資料1 外国語ワーキンググループにおける主な意見

1.小・中・高等学校を通じて一貫して育成すべき外国語教育における資質・能力について

(1)育成すべき資質・能力の可視化
○ 次期学習指導要領改訂の方向性を見据えると,路線は今と大きくは変わってないと思う。育成すべき資質・能力の三つの柱についても,現行のものを更に高度化していく,発信能力を少し高めていくという方向性を求めていくということであって,今の路線をしっかり定着することに力を入れていただきたい。

○ 発信に関して,伝え合う,あるいは表現をするということだけではなく,考えながら読んだり,考えながら聞いたりすることも非常に大事な要素。4技能総合的にといった場合には,表現を支えるものとして理解の力もしっかり付けていくことができるとよい。
 
○ 小学校では相手意識,他者の尊重といったことは資質・能力を高めるということで,非常に大事な視点ではないかと考えている。国語教育の中でも,言葉で大事にしましょうね,お互いを大切にしましょうねと言っているが,その具体化がなかなか難しく言葉だけに終わっていた部分もある。一方,特に外国語活動では,言葉ができない分,あえて身振り手振り,あるいは笑顔や,お互いの目を見合うとかいうことがあるのではないかと考えている。

○ 外国語教育に求められる資質・能力として,「小学校では相手を意識しながら」,「中学校,高等学校では他者を尊重し,聞き手,話し手,読み手,書き手に配慮しながら」という視点が非常に大事である。いろいろな子供が公立高校に在籍しており,相手を攻撃するなど,やりとりすることが難しい子供が現実ではいるので,相手を大事にしながらやりとりすることができる能力が,コミュニケーションの一番大事なことであると考える。そのような観点から小学校から大切にしたコミュニケーション能力を育成すべきだ。

○ 小・中・高を通じた目標及び内容の主なイメージにおいて,小学校高学年も,中学校も,最後の部分は「コミュニケーション能力の基礎」,「コミュニケーション能力を養う」になっていて,小学校は「聞くことや話すことなどの」が付き,中学校は終わりの部分だけ取ると「簡単な情報交換ができる」となっているが,無機質な,ただのやりとりで終わるのではなく,中教審の論点整理の思考力,判断力,表現力にも提示されている,相手の考えに共感するという点や,協力しながら問題を解決するという情意的な面があってのコミュニケーションが重要である。求められる資質・能力を明確にするため,そのようなことを目標には含めていくべきではないか。

○ 中学校のところの目標は「身近な話題について理解や表現,情報交換ができるコミュニケーション能力を養う」,「互いの考えや気持ちを英語で伝え合う対話的な言語活動を重視した授業を英語で行うことを基本」とするなっているが,CAN-DOリストの話が話題になっているときに教員や一般の人が初めてそれを見たときに,「何々ができる」という技能の面が非常に前面に出ていくような感じがある。それはそれで大事だとは思うが,教育の観点から見ると,英語で伝え合うための,コミュニケーションのベースとして,一つは心情的な部分も意識する必要があるのではないか。例えば,相手を思いやるとか,相手を尊重するとか,そこが抜けてしまうと,英語が単なる技能のみのものになってしまって,教育と離れていく気がする。そのような文言が入ればいいのか,ニュアンスをどこかで解説するか。一つイメージとして持つべきだ。小学校の目標も,「友達に質問したり質問に答えたりできるようにする」で終わるのではなく同じような趣旨になるのではないか。この点が改訂の大きなポイントの一つになるのではないか。

○ 高等学校においても情意面は非常に大事である。学習指導要領においては,それが小・中・高等学校を通じて培われていくことで,更に高い意味での思いやりや,人間関係を構築できるという点を表した方がよい。高校のところで目標例があるが,討論,議論が強調されるだけになると,相手を攻撃するといった感覚で捉えるディベートとの意味合いとは違うということが分かるように明確にした方がよい。イメージではコミュニケーションという言葉が出ていないが,更に高いコミュニケーション能力を養うとした方がよい。

○ コミュニケーションという言葉は「お互いがお互いを理解し合うということ」を含めてコミュニケーションになるが,一方通行だとコミュニケーションにならない。お互いが本当に思いやりながら,お互いの考えていることを相手に伝えようという努力,そういう気持ちが含まれないとコミュニケーションにならない。非常に大事なので,場合によって解説書などに,きちんと明記する必要がある。コミュニケーションと言うと,しゃべっていればコミュニケーションになるという感覚がどこかにあると感じる。

○ コミュニケーション能力とても大切なことで,子供たちの情意面ということを考えていく必要があるが,CAN-DOで求めるものをどういうように設定するかというところをきちんと整理しておく必要がある。つまり,これは英語を身に付けさせるスキルとして考え,その周辺にコミュニケーション能力,あるいは情意面がある。いわゆる学力の三要素,主体的に学ぼうとする態度,知識・技能,思考・判断・表現とどのようにつなげているかということも考えておく必要がある。CAN-DOで示す枠は,技能の部分なのか,あるいは思考・判断・表現なのかの整理をしなければならない。CAN-DOで示すところは英語の付けるべき力であると的を絞ってもいいのではないか。

○ 学習指導要領は法的なものであり,全ての生徒に身に付けさせるものであると考えたときに,学習指導要領と,CAN-DO形式での指標がどのように関連するのか。全ての生徒に与えるべきものとして書かれるべきなのか。CAN-DOがいわゆる汎用的な枠と捉えれば,学校の中である程度付けることもできる,別々のものを作るという形もできるが,そこのところの整理も必要ではないか。

○ 情意面などに関する記述は,CEFRのCAN-DOリストの前提になるような,どのような能力を捉えるかという解説部分に出てくる。バーティカルとホリゾンタルというディメンションがあると思うが,ホリゾンタルの方に様々な,構成上,CAN-DO自体にはホリゾンタルの方は5技能しか出ていないが,そこにはもっと内容面や,少し語用論な能力,先ほどの文化や異文化への理解と,互いに対する関係を作っていくような気持ちなどは書かれている。ただ,CAN-DOとして二次元の表にしてしまうと,そこに全部を盛り込めないという形なので,別にいろいろな文言の説明があると整理されている。言語機能を見ると,その中に言葉の機能として,例えば相手に同情を示したり,残念だと言ったりという機能があって,かなり情意面と関係するような表現類も言語機能的には入っているので,その辺りなどは指摘されたような面を強調するとすれば,うまくそういうことを表現としても身に付けていくことが可能ではないか。

○ 教科等の目標については,現状の目標がいわゆる方向目標というか,こちらの方に向いているだけで,到達点が見えないという点であいまいな部分があるのではないかと思う。分かりにくいというのもあるが,小・中・高等学校でよく見ていると,素地,基礎,基本と変わっていったり,身近な話題,幅広い話題は何が違うのという部分があったり,そういう意味での分かりにくさや,素地と基本を英語にすると同じファンデーションではないのか,そういう言葉遊び的なものが現状ではある。もしコミュニケーション能力という言葉を使うのであれば,それはどういうことなのかということがどこかで注書きされていないとまずいのではないか。皆さんが御懸念されているようなことはその部分で書けるので,必ずしも目標の中に書き込む必要はないのではないかと思う。

○ そのような意味で,シンプルにするというのは,言葉遊びでシンプルにするのではなく具体性を持たせてとなると,やはりどこかでCAN-DO的なことが,この中で書き込むのは難しいにしても,どこかにちゃんと説明がないと,教員養成課程の学生に分かるようにならなのではないか。それから,全て「できるようにする」という書き方になっているのが気になっている。今,アクティブラーニングという話があるので,教師用のCEFRレベルの記述であっても,主語は「生徒が」というニュアンスで,「できるようになる」という書き方の方がいいのではないか。受信型CAN-DOの書き方について,投野委員のお話だとCEFRでも「何々が分かる」という書き方になっているということだが,「何々が分かる」というのはどういうレベルなのか測定するのがすごく難しいので,やはり「概要を説明できる」とか,「詳細を説明できる」のようなアクションワードを使うことは可能なのではないかと思う。その方が現場の先生には分かりやすいのではないか。

○ A1とPreA1のギャップの大きさというのがどうしても気になる。中学校1年生のレベルを少し下げるのか,あるいは逆に小学校6年生のレベルを上げる,それで読み・書きが小学校6年生でかなり導入されないと,このギャップは埋まらないのではないか。

○ 日本の英語の教科書は薄いということで2008年のデータとこれは前から思っていて,恐らく現状でも,少なくとも中学校,高校の教科書はかなり総語数が少ないと思う。できれば次の学習指導要領では,最低限,総語数何語以上と,小・中・高で提示するような方向性を考えるべきではないか。

○ 資料に,現状の「Hi,friends!」とCEFR-Jの枠組みのPreA1からA1.3のレベル,つまりA1レベルぐらいまでがどのように対応しているかを調査した表がある。PreA1とA1の関係が気になるという御意見があったが,実際のCAN-DOで「Hi,friends!」の項目にどのように対応するかを調べてみると,オリジナルのCAN-DOはCEFR-Jの一般的な記述としてディスクリプターを書いているものと,小学生用に具体的に提示するイメージで作成した例を見ると黄色くハイライトされているのは,「Hi,friends!」で実際に扱われている。余り細かくCAN-DOベースでは作られていなため,言語活動的に対応すると思うところを張り付けた結果。汎用枠的なものを基に考えると,やはり聞くことと,やりとりと,発表に黄色が多い。そのようなオーラルスキルというか,そういうものを中心にやっていて,読むことと書くことはほとんどされていないということが現状で分かる。小学校5・6年で活動としてやっているのに,内容としてはA1のいろいろなCAN-DOの項目がかなり幅広く取り上げられている。中国や韓国の教材の調査をするときに,小学校レベルはPreA1と規定したが,CEFRの方ではPreA1という規定がはっきりはなく,A1レベルのことを様々に,いろいろやっているうちに大体あのぐらいになるような感じなので,ゼロのポイントからどうやるかという具体的なイメージはCEFRの方も余りない。そういう意味で,現状では,A1レベル全般のことを取り上げて「Hi,friends!」が作られているということが見えてくる。この辺りについてもう少し学年配当みたいなことで考えると,少しバランスを考えることと,最初はオーラル技能から,だんだんと文字を入れるようなことを,こういう指標形式の汎用枠を基にまずは考えて,どういう段階で出すのがいいかということを今後,考えられていけばいいと思う。

○「Hi,friends!」でやっていることも,CAN-DOで指定していることの具体例にはかなりなっている。CAN-DOのヨーロッパでの実践でいくと,ポートフォリオという形で実現して,指標という形式で小・中・高全体に一貫する何かができたときに,それをもう少し生徒向けに分かりやすい言葉やイメージで,言葉はこのように身に付いていって,将来,あなたはこのようになりたいかなというような,言葉を身に付けてコミュニケーションできるようになっていく,英語でできることのロードマップみたいなものをもう少し上手に見せてあげるというのが一つだと思う。例えば,自分はどこまで行きたいかとか,どのようになりたいかということを含めて,目標のイメージをちょっと膨らませてあげる。でも,自分は現状ここにいるから,どんなことをしなければいけないかということを,英語の授業以外にも自分でプランニングしていくような力を将来的に付けていくことが望ましい。

○ 小・中の接続をどうするのか,同じことは中・高でも言えることなので,やはり高校卒業段階で平均的な生徒はこういうことはできるようになって,あるいは他人への思いやりも含めてそういうことができるようになるという設定がまずあって下ろしていかないと,高校は高校,中学校は中学校,小学校は小学校と整理すべきではない。どのような接続の仕方がよいのかということも考えるべきだ。他国の場合,中学校1年生と,日本で言えば小学校6年生の接続で,同じレベルの単語が出てくるが,使い方の深度が中学校では深まるといった理念,ビジョンがあって話をすべきだ。

○ 小学校の先生は中学校の英語で何をしているか,あまり御存じない,中学校の先生も高校の学習指導要領を読んだことがないという状況がある。また,それぞれがばらばらで上のところを目指しているという状況があって,中学校の上の部分と高校の下の部分が接続されていないということがある。学習指導要領作成の段階でそのようなことを想定して,英語教育でどこを目指していくかというところはある程度一体的な内容になっているものという形で,小学校段階,あるいは中学校段階でも,きちんとゴールが分かるような示し方ができればよいのではないか。

○ CEFRが5技能に分けていること,現状の学習指導要領及び評価の観点でいくと外国語表 外国語理解と分けているが,実際のコミュニケーションで言うと,4技能の統合的な活用というものが言語活動の中では重視される。指標形式の目標としては5技能で示しておいて,その組合せの活用で言語活動を工夫するという書き方もあるかと思うが,技能の統合的な活用についても十分配慮する必要がある。

○ 課題1として,理屈をきちんとした上で段階付け,小学校から高校までのカリキュラムを作っていくという一つの目標があると思う。もっと難しいのは,課題1をやりながら,同時に課題2を考えないと,課題1の議論が無駄になる。具体的には,課題2は指標形式の全般的な目標の見せ方をどうするか。結局,このカリキュラムはどうなのかといったときに,複合的なものが余りあると見えにくい。どうなるかというと,例えば語彙の判断があって,語彙リストが見せられると割と単純化して見てしまう危険性がある。CEFRも結局,大きな目標の次のタスクと語彙,それから文法,ひも付けされたものができてこないと教科書にもしにくいし,先生は何をしたらいいか分かりにくい。こういったときに,それをどう見せるか。語彙の表に一貫して流れる骨格は何なのか見えるようにした方がよい。タスクベースが理想的だが,そこまでは無理だと思うので,例えば語彙,文法リストがあると,恐らく皆さんはそこに目が行ってしまう。どうなるかというと,語彙の勉強の仕方として,今,高校生は単語リストを電車の中で読んでいる。高校の先生の授業を見ても,最初の5分で「OK, please repeat」と言って単語だけを文脈なしでリピートする。それが大きな問題なのは,説明のあった最重要語の100語をきちんとやりましょうといったところにもつながる。その100語をきちんと学ばせるには,やはり英語で授業をやるしかないと思う。一方的に100語を使ってプロダクションしましょうと言ったところで身に付かない。やりとりをしながら,他の生徒がその単語を使うのを聞いて,生徒自身が使うのを自分で聞いて,先生が言うのを聞いて,いろいろな方向からやりとりしないと学ばないのではないか感じる。

