教育課程部会 教育課程企画特別部会(第8回) 議事録

1.日時

平成27年5月25日(月曜日) 10時00分~12時30分

2.場所

文部科学省 旧文部省庁舎6階 第2講堂
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 高等学校の教育課程等に関して改革が必要な事項について(意見交換)
  2. その他

4.議事録

【羽入主査】  おはようございます。定刻となりましたので,中央教育審議会の教育課程企画特別部会,第8回になりますが,開催させていただきます。本日はお忙しい中お集まりいただきまして,誠にありがとうございます。
まず事務局から,配付資料等について御確認お願いします。
【大杉教育課程企画室長】  それでは,配付資料の確認をさせていただきます。本日,議事次第に掲載しておりますとおり,資料1から資料6及び参考資料1,2を配付させていただいております。
参考資料2でございますけれども,少しごらんいただければと存じます。平成26年度英語教育実施状況調査になります。国や各都道府県等における英語教育の充実・改善等に活用するため,授業における生徒の英語による言語活動の時間の割合や,CAN-DOリストによる学習到達目標の設定状況,それから,教員・生徒の英語力など英語教育の実施状況について調査を行い,公表させていただいたものでございます。本日,高等学校の議論でございますので,高等学校からになっておりますけれども,後ろの方に中小という形で結果を付けさせていただいております。今後の議論におきまして適宜活用させていただきたいと思っておりますけれども,取り急ぎお配りをさせていただいているものでございます。
また,本日,冊子と致しまして,白い表紙の冊子になりますけれども,「英語教育改善のための英語力調査報告書」をお配りさせていただいております。高校3年生約7万人を対象と致しました,聞く・話す・読む・書くの4技能を測定する英語力調査でございまして,速報の概要につきましては,第4回のこの会議において参考資料として配付,御説明をさせていただきましたけれども,このたび最終報告書が完成いたしましたので,御参考にお配りをさせていただいた次第でございます。
以上でございます。不足等ございましたら,事務局までお申し付けください。
【羽入主査】  ありがとうございます。
よろしいでしょうか。
それでは,本日の議事でございますけれども,前回に引き続いて,高等学校の教育課程等についての意見交換を行いたいと思います。
配付資料の一番下に,いつものように今後のスケジュールを配付してございます。予定では,今回で高等学校は2回目で,次にまとめというふうに申し上げておりましたけれども,今回個別の科目の議論が中心となりますために,予定を変更いたしまして,次回も高等学校の教育課程について御議論いただくということを予定いたしました。御了承くださいましたらありがたく思います。
また,前回冒頭に御意見を頂きました教育の環境整備,条件整備につきましては,初等中等教育分科会長に伝えさせていただきまして,中央教育審議会としても問題意識を持って議論すべき事項であるということをお伝えいたしました。この点御報告をさせていただきます。
それではまず,事務局から資料に基づいて説明をいただき,その後,自由討議を行いたいと思います。
また,本日報道関係者等から会議の録音の希望がございます。これも許可しておりますので,御了承くださいますようにお願いいたします。
それではまず,事務局から資料に基づいて御説明をお願いいたします。
【大杉教育課程企画室長】  失礼いたします。まずはお手元,資料1をごらんいただければと存じます。資料1は,前回もお配りをさせていただきました,高等学校の教育課程等に関する論点(案)でございます。本日は,先ほど主査からも御案内ございましたように,この二つ目の柱,育成すべき資質・能力を踏まえた教科・科目等構成や内容の在り方等について,この部分を中心に資料を御用意させていただきましたので,御議論を賜ればと存じます。
特に高等学校教育について,例えば以下のような課題についてどのように改善を図るべきかということで,一つ目のポツですけれども,18歳をもって大人として扱おうとする議論がなされていることなども踏まえ,社会参画あるいは自立して社会生活を営むために必要な力を実践的に身に付けるための新たな科目の在り方,地理歴史科の見直しの在り方,より思考力・判断力・表現力等を育成するような新たな教科・科目の在り方などにつきまして,またその下に英語教育についてもございますけれども,これらの点についてを中心に資料を用意させていただいております。
