教育課程部会 教育課程企画特別部会(第9回) 議事録

1.日時

平成27年6月9日(火曜日) 10時00分~12時30分

2.場所

文部科学省 東館3階 講堂
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 高等学校の教育課程等に関して改革が必要な事項について(意見交換)
  2. その他

4.議事録

【羽入主査】  おはようございます。お忙しい中お集まりいただきまして,誠にありがとうございます。
これから会議を始めたいと思いますが,その前に私から一言御挨拶申し上げたいと思います。既に事務局から御案内をさせていただいておりますが,当部会で御尽力いただいておりました三宅なほみ先生が去る5月29日に御逝去なさいました。先生は,この会でも体調不良の中御出席いただき,大変貴重な御発言を頂いてまいりました。御自身は,御研究の傍ら,実践の場で多くの活動をしてこられたことも私たちの記憶に新しいところでございます。大変な貴重な御意見を多々頂いてまいりましたこともあり,先生の意も受けながらここでの議論を今後尽くしてまいりたいと思います。
大変恐縮でございますけれども,御起立の上黙祷をして哀悼の意をささげたいと思います。よろしくお願いいたします。
黙祷。
(黙 祷)
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,第9回の教育課程部会教育課程企画特別部会を始めます。本日の議事ですが,前回に引き続きまして,高等学校の教育課程等に関して改革が必要な事項についての意見交換を行います。まず事務局から資料に基づいて御説明をいただき,そして,自由討論をしたいと思います。
また,本日,報道関係者等から会議の録音の希望がございます。これを許可しておりますので,御承知おきくださいますようにお願いいたします。
それでは,事務局からお願いします。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。それではまず,配付資料の確認をさせていただきます。本日は,議事次第に掲載しておりますとおり,資料1から資料6及び今村委員から御提出いただいております資料7,参考資料1及び参考資料2を配付させていただいております。不足等ございましたら,事務局までお申し付けいただければと思います。
続きまして,まずは参考資料の御説明からさせていただきたいと存じます。参考資料2をごらんいただければと思います。公職選挙法等の一部を改正する法律案の概要ということで,本日高等学校教育に関する議論をしていただくに当たり,関係する情勢と致しまして御紹介申し上げるものでございます。現在議論されております公職選挙法につきまして,これが改正されまして仮に来夏の参議院選挙から選挙権年齢が満18歳以上となるということになりますと,現在の高校3年生全員が,現在の高校2年生は選挙時点で18歳になっている者については高校在学中に有権者となるということでございます。
文科省と致しましては,参考資料を1枚おめくりいただきますと,引き下げへの対応ということで1枚付けさせていただいておりますが,総務省とも連携・協力いたしまして,今年夏をめどに模擬選挙などの実践例やワークシートなども盛り込みました,政治や選挙等に関する指導の充実を図るための副教材を全ての高校生に配布いたしまして,公民や総合的な学習の時間において体験的な活動も含めた指導を徹底してまいりたいと思っているところでございます。
また併せまして,同じ紙の一番下にございますけれども,次期学習指導要領の検討ということで,前回公民教育について御議論いただきましたけれども,高等学校における主体的な社会参画の力を育む新科目の設置について,これについては引き続き御議論を賜ればと存じます。
続きまして,お戻りいただきまして,参考資料1になります。生徒の英語力向上推進プランになります。文部科学省では,生徒の着実な英語力向上を目指しまして,中高生を対象と致しました生徒の英語力向上推進プラン,報道等でごらんになったかと存じますけれども,これをまとめさせていただきましたので,概要を御報告させていただきます。
本プランの柱でありますけれども,以下の4点を柱と致しております。1点目は,生徒の英語力に係る国の目標を踏まえた都道府県ごとの目標を設定・公表するということを要請させていただく予定であると。これを2015年度末をめどということとさせていただております。
また,2点目でございますけれども,英語教育実施状況調査に基づく都道府県別の生徒の英語力の結果の公表を2016年度から実施させていただくという予定でございます。
また,3点目でございますが,中学生の英語4技能を測定する全国的な学力調査を国が新たに実施するということで,英語力を把握し,各学校における指導改善を促すとともに,国及び都道府県が全体として英語教育を改善し,生徒の英語力向上を図るためのPDCAサイクルの構築を目指すということでございます。
最後の点ですが,中・高・大学での英語力評価及び入学者選抜における英語の4技能を測定する民間の資格,検定試験の活用を引き続き促進するという取組を進めてまいるということでございます。
文科省と致しましては,これまでの英語教育の取組に加えまして,本プランの実施を通じて英語教育の抜本的な改革を推進させていただくという予定でおります。本日は高校教育に関する議論でございますけれども,また次回以降,幼・小・中・高を通じての議論の中でも御参考にしていただければと存じます。
それでは,続きましてで恐縮ですけれども,本日の資料の御説明に移らせていただきたいと存じます。まずは資料3-1をごらんいただければと思います。高等学校の教育課程等に関連する資料のデータ集でございます。前回概要を御説明させていただきましたけれども,前回資料に加えまして,まずはスライドの30番を追加させていただいております。
おめくりいただきますと,スライド30,実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化についてということでございます。これは既に中教審の方に4月に諮問をされまして,この具体化に向けた審議が進められているところでございます。新機関制度化の主要論点というところでございますけれども,質の高い専門職業人養成のための教育を行うというところを考えておるということでございます。本日高等学校教育を議論していただくに当たりまして,高校生の進路の選択肢拡大ということでこうした機関の在り方ということも関連してまいりますので,御参考までに追加をさせていただいております。
また続きまして,48ページ目,スライド48をごらんいただければと思います。地域や学校の実態を踏まえた創意工夫というところで資料を少し追加させていただいております。時間もございますので,簡単に概要ですけれども,高校の必履修教科・科目についてということ,また,学校におきましては,別途,地域学校及び生徒の実態,学科の特色等に応じまして,学習指導要領に定められた教科・科目のほかに独自の教科及び科目を設けることができるという学校設定教科・科目もございますので,これについても御参考まで資料を追加させていただきました。その後ろにも,多様な教育ニーズに対応した特色ある高校づくりの取組の例などを少し追加させていただいているところでございます。
駆け足で恐縮ですけれども,前回は資料2-2に基づきまして,公民教育,歴史教育,地理教育,理数教育,国語教育,外国語教育,情報教育,今回の改訂におきまして科目構成の変更などを伴うことが予想される様々な教育分野について御議論を賜ったところでございます。前回,保健体育なども含めましてという御指摘も頂きましたので,今回は,前回触れ切れなかった高校教育の全体像ということで資料2-1を用意させていただいております。お手元に資料2-1を御用意いただければと存じます。
資料2-1の1枚目は,前回もごらんいただきましたけれども,現在の高等学校の教科・科目構成になっております。丸が付いておりますところが必履修科目ということでございます。この必履修科目の意義でございますけれども,1枚おめくりいただきますと,これも以前からごらんいただいております高校教育部会でおまとめいただいた,全ての生徒に共通に身に付ける資質・能力「コア」についての基本的考え方ということでございます。高校教育の多様性と共通性という中で,共通性の部分で全ての高校生に共通して育んでいくべき資質・能力をイメージしたものがこの図でございます。こういったことを中心的に育んでいく科目が必履修科目というようなカリキュラムとの関係性であると考えております。
次のスライドに,これも以前からイメージということで少し入れさせていただいておる資料でございます。四角の中をごらんいただきますと,教科学習,総合的な学習,特別活動,道徳教育とありまして,これらが相互に往還しながらカリキュラム全体としての力を発揮していくということでございます。教科学習の中では,各教科の文脈の中で個別の知識や技能,見方や考え方などを育んでいく。また,それを単に足し算するということではなくて,汎用的な力に引き上げていく,そういった工夫と致しまして,横断的・総合的な問題解決の能力を育む総合的な学習の時間とか,またアクティブラーニングのベースとしまして,相互に協働しながら活動していくということの基盤を作ります特別活動の意義,また,道徳性を育む道徳教育の意義がカリキュラムの中にあるという全体的なイメージでございます。
スライド3以降は,各教科で育むべき力が何なのかということを次回改訂に向けて少し整理をさせていただいているものでございます。真ん中の見方や考え方の部分を主にごらんいただければと存じます。例えば国語におきましては,実社会・実生活に生きる国語の能力とか,伝統的な言語文化を今に生かし活用できる能力。地理におきましては,空間概念を捉え追究する見方や考え方。歴史におきましては,自国の歴史やグローバルな歴史を相互的・横断的に捉えて諸資料を活用して,歴史に関わる課題を考察する力。公民におきましては,必要な判断を主体的に行い,他者と協働しながら課題を解決していく力。数学におきましては,事象を数学的に捉え,論拠に基づいて判断したり,数学的な考え方を発展させたりする力。理科におきましては,自然の事象を目的意識を持って観察・実験し,科学的に探究する力。保健体育の体育におきましては,様々な運動課題を解決する過程を通じて,生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続できる力。保健におきましては,様々な健康課題を思考・判断し,生涯を通じて自らの健康を適切に管理,運営,改善していく力。音楽,美術,工芸,書道の芸術科目におきましては,それらの分野における様々な創造的に表現する能力とか,よさや美しさなどを味わう鑑賞の能力。また,外国語におきましては,外国語を通じてコミュニケーションを図っていく力。家庭におきましては,自立した生活として生活上の課題を解決する実践力。情報におきましては,情報に関する科学的な見方や考え方を身に付けて,活用し問題解決する力。これらの教科で身に付く力がまた総合的な学習の時間や特別活動との相互の関係を通じまして,人格の完成を目指した汎用的な力として身に付いていくというカリキュラム構造であるというふうな認識でございます。
それでは,スライド7以降,前回触れ切れませんでした各教科・科目について,改善の方向性として考えておりますところなどを少し御議論いただきたいと思っております。スライド8ページ以降が保健体育でございます。スライド9,保健体育に関する指導要領改訂の経緯についてということで,現在,体育は7,8単位,保健が2単位という現状でございます。スライド10にありますとおり,体育につきましては,体つくり運動,機械運動等の領域により構成されてございます。
スライド11,12,これらが前回改訂のときに目指された現状と課題ということでございます。心と体を一体として捉えて健全な成長を促すなどの観点から,技能,態度,知識,思考,判断の内容をバランスよく指導していくということが目指されてきているわけでございます。そういう前回改訂で充実が図られている方向ではありますけれども,スライド14をごらんいただければと思います。現状の課題及び改善の視点と致しましては,生徒の興味関心の多様化の現状を踏まえて,生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力の育成,体育で学習したことを実社会に生かして習慣化につなげるということ,体力の向上を重視した体つくり運動の指導の充実などが挙げられているところでございます。
そうした中で,体育の充実と致しましては,心身の調和的発達を図ることができる資質や能力の育成という観点,する,見る,支える視点からの生涯にわたってスポーツと親しむ力の育成,自己の課題の見直しを図り,日常的に運動に親しみ,体力の向上を図ることのできる力の育成,公正・協力などの意欲を高め,健康・安全を確保するということ,技能,態度,知識,思考,判断をバランスよく育むということ,オリンピック・パラリンピック競技大会を契機に様々な関心・意欲を高めてスポーツを文化として享受していくということ,指導と評価の一体化,実社会で生かすということ,インクルーシブ教育の観点などについて検討が必要かと考えているところでございます。
スライド15以降は,その背景となりますデータについて少し載せさせていただいているところでございます。また,スライド20におきましては,今回は高等学校教育でございますけれども,これにつきましては就学前教育の段階から継続して体系的に発展させていく必要があるということ。スライド21におきましては,体育における資質・能力についての関係性の考え方などを御参考で付けさせていただいているところでございます。また,スライド26におきましては,スポーツ基本法の抜粋も掲げさせていただいてございます。
駆け足で恐縮ですけれども,スライド27以降が保健に関する現状と課題でございます。保健に関する現状と課題,資質・能力の育成に課題ということで,依然として伝達型の授業が中心であり,思考力・判断力・表現力を育成するための学習活動が不十分ではないか。高校生の関心の低下ということとか,危険予測,回避する能力への課題ということがございます。また,内容に関しましては,少子高齢化,疾病構造の変化などに伴う現代的な健康課題の解決に役立つ内容が,場合によって精神疾患,出産に関する内容などがまだ不十分ではないかということ,それから,心身の健康の保持増進に資するスポーツの機会の確保に課題があるのではないかということでございます。
それらを踏まえまして,29ページ目が今後の保健の在り方についてということでございます。実生活や他教科で生きるような汎用的なスキルを育成していくということ,また,学習方法につきましても,健康課題を発見し,知識を活用して課題解決していく学習を取り入れること,保健に関する内容と致しましては,高齢化に対応した内容,少子化に対応した内容,がんや精神疾患などを含め充実を図っていくべきではないかということで,健康の保持増進のための総合的な実践力を育成する科目として見直していく必要があるのではないかという方向性でございます。
