資料3 教育課程企画特別部会(第6回、平成27年4月28日)における主な意見

1.育成すべき資質・能力と幼児教育、義務教育の充実・改善等について

○ 資質・能力の育成には評価が重要。観点別学習状況の評価は、特に高校には浸透しておらず、現行の4観点だと評価がしにくい場面があるのではないか。学力の三要素に合わせて、知識・技能の習得、思考力・判断力・表現力、主体的に学習に取り組む態度という3観点に評価の観点を絞り、学力の要素と授業内容との整合性を取ることが大事。評価内容に関しても、学習指導要領の中に、子どもたちに身につけたい力の内容を3観点に合わせて明示していく必要があるのではないか。そうすることによって、指導目標が明確になり、指導と評価の一体化が意識される。そうした意識を持たせるような学習指導要領にしていかないと、評価が十分に行われず、活動だけが表面に出るような授業になってしまう。子供たちが何をどう学んだらいいのか、それを目標に明示して授業に取り組めるような新しい学習指導要領の内容を示すことが必要。

○ 学校教育法第30条2項の学力の要素というのは非常に明快だが、具体的にどのような形なのかというのは、教室ではなかなか分かりにくいところがあろうかと思う。それを具体化するような学習指導要領の在り方というものが望ましい。
 
○ 学力の要素の中の思考や表現等のスキルに関することを教科横断的に、それぞれの年代でどういうように、どんなことを、どのように学ばせるのか、そしてそれをどのように評価するのかということを具体的に学習指導要領に明示する必要があるのではないか。

○ 高等学校を卒業する18歳の段階で付けておくべき力がどのようなものなのか、という見通しを持った上で、小学校教育、中学校教育、高校教育を考えていく必要があるのではないか。一方で、学校間の接続の中で少し意図されたギャップも必要ではないか。

○ 資質・能力というもの自体が教育課程全体の目標改善にならないといけないのではないか。また、学校種間の接続に関しては、小学校段階なり、中学校段階なり、高等学校段階で、それぞれの子供たちがどういう状態になっているかが示されていないといけないのではないか。これまでの学習指導要領や教育課程の論議の中では、内容や観点の基本的な構造は示されているが、資質・能力が具体的にどういうところまでということは書かれていない。英語の教科化や英語活動の充実についても、どんな力を18歳の時に持つべきなのか、小学校からどういうことを培っておくと、それができる可能性があるのか、その時に、小学校で指導すべき内容や活動の提示とともに、どんな力がそれぞれの段階で必要なのかということを明示すべきではないか。イギリスのナショナルカリキュラムのように、それぞれの教科なり、領域の中で、どういう力をどういうように付けていって、中学校の段階ではここまで、高等学校の段階ではここまでということを、目安としてレベルという形で示すことが必要ではないか。
 
○ 評価については、観点別にどこまでできたかということを評価する形になっているが、どういうように伸びたか、どういう方向に伸ばそうとしているのかという、学習のための評価が欠けているのではないか。

○ 上から落下傘的に学習指導要領や解説における各教科の目標及び内容の系統表をおろしていくだけでは、見ていない先生も多く、現場では活用されない。現場の先生方自身が、どのような資質・能力を自分の学校の子どもに付けさせたいかというボトムアップの方式が重要。例えば、前任校では、教員研修としてこれから21世紀を生き抜くためにどんな資質能力が必要かということを小学校1年生から中学校3年生まで学年ごとに中学校区3校の先生たちの力で「コミュニケーション能力」に絞っての具体的資質能力を言語化してみた。小中連携の研究授業はこの観点で話し合われた。また、次の年には「キャリア教育の視点」に沿って小・中9年間でいかに資質能力を育成するかのひも付けを、学区の状況等に合わせて先生方自身が作り上げていった。現場の先生たちから出されていくことが重要である。

○ 総合的な学習の時間は、テーマを先生と子供が合意の上で設定し、活動の見通しを立てて、主体的、協働的に活動して発表し、有効なリフレクションを取り入れたロングスパンのカリキュラムであり、まさしくアクティブ・ラーニングそのものである。このような学習スタイルを、発達段階に応じて、各教科でも可能な限り取り入れるべき。そうすることで、学習の結果だけでなく過程そのものが重要であるという認識が広まるのではないか。非常に優秀な教員は、非常に優れた総合的な学習の時間をコーディネートしているので、それほどハードルは高いものではない。

