯止め規定がなくなっているので、実際には学習指導要領が想定しているよりも学習量が増えている。そのあたりの整理をしていかないと、学校現場では子供たちは考えるよりも、教員が答えを先に教えてくれた方が早い、というようなことになりかねない。

○ 物理基礎という科目では、幅広くいろいろな物理的な内容を取り上げて、教養を付けたり、日常への応用を知っていく。それらを盛り込んでいる結果として内容や量が非常に多くなっていて、現場で指導しにくいという実態がある。

○ 基礎の付かない物理については、指導者が一個一個の項目について、なぜそれを教えなければいけないのかというのを考えずに、教科書に書かれていることを網羅的に教えようとする結果として、非常に時間がないということが起こっているので、学習指導要領を作っていく際には、どこがどういう意味で柱となっているのかということをもう少し明確に打ち出していかないと、現状、若い教員が増えてきて、各単元が持つ意味合いというのをよく理解して授業ができなくなっているということも考えた書きぶりが、どうしても必要になる。

○ 基礎の付かない物理としては、内容が減ることはよろしくない。学ぶべき内容というのは明確にするべきで、今よりも後退することなく、それが時間内に教えられるような教科書なりが作られるような学習指導要領にするべき。

○ 内容をうかつに削減すると、思いもよらないところで間違った概念を誘導してしまうという例があるので、慎重に議論していきたい。

(体系性)
○ 小学校・中学校の連続性は付いてきたと思うが、次の改訂では、高校とのつながりが大きな課題になると思う。高校の場合、習熟度的に見ると基礎的な学力を付けることが課題になる学校もあれば、SSHのように研究者に直結するようなところもあるが、共通なことは、科学は学ぶ価値があることだということを理解させること、科学的な探求の方法を身につけさせることである。そのための指導を小学校・中学校、高校でどうするかという議論が今回大切ではないか。

○ 物理では、物理基礎から必ず始めないといけないのだが、体系的に物理を学習する中で、理系で応用のレベルに進もうと思う子供たちにとっても、目標としているようなことが身に付けばよいわけで、学習内容や項目がもう少し自由に構成や展開ができて、自分の学校の生徒に相応しい到達目標が設定できるような学習指導要領にならないのかなという気はする。

○ 小学校で培ったものを中学校で活用していく、中学校で培ったものを高校で活用していくというスパイラルなつながりというのがすごく大事になるのではないか。

2.アクティブ・ラーニングの三つの視点を踏まえた指導等の在り方について

(アクティブ・ラーニングの意義)
○ 今回の改訂のポイントの一つである「アクティブ・ラーニング」の意義を明確にする必要があり、これまでも意識のある先生方は、「こういうことはこれまでもやってきた。科学のアプローチとして当然のことである。」と受け止めると思う。新しく「アクティブ・ラーニング」という概念を導入するのであれば、何をもってアクティブ・ラーニングで、そして、これ以上のどの自由度が先生たちに与えられるのか、どういった指導の裁量が与えられるのかということまで考えて、提示する必要がある。

○ 「アクティブ・ラーニング」と今までのものとの違いをはっきりさせるとなると、問題発見するためにはどんな能力を育成しなければいけないのか。解決方法を自分で見出すためには、どんな能力を育成しなければいけないのか。協働的学びだったら、みんなで役割を分担したり話し合ったりするときに、どんな話し合い方をしなければいけないのかを論じないと、新しさは出ないので、それをこの会議でやるのか、あるいは、もっと具体的なレベルでやるのかという問題である。

○ アクティブ・ラーニングの本質論を議論したい気持ちは重々分かるが、この会議では、それが昔やっていた理科の問題解決とどこが違うのか、探究とどこが違うのかを見極めることが課題であり、理科としては、ここが違うのだというのを示しながら、1回1回の会議を積み重ねて、分かりやすい図にしていく必要がある。さらに、委員の意見を集約し、その図自体が独り歩きしても誤解が生じないようなものにしていくことも大切と考える。

○ アクティブ・ラーニングがこれまでと何が違うのかということが現場の先生に分かりやすいように伝わらなければ少し混乱を生じるのではないか。アクティブ・ラーニングで大事なのは、独りではなくて、他者と協働して行う、問題解決、集団解決を行うということを強く意識するということが大事なのではないか。

○ アクティブ・ラーニングに関しては、活動面、行動面、態度面だけではなくて、内容とリンクして取り上げないと、形だけがひとり歩きしてしまう。内容と連動したアクティブ・ラーニングを考えていかないと、アクティブ・ラーニングを総論だけで語り過ぎると、袋小路に陥ってしまうのではないか。