続きまして,32ページ以降が芸術教育でございます。芸術教育の経緯,スライド33のとおりとなりますが,スライド34にございますとおり,現在,音楽,美術,工芸,書道の中から一つ履修というような形で,Ⅱ,Ⅲという科目もございますけれども,それぞれⅠを履修した者,Ⅱを履修した者が履修する科目としてそのような構造になってございます。領域と致しましては,表現と鑑賞ということで構成されてございます。
それぞれについて現状と課題をまとめさせていただいております。スライド35でございます。音楽でございますけれども,音楽の狙いと致しましては,生徒の個性を生かした音楽の幅広い活動を通じて,生涯にわたり音楽を愛好する心情を育てるとともに,感性を高め,創造的な表現及び鑑賞の能力を伸ばし,我が国の伝統音楽を含めた音楽文化についての理解を深め,豊かな情操を養うということを狙いとしております。
現状の課題を踏まえた検討の方向性と致しましては,スライド37でございます。より感性を高め,資質・能力を育成する主体的・創造的な学習活動の充実ということ。例えば音や音楽を主観的に捉え,感性を高め,思考・判断・表現する一連の過程を大切にし,根拠を持って自分なりの表現意図を持ったり価値判断したりできるよう,音楽を形作っている要素の知覚・感受を全ての音楽活動の支えとなるよう明確に位置付けることなどについて書かせていただいております。また,音楽文化,様々な音楽というものが人々の生活,文化,伝統などの影響を受け生み出されて育まれているということの意味や価値を理解できるように,理解を深める学習活動の充実ということが大事ではないかということでございます。
スライド38でございます。美術につきましては,同様に表現及び鑑賞に関わる幅広い創造活動を通じて,美的体験を豊かにし,生涯にわたり美術を愛好する心情を育てるとともに,感性や美意識を育て,表現及び鑑賞の能力を伸ばし,美術文化についての理解を深める,豊かな情操を養うということを狙いとしてございます。
こうした狙いを踏まえた現状の課題でございますけれども,スライド40でございます。育成する資質・能力と学習内容の関係を明確にして学習活動を充実するために,これまで以上に表現と鑑賞の相互の関連を図ることや,造形的な視点を豊かに持って対象やイメージなどを捉えたりすることができるような表現,鑑賞の指導を充実するということ。また,豊かな感性や情操の育成という観点,また,伝統的かつ創造的な側面を重視して理解を深める学習の一層の充実など,生活や社会の中の美術の働きや,美術文化の理解を深める学習の充実ということでございます。
続きまして,41ページ,これは工芸でございます。工芸につきましても,表現及び鑑賞に係る幅広い創造活動を通じて,美的体験を豊かにし,生涯にわたり工芸を愛好する心情と生活を心豊かにするための工夫する態度を育てるとともに,感性を育て,表現及び鑑賞の能力を伸ばし,工芸の伝統と文化についての理解を深め,豊かな情操を養うということが狙いでございます。方向性につきましては,スライド43でございます。育成するべき資質・能力と学習内容の関係を明確にした学習活動の充実,豊かな感性や情操の育成,生活や社会の中の工芸の働きや,工芸の伝統と文化の理解を深める学習の充実が必要ではないかということでございます。
芸術の最後でございますけれども,書道科でございます。書道科,これにつきましても,表現及び鑑賞に関わる幅広い創造的な活動を通じまして,生涯にわたり書を愛好する心情を育てるとともに,感性を高め,書写能力の向上を図り,表現及び鑑賞の能力を伸ばし,書の伝統と文化についての理解を深め,豊かな情操を養うことを狙いとしております。今後の検討の方向性でございますけれども,46でございます。感性を能動的に働かせて生徒一人一人が主体的に表現や鑑賞の創造的な活動に取り組むことができるように,豊かに感じ取る力の育成を重視し,各領域や分野の学習に共通して働く資質・能力を明確に位置付けてはどうかといった資質・能力と学習活動の内容の明確化。また,書の伝統と文化を踏まえた書と生活や社会との関わりや,書道の伝統と文化の理解を深める学習の充実などを図ってはどうかという観点でございます。
続きまして,家庭科教育でございます。家庭科教育は,スライド48にございますように,現在,家庭基礎2単位,それから,家庭総合,生活デザイン4単位の中から1科目を必履修ということでございますけれども,スライド49にございますように,教育課程編成上,家庭基礎2単位の開設率が高くなってございます。こうしたことも踏まえて,今後科目構成について検討を進めていく必要があると思っております。
現状と課題について,家庭科については,スライド50にございますように,とても重要だというふうに認識する割合がかなり高いということでございます。また,スライド51にありますように,家庭科を学んでよかったと思う割合もかなり高くなっている。また,期待度と致しましても,家庭を築くことへの重要性,子育て理解,食育の推進という観点からの期待度はかなり高いということでございます。スライド52には,実際家庭科における様々な家庭科の授業,特に家庭や地域との連携ということが今後重要になってくるかと存じますけれども,そういった観点からの事例,それから,乳幼児や高齢者との交流という観点から,スライド53に実践的な学習を重視した事例をイメージとして載せさせていただいております。
今後の在り方についてでございます。スライド54にございますように,生活体験が減少している生徒に対して,実験や実習等を取り入れ,現実の生活の中で活用するための実践力や応用力を身に付ける必要があるということ,生活上の課題を設計し,解決方法を考え,計画を立てて実践するといった問題解決的な学習を効果的に行っていく必要があるということ,という観点から,特に共通必履修科目につきましては,下の黄色の部分にありますように,社会の変化への対応,生涯を通じて自他の生命を守る衣食住生活の実践力を育成するということとか,食育の充実,生活者の視点を踏まえた消費者教育の充実,地域との交流を通じて社会に参画する力を育成するということ,衣食住の生活文化の継承といったことを他教科・他科目との関連性も図りながら充実させていく必要があるということでございます。
続きまして,スライド56,総合的な学習の時間でございます。総合的な学習の時間,スライド57にもございますように,前回改訂におきまして,総合的な学習の時間の必要性と重要性の再確認がされていたところでございます。知識基盤社会において必要な資質・能力の育成に重要な役割を果たすという意義を踏まえまして,時間数を縮減しながらも新たに章立てをするなどの位置付けの明確化と,横断的・総合的な学習や探究的な学習の明確化を提言されたところでございます。
それを踏まえた現在の目標等がスライド58でございます。横断的・総合的な学習や探究的な学習を通じて,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方や物の考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方(在り方生き方)を考えることができるようにするということでございまして,各学校において,目の前の子供たちの現状を踏まえた目標,育成すべき資質・能力を設定するという科目でございます。
その設定に当たりましては,59にございますように,学習方法や自分自身との関わり,他者や社会との関わりということを視点として持ちながら,スライド60のような探究的な学習を行っていくということでございます。このプロセスというのは,スライド61にございますように,様々なPISAの読解のプロセスや問題の解決のプロセスということとも親和性が高いというものでございます。
総合的な学習の時間の実施状況につきましてはごらんのとおりでございます。スライド64に高校における総合的な学習の時間の取組,様々な教科で培った力を生かして実社会の課題を解決するというような学習が積極的に行われており,また,スライド65は,これは小中の例でございますけれども,各教科の関連性ということ,また,スライド66につきましては,保護者の現状ということで,総合的な学習の時間の削減ということに関してベネッセが行った調査でございます。保護者はかなり意義を期待しているということで,特に課題発見力,論理的に考える力など,これから求められる力の育成に関してかなりの期待が高いということでございます。
また,スライド67,68は,日本生活科・総合的学習教育学会調査結果からということでございます。全国5地域におきまして,総合的な学習の時間をかなり重点的にやっている先進校,一般的にやっているところ,トップ校などを抽出しまして調査いたしました結果でございます。トップ校,先進校,一般校の間では有意に差異が認められた力として,質の高い思考力,問題解決能力,地域への貢献などということが掲げられているということでございます。また,スライド69にございますように,様々,OECDなどでも教科と総合的な学習の両方というクロスカリキュラムも含めた教科構造,カリキュラム構造が高い評価を受けているというような現状にあるということでございます。
こうしたことを踏まえまして,スライド70でございます。成果と致しましては,様々な力の定着につながっているということ,総合的な時間を資質・能力育成の核としながら,学校全体として,また教科も含めて探究的な学習を充実させていくという契機として実践が進められてきているというような成果がございます。
一方で,各学校における指導方法の工夫改善や校内体制の整備による格差の解消とか,様々な内容の充実はまだまだ課題があるということでございまして,各学校が総合的な学習の時間を通じて育むべき資質・能力の考え方を明らかにしたり,学校の教育活動全体における総合的な学習の時間の意義を改めて明確化するということが求められているという現状でございます。そうしたことに当たりましては,スライド72にありますように,例えば国際バカロレアにおけるTOKについての考え方,またESDについての考え方なども参考にしながら進めていく必要があるということでございます。
最後に,特別活動でございます。特別活動は,スライド75にございますように,前回改訂におきましては,資質・能力の明示,全体目標に人間関係を加えるなどの改訂が行われております。また,各活動,学校行事の目標を新たに規定して,よりよい人間関係を築く力,集団の一員としてよりよい生活づくりに参画する態度などを重視するなどの改訂が行われているところでございます。
76が特活についての概要でございます。望ましい集団活動を通じて,心身の調和のとれた発達と個性の伸張を図り,集団や社会の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての在り方生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養うということで,ホームルーム活動,生徒会活動,学校行事ということでございます。
77以降は,社会参画の意欲やキャリア意識などについて,人間関係などについてのデータを少し載せさせていただいております。スライド81におきましては,例えば高校において自己肯定感や充実感,将来志向を高めるような実践的な取組について事例を少し掲げさせていただいているところでございます。スライド84以降は,実施状況になってまいります。
こうしたことを踏まえまして,一番最後のスライドの88でございますけれども,特活の在り方についてということでございます。今後より特活で身に付けさせたい資質・能力の明確化ということを各教科の資質・能力とも関連付けながら,また今回アクティブラーニングということでございますけれども,望ましい学級集団の形成ということはこうしたアクティブラーニングを推進する基礎を作るものでもあるということから,そうしたことの充実を図っていく必要があるということでございます。
また,ここにボランティア,防災の実践等とありますけれども,例えば防災,安全につきましては,特活等特定の教科のみで育成するだけではなく,各教科との関連,特に高校におきましては,今回公共とか,また新科目の地理の中でもこういった防災の観点はかなり重要になってまいりますので,そういったもの等育まれた力と特活なり総合的な学習の時間を有機的に関連付けながらお互いしていけるような意義の明確化が必要になってくると考えてございます。
以上,前回に引き続きまして高等学校教育が今後目指すべき方向性について全体的に御議論をいただければ幸いに存じます。長くなりまして恐縮ですが,以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,意見交換の時間にさせていただきたいと思いますが,一番後ろにございます予定表,スケジュールでいきますと,今回が高等学校に関しては最終ということになりまして,その後,全体的なまとめを行っていくことになります。そこで,今回御説明いただきました資料,それから,資料1に毎回事務局から案を御用意いただいていますけれども,論点に関するもの,そういったことを中心に御発言いただければ幸いです。御発言いただける方は札を立てて,お願いいたします。
今回,保健体育,家庭,芸術,総合的学習,特別活動というのがございますので,そちらの議論から進められればと思いますが,山口委員,お願いできますでしょうか。
【山口委員】  保健体育についてお話をさせていただきたいと思います。皆様もう保健体育の重要性というのは,心と体のバランスを含めて十分御認識をされていると思いますので改めて述べることはないかなと思いますが,現在課題となっていることなどについてどのように取り組んでいくかということが重要になってくると思います。
やはり高等学校の保健体育だけを取り上げてなかなか言うことはできず,特に体育活動については,小学校,中学校からの継続が非常に重要で,その時点である程度の資質であったり能力であったりということが開発されてこないと,高等学校では自分で運動嫌いであったり運動ができないという気持ちになっている子がいて,積極的に取り組まないというような現状があると思います。幼児期・小学校からの体育学習の充実と運動習慣の形成が高校や高校卒業後の豊かなスポーツライフにつながるのです。ですから,そういった連携が必要であるということが一つです。
それから,ここは評価もありますのでなかなか難しいところではあるんですけれども,体育の評価をどのようにするかというところに一つやはり課題があるなと思います。高等学校は生涯にわたる豊かなスポーツライフにつなげていく,ある意味では大学に進学しない子の場合には最後の機会ですので,その時点でいかに体を動かすことやスポーツ活動が楽しいという意識を育むかということが将来につながっていく可能性があります。
