第15回教育課程企画特別部会における主な意見

■.育成すべき資質・能力を踏まえた教育課程の構造の在り方とカリキュラム・マネジメントについて

○幼小の接続についてかなり踏み込んだ検討がされているが、これは非常に重要。基本的な発想として、学校種間の接続や連携は幼小に限定する必要はない。例えば、小中や中高についても、小中一貫、義務教育学校も現実に動き始めているという状況からすると、各学校種の関係について、それぞれ資質・能力で三つの柱で整理するなどし、資質・能力の設定の仕方や内容の扱い方、教科の相互の関係を見詰め直す必要があるのではないか。

○幼児教育も含めてどういう方向で今回の改訂が行われるかの全体像を各学校段階や各教科に落とした場合に、全体と部分がどういう関係になるかというのがなかなか見えにくい。全体と部分がどういう関係になっているのか、幼児教育から高等学校、あるいは大学までの連携や関係の望ましい形や、横の教科間の関係、総合的な学習を含めた各学校種段階や、小学校の場合であれば、低学年、中学年、高学年が一定程度展望できるような形のイメージがあれば先生方は理解しやすい。それによって、社会との関係や、何をどこまで学ぶのか、どのように活用するのかという資質・能力の三本の柱がどのように生かされて大人になっていくためのものを準備していくのか。その中で、教科や各領域がどういう働きをするかが一定程度理解できるようにされるといい。

○幼小の接続は具体的にイメージが持ちやすくなり、今後、幼小の接続はより充実するという期待を小学校としても幼児教育を直接一番受け取る生活科の立場としても持っている。一方で、小中の接続、連携はまだ見えにくい。さらに高等学校は小学校から遠が、先日、埼玉の方の高校中退者の高一の中退者が大変多いという結果が出おり、その理由の中で一番大きかったのは、先生がもっと生徒を理解してほしかったというものが含まれていた。そうした学校種間のつなぎ目が重要。

○小中高のつながりは非常に綿密に議論しているが、学習指導要領になるときには小学校、中学校、高校、別々の冊子になるので、各校種の方は自分の校種しか見ない可能性がある。そういう意味でもつなぐところをしっかり議論しながら総則などに入れる等の工夫が必要。

○学校間の接続を考えていく際に重要なことは、次の学校段階、幼稚園の場合であれば小学校の先生方、幼稚園の先生方から見て、小学校の先生からも見て、子供の姿ないし教育の考え方が共通になっていくことが大事。一貫した流れというのは、一つの見方や考え方、また、資質や能力で非常に整理されて理解できる。同時に実際の教育要領や学習指導要領ができ、さらにその先、全国の先生方に理解してもらうためには、つなぎ目の部分について充実発展しながら、それぞれの教育が充実しながら両方の教育を見据えながら、それをそれぞれの教育の中で実践していくという学習過程に対する考え方なり、教材についての考え方なりを豊かにしていくという視点も大事。

○幼小、小中、中高、高大と接続はあるが、上に上がっていくに従って学力等の幅が広がってきているというのが大きな事実。特に、学力等の幅が広がってくるところに応じながら高校選択等が入ってくるわけで、専門高校の校長の立場からすると、専門高校に来る生徒の幅というのは広い。非常に高い能力を持っている生徒もいれば、様々な課題を抱える生徒もいる。中高の接続をしっかりやっていかないと重要な進学の上級学校に上がるところの選択を誤ってしまうおそれもある。特に専門高校の場合に大きく影響を受けるのが社会の経済状況。景気がよくなってくると大学進学の傾向が強くなり、専門高校に学ぼうという生徒が減ってくる。また、景気が悪くなってくると、逆に比較的専門高校に学ぶ生徒が多くなってくる。いろいろな観点で接続についてももう少し触れていただけるとありがたい。

○中学校部会は未開催ということだがその理由は? 今回、高等学校や小学校の様々な改訂が行われているが連携も大事。幼児保育では、慣らし保育というものがあり、参考にさせていただき、この春休みも、ならし保育ならぬ、ならし入学を不登校の子供を対象に行ったところ入学式は10名の不登校の子供全員が参加するというような効果も得た。それぞれに参考にできることがあると思うが、つながりが大事。