○ 自分で学習したことを自分の言葉でまとめて人に伝えるということは重要。それによって、より学習に余裕のある生徒は次のレベルを望み、やや理解が不十分な生徒であっては、そこでもう一度考え直す機会が得られる。

○ この部分は教科でないと絶対できないという、各教科の本質に関わる見方、考え方、本質的な問いを全体で整理するということが必要。特に、学んだことが実生活、社会とどういう関連があるのかということを整理するということは非常に重要。例えば算数・数学では、帰納・類推・演繹といた論理的思考や、一般化や記号化、特殊化、単純化といった数学的な方法に関する見方や考え方、そして関数的な考え方、図形的な考え方、統計的な考え方といった内容に関する見方・考え方がある。それらは、式、表、グラフ、論証など、人と議論し納得させるために不可欠なもの。注意が必要なのは、例えば論理的な思考は、学習内容と一体化していないと身につかないということ。そういう意味でも、教科で何ができるのかということは重要。

○ 埼玉県の工業高校生にアンケートを取った中で、中学校のどの教科が自分の進路選択に一番影響を与えたかというよう質問があった。生徒の4割以上が技術・家庭科の技術分野と答えている一方で、特に影響を受けていないという生徒も半数近くおり、中学校等で習ってきた内容がどこまで将来の展望に影響を与えたかということが、見えにくくなっているのではないか。高校教育を考えたときにもやはり中学校の教育は非常に重要であるので、中と高の連携、先生方との交流をもっと深めていく必要がある。

○ 学習で一番大事になるのはモチベーション。今は中学校から高校に入る、高校から大学に入るための勉強となっており、なかなかモチベーションを持ちづらいが、そこをどう改革していくかが重要。

○ 今回の教育課程を考える上では、対立すると思っている概念が、実は対立しないということが大事な点ではないか。例えば、幼小連携の議論の中で、小学校以降の教科の学びの芽をきちんと盤石なものにしようという意図を持ったからこそ、教科内容の前倒しをするのではなく、子供が存分に遊び込み、主体となって、協働的に本格的な暮らしを存分に作ることを大切にする。それこそが、小学校以降の教科の学びの芽になるのだと考えての判断である。昔の考えで言えば、子供が存分に活動すれば知識は付かないというように対立的に考えただろうと思うが、もはや幼小連携の動きはそれを乗り越えてきている。むしろ子供が存分に遊べば遊ぶほど、思考や判断や自己制御やメタ認知、科学的な物の見方などを育てるチャンスは増えることになると考えてきており、これはとても大事なこと。

○ また、社会の要請に応えていく実践的な問題を扱えば、学問的にはレベルが下がるのではないかと思われがちだが、それも違うだろう。社会の要請に応えて本当の実社会の問題を解決しようと思えば、生半可な知識では危なっかしく、むしろ科学的・学問的に正確を期したり、単なる一つの知識ではなくていろいろな知識を持ち込んで、多面的・多角的に吟味をせざるを得なくなり、教科的に見ても、高度な水準に上がる可能性がある。そうような質のものとして社会の要請に応えていくことを通じて、子供が教科の学びの意義を実感するということと、教科的にしっかりとした系統的知識が身に付くということを同時的に実現することが可能になる。社会的な実践力なのか、学力なのかという対立的な問いは間違っているということが、資質・能力の育成ということが打ち出された段階で明確になったと思う。
 
○ アクティブ・ラーニングにすれば量がこなせないのではないか、学力は下がるのではないかという議論は以前からあるが、アクティブ・ラーニングをする中で、学び方や教科の本質が身に付いてくる。本質的な問いや、ブルーナーが「構造」と呼んだものが子供に身に付いてくれば、内容的にはどんどん早く身に付く。算数でも基準量を早く洞察する芽が身についていれば内容の処理は速くなり、社会科でも地理的なものの見方・考え方が身についていれば、全ての地域に一律に同じだけ時間をかけることはなくなる。

○ 社会の要請に応えるとか、アクティブ・ラーニングをしていったときに、トピックやテーマが中心になり虫食い的に進む可能性もある。教科の系統というのは何かということ、順序どおりきちんと全てに触れるということが本当に系統なのかをきちんと見据えていくことが大事。