○ 情意的な面について,強調するのであれば是非入れたい。例えば,14ページの課題2のすぐ上のブリットポイントの下から2番目について,「簡単に話す」という代わりに「相手にわかりやすい表現を用いて」とか書くときには相手が分かりやすいようにとか,どういう表現になるか分からないが,研修講座をやっているが,先生方はどうやって研修を選ぶかというと,タイトルしか読んでくれない。せっかくいろいろ説明しても読んでくれない。ということは,見る側がどう見るかということも想定しながら,この指標を見せることを考えないと,やはり私たちが議論したものがうまく伝わらない。

○ 最重要語の100語を学ばせることについては,ガイドライン,あるいは学習指導要領の中に,テキストや教科書でこういうタスクをやるのではなく,その趣旨が教員に伝わるように教員がこういうことをしてくださいという規定が必要である。

○ いろいろなレベルの考え方が入ってくるが,CAN-DOの中にも情意面や,そういうものをファンクション的な形で取り入れる可能性はあるので,具体的なCAN-DOの中にも何らかの形で触れるということは可能かと思う。

○ 先ほどの「できるようにする」とか「できる」という表現については,英語だけではなくて全教科に共通するもの。できれば,全教科で考えていかなければいけないものなので,これは総則・評価特別部会か,小学校部会で,その辺を統一していただけると大変有り難い。小学校は1人の担任が全教科を指導する場合があるので,そのときに一つ一つの表現が違うなど,細かいことがあると,担任レベルでなかなか消化できない部分がある。これは,今,あったように心情面もそうである。コミュニケーションというのは全教育活動,早く言えば徳育は全教育活動を通じてやる。英語だけではないので,例えばある単元のこの部分については心情面のコミュニケーションを図るというなら分かるが,全教科を通じている部分についてはもっと大きなレベルで御議論いただいた方がいいと思う。

○ CAN-DOリストについてしっかり整理して,その中でどうしても心情面ということであれば,きちんと議論することが必要か。全部組み入れていくと複雑化してしまって,現場に下りてきたときに先生方に全く見えなくなるという現状が時々ある。特に小学校については,全教科をやっていくときにどれがどれだか分からなくなることがあるので,そういう部分も含めて御議論いただけると有り難い。特に小学校の立場でそのように思う。
評価の在り方も,例えばこれまでの5・4・3・2・1とか記述というよりは,計数的な評価,あなたは話すことではこういうことができるようになりましたというような学習履歴が残っていて,それが小・中・高でつながれていくという形もあるということか。

○ CEFRの場合は自己評価。まず,大きな枠を基に,自分はどこまでできるようになったかという自信などをCAN-DOベースで自己評価する。また,パフォーマンス評価を組み合わせてポートフォリオの中で整理して受け継いでいく。できれば小学校から中学校はそういうものを,個人的に私はこんなものを勉強してきましたということを先生が受け取って,あなたは大体このぐらいのところにいから,こういうところはちょっと弱いから補強しましょう,ここから先は今のカリキュラムで大丈夫など受け渡していくことができれば一番いいと思う。
どこまでの内容を,どこまできるかというのは非常に大変だと思うが,少なくとも自己診断に関するものではある程度できるかもしれない。ただ,やはり自信度の問題を考えると,学習指導要領に書けるかどうかは別として,教育の一つの流れとして十分考える必要性はあると思う。

○ 上になればなるほど個人差がものすごく出てきてしまって,共通の高校を卒業したときにはこういうことができるようにしましょうと言っても,それに当てはまる生徒が一体何人いるんだろうかということは大きい。そうすると,そこに当てはまらない生徒は一体何を目標にしてやっていくのか。結局,ボトムアップ式に,そこで先生が設けた目標を達成するしかなくなってしまうのではないか。その辺の問題をどのように考慮しながらやっていくか。理想は当然,ここが目標なのだから,そこまで行くのには高校でここ,ここまで高校でやるのであれば中学校はここ,そこまでやるのであれば小学校はこことやっていくべきでしょうけれども,なかなかそれは難しいと思う。
高校になると商業,工業などがある。中学校までは同じ義務教育の中で目標もそれほど変わらないかもしれないが,高校になって変わっていったときに,果たしてどこに目標を設定するのか。その辺のことも全部考慮しないと,上で設定したものがそのまま下におりてくるというのは保証できない,難しい点であると思うが,何らかの形でその辺がクリアできれば,大変理想的でよいと思う。

○ 小・中接続,学校現場を見ていて,やはり小学校の教員が中学校の実情を知らない,その逆も,もうどこへ行っても強い。小中一貫校の校長をやっているときに,本当に簡単なことだったが,どういう題材を扱っているかを各教科で小学校1年から中学校3年まで,一言,二言ずつだが,書き出させていくと,例えば算数と数学は小学校3年で扱ったものが,中1でもう一回発展的に出てくるということが見えてくる。そういったものが何か学習指導要領にあるかなと思って見たら,国語や理科の解説には載っている。あのような一覧表形式のものを一つ学習指導要領の中で組み込んでいくことができると,接続の意識は変わってくるだろうと思う。

○ 英語の中でもちゃんとその辺の継続性,継承の文言だとか,そういうものもきちんと整備していくことが絶対必要

○ 英語の場合,この国の指標形式の目標を小・中・高の学習指導要領に何らかの形で添付していただければ,自分たちがどこにいるか,例えば小学生がこれを見たときに,自分は小学生だからここまででいいというわけではないと認識するなど,今は,高校レベルにあると認識しながら家での学習を行うことが可能となる。そういう意味ではできると思うので,これを小・中・高等学校高それぞれの学習指導要領に載せれば問題はすぐに解決するようと思う。

○ 学習指導要領の法的な関係で,最低基準ということで示されてしまうと,高校レベルの文言が本当に最低基準と捉えられるとちょっと誤解を招くので,どういう入れ方をするか,小学校からの流れを可視化するというのは非常に大事だと思うが,入れ方は非常に難しいという感じがする

○ 10年,20年後のグローバルビジネスの展望を踏まえ,現在の新入社員の最も弱いところ,不足を感じるところはどこかという議論をした場合,すぐに正解を求める,また最初からやり方を聞きたがるということで,自分で試行錯誤をして自分なりの回答を見いだそうとする姿勢が足りないこと,自分の考えや思いの発信力が弱いこと,リベラルアーツが弱いこと,の3点が大抵挙げられる。これらについても,小・中学校から継続的に育成していかなければ,会社に入っていきなりそのような態度が身に付くということはないと思うので,是非重視してやっていただきたい。


(2)外国語教育において求められる資質・能力について

○ 資料1の「学習指導要領等の構造化のイメージ」について,全ての教科でこの三つの「知識・技能」,「思考力・判断力・表現力等」,「学ぶに向かう力,人間性等」で考えていこうということで,これは現行の学校教育法30条の2項を踏まえ,この流れはずっと引き継がれてきているものだということを確認しておかなければならないので,この図を新たに描き替えたりしないようにすることが大切である。

○ この2ページ目のたたき台について,ベースとなる出発点として,なぜ4技能をバランスよく総合的に身に付けなければいけないのか,なぜ今,英語力が求められているのかということについての前段があった方が,より分かりやすいのではないか。産業界において,なぜ今英語によるコミュニケーション能力を強調しているかというと,新興市場国に行って,実際に現地の社会のニーズや要望を踏まえた商品やサービス事業を設計して,それを現地の顧客や従業員と協力しながら組み立てていって成功させなければいけない中で,英語を使って,お互いの要望を聞いて,話合いの中でお互いが納得できるソリューションを見いだしていかなくてはならないという現実のニーズがあるからである。まさに最終的に英語を使ってどういうことを目標にしていくかというイメージがあった方がより分かりやすいのではないか。

○ 日本の学生の約8割以上が大学,又は専門学校に進学することを考えると,高校卒業段階で実際に終わるわけではなく,例えば産業界から求められる英語力ということを考えた場合,その後に大学の4年間,若しくは専門学校の4年間という段階があるということを考えると,小学校の4年間と中・高校6年間と,それからその後の大学等の4年間の計14年間という形で英語教育全体を考えて,社会に出るときにどれぐらいの英語力が求められるかということから逆算して,各教育段階で達成すべき能力というのを考える視点が必要ではないか。また,そのときには各学校段階の接続,小学校と中学校,若しくは中学校と高校の接続も必要であり,また高・大接続の観点というのも必要ではないかと思う。

○ 地域の学校教育において,チーム学校,地域の力を活用するということが話題になっている。地域社会にも,海外で活躍されている企業やNPOの方,スポーツマンで国際的に活躍されている方がいるので,そういった方の力を活用し,英語を使って何ができるようになるのか,英語が使えると生活がどう変化して,また人生,知識や見方が広がるのか,自身の活躍の場がどう広がるのかといったことを生徒に伝えていけば,なぜ英語を勉強しなければいけないかということに対する意欲が高まり,ひいては,授業時間以外にも,個人の学習意欲が高まるということになるのではないか。

○ 外国語教育に求められる資質・能力の3本の柱の「積極的に」という文言があることについて,外国語活動の小学校に「積極的に外国語を聞いたり」,その右側に「積極的に友達に質問したり」ということと,外国語の小学校の方に「積極的に外国語を読んだり」また,中学校と高等学校は一番右の「学びに向かう力,人間性等」の欄に「積極的に」という言葉が入っているが,これが分かりにくい。積極的に外国語を聞いたり話したりするというのを個別の知識や技能の中にこういったものを入れるべきなのか,一番右の「学びに向かう力,人間性等」の欄のところに全て「積極的に」というのを置くべきなのかというところの「積極的に」という情意面のところをどうするかを整理する必要があるのではないか。

○ 「思考力・判断力・表現力等」における「積極的に」というのは,傾聴するという意味合いや,積極的に関わるという意味で使っていると思う。コミュニケーションは必ずしもいつも積極的である必要もなく,場合によってはコミュニケーションを避けるという手段も必要になると思うので,特に一番右の「学びに向かう力,人間性等」の欄については,「適切にコミュニケーションを図る」とか,「その目的や相手に応じて」というようなニュアンスが伝わるようにした方がいいのではないか。現行の学習指導要領には「積極的に」ということが明記されているので,なぜ,そこが変わったのかについてフォーカスされると逆効果なのかなという気はするが,「積極的に」という部分に関しては,再考した方がよいのではないか。

○ 「積極的に」という箇所について,例えば知識・技能のところに「積極的に」が入ったときに,知識・技能に「積極的に」を入れると,学校はどう評価していくのかということがまず問われる。同じく,「積極的に」を「思考力・判断力・表現力等」に入れることについても,「適切に」というのであれば,そこに思考力・判断力・表現力が伴うので,入れることが可能であると思う。

○ 学力の3要素を整理して,学校現場では大体4観点,国語で言うと5観点になっているが,関心,意欲,態度の評価がかなり難しい。現場の中では,関心,意欲,態度が「積極的に」と言うと,何回手を挙げたか等,本来の趣旨とは違う観点で評価をしてしまう。目に見えやすい評価にしてしまうということになった場合に,この3観点目の「学びに向かう力,人間性等」のところの「積極的に」という言葉だけで,また今の問題点がそのまま再現されてしまうのではないか。ここの表現をもう少し現場が適切に評価できるような表現にならないのか。言葉だけが独り歩きして,「積極的に」だから何回手を挙げればいいとか,何回関わったらいいなどといった評価にならないような工夫が必要である。

○ 今,小学校においても意欲,関心は学習の中において,その単元の目標に関する点において子供たちが積極的であったかどうかということであって,発表する回数であるとか,ノートがたくさん書いてあるとか,そういった点ではないということを踏まえると,小学校においても,「積極的」というのはたくさん発表しているとかではなく,言語を扱おうとする態度そのものを見取っていることではないか。

○ 外国語活動の中で積極的に外国語で,聞いたり,話したりすることについては非常によく理解できる。これは,子供たちが話をしていく中で,自分の知っていることを使いながら相手とのやり取りをする。いろいろリアクションも含めて積極的に「聞いたり,話したり」する姿がイメージできるが,小学校の外国語のところに,積極的に外国語を「読んだり,書いたりすること」となると,文言としては非常に並んでいてきれいに見えるが,文字に重点を移すという意味合いに取れてしまうのではないか。文字については,明確にこうやって取り組んでいるというのは出ていなかったように思うが,この点が出ると,ここに重点を置くように変わると捉えられるのではないか。

○ 個別の知識・技能は,英語の方では4技能をCAN-DOリストのところでうまく入ると思うが,「思考力・判断力・表現力等」をそれぞれの教科でどのように定義していくかということが非常に難しい。

○ 「学びに向かう力,人間性等」について,現行の学習指導要領では関心,意欲,態度の項目は,他の観点に係る重要な要素として,他の観点との関わりの中で一番右側の態度のところを出してくるというのが現行の形である。しかし,この「学びに向かう力,人間性等」は今回の議論でかなり広がっていて,コンテンツベースとコンピテンシーベースのそれぞれの学力を同時並行的に行っていくとなると,この三つ目の枠の中身が単にコンテンツベースとコンピテンシーベースそれぞれの重要な観点だけを抜くなど,それぞれを統合した形で書いてよいものなのか否かそのあたりが非常に大きく関わってくると思う。

○ 「学びに向かう力,人間性等」について,学び方を学ぶという要素が,この表の中には見えない。小学校のレベルではそのような気持ちが積極的な態度と同時に大事なのではないか。

○ 現在の中学校・高等学校の観点別の評価は,コミュニケーション,関心,態度,情意面であり,この表で言うと右側。また,外国語表現の能力,外国語理解の能力というと技能面から見ると,知識・技能となる。非常に難しいのは,現状では言語文化についての知識の理解という,言語材料についての知識や,あるいは社会文化としての知識ということで,思考力・判断力・表現力について,ブルームのタキソノミーという言葉があるが,その中に入っているような六つの階層構造が全部ここに入るのか。これが将来的に評価の観点ということになったときに,どこがどうなるのか非常に難しい。現状の外国語の枠組みだと,最終的に創造的に考えるとことが現状の外国語教育の観点別の評価にはなかなか入りにくいが,そこが今度ここに入ってくるのかどうか,その仕分が難しい。

○ 「思考力・判断力・表現力等」については,今まで評価が薄かったスピーキングとライティングのテストの中で非常に重要な項目になってきているので,外部試験等を現場の先生方が慣れることによって,どのようなことを評価するのかがより明確になるのではないか。
英語調査の分析が進んでいるが,そちらの方でも,この点は明確に出てくるのではないか。ただ,知識・技能とどう差別化するのかという部分が難しいが,どういうインタラクションをするかとか,質問されたことについて,どう論理的に自分の意見を書くかという部分については,大きな枠というか,構造を思考力・判断力・表現力で見て,それぞれの文法や語順とか,単語の選択について左側で見るというような関係性で整理すれば,それほど現場は混乱しないのではないか。