○校種それぞれの中で接続の仕方が違うので、全体像を示すことが必要。結局、生活など学習全般で接続できる部分から徐々に教科の専門性のところで接続していく部分と、このウエートの置き方が校種が上がってくるに従って変わってくる。そのウエートの掛け方という全体図を示していただきたい。加えて、縦串として、総合的な学習ですと、ずっと縦に見据えることが割と可能ですから、その総合的な学習などを例にとって校種全体の接続の全体図が示されるのではないか。例えば、福井県では福井型18年教育何年か進めている。その中でも幼小、小中、中高、それぞれのところの接続は少し様子が違う、内容が違う。それが実際的でもあり、先生方も分かりやすい。そのウエートを付けた全体図というのがあるといい。

○カリキュラム・マネジメントという言葉が今回出てきていて、カリキュラム・マネジメントというのは一体何なのか、どういうことをしなければならないのか。例えば小学校の先生は一人で全ての教科を持っているが、それが学年を超えて、縦串に本当になれるか。逆に言えば、中学や高校の先生方が、教科の枠を超えてカリキュラム・マネジメントをどう行うのか。教育関係者でもカリキュラム・マネジメントがよく分からないという方もいる。きちんと教員養成の中でのカリキュラム・マネジメントを押さえておく必要もある。

○全体と部分という視点からすれば、全体が教育課程カリキュラムで、それぞれに教科がある面のその部分を構成している。学校全体の教育課程の中にそれぞれの教科があるという視点が、とりわけ学校段階が進行すれば進行するほど希薄になっていて、まさに自分の教科が全ての世界となってしまう。そういう意味で、カリキュラムと教育課程というのは、学校の全体的な教育計画だということを大切にすべき。中高、小学校も含めて、先生方も含めて、教育課程とカリキュラムについての見方とか考え方とか、捉え方ついてのある種の意識改革、あるいは認識の再構築が問われている。

○小中高も含めて多くの学校では教育課程委員会や教育課程部会が構成されている。その構成メンバーがそもそもどうなっているのか。教務主任が一人でもっぱら行っている場合もあれば、各教科の代表である教科主任がそれを構成しているということもあり、さらには事実上は機能せずにメンバーになっている場合もあるかもしれない。実質的に教科部会を担っている方々の役割分担の仕方や相互の教科間の交流、そういう実際の姿をもう少し分析してみる必要があるのではないか。そこを機能化させていくことが教科横断や連携の実質的な担保となる。それを裏支えする教育課程、カリキュラムが実質的に教科部会を機能させる支えになっていく。

○カリキュラム・マネジメントについて、どこから手を着けていくかを考えると、研修や学校改善の視点も重要ではあるが、教員養成のカリキュラムの見直しも有力な手法になってくるのではないか。

■.育成すべき資質・能力を踏まえた教科等目標と評価の在り方について

○教科によっては観点別に資質・能力を育てようとするときに、学校種を超えて育てようという方向性が見えてきている。どの教科でも今後そのように考えていくことにより、学校種を超えて連携することが進むのではないか。学年ごとに、または、この学年からこの学年でこの力を育てる、物の見方・考え方を育てていくというアプローチが教科ごとになされると望ましい。

○複数の教科で概念的知識に関するもの、見方・考え方に関するもの、資質・能力に関するものが出ている。同じ比較する、関連付けるでも、社会科と理科では様相が違う。子供は、比較するという戦略をいろいろな教科で学ぶと同時に、その教科が対象としているものに適合しているような比較の仕方を各教科はしていると知る。それによって今後初めて出会う問題解決場面でどの比較の仕方をどう繰り出したらいいかを考える。そのためには今いろいろな教科、複数の教科で出ている見方・考え方や、資質・能力、問題解決のアプローチが教科間で、教科の本質、教科の特質に照らした場合にどう様相が違うのかを教科を超えて整理することが必要。教科を超えた整理をしつつ、教科を超えた統合をしていくことで、子供の教科を超えて自在に働く、資質・能力、問題解決、戦略やメタ認知になっていく。全ての見方・考え方や問題解決の戦略というのは、その教科が主に対象としている対象に対して適合するように形成されているはずであり、そこに気付くことにより、教師も子供もその教科がどういう特質を持っているのかがむしろ明晰に自覚化されて、教科の本質というのが一層明らかになるのではないか。

○資質を養成するやり方はみんなで議論すること。議論するということは、まず、自分の意見を言う。次に、他人の意見、批判を聞く。その上で、両者の相違点を事実と論理の力で克服する、ということ。日本人はこの訓練が弱い。いろいろなレベルで、それぞれの科目の簡単なレベルから、初等、中等の早い段階から議論の訓練を是非やっていただきたい。大学に入っていきなりやると、今まで経験がないから全く分からず、ウェブで検索して、コピペするということになる。人生のあらゆるところで人との違いを事実に基づいて合理的に克服していくことは、私たちが普段から行っていること。これを教育の現場に早い段階から取り入れ、実践すれば、その結果としていろいろな教える内容が減るかもしれないが、結果として本来伝えたいことが育成されるのではない。