ただ,技能を身に付けさせるところに重点を置き過ぎると,なかなか楽しさを味わえない。日本の場合はと言っていいのかどうかちょっと分からないですけれども,例えばスキーなどでも,海外のスキーなどを見ていると,曲げて滑ることではなくて,真っ直ぐスピードを出してある種安全に滑り下りること。ただ,日本のスキーなんかを見ていると,きれいに曲げるとか,どうしても技能の方にちょっと傾いている傾向もあるので,日本人の考え方なのかもしれないですけれども,そういったような,なるべく上手にとか,なるべくというところに意識が行き過ぎる。余り上手じゃなくても楽しいスポーツ,運動というのは必ずあるはずなんですね。基礎的な知識やスポーツの意義,「する,みる,支える」なども含めて,スポーツや運動の大切さや自分なりの関わり方など,そこのところをもう少しうまく使えていけるような授業展開をしていくと楽しさがあるのかなと思います。
それからもう1点は,どうしてもクラス単位で,あるいは選択科目でやっていくとなかなか難しいのは,もう高校生ぐらいになりますと能力にかなりの差があるんですね。ですから,とても上手に,あるいは好きで運動ができる子と,苦手な子が一緒になると,どうしても苦手な子がはじき出されるというか,何か入りづらいような状況を作ってしまう。そうすると,どちらにとっても不完全燃焼のような形になってしまうので,その辺りのところをやはりどういうふうに手当てをしていくかということが必要になってくるかなと思います。海外などでは,やはり能力別のクラスを設定して授業をやっていて,余り上手ではないけれども本当に楽しそうに運動をやっているケースも見られますので,そういったところの手当てがどこまでできるか分かりませんが,必要になってくるかなと思います。
それから,保健に関してですけれども,今は本当に情報化社会で,様々な健康に関して,あるいは体力,様々なところで,女の子であればダイエットに関してとかという情報が非常に氾濫をしておりますので,そういった情報をいかに正しく取るかというような能力,メディアリテラシーかもしれませんが,そういったことも非常に重要になってきます。また,今までなかったようなと言ってはなんですけれども,様々な疾病であったり課題も出てきていますので,時代に合わせてそういった課題にどうやって取り組んでいくかというところを保健の授業では展開していく必要があるかなと思います。
ただ,一つなかなか難しいのは,先ほどもありましたけれども,現実の生活とどうやって結び付けて教育していくかという。そもそも体力とか健康というのは,なくなってくると関心を持つんです。ですから,若いうちは体力もありますし,健康にもそれほど不安がないので,なかなか学ぶ意欲とか取り組む意欲が出てきづらいというか,例えば資質・能力の部分でも,理屈は分からなくてもできてしまうのが子供たちですので,そこのところをどういうふうにつなげていくかが大切であると思います。
どうしても説明が長くなってしまって,理解をさせてやらせなければいけないんですが,そこの子供たちの欲求と,それから,伝えなければいけないというところのバランスがなかなか難しくて,その辺りのところに課題はありますが,おそらくこれから未来に向かっていけば心と体のバランスということが更に重要になっていくことは間違いないので,その辺りは皆様十分御理解いただいていると思うので,授業展開というところでは様々な工夫が更に必要になってくるかなと思います。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,荒瀬委員,どうぞ。
【荒瀬委員】  今おっしゃいました保健体育のことについてもとても関心があるのですが,体育につきましては今おっしゃいましたので,とりわけ保健です。この資料にもありますが,どうしても保健の授業というのは,高等学校の場合,それこそ体育の実技の授業は非常に改善がされてきていると思うのですが,保健の方は本当に知識をただ単に投げ込んでいるだけみたいなところがありますので,保健の授業をどうしていくのかということは今回の改訂で真剣に考えないといけないのではないかなということと思います。
それから,芸術ですが,四つの専門がここに出てきています。音楽のところは少し,私が見付けられなかったのかもしれませんが,それぞれの,書道にしろ,工芸にしろ,美術にしろ,主体的に取り組んでいくということを重視するということなんですが,これ,ややもすると,何となく好きで選択して,何となく自分の世界の中に閉じこもっている。結果的に,授業自体にもっと工夫,改善が行われるべきだと思うんですけれども,どうも学校の中での位置付けも,芸術というのは選択科目だし,単位数も少ないし,進学を考えている普通科高校からすれば余り進学には役立たないしというふうな感じで軽んじられている傾向が生徒の中にも定着してしまっているというふうなことを危惧しています。ですから,芸術は本当に大切なことでありますので,そこのところがもっと強調されるような指導要領に変えていくべきではないかなと。
それから,家庭科のところで,生活体験が少ない生徒が多くなっているということですが,実際に調理実習なんかでの事故を見ましても,熱したバターをスプーンに入れて,それを手を持っていって皿の上にのせるみたいなことをしてやけどしたとか,そういう生徒がいるわけです。僕がこれ,保護者と話をしていたときには,保護者の方が大変恐縮しておられたというか,家庭でのしつけが全然できていませんでということだったのですが,しかし,それは単に家庭でのしつけというレベルではなくて,やはり体験的な学びというのはしっかりしておかないといけないと思うんです。その学びがどうもやっぱり家庭科は家庭科の教科の中,これは高等学校全体に言えると思うんですけれども,それぞれの教科の中だけで完結してしまっているところがある。
生活体験とか実際に生活していくということを考えていくと,それこそ投票権年齢が18歳に引き下げられるというふうなこととも深く関わってきて,家庭科の中でもそういった取組が行われるべきだと思うのです。もっと言えば,最後の特別活動のところにも,ボランティアとか防災とかいったことが出ていましたが,ボランティアとか防災がボランティアという取組の中だけで閉じた状態で完結してしまっている。防災教育というのも,防災教育という一つの分野があって,その分野だけで完結してしまっている。そうじゃなくて,それらは当然のことながら政治と大きな関わりを持つわけですので,そこにつないでいくような発想が必要ではないかと思うのです。
高等学校の教育が最も苦手にしているのが,教科を越えた取組ということであります。教科横断型の学びをどのように展開していくかといっても,これ,なかなか難しくて,ですから,総合的な学習の時間が,随分と改善はされてきましたが,なかなか定着しない。もっと言えば,そんなに熱心にやられていないということもあります。
先ほど58ページの目標の中に,在り方生き方という,とても懐かしいといいますか,キャリア教育という言葉が今はもう主流になってしまっていますが,私はこの在り方生き方という言葉が大好きであります。その在り方生き方というのを考えていくとしたら,総合的な学習の時間こそが,いわばどの高等学校にあると言っても過言ではないと思いますが,校訓を具体化する,育てるべき生徒像を具体化する取組のはずだと思うのです。
この総合的な学習の時間を軸にして,どのようにそれぞれの教科の壁を乗り越えていくのかということに配慮するといいますか,そこのところを強調するような指導要領の在り方を考えなければいけないのではないかなと。総合的な学習の時間と教科とが行き来するといいますか,その往還というものが重要な気がいたします。こうなってきますと,それこそカリキュラムマネジメントをどんなふうにしていくのかということが大変大きなポイントになってこようかと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,山脇委員。
【山脇委員】  これから芸術について一言述べさせていただきたいと思います。私はこれまで学校教育によって芸術が好きになったというふうに私の周りでは聞いたことが1回もありません。かえって音楽が嫌いになったとか,絵が嫌いになったとかいうようなことはありますが。これはもちろん高等教育のことだけではなくて,初等教育からのずっと積み重ねだとは思います。初等教育のことで申しますと,オランダのアムステルダム国立博物館の館長の講演で,オランダでは10歳までに3回美術館に行ったことがある子供は一生行っているというアンケート調査があるというお話を聞いたことがあります。本当に子供の頃からの教育というのがどれだけ大切かということを示しているアンケートだったと思います。
そして,これは初等教育も中等教育も高等教育全てですが,芸術というのは,このICTの社会において生で見る,生で聞くということが最も大切になることではないかと思っております。生というのは,例えば劇場に行って聞く,美術館に行って見るということが私は本当に大切なんだと思います。学校にオーケストラが来てくれる,それもすばらしいことではありますけれども,劇場とか美術館などの空間に行くということは,マナーや周りとの調和,ハレの気分というようなことも学べることです。学校がなかなか大変だということは分かっていますけれども,なるべく現場に行くということ,そこが芸術にとって大きなことではないかと思っております。それは例えば学校で地域の美術館や何かと連携して,美術館の学芸員から現場でいろいろな講義を受けるというようなことができればいいのではないかなと思っております。
今,鑑賞について申しましたが,表現については,芸術というのは唯一と言っていいほど,個を爆発させられる授業なんじゃないかと思っております。地域の芸術家たちを呼んで,その表現力を磨くような授業ができればいいんではないかなと思っております。
次に高等教育だけではないのですが,やはりここで今までと全く違う観点のことを一つ申し上げたいと思います。最近はドロップアウトした子たちや学校に行けない子たちということについてはいろいろ目を向け始められましたが,特別な才能がある子供たちをどのように伸ばすかというのは,日本では議論されなかったのではないかと思っています。日本ではみんなが一緒に学ぶ,みんなが一緒に上がっていくということに重きを置きがちですが,これからグローバル社会ですばらしい研究者などを出していくには,やはり何か特別な才能がある子供たちに,例えば飛び級などを考えたり,ある分野だけに才能がある子供の,その才能を伸ばすような視点も必要なのではないかなと思います。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは続けて,天笠委員。
【天笠主査代理】  失礼いたします。三つ大きく申し上げさせていただきたいと思います。それで,まず一つ目なんですけれども,先ほど御説明いただきました資料,スライドの50ページ,それは国立教育政策研究所の調査の結果の一覧です。家庭科との関わりでこの資料が出ているんですけれども,注目したのは,高校生が教科の重要性をどう認識しているかどうかというふうなことをそこにありますように一覧にしてあるので,ここのところに我が国の教育の課題がいみじくも明示されているのかなというふうな,そんな受け止め方をいたしました。
家庭科教育という意味ではなくて,何に見たかといいますと,やはり基本的に各教科を高校生がどう重要という認識で受け止めているかということであって,高校生が,とりわけ理系等の出身かな,そうじゃないんですけれども,両方入っていますけれども,この辺りのところに一つの大きな課題があるのかなと思ったのは,やはり先ほど御発言もありましたけれども,きょうの話題にあります音楽,美術という芸術のところなんです。そこのところを見ますと,重要性認識がとても低く出ているというふうなことであるということ。これは言うならば,この教育の義務教育以来それを受けてきた児童生徒,青年の一つの結果の反応ではないかと思うわけで,こういうふうに育ててきているというところ自体が実は課題なんじゃないかと。
この先に仮に将来,理系であれ文系に行こうとしても,俗に言う感性とか表現力とかそういうものは実はどの分野に行こうと基盤になる部分であって,ですから,おそらく今,第一線で活躍している理系の方々にしましても,おそらくこういう分野についてはそれなりの蓄積を持っていらっしゃる方というのが推察されるわけであります。ところが,この辺りのところが,このままの認識の下に更に大学教育,高等教育に行ったとすると,ある意味でいうと基盤的な部分とかそういうものが非常に薄かったり弱かったりするならば,大きな成果は得られないんじゃないかというふうな,何かそういうふうな心配も出てくるわけです。
そういう意味でいうと,教科の全体的なバランス感覚というか,受け止め方のバランスの育て方を,この国の義務教育あるいは高等教育はうまくいっていないんじゃないかという,そういうことであります。ですから,教科の重要性ということは一つ一つ出てくるのかもしれないんですけれども,それらの相互のバランス感覚をとって,そして,全体としてどうなんだというふうなそういう認識等を育てていくというふうな辺りのところをどうしていったらいいかというところに課題を示しているというのが,私はこの50ページの大変意味のある,重要なデータではないかというふうに思っております。したがいまして,次の学習指導要領である意味での改善を施すとするならば,このデータがどういうふうに変化していくのかどうなのかというのは,一つ大変重要なデータとして,比較できるデータとしてこれを押さえておくことの必要性というのはあるんじゃないかなと思います。まずそれが一つ目であります。
それから次に,二つ目ですけれども,総合的な学習についてです。私は小学校と中学校と高等学校と,これはやっぱり学校段階で少し考えていく必要があるのかなと。高等学校段階における総合的な学習の時間というのは,先ほども話がありましたように,教科横断とか教科連携とかそういうものを促していくというか付けるためにおいて,教育課程上極めて重要な位置を総合的学習というのはこの間占めてきたんじゃないかと思っております。
ところが,現状は必ずしもそれが功を奏していないというんでしょうか,やはり前から言っていますように,教科がそれぞれがそれぞれとして軒を並べているというところで,それをつなぐというか,あるいは横断させていくというふうなことで功を奏して展開している高等学校というのは,どちらかというと少数派が現状ではないかということです。今回の場合は,そこのところをどう手当てしていくのかどうなのかということに知恵を絞っていくということがテーマになっていくんじゃないかというふうに思います。
そうした場合も高等学校はなかなか大変なのかなと思うのは,やはり何だかんだ言いながら高等学校は,先生方それぞれが各教科で軒を張っているというふうなことで,それぞれの教科は御自身それを専門としているんですけれども,総合的学習の時間になると非常に先生方の個人差が大きくなってくるということで,その教科から発展させていけるような,そういう思考様式,指導力を持った高校の先生と,必ずしもそうじゃない方々との混成部隊でありますので,学校によってその辺りのところの教師集団の組織力等ということも問われてくるということです。