また,参考資料1をごらんいただければと存じます。参考資料1,これは5月14日付けで取りまとめられました,教育再生実行会議の第7次提言「これからの時代に求められる資質・能力と,それを培う教育,教師等の在り方について」でございます。
おめくりいただきますと,「はじめに」の次に,これからの時代を生きる人たちに必要とされる資質・能力ということで,社会的・職業的に自立し,たくましく生き抜いていくためには,想定外の事象や未知の事象に対しても,持てる力を総動員して主体的に解決していこうとする力を培っていくことが必要である。また,日本人としての文化,歴史,伝統を背景としたアイデンティティーや国語力と並んで,英語を中心とした外国語による発信力や情報活用能力が必要であるといった,本部会における御議論ともつながるような取りまとめがされているところであります。
4ページ目以降が具体的な教育内容・方法の革新ということになります。特にアクティブ・ラーニングということでは,プレゼンテーションとか話し合いとか,そういった学習指導方法が積極的に導入されるようにするということの一方で,5ページの下にございますけれども,指導方法を画一的,限定的に定めることとならないよう工夫するということが示されているところであります。
また,2本目の柱と致しましては,7ページ目,ICT活用による学びの環境の革新ということで,様々な学習におけるICTの活用の推進,それから,8ページ目の丸になりますけれども,情報を収集・選択する力,情報を整理する力,プレゼンテーション能力などの情報活用能力の育成ということの重視が打ち出されているところでございます。
また,8ページ目の下からは,創造性,起業家精神の育成ということで,一部の子供たちということではなく,どのような立場にあっても社会で活躍するためにはこういった力が求められるということとか,また9ページ目,特に優れた才能を有する人材の発掘・育成ということでは,発達障害のある子供や不登校の子供を含め,多様な学びの機会が保障されることが必要であるといったことがまとめられております。
最後に,教師に優れた人材が集まる改革ということも併せてまとめられているところでございます。
こうした論点整理や第7次提言なども踏まえまして,本日,資料2を御用意させていただいております。資料2をお手元に御用意いただければと存じます。
資料2,1枚目は,現在の高等学校の教科・科目構成の全体像でございます。ごらんのとおりの教科・科目,標準単位数,必履修科目の設定という形になってございます。本日は,これらのうち,特に諮問で項目立てて指摘されている項目,それから,第7次提言につながるような点を含めまして,1枚おめくりいただきますと目次とございますけれども,公民教育,歴史教育等について,論点と今後の検討の方向性,今後の在り方を少しまとめさせていただいております。
これらを事務局としてまとめさせていただくに当たりましては,関係する各方面の有識者にも少し内々に御意見を伺いながらまとめをさせていただいておりますけれども,事務局の責任としてまとめさせていただいておりますことを申し添えます。また,当然のことながら,本日の議論の焦点は,そこの目次にございますようなそれぞれの教育が対象になりますけれども,高等学校教育全体につきましては,1ページにありますような全体構造がございますので,また全体構造につきましては,主査から御紹介ございましたように次回の会議におきましてまた全体に戻って御議論をいただければと思います。
それでは,2ページ目以降の公民教育からスタートさせていただきたいと思います。おめくりいただきまして3ページ目に,公民系科目に関する学習指導要領改訂の経緯等についてでございます。それぞれの教育について全て同じ構造になっておりますけれども,まずこれまでの経緯,それから,現状と課題,それから,諸外国の状況などを踏まえまして,それぞれの項目の最後に今後の検討の方向性という構造でまとめさせていただいております。
3ページ目は,公民系科目のこれまでの経緯でございます。簡単に申しますと,昭和53年,現代社会必履修という形で,そこにございますように,社会と人間に関する基本的な問題についての理解を一層深め,現代社会に対する判断力の基礎と人間の生き方について自ら考える力を養うために,新たな科目として設置されたところでございます。また,平成元年には,そこにございますように,民主主義の本質に関する理解,現代社会の基本的な問題についての客観的理解,現代を生きる人間としての在り方生き方についての自覚を育てる教科「公民科」が社会科から分離して設置されまして,その中で,現代社会又は倫理,政経を選択必履修という形にされたところでございます。現状におきましては,平成21年改訂のところにございますように,現代社会又は倫理,政経を選択必履修という形になっているところでございます。