○三つの柱の思考・判断力・表現力のところが非常に充実している一方、三つ目の、よりよい人生をいかに送るかという〝人格〟ところがもう少し各教科で検討されてもいいのではないか。学びに向かう力については各教科で書かれているが、論点整理をまとめる際の、いかに協働的に、ルールを守るなど規範意識を持っていろいろな人と関わっていく、という議論はこれからの子供たちに求められる資質・能力の三つ目の柱として大事だということが強調されていたと思うので、もう少し各教科の中で掘り下げられる必要があるのではないか。

○学習指導要領自体の最終的に作られる形はほぼ同じものとなる。各校種別で最終的には各教科の学習指導要領を作るが、どうしても教科は内容を中心にして構成される。本来は目標が拘束的であるべきだが、学校の先生方は、それはお飾りで、方向目標的として、目指して、頑張っていくという程度で、どこまで小学校、中学校なりで達成するか、到達させるかという意識がなく、地理や歴史の内容をどこまで教えるかの方にどうしても行ってしまう。教科は内容がないといけないが、目標と内容と方法という三つの関係がもう一度見直されるような形のものにならないといけない。そのためには、目標を達成するために内容や方法をどう関連付けて、どう各学校段階で達成されていくかの模式図が必要。そのために各段階でこういう三つの横にフラットになっている知識と技能、それから思考力、判断力、それから、学びのための力を、ある面三角形の形に結び付いてこないといけない。それをどういうように、指導要領レベルでも意識して示せるかということ。

○評価をどこまでするかということ。従来は学習指導要領ができてから、評価をそれぞれ各教科ごとに全体でやるという形になっていたが、今回は同時並行的に進んでいる。全体で見ると遅れ気味で、評価は後回しのように見えているし、どういう関連で評価するかというのも各教科別で、全体の方略がないようにも感じられる。総則・評価部会で少しリードしていただいて、評価の在り方みたいなものの方向性が出てくると、各教科も目標を実現するための内容や方法がどうあるべきかという議論も前に進み、各教科の個別にやっていることが全体との関連で説明できるようになるのではないか。

■.資質・能力の育成に向けた教育内容の改善・充実

○キャリア教育については、小学校、もしくは幼児から始まっているかもしれないが、最終的に高校卒業のときに社会人として自立できる、そうした支援をというビジョンで何か打ち出していけると良いのではないか。

○各教科、各領域の充実は、当然のことながら学校のキャパにまた負荷を掛けることになってしまう。カリキュラムのオーバーロード問題というのが日本ばかりじゃなくて、国際的な問題でもある。これからアクティブ・ラーニングや、プロジェクト学習などかなり柔軟性を要する学習活動を学校の中に入れようとした場合、どうしても余裕がないとできない。その意味での各教科領域の充実と同時に、選択化というようなことも議論していく必要があるのではないか。

○この議論をどうやって実現するかが重要。今でさえ先生方はいろいろな仕事で満杯になっている。企業がこういうことをやりたいというときに何を考えるかというと、お金と人がどう要るかということ。そこから、目標についてどう進んでいくかと決める。今はこの中身だけを一生懸命充実させているという状態で、先生方がどのくらい生徒に対して必要なのかということを、もし足りなければ外の社会から協力を得るかことや、文科省の寂しい予算を上げることなども含めてきちんと考えなければ、理想論だけが膨らんでいくことになる。

○コンテンツが増える傾向にあるので、何らかの形で再整理や、ある種のスクラップ・アンド・ビルド、効率化を図る必要がある。資質・能力を十全に育成しつつ、内容をどう縮減、再整理、構造化していくかということが一つの課題。各教科の御議論を見ていると、教科が持っている内容を資質・能力の観点から整理をし、どのようなアプローチによって豊かな資質・能力を育成することが可能になるかがまとめられている。資質・能力の育成という方から各内容に矢印を向けると、例えば複数の個別のコンテンツが似たような資質・能力を同程度に育てられる可能性というのが考えられる。その場合に複数のコンテンツをやる必要があるのか。いずれかだけをやることで代えられないのか。一種のレス・イズ・モア。現場がゆったりとした時間と精神的余裕を持って、すぐれた実践をむしろ展開できるようなレス・イズ・モアが必要。ただし、そのときにコンテンツの内容で見て、その体系や構造が崩れてしまってはならない。つまり、減らすというときの減らし方の原理が大事。資質・能力の育成の面から考えると、各教科の中で内容を再整理、構造化するような作業が必要。それは一つ資質・能力の側から概念的知識の形成、見方・考え方の育成ということに必要十分であると当時に、各コンテンツから見ても十分なものがどの程度に収まるのかということ。

