第16回教育課程企画特別部会における主な意見

■.教育課程の総体的構造の可視化と「カリキュラム・マネジメント」の実現

○ カリキュラム・マネジメントの図は、そのパーツの配置等もう少し論点整理で示したカリキュラム・マネジメントの三つの側面と符号する形にするのが良いのではないか。全体像を描いていくことで、関係者の理解も深まるように整理を進めていく必要がある。
○ 地域との連携や人的・物的資源等を効果的に組み合わせて実施するという部分は、この全体の図の一番核に置かれてもよいのではないか。俗に言う条件整備という大きなウエートを占める部分については、教育課程の各教科等の構成の全体を支えるという意味合いで一番下の部分に置かれても良いのではないか。学校教育目標と教科横断的な視点が教育目標の一番上の欄と、それから、各教科等の構成のところに、間に入る。
○ これまで少なくともカリキュラム・マネジメントという言葉は余り使われてこなかったが、基本的に私は、学習指導要領の総則、あるいはその総則を解説した解説書のそこのところに、我々が言おうとしているカリキュラム・マネジメントの手続や考え方を盛り込むことができるのではないか。
○ カリキュラム・マネジメント全体像は、この示された総則の柱やここに盛り込まれた要素とか、構成要素とどう全体的に配置されるのか。総則の柱が明示されることで、より全体像を把握することができる。
○ 総則の改善イメージは何を伝えたいか、何をどう学校を変えていきたいかの表れ。これを見ているといろいろ盛り込み過ぎて、学校が非常に窮屈になる、何もかもやらないといけないというイメージが拭い切れない。カリキュラムを作るということは、教科書の内容を一から丹念にやることではなく、どこで重点的にアクティブ・ラーニングを行うか、どこでどういう力を評価するかなど、学校独自に計画を立てていくこと。力を入れるべきところを学校の中で決めていくべき。金太郎あめのように、いつどの授業を切っても同じような形でやられているというのではなくて、中学校なら3年間、小学校なら6年間、見通して、あるいは1年間の中で見通して、どこが重要かをきちんと学校なりに判断をして、串団子型にカリキュラムを作っていく。こうしたカリキュラムを作る根本をどこかに入れていただきたい。
○ 各教科と総合と特活と道徳と、資料に表されている関係があるのは現状と同じ。各学校では基本計画を作り、必ずこういうことが盛り込まれている。今、我々が欲しいのは、何が大改善なんだというところの絵。この総則に盛り込まれていることを絵に表すような取組が望まれる。
○ 総則の書き方が幼小中高一貫した流れで書かれると、学校段階を越えて読みやすく理解しやすくなる。幼稚園の場合には、幼稚園教育の基本から始まり、小学校、中学校、高等学校も恐らく同じような書きぶりになってくるかと思うが、共通して書かれるものと、それぞれの学校段階の特色が出る部分の双方があることが望ましい。
○ 総則について構造的な把握が出てきて、現場の先生方が自在に使えるようにする配慮が今後求められる。例えば解説書や指導資料等、あるいは初等教育資料等で具体に示していくこと。さらにこの構造自体も、見えやすく理解しやすくすることが大事。ある種、学問的に共有されている構造と対応していると、学術的にも理解しやすく、現場にも伝えやすくずれないかな。つまり、カリキュラム編成というのは、昔のタイラーズ・プリンシプルという目標論、内容論、方法論、評価論の四つが要るという議論と対応している。ある種の論理構造として明確になると良い。
○ 今回は総則の中に新しいものを単に付け加えるのではなく、構造的に再編成をしていく作業。その項目をどう残存させたり組み入れたりするかということは、かなり慎重に、構造的に考える必要がある。
○ 重要なことは、学校の教員がこの総則を読み、教育課程が見通せること。小学校、中学校、高等学校、幼稚園も含め、各学校段階間の関連や見通しが持てるかどうか。
○ 学校間、小学校、中学校、高等学校間の資質・能力と目標がどういう関連になっているかが見通せるようになっている必要がある。小学校は小学校の指導要領あるいは総則しか、学校の先生は読まない。幼稚園から高等学校までの全体的な資質・能力と学校教育目標や関連が総則に出てき、資質・能力が構造化されていることが重要。
○ カリキュラム・マネジメントにおいて、教科と各領域、教育課程外の活動がどういう関連でどこまでできるのか。学習指導要領そのものは、当然、マキシムではなくミニマム。最低限のことを実現しつつ、学校がそれぞれの状況に応じて、どういうようにカリキュラムを作ったり、発展的なものを作れたりすることを保障していることを見えるようにしていただきたい。
○ 全体的な姿をどういう形で明示するのか。従来であれば、答申文の中で示し、あとはそれぞれの告示の中でという形になるが、今回は総則の全体を、幼稚園から高等学校まで通して、言うならば答申文と総則との間を結ぶような位置付けが重要になってきている。各学校段階を通した教育のイメージをどういう姿にして明示していくのか、総則のそれぞれ冒頭のところに同じものが来る必要があるのではないか。