もう一つ言うならば,免許制度そのものが実は総合的学習の時間を展開していくのにうまく支え切れていない,あるいはうまく助長していない,そういうものを持っているんじゃないかと。言うならば,その教科の専門をもって専門だと言っているような。総合的学習の時間というのは,ある意味で付け足しのような形になって,意識がそういう形でもしなっているとすると,免許制度の在り方自体も総合的学習の時間の改善等と連動させながら考えていくという手立て,視点というのがやはり大切になってくるんじゃないかと思います。それは,免許制度,更に言うならば,研修制度,高校の先生を対象にした力量形成の在り方ということが問われていいのかなと思います。
最後になりますけれども,三つ目です。この最後のページ,88ページのところで特別活動についてということが挙げられています。ここのところの検討の方向の最後のところに,教育課程全体における特別活動の意義の明確化という,こういう視点というんでしょうか,要するに,教育課程全体の中で特別活動がどういう存在理由を持っているのか,どういう意義を持っているのかというのを自ら示していくというふうなこの視点が私はやっぱり大変大切なんじゃないかなと思います。
そういう点からすると,御説明いただきました各教科一つ一つがやはり教育課程の中でどういう存在なのか,それぞれの関係の中でどういう意義を持っているのかどうなのか,それぞれがそれぞれとして自らの教科の存在を明らかにすることと,互いの教科のつながり方というんでしょうか,そういうことをそれぞれの教科の立場から示していただく。そのことをもう一度教育課程全体という立場から見渡すというんでしょうか,こういう取組作業が必要になってくるんじゃないかなと思います。私からは以上です。
【羽入主査】  続けて,清水委員,市川委員と御発言いただきたいと思いますが,一つだけ今の御発言と関連して山脇委員に伺いたいです。今,全体の教科のバランスということが天笠委員から御発言ありました。先ほど,特に優れた才能のある人をどう伸ばすかというような御発言が山脇委員からございましたけれども,その点に関して教科全体のバランスとの関係ではどういうふうにお考えになるか。済みません,急に。
【山脇委員】  もちろん理想的には,教科全体のバランスがとれて成長していくのがいいとは思います。ですが,やはり人間いろいろな資質を持っていまして,例えばスポーツにすごい才能があって,でも,お勉強は余り得意でないという人もいます。でも,それは世の中でかなり認められて,スポーツを一生懸命やっている。理科系に非常に才能があるけれども,ほかのことは得意でないという子もやっぱりいると思いますし,全体のバランスだけ考えると,突出した才能を潰す可能性があるのではないかと思うのです。
例えば,これがいい例かよく分からないのですが,小学校1年生が数検の2級を取りましたよね。あの子の他の学科についての才能は知りませんが,多分今の日本の教育ですと,あの子は小学校1年生なので,1足す1から始めてというようなことをずっとやっていくんだと思うんです。そうすると,その子は多分算数の時間だけはつまらないことになり,その後どうなるんだろうなというような気もしていて。ですので,バランスがとれているのはいいけれども,とれていなければいけないという一律的な考え方を一歩立ち止まって考えてみるべきなんじゃないかなとちょっと思ったわけです。
【羽入主査】  ありがとうございます。急に御質問しました。
天笠委員。
【天笠主査代理】  私が申し上げたことと,今,山脇委員がおっしゃったことというのは全く矛盾しないというふうな聞き方をしております。教育課程としてどう構成していくかということと,そこで学ぶお一人お一人のというような,そういうことというふうにそれぞれ捉えることができるかと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございました。
それでは,清水委員,お願いします。
【清水委員】  ありがとうございます。少し論点がずれてしまうおそれもありますが,埼玉県では今,主体的・創造的な学習活動の充実をさせて,判断力,表現力,他者と協調しながら問題を解決する力を養おうと,平成22年度から三宅先生の御指導の下,協調学習に取り組んできております。これまで5年間取り組んでまいりましたけれども,今年度からまた新たに5年間という長いスパンを設定し,未来を拓く「学び」プロジェクトをスタートすることにしました。昨年度まで約270名の教員で研究を進めてまいりましたが,今年度は約400名という多くの人数で取組を再スタートさせたところです。
この取組の中では,今日話題となっております保健体育,芸術,これらの部会も作って,協調学習を中心とするアクティブラーニングの研究をしています。その中で,保健の担当の教員に聞きますと,「逆に保健だからこそこれはやりやすいのではないか,アクティブラーニングは入りやすいのではないか」そういう意見も頂いています。
全てで17教科・科目で取組を行っていますが,中には理科と国語の教員が一緒になって一つの授業を組み立てていく,そのような,研究授業を行っている学校もあります。先ほど教科間の壁という話もありましたけれども,お互いがどんな内容に今取り組んでいるのかということを話し合いながら進めることによって,例えば理科の実験を最後整理するところで国語の教員が論文の指導をするなどの取組につながってきており,かなり教科間の壁が低くなってきている,また,協調学習に県立学校のほとんどの学校が取り組んでいますので,学校間の壁も低くなってきているなど非常にいい方向性に向かっているのではないかと感じるところです。
そして,もう1点,資料3-1に,高等学校の教育課程等に関する資料の専門高校に学ぶ生徒の意識,関心を高めるような取組として,54ページにスーパー・プロフェッショナル・ハイスクールや57ページの産業教育フェア,そして,58ページの専門資格等の取得に関するような資料が載せられています。これらは専門高校生の学ぶ意欲の向上とか,学力の向上,こういったものに取り組むための国の施策とか,協会の取組ですが,それぞれ大きな成果を収めていると感じております。やはりこういった目標を持たせることで,アクティブラーニングを中心としながら様々な教育活動が学校で行われているということが感じられるなと思います。
課題として,今回様々な科目の御提案とか資料を用意していただきましたけれども,やはりやるべきことが多くなっているということが挙げられると思います。そのためにはやはり整理,精選をしっかりしていかなければならないと思います。特に専門高校の中で気を付けなければならないことは,資格取得に関わることです。
国家資格として認定する場合,この資格については,この科目を何単位以上やらなければならないとかかなりきっちりと決められているものがあります。例えば日本史の必修化することで単位数をどう調整するかなど様々な問題がありますが,どのように科目構成を考えていったらよいのかということをしっかり押さえて考えていかなければ,そういった方に影響が出るおそれがあるということも懸念しているところです。このようなことを含めながら検討を進めていただきたいと考えています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,市川委員。
【市川委員】  一つは,芸術とか体育のことについてちょっと意見申し上げたいと思います。よく子供から,特に苦手な子からは,「何で芸術とか体育とか,こういうものやらなきゃいけないの」,「何で学校では必修なの」という疑問が出ることがあります。それに対して私たち大人,特に学校教育関係者は何か答えないといけないと思うんですけれども,私はよく子供たちに言うのは,要するに,食わず嫌いにならないようにと。もしかしたら最初は歌なんて歌うの嫌だ,恥ずかしいと言っていた子供が,学校の授業の中でやってみて意外とこれ楽しいとか,スポーツも,私は苦手だからと言っていた子が,やってみると意外と楽しい。そういう楽しめる自分の可能性があるかもしれない。それをむしろ積極的にチャンスだと思って使ってほしいんだと。決して芸術,体育全部できなければいけないよということではなくて,そういう楽しめる自分を発見するための機会なんだということで必修にあえてなっているのだろうと私は思っています。
そのときに,じゃ,どういう楽しさかというと,私は芸術とかスポーツで,先ほどもちょっとお話あったんですけれども,楽しさというのは三つあるのかなと思っています。まず一つは,活動することの楽しさです。体を動かすことの楽しさというお話がありました。そういうことをやってみると自分が楽しい。これは一人でやっても体を動かすと楽しいという楽しさなんですが,2番目は,協同参加することの楽しさ,みんなと一緒にやってみると楽しいという楽しさがあります。3番目には上達することの楽しさです。
ところが,これは普通の学校の教育課程の時間だけでやっていてはなかなかそこまで味わえません。同じスポーツを10時間一つの単元で習ったとしても,そんなに上達するわけではないんですね。ただ,その頭出し,例えば柔道だったら,ちょっとこういうことを教わっただけで,なるほど,こういうことができるようになったと頭出しぐらいです。
ただ,その先にもっと上達した姿を見せるということは,学校教育の中でも少し入れてもいいんではないかと思います。つまり,自分自身が10時間で上達することはできないけれども,例えば社会体育でやっている人たちが,例えばアマチュアだけれども,10年間やっているとこんなふうに楽しんでいる,こんなふうに上達する。そういう人たちと関わることによって,自分もそうなりたい,プロではないけれども自分の生活のレパートリーの中に入れていきたいとか,そういうことを垣間見せるということは学校教育の中でも少し入れてもいいのかなと。
もちろん学校には部活動があります。部活の先輩たちを見ていると,3年間でもこんなになるんだという姿は見られると思いますが,むしろ社会教育の中,社会教育の人たちと関わることによって,学校を出てからもこういうことが自分のレパートリーとして生活に入ってくるといいなという,そういう社会教育と関わりながら,大人の姿,楽しんでいる姿,さらには上達している姿を,これは音楽でも芸術でもあると思うんですが,見せるということはもっと入ってきてもいいのかなと思いました。社会教育につなぐような学校の芸術と体育ということです。
それから,もう一つは総合のことです。総合的な学習の時間が入ってきて,本来でしたら,教科の力もかなり高まっている高校生がそういう力をふんだんに使って探究的な学習をするという狙いがあったと。私もそれは大賛成でした。しかし,先ほど天笠先生おっしゃったように,実際にはなかなかうまく機能していないところが多い。大学生に聞いても,「うちの高校には総合はありませんでしたよ」とか平気で言う学生がいるんです。「そんなはずはないだろう。総合とは呼んでなくてもこういうことをやる時間はあったはずなんだけど」と言うと,「いや,そういうことはやりませんでした」と言う学生が少なくないと。これ,やっぱり問題なんだろうと思います。
やはり大学の中でも,教員養成の中で総合的な学習の時間でどういうことをやるかということが十分伝えられていない。総合演習という教職科目がかつて,つい最近まであったんですが,なくなってしまいました。私は非常に残念なことだと思います。総合的な学習の時間,特に中学校や高校ではどんなふうに展開するのかということを改めててこ入れする必要はあるだろうと思います。
ただ,きょう,アクティブラーニングということと関係してちょっと気になったことがあります。アクティブラーニングの定義というのは,本当に広いものからかなり狭い厳しいものまであります。この厳しい定義,これはまさに探究的な学習そのものなんですね。自分でテーマを設定して,それを主体的,能動的に追究していくというふうなものと,アクティブラーニングをそのように相当厳しく定義してしまいますと,イコール探究学習だと,イコール総合の時間にやるものだ,教科は関係ないというふうに高校では思われてしまわれるおそれがある。
アクティブラーニングというのは,確かに厳しく定義した探究学習というものはもちろんアクティブラーニングなんですけれども,それだけではなくて,ふだんの教科の習得の授業の中でもアクティブラーニングはあると私は思ってほしいんです。これは少しアクティブラーニングを広く定義しての話になります。教科の習得の授業の中でも,一方的な講義だけではなくて,学生たちが能動的に問題解決をしたり,そこに協働が入ったり,発表したり,討論をしたりというのを普通の習得の学習の中でもむしろやっていただきたい。もちろん全てアクティブラーニングばかりではないんですが,先生が講義するということだけではなくて,協働的な問題解決とか,発表,討論のようなものが入ってくると。
それもまたアクティブラーニングであって,逆にふだんの習得の学習の中でそういうアクティブな活動をほとんどせずに,総合の時間だけで探究的な学習をアクティブにやってくださいと言ってもそうできるものではないと思います。ですから,むしろ高校の場では,まずアクティブラーニングというものを総合任せにしない,探究任せにしないと。各教科の中でも,何かを習得するという目標がある中でもアクティブな活動を入れていただきたいということと,アクティブだけではありませんということ,これもまた同時に大事なことでして,アクティブラーニングだけをやっていて,習得が十分できるわけではありません。先生方の工夫された解説,説明,講義ももちろん重要なわけで,それとうまく組み合わせることによって,日常的にうまく両立していけるような授業になればと思っています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。芸術や体育が楽しさを味わうということでお話しいただきましたけれども,先ほど山口委員がおっしゃいました評価という問題が入ってきたときにどうするかという問題が残るかと思いますが,もし何かお考えがありましたら,伺わせていただきますでしょうか。
【市川委員】  やはり実技の要素がありますから,実技がどれぐらいできるかということもやはり評価の一部には私は入ってきていいと思います。それによって自分がやっぱり実技が上達したということが評価されるということは入ってきていいと思うのですが,決してそれが全てではないということです。体育にしても,ある特定の競技がうまくできるということだけで決まるのではなくて,例えばふだんのスポーツへの意識とか芸術への意識とか,例えば芸術であれば,何か音楽鑑賞したときのそのときの感想文とか,自分が参加してこういう経験をしたということがどれだけその子にとってプラスになったのかということが表れてくるようなものであれば,私はうまい下手だけではなくて,評価に組み込まれてもいいのではないかなと思います。
【羽入主査】  ありがとうございます。
山口委員,何か?