○ CEFR的な技能でいくと,1人の人が4技能を全部同じようなレベルで身に付けるということが現実的に少し難しい場合があるので,例えば「思考力・判断力・表現力等」あたりの一番下の高等学校レベルで見ると,「聞いたり読んだりしたことを活用して話したり書いたりしたり発信する能力」というのが,これをB1からB2と規定すると,同レベルで入れて出すということができるような力を付けなければいけない,とした方がいいのかどうかは今後検討する必要がある。

○ 小学校と中学校・高等学校が資質・能力においてつながっているということと,小学校と中学校間にある程度の差がある。差があるということに関して,知識・技能においても,積極的に文字を用いてコミュニケーションを図るというふうに中学校と高校の知識・技能と差を付けてある。飽くまで小学校においては,聞く,話すことが中心であるということが見て取れる。情意面のところについては,学びに向かうことも,楽しさ,大切さを知りというように,現行の成果が出ていたと思うが,それを引き継いでいる。そして,中学校以降は,相手を「聞き手・話し手,読み手・書き手」とあるが,小学校では「相手意識」にまとめてあり,ここに差があるということが小学校の発達段階においては,非常に大事なところであると思う。思考力・判断力・表現力においても,中学年の簡単な語句や表現を引き継いで,高学年がなじみのあるというふうに段階を追って,思考力・判断力・表現力においてもレベルを上げていくというあたりが中・高と差が付いているところは非常によいと思う。学習する子供の視点に立って育成すべき資質・能力が整理されているというところは非常によいと感じた。

○ 「個別の知識や技能」について,言語文化についての知識・理解というところを技能面のところにも位置付けたというのは,大変評価をしたい。例えば,書くことで言うと,符合や文字を正しく書けることや,正確に文で表現できることは,文脈から離された活動で,英語の学習指導要領の中にも書いているが,言語材料を理解したり,練習したりするための活動で習熟できるようなものになっている。ここになかなか思考力・判断力・表現力を必要とするような言語活動が実現しづらい。むしろ今,英語教育にとって必要なのは,実際に英語を使用して,自分の考え等をお互いに伝え合ったり,理解し合ったりする活動と思うので,そういう意味では基本的な技能の面をしっかりと知識・技能ということで,それをどう応用するかということの図式が見えたのは大変よいと思う。

○ 「思考力・判断力・表現力等」については,外国語を使ったときの思考力・判断力・表現力とは何かと考えたときに,文脈は考えるべき事柄になると思うが,もう少し具体的に言うと,指導要領で言われているのは「状況に応じて」と「目的に応じて」であり,この観点でいかに言語を使っていくか,知識を使っていくかということが,思考・判断・表現に関わってくる力だと思う。例えば「What sport do you like?」と聞かれたら,「Baseball.」一言でもしっかりコミュニケーションできるが,「自己紹介してごらん」と言われたときに「Baseball.」一言では自己紹介にならない。そういう意味では,状況に応じて,いかに言語を使用していくことが適切なのかを考えて使える力というのは,実は小学校の段階から必要ではないか。そういう意味では,「適切に」という言葉が,高校の段階で入っているが,これを小学校から位置付けていくことで,思考・判断・表現の具現化は可能ではないか。

○ 子供たちが習ったことを場面が変わった中でどう生かすことができるか,使うことができるかというのは,すごく大事なことだと思う。「Baseball.」と言ったときに,「Baseball.」だけでは伝わらないので,状況や場面が変わったときに,習った言葉を,うまく表現も含めて使ってコミュニケーションできるということがすごく大事なことだということで,「積極的に」というよりも,幾つかある中で「適切」にそれを使うという方がいいのではないか。

○ 2枚目の縦列を見ると,例えば,外国語の小学校のところだと,聞くと話すについて,上の外国語活動と比べると,消えているため,文字を中心にやればいいのかなと思い込んでしまう。ただ,読めば,「聞くことに関する知識・技能」「話すことに関する知識・技能」と入っているが,日本語の表現が上と対比をしやすく書かれているので,逆に現場の先生はかなり軽重を付けてしまうのではないか。

○ 資料2「外国語教育において育成すべき資質・能力について」について,「コミュニケーションを図る」という言葉が出てくるが,現場の先生と話している中で非常に感じるのは,このコミュニケーションというものが,非常に思考や感情,情報の伝達のみのところで考えられていると。要は,話すだけとか,そういうところで,コミュニケーションの重要なところ,例えば,意思の疎通や,気持ちが通じるというようなところに迫っていく必要がある。そのための思考,判断,表現であるということを考えると,この「コミュニケーション」という言葉については,若干説明をしておかないと,表面的なコミュニケーションの楽しさというと,何か外国の人と話をして楽しかった,で終わってしまうようなところが多々あるのではないか。「言語力の育成方策について」において,「他者とのコミュニケーションに関すること」として,「自己を表現し,他者を理解するなど」と,お互いの考えを深め合うというところ,このあたりを強調していく必要があるのではないか。

○ 2枚目に書いてある小学校の外国語活動,小学校の外国語のところで,言語を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知る,そして文字を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知るとある。これは,あたかも系統的な形で書かれているが,これを系統的なものだと先生方が取ってしまうと,小学校の外国語では文字というところがかなり強く出てしまうと思う。この言語を用いてコミュニケーションを図るというのは,全体に係ることであるからここで並べて書くと誤解が生じるのではないか。

○ 「相手意識を持った」,「他者を尊重した」という言い方について,相手意識を持ったというのが,コミュニケーション能力に係る形容詞としてのものであるのかというところを少し考えなければいけないのではないか。そもそもコミュニケーション能力を形容する言葉として「相手意識を持った」というのを限定的に使ってしまうのかというところが少し気になる。また,「相手意識」という言葉と,「他者を尊重した」という言葉にどのような具体的な違いが込められているかというあたりもきちんと説明をしないと,言葉だけで先生方にはなかなか伝わらないか。

○ 中学校と高等学校のところについて,「尊重」と「配慮」という二つの言葉があり,先ほどの目標のところを見ると,中学校の方が「他者を尊重し」ということで終わっていて,高等学校の案の方は,「他者を尊重し,聞き手・話し手,読み手・書き手に配慮しながら」となっている。資料2の右側の中学校と高等学校が同じ文言になっているが,中学校と高等学校で,この部分に関しては,さほど差はないのではないかと思うので賛成である。基本的に中学校と高校ではこの辺に関しては,同じスタンスでいいのではないか。

○ 小学校のところに出てきた「相手意識」という言葉について,「相手意識」という言葉の捉え方が一般の先生方にすんなり落ちるか,共通理解が持てるかどうかが気になる。

○ 「学びに向かう力,人間性等」について,中学校と高校が同じになっているが,今まで学んできた経過から言うと,高校のところでも少し文言を変えていった方がいいのではないか。高校では,コミュニケーションを何のためのコミュニケーションなのかということを意識して,例えば,何かの課題解決に向けてのコミュニケーションなのか,よりその場のレベルの高いものを生み出すものなのか,いろいろコミュニケーションの目的を考えたものができないといけないか。言葉とすると,どういう言葉を使っていいのか分からないが,「積極的に」というところがいろいろな捉え方があるのであれば,コミュニケーションというのは「円滑なコミュニケーションを図ろう」ということや,先ほど出た「適切な」といったところで,お互いが理解し合っていいものを生み出していくようなコミュニケーションというイメージが湧けばいいのではないか。
○ 「相手意識」は,相手という存在がいるということなのか,それとも相手のことを考えられるというところなのかということについて,特に小学校のところで,資料3の目標の改善例のところに書かれているが,左の方は相手の存在,そして,尊重するということだろうし,高学年の方は,話し手や聞き手のことを考えられるということではないか。

○ 学習プロセスの図で,上の目的に応じたコミュニケーションのプロセスの中には,「言語活動」という言葉があるが,今回の論点整理の中にもアクティブ・ラーニングが出てきていて,アクティブ・ラーニングを簡単に言うと,見通しと振り返りと言語活動という言い方があるので,このあたりが上のところに振り返りはあるが,実は見通しの部分をどのように捉えていくか。それと,言語活動との関係がどのようになっているかがこの図ではよく分からない。

○ 4枚目の一番下に米印に例示が書かれており,このまま読むと,この括弧内が全てだと思ってしまう。学校現場の教員からすると,聞いたり読んだりして得た情報について,その概要や要点を的確に把握してやればいいと思いがちなので,できれば2技能以上のものを二つ,三つ例示をした方が,機能統合型の活動のイメージがしやすくなるのではなかいか。

○ 最後のページの「『英語』において特に重視すべき」というところについて,領域というのが新しく出てきたが,海外のCEFRでは,4技能の領域を分けている中で,話すことと書くことにはインタラクションというのが設けられている。これだと全て一方通行の感じの記述になっており,受けるだけ,出すだけという感じの記述に偏りがちではないか。最後の技能統合の部分も,一方的に聞いたり,読んだりして,それをそしゃくした後,一方的に出すみたいな感じになっているので,そこはもう少しインタラクティブな側面を入れないと,レベルが上がっていくときに,そういうインタラクションが上手にできるという部分が表現できる側面が必要かなと思う。

○ 学習プロセス,思考,判断,表現について,「技能」と「領域」という言葉が出てきた。昭和の学習指導要領では,「3領域4技能」という言い方がされていた。この領域というのは,意外と先生方はなじみのない言葉,ニュアンスとしては技能が四つのスキルであるとすれば,領域というのはそれを用いて学習する言語活動であったり,学習内容であったりという理解をしているが,その言葉がきちんと定義されずに出てくると,先生方は非常に混乱するのではないか。また,領域は力であるのかというところを考えてみる必要があると思う。さらに,「複数の領域を統合的に活用」の箇所では,領域というのは活用するものかであるのか,要は,ここで技能や領域がかなり混同してきているのではないか。


(3)「アクティブ・ラーニング」の視点に立った学びの推進の視点を踏まえた英語を通じた教育の充実

○  言語習得の観点で言うと,言葉を学ぶためには,たくさんのエクスポージャー,インプット,つまり触れることと,実際に言葉を使っていくことが大事。アクティブ・ラーニング,と教科の特性としての英語の学び方をつなげられるようなことが考えられるとよいのではないか。


2.小・中・高等学校を通じて一貫した教育目標(指標形式の目標を含む)・指導内容,学習過程等の在り方

○ 外国語の目標に関して,外国語の場合,学年指定がなく,学年ごとの到達度,あるいは指導目標が見えにくいが,実際は学ぶことと実際にできるようになることにずれがある領域もある。例えば国語の小学校の漢字の例では,1年生で扱った漢字を,2学年にわたって確実に定着するように指導することなどが求められている。このような少し長い目で見た指導と到達目標が入ってくるとよい。

○ これまで,言語活動を充実させるということで,英語を使った活動はたくさん行ってきたと思うが,実際に英語を使うということに主が置かれてしまい,思考・判断・表現といった部分がなかなか見えづらくなっている。あるいはそういう活動を通してどのような英語の力を付けたいのかということがなかなか見えづらく,短期的に単元構成をしているような現状がある。そのような意味では,CAN-DO形式の学習到達目標をしっかり据えることで各指導の位置付けの明確化を一層進め,英語の理解の能力,それから表現の能力の裏側にある思考・判断・表現の力を英語の教科の中でも何らかの形で重視できるような形になるとよいのではないか。

○ これまでの研究開発の実践の成果・効果にあるように,小・中・高の学びをつなぐという意味では,ばらばらに各学校が目標を設定しているものから,地域内のつながりで連携したCAN-DO形式の目標の共有が非常に重要であると考える。CAN-DO形式の目標を学習指導要領の中に入れるとすれば,それが大きなバックボーンになる。それを踏まえ,実際に教科書レベルに落として実行しようとすると,細かいCAN-DO形式の目標が必要になるが,各自治体や,地域でどのように共有されるかが非常に重要。小学校の内容を受け渡していく中学で全く違うタイプのCAN-DO形式の目標を持っているのは現実的ではないので,地域単位でたくさん作るなどの取組を進めていくことが必要ではないか。
 
○ CAN-DO形式の目標で小・中・高をつなぐことは非常にいいアイデアだが,ヨーロッパでやっているように,CAN-DO形式の目標がまずできた後は,そのCAN-DO形式の目標を実現するための語彙や表現,それから文法事項などの記述が必要になる。これを余り適当にやっていると,CAN-DO形式の目標はスローガンのようになってしまい,それぞれの持っているイメージはかなりばらばらのまま教材ができることがある。
     
○ 同じCAN-DO形式の目標の文言でも,レベルが違うと内容の言語表現が変わってくるので,そのような言語表現はCAN-DO形式の目標設定の実践例のように,ここまでやったということが何かの形でCAN-DOの中身の肉付けをしてできるだけ共有することが重要。また,教科書では統一して作成されていないので,かなり内容にばらつきがある可能性があることを前提として,今後,児童生徒の根幹となる力を付けるには,このようなCAN-DO形式の目標との語彙,表現がセットになって示されて,何らかの形で一緒に共有できるような作り方にすべきではないか。

○ 大学を卒業した時点,若しくは専門学校等を卒業した時点で,いわゆる産業界が期待しているような英語でビジネスができるレベルに達するには,英語力に関して大学までにどこまでのレベルに達するのか,高校卒業段階ではどこまでのレベルに達する必要があるのかといったイメージで逆算し,各教育段階での育成すべき,達成すべき素質・能力ということを検討すればよいのではないか。

○ 県では,中学校においては2年ほど前に,県でCAN-DOリストの作成の手引を作成した。教科書の単元からCAN-DOリストをボトムアップで作っていく方法をとり,各単元の目標を技能ごとに一つ絞り,一つの目標を設定する。それぞれの目標を蓄積することで,読むことについてはどんな力が付くか,書くことについてはどんな力が付くかという考え方で,教科書からCAN-DOステートメントを作っていくという考え方で作成している。
 
○ CAN-DOステートメントを作成する中では,出来上がったものの整合性,妥当性などを検証していかなければ,非常にばらつきのあるものになってしまうということを感じる。