こうした構造の公民教育に関する現状についてでございます。5ページ目以降に様々データを並べさせていただいておりますけれども,済みません,4ページに全体の課題としてまとめさせていただいております。高校生・若者の意識や実態ということで,積極的に社会参加する意欲が総体的に見て低いのではないか。また,理念や概念の理解,情報活用能力が十分に身に付いていないということがうかがわれる。一方で,政治や経済の仕組み,働く意義等を学ぶことへの関心は高く,実社会に関わることをもっと学習したいという期待はあるのではないかということでございます。
また,公民科教育の現状というところでございますけれども,「課題解決的な学習を取り入れた授業を行っている」,「調べたことを発表させる活動を取り入れた授業を行っている」と考えている教員が少ないということが,教育課程実施状況調査の教員質問紙などからはうかがえるところでございます。
大変恐縮ですけれども,5ページ目以降は,これまで高校の様々なデータとしてもお示しさせていただいたところでありますけれども,例えば日本の若者は,積極的に困っていることを助けることへの意識やボランティア活動への興味がやや低いというデータがございます。また,社会参加への中高生の意識ということで,自分自身の参加により社会現象が変えられるかもしれないというような割合が低いということとか,7ページ目をおめくりいただいて,若年者層の社会参画の態度の現状について投票率の推移から見えること,また,若年層就労者の意識として,働く上での権利・義務や働くことの意義を学ぶことは大切だというふうに考えているということでございます。また,10ページ目でございますけれども,特に政治経済といったことに対する科目の重要性ということは高校生の意識としても強いということでございます。
11ページ目に,国際的な状況,公民教育の現状をまとめさせていただいております。例えばイギリスにおきましては,シティズンシップを必修教科としておりまして,内容の特色というところにございますように,討論や協働学習などを重視し,社会への主体的参画を促すというカリキュラムがとられているところでございます。
12ページにイングランドの教科書の例,これは中学生相当の課程の教科書になります。例えばこのように,政党を作ってみようということで,どんな政策を打ち出すかということをアクティブ・ラーニングを通じて考えさせるということとか,13ページ目おめくりいただきますと,例えば公共サービスの質について,身近な公共サービスについて,例えばごみ収集とか学校とか,様々なサービスについてしっかりと議論して考えてみようというようなことも展開されているところでございます。
こうした現状・課題等を踏まえまして,公民科目の今後の在り方について,検討素案ということでまとめさせていただいておりますのが14ページになります。一番左側にございますように,課題と致しましては,やはり積極的に社会参画する意欲が国際的に見て低いということとか,現代社会の諸課題等について概念の理解,それから,情報活用能力,自己の生き方に結び付けて考える力に課題があるということとか,授業が課題解決的に行われていないということとか,それから,キャリア教育につきましては,高校において中核となる時間の設置が必要ではないかというような中教審の答申も頂いているところでございます。
これらを踏まえまして,今後,資質・能力と致しまして,立場によって意見の異なる様々な課題につきまして,その背景にある考え方を踏まえてより良い課題解決の在り方を協働的に考察し,公正に判断,合意形成する力とか,様々な課題を捉え,考察するための基準となる概念や理論を習得する力とか,公共的な事柄に自ら参画しようとする意欲や態度とか,現代社会に生きる人間としての在り方生き方についての自覚とか,こういった資質・能力を培っている公民科目が必要ではないかということでございます。
科目のイメージとしてございますけれども,真ん中の赤いところに書いてございますように,国家・社会の形成者として必要な選択・判断の基準を形成し,それを使って主体的な選択判断を行い,他者と協働しながら様々な課題を解決するために必要な力,それが,その周りにございますような様々な社会の場面の主体としてしっかりと判断基準を持ち,選択していけるというようなことではないかということでございます。
それらを右の上にございますような,討論,ディベート,模擬投票,模擬裁判など,まさにアクティブ・ラーニングを通じてしっかりと育んでいくこと,また,こういった教育を行うに当たっては関係する専門家や機関と密接に連携しながら展開していくことが必要ではないかと考えているところでございます。