【山口委員】  確かにそうだと思います。ただ,非常に運動のできる子のある種フラストレーションからいうと,例えば他の教科の場合には,試験でとてもいい点数を出して,とても能力が高いという評価をされると,それで成績が付くわけですね。ただ,運動の場合には,ほかの人と比べても自分はとても技能が高いと思っていても,それだけでは評価されないという逆のフラストレーションがあって,先ほど言ったように,すごく能力は高いんだけれども,評価されない。逆もあるんですね。ですから,評価が難しくて,伸び率というところを,最初のスタートがそもそも違いますから,どこをとって評価してあげるかというところが体育の教員の非常に難しいところで,それがうまくいくと,子供たちが,もともと自分はあまりうまくないけれども,先生はここを評価してくれた,うまい子も,そこを評価してくれたと,そこがバランスがうまくとれてくるとどちらにもいい影響があるのかなとは思います。
【羽入主査】  ありがとうございます。
お待たせしています。渡瀬委員,それから,池野委員,斎藤委員,小川委員,平川委員の順で。渡瀬委員,大変お待たせいたしました。
【渡瀬委員】  お願いします。体育のことと,それから,総合的学習のこと,2点お願いいたします。
体育ですけれども,現場で体育を見ていますと,体育というのは,同じ内容を扱うにしても,体育の教員のバックグラウンドによってかなり指導の仕方が違うということをよく感じます。その体育の教員が中学,高校,大学でどういう競技に取り組んでいたかとか,どういう取り組み方をしていたかとか,そういうことによって随分違ってくると思います。
そういうことを考えますと,やはり体育の中では,何をということに加えて,どう指導するか,どう評価するに言及するかということが新指導要領ではとても大事になってまいります。先ほどから評価のことがありましたけれども,例えばマットの運動を小学生がしたときに,タブレットでお互いにその様子を撮り合って後でそれを見たりすることで,その授業の最初のときの自分の姿と終わりのときの姿の違いを自己評価することができます。先ほどの評価の話にありましたけれども,例えばその体育のスキルそのものを,自分がどういうふうにやっているかということは余り分からないまま評価されるのではなくて,その時間その時間に自分のパフォーマンスがどうだったかということを最近はICTの発展によって見ることができるようになってきていますから,そういう部分が自己評価として活用できます。
それから,タブレットを使うと必ず友達同士で話すんです。それがどうだったかとか,ここがいいとか,ここがまだ格好悪いとかいう話をしますけれども,そこで相互評価のようなことが出てくると思います。ですから,そういうふうな評価のいろいろなバリエーションを入れていくということが必要です。それは体育だけではないですけれども,指導方法とか評価をどういうふうに今度の指導要領に盛り込んでいくかということが大事になると思います。
一方,総合的学習の話ですけれども,こちらは,私はもう少し内容の面で踏み込んでよいのではないかなということを感じています。例えば小学校の生活科にしてもそうですし,それ以降の総合的学習の時間にしてもそうですけれども,教科横断的に必要になってくる,例えば考えるときの考え方,思考のスキルとか,そのときにどういう思考ツールを使うかとか,それから,物の調べ方とか,その辺りについてはそれぞれの総合的な学習,生活科の中に内容としてもう少し具体的なことを盛り込んでよいと思います。それをベースにしてそれが全部の教科に波及していくような形になると,先ほど荒瀬委員がおっしゃいましたけれども,総合的な学習を軸にしながら,各教科にそれが派生していくということが起こると思うんです。
天笠委員がおっしゃったように,今それが十分にできていないというところの原因の一つに,その核となるスキルとかそういうものがいまひとつはっきりしていないということがあるのではないかと感じますので,今度の学習指導要領の中ではその辺りを少し具体的に明記してもいいのではないかと思います。ただ,内容にしても方法にしても評価にしても,具体的に明記すればするほどそれが画一化するおそれがあります。以前天笠委員が,それをどう豊かに読み取るかということだというお話がありましたけれども,先生方がそれを豊かに読み取れることを配慮しながらどういうふうに記述していくかということが大事になってくると思います。
【羽入主査】  ありがとうございます。
あと1時間ぐらいですけれども,今回高等学校に関してはひとまず最終ということでございますので,どうぞ議論を広く御発言いただいて結構でございます。池野委員,お願いいたします。
【池野委員】  三つお願いしたいと思っています。一つは,先ほどから話題になりましたけれども,特別支援的なものです。スペシャルニーズエデュケーションというように英語ではいいますけれども,それは日本ではどちらかというと学習障害だとか発達障害だとかの本当に特別に支援が要るというような意味で使われています。イギリスなんかは,それだけではなくて,学校の中で,逆に先ほどの能力が高くて一般の高等学校の教育レベルを超えてしまう子供たちに対してもやっぱり特別な支援をするという考え方もあるわけです。ですから,基本的に今,特別支援的なというのは,ある一定のレベルである教育を果たそうとするときに,極端に言うと上と下でうまく満たされない子供たちがそれぞれの学校にいるわけです。だから,その満たされない子供たちをどのように支援するかということがやっぱり大事なポイントだろうと思います。
特に学習障害や発達障害の子供たちは社会の中で生きていくときには,やっぱりそれなりのサポートが必要なんですね。学校の中でサポートをしてもらっていたらいいんですけれども,社会に出たら自分たちで何かをやっていかないといけない。例えば私,社会科ですけれども,社会科の教科書や国語のほとんどの教科書を見ると,社会で生きていくためにはどのようなことが必要なのかという観点で高等部の教科書が作られています。だから,高等学校の普通科や一般的な学校で作られている国語の教科書や社会科の地理や歴史や公民の教科書とは違って,例えば市役所に行って自分たちをサポートしてもらうためにお願いをしに行くだとか,お互いが結び付くためにはどうしたらいいのか,もっと極端に言えば,銀行の使い方や郵便局の使い方まで書いてある。でも,それができなければ生きていけないわけですね。やるために誰か頼まないといけないし。
そういうことまでやっぱりやるためには,特別支援というのは,下の子供たちのためにも社会に生きる,上の子供たちもやっぱり社会に生きていくためには,どういうことがそれぞれの子供たちに必要なのかというのが大事なポイントになっていると思うんです。だから,確かに何かの能力や知識を与えることが我々にとって国民として必要なことだとは思うんですけれども,それはやっぱり社会の中で生きていくという観点がどうしても高等学校の中では欠けているように思います。これが1番目のことです。
2番目は,それを各教科群の中でどのように反映させるかということが一番問題だと思います。先ほど室長の大杉さんが説明してくださった資料2-1の表紙なんか見てみると,やっぱり基礎科目だとか1とかAとか言われる科目は,各教科でいいますと,スライドの3ページ目や4ページ目等の左側にある個別の知識や技能の方にどうしても重点化して,基礎的・基本的な知識や理解を子供たちに最低限教えていこうというのが現在の高等学校の重点的な課題になっている。
これも確かに必要なことだと思いますけれども,子供たちが社会の中で生きていこうと思うと,真ん中の,教科の本質に根ざした見方や考え方を使って,右側の括弧の中に書いてあります,どのように社会や世界との関わりをしてよりよい人生を送っていくのか,人生選択や自分をどういうふうに生かしていくのか,自分を伸ばしていくのかということが,高等学校レベルで全て右側の方に行かないといけないわけでありますけれども,何か見えるようにしないといけないんじゃないかなと思います。
そういう意味において,確かに基礎科目も大事ですけれども,各教科の中の本質になっている見方や考え方がそれぞれ授業の中で,あるいは単元の中でやっぱり見えるようにして,自分たちが獲得されないといけない。それはここまでですよというだけじゃなくて,もっと上,もっと上というように上位のレベルが必ずあるはずです。ですから,体育だったら,これだけのジャンプができますよじゃなくて,もっときれいにジャンプをする必要がありますよ,じゃ,そのためにはどんなことが必要なのでしょうというようにそれぞれレベルがあって,どこまでするかということだと思うんです。芸術でも一緒だと思います。そういうように,レベルがあってどこまでするのかというのをやっぱり先生方が一定程度見えるようにしないと,右側の方の社会に生きる,そのときにどういうことが社会や自分の関わりの中に結び付くのかということができるようにする。
一つの考え方としては,習得,活用,探究の探究をもっと充実させるという考え方があると思います。確かに探究は教科書の中では最後にちょろっと出てくるんですけれども,そのちょろっとだけじゃなくて,それを目指してやっぱり単元が組まれないといけないんだと思うんです。社会科だったら,最後に環境問題はどう考えたらいいでしょうと書いてあるんですけれども,じゃ,皆さん方考えてくださいねで終わるわけです。そうじゃなくて,初めから,環境問題を我々の身近な学校や地域の中でどういうように解決するのか,どういうことが問題なのか,ごみだったらごみ,あるいは騒音だったら騒音,そういうものをどういうように地域の中で解決するのか,そういう社会的な活動にやっぱり持っていかないと,もともとの右側に書いている社会との関わりや世界との関わりは出てこないんじゃないかなと思います。左から順番にやったら自然に行くというわけじゃなくて,右側が初めからターゲットになっていないと,なかなかやっぱりそういうことは生かされないんじゃないかなと思います。
そういう意味で,今度新しく公民科の中に作られようとしている社会との関わりあるいは生き方をもっと充実させようという科目というのは一つの重要なものになっていくと思います。それは先ほど御説明されたように,18歳選挙権があるということですけれども,それはある面,政治的教養を教えること,あるいは政治的活動をするための準備的なものがあると思うんですけれども,それだけではなくて,社会との関係や社会の中で私たちがどのように生きていくのか,人生をどういうふうに選択するかということに生かされないといけないんじゃないかなと思っています。
そういう意味で,各教科が,例えば理科をしても,ある実験をして,植物だったら植物の実験をしたら,あるいはそういうものを生かして,どういうように社会の中に問題が起こったり,あるいはそれを私たちの生活の中に生かしていくのかということに発展できればもっといいんじゃないかなと思っています。そういう教科を作れるように,ある面,探究をもっと前面に出すような形の単元構成なり,それが一つのアクティブラーニングだと思います。是非そういうものに変えてほしいなと思います。そうすることによって,ある面,私たちの教科がその本質を満たすとともに,生活や社会との関わりが実際の教科の中で分かれば,子供たちの学習に対する意欲も高まると思っています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では続けて,斎藤委員。
【斎藤委員】  ちょっと論点から外れるかもしれないのですけれども,ちょうど2週間まとめて海外に行く機会がありまして,海外での報告会でいろいろと高等教育に関係するものがありましたので,ここで是非シェアしたいと思います。
一つは,先週ずっとOECDの方に行っていまして,教育関係の分科会にも参加してきたのですが,いろいろなパネリストや海外のOECDの加盟国の皆さんと議論した中で,関係するテーマを四つほどお話させていただきます。
一つはイノベーションです。教育とイノベーションがどう関係しているかということで,高等教育でイノベーティブにどう持っていくか皆さん非常に悩んでいたのですけれども,私が面白いなと思ったのは,世界でイノベーションを生む,アントレプレナーとして新しい企業を設立する人たちは,必ずしも大学を素晴らしい成績で卒業した人とかではなく,逆に,高校での成績もAよりCの方が多かった学生の方が相対的にアントレプレナーシップ,イノベーションに貢献しているという発表がありました。結論としては,ハングリー精神ですとか,失敗を数多く経験して学び,どう立ち直っていったかがポイントとのことですね。逆に,エリートとして,成功体験だけを積み重ねて大人になって失敗するとなかなか立ち直れないという現象は,世界中で共通だなという印象を持ちました。
もう一つは,これは別の発表だったのですけれども,前回もお話しました生産性のことでして,OECD諸国に関する,これはイギリスの研究だったんですけれども,日本の生産性は非常に低いということでした。アメリカはトップで,労働生産性の高低も教育に原因があるのではないかという議論がありました。これは近々OECDからいろいろ細かい情報が出てくると思います。
三つ目はリーダーシップです。世界中でどういうふうにリーダー層を育てるか,教育でリーダーシップを育むにはどういう環境を用意すればいいかということがテーマになっていまして,結論をいいますと,リーダーシップというのは,やはり教えるものではなく,ハンズオンで体験する。周りの人を巻き込んで,自分で障害を乗り越えて物事を進めるというものです。これは教科書で習うものではなく,こういった経験をいつさせるか。本当は高等教育でやるよりも前の段階,小・中・高でやっていくというぐらいの議論があり,高等教育の方ではもっと権限を与えて任せるという議論がされていました。
そして,四つ目は,これはまだ正式に世の中に発表されていないのですけれども,近々OECDから出てくると思います。日本のランキングとしては,さっきのお話でもありましたが,実社会の,経済や金融,民主主義といった分野について高校教育で実践的な教育が十分なれていないというデータがいろいろありました。加えて,コンピューターの授業,ICTに関しても弱いという話も聞きました。
もう一つは,インテルサイエンスタレントサーチの本選ではないんですが,見させてもらった大会で,高校生が何十人も参加しているのに日本人の姿がなかったことに心配になりました。さらに,ロボティクスチャレンジが,これはDARPA,アメリカ国防総省の機関ですが,決勝の発表がちょうど数日前にありまして,韓国が1位でしたけれども,そこでも,日本のチームは3つのタスクを十分にこなせるところまでは達しておらず,世界レベルからは少し差をつけられているなと感じました。最後に,モナコでアントレプレナーの表彰イベントがありまして,小・中・高の部と大人の部に出席してきました。日本の小学生のビジネスプランは最高の評価を受けていましたが,高校生になると急に世界から評価されなくなる。中高でなにがあるのか,新しく何かを生み出したり,リードする力が相対的に伸びずもともとあるいいモノが沈んでいくのか。すごく心配になりました。