○ 世界的に見るとA2レベルぐらいまでで身の回りことは,ほぼ言えるようになる。調査している範囲では,語彙数では約2,000語になる。高校卒業時の到達レベルについては,実際に身に付くレベルとしては,A2レベルぐらいが十分できれば相当成功している教育レベルだと言える。さらに,上位の3割ぐらいはB1,B2というレベルまでのパフォーマンスとして到達できるぐらいになれば,かなりよい方向だと考える。
一方で,シラバスとして小学校までにすると,言語材料の内容はもう少し高度なものを入れていくことになるが,あまり上のものを入れ過ぎてしまうと,ついていけない子供たちの層がたくさん増える可能性があることに留意が必要ではないか。

○ CEFRのA1,A2,B1,B2,それぞれ幅がかなりある。CEFRの方に合わせていく枠組みと,小学校の3・4年,5・6年,中学校,高校は一つのまとまりで案が提示されている。この枠組みについて非常によく分かるが,どのように目標をくくって示すのか。例えば中学,高校も大きく二つに分けて枠組みを作ることはあるのか。特に高校に関しては非常に幅が広いので,その枠組みに関して最終的にどのように示していくのか検討が必要ではないか。

○ 大枠のCEFRは言語材料などとセットで段階付けがあるので,もう一つの考え方として,県の取組例のように,例えばテーマ,内容などで,日本の高校の卒業生は英語を学ぶことによって,このようなことができるようになるというようになれば,同じ自己紹介や地域紹介でも,その学校の生徒のレベル,知識に応じたことができる。それがCAN-DOのスピリットであると理解しているので,そのような切り口も議論することが重要であると考える。どの学校の生徒でも,自分なりにこれができるということが本来のCAN-DOの動機付けの道具としての役割であると考える。
  一方で,具体的な指導という点では,語彙とか構文とか表現等きちんとヒモ付けされていないと指導ができにくいというのもあるが,高等学校の多様性を踏まえると,全員これができる,しかしながら,言語材料については差があっていい,というようなことを共通理解した方がよいと考える。
  なお,高等学校の先生方の研修を担当している立場からは,高等学校は,もともとの英語に関する知識の量が入学時でかなり違うので,例えばCEFRレベルでラベル付けが貼られると,この学校はAレベルで,この学校はBでと評価されることに対して懸念している。

○ 大きくB1とざっくり言い過ぎてしまうと,大ざっぱなくくりでラベルを貼るような感じになってしまうのは好ましくない。CEFRで5技能あって,5技能で一人のユーザーの人がいろいろなレベルをばらばらに持っているということがある。自分は読み書きできるけど話せないなど,でこぼこがあることを,小・中・高で受け渡すCAN-DO形式の目標で,どのようなことが自己評価としてできているかなど,きめ細かい部分もCAN-DO形式の目標を通じた受渡しが必要。そのようなことを通じて,でできている部分を評価し,できない部分の底上げをするようなカリキュラムを各レベルで作ることが必要ではないか。
 
○ 小・中・高を接続させることが大切であることから,各校種において学年別といった短いスパンで考えるのではなく,校種の枠を外しCEFRのような枠組みで作成する方がよいのではないか。また,校種間の連続性の明確化や校種間連携を一層進めていくためにも,学習指導要領も小・中・高一体的なものあるいは連続性を強く意識したものにしていくことも考えられるのではないか。

○ これまでのCAN-DOを作るときは,例えば中学校の場合,学年別に作成してきたが,このような学年での枠組みは非常に難しいと感じている。むしろ,CEFRの枠組みを活用していく方がよいのではないか。例えば,小学校5・6年生では県の取組として複式学級として一体的に取り組んでおり,5年生,6年生を分けるとしたら,何を根拠にここを分けていくのか。県でも幾つか構成要素を考えて,それを系統的に並べていくが,系統的に並べたとしても,果たしてそこにどれだけの妥当性があるのか。例えば学校で作られたCAN-DOリストを見ると,1年生の段階では3文程度,2年生は5文程度という言い方をよくされるが,果たしてこの3文というのが本当に英語の力を示す基準になるのか。同じ自己紹介でも,3文でできるものもあれば,3文で十分にできる内容の濃い文章もあるかもしれないと考えると,分量はどうか。そのようなことを考えると,これまでは1,2,3年生で行っていたが言葉遊び的な感じになってしまうのであれば,もう少し大きな枠で捉えた方がよいと考える。例えば中学校の先生は,中学校1年生でこれを100%,中2でこれだけ100%,中3でこれだけ100%やるんだという形で達成しようという考えよりも,むしろ中学校3年間で100%のものがあって,中1段階でそれが30%は達成していくというような考え方の方がよいのではないか。

○「CAN-DOリスト」の形での学習到達目標の作成において,小・中・高のつながりを考えながら適切な能力記述文を設定することは,現場の先生方にとって決して簡単なことではない。中学校の場合,英語の教員が一人という学校も少なくなく,作成方法や完成した目標,その活用方法等に学校間の差が出ることが考えられるため,国がその大枠を示す方が好ましいと考える。また,根拠のない能力記述文や,妥当性に疑問のある能力記述文になる恐れもある。教員にとって大切なのは,勢力を注いで学習到達目標の能力記述文を作ることではなく,到達目標をどう具体の指導に落としていくかを考えることであると思う。その方法を示すことも大切である。
     
○ 教員にとって最も重要なことは授業を改善することであり,そのためには,それぞれの単元の目標が各技能のどの到達目標につながっているかを理解した上で,バランスのよい指導計画を立てることが大切だと思う。ふだんの授業は知識・理解中心で,研究授業をすれば「話すこと」ばかりが扱われている現状を考えると,3年間を通して4技能を偏ることなく指導することは容易ではない。また「正確さ」と「適切さ」についても目標があいまいだったり,意識されていなかったりすることが多い。これらのことを改善するには,大きな枠で作られた到達目標を,どのような単元,題材を通し,どのような指導に具体化するかがポイントとなる。しかし,これらは教科書の内容や構成に左右される面が大きく,教科書の抜本的な改革なしでは実現は難しいと感じる。

○ 小学校高学年における「書くこと」や「読むこと」については,「アルファベットの文字や単語などの認識」あるいは「読むこと,書くことに慣れ親しみ,積極的に英語を読もうとしたり書こうとしたりする態度の育成を含めた初歩的な運用能力を養う」といった,論点整理やこれまでの資料の文言とかい離した指導が生じないような到達目標とするよう配慮が必要ではないか。「書くこと」の指導が「アルファベットを書くことができる」ということに強くフォーカスされると,ペンマンシップのような練習が中心となり,「相手のために書く」「相手に伝えるために書く」(正確には書写する)といった,書こうとする態度を育成するための相手意識のある書く活動が軽視される懸念もある。

○ 異なり語の比較で,韓国,台湾,中国の教科書と日本の教科書について,代表的なものを比べたところ,日本は異語数,総語数,テキストの分量もとても少なかった。その後,学習指導要領が改訂になり,平成28年度の中学校のテキストを検査したところ,以前は,どこも異なり語が1,000語に行っていなかったが,新しい平成28年度のものは,韓国,台湾のものとほぼ同等のレベルに現在の中学校の教科書は分量が増えた。語彙も,中学3年で規定は1,200語だが,平均2,000語が出ており,かなり分量も多くなっている。そういう意味では,小学校が変わっていない割に中学校が急に難しくなってしまっているところがあって,小中の接続が問題だが,隣国の教科書ベースでいくと,ほぼ均等な質や量を確保しつつあると思う。ここで問題なのは,増やしただけで,まだ語彙の統制は余りできていないこと。例えば,語彙は900語から現行で1,200語になり,実際は2,000語ぐらい出てきている。ほかの教科書もそのぐらいなので,小学校が充実してくれば別に悪くはないが,難易度の高い単語が中学校レベルでかなり出てきてしまっている。CEFR-Jのワードリストを基にすると,B1やB2レベルの単語などもかなり出てきている。

○ 逆に,精選された単語が少ない。中学校で出てきてほしいA1レベル1,000語ぐらいが我々で規定しているものがあるが7種の教科書で共通して出てきている単語は300語ぐらいしかない。
  300語でもいいと思うが,問題は,中3まで行っても400語ぐらいしか共通語がないので,2,000語ぐらいまで出てきているが,教科書のボリュームを増やすということを主眼に改訂したので,語彙の選定などが緩くなり過ぎてしまって,難しい単語がかなり出てきている状態で中3の教科書になってしまっているということである。この点は,CAN-DOのことや語彙のことをきちんともう少し品質管理をして教科書をよくしていく必要がある。

○ CAN-DO以外,CAN-DOだけだとやはりどうしても抽象的な文言になってしまうので,語彙のイメージ,重要な100の単語で,教科書3,000セット分ぐらいをまとめた1億語ぐらいのコーパスを作ると,7割近くをカバーしてしまう。これは内容語はほとんどなく,文法中心の単語。基本の動詞2割と機能語7割,そして残りの2,000語ぐらいで書き言葉の8割,話し言葉の9割になる。この残りの2,000語に1,000語ぐらいの名詞が入る。つまり,100の単語ぐらいで文の中核,骨組みを作っている,この作り方をしっかり学ぶということ,あと1,000ぐらいの単語でいろいろなことを入れて2,000語ぐらいだと,話し言葉の90%ぐらいをカバーするような力,そこら辺が核になるような言葉の力である。この2,000語以上を覚えても,ここに出てくるように,次の2,000語と重ねていってもカバー率は極端に落ちてしまう。4,000語,6,000語,8,000語と覚えていっても,次の単語を知っていることの重要度というのはがくんと落ちてしまう。逆に言うと,高校ぐらいまでにこの2,000語が使いこなせていないから弱い力といえる。ここが十分でないまま,上の方のことを勉強しても駄目だということ。こういうしっかりとしたデータを基に,教科書作りやタスクをきちんとしていかないと駄目だということ。イメージとしては,繰り返し100の単語と2,000の単語を組み合わせて,チャンクみたいな形にして表現が出てくるようにする,これを高校の最後ぐらいまでに活用語彙にするという考え方である。語彙は,全部意味だけ知っているという形のイメージでみんな覚えているが,そうではなくて,出てくるようにする語彙と,知っていればいい語彙を分けるということが非常に重要。この辺のイメージを教授法でもきちんと教えていく必要がある。

○ 国の指標形式のCAN-DOから具体的なCAN-DOに下りて,そのCAN-DOに張り付く表現類のセットの資料を基に作ることによって,教科書では具体的なレッスンを作ることができる。こういうレッスンで作ったものを基にシラバスをチェックしていきながら,どのぐらいできているかのパフォーマンスを見る。そういうものがかみ合ってくれば,だんだんとCAN-DOのここができた,ここができないということをはっきり言うことができるようになり,それによって受渡しが可能になり,診断も可能になる。現在はインプットがとても限られている状態で,単に増やそうとしているが,やはり学習材をきちんと精選することが重要である。教科書は,単に量が多ければいいというものではなく,環境によって,これだけ日本語中心の国で英語に触れる機会が少ないので,触れるコンテンツもちゃんとしてあげた方がよい。そのために,CAN-DOと言語タスクのセットをきちんと作り,それを下支えする語彙や表現のインベントリーもきちんとデータとして持っておく,そういうものを基に教科書を作るということが重要である。

○ 言語活動としては,その下支えする語彙や表現をきちんと仕込むという部分が大事である。単体の単語をただ覚えるのではなくて,これは出てくるようにする単語,これは覚えておけばいい単語という感じの仕切りを,レベルごとにだんだんと上に上げていくように設けて,有意味なチャンクをまとめた素材で,これは表現して,できるようになるために必要なものであるということできちんと覚える。
その練習の部分は,マルチモーダルで,チャンクから文になるような練習をICTでやるととても効果的だと思う。そういうものを使ってみるような部分は授業でやり,それ以外の部分はうまくICTなり,短時間モジュールの授業の一部などを使って仕込むということ。この仕込みという部分は必ず入れないと,現状のコミュニケーション活動をただやっていれば身に付くというものは下地作りが弱くなってしまう。下地をしっかりした上で,コミュニケーション活動に持っていくという部分をきちんとやることが大事だと思う。

○ 最後は,教える側のCAN-DOと学ぶ側のCAN-DOということについて言いたいと思う。シラバス構築のためには,現状,我々が提示しているのは教材提示用のCAN-DOなので,インプット側の方のレベルはちょっと高めに設定することがヨーロッパでも多いが,それは即できるようになるという意味ではない。学習用のCAN-DOは,現実的にそれが身に付くのはこの辺ということを,ある程度発達レベルに適した形で把握しておく必要がある。ただ,余り低いレベルに設定してしまうと,出てくるものも低くなってしまうのでその辺りは難しい。「できるようにする」という表現はCAN-DO的に言うと教師側の目線なので,学習用は「できる」という形で提示するのがよい。このように,今まで言った感じの新指導要領の新しいシラバスが,先ほどみたいなことをうまく盛り込んで指標化されれば,それを具体的に作った教科書でやってみて検証していく。今の全国調査みたいなことを繰り返していけば,科学的にある程度フィードバックを基にして,改善していくみたいなことを上手にできるのではないかと思う。このようなことをやっていかれるといいのではないかというのが,現状での我々の研究から示唆されることになる。

○ ある程度語彙に関する,出てこなければいけない,使えるようにならなければならない語彙のイメージと,それから周辺の認識語彙だけでいいものとの仕分みたいなイメージは,解説などに盛り込めればと思う。そうしないと,やはり出てくるようにするためのトレーニングを研修とか,そういうものでも重視していかなければならないと思うが,そこの部分の根拠みたいなものが漠然としたままだと,先生方も,今までのトラディショナルなやり方とどう変えればいいのかという辺が,余りよく分からないまま進んでしまうような気がする。
それから,ディスカッションとか活動形態だけを提案していると,その内容の言語の部分のイメージが余りはっきりないまま研修しているのもどうなのか。昔の指導要領には,語彙のリストがある程度載っていた。語彙リストに関しては,各国とも指導要領の一部に載せているところはかなり多いので,見識として,こういうものは最低載せるべきであるとリスト化するのは一つの方法だと思う。ただ,基本の100語というのは,単にリストにしてあっても非常に使い方が,レベルがある。単に「メーク」という単語が載っていても,それが載っていることの意味合いというのは余り,ただリストとして載せているだけだと意味がないと思う。もう少し具体的な資料類を,参照資料として何か見るようにするなど教科書会社に対応していただくなど,そのようなことがないと,よりよい,例えば「メーク」のより進んだ使い方をA1レベル,A2レベルでだんだん深めていくことが最初の100語では重要だが,その100語の深化をきちんとカリキュラム上も担保していくことが必要ではないか。