下の緑色は,新科目をイメージしたときに,大まかこういったような柱立てと内容が考えられるのではないかということでございます。
また,こういった授業を展開していくに当たりましては,15ページにございますような,学校外部の専門性を有する人材の活用とか,授業で活用可能な教材等の充実ということをしっかりと図っていくということが重要でございます。16ページ以降にありますような様々な,例えば研究開発学校における新教科「公共」の取組,それから,17ページにありますような,シティズンシップ教育に関する取組,それから,19ページには,東京都の高校で実施されております「人間と社会」でございますけれども,こういった取組も参考にしながら組み立てていくことが必要ではないかと考えておる次第でございます。
次に,歴史教育でございます。20ページ目以降でございます。21ページ目ごらんいただきますと,これまでの経緯です。先ほど公民科の独立についてもお話しさせていただきましたけれども,平成元年,地理歴史教育につきましても,その専門性・系統性を重視し,教科「地理歴史」として独立させ,国際化の進展ということで,その中で世界史A,世界史Bから1科目,地理A,地理B,日本史A,日本史Bから1科目の必履修という形にされたところでございます。平成21年改訂におきましても,ごらんのとおりの構造とされたところでございます。
これらの中での歴史教育の現状でございますけれども,22ページ目でございます。丸2にございますように,特に近現代史の学習の定着状況が,教育課程実施状況調査などから見ましても,他の指導内容に比べて低いという傾向がございます。また,丸3にございますけれども,教師質問紙における回答を見ましても,「課題解決的な学習を取り入れた授業を行っていますか」という質問に対して,肯定的な回答をした教師がごらんのとおりの割合にとどまる,また,「調べたことを発表させる活動を取り入れた授業を行っていますか」ということに関しても,肯定的回答がごらんのような割合にとどまるということで,学習活動の工夫に課題があるのではないかということでございます。
23ページは開設状況,24ページ目以降は先ほど申し上げた教育課程実施状況調査の報告でございます。
飛んで,26ページになりますけれども,国際的な状況の分析ということでございます。諸外国の状況を分析しますと,これからの時代に求められる資質・能力に着目しまして,様々な歴史の用語を覚えるということではなくて,主要な概念を中心にカリキュラムを構成し,歴史の探究手法を習得させ,歴史的思考力を培うということを重視する傾向があるというふうに見ているところでございます。
一例と致しまして,28ページをごらんいただければと思います。アメリカの高校の世界史の教科書の例でございます。教科書自体はかなり分厚いものになりますけれども,各章の最後に,28ページ目の下の半分にあるような,各章のまとめのような部分があります。そこで必ず,右側にCRITICAL THINKING&WRITINGというふうにございますけれども,例えば比較対照させるということとか,結果を理解させるということとか,原因を分析させるということとか,2段落程度のエッセイを書かせるということとか,こういった学習活動が重視されているということでございます。
少し飛ばさせていただきまして,こういった状況も踏まえました,33ページ目,歴史科目の今後の在り方についてでございます。現行歴史系科目は,世界史A,日本史Aが基礎科目となっております。課題と致しましては,世界史や日本史の学習は大切だと考える生徒は増加している一方で,近現代史の学習の定着状況が他の指導内容に比べて低いのではないか。また,世界史か日本史かということではなく,グローバルな視野の中で,本部会でも御意見頂いておりますけれども,現代世界とその中での日本の過去と現在,未来を考える歴史ということを学習していくことが必要ではないかということ。また,学習活動につきましては,調べたことを発表させる活動や課題解決的な学習を十分に取り入れた授業が必要ではないかということでございます。
育成すべき資質・能力と致しましては,例えば自国のこと,グローバルなことを横断的・相互的に捉える力とか,現代社会の形成過程を理解し,その諸過程を考察していく力,また,持続可能な社会作りに参画していく態度,国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚,こういったものを培う必要があるのではないかということです。