○ 幼小連携が、遊び込むというところに思い切って踏み込んでいけた一つの大きな理由は、幼児期の子供の学びというのはそもそもどういうものか、そして、そこにおいて、幼児期の子供に形成される知識というのはどのようなものかということについての共通した学問的に基礎付けられた認識を持っているからである。小学校以降も含め、人間はどう学ぶのか、人間の知識というのはどういうものかについて、もっと新しい科学的な知識、認識を足場にして何を教えるかという議論をしていく時代ではないか。分かりやすくするが余りに不正確になってしまって、通俗的な概念を足場に教育課程の議論をするのは、また同じ過ちを繰り返すのではないかと危惧している。

○ キャリア教育、学校教育の中で、早く夢を見付けることをあおり過ぎていないか。なりたい仕事が見付かっていない、夢が決まっていないことが自己肯定感や学ぶ意欲の低い理由となっている子供たちもいる。学ぶということを楽しんでいる子供たちが、その延長で積み重ねていった経験や学びの中から、そのとき出会った仕事に就いて、その中で鍛錬していけるような学びの在り方を組み立てることが大切。

○ これまでなされてきた様々な取組の成果を検証し取り入れること、教育課程の総体的な姿を念頭に置いた上で、各教科の関わりや位置付けを考え、整えるべき環境や条件を検討すること、またその上で、評価の在り方や評価の指標を定めていくことが重要。

2.グローバル化する社会の中で求められる資質・能力や、外国語教育の充実について

○ 現在行われている小学校の外国語活動の成果をうまく中・高に結びつけていくためには、教科へ移行させ、体験から基本的な知識という部分を、小学校の一つの流れの中で、きちんと生徒たちに身に付けさせるということがより有効ではないか。教科になることによって、小学校6年を終わった時点での具体的な目標が設けられ、中学校との接続もよりうまくいくのではないか。

○ 3年生から外国語活動を週1回行っているが、教員の研修や研究授業、ALTの配置、系統的な年間計画など、条件整備をきちんと行われており、週1回でもかなりの効果を上げている。3・4年生で外国語活動が充実してくると、高学年では教科としてもよいのではないか、という話が先生方からも出てきている。ただしその前提として条件整備が重要であり、それがあって初めて教科としての厚みも出てくる。

○ 語学の能力を定着させるためにはどうしても時間が必要になる。今は外国語活動は週1回という形でやっているが、週2回ぐらいまであった方が、生徒たちの語学力を将来的に伸ばす上では良い。週1回だと知識を学ぶだけで終わってしまって、それを活用するというところまでいかない。どれぐらいの時間数が取れるかということが非常に大きな課題になっていると思う。

○ 小学校英語の教科化については、開始時期の早期化という観点だけではなく、グローバル化の進展の中での小学校教育の充実の一環として、母語以外での言葉でコミュニケーションする体験をさせるということが役に立つという観点からも焦点が当たっている。ただし、小学校の教科化のみに期待するのではなく、小・中・高と一貫した考え方でとらえ、そのスタートとして、初等教育のベーシックなところでばらけてこないよう教科化するという整理をつけるべきではないか。

○ 英語を教科化するのであればそれなりの覚悟を持って、自治体間で格差が出てこないよう、養成の段階からきちんとした条件整備をやり、5、6年制はどこでもきちんと英語教育の最初の段階ができる状況にすべき。

○ 日本語でどういうように物を考えるか、日本語でどのようにコミュニケーションを図るかについてのベースがあってからこそ外国語というものが学べるのであり、日本語をきちんとやるべき。

○ スイスでは小学校の頃から教科型にして、しっかりと努力をした成果として皆が英語をしゃべれる。音の感覚は、やはり小学校の頃にきっちりと学ぶことが非常に重要であり、体制をきっちりと整えた上で、教科化に踏み切ってもいいのではないか。

○ 早い時期から英語をやることには賛成。現場を見ていて、小学校段階で英語に2時間、3時間を費やすことによって、日本語力が落ちるということはないように思う。ただし、小・中・高の長いスパンでのCAN-DOリストをきちんと用意し、次につながるようなカリキュラムを作っていくことが必要。5、6年生の英語活動を教科化するにあたっては、今中学校でやっている教科に代わるようなものではなくて、例えば体験を通して学んでいくとか、何かトピックを決めて学んでいくというようなものにしていかないと、現在、中学校の英語になった途端つまずくということと同じことが、3、4年生と5、6年生のところで起こるのではないか。