15年間世界のアントレプレナーシップ大会を見てきて,残念ながら,アントレプレナーオブザイヤ―に輝いた日本人はいません。アジアからは結構出ているのにです。世界レベルでのクリエイティビティーやイノベーションが日本からなかなか生まれていないことを実感させられました。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございました。
それでは,小川委員。
【小川委員】  失礼します。私は学力向上と総合の相関について,冒頭事務局の方からも御説明がありましたし,それから,きょう資料2-1の69ページにはOECDの教育局長の方から,学力の向上は総合学習の貢献が大きいといった,これは中学校の出口でのということの学力でありますけれども,そういったふうな意味で述べられていたことに関連してちょっとお話しさせていただきたいと思います。
総合を頑張れば学力が伸びるというのは,これはもう私たちはかなりもう想定内の話で,そもそも総合は国際標準学力にならって創設されたというところもあるわけです。埼玉の東部の方の小学校のベテランの,総合をすごく熱心にやってらっしゃる先生なんですが,全国学テが始まった頃に聞いたエピソードだったんですけれども,自分が担任している学年は,全国学テの国語はA問題よりもB問題の方が成績がいいんですよというように誇らしげにおっしゃっていたんです。
つまり,どういうことかというと,子供たちが,漢字は覚えていないとアウトだけども,B問題は考えればできるという,そっちの問題は楽しいというふうに答えているんですよというふうに,総合を熱心にされているベテランの先生がそんなふうに話していらっしゃいました。つまり,総合というのが,その趣旨を生かして,体験活動を重視して,実体験に基づいて言語活動や思考,表現を進めていけば,おのずとそういったB問題,学力が伸びるというふうなことを一つ表していると思います。きょうの様々な御説明の中でもそういったことが裏付けられるのかなと思いました。
私はそういう必要性を考えた上でも,やっぱり時間数を増やしていただくというようなことも検討していただきたいなと思っています。理由は大変明確なんですけれども,総合の学びには時間がかかるということです。ある程度充実させるためには時間がかかるということです。それはどうしてかというと,総合は実生活とか実社会,その関わりで課題を設定して問題解決学習を繰り返していくわけです。つまり,総合にとっての教材,学習材というのが,生の社会であったり,生活そのもののわけなんです。これは教科書を主に学習材,教材として計画的,系統的に学んでいる教科学習との決定的な違いだと思います。子供の関わっている実社会と実生活の「もの」とか「こと」,「人」,つまり,世の中というのは,当然ですけれども,計画的,系統的に学習材が準備されていないわけです。その中で子供たちは情報の海の中へ出ていって,多くの情報の中から自分の課題解決に必要な情報をチョイスする。そこにも試行錯誤があるわけで,そのためにはやっぱりある程度の時間の確保が必要になってくると思います。
また,教科学習における教師の説明というのは,学習の指導案に沿って,本時の目当ての達成に向けて効果的,効率的になされるわけです。しかし,総合で関わる地域の人々というのは,その道のプロではあっても教えるプロではない。そのために,小学生に何だか難しい表現があったり,一見話にまとまりがなかったりするわけです。しかし,そういう方たちと何度も繰り返し繰り返し関わって,お話を聞いて一緒に活動する中で,そのプロの方の思いや生き方を子供なりに実感を伴って理解していく。そこにもやはり時間の確保が非常に大切になってくると思います。
きょうは高等学校の話なんですが,高等学校も含めてなんですけれども,小学校でいうと,高学年ですと,今,28コマの授業のうち総合は2コマ。果たしてこれで国際標準の学力,さらには自信や意欲,そういったものが育つのかということが大いに疑問に思います。総合的な学習の時間を増やすことも含めて,是非バランスのとれた教育課程の改革を検討していただきたいなと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございました。
それでは,平川委員。
【平川委員】  冒頭に,三宅なほみ先生がいつもおっしゃっていたことで,子供は皆,主体的に学びたがっている,また,その力があるというふうに本当に出ない声でおっしゃっていたのを思い浮かべて,改めてここの場で,主体的に学ぶということをもっとしっかり考えていかなければならないなと私自身思っております。
そういう中で,今回,高等学校の学習指導要領という形でこうやって話し合っているんですけれども,今村委員から出ているこのペーパーを読ませていただいても,高校の先生方も,例えば卒業までに74単位以上取得させた上で,学力補填のための学び直しの補講を行う必要があるとか,こういった,やっぱりがちがちなんですね。なぜ義務教育じゃないのにこんなにがちがちにされなければいけないのか,あるいはがちがちだと思い込まなければいけないのかというところが,斎藤委員のおっしゃったようにイノベーティブじゃないというふうに感じておりまして,正直,盛り込み過ぎなんじゃないかなと思います。
芸術とか体育,それはもちろん入れたらいいですけれども,それはもうはっきり言って余計なお世話で,それを決めるのは子供たちなんじゃないかと思っております。大学のように何を取ってもいいとかいうことが,義務教育を越えたところの,自分が選択して高校に行っているわけですから。高校で課題が違います。ジーニアスプログラムみたいなものを作っているような高校があってもいいと思いますし,それこそちょっと学習が後れているとか,落ちこぼれの学校だってあるでしょうし,総合高校みたいな形のものもあるでしょう。でも,今の状況だと,普通高校というような形でそこに盛り込み過ぎで,選ぶ自由が全くない。私ども中学校だったら諦めます。なぜなら,これは義務教育だからです。でも,義務教育じゃなくて,本人が学びたいと言っているのに,なぜにこんなに縛らなければいけないか。何を学びたいとかということは子供自身が決めることで,それを子供が決められないというふうに決め付けている大人の方が悪いんじゃないかなと思っております。
子供は子供扱いされたがっていません。実際,決める力もあります。でも,それを奪っているのは大人の方なんじゃないかと。もし決められないということでしたら,欧米のようにキャリアカウンセラーをきっちり付けてほしい。日本においてのカウンセラーは,週1回来て,精神的な清涼剤にしかなっていません。そうではなくて,その人がどういうような人生を歩みたいかというところに対して,じゃ,この授業とこの授業とこの授業をとってみたらということを示し,生き方を示唆するのがキャリアカウンセラーです。こういうような仕組みを整えてあげて,この教科とこの教科とこの教科とらなきゃいけないとかいうようなことをこちらが決めるべきではないと思います。
『もしドラ』で有名なドラッガーは,劣後の優先順位を決めよというふうに言いました。限られた時間で限られた人間で,全部これ盛り込むなんて絶対できません。なので,何をこの学校でやるか,あるいは何を取るかというのは全て,オール100%子供が決めるべきですというふうに,義務教育を越えた高等学校の学習指導要領については強く思います。それが人間の主体性を育むんじゃないかと思っております。
それから,全く別な話なんですけれども,アクティブラーニングと呼んでいますけれども,アクティブラーニングって一体なんでしょうか。これ,和製英語ですか。ちょっと恥ずかしいなと思っております。私も海外の留学斡旋会社を経営していたり,海外の学校を500校ほど行ってきましたけれども,アクティブラーニングなんて言わないですよね。パッシブに対してアクティブというふうなことで,グローバルな観点から見ても,アクティブラーニングって,これ,日本で通じるけれども,外国で通じないというのはちょっと恥ずかしいように思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,順番からいって,今村委員,吉田委員,牧田委員,髙木委員,荒瀬委員,神長委員という順でお願いいたします。今村委員,お願いします。
【今村委員】  資料を提出させていただきました。資料7番を参考にしていただきながら聞いていただきたいと思います。私もこの会議に参加させていただいて,ずっと学習指導要領を先生方がどう捉えているのかなということを知りたくて,高校の先生方,特に日常的に関わっている,困難を抱えた子供たちの在籍が多い高校の先生方に対して,学習指導要領をどう捉えているのか,そして,それがどういう形になったらいいと思うかということについてお話を聞いて,意見交換をしてきました。
今,平川委員の方から,子供たちが選択するべきという御意見がありました。私は学習指導要領を今回この委員に参加させていただくまで読み込んだことが実はなかったんですけれども,今,私が思っているのは,先ほど大杉さんからも御説明ありましたとおり,資料3-1の48ページに記載されている学校設定教科・科目という考え方があるんだということをお恥ずかしながら知りました。
それをどうして高校の先生方が,そんな自由度を与えられているのに縛りと感じているのか。学校がかなりの裁量権を与えられているように見えるこの学習指導要領において,なぜ先生方が74単位のうち20単位を自分たちで工夫ができる,700時間も自分たちで,正しく言うと校長先生の裁量だと思いますけれども,生徒たちの現状に合わせた,実感値に基づいた特色を出せるのに,そこに対して創意工夫がなされていないのかもしれないということ自体に,学習指導要領どうこうというよりは,その創意工夫の裁量権がないと感じている先生方のメンタリティーに対して課題感を大変大きく持ちました。
この資料の方に記載させていただいたのは,特に今回4月に生活困窮者自立支援法が施行されて,そして,子供の貧困対策に関する大綱では,学校を子供の貧困対策のプラットフォームと位置付けるということが明確に明記されている中で,この学習指導要領を検討する委員会でどのようにこの点の要請を受けるのかということについて考えたことを記載させていただいています。
現状,障害の有無にはかかわらず,年間5万人以上の高校生が中退して,6万8,000人以上の生徒が進路未決定として卒業しているということが資料3-1の27ページにも記載されているとおり,高校という機能が,先ほどから出ているアントレプレナーシップ,リーダーシップという観点とはまた別の,困難を抱えがちな子供たちにとってどういう存在になっていくべきかということについてなんですけれども,特に生徒たちと関わっていてすごく感じるのが,年々生徒たちが親密圏から出てこないなと。公共圏と親密圏があるとして,学校というのはもしかしたらこの子たちにとって最後の社会関係資本であり,親や友人以外の最後のとりでとなるような,社会の人との関わり,自分の範疇を越えた人との関わりに最後のとりでとして存在している高校が大変多いんじゃないかと感じています。
中には,大変創意工夫を発揮されている学校がいろいろとメディアにも出ているかと思います。地域の方を巻き込んで,放課後,カフェを開いてということを定期的に行いながら,そこで生徒たちが世の中の人たちと関係性を作るという機能を学校の中で実現しているような学校だとか,また,先生方が生徒たちに教科を超えて指導するということを補習の中で行っているだとか,そういった話もいろいろと聞いたりします。また,アルバイトを高校の中でどう捉えるかということについてもいろいろな意見があったんですけれども,現実的にお金を稼がないといけない。この子がちょっとにおうなと思って関わっていたら,実はこの子は橋の下に暮らしていたみたいなことが現実的に起きるんだというような話を,先生方は捉えている課題として見られているわけです。
その先生方が,そこでの気付きや観点をどうしたら次年度以降の計画に盛り込むことができるのか,この裁量権があるという気持ちになれるのかということ,そこは学習指導要領の範疇じゃないかもしれないんですが,先生方に対する武器を与えるような感覚でこの学習指導要領を捉えるとしたら,どんな形があるのかということについて悩みました。
ここに記載させていただいた,分かる範囲での提案なんですけれども,一つは,もう既に学習指導要領は自由度が高いんだということがもうちょっと先生方にきちんと伝わるべきなんじゃないか。それは先生方に対する期待であるんだということを例えば学習指導要領の前文のところなんかに熱く書くとか,下ろすときに,ただ配るだけじゃなくて,先生方に対するこれは期待感が込められている,先生方の創意工夫のサポートツールなんだ,管理じゃないんだというスタンスをどうにかして表明できないものかなと感じました。
また,カリキュラム編成を行うのは校長先生なんだとしたら,特に困難さを抱えている学校の先生,もしかしたら先ほどの特にスペシャルな能力がある子が多く在籍している学校も同じことが言えるのかもしれないんですが,そういった学校に対しては,カリキュラムの編成の仕方についてサポートするような機能も同時に,加配というのか,コンサル的に送るのか分かりませんが,そういった形で学習指導要領に与えられている創意工夫の余地を学校が実現するためにグッドプラクティス集を作るとか,校長先生の勉強会を開いてらっしゃると思うんですけれども,その中で,先生方の気付きをファシリテーションしながら次年度計画に盛り込んでいけるような校長先生のスタンスを育成するとか,そういったことを同時に検討したいなと思いました。
また別の観点なんですけれども,本当の意味で貧困対策プラットフォーム機能として高校を本気で機能させていくのだとしたら,今の高校の先生方には余りに情報が欠けているなということを感じています。高校は,これは昔からそうなんだと思いますけれども,家庭訪問をしないという文化があったり,もうある程度成熟しているからという点もあると思うんですけれども,高校の先生方が情報を得るために,例えば生活困窮世帯の子だとか,生活保護世帯の子だということも高校の先生方は知りようがないとおっしゃっている方が多いんです。
それはその情報を集める機能がないからなのか,基礎自治体の福祉行政との関わりがないからなのか,何がその原因なのかが分からないんですが,その情報を生徒に対してヒアリングすることもできないし,そういった御家庭の子は,提出物の提出もなかなかない。また,PTAも機能しない。なので,そこに対して,例えば学習指導要領の範疇ではないかもしれませんが,福祉との接続を行う担当者を先生方の中に決めるということも指導要領の中に例えば明記して,そういった方々をどのように支えるのかということを国としても検討するということをしながら,どうしたら自立,分散,競争的に,生徒を一人もドロップアウトさせない社会にしていくのかということを,本当にプラットフォームにしていくためには検討していくべきだと思っています。