新科目のイメージでございますけれども,自国のこと,グローバルなことが影響し合ったり,つながったりする歴史の諸相を学ぶ科目と致しまして,日本の動向と世界の動きを関連付けて捉えるということとか,現代的な課題につながる時代区分における,歴史の転換等を捉えた学習を中心とするということとか,歴史の転換の様子を捉える「継続と変化」とか,因果関係を捉える「原因と結果」とか,特色を捉える「類似と差」といった歴史の考察を促す概念を重視していくということとか,また,学習活動と致しましては,歴史の中に問いを見出し,資料に基づいて考察し,互いの考えを交流するなど歴史の学び方を身に付ける,こういった新科目が必要ではないかというようなまとめをさせていただいております。
次のページは,そういった指導方法の変革を支援するに当たって様々な方法が考えられるということでございます。
続きまして,35ページ,地理教育でございます。地理教育も,先ほど申し上げましたように,36ページ,平成元年でございますけれども,地理歴史教育の専門性・系統性を重視し,教科「地理歴史」として独立し,地理A,B,日本史A,Bの中から1科目選択という形にされてきているところでございます。
37ページに現状がございますけれども,グローバル社会の中でますます地理的な知識・技能というのは必要になってくるわけではございますけれども,最低限の地理的歴史を持たずに高校を卒業する生徒が増加しているのではないかということ。また,地球環境の危機や防災に関する教育が必要なのではないかということ。また,地理的思考力や地理情報システム――後ほどまた触れさせていただきますが,コンピューターベースで様々な情報を視覚的に表示したり,分析・解釈していくということでございますけれども,そういったスキルの育成が重要ではないかということ。海外や異文化一般への関心をしっかりと育んでいく必要があるのではないかということでございます。学習活動の工夫に課題ということは,先ほどの歴史教育における課題と同様のことでございます。
国際的な状況と致しましては38ページになります。地理教育につきましては,特にルツェルン宣言がございまして,2007年に採択されたものでございます。ここで,国際的に必要と考えられる持続可能な開発,これを実行していくための地理的能力ということがESDとの関係で整理されているところでございます。こうしたことも踏まえていく必要があると思います。
また,学習活動につきましては,39ページが全体的な国際的な状況の分析です。例えば40ページ,イギリスの教科書を見ていただきますと,例えば一番左下,持続可能な開発という観点から,渋滞混雑を解消するためのバイパス,これを建設するに当たって,財政的な面,ルートの面,それから,ルートを設定したときの様々な環境的な影響,こういったことを踏まえながらどういった議論をすればいいかということ。また,真ん中にGISというふうにありますけれども,先ほど申し上げたような,コンピューターを用いて地理情報を分析,解釈,表示していくということ。それを活用しながら,例えばサッカー場の移転についてどこがふさわしいかということを考えさせる。また,防災につきましても洪水の危険性を減少させるためにはどうしたらいいかということを考えさせる。こういった地理教育が行われているところでございます。
41ページ目,今後の在り方です。先ほど申し上げましたように,課題と致しましては,地理につきましては,最低限の地理的技能を持たず高校を卒業する者が多いということ,また,地理的技能,ESDの観点からもしっかりと育んでいく必要があるということ,学習活動につきましても,観察や調査などをしっかりと取り入れた授業が必要ではないかということでございます。
真ん中の資質・能力と致しましては,地理的な議論,地理的知識と地理的理解,空間概念を捉える地理的な見方や考え方,地域,国家及び国際的な課題解決を模索していく態度と価値観といったことを重視いたします。
新科目のイメージでございますけれども,持続可能な社会作りに必須となる,地球規模の諸課題や地域課題を解決する力を育む科目として設定していく必要があるのではないかということでございます。地図や地理情報システムなどの汎用的な地理的技能の育成,位置と分布,場所,地域などの概念を捉える地理的な見方や考え方の育成,グローバルな視点からの地域理解と課題解決的な学習な展開,持続可能な社会作りに関わる資質・能力を育み,それ以降の地理学習の基盤を形成していくということが重要ではないかということでございます。GISも含め,指導方法の変革を支援する方策につきましては,現在でもごらんのようなものがあるということでございます。
続きまして,諮問の,高度な思考力等を育む科目の在り方ということに関連いたしまして,43ページ目以降,理数教育でございます。まずは数学に関する学習指導要領改訂の経緯等についてということで44ページにございますけれども,一番下ごらんいただきますように,平成21年改訂におきましては,数学活用という科目が設定されております。この数学活用というのは,指導内容と日常生活や社会の関連及び探究する学習を重視していくということでございます。