○ 英語学習の効果を最も強く決める要因というのは、トータルの学習時間だろうと思う。学習時間は、学校の授業時間と、自分で学ぶ時間と、日常生活における接触時間の3つであるが、日本の場合、日常生活における接触時間は極めて少なく、自分で学ぶ時間は個人差が大きい。学校の学習時間も、国際的に言うと決して多くない。中学校から大学まで合わせて10年間のトータルの学習時間が極めて少ない結果として、それほど英語の学力は付かないということになる。それに比べれば、確かに学習を始める時期が早い方がいいとか、指導法の工夫が大事だというのはその通りで、それは十分変えていける話であると思う。

○ 小学校英語について、現在の成果の範囲では期待されていることにまだ届いていないのではないか。例えば中学校3年生、高校3年生時点で、「読む」「書く」のみならず、「話す」「聞く」力も測定して検証することまで必要でないか。

○ 小学校に教科としての英語を入れるということについては、各教科が教育課程の中でどういう位置を占め、どういう役割を果たしており、その教科が互いに他の教科と連動し合いながら、どういう形で学校の教育活動を作り出し、あるいは子供を育てていくのかという観点でとらえ、他の教科との連動、関係においてどういう波及的効果をもたらしていくのかを検討する必要がある。また、自ら考える力をどの言語で獲得させていこうとするのか。それは単独の日本語であるかもしれなし、あるいは、これからの21世紀を生きるには複数の言語でということも、全体的な動きからすると一つのテーマになっているのではないか。

○ 日本の英語教育がなかなかうまくいかないというのは、そもそも日本人の持っている文化も影響しているのではないか。英語では私はこう思うとか、私はこうしたいと、まず結論をはっきり言う。一方、日本の場合には、どちらかというと結論はぼやかして、場や空気を読み、相手を立ててというような中で育ってきている。それが突然、国際社会に出ていったときに自分を出さなければならなくなる。今後、日本人の持っている美徳やよさを併せ持って、グローバルな社会の中で活躍できる人材をどのように教育していくか。実は日本人は、言わなくても察する、高いコミュニケーション能力を持っていると思う。しかし海外の人と接したときには、言わなければ分かってもらえない、自分の意見をはっきり主張していかなければいけない。それは、日本の中にいたらなかなか獲得できないと思う。そこをどうつなげていくかというのがこれからの課題であり、単に英語の時間数を増やしただけでは解決できない。

○ 英語を話せるようになることが即主体的に協働できることにつながるわけではない。異質な他者と協働する力は過日話した保護要因などがあげられる。言語についていえば、日本語と英語の基本的な構造上違い、たとえば「主語から言う」「結論から言う」といった言語学的なスキル・トレーニングも入れていかないと、議論できるようにはならない。英語を学ぶことによって何ができるようにさせたいのか、そのターゲットを明確にする必要がある。

○ 英語教育について。幼小の子供をもつ母親の周りには教材の情報が溢れている。英語を小学校で教科化するという議論の前に、家庭の中でいろいろな取組が既になされており、中学入学時に相当の差が付いているということも前提にしたクラス運営、授業運営を検討する必要がある。学校教育の中だけで教育のプロセスを議論しても十分ではない。

○ 日本の学校英語教育の成果について、客観的なデータが必要。高校3年生に対する英語の抽出テストはあるが、中学校に関してはない。また、文部科学省の調査で英検準1級以上を持っている教員の県別データがあるが、教員の英語力が高いことと子供の成果、英語の授業を英語で行っていることと子供の英語力に相関があるのかどうか基礎的なデータが必要。中学校の全国学力・学習状況調査にも、何年かおきには英語があってしかるべき。