○ 小学校で英語が教科になったときに,現状よりも小学校6年生の語彙数は今より多い方がいいのか。
アジア圏と日本との教科書比較をしたときに語彙のレベルで非常に特徴的だったのは,資料に,平成20年の大まかな分析があるが,アジア圏の韓国,台湾,中国辺りの小学校の教科書を学習指導要領的に見て,PreA1,A1よりもちょっと前辺りの内容と規定して語彙を見たところ,3,4年分の授業を小学校ですると1,000語ぐらいが教科書で出てくる。ところが,中学校1年の各国の教科書を見ると,ほとんど増えていない。つまり,中学校1年では,小学校で出てきた語彙をほとんど再生して活動している。その後に,ぐっ,ぐっと載せるようにしている。したがって,現状の「Hi,friends!」の内容を教科化することによって少し増やしたとしても,やはり中学校1年の接続は少し似たような語彙で行って,2年,3年と伸ばすことで現状ぐらいのレベルになるという感じで作るとちょうど良くなるのではないか。

○ 語彙を定着させるための指導という点から見て,現在の学習指導要領で課題となることは,指導のやり方のことだと思うが,発信する語彙を使うための機会を与えるという意味で,現在,英語で授業を行うということをしていると思うが,カリキュラム的に,新しい素材の導入の方に焦点ばかりが行ってしまって,毎回,新出文法事項の導入ばかりしているという形で教えてしまっているというのが今の文法の授業の中心である。そうではなくて,既に習っていることを使って自己表現するやりとりの機会をたくさん与えることが大事である。新しい表現を学ぶことをきっかけに,それを知っている表現で言い変えたり,それは何かをお互いに分かるように話し合ったりということで,新出の文法事項は全体の4分の1ぐらいの量で,全体の半分ぐらいは恐らく既習事項を使うことを中心にした授業をすることが大事だと思う。そこのところで語彙のリサイクルが行われている。そうすると,単に毎回,レッスンで新出の単語が出てくるだけではなく,それを様々な機会で再び使ってみるという機会を,どのように組み込むかということをきちんと設計することが大事である。それがうまくできていくと,先ほど言ったようなコアの語彙は,当然,表現するときに何度も使わなければならないので,そこに定着が出てくるのではないか。

○ 今,御発言のあった75%ぐらいは同意できるが,最初の部分の文法の導入というか,教え方というのは,私が見ている授業とは若干イメージが違うが,いずれにしてもリサイクルの必要性というのは同意できる。

○ 大枠,指標形式の目標設定は適切であると感じた。特に小学校から中学校への接続,PreA1からA1,A2ぐらいのところだが,トピックや,言語構造,かなり段階的な,徐々に発展をしていく要素があるので,スムーズに小中学校の接続が円滑に行われるのではないか。特に,PreA1において,簡単な語句,アルファベット,定型表現といった表現が入ってきたのはとてもよいことだと思う。従来の中学校は,文を構成するところで,文法的に正しい文でないと発言できないという生徒も多くいた。自己表現という様々な要素を使ってコミュニケーションする態度を育成するという意味では,このPre A1の設定はいいと思う。先ほどの御発言にあったように教育用のCAN-DO,それから学習用のCAN-DOの違いについては私も同様に思うが,語句やアルファベット,あるいは定型表現が学習到達目標だったとしても,指導としてはもう少し上の部分を行く,あるいは扱う工夫ができるような,そういう学習指導要領上の留意点等の記載等が必要になってくると思う。全ての学校がそうではないが,例えば今日はアルファベットと言うと,英語としては1時間中アルファベットしか出てこない,定型表現ですら出てこないような授業もある。つまり,教えたことを全て身に付けるという感覚で,様々な経験をさせながら,徐々に発達をしていくという発想が理解されづらい部分もあるかと思うので,そこの扱いをポイントとして記載する必要がある。

○ 中学校から高等学校の接続は,トピックにしても,文構造,それから機能面にしても,特にA1からB1ぐらいだが,急きょ,複合的に難しくなっている段階と思う。もし,これをスムーズに,円滑に接続しようと思うと,中学校レベル,その下の小学校レベルでも,十分に経験を積んでいて,先ほど同じような指摘があったかと思うが,縦の発達だけではなく,一つの段階の充実した活動経験とか,あるいは繰り返しスパイラルに学ぶような,そして技能を身に付けていくような工夫が必要である。

○ 実は書くこと,メモを取るということについて書かせてもらった。前後のレベルで言うと,メモを取るというのはちょっと特異な働きをしていて,意見を書くとか,説明文を書くというところとちょっとずれる部分がある。実際,平成18年度と24年度の教科書を分析したときに,このメモというジャンル,あるいは活動がほとんど中学校の教科書の中に出てこない,つまり扱いづらいものになってきているので,こういうように一番主要な目標というか,形式で出てくるところについては要検討かと考えている。

○ CAN-DOを地域で作るのか,それから学校ごとで作るのかということに関しては,両方とも一長一短があり,例えば,地域で中学校のことを考えると,教科書が一緒なので,当然共通したものが作れるが,そうすると学校の先生方の意識というのがCAN-DOを作ることによって高まっていく。どういうような学習到達目標を立てていくのかというのが,中でコンセンサスができる。一方で,地域で委員を立てて作るとなると希薄になっていくということも考えられるという一長一短がある。

○ CAN-DOを校内で作ることによってコンセンサスを得ることができて,学校内の指導力改善,指導改善に結び付くというのは非常によく分かる。ただ,公立学校の現状に鑑みると,若手の教員が大都市で多くなってきて,1人で授業をやるのも苦しんでいる状況の教員がいる。もう一つは規模の問題であり,小規模の学校に配置された場合に,1人でそれを作っていかなければならない。そうなったときに,A校とすれば,そのA校の英語の教育だけがどうしてもスタートが遅れてしまうという状況が容易に推測される。そういった場合に,やはり地区で作っていくものをある程度のモデルとして活用すると,地区が同じで教科書も同じだということから非常に有効な手立てであると思う。ただ,最終的には各学校で作れるというのを目指すべきだと思うが,スタートの時点は,やはりその地域の作成の意義と,各学校で作る意義を出しながら,少し地域的なものも考えていいのだということをトーンとして出してもらった方がいいのではないか。

○ CAN-DOを作成するときの現状について,私もガイド的なものを作って,全ての学校の先生方に作っていただいたが,作っただけで機能しないということが起こっている。各学校に1人しかいない英語の先生がきちんと指導ができるようにするためには,やはり行政としてどういうふうに動くかというところをしっかり考えていく必要がある。例えば指導主事が全ての学校を回ってきちんと説明するとか,あるいは指導主事に対しての国での研修といったものを行って,とにかく学習指導要領改定のときに徹底的にやらないとまた同じことの繰り返しになるのではないか。現場にとって役に立つというところを考えた事業にしていかなければいけない。例えば大学と連携して,新たな事業が来年度から始まるが,これについても,もちろんそういった指導者への支援とか,教員養成の支援というのも必要であるが,やはり国としても子供たちの学習自体を支援するようなものもあっていいのではないか。

○ 授業の中でモチベーションを上げることが非常に難しいので,モチベーションを上げるのは,実際に英語を使うとき,あるいはコミュニケーションを図って達成感を感じたときであって,なかなかそれが授業の中でできていないというのが現状である。例えば,ALTは,その活用状況もいま一つつながっていない。あるいは,ICTなんかも入っているが,子供たちのコミュニケーションの達成感などにつながっていないところを考えると,そういった部分での,例えば研究支援や指定校研究という部分も意義があるのではないか。その上では,行政のお金のやり取りのあたりが非常に難しいところがあって,やりたいと思ってもすぐに手が挙がらない状況もあるので,このシステムも若干変えていく必要があるのではないか。

○ 国の目標,教科等の目標について,どのような文言を使っても,分かりにくさというのはあるというのと,これを英語にした場合に,違いが出るのかという問題もあって,基本的にはよりシンプルな方向にした方がいいのではないか。そういう意味で,英語の場合に限っては,何らかの形でCAN-DOのような表記をしていただきたい。それは,最低限どういう力が,どの学校レベルにおいて到達されるかということを明示するとともに,つまりそれが小・中・高の接続をよりスムーズにするものになるということと,学習指導要領の読み手というのは,教科書・教材を作る執筆者及び会社ということも考えて,より適切な教科書を作っていただくためにも,どのような力が育まれることになるのか,何ができるようになるのかということについては,国が大枠を示すのがよいと思う。大枠を示せば,各学校,各地域でそれをブレークダウンするということは可能になるのではないか。枠組みがない中で,CAN-DOを作っている中で,ばらばらになるなど,思い付きで作ってしまうということがどうしても起きているので,指導面の改善のためにも,大枠をCAN-DOの形で示すことがいいのではないか。それに関連して,資料4の6ページ,7ページについて,韓国,台湾,中国の教科書と日本の教科書を比べたときの一つの大きな違いとして,総語数がある。高校のレベル感を見ていると,下の学校は教科書を教えるというところの改善がどれだけ進むかというのは不透明な部分があるので,最低限,各教科,科目,例えばコミュニケーション英語1であれば,どのぐらいの総語数の教科書を想定しているといったことを,書き込むことができれば,指導改善に役に立つのではないか。

○ 小・中・高をつなぐCAN-DOというのを明示して,文部科学省がそういう大枠を作るというのは,是非やった方がいいと思う。学習の目標,ゴールを先まで見せるということと,自分たちのいる位置というのを知り,次にどうしたらいいのかというステップを先生も生徒も一緒に考えるという形で,CAN-DOを使ったプロセスの可視化というか,そういうものとストラテジーを育んでいくという教育の仕方というのが非常に大事だと思う。文部科学省がそれを大枠として持てば,自治体や学校が作っているCAN-DOを,それとどうリンクするかという作業をうまくすればいいわけで,大枠がある方が絶対にぶれずに自治体や各学校のCAN-DOも作りやすくなるので,現状のものを少しリバイズするとか,いろいろな形で大枠に結び付けていくということをやられたらいいと思う。それから,教科書は,もう少し細かいレベルのCAN-DOを落としていったレベルまで教科書会社にそういう材料を渡せればよいのでhないか。資料3「作成中」の下方の「言語の働きの例」に記載のあるレベルがCEFRでは極めて重要な言語表現のインベントリーを作るときに使われるレベルであり,こうものについてのはっきりしたリストがあると,とても助けになる。そういう点では,「Hi,friends!」は私たちのCEFR時代の項目をかなりカバーしているが,細かいレベルの言語機能まで下りていくと,まだカバーできていない機能がたくさんある。A1レベルのことをどのぐらい小学校でやるかというのは,もう少しきちんと教科書会社の方に示してあげれば,よりいい教科書ができて,それを1時間の授業と45分のほかの短時間モジュールみたいな部分をどう組み合わせるかみたいなことも,教科書の中で例を示したり,あるいはICTみたいなものを入れた形の短時間モジュールと活動の連動するパターン等を作ったりすると,より効果的な活動の例になり,また研修についても,そういうものを基にやれば小学校の先生も分かりやすいのではないか。
また,英語教育改革にドライブを掛けるために,学習指導要領の中に,この指標形式レベルの何かしらのCAN-DOを入れてつなぐというのは必須のことだと思う。

3.言語能力を向上させるための国語教育との連携について

(1)目標・指導内容等全体に関して
○ 国語との連携について,例えば,「書くこと」で,考えを根拠とともに示すという文章構成としたとき,伸びる力は英語の力なのか,それとも一般的な論理力なのか,国語で指導すべきなのか,このような観点からの連携が上手にできていくと,国語で培った力を使いながら,英語にも生かしていけるのではないか。そのような言語能力の向上を図る連携の仕方を期待したい。
 
○ 23年度以降,全国的に全ての小学校で外国語活動がスタートしてから,コミュニケーションの中身そのものが随分深まりのあるものになってきたと考えている。単元のゴールを示し,そのゴールに向かって,子供たちが表現形式を学ぶ,あるいは単語を学ぶということをしているが,これは国語教育と大きな関係があると思っている。
    今は,国語科でもゴールを設定して,そのゴールに到達するために教材を読むというふうに大きく変わっている。小学校の教員は,もちろん国語の指導もしているわけなので,このことと相まって,外国語活動を本格的にスタートしたことがうまく合わさって大きな成果を上げてきたのではないか。
 
(2)言語の仕組み(音声,文字,語句,文構造,表記の仕方等)

○ 言語の仕組みという観点では,例えば英語の特性として,日本語とは違う音の仕組みであるため,小学校の多くでは,まず英語の音素認識を一生懸命やろうというところから書く活動に入っていく。もし国語の中でローマ字を扱うときに,ただ単にローマ字表記を学ぶということではなく,音の仕組みを学ぶということで指導していただけると,子供たちは,子音と母音のつながりの認識を持てるので,次のステップに進みやすいと思われる。ほかにも,学習者の学びやすさという点から,国語と英語で指導の連携のようなことができるのではないか。

○ 小学校の外国語活動では,国語との比較や連携ということもあるが,日本語と英語の違いによく気が付き,力が付いていると感じる。教師の視点の与え方にもよると思うが,複数形などの文法についてもよく気が付いている。また,友達のよさという点にも気が付いていると思う。そのため,この流れは非常に大事にしながら次期学習指導要領改訂の検討を行う必要があるのではないか。

(3)言語活動等

○ 言語活動については,小学校ではかなり意識して,国語だけではなく全教科通じて言語活動をしっかり位置付けるように取り組んでいると認識している
   
○ 国語の言語活動では,ディスカッションやディベートを行っていたりするので,活動として国語と重なっている部分が結構ある。国語の方は母語であるため,言いたいことをいかに聴衆,聞き手に分かりやすく話すかというのが鍵になると思うが,英語の方は,言いたいことが必ずしも言えることとは限らないため,言えることを相手に分かりやすくどのように言うのかが大変重要。その「言いたいこと」の幅を広げていくことが大切。
 
○ 例えばスピーチで,英語でスピーチをさせるときに,日本語から英語に直すということがよくあるが,確かに日本語で書くと,言いたいことはそのときの日本語の作文では言えるものの,英語にするときに結局,和文英訳という非常に難しい作業になってしまうため,なかなかできない。初めから英語で考えて,言えることを言っていくという指導が大事なのではないか。
 
 
4.小学校の活動型・教科型
 
○ 小学校の今の外国語活動は,単元のゴールを決めて行う活動がほとんどであり,単元で完結しているという実態がある。前の活動,前の言語材料を積み上げていくようなスパイラルでの学習ができていないため,今後,学習内容,指導内容の検討が必要ではないか。
 