同時に,スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの方々は大変頑張っていらっしゃる方が多いんですけれども,どうも学校の先生方からすると受け入れがたい存在だという。そのメンタルモデルには何があるのかということもいろいろあると思うんですけれども,スクールカウンセラーの方々,ソーシャルワーカーの方々を仲間として受け入れられるようなファシリテーション能力も,これは校長先生,教頭先生に持っていただくということも同時に必要かなと思います。
大変各論なんですけれども,もう1点だけ,先ほど話題に上がっている保健体育についてお願いなんですけれども,やっぱり性教育をこういった時代になっていく中でどう捉えるかということは真面目に考えなければいけないなと思っています。十分されているという観点もあるかもしれないんですけれども,私の目線から見ると余りに無防備な,小学生段階からのそういった無防備さみたいなことには目に余るものがあります。それは学校の役割かどうか分からないんですが,現実として,現状,20歳未満の中絶が2万1,000人ほどだということも上がっている中で,保健体育の授業の中で,同世代の課題として現実的に今そういったことが起きているということも,もしかしたらそれはプロジェクト型学習の一環なのかもしれないし,学校の裁量でなのかもしれませんが,扱っていくことも必要かなと思いました。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございました。
それでは,吉田委員,お願いします。
【吉田委員】  先ほど最初の方で天笠委員から免許法の話が少し出たと思います。以前私もちょっとお話しさせていただきましたけれども,英語という教科ですよね。今回,総合的学習の時間だとかそういうことでお話ありますが,各教科も自分の教科の枠を出ていかなければならない。もうその枠の中だけではとても今の世の中についてきちんと生徒に必要なものを教えていくことはできないんじゃないかと思いますし,私の専門としている外国語教育はまさにそういう分野で,副専攻のような形で,何らかの外国語以外の知識もきちんと身に付けるような教員が必要であろうと思っています。そういう教員が出ることによって,外国語だけではなくて,外国語を使ってより広範な様々な話題についてもきちんと授業の中で取り入れていけるだろうと。
有識者会議の報告書の中にも,小学校で他教科の内容を取り入れるとか,中学校においても他教科あるいは地域,生徒たちの経験などを教材の中に取り入れるということが書かれています。さらに高等学校においては,国際社会などより広範なグローバルイシューに相当するようなものについて,より高度な議論だとかプレゼンテーションなどができるようにということを書かせていただいています。そのためには単なる語学力だけではだめなんだというふうに私は思いますので,先ほどの免許法の改正も含めて,やはり単一教科を超えたレベルの必要な何か措置を今後考える必要があると思います。
それから,もう一つ,前回私いなかったので,外国語についての議論が全くできなかったんですが,それについてちょっとお話しさせていただきたいと思います。今現在の新しい外国語の科目構成は,全て英語しかないです。以前はドイツ語,フランス語など,あるいはその他の外国語が入っていたんですが,今回全くそれが抜けてしまっている。ところが,現状の世の中では,特に近隣諸国とのいろいろな関係からしても,英語だけでは絶対足るはずがないというのが私の認識です。実際問題として,今,330万人以上の高校生がいますが,その中で英語以外の外国語を取っているのは約5万人しかいません。つまり,1.5%ぐらいしかいないというのが現状です。
ところが,私が持っている国際交流基金のこの資料によりますと,インドネシア,タイ,ベトナム,マレーシア,フィリピン,シンガポール,中国,韓国,台湾において,どこの国においても日本語は第2外国語の一つに入っています。どこの国においても最低4か国語が選択科目として用意されている。日本はゼロです。こういうような状況の中で本当に,いわゆるグローバリゼーションだけじゃなくて,グローカリゼーションという,我々が住んでいるこの近隣の社会,その中で本当にやっていけるんだろうかと,非常に大きな疑問があります。そういう意味で,できる限り私としては,今回新しい学習指導要領の中では,先ほど申し上げました内容もさることながら,もう一つは単に英語だけではだめなんだという認識,その点をもう少しきちんとした形で明記する必要があるんじゃないかと思うんです。
それに,例えば中国だとか韓国だとかアジアについていろいろ例えば学校設定科目であっても構いませんし,総合的学習でも構いませんけれども,そういう中に入れていったときに,それぞれの国の言葉について多少なりとも知識を持っているということがどれだけ大きいことなのかということ,その点について私たちはもっとしっかりと把握していく必要があるんじゃないかと思います。
できれば,これがいいかどうか分かりませんが,英語はもうこれだけみんなやっているんだから必修化してしまって,その他の外国語を選択科目にする。今,韓国では少なくとも30%の高校生が第2外国語をやっているんです。高校生の数は日本の半分ですが,第2外国語をやっている生徒の数は60万人です。日本の5万人よりも10万倍以上多いという。こういう状況を考えると,やはり今の日本の外国語教育,ほかのいろいろな地域のそういう情報も含めて,それを知る上でも是非何らかの形で入れていただきたいと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,牧田委員,お願いいたします。
【牧田委員】  お願いします。3点ほどお願いしたいと思います。一つは,指導と評価の一体化のことについてです。今日配付された資料の,現在の高等学校の教科・科目構成の資料2-1の3ページ以降に,個別の知識や技能,教科等の本質に根ざした見方や考え方,情意,態度,重視すべき学習課程の例という具合に整理されておりまして,非常に分かりやすくて,これから目指すべきところが明確になっていると思うのです。
だけど,これをこのままやろうとしてもおそらくうまくいかないと思うんです。評価の観点が欠けておりまして,特に高等学校では,最終段階の大学入試に関係することとか,いくらいろいろやっても最終的な評定がペーパー一つで決められているとかという,それが全てではありませんが,それに偏り過ぎているという現状がありますので,評価の問題をひとつ解決しないとうまく進まないと思うんです。
この点について,今日の芸術科系の話を聞いていますと非常に参考になることがございます。芸術教科の評価は,最終的に何ができたかということだけで評価しているのではないです。そういうことをどの教科にも入れていくべきだと思うんです。すなわち,結果だけでなくて,学習者の学びそのものを促進していくような働き,そういう意味合いを評価に求めるべきだと思うんです。具体的に言いますと,授業中の学習に対する姿勢,構えとか,アイデアの質とか,理解の程度,断片的なことでなくてその深さなんですけれども,それを授業者が授業中の発言やつぶやき,振る舞い,作品,レポートなどで,どんな価値があるのか,かつどういう成長をしたのかということを学習者にフィードバックするという形成的評価の面が非常に重要であろうと思われます。
神長委員の方から,幼児教育の方では一人一人のよさを引き出すということが重要で,何が伸びているかを見ているというお話あったと思いますし,きょう山口委員からもそのようなお話があったと思います。現状だけでなくて,個人内評価も加味した評価をフィードバックするということが重要であろうと思われます。芸術計教科はそれを割とうまくやっておりまして,その評価の仕方を他教科が見るということも,校内研修などで取り入れられる部分ではないかなと思われます。
しかし,これが一斉講義の形式の授業をしていたのでは,そういう生徒の内面,成長がつかめないという問題がございます。確かに生徒は,場さえ与えられれば,自分で学ぼうとする意思を持っていますし,それができるという,三宅委員からの力強いお話ございましたが,現状ではそれができていない。だからこそ,そういう評価ができる場を作るためにも,アクティブラーニング導入の意味があると考えるわけです。したがって,そういう指導をすれば,指導の中で評価ができますし,評価そのものが指導になると。自己の活動を見詰める目を育てるという評価の役割の一面もこれで解決できるかなと思うわけです。この意味で,本来の意味での指導と評価の一体化ということが実現できるんだろうと思うんです。
ただ,前に清水委員からお話ありましたけれども,ただ単に表出させる,能動的にさせるということで評価ができるわけではなくて,授業者の子供を見る目,これを鍛え抜かないと,いくらその芽が現われていても,それが素通りされてしまうということになりますから,子供の資質・能力を育てるには,教員の見る目,教員のそういう意味での授業力,資質・能力を育てることをセットに考えていく必要があると思います。だけど,これについては,高等学校に限らず,小・中・高全ての問題であると思いますので,また別の機会にと思います。
2点目なんですが,芸術科目とアクティブラーニングのことについてですが,芸術系教科は活動を伴いますので,いかにも一見するとアクティブラーニングをやっているように見えるんですけれども,よく注意しないと,自分の世界の中だけにいるということも起きますので,外部の刺激を与えるという仕掛けが必要になってくるということです。ただ単に活動していればアクティブラーニングになるわけではないということがもうこれまでの議論で出ております。
似たようなものは理科の実験でもございまして,決められた実験手順をそのとおりやって,与えられたような結果が出たら,それでいいのかと。そんなものではいいと誰も思わないわけですね。自分で仮説を立てて,自分で実験を作っていって,それを基に反駁していくというような活動が必要です。
それと同様に,芸術科系でも,単に活動しているというのでなくて,そこに刺激が必要だと。それを思いますと,今日見させていただいているこの論点ペーパーの中に,音楽文化とか美術の文化とか,文化に関しての理解を深めていくということがございました。これは非常に大事なことかなと思います。そういう面からいろいろ刺激を与えられるということがこれから出てくるといいなと思うわけです。
3点目なんですが,高校生の実態ということから特活について少しお話しします。自我が確立してくる中学後半から高校時代というのは,確かに実社会に出ている人たちとの交わりからいろいろなことを吸収していくその経験が自分のものになっていくという活動は非常に重要なんですけれども,私はそれ以上に,別な環境にいる同世代の子供たちとの交流が実は非常に子供の心を揺さぶるものであると思います。
変な例ですけれども,少し前に反社会的な中学や高校が幾つかあったときに,いくら荒れている子がいても,一つの学校の中でならば収まるんですけれども,それが違う学校の似たような危ない子たちと接触することによって,その危なさが増大するんです。自分の学校は,自分たちはというプライドが非常に強いものですから,多分他の環境に生きている同世代の子たちにすごく反応するのだと思います。
それを上手に使って,同世代の別な事柄を行っている学校と,今はいろいろなICTの機器で交流ができるわけですから特活のところでどんどん入れていって,それこそ特色ある学校同士の交流を深めるというようなことが学校の独自性を深めて,子供たちも自分の学校に愛着を持つということが深まる。これも全て,校長,管理職も,学校マネジメントに関わることだと思うんですが,そういう学校の独自性をこれから強めていくというような特別活動の在り方が重要であると思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,髙木委員。
【髙木委員】  評価に関して絞ってお話をしたいと思います。考えてみますと,評価に関しての,英語でいう評価という用語の定義が,複数あり難しいのですが,英語の意味でのイノベーションを起こさない限り,高等学校の評価に対しての現状は,私は今,変わらないと思っています。
先日ドイツから,日本語をドイツで教える補習校の日本人の先生がいらっしゃいました。補習校では日本語の授業を行っているそうです。対象は,普段はドイツのギムナジウムに通っている,日本人の中学生に,日本語を週一回,教えているとのことです。そこでは日本の国語の授業を行っており,授業を行った後,評価をしなければいけないので,日本の学校で使っているペーパーテストを渡すと,その子供たちは,そのペーパーテストの中には答えが書いてあるじゃないですか,と言うとのことです。答えが問題文の中に書いてあるものを探してくるのは,勉強ではない,ということを言ったそうです。まさに日本の学校でよく行われている様々な評価が,答え探しの中に閉じ込められた学力観で止まっているのかなということを象徴するような出来事であったなと思っています。
評価というのは,児童生徒に対して,各教科や総合的な学習や特活も含めて,ある意味での学力の育成に向けて,私はこれは支援するものだと思います。評価をよりよく行うためという,学力の育成のために評価を行うことで,授業をよりよくするために支援をしていくという考え方を重視しなければいけないなと思っています。
一方,これまでの評価を考えてみますと,教師からの値踏みであることが多くあります。例えばその典型が,前々回にも申し上げましたが,高等学校における評定平均値などというのはその典型だと考えています。評価をするということは,値踏みではなくて,よりよく子供たちを伸ばしていく,また新たな能力を育成するために行われるべきもの。そういうふうな評価観のパラダイムシフトを図っていけば,今日いろいろ出てきた,様々な教科にそれが対応できていくと思います。上から目線の値踏みの評価ではなく,子供たちがこれからの時代生きていくために必要な学力をどう身に付けさせるかというところに絞っての,支援のための評価という考え方に是非転換していきたいなと考えております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,荒瀬委員。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。私が申し上げることかどうかは別と致しまして,先ほど今村委員がおっしゃったことで少し申し上げておきたいと思いますのは,学習指導要領がどれほど学校に自由裁量の余地をもたらしているかというのはなかなか難しいところがあろうかと思います。とりわけ学習指導要領が決まりまして,それが各学校で組む教育課程という段階になるその手前に,公立学校であれば,教育委員会が教育課程編成委員会みたいなものを作りまして,その中で一定の枠決めをいたします。ですから,そういうことに大きく注目してしまうと,学習指導要領には自由裁量の余地がないというふうに見られます。