○このまま教科ごとの議論が進んでいくと、過重負担になってしまうのではないか。語学は形は教えられるが、内容はほかの教科の内容や、教科を超えた内容でなければ身に付かない。そういう意味で、合教科的な観点がもう少しあると良い。IB的な考え方、いわゆる教科主任の立場の人たちが教科ごとにお互いもっと共通認識を持って進めていけるような指導を、例えば教育委員会などから行う必要がある。この報告書の中にその重要性を入れていかないとアップアップ状態になってしまう。

■.学習・指導の改善充実や教材の充実

○個別の知識や技能、思考力や判断力、それから人間性について、その中で、習得・活用・探究心の向上と言い換えることができると思うが、最初の個別の知識や技能の習得については、「深い学び」を言い換え、概念化して先生たちに示すための一つのパラダイムとして、「見方・考え方」ということが紹介されている。それぞれの三つの柱の中で、知識や技術の習得というところにだけ「深い学び」があるのか。配布された要望書を見ていると、アクティブ・ラーニングということを様々な団体がそれぞれの立場で好意的に受け取りながら、しかし、基礎的な知識はどうなるのか、習得はどうなのかということを、特に国語や外国語の分野で懸念している。その声に対してどう「深い学び」を位置付けるのか。そして、知識の構造化ということが二つ目の表現力や思考力というところに委ねられるのか。習得する時点で深く構造化させながら習得していくということが重要だと思う。それぞれの教科の中で十分押さえられるのではないかとも思うが、学習指導要領としての構造化するときに、ここをもう一つ詰めていく必要があるのではないか。つまり、「深い学び」が欠けてしまうのではないかという多くの一般の国民の方々の不安が、特にアクティブ・ラーニングと聞いたときに、身に付けるべきものが流されてしまうのではないかという不安が持たれている。

○深い学びについて、ここでは見方や考え方が重要ではないかという検討がなされていて、それは全くそのとおりだと思うが、それが強調され過ぎると、見方や考え方を学ぶことが深い学びではないかというふうに勘違いされてしまうのではないか。私の意見では、本当の深い学びとは、今まで別々のものと考えていたものが、実はつながっているということを認識することではないかと思う。学校の現場ではどういうふうにそれを教えることができるかというと、教科間が実はつながっているということ。今まで別々のものとして学んだものが、実は関連があるということを、いろいろな具体例を通じて生徒が学ぶことで、こういうふうに深くつながっているのだと理解でき、それを知ったときに学びの喜びを感じるのではないか。そうしたいろいろな経験することで、豊かな人間性や人生を深めていくということにつながるので、是非異なった物事の関連性を認識するという視点からも御議論いただきたい。

○今回はこれまでとある種、実施機関が圧倒的に変わるという話。知識があらかじめ存在し、それを子供たちの中にうまく入れるという話ではなくなりつつある。知識は構成されていく、更新されていく、それがかなり幼い子供でも、主体となり得る。協働的作業の中で形成されるという形で知識観が大きく変わる。それをどうやって指導要領のコンテンツの示し方に出すかという話。アクティブ・ラーニングや、カリキュラム・マネジメントという方法や経営の問題で出していこうという話だが、実際の内容をどう示すかという話が残っている。幼児教育においては、幼児はどんな存在で、幼児が学ぶというのはどんな出来事で、それによって幼児はどう成長していくのかという話が、幼稚園の教育論の解説書の方にかなり丁寧に書かれている。そこを小学校以降、どう踏み込んでいくのかという話。ある種の人間が学ぶ、育つ、あるいは人間はもともとどれだけの能力を持っているか、あるいは知識とはどういうものかということを、教科に共通するベースの、この国の一つの教育課程の足場になる議論として据える必要があるのではないか。

○今度の学習指導要領の中では、個別的な知識だけではなく、それを超えた概念的な知識を身に付けさせることを目指している。その際、本質的な問いが重要。この問いの出来、不出来によって本当に概念的な知識を身に付けられるかどうかが決まる。いい問いの例が挙がってくれば、そこでどういう知識を身に付けさせ、どう理解をさせ、どういう資質・能力を育てていくかという方向性が明らかになりやすい。