○ 英語では,2人でのやり取り等を行う中で,自分の思いや自分の伝えたいことを相手に伝える,相手の伝えたいことを聞き取ろうとする。一方で,言葉が十分ではないため,何とかそれを言葉だけでなくジェスチャーなどで伝えようとする。これにより,相手の目を見るとか,笑顔で話をしようといった相手意識を育てることができてきたと考えている。
 
○ 英語科になった5,6年については,その2年を踏まえ,アイコンタクト,ジェスチャーだけはなく,言葉でどう相手を認めるかといった,そういう内容も入ってくるのかなと考えている。先生は,褒め言葉で,「グッドジョブ」などといった表現を使って子供を褒めている。子供同士でそれを使っている姿は今ないが,そういうことが大事になってくるのではないか。
 
○ 外国語活動から教科の英語となったときに,やはり中学校と同じようにそれなりの知識・理解も求められてくるため,どのような指導ができるのかということは,今後しっかり考えていかなければならない。また,教科になったときには,学力調査が出てくると思うが,その際,順位を気にするなど,学力を高めるための施策が他教科と同様に出てくることにより,今のような外国語活動で楽しんでいる部分が消えてしまわないかが心配。
 
○ 中学校でやっていることを小学校におろせば,それで英語教育が発展するのかというのではなく,やはり発達段階があるので,それに応じたカリキュラムを設定していくことが重要。
 
○ 小学校の実態としては,読むために文字を見ているのではなく,話すための手掛かりとして文字を見ている。そのため,とにかく早くに書かせればいいということではないので,慎重に扱うことが期待される。
 
○ 小学校の外国語活動の目標は,教師の捉え方によって,様々な捉え方が出ているという実態がある。つまり,目標を立てるときの基準が教師によってあいまいになっており,指導にもそれが反映され,評価にも影響が出ている。本当に態度として身に付いているのかということと,やっただけで終わるという授業では大きな差が出ている。

○ 学校現場の立場としては,小学校での外国語活動を経験してきた子たちが高校へ入ってきている時代になっているということで,客観的な数字ではないが,やはり授業は変化しているし,教員の方もそういうふうに改善をしていこうという大きな動きがある。行政も,現行の学習指導要領にのっとって大きく授業を変えようといううねりがある。ただ,結果がすぐに出るかというとなかなか難しく,この状況においては,やはりしばらく見守っていただいて,その成果を待っていただきたい。

○ 授業の中で心と体と頭を使うバランスをどのように考えていくかが重要。小学校から英語教育を開始する場合の大きな問題の一つとして,英語嫌いが早く出てしまうこともあるのではないかということが言われている。その理由の一つには,小学校の早期の頃から,英語が「勉強」となり,頭ばかり使ってしまって,心と体が使われていないことに起因するのではないかと考えている。また,頭を使って意識的に学ぶというところは恐らく個人差が出やすいところ。小学校において,個人差が出やすいところばかりで勝負させてしまうと,英語嫌いが出てくるのではないか。

○ 外国語活動導入により,小学校には劇的な変化があった。小学校の現場では,教員は,英語ができなくても子供たちのために何とかしなくてはいけないということで,本気で取り組んでいる。そのため,今はどこの学校でも,ただ楽しくて遊んでいるというような実態ではなく,やはりコミュニケーション能力を身に付けよう,そのような態度を養おうとする授業が行われていると思う。
 
○ 意欲だけではなく,言語の使用場面を確実に設定して,コミュニケーションの取り方の具体的な活動を通して行っていることによって,聞いたり話したりする態度の育成につながっていると感じる。
 
○ このワーキンググループを通して,小学校の児童にとって大きな学びはあるけれども,決して無理のない英語教育を検討していくことが非常に大事なことではないか。

○ 学習指導要領では教育の機会均等を保障するものであり,小学校1,2年生から既に英語を始めていることについて,どのように考えるのか。例えば,小学校1年生で他の英語を実施していない地域へ転校した子供たちが,それまでの授業とは全く違う授業を受けたときに,国民全体としての教育の機会均等は保障されないのではないか。今後,小学校3・4年生の外国語活動,5年・6年の教科がどうあるべきかについてきちんと議論をすることが必要である。大人になって英語が話せるか話せないかだけの話ではなく,公教育としての英語教育がどのような位置付けになっていくかということを是非考える必要がある。

(短時間学習について)
○ 小学校高学年の時間設定については,時間をどう確保するかという議論で短時間モジュールのみを語るのではなく,何が短時間モジュールに適しているかという点をおさえたい。また,小学校高学年で「定着」という言葉をどのように考えるべきか。「定着」という言葉には「覚えさせる」というイメージがあり,短時間学習について話す場合,先生方の誤解を招くことはないか,「身につけさせる」といった言葉の方がよいのではないか。

○ 短時間モジュールの時間が,スキルを身につけさせるための無機質な活動の時間になることは避けたい。単元の学習と関連させ,授業の一部を短時間モジュールに取り出すという考え方が望ましいのではないか。一方で,短時間モジュールでは,その時間に集中して,テンポ良く,効率的に繰り返し学習することを通じて効果が得られるという点がメリットであり,かつ,準備に過度な負担がかからないようにするための方法等について十分検討する必要がある。

○ 短時間学習といった話も論点整理に示されているが,算数,国語の学力を高めたりする短時間学習や読書活動など,現在既に短時間学習に取り組んでいる学校は多いため,学校現場は心配している。
 
○ 年間70単位時間を短時間モジュールも含めて対応することについて,短時間学習は,いわゆる本単元の補助という扱いにすべきなのではないか。そこがメインになって,例えば毎日進んでいくということではない。研究開発の取組の中でもあったように,本単元の内容を子供たちが1時間しっかり英語を聞いても,その次の時間までに忘れてしまいますので,それをやっぱり繰り返し覚える,そういう学習があって次の時間につながっていくというような短時間学習が基本的には補助としての時間であるべきと考える。

○ 論点整理の中に5・6年の年間35時間増となる時数を確保するために短時間学習を含めた検討が必要であるとの指摘について,小学校の短時間学習(短時間モジュール)の在り方について,小学校現場にいる者とそうでない者とでは,理解に違いがある。このため,議論を円滑に進めるためには,短時間学習(短時間モジュール)と45分授業との効果的なつながりの具体例が必要であると考える。現在,多くの学校が使用しているHi, friends! は非常に有効な教材であるので,英語教育強化地域拠点事業において実施されている取組のように,Hi, friends!等を基にした3年4年の外国語活動例及び5年6年の英語科指導例のイメージなどを基に検討が必要である。

○ 研究開発校では短時間学習については朝の時間に毎日実施しているとのことだったが,全国の学校実態は様々で,朝の短時間モジュールの使い方も国語や算数の基礎学習に活用している学校が多く,英語だけに特化して行うことは困難な状況にあります。年間70こまにおける短時間学習の在り方を一律に求めるのでなく,45分の学習時間を時には60分扱いにして15分を短時間学習として位置づけることや,朝の短時間学習を週2~3回程度にするとか各校の実情に応じた幅のあるものとして捉え,そういった視点で議論できるような具体的な資料を提供して検討することが必要である。

○ 短時間学習について,短時間学習は,45分授業との関係性とバランスを明らかにすること,つまり,70時間としての教育課程の系統性と関連性を明確にすることが必要である。短時間学習だけでは,繰り返し学習やドリル学習になる。またコミュニケーション活動を行うには時間が十分ではない。したがって,45分授業とセットにすることが大切であると考える。
   
○ 短時間学習と45分授業の関係性を明らかにした70時間の年間計画について,小学校高学年外国語の70時間の年間計画のたたき台を基に議論すべきだ。45分授業と短時間学習の関係性を具体化したものがないため,イメージがもてないのではないか。現職の小学校教員が教科化に円滑に対応できるようにするためにも,現在の外国語活動で多く活用され,今までの取組の蓄積もある『Hi, friends!』の枠組みを基にした70時間(短時間を含めた)の年間計画のイメージを提示し議論を行うことが多くの関係者の理解を得ることになると考える。

○ 実際には,小学校で毎日その時間を英語に充てていくというのは物理的に非常に難しいのではないか。研究開発校などの指定を受けている学校は当然実践できるとは思うが,一般的な学校では国語,算数の計算,読書,漢字等の短時間学習が必要となるので,短時間モジュールは週2こまぐらいまでが妥当ではないか。

○ 現行では,本単元で必要な時間数が大体5年生でレッスン9まで,6年生で8まであり,それぞれ4時間ぐらいを計算しているので年間35単位時間という扱いをしている。年間70単位時間では,これから文字を読んだり書いたりということが入ると当然その時間ではできないので,恐らく時間内での短時間も含めて考えると,やはり一つのまとまった授業として単元で6時間ぐらいが必要ではないか。仮に九つの単元にすると,54時間,そこに短時間モジュールが大体10分,12分,15分などが平均値として結果が出ているので,繰り返しの時間としてはその程度がよいのではないか。そうすると,1週間の二つの短時間モジュール,2週間で45分ぐらいの短時間モジュールがあると,時間と時間とがつながっていくのではないかと考える。

○ 短時間モジュールについて,外国語の授業は45分の授業ですることが望ましいと考えるが,方向性として短時間学習を検討する場合,留意が必要。研究開発校の担当の先生の話では,その学校はドリル的な学習になってはいけないので,短時間学習を幾つか合わせて,例えば7時間などと合わせて一つの単元を作って実施した。その結果,その中にいろいろな活動を含めたため,最初は子供たちも,短い時間に非常に集中力があって活動に取り組んでいたが,何時間かしてくると,いろいろな活動を散りばめているということから,意欲の減退が見られたということだった。短時間だけで単元を構成するので児童にとってはしんどいものもあり,英語嫌いだというふうに答える児童が増えたということも聞いた。このような話を踏まえ,短時間学習と45分の授業の関係性をはっきりさせる。つまり,70時間としての教育課程の系統性とか関連性を明確にしていくことがとても重要ではないか。短時間学習だけで単元を組むとかということがあってはいけないということと,繰り返し学習だけに短時間を使うということでは良くないと考える。

○ ICTの機器や必要なコンテンツ等の教具の準備を行い,朝読書とか繰り返しの計算ドリルの取組は行われてきたが,15分の英語の授業を今まで小学校の教員は教科として実施してきていない。短時間学習をどうしたら効果的にできるのか,その15分を教科としてどのように指導していくのか,必要な研修も行っていくという教育環境の整備と合わさって,この短時間学習を教科として扱うという方向生を打ち出すべきではないか。
 
○ 短時間学習は,中学校・高等学校の授業で見ても,帯学習,あるいは独立して,授業の本体の活動,先ほどのタスクのような活動とは別にコンスタントにやっていく活動自体は,そう珍しいことではないが,それを効果的に位置付ける必要はある。そのような観点から短時間モジュールと言い方をすると,どうしても本体と切り離されて独立に行われていくような活動と捉えられるのではないかと考えており,今後,しっかりと練習活動ないしは短い時間でやることと,45分あるいは中心となる活動の関係をはっきりさせていくカリキュラムや,順番性,目的意識が明確に位置付けられる必要がある。

○ 英語教育強化地域拠点事業の取組の結果にもあるが,練習活動に入ってしまうと,結局機械的な活動に追われてしまう。そうすると,文脈のないところ,あるいは目的のないところで練習をすることも可能性としてはあり,何のために子供たちはそれを練習するのかがあいまいになってしまう。基本的・基礎的な知識・技能を何のために身に付けるかというと,言語使用をするためであるので,その目的意識をしっかり高めるような工夫が必要になる。その意味では,教科書や教材などの整備は必須条件であると考える。

○ 書く・話すだけではなく,研究開発校等の取組の結果等を見ると,聞くことの短時間学習,言語使用の短時間学習など,様々な可能性はあるので,そのような意味では4技能を含めて様々な側面の短時間学習,必ずしも書くだけの活動ではないというような位置付けを明確にできるとよい。

○ 時間の確保については,何らかの形で15分がきちんと位置付けられる必要があると考える。小学校,中学校,高等学校では余り変わりないと思うが,1単位時間の中でフルに単位時間を学習に充てられるかというと,そうではなく,授業構成を見ると,ウォームアップから始まり,最後は振り返りで終わる,という展開がよく見られる。そのようなことを踏まえると,中身の時間自体はそうそう確保できるわけではないため,教育課程上,あるいはカリキュラム上,あるいは学校運営上,しっかり工夫をすること,指導体制の在り方をどのように考えるかなどの研修等も含めてバックアップが必要になる。

○ 短時間学習について気になるのは,学校の先生方がこれを聞いたときに,週2こまは大変だから,そのうち1こまを短時間学習で実施するという発想だけが色濃く出てしまうことは好ましくないと考える。論点整理に指摘があるように,これから小学校の英語教育として,文字の指導などを行うとともに,指導の効果を更に高めなければならないとの指摘があり,そこを大事にしていく必要がある。また,なぜ,年間授業時数70時間が必要なのかしっかり議論していく必要がある。その中で,短時間学習の良さを生かした活動として何ができるか。短時間学習は,まず反復,それから,集中して短時間で実施すること,非常に効率よくできるということ,テンポがあるなどの良さがあるが,これは算数の計算ドリルのように毎回同じような活動を,内容を変えて実施するということが原則だと考える。このような短時間学習に合った外国語教育の範疇は何かというところを考えていく必要がある。

○ 学校でしかできないことを行うべきではないか。例えば,単に知識の定着というふうに誤解されて,単語練習をさせる,文字の練習をペンマンシップだけに捉えられると。一つの単元の中でその中の活動を行うこと,最終的な単元のゴールの活動を充実させるために,短時間学習の中でも子供同士が関わる活動を入れていくということは分かると思うが,先生方が誤解をされないようにすべきだ。なお,県の英語教育強化拠点地域では,短時間モジュールより2時間にした方がよいという意見が多く,現在,5・6年生は週30時間設定している。数字上は週28時間としながら,実際どの小学校も週29時間ぐらいとなっており,更に週1こまを加えて週30時間実施。月曜日から金曜日まで全て6時間授業という形となっているが,この方が先生方はしっかり指導ができる,仮に短時間学習を切り離した場合,準備も計画も大変であるということを考えると,現状の取組を続けてきた方がよいという意見もあった。

○ 短時間学習の内容はをきちんとこれから考えていくと。その中で70時間というのはどういうふうに意味があるのかということを考える必要がある。あわせて,小学校の場合には学級担任の先生が英語を御指導される中で,何ができるか,英語が不得意な先生方も今たくさんいらっしゃるはずで,研修等だけでそれはクリアできる問題なのかを考えることが必要である。