○ 小学校における英語の教科化など、増えてくる社会の要請と教育課程全体の中でのバランスを考えたとき、週5日制など全体の枠についても問題となるのではないか。

3.幼児教育の充実、小学校教育との円滑な接続等について

○ 幼・小の先生方の間で、授業や行事、研究会などの交流が行われ、接続カリキュラムをつくるということも出てきている。そうした幼・小の交流の中で5歳児の姿を捉え直すと、幼稚園での遊びの姿が、これは学習に向かう姿勢として大事だと小学校の先生から指摘されるなど、5歳児の生活の中に、小学校以上の生活や学習の基盤になる学びの芽生えがたくさん見えてくる。5歳から小学校低学年という中に共通の発達の姿というものを見ることができる。こういったことも踏まえて、幼・小のカリキュラムの議論をしていただきたい。

○ 幼児教育における評価は、一人一人のよさを引き出していくという視点から、年度当初と比較して何が伸びているかを評価し、指導要録等に記述している。そういった記述をよりきめ細かく、どういう指導の下で、どういう発達が見られ、今、どういう状況にあるのかということを次の指導者に伝え、子供たちの発達の連続性を保障するようなものが必要である。

○ 幼小の円滑な接続には、行政的な支援も欠かせない。教材の開発や普及のほか、幼・保の教員・保育士希望者が、幼・保のことだけではなく、幼小の連携や学校間の接続ということを学べるような保障も必要。

○ 幼小連携で子供の成長を考えていくと、5歳児ではかなり学びの基礎のようなことができるのではないかと思う。思考力についても、物を比較することや、関連付けて考えるようなことのトレーニングも幼稚園生でスタートできるのではないか。

○ 非認知的能力の議論は、情意面や主体的に学ぶ態度面に関わる中核的な議論。意欲の問題とともに、感情のコントロールや意思力なども含めて考えるべき。 

○ 小学校とのつながりについては、幼稚園での学びの芽生えから自覚的な学びに発展していくという整理。学びの芽生えとは、小学校において、意識して自覚的に意志的に学ぶということの始まりが幼児教育に出ているので、それをしっかり育てようということ。例えば、5歳児において考える力、あるいは子供同士で話し合う力というのは十分育て得るということで、小学校教育の前倒しではないが、小学校教育に発展する芽生えというものが伝わっていることが大事。

○ 幼児教育における評価については、ポートフォリオに近いが、作品例を含めた質的な記述を教師同士で共有し、更に子供とも共有した上で、教師が指導計画を改善し、また子供自身がその改善の一翼を担うという考え方。記述し、共有し、改善するという新たな評価の考え方を検討していただきたい。

○ 幼小接続及び幼児教育の質の向上には、行政的な関わりが重要。例えば、保育所、幼稚園と小学校の教職員の協力体制の構築や、管理職や行政担当者を対象としたカリキュラム・マネジメント研修などを行政的に保証していくことが重要。特に、平成27年度から幼稚園、保育所、認定こども園を基本的に全て管轄することになった市町村が、幼児教育アドバイザー制度の充実など、幼児教育現場への助言、監督の体制をしっかり作ることが重要。また、保育士と幼稚園教諭という2つの免許資格が異なるということの弊害は大きい。既に保育教諭という形で免許資格の統合も提言されているので、その点の議論も進めていただきたい。

○ 小学校のスタートカリキュラムについては、現在、生活科の解説に明記されているのみで、学習指導要領本体には書かれていないので、しっかりと位置づけていくことが必要。スタートカリキュラムについては、いわゆる小1プロブレムのように、子供が教室に落ち着いて座れないということへの対策として捉えられることが多いが、幼小の接続という観点で見ると、幼児期の教育の成果をいかに生かして小学校教育を充実させるかということが重要。そうした観点から充実を図るととともに、スタートカリキュラムという考え方を1年生の教育、あるいは低学年の教育全体に広げていくということが大事。具体的には、現在、国語と音楽と図工の一年生のところに、幼稚園教育に配慮して教育を進めるという記載があるが、それを全ての教科や時間に広げるということが考えられる。また、幼児教育は非常にアクティブで、主体的な学びを大事にしているが、そういう考え方を低学年にも導入し、小学校全体のアクティブな学習の始まりとして、教師が一斉教育を進めるということだけではなくて、子供がグループになり、話し合いながら主体的に学習を進めるというやり方を、いろいろな教科で広げられるとよい。

○ 福井県では、保・幼・小の接続カリキュラムを作成し、「言葉」「数」「自然」「約束」の4つの視点から内容を示している。

○ スタートカリキュラムについては大いに賛成。現状の感情のコントロールだけではなく、体のコントロールや、他人の痛みやルールを理解することなど規範意識を育てることも幼児教育の段階から入れていくことも重要。