ただし,その教育課程の編成委員会というようなものも現場の教員も関わり,主導主事等も関わるんです。自分たちで作っていきますので,そこに自由裁量の部分を入れようと思えばできます。それと,これは校長によると思うんですけれども,校長の名において教育課程は編成いたしますが,実際には各教科の教員がそれぞれの専門から意見を出すわけでありまして,そこのところの責任と同時に権限を併せ持って少なくとも高等学校の教員は自分の学校の教育課程を決めていますので,その辺りを是非申し上げたかった。
それと,生活困窮生徒が分からないというのは,それはあり得ないと思います。それは全く職務怠慢,仕事をなさってらっしゃらない方の御意見かと思います。ちょっと言い過ぎかもしれませんが,ということを思いました。
それから,平川委員がおっしゃったように,高等学校は義務教育ではありませんので,本当にその意味では全て生徒の自由にするということも一つの考え方であろうかと思います。ただ,そうするのであれば,そこに向けてのプログラムをきちっと組んでいかないと,次期学習指導要領から自由ですとなれば,これは大変な混乱が生まれます。ですから,そのための準備を含めて考えていかないといけない。
そのためにも,今現在,高等学校教育の課題は一体何なのかということをきちっと見ないといけないと思うんです。各教科の課題とか,あるいは今後に向けた対応とかといったことは出てまいりますが,そもそもそういうことを考える部会であろうかとは思うのですが,高等学校教育そのものの課題は何なのか,それは改善されつつあるのかどうかということを本気で考えなければならないと思います。そこに関わっては,さっき申し上げました教育委員会はどんな姿勢でいるのかということもよく見ておかないと,教育委員会が何に重点を置くのか,何に力点を置くのかというので公立学校は大きく左右されているという現状がありますので,そこのところも見ていかないといけないと思います。
あと3点,もう短く申し上げます。一つは,芸術教育ということを考えたときには,私は美術館とか劇場を無料開放する必要があるのではないかと思います。それは経営的にならないというのであれば,補助を出すといったようなことがきっと必要だろうと思います。私の知っているヨーロッパのある国では,高校生ぐらいまでですかね,ただです。2歳3歳の子供たちが作品の前で寝そべってそのまねをしているとかいったことも現実にありますので,そういう,学校教育だけでない,開かれた,国全体でもって考えていく必要があるのではないかと思います。
それからもう一つ,今回特に出てきていないように思うのですが,演劇をどのように取り扱うのかということも考えておく必要があるのではないか。身体表現という点であれば,体育も関わりますし,言葉の表現ということであれば国語も関わりますし,舞台設定であるとか様々な芸術関係も入りますし,当然,理科の知識なんかも必要になってきます。そういったことを考える演劇というのをもうぼちぼち,どういった形かは別として考えておく必要があるのではないかと。
3点目です。私は新たな教科・科目の増設というんでしょうか,新設ということに対しては大変消極的であります。現行の学習指導要領で言語活動というのを全ての教科・科目,取組の中で取り入れていこうとやったことはやっぱり一定功を奏していると私は思っております。ですから,例えば18歳の選挙年齢引き下げに関することにとってみても,先ほども申しましたが,ボランティアをやっていて防災とかやるときには当然関わってきますし,あるいは公民が軸となって,家庭科とか,あるいは国語科とか英語科とか,環境問題であれば理科も関わって,全ての教科・科目でやっていくというふうなことが実は教科の壁を本当の意味で低くすることになるし,つながりをつけていくことにもなるし,また少し弱点であるといわれている総合的な学習の時間の充実にもつながっていくのではないかと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,神長委員,どうぞ。
【神長委員】  私は1点だけお話をしたいと思います。この資料でいいますと,資料2-1の2ページの学習指導要領等の構造化のイメージということで仮案という形で示されている中から1点ということでお話をしたいと思います。大変分かりやすく,これからの学習指導要領のイメージとしては,教科学習,総合的な学習,特別活動,道徳教育,それぞれの教科,領域の中でこの三つの視点を考えていこうということを表しているのだと思うのです。それぞれに比重は異なるかというふうに思うんですけれども,ここの中にあります協働というところに少し視点を当ててお話をしたいと思っております。
協働というのは,ここは協力の協にお互いに働くという文字が書いてありますけれども,資料の中には協力の協に同じという言葉(協同)を書いているところもあります。両方の意味合いがあるだろうなと思いますけれども,最終的にはやはりお互いに働き掛け合いながら,それぞれが自己充実していくという方向を目指すべきであろうと思いますので,高校卒業の段階においては,やはり協働という,お互いに協力しながら働き合う,コラボレートしていくという,そういった視点はとても大事だと思うわけです。
そのときに,協働という言葉をずっと考えていくと,共に同じ(共同)というのと,協力して同じということ(協同)と,協力して働く(協働)という漢字があると思うのですけれども,それぞれに意味合いが異なると思っています。特にお互いに働き合いながら,コラボレートしながらそれぞれの学びを支えていくといったときに,そのグループの中にあるとかクラスの中にあるやはり人間関係はとても大事でして,互いのよさや可能性を認め合えるような集団が育っているということが前提でやはりお互いにコラボレートしていく学び合いというものが成立していくのだろうと思うのです。
そのときに評価ということも非常に関わり合ってくると思うのですけれども,現実を見ますと,少子化の中にあるとか,やはり子育てに非常に悩んでいる家庭が多いとか,少しでも早く苦労せずに社会人になれるようにという,早期に早期にと思う親の願いなど考えますと,むしろこの実態は,お互いに支え合う人間関係がなかなかできにくい環境の中にあるのではないかなと思います。特に私は幼児教育ですので,学校教育に入ってくる保護者の一人一人の表情や言葉やそういったものを敏感に感じるのですけれども,やはりお互いに支え合うというよりは,我が子をどうにか苦労せず一人前にしていきたいという,そういったことを思います。
子供たちの育ちに対しても,本当に一つ一つをしっかり見ていこうというようなところをとても強く感じます。そうしますと,子供は逆に評価される自分にとても敏感になり,集団の中に入ってくるときには,それを壊しながら自分のやりたいことをまず主張してごらんということを,教師はクラスの中で人間関係,集団関係を作っていくわけです。そういったところから始まってきて,小学校,中学校,高等学校と子供たちがたくましく育っていくかというと,やはりいろいろな現実の中では,少子化という中で当然仕方がないことだと思うのですけれども,評価されることに非常に臆病になっている。だから,自分が思うように発揮できないので,だから,協働的な学習をお互いにコラボレートするような学習場面を作ろうとすればするほど,教師はやはりそこにしっかり働き掛けていかないと,子供たちがその中で自分の学習にしていけないというような実態があるのではないかなと思うわけです。
クラス作りとか学級づくりとかいうお話をすると,幼稚園や小学校の段階のような,非常に子供たちがうまくできないので,そこに手をかしていくというようなイメージでとられる方もいらっしゃると思うのですけれども,一人一人がそこの中で自分の学習を展開していく,いわゆる自分の学びにしていく,自分の生き方の問題にしていくためには,やはりそこに育っていく学習集団というものを的確に見ていく教師は必要だと思うのです。
先ほど来の話からの評価というところと関連して見ますと,やはり教師がどれだけ一人一人の持っている良さや可能性を見抜く目を持っているかということは大きくて,評価といったときに,もちろんある一定程度の学力をしっかり身に付けてくる評価も大事ですし,そのことが更によりよい資質や能力,子供たちのものを引き出していくためには多様な視点から評価という問題を考えていくことが大事です。やはり一貫した見方で子供たちを幼小・中・高,さらに大学に続くのだと思うのですけれども,一人一人が持っている力をいかに引き出していくかという視点から取り組んでいくことが,評価の問題を取り組んでいくことが大事です。
そのことが子供たち同士がお互いの持っているよさを認め合いながら協働した活動の中で人と関わり合うと,自分で一人ではできなかったことが体験できるという,つまり,協働の協というのは,協力して同じことをするのですけれども,同じ目的に向かっていくんですけれども,それぞれの生き方や学び方につながっていくということ,つまり,協働の働くというところに行くのではないかなと思います。学習集団の在り方というところにも視点を当てるべきではないかなということを思いました。
【羽入主査】  ありがとうございました。
きょうは特に先生方の熱い思いを語っていただいたのではないかと思います。高等学校に特化した議論はこれまでにいたしますが,やはり高等学校ということの特殊性,つまり,義務教育ではないということを考えたときに,どういった内容を盛り込んだ指導要領とするかということが私たちの大きな問題意識ではなかったかと思います。したがいまして,高等学校の教育の意義,それから,課題を十分に認識した上での記述が必要なのではないかと感じました。皆様のお手元にございます論点ペーパーの中に,まずそういったことを書き込んだ形にしたいと思っております。
それから,特に高等学校においては幾つかのキーワードがあったかと思います。教科の壁を越える。それから,評価のイノベーションというふうにおっしゃっていましたが,評価の在り方を考える。そういったことを視野に入れながら,教育の内容,教科の内容を考えていく必要があるだろうと思います。
それから,次の点は,高等学校に関わることだけではございませんけれども,全体に関わることですが,私たちが指導要領をどのような意図で作っているかということのメッセージが伝わるようにしたいと思います。それはどのような形で表現できるかまた考えなければいけませんけれども,ここで先生方がいろいろお考えいただき,そして,御発言いただいている内容ができる限り現場の先生方に届くような形での何か工夫ができればと私は個人的には思っております。
今回の議論はこれまでにいたしますが,補佐官おいでいただいていますので,一言。
【鈴木大臣補佐官】  きょうも本当に充実した議論をありがとうございました。改めて,やはり高等学校というのはいろいろな意味で難しいなと。それはやっぱり発達あるいは学習の習得のばらつきというのもすごくありますし,それから,いよいよ高校というのは,そこからもう具体的に社会に若者たちを送り出していかなければいけない。そうすると,世の中の多様性をもろ受け止めていかなければいけない。そういういろいろなディメンジョンの多様性が掛け算あるいは累乗になっているなということをきょうの議論でも聞かせていただきました。
そういう中で,まさに学習指導要領でもって共通なるものをどうするのかということと,それから,それぞれのカスタマイズすることをどうしたらいいのか。それをナショナルカリキュラムで決めることと,それから,教室で,さらに言えば,一人の教員と児童生徒とのインタラクションの中で決めていくこと,これは本当に難問中の難問であります。しかも今までのように大量生産大量消費型のある種かなり画一的なライフスタイルを送れていた時代は,まだそれが何とかかんとか一つの枠組みの中に収まったんでしょうけれども,今まさにグローバル化も進んでいますし,またライフスタイルの多様化あるいは価値観の多様化という中で非常な難問であるなと。しかし,何がどう難しいのかということをきちっと皆さんで確認するということも非常に重要なことだと思います。
そういう意味でこの議論尽きませんけれども,引き続き皆様方からお知恵を頂きながら。まさにどの国もここで一つの正解を持っている国はないと思います。また6月の末にはOECDとの政策協議がございますけれども,いずれの国もそういう中で大変苦労をしながら,またそれぞれの創意工夫を発揮しているところだと思っております。そういう意味で,この企画特別部会がある意味でフロントランナーといいますか,パイオニアといいますかという存在でもあります。引き続き皆様方と熟議を重ねていきたいと思っておりますので,また是非よろしく御指導のほどお願い申し上げたいと思います。ありがとうございました。
【羽入主査】  ありがとうございます。
ただいまの補佐官のお話を伺っていて,この議論の出発点のところで私たちが考えておりましたのは,世界に先んじて教育の在り方を考えるということであったかと思います。そのために残りの議論を尽くしてまいりたいと思いますので,どうぞよろしくお願い申し上げます。
いずれにしても,今回限られた時間の中での討議でございましたので,先生方の御意見,お気付きの点があれば,是非事務局にお送りいただきたいと思います。
本日はこれまでにいたしますが,今後の予定などを事務局からお願いいたします。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。資料の一番最後の今後のスケジュールを付けさせていただいております。次回の特別部会の日程につきましては,6月23日火曜日10時から東海大学校友会館阿蘇の間にて開催を予定いたしております。内容と致しましては,幼・小・中・高を通じた初等中等教育の教育課程全体を通じた観点からの議論に戻っていただきまして,全体を夏の論点整理に向け御議論いただきたいと考えております。
本日言い尽くせなかった御意見等ございましたら,またメール等にて事務局までお寄せいただければと思います。以上です。
【羽入主査】  それでは,長時間御協力いただきまして,誠にありがとうございました。これで本日の部会を終了いたします。ありがとうございました。

── 了 ──

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