○ 小学校「教科型」を意識した指摘があった今後の課題として,アルファベットや英単語を場面設定なしに,ただ単に繰り返し書く活動を行った場合,児童に意欲の低下が見られたということが気になる。短時間学習の実施状況調査では,使用する教材の8割が独自作成の教材となっており,このような状況の中で,短時間学習をスタートした場合,独自教材の中で,単に繰り返し活動を行わせてしまうものや,45分授業の1単位時間の中でも簡単な方へ流れてしまうというものが出てくるのではないか。小学校の教科化が図られた場合には,繰り返し学習をすればいい,それで時間を埋めればいいということではないということを強く打ち出すことが必要である。
  また,各自治体でも共有してどのような内容にしていけばいいのかというのを主体的に考えていく雰囲気を形成していくことが必要。基本的には45分を週2回実施して,定着もしっかり図り,自分の思いや考えを少しでも言える時間をたくさん保障する方が児童にとってはよいと考える。

○ 現行の学習指導要領によって5・6年生に外国語活動が始まり,「Hi,friends!」を中心に飛躍的に小学校の外国語は進歩したと思う。教員は,初めて外国語を指導するということで非常に戸惑いもあったが,子供たちに何としてでも力を付けたいということで,しっかり取り組んできている。子供たちも,意欲だけではなくて,情意面,友達のよさに気付くとか,日本語と比較してよさを気付くとか,伝え合った喜びとか,言葉の大切さにも気付いてきているということは大きな成果だと思う。これを踏まえて,更によりよい小学校の英語にしていくための可能性として,小学校は現在,漢字とか計算だけではなく,本稿は言葉の学習も短時間学習に取り入れているが,そこで無機質な漢字で繰り返すのではなくて,本体の45分の国語や他教科等のことも踏まえて繰り返すという意味での短時間学習であり,本体の45分の授業を更によくしているという特質があることを肌の感覚で感じている。こうした良さを生かして,小学校高学年の英語科の短時間学習もあり得るのではないか。
  その場合,45分本体が主であって,短時間学習はあくまでもそれを補充的に扱うということであれば,やはり大きな基盤となっている「Hi,friends!」を生かした短時間学習,それから45分の授業,この70時間の枠組みを出していただいて,それを基に議論していくことが大事である。
 
○ 短時間モジュールも含めて大枠70時間ということが出ているが,具体的な時数については検討ということで,他教科との関連が当然あるが,現在の「Hi,friends!」は非常によい教材だと小学校の現場は考えている。その教材を基に短時間モジュールを使うとすれば,45分間との関連でどう考えていけばよいのかということを,具体例を基に検討していくことがまず必要なのではないか。
また,短時間モジュールもいろいろな取り方があって,学校の実態によってかなり差があるので,一律にこうあるべき,短時間学習はこうだと限定をしてしまうのではなく,ある程度幅を持たせた,例えば45分プラス15分,60分授業や,朝の帯学習の中に10分,あるいは15分という短時間モジュールが入ったりとか,いろいろな短時間モジュールの取り方もあろうかと思うので,どういう短時間モジュールの使い方をすることが非常に効果的であるのかというのは,拠点校もあると聞いていますので,そういう事例からちょっと具体例を出していただいて,検討できれば,皆さんの共通理解が図られるのではないか。

○ 短時間モジュールは,英語の場合は他の教科と違って特殊なので,英語は英語という授業時間以外にほとんど全く出てこない。それを果たして短時間モジュールという形でやったときにどうなるのかというのは,間違ったやり方であれば逆効果になると思う。また,どのような使い方をすれば一番よいのか。事例を少しずつ集めているとは思うが,それをきちんした形で整理していくべきだ。
もう一つ,教科書の使い方が,短時間モジュールの設定の仕方がいろいろ変わったときに,果たしてどのような使い方になるのか,なかなか見えてこないので,教科書が一つだとしたら,ある学校はこう使っている,こうだったらうまくいかないという点まで含めてきちんとした形で整理が必要ではないか。

○ 小学校から中学校に行くに当たって,レベルの差がちょっとあるというお話があったが,例えば,ここに書かれているPreA1の部分が70時間必要なのか。もし70時間取れるのであれば,もっとプラス,こういうことまで盛り込んだ方がいいのか。短時間モジュールを小学校現場に全部やりなさいというのは無理だと思う。短時間学習をいろいろな使い方を小学校でしている中で,英語で短時間モジュールをやってくださいと言うのは,特に1週間に15分×3こまを入れてくださいというのはかなり困難性があると思う。学校によってはできないところもあるかもしれない。そういう中で,短時間モジュールありきはかなり心配である。これは,小学校部会など,いろいろな関係が出てくる。今回の教育課程実施状況調査でも短時間学習の使い方については調査をされているので,ある一部分だけで持っていくのではなくて,全体的な視野で短時間モジュール,若しくは今の内容をよく検討して,70時間が本当に活用できるのであればいろいろな活用の仕方もあるだろうし,もしこの内容でPreA1が簡単であれば,週1時間で大丈夫ではないかという現場がもし出てきた場合,それにどうやって応えていくのかということがある。もし70時間活用できるのであれば,もうちょっと内容的に膨らませたらというギャップがあるのであれば,膨らませたらという意見も出てくるかもしれないので,その辺も総合的に考える必要がある。

○ 年間70時間に関わることで,小学校英語で御発言があったように,PreA1は,今の小学校の現状からいくと実はギャップがあるだろうと感じている。それは,35時間,5年,6年で行っているところ,プラスで実施をしているところもあるが,このPreA1の聞くこと・話すことに加えて,書くこと・読むことまで含めたときに,この時間数ではなかなか力として身に付いていかないのではないかという捉え方をしている。具体的には,一つはある小学校の5年と6年の自己評価の結果を見ると,週1回,5年生はALTとのTTで,6年生は5年時には学級担任が「Hi,friends!」を中心に行っていて,6年生のときにはALTとのTTを実施しているところだが,おおむね満足できる子供たちがほぼ全員だといいなと考えたとき,子供たちの自己評価として,9割を超えている項目はそうそう多くないというか,9割を超えていない項目もたくさんある。そうすると,35時間の2年間で,聞くこと・話すことでもかなり十分な繰り返しであるとか,言語活動の経験,スパイラルな活動の繰り返しが必要だろう。
ベネッセ教育総合研究所の2015年の小学生の英語学習に関する調査でも,これは広範囲に分析をしたものだが,同様の結果が出ている。実施状況は様々なので,一応,5・6年生が週1回行っていて,始めた時期は中学年から始めた人,高学年から始めた人と2種類に分けた。3・4年時にどれぐらいやっていたかについてはまだ聞いてが,そこはばらつきがあると思いながらも,これは5・6年生をまとめたデータだが,実は「できる」と答えている子供たちが9割を超えた項目は1項目だけである。英語の挨拶ができるということ。他は,時間数であるとか,指導の系統性であるとか,目標の明確化による指導の充実というのは,実はもっと求められるであろう。そういう意味では,35時間,週1こまよりは週2こまは必要になるであろう。ここに書くこと・読むことという指導が系統的に入ってくるとすると,やはり2時間の確保,週2こま程度の確保は必要であろうと考える。週3こま必要かどうかということだが,英語の経験とインプットの質と量が問題であるということなので,量が多ければ多いにこしたことはないと思うが,かつて中学校の外国語科は週3の時期があった。そうすると,教員側もかなり専門的な知識を持った上で指導に当たる必要が出てくるなど,いろいろな課題が出てくるだろう。

○ 昭和40年代に,小学校英語の学校に通っていた人間として感じるのは,公教育としての小学校英語の場合に問題になるのは平等性と質の確保ということだと思う。そのような観点からすると,いろいろな事例があるが,全ての学校でほぼ平等に均一にできるかどうかということを視野に入れた方がよいと思う。そうすると,短時間モジュールで心配なのは,前回もあったが,機械的な練習だけになってしまうとか,もしかしたら小学校が単語帳の練習になってしまうかもしれない。それを避けるためにも,先ほど情意面のというお話もあったが,例えば重要語100語は,非常に限られた語だけれども,それをきちんと使えるようになるのが大事だとすれば,無理のない形で,相手への思いやりをきちんと学べるような形で機能と言語材料を入れていくみたいなもので,ほぼ全国的にみんな小学校卒業までにできるようになるというようなものが目標にも,教材を作る上での指導にも入ってくるとよい。

○ 「聞くこと」「話すこと」の活動を,現在5・6年生で週35時間しているが,「聞く」「話す」だけであればその時間でクリアできると思うが,読む・書くという学習が入ってくると週35時間では対応が無理である。発表された資料にも,「聞く」・「話す」はあるが,「読む」・「書く」という部分がほとんどないという話があった。「読む」・「書く」ということが高校,中学校,小学校の英語科という中で必要だと考えるならば,年間トータルで70時間という確保は絶対必要である。


○ 読んだり,書いたりすることが入ったから35時間増えたという発想でいいのか考える必要がある。英語4技能を含めて展開をしていく,言語活動を充実させるというのがプラス35時間の意味ではないか。現場の先生方が,プラス35時間になったのは書くことと読むことが増えたからという発想になってしまうと,短時間モジュールに適した様々な教材が飛ぶように売れ,それをたくさん使う学校が出てくるのではないか。その70時間は言語活動の充実であるということで今までの「Hi,friends!」と何が違うのか,どういった言語活動の充実があるのか。例えば,これまでの「Hi,friends!」のレッスン5に,書いたり,読んだりする言語活動がこのように入ってくる,だから時間が増えてるという発想で捉えていく必要があるのではないか。

○ 単なる読み書きが入るからということではなくて,本当に充実した言語活動を行うためには,週35時間の体験授業だけでは無理だと理解をしている。

○ この9月末から10月に掛けて,各都道府県の研究部長にお集まりいただき,この外国語活動が週2こまに入ったときの課題等について情報交換をしてきた。現場の校長先生方は今後どうしていくかということに不安を持っている。1こまは外国語活動で取っているので,もう1こまをどうするかという問題については,例えば短時間モジュールを15分掛ける週3回やって,それを35週やるということをした場合に,各学校では学力向上のために算数や国語や読書活動など,かなりそちらに割いているので,実施できる学校とできない学校がある。各都道府県の各学校,また各自治体の状況に応じて,短時間モジュール若しくはいろいろなキャンプ等も含めた柔軟な形で実施していただけると小学校はとても有り難いし,賛成である。各短時間学習やいろいろな形態で行う週2こま分の扱い方についてはそれなりの成果を上げないといけないので,それに応じた資料等を作成して,現場に実施形態を選んでいただくという方向であれば,うまく円滑に持っていけるのではないか。

○ 小学校は英語だけをやっているのではなく,公立小学校等は,様々な課題のある生徒も学校によっては随分違いがある。短時間モジュールをすることについては,例えば15分を週3回とすると,これは現場では無理なのではないか。学校現場の短時間モジュールを考えたら,週1回若しくは2回程度までが限界ではないか。60分,つまり45分プラス15分というようなことも検討しながら,短時間モジュールについては,2週間若しくは3週間で1こまの扱い程度なのではないか。そうすると,こま数としては仮に2週間で1こま分の短時間モジュールという扱いをすると,年間35週としたら17時間ぐらいになる。3週間に1回とすると,12ぐらい。12から17時間ぐらい短時間モジュールとして考えることができるのではないか。年間70単位時間から17若しくは12を引くと50数時間。50数時間については,いわゆる45分の授業というのはどうしても必要なのではないか。5・6年生の年間指導計画イメージ案という中に,一応8時間ぐらいの扱いで作っているが,6時間ぐらいが実際の45分の活動になって,2時間分ぐらいが短時間モジュール,あるいは短時間学習という形になるのではないか。子供はやはり忘れるので,新しく覚えて,それがある程度いい流れができたとしても,それが使えるようになるには時間が掛かるし,ある程度できるだけ短いスパンで繰り返しをしていくということが必要なので,そういう意味では短時間モジュールというのはある意味では大事かなと思う。

○ 仮に年間70時間取れるとして,短時間学習の入れ方,学校の組み方によっては,児童の到達レベルというのはかなり変わるのではないか。子供が忘れるということは必ずあり,次の授業ではその復習から入るというのがある。短時間学習の15分間というのがどこに設置されるのか,又は45分でいくのかということによって,かなり変わってくるのではないか。
それから,もし15分の短時間学習ができた場合,例としてアルファベット文字を書き写すとか,そういったことがもちろん考えられるが,その時間が形式的な単なるドリル活動だけになるということについては留意する必要がある。

○ 各都道府県や地域によって差が出るということで,その児童の定着度が変わって幅が広がるということに大変危惧があるので,そこはやはり実施可能な全国それぞれの児童の付けられる力がある程度一定するような形で示さないといけない。中学校は当然その幅が広がった生徒が来るし,高校となれば,更に広域の地域が違う子たちが集まってくる。そうなると,他教科で学力が高くても,英語だけこれだけ幅が違うということが高校で起きてしまう可能性がある。やはり小学校の時間設定,定着度をどう図るかというのは非常に大事な問題だと思う。

○ 短時間学習のたたき台の中で,今の「Hi,friends!」の枠組みを基にして作られているということは,新たな教科化になっても,小学校の教員が非常に受け入れやすい。「Hi,friends!」の枠組みということになると,表現であるとか,語彙も引き継ぐということになると思う。「Hi,friends!」はCEFRのA1レベル全般のことを取り入れられているが,それを受けての小学校の外国語科になるかということは非常に参考になるが,短時間モジュールが45分とのバランスを考えると,短時間モジュールの方が同等であるなど,多くのは,小学校の現場においては難しいように思う。このたたき台の中で,5年生の方は文字,アルファベットが主になっているので,それだけを短時間で扱っているように取られるのかと。機械的な繰り返しになっては,やはり短時間モジュールの扱いとしてよくない,6年生の方が単元の目標を踏まえた短時間の学習になっていて,意味ある場面設定の中で「慣れ親しむ」の時間が非常に足りなくて,無理やりコミュニケーション活動で行っているので6年生の方が非常に勘違いされにくいのではないか。そうであれば,時数を増やすところは,意味ある活動の延長線とすることが非常に大事である。ただ文字は,長時間書き続けると 子供たちの意欲は減退していくということもあるので,例えばここの6年生の短時間にあるように,コミュニケーションの場面を入れるけれども,最後のところに文字を入れるとか,そういった扱いをすればよいのではないか。しかも,その短時間モジュールが余りにも多過ぎると,これは学校現場にはなじまないかなということもあるので,やはり45分が主流であって,その枠を越えたところで,何時間かが短時間モジュールであるといったイメージが持ちやすいのではないか。