○ 幼稚園、小学校低学年の子供たちにとって遊びは学びであり、5歳児の遊びの中にいかに意図的に学びの要素を入れていくか、小学校1年生の子供たちの学びの中にいかに遊びや体験を取り入れていくかが重要であり、そのようなつながりを大事にすることが幼小を分断しないことにつながる。

○ 思考力の育成は内容あってのことだと思うが、必ずしも教科の文脈の中だけで思考力を鍛えていくのでなくてもよいのではないかと考える。学年のはじめに思考スキルのようなトレーニングを単独である程度行ってから、そこで培ったスキルを教科学習や総合学習の中で使っていくという方法もある。

○ 幼・小・中・高の教員が、18歳で育っているべき資質・能力観や学力観を共有していく必要がある。例えば、小学校と高校では読書感想文を評価するときの観点が異なり、それを共有することは非常に勉強になる。他学校種の教員で研修をすることができれば有効。

4.体力の向上や健康の維持等について

○ 社会の変化に合わせた学校体育・保健の在り方が重要。公園でボールを使って遊べない現状では、学校体育で運動する時間をある程度確保してあげないと、生活の中で運動や体力づくりの時間が確保できない時代になっている。また、体作りや運動能力の獲得というのは、幼・小・中・高と連携して行っていくことが重要。小さい子供は、脳から指令を出したことが体にうまく伝わらずまっすぐ走れないが、神経系の発達に応じた運動環境を整えてあげることによって育ってくる。そこが抜けてしまうと、後でやろうと思ってもなかなか獲得できない。

○ 自分自身をコントロールする力や、ルールの中で世界の人たちと正しく競い合っていく力が重要。日本人は自己表現が苦手だが、スポーツでは自分を表現することができ、競い合いの中で戦ったり、競い合ったりして相手を評価していく。できなかったから駄目なのではなくて、競い合うことに意義があるということを、机の上ではなくて、自分の体を通して身に付けていくということは非常に必要なこと。また、自然界とどう付き合っていくのかという観点からは、自然を感じられるのは自分の体であり、まだまだ分からないことがたくさんあるんだといったことも含めて、学校体育・保健で学ぶことができる。コミュニケーション能力や、自分をコントロールする力、ルール、痛みに寄り添うといったことを学び、そうして獲得した資質・能力が他の教科にも連動していくのではないか。また、オリンピックだけではなく、パラリンピックといった題材も通じて、障害のある人たちにどう寄り添っていくかということも学んでいけるのではないか。

5.特別支援教育の充実等について

○ 発達障害には、診断されているケースと診断されていないケース、また要件がそろわないので診断まではされないが発達的な偏りがありそれがのちの自立や社会参加を難しくさせる要因になるというようなケースがある。そのことを踏まえると全ての学校・学級に発達障害を含めた障害のある子供たちやニアな状態像を持つ子どもたちが1割以上在籍することを前提にして、通常学級の中でどう指導していくかということをしっかりと書き込んでいく必要がある。ただ受容されるだけで十分なわけではなく、教育的ニーズに応じた適切な指導がないと社会参加や社会適応が難しくなってくる可能性がある。現状でも丁寧な指導やその子の状態像を理解し受け入れるということはかなり広がってきている。しかしながら、どれだけ理解されても、体力や学力などといったベーシックスキルから衝動性や攻撃性のコントロール、ルールや倫理、マナーなど将来の自立と社会参加を視野に入れたトレーニングが受けられず、具体的なスキルになっていなくて不適応を起こしてしまっている若者が少なくない。現状のように、理解と受容ばかりではますます不適応を起こす社会人が増えていくのではないかということを危惧している。一方で、例えば、小学校1年生3学期と2年生の2学期の段階で全ての子供に聴写テストを行い、その分析を生かして指導し効果を上げている自治体がある。また、中学校1年生の段階で、読みや社会性はどうなのかという文科省の特別支援教育の実態調査に使われたアンケート調査を実施し、そこで上がってきた気になる生徒にはLDI-RやWISC等の検査を行うことによって指導に生かすなど、学習障害のある子供や障害の有無にかかわらず未学習不足学習の子供の指導をニーズに応じて始めることで成果を挙げている学校もある。幼少連携で発達課題のある、あるいはあるかもしれない子どもの早期指導を、個別およびクラス(学校)全体で行うことですべての子どもへの指導成果を上げている自治体もある。こういったことは全国的にやるべき。