(指導法との関係)
○ 観察、実験をしていれば表面的にはアクティブ・ラーニングに見えるがそうではない。学校現場では、脳の活性化のスイッチを入れる大切な段階の「問題への気付き」、「予想や仮設の設定」、「実験計画」あたりをスキップさせ、先生から与えられた課題に基づいて作業のようにこなす実験が少なくないのではないか。教師が子供に自然事象に関する疑問を持たせた後、条件をこう変えれば結果はこうなるだろうという作業仮説を子供に考えさせて、観察、実験に取り組ませれば、子供たちは議論しアクティブ・ラーニングになっていく。見た目の学習形態だけにとらわれないよう、問題解決や探究の能力を育成するという理科の本質にせまる指導の手立てを明確に示していくことが大切である。

○ 教師が中心になって、アクティブ・ティーチングをしている可能性があるのではないか。子供が自分の考え、予想や仮説、それを解決するための学びを積み重ねていくようにすべき。中学校の先生は実験に力を入れているが、子供は小学校から半分以上の落差で実験が嫌いになっている。それは子供の実験ではなく、教師の実験になっているのではないか。

○ 子供たちが探究的に学習をしていく場合、どういうふうに探究すればよいのかなかなかつかめないし、教員の方も伝え切れない。子供たちに科学的な探究活動をさせるなら、教員自身が論理的に考えるというのはどういう活動なのかということを押さえていかないといけない。

○ 仮説を立てさせる、予想を立てさせることではなくて、自分の問いを何か現象でみんなに説明したいのだというために、実験・観察するというところまで追い込まないといけない。子供自身がアクティブ・ラーニングで言われているように主体的になるということは、自分はこんなことを説明したいのだ、こんなことをみんなに知ってほしいのだというところまで追い込まないと、どれだけ問題解決のプロセスを緻密にしてもだめではないか。

○ 資質・能力の育成のための学習過程では、特に子供の思考が活性化して、集中して問題に取り組む状況があることが重要。授業中に積極的に自分の考えを他者に伝えたり、また、他者の考えを聞いたり、一緒に学び合うような場面があることが重要で、そのための指導法の一つとしてアクティブ・ラーニングというのがあるのだと思う。生徒が思考し発信する、そういった生徒中心の授業に改善することが重要。

○ アクティブ・ラーニングのアクティブというのは、子供の思考が深まったり、転換したり、変化したりして、重み付けになったり、新たなことを発見したり、新たなことを感じたりするのだろうが、そこがおもしろくなるような授業をしないとアクティブではないのではないか。どう考えを自分で実感して、変容を感じたりしているかということが重要ではないか。

○ 協働の学びが確かにアクティブ・ラーニングを支える一つの基盤とは思うが、独りでやってもよいようなところは独りに任すべきではないか。みんなでやっているから分かっているのだとつい考えてしまい、いざ子供達に問うてみると、意外と分かっていなかったりする。振り返りなどで、一人一人がもう一回自分の学習を考えてみる、そういうところにも配慮したアクティブ・ラーニングを今後検討していく必要がある。

○ アクティブ・ラーニングを重視した学習プロセス、学習過程というのは、これまで丸暗記だけで終わってしまったかもしれないものを、自分の頭の中を整理して、文や図で書くということで、自分の考えを外化した後で外言化し、更にほかの人に伝わるような言葉にまた再構成するということと考えている。理科において、それが特徴的に発揮できるのは、探究活動、あるいは問題解決学習と考えている。

(学習成果との関係)
○ アクティブ・ラーニングは、課題発見、課題解決、体験学習、調査学習、ワークショップ、ディベート、グループワークなどいろいろあると思う。そういったことを学習のプログラムとして設計し実施していくには、非常に教員の多くのディスカッションや緻密な設計が必要になる。また、どういった力を体得させ、何を出口にするかということの議論のコンセンサスがないとできないことだと思う。

○ アクティブ・ラーニングについては、まず中身が大事であって、それをやるのにいろいろな手法がある。あるときはレクチャー形式になるときもあるだろう、あるときはみんなで考え抜いて、原因とか理由を考え抜くという場面もあるだろう。そういうものを織り交ぜて教員はやっている。そのときに、中身が定着したかどうかを正しく測ることを必ずやらなければいけない。