5.中学校,高等学校の改善の方向性

○ 英語を読むという受信については,教員にも指導に関するノウハウの蓄積があるが,発信の方はそうではない。ただ,教員は,生徒たちが発信することにより喜びや楽しみを感じているということは実感として分かってきている。今度の改訂では,そのような発信力を付けるにはどうしたらいいか教員への支援も含めて検討が必要である。
 
○ 書くことは非常に時間が掛かる。特に文を書かせるとなると,非常に誤りも多いため,長い目でどんどん習わせるという視点が必要だと感じている。
 
○ 話すことに関しては,現状としては即興性が中学校の授業の中で行われていると感じられない。自分の意見に対して理由や更に詳細な説明をすることは,中学校の中で恐らく一部でしか行われておらず,音読で終えてしまっているということが現状にある。アフターリーディングの活動でどんなことができるか,どんなことをさせられるかということが中・高の現場では大切ではないか。


6.小・中・高等学校の連携について

○ 小・中・高を通じた育成すべき外国語教育というのは,これは今までに目に見えてなかったが,今後,そういった小・中・高の流れが可視化された形で,教育に携わる者が小・中・高それぞれ異校種の状況を理解しながら授業に取り組んでいくということができればよい。
 
○ 小学校で課題となっているのは,中学校との連携。小学校の外国語活動で身に付いている積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度が,中学校での意欲・関心の部分ではなく,話す,聞くといった知識・技能の領域に本当に役立つように,小学校から中学校を通じて4領域で今後つなげていくということは非常に大事である。

○ 小中連携の観点から,小学校では,これまでの成果として外国語活動を大変楽しんでやっているという調査結果が出ている。教科になったときに,英語嫌いになるのではないかという心配が校長の中にはかなり多い。

○ 小中連携が大事だというのは,ずっと言われてきた。中学校のティーム・ティーチングとして授業に週一回入っている小学校の教員の話を聞くと,特に入学時期の中学生に課題があるということを初めて知ったと言っていた。例えば,単語と単語の間を空けずに全部続けて書いてしまう。単語としての意識が子供たちにないため,ずっと続けて書いているなど。そのため,子供にしては,書いたものが読めない,何て書いてあるのか理解できず子供が困っているということを聞いた。また,子供がアルファベット文字を書く4線は,高さを意識しにくいということもある。そのため,文字を高学年で導入する場合,丁寧な指導及び内容が必要である。
     
○ 現行の学習指導要領で,指導計画の作成上の留意点の「学校や地域に応じて」というところで,中学校では,外国語活動の実施状況を踏まえながら指導計画を立てることになっており,中学校の先生方が,かなり前向きだと実感はしているが,小学校の学びを踏まえて,それに発展をさせるような形での授業改善というものを中学校では,行っていることが多いかというと,必ずしもそうでない実態があったと思う。その意味では,「学校や地域の実態に応じて」という程度ではなくて,もう少し一歩踏み込んで,小学校の外国語活動や外国語科で学んだことを踏まえてという形で,指導改善をしていくような文言を入れていただきたい。

○ 小学校では相手意識,あるいは積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度面を大事に育みながら,特に音声によるコミュニケーションについて,培っていただいているが,文法的,音声面,あるいは文字の面において子供たちの気付きを大事にしながら,明示的に教えるというよりは気付かせながら授業を組んでいることが多い。これが中学校になった途端に変わって明示的に教え,練習させるということになると,今目指そうとしているレベルを達成することはかなり難しくなるのではないかと思うので,小学校を受けて,また高校に送り出す,そこの部分の記述をしっかり位置付けていただきたい。

7.小・中・高等学校の学習評価の在り方

○ 外国語と国語との連携について,言語の知識・技能のみではなく,習得したことを活用できるような見方,考え方が,評価の観点からは,思考力・判断力・表現力に関わる連携になっていくと考える。
 
○ 観点別学習状況の評価と,目標に準拠した評価(質的なもの,学習到達目標)との関係をどのように図っていくかが課題になってくる。
    そうすると,実は小学校,中学校,高校という積み上げ型の考え方ではなく,高校卒業時でどのような学力を育成するか。そのためには中学までにどういうことをしておくか。さらには,小学校でどのようなことが必要かについて考えることで,必要なカリキュラム,必要な資質・能力,さらにはそれに伴う評価をどのように行うかという内容が見えてくる。
   
○ 学校教育法30条の2項を踏まえ,三つの評価の観点は変わっていくと思われているが,特にこの中で主体的に学習に取り組む態度は重要になると考えている。この項目は,知識・技能と,思考・判断・表現を統合できる評価項目となっていくのではないかと考えている。例えば英語で言えば,CAN-DO形式の目標と思考力・判断力・表現力とのことを,主体的に学習に取り組む態度の項目をかなり重視することによって,習得と活用の評価をそこで評価できていくということになるのではないか。

○ 評価については,とにかく学級担任の先生が評価できるもの,そして,子供たちが英語を嫌いにならないものということを目標にしており,現在,試作品として,いわゆるパフォーマンステストをテストという名称ではなく,評価アクティビティという形で,終わった単元の次の単元の中にアクティビティとして盛り込んでいくというものを作成している。
 
○ 今までの学習評価の在り方で言うと,領域ないしは単元が明確に存在しているような教科の場合には,それほど問題ではないが,英語力のように,積み上げ式で,だんだんと力が高まっていくような場合は,今の評価の在り方というのはなかなか難しい部分がある。もし評価の在りようについては他教科にも関わるので,大枠を崩せないとするのであれば,評価のポートフォリオというところ,あるいは自分の進行具合が分かるような指標を,小学校でも小・中・高の目標を明確に示すようなものを学習指導要領に付け加えていただきたい。これは指導の方も,今自分の指導がどこに位置付いているのかということを明確にしながら計画を立てているので,これが小学校の部分,中学校の部分,高等学校の部分と分断されてしまうと,どこに向かっていっているかが分からないし,接続がうまくいかないということがあると思うので,その点を入れていただきたい。


8.学習指導要領の理念を実現するために必要な方策について

○ 大学入試改革,教材,教員研修などの条件整備は大きな課題。各部のところでの議論だけではなく,このような課題も一体的に改善しつつ,横のつながりも見ながら,学校現場まで伝達したときに一体感のある改革であるべきだ。
 
○ 大学の養成や現職教員の研修については,この英語教育改革の時期に非常に大事な視点だと思う。現場の教員を見ていても,大学を出て,新しい指導法を学んでいると思える教員がいる反面,私が大学で学んだことと変わらないということもある。お願いしたいのは,まず大学のカリキュラムは当然変えてくると思うが,変えたものを早めに学校現場にも周知してもらいたい。今,大学ではこういう指導をしているということを打ち出すことによって,学校側を変えていくという流れも作っていけるのではないか。もちろん,現職の教員の研修の情報を周知するというのは大事なことだが,現場を見るとなかなか多忙であり,それを一気に広げるというのは難しいところもあるので,大学の中身が大きく変わっていますよ,というところからアピールすることが必要ではないか。
 
○ 教員の養成と研修について新学習指導要領並びに一連の英語教育改革を成功させるためには,教員の研修が重要だと思う。研修を受けられる環境を学校の方に提供する必要があるが,教員は本当に忙しい。最近の若手又は中堅は非常に研修意欲が高く,英語教育をどうにかしようと変えていこうという意欲はありながら,お互いに議論したりする時間がないので,そういった環境を整えることがこの成功の秘けつだと思う。英語という学習指導要領全体の科目の中の一つかもしれないが,やはりここ数年の英語科に対する負担や改革に関しては,正直言って他教科とは違うものが大きいのではないか。やはり英語科というところの国の動きに対応している教科であるというところを配慮し,それを担う教員への環境整備をお願いしたい。

○ 語彙量が全体に中学,高校と増えたが,教科書を分析してみると,語彙の取扱いはかなりばらつきがある。そのため,「身に付けさせたい表現に対してこのような表現の文法や語彙が必要」ということがある程度分かる参考資料を作成してはどうか。
 
○ 大変な課題があると思う一つは,やはり教科書。中学校の先生方が一番頼りにしているのは教科書である。教員はこの教科書を全て完璧に教えなければいけないということが非常に強く思われている。言語活動の中でスパイラルに勉強できるような教科書・教材はどのようなものかということをしっかり考え,教員に提供していく必要がある。

9.その他

○ 昨年度まで,教育委員会の立場で文部科学省から受けたことを一生懸命発信をしていたが,十分伝わっていないと感じる。伝わっていないのは,個人的には,やはり指導主事の責任だと感じている。何を目指しているかを的確に伝えていかないと,先生方は本当に一生懸命であるが,向く方向が違っているという状況があるのではないかと感じている。


【別紙】
外国語等における小・中・高等学校を通じた国の指標形式の目標(イメージ)たたき台に対する御意見


課題1: 高等学校の必修修了段階で(すべての高校生が)A2レベルに到達することを目指すには小・中・高各段階で何が重要か?

§ 小学校では「片仮名英語」ではなく「英語らしい発音」を聞き取ることに慣れさせたいので,指標 (p. 7) の中に,「自然な英語の音声を聞き」などのインプットの質に関わる表現は入れられないだろうか。[※さらに,これは国語科の課題ですが,ローマ字について,英語の単語 (apple) をローマ字 (appuru)で書かせるなどの指導を避けるようにできないものか。]
  中学校では,機械的な暗記ではなく「自分の言葉として」英語を話すことが大事なのですが,それが,p.9のA2 にあるように「即興で」に当たるのかどうかが難しいところです。ここで言う即興とは,繰り返し練習することにより,必要な場面に遭遇した際,「メモなどに頼らずに」話すことができるということで,「(これまで話したことのない内容を)その場で何とか即興で話す」ということではないのではないでしょうか。また,どちらかと言えば,発表は準備をして,やりとりは即興で,ということではないかと思いました。
§ 高校では,読む際に書き手の「意図」を理解すること,書く際に「読み手」を想定することが大事なので,p.10の,B2にある,「筆者の姿勢や視点を理解する」に当たる点を A2やB1にも,「概要・要点・書かれた目的を理解できるようにする」(表現は要工夫)などと入れてよいのではないでしょう。高校の訳読式の大きな問題は,「結局何が言いたいのか」を理解させずに終わってしまうことにあると思うので。
§ 高校の「話すこと(発表)」について (p. 9), 「簡単に話す」ということと趣旨は同じなのですが,「相手にわかりやすい表現を用いて」などとしてはどうでしょうか。
§ 高校の「書くこと」について (p.11),「はがきや手紙」とあるが,「eメールや手紙」などの方が現実的ではないでしょうか。

課題2: 小・中・高を通じた指標形式の目標全般の見せ方についてはこれでよいか?
§ 技能ごとの一覧 (p. 7~11)は,CEFR のレベルが先に来て,A1 = 小学校高学年・外国語+中学校  という表記になっていますが,一般教員の目からすると,学校種・学年が先に来る方がわかりやすいのではないでしょうか。何か意図があるのでしょうか?
§ 具体的な教材に落とし込まれて初めて実効性を持つという観点から言うと,p.7~11の「授業における主な言語活動」の欄に,より具体的なトピック(挨拶,電話でのやりとり,クラブ活動...)など,生徒のニーズと社会的必要の接点となる「これ必要なトピック」,あるいは別の視点で「是非必要なテキストタイプ」などを入れた方が,イメージがつかみやすいのではないでしょうか。(それは学習指導要領策定チームの仕事?)
§ 技能ごとの一覧 (p. 7~11)に一貫して流れる骨格として,言語活動(タスク)を想定しているのか,それとも,今後議論になるであろう,語彙・文法構造のリストが想定されるのか,そこが明確にならないと,既存の文法体系をそのまま使った教科書ができてしまう危険性があるかと思います。語彙・文法項目を考える際,特に「話す」「書く」に関しては,よく使える基本語彙を「発表語彙」として提示する必要もあるのではないでしょうか。語彙・文法に関して,現在はコミュニケーション英語Iですべてを扱うこととなっていますが,全ての項目について発表に使えるまでに習熟させる必要はなく,そのあたりを明確に伝える必要もあるのではないでしょうか。

○ 小学校の発音とつづりの関係について,読むことの中学年に「アルファベットの文字を識別し,発音することができるようにする。」とある。論点整理に「高学年から発達段階に応じて4技能を総合的・系統的に扱う教科学習を行うことが求められ,その際,アルファベットの文字や単語などの認識,国語と英語の音声の違いやそれぞれの特徴への気づき,語順の違いなど文構造への気づき等を促す指導を行うために必要な時間を確保することが必要」とあることを踏まえたものと考えるが,そこで取り入れられると考えるフォニックス学習は,英語学習には大切だと思う。しかし,英語が教科化したから小学校5・6年にすぐにフォニックスというのは,負担が大きいと感じる。母語においても,小学校入学までに日常で身近なことばやきちんとした会話でなくてもしゃべることができるようになってから国語の学習をする。このことから考えると,日常的にも聞き慣れない英語の発音とつづりの間に規則性を明らかにし,正しい読み方を学習することはレベルが高いと感じる。

○ 中学年における指標形式の目標について,中学年の外国語は活動であり,教科ではないので評価はそぐわないが,目的を明確にするためならあり得る。高学年の又は,中・高の外国語のどこにつながっていることなのかをはっきりさせるため,系統性を明らかにすることは大切である。使用方法としては,その目標に基づいて学習評価を教師が「できる」「できない」で評価するのではなく,児童の振り返りに活用するなど活用方法の考慮が必要である。

○ 小・中・高を通じた指標形式の目標について,想定される学校種が,A1なら小学校高学年+中学校とまたいでいるので,主な目標がどこがどこまでか明確でない。有識者会議でも示されたように,早期の段階から高度の水準を求めることがないよう計画し,学習意欲を維持・向上させるような配慮が必要。例えば,書くことのA1で主な言語活動の・三つ目は,小学校では難しいと感じる。つまり,どれを小学校でし,中学校ではどれを選ぶかを各校で考えるなら,選ぶ学校と選ばない学校では指導内容が変わってくると感じる。

○ 指標形式の小学校中学年の目標についてズレがある。「書き写す」にしても,目に触れて,読んだことのあるものにすべきだ。中学年読むこと「単語を見て意味を理解する。」となっているが,書くこと「簡単な文を書き写す」となり,単語しか読んでないのに,文を書くことができるのか。十分に慣れ親しんだものを書くに移行すべきである。


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