○幼小の連携についてはかなり踏み込んで書いてある一方、もう少し各学校種、あるいは各教科の中で多様な個に応じた指導の在り方やインクルーシブ教育の理念実現にむけてのあり方を検討していただきたい。特に多様な個の部分については、高校では理数系の話があったが、小学校、中学校においては多様な才能、すぐれた才能はどう指導し評価し、将来につなげていくのか。また帰国子女や外国人児童生徒への指導については見えづらい。そうした部分についてもう少し踏み込んでいただきたい。

○障害者差別解消法が施行されたので教育でも合理的配慮が求められるが、外国語教育の部分、特にLDやディスレクシアの児童生徒の英語学習についてあまり議論されていないように思われる。彼らは通常学級にいるわけだが、母語の読み書きにも苦労している子どもたちにはICTを導入すれば解決するわけではなく、将来の可能性を視野に入れると通級指導等でより高度な専門指導が求められる。そういったことを語学の部分でも検討していただきたい。 欧米では、手話を第二言語として選べるということも既になされている。そういったことも視野に入れて検討していただきたい。

■.必要な条件整備等について

○現在、スコットランド、オランダ、デンマークなどでは、学校種に在籍する期間子どもの面倒を見るというわけではなくて、ゼロ歳児から、例えば24歳の、また学力だけではなく、ウエルビーイング、すなわち心の健康や体の健康も含めて、幸福感も含めて、社会総抱えで見るという仕組みがあり、すごくうまくいっていると聞いている。そこまで一足飛びにはできなくても、日本にはカリキュラムコーディネーターが居ないのが問題。幼児教育から始まり、小学校、中学校、高校へのつながり、また、各教科会で授業方法・指導方法を考えて新たにしてみたり、あるいは評価評定で更なる工夫を行っていくためにはカリキュラムコーディネーターという役割が必要。教務主任や校長のみに頼るというのもなかなか難しいもので、全体をつなぐ役割と社会の仕組みというのがもう少し整うと良い。

○IBのコーディネーターは、IBOの示したガイドラインに沿って日頃の教科指導が実施されているかを見ながら、各担当の教員と常にコミュニケーションをとる。MYPの中学校段階のコーディネーターは必ずその次のDPのコーディネーターとその話をしながら、そこで身に付けようとしていることがDPにつながるかという縦の連携をとっている。また、IBの場合には非常に教科横断的に概念的な知識を学ばせようとするので、それぞれの教科を担当している教員同士の間で連携を図れているかもこのコーディネーターは見ている。その意味では、日本の学校の教務主任とは、行っている仕事の内容が違う。IBOに対してその学年ごとに実施すべきことを行っているという報告をしなければならない。例えば5年か6年に一遍、必ずアクレディテーションがあり、セルフスタディーのレポートを作り、IBOの訪問を受ける。その際の評価項目をコーディネーターは意識しながら、常にプログラムをデザインしている。そうした立場の教務を担当する人材がいれば、縦のつながりや社会とのつながり、教科間のつながりがよくできるのではないか。

○今回の指導要領の中身は各教科の内容も本質的なところで変わろうとしている。そうなったときにこれまでの教員養成の在り方でいいのか。特に中学、高校で教科教育法等が余り意識されて行われにくいところ、なかなかきちんとした教科教育が行われない中で、本当にこれからのことができるか。

○12月にチームとしての学校の在り方と今後の改善方策についてという答申が出た。コミュニティスクールや、学校全体のカリキュラム・マネジメント、教員養成が関係してくるが、答申に書かれている中身が、全て検討するとなっている。それを具体化していくための予算措置や、今後の学校教育が変わる内容についての重点化、カリキュラム・マネジメントや教員養成の充実を図るための背景的な措置がなければ、学校の先生が非常に忙しい中で、専門性を追求しつつ学校全体のことを見なければいけない。多忙の中での教育の質の深まりは行いにくいのではないか。

○学校の教員の多忙感、忙しさというものがどうしても否めない事実。例えば40人の生徒に対して複数の教員で対応する、ICTの環境整備が必要であるといった内容についても、新科目に限定されないで、ほかの教科科目についてもどんな環境が必要で、どんな指導体制があるべきなのか。そもそも40人学級でいいのかというようなことも本来は考えていかなくてはならない。この環境整備について、どう捉えて、各科目の内容が充実したものにできるかどうかということも含めて御検討いただきたい。

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