○ 理科の授業というのは、子供たちに素朴概念ではなくて、科学的な概念に変容させることが大事だと考えており、その中で、役に立つ指導の方策の一つがアクティブ・ラーニングである。小学校、中学校もアクティブ・ラーニングを積極的に取り入れた授業展開をされているが、本質的に子供たちが概念を変えているかどうかといったところは検証の必要があると思うし、国際的に活躍する高校生、中学生、小学生を育てるとき、科学的な概念がきちんと身に付くような、そうした指導をしたいと考えている。

(指導体制、支援方策等)
○ アクティブ・ラーニングを積極的に推進しているベテランの先生方が退職を迎えた場合、それをどのように若い世代に伝えていくか、そこが改訂後の学習指導要領、アクティブ・ラーニングがうまくいくかどうかについての鍵を握っている。

○ 小・中・高の教員のアンケートで指導のどこに課題があるのかということを調べたときに、小学校の先生は考察や仮説を立てることに抵抗感がなく指導法とリンクしているが、中学校や高校の先生はその割合が2割から3割ずつ減っていく。そういう手法と問題解決の能力とがリンクしていない。小学校の学び方を、中学校や高校の先生たちも共有化し、小学校の授業スタイルをそれぞれの指導でどう生かして使うかを考えていくべき。

○ 観察・実験を子供たちが計画して実施するときに、例えば化学の実験の場合には、非常に制約がある。子供が考えてきた実験をやったらとんでもないことになるなとか、救急車を呼ぶような事態になりかねない。そういうことが予想されると、教員が「この実験は無理だよ」と手を入れてしまう。どういう実験ならよいのかの例を学習指導要領解説に書くと、全国でこの例をやらなければいけないのではないかということになってしまう。そのような例については、例えば国立教育政策研究所が別途、事例集として出せば良いと思う。小学校は若手の先生が非常に増えてきており、多くは文系の先生なので、実験をやろうとしても困難さがある。そういう先生方には理科で資質や能力をどのように育成するかといった授業展開だけでなく、観察・実験の実技研修の充実も必要である。

○ 探究活動がなかなか学校でやられていない現状があって、それは、指導の方法が分かりにくいのが1つの大きな原因だと思う。「協働的な学びの例」ということで、学習の活動として、生徒同士の意見交換や議論が学習のスタイルになるというようなことが書かれていると思うが、指導者の関わり方とか、指導する者がこの中でどういうふうに生徒たちに何を提示していくのかという部分が必要ではないか。

○ アクティブ・ラーニングの手法を使いながら、こういう過程を使って、生徒たちに示していこうと思うならば、もっと教えるべき中身をもっと考えていかないと、現場の教員としてはとても難しい。

○ 現場の先生方にそういう具体的なにこのように進めればよいというようなモデルプラン的なものを学習指導要領と別枠で示していくことが必要であり、それにより先生自身が自己評価できるようなものというのが大事。

○ 資質・能力観から学習指導要領を考えていかないといけない。そこでは、こういうふうなやり方があるというモデルを示さないといけない。モデルを示すと、それだけやればよいのかと捉える人も多く存在するという指摘もあるが、それが新しい考え方なら、モデルを提示しても良いと考える。

○ 学習に対するコンテンツは非常に豊富に用意されたものがあり、それを使って理解が深まっていくような教材が整備されるようになっていくとよい。

○ 教材の価値・意味が先生方の授業を構成するときに希薄になっていると思う。内容を編成するときに、教材の内容系統と能力・資質論で二つの軸で教材の価値・意味をもう一回考え直さなければいけない。

(評価との関係)
○ 評価の目的のために、子供の姿を見る視点としてこの3観点があるという捉え方、これを先に出すのではなくて、そういう目的のために子供を見つめる視点が三つ、この三つの視点であるというような書き方をした方がよい。観点が走り出してしまって、こればかりが今の現状であるので考え方を付記した方がよい。

○ 提案された高等学校の理科の評価を見ても、たくさんの要素が含まれている。問題を見いだす、探究する、考察する、考えを的確に表現する、この四つの要素全てが評価されて初めて思考・判断・表現の評価になる。現場ではこの一部分だけを取り上げて評価しようとしてしまったりすることが起こり得るので、どう現場で扱えばよいかというところのアイデアを出せると、やりやすくなるのではないか。

○ 評価に振り回されて評価のために授業をしている現実もあるのではないか。この現状を何とか改善させないといけない。何のための評価なのかを再確認する必要がある。

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