■.「何ができるようになるか」(教育目標と育成すべき資質・能力の明確化)

○ 学校教育目標とそれに基づき育成すべき資質・能力の設定が具体的にどこまで深まっていて、明示化され、それが各教科や領域でどうなっていくのか。学校教育目標自体は、学校教育法や教育基本法に書かれているが、それに基づいて資質・能力として設定されるものは、各教科の総合として出てくるのか、アクティブ・ラーニングなど様々な側面を含めて新たな資質・能力として提示されるのか。
○ 資質・能力という側面でカリキュラム・マネジメントの中核をはっきりさせ、かつ資質・能力は学校教育目標の中心として位置付けるということで、学習指導要領との関係を明確にすることが重要。
○ 生きる力、確かな学力、豊かな心、健やかな体と、育成すべき資質・能力との関連が分かりづらい。これまでも、教科横断的に、例えば問題解決スキルや論理的思考を育んでいこうと言っていた中、ここに教科が表立って出てくると、その関連性が分かりづらい。加えて、育成すべき資質・能力について、三つの柱が何かをしっかりと見出しに入れていくことが必要ではないか。
○ 確かに、子供たちの発達は時間的に連続しているものだが、校種ごとの子供たちのそのときの姿があり、例えば小学校の学習が中学校に行くために必ずしも持っていなければならない学力というわけではない。中学校のときの学びは高校に進学するための学びではなく、そのときそのときの子供たちの生活を充実させるために必要な学びだという位置付けが必要。次の段階で恥ずかしくないように、今のうちにちゃんと学んでおきなさいという論理ではなく、各校種での子供たちの発達段階、子供たちの姿をもう少し明確に書き表す必要があるのではないか。
○ 「コアを構成する資質・能力」については、「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」という学力の3要素があり、知識・技能、思考・判断・表現、学びに向かう力が「確かな学力」と対応しているように見えるがどうか。もし対応しているならば、もう少し広く取る必要がある。特に学びに向かう力に当たる部分、これは「豊かな心」や「健やかな体」にも広がっているのではないか。また、「社会・職業への円滑な移行に必要な力・市民性」とあるが、「健やかな体」が外れているように見る。体の中を使って、社会や職業の力を付けて、市民として必要なものを培っていくのではなか。

■.何を学ぶか(教科横断的な視点での教育課程の編成)

○ 「合科的・関連的な指導」は以前から書かれているものの、現実的にはなかなか展開がなされていない。時数のこと等も含めて、カリキュラム・マネジメントの中核だと思うので、重点化して書いていくと良い。単元計画や指導案は教科毎に書く、時数も教科毎という意識が強いので、それを突破していく具体的な方策になり得る。
○ 今までの英語教育と同じやり方で良いのか。英語やICTは、手段であって、それを単体で割り出して教えるというよりは、ほかの授業の中で反映していく方が大事。試験に通るためや、それを終わらせたから次に行くというようなことだと、知識にもつながらない。日常的に、普通に違う授業の中で使っていくような方法で是非行っていただきたい。
○ プログラミングは教えなければならない内容ではあるが、ほかのいろいろ課題を反映して、チームワークを生かすことやICTを活用することなどにも注意していただきたい。

■.どのように学ぶか(指導案等の作成と実施、学習指導の改善・充実)