○ 交流及び共同学習については、ただ場と時間を共有するだけでは、かえってデメリットにつながる場合がある。交流や共同学習を行う前に受け入れる側の子どもたちに学習のスタイルの多様性をはじめ発達的な違いを、いかに人は生得的環境要因的にみな異なりあうのかという指導を行うべき。そのうえで、受け入れる側の教員が当該児童の担任と情報を共有しながらターゲットを決めて当該児童も含めてしっかり指導できること(ただ、その場にいさせるとか、子どもの中に担当を決めるといった”配慮“ではなく)、またその教員自身がクラスの子どもたちのロールモデルになる言動をとること(発達を理解している等)もしていかなければ効果はあがらない。インクルーシブな教育システムの実現のためにも、そういった点もぜひ明記されたい。

○ 個別の指導計画を作るとか、個別の教育支援計画を作るということはやっているが、現状は作るだけで、あるいは作ってそれらしいことはやっても、実際、成果が上がっているかという効果確認がなされていない、効果確認基づき指導計画の見直しがなされていないところはまだまだ多い。発達障害についていえば、指導計画すら作られないという子どももたくさんいる。心理検査は教育センター等で受け、そのデータだけが教員に渡され、それで指導計画を作りなさいといわれる自治体もある。検査において必要なことは最終的な数字だけではなくその過程であるため、そういった状態で教員に指導計画をつくってニーズに応じた指導をしろということは理に合わない話だ。通常学級に在籍している生徒に課題があるかもしれないと思ったときに、例えば特別支援教育コーディネーターや特別支援教育士を持っている教員がWISC等を取って、その子の何が課題なのかというところまで踏み込んで、しっかりIEP等を書き、保護者やほかの教員と共有し、そのうえで更にそれでちゃんと効果が上がっているかを、せめて半期に一度はリバースしていくことを実質的に担保しない限りは、指導の効果はあがらないし、なによりすべての子どもの教育権が保障されない。そういうこともしっかりと議論し書き込んでいただきたい。

○ インクルーシブな教育システムにおける合理的配慮は、本人の申し出をそのままやることではない。個々の指導のターゲットを踏まえたうえで、その申し出が必要かつ適当な調整及び変更なのか、公平性公正性を担保しながら検討し判断しなければならない。そうしなければ結果として子ども自身が不利益を被ることになる。合理的配慮をする前にやるべき指導があったうえでの話でもあり、そのためにもIEP等が必要になってくるのだが、合理的配慮という概念自体が教育現場ではいまだ理解されていない。新しい学習指導要領にはその点も明記する必要がある。

6.社会の要請等を踏まえた教科横断的な学びの充実や、地域の連携等について

○ それぞれの教科を教育課程の中で孤立させないような、教科横断的な工夫が必要。例えば、理科が他の教科とどういう脈絡の中で、中2なら中2にこういう内容があるということが、他の教科との関係の中で明らかになるような、解説の記述の工夫や資料の作り方の工夫が考えられるのではないか。

○ 小中一貫教育が発展していくかどうかに関して、小中一貫のカリキュラム開発が重要。そもそも9年間に柱を通すというのはどういうことなのか。あるいは、4・3・2とか5・4といった学年の区分を工夫が、子供たちの力を付けることにどういう意味を持つのか、さらに、地域学習やキャリア教育について、既存の教科構成等で学ぶこともできるが、それをより融合的にしたり、横断的にすることによって、どのような効果があるのかといった取組の実践等を吸い上げながら、9年間で柱を通したカリキュラム開発を検討していくことが必要。

○ 小・中・高縦断的な視点で、高校卒業時にどのような力を付けさせたいかを考えることが重要。労働力人口の減少と産業構造の変化が進む中で、子供たちに職業や仕事についてしっかり教えて、考えさせる必要がある。例えば、日本の強みや科学技術といったことであるとか、地域や社会との関わりについて、教科間の連携を通じながらしっかりと教えていかなければ、子供たちは将来困ってしまう。

 

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