○ 「アクティブ・ラーニングの視点に基づく」というポイントが小中では書かれているが、高校の方では見受けられないので、それを示していただきたい。
○ 「各教科等の目標の実現のために見方・考え方を働かせた学習活動を実現すること」とあるが、「各教科の」と1段落としてしまった途端に、結局、教科をやればいいのよねと、各教科の目標が、コンテンツにぐっと寄ったようなことのために使われることを心配している。ここが間接的に2段構えになっている論理構造で本当にいいのかが少し気になる。
○ 教育方法をどう示していくかが今回の重要な点。「言語活動」以下、「個に応じた指導」「コンピュータ等の活用」等は、今後ももちろん大事だが、「見方・考え方を働かせた深い学び、対話的な学び、主体的な学び」と並列で書いて良いものか。横並びにしてしまうと、ただ工夫が一つ付け加わったという見方をされかねない。

■.何が身に付いたか(学習評価の充実)

○ 各教科、左側に「改善のためのPDCAサイクル」として、一番左側に高等学校基礎学力テスト、小中のところには全国学力・学習状況調査、これでPDCAサイクルを回していって、積み重ねていきましょうというのは、少し誤解が生まれるんではないか。何をもって到達したと見るかという、PDCAサイクルを回していくかというときに、このペーパーだけではちょっと誤解を受けるのではないか。
○ 「知識・技能」、「思考・判断・表現」は、いわば授ける部分。一方、「主体的に学習に取り組む意欲・態度」は育み、引き出すもの。「豊かな心」や「健やかな体」も、同じカテゴリーに属するもの。これをいかに的確に評価し改善していくかのプロセスとして、前者は比較的確立しているが、後者は「それ以外」と書かれており、ここを効率的に改善・充実させることが今回の目的。

■.子供の発達をどのように支援するか(キャリア教育、特別な配慮を必要とする児童生徒への指導等(特別支援、日本語指導)

○ 特別な配慮の部分について、論点整理を踏まえて追加又は整理すべき視点のところには、すぐれた才能の話が入っているが、総則の改善イメージの中にはそれが抜けている。何か理由があるのか。
○ 外的、あるいは経済的な理由で初等・中等教育を受けるのが突然著しく困難になる児童生徒がいる。いかなる家庭的事情とかに関わらず、国がきっちりと教育を受けることを担保することが必要。特に小学校段階の入り口の段階で十分な支援が受けられないと、その後の一生に関わる。初等中等教育を受けることは私たちは基本的人権の一部であり、十分なサポートで受けられるよう明記されたい。

■.実施するために何が必要か(家庭・地域との連携、チーム学校等)

○ この新しい学習指導要領に基づき、資質・能力を育むためには、評価の在り方が変わるなど、教員が今まで以上に工夫をする必要が出てくる。教員の多忙化が指摘される中、部活動の在り方については抜本的に考えていかなければならない。
○ 幼稚園の場合には、園運営という全体計画の中で教育課程をどう作っていくのかということを常に考えていかなければならない。家庭や地域の協力の下で、それを時には資源としながら教育課程の充実を図っていくことや、教育課程で実施したことを家庭や地域に発信していくことは大事にしている。教育課程と教育課程外や家庭や地域と教育課程の問題の解釈が表現された良い資料になっている。
○ 見方・考え方を働かせた学習指導の一つの構造のようなものが出てき、教科の間でどういう学習をしたらよいのか、領域ではどういう学習をしたらよいのか、それが実際にどういう形で実現可能なのか、あるいは、どういうことをすればよいのかの事例が必要。事例を入れると固定化されるリスクもあるが、先生方が読もうと思うときには、深い学びの定義とともに、実際に何が必要かという事例が要るのではないか。そうしなければ教科間の関連や領域間の関連が出てこない。

■.小・中・高等学校それぞれにおける諸課題への対応

○ 高大連携や入試改革についてはニュースを通して見聞きする程度。これがより見えやすくなると現場の先生方も安心するので、何らかの形でここに反映されてくるといいのではないか。
○ 大学入試は高大接続の議論が進んできており心配ない一方、心配なのが、高校入試がどうなるのかと、小中の接続。高校入試の場合、それまで小学校、中学校で育まれてきた能力を本当に量れる評価が可能なのか。あるいは少なくとも、こういうことをやりましょうというような指針があるのか。大学の場合はある程度あるが、高校や中学に入学する際に不足している印象がある。

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