また,理科におきましても,45ページの下の方になりますけれども,平成21年改訂におきまして理科課題研究というものが設定されているところでございます。理科課題研究におきましては,知識・技能を活用する学習や探究する学習を重視しているところでございます。
こういった状況を踏まえまして,理数教育に関する現状と課題でございますけれども,46ページになります。理数系科目の学力の状況は,PISA等を見ても分かりますように,トップレベルにあるということでございます。また,先進的な理数教育を行う高校につきましては,御承知のとおり,スーパーサイエンスハイスクールとして指定し,支援をしております。高校段階から様々な課題研究などに積極的に取り組みまして成果を上げているということでございまして,48ページ目にそのスーパーサイエンスハイスクールの科学的探究学習の例を少し紹介させていただいております。一方で課題と致しましては,学力の上位層割合が,他のトップレベルの国・地域と比べて低いということとか,例えば数学を社会の中で有用と感じている生徒の割合が低いといったような課題が見受けられるところでございます。
47ページになりますけれども,科学について学ぶことに興味がある生徒の割合が低いということとか,丸1,丸2,丸3,丸4というふうにございますけれども,下にまとめておりますけれども,特に日本の高校生は理科の自由研究を経験した割合が諸外国に比べて多いにもかかわらず,科学への関心が最低で,理科の学習が社会に出たら役に立たないと考えている者も多いということとか,理科の自由研究は日本においては小学校の時期でかなり多いわけでございますけれども,他の国と比べますと,比較的中学校2年生から高校1年生の間に実施されているという状況でございます。高校生におきまして,自主性,主体性のある研究,探究活動を子供の興味関心に応じて実施していける,そういった設定が必要ではないかということでございます。
49ページ,少し黄色で恐縮ですけれども,理数科目の今後の在り方についてでございます。諮問文にもございますように,より高度な思考力・判断力・表現力等を育成するための新たな教科・科目の在り方について,現在,数学活用,理科課題研究という科目の設定はされているわけではありますけれども,余り開講されていない状況もございますので,そういったことも踏まえながら,より取り組みやすいような科目設定なり,必要な能力を育むというような科目構成の在り方を考えていく必要があるのではないかということでございます。
従来の数学と理科の各教科で求められている資質・能力を統合した科学的な探究能力の育成を図るということとか,課題に徹底的に向き合い,考え抜いて行動する力の育成を図る,こういったことを目指しつつ,SSHにおける取組事例なども参考にしながら,数学と理科の知識や技能を総合的に活用して主体的な探究活動を行う新たな選択科目が必要ではないかということでございます。
次のページに,探究テーマの例と致しまして,例えば身の回りの植物や野菜の成分が他の生物に関してどのような活性があるかを調べ,その成分の性質について研究するといったような様々なテーマ設定が考えられるのではないかという例を挙げさせていただいているところでございます。
駆け足で恐縮でございますけれども,51ページ目以降,先ほどの教育再生実行会議第7次提言でも指摘をされておりました国語力という観点から,国語教育の充実でございます。52ページ目に経緯がございますけれども,53ページをめくっていただきますと,これまでの科目の変遷がここに示してございます。特に領域構成というところをごらんいただければと存じます。平成元年改訂時におきましては,表現,理解,言語事項というような整理でございますけれども,平成11年,21年改訂ということで,現在,話すこと・聞くこと,書くこと,読むこと,それから,伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項ということで,必要な技能を念頭に置きながら領域を構成されているところでございます。
こういった国語教育に関する現状についてでございますけれども,54ページ目に少しまとめてございます。例えば教科書教材を読むといったようなことの指導が依然として中心とされており,主体的な言語活動がまだまだ重視されていないのではないかということ,話し合いや論述など,話すこと・聞くこと,書くことにおける学習が読むことに比べて低調ではないかということなどが指摘されているところでございます。また,国語,古典に関する指導ということで,国語の学習,特に古典に対する興味・関心を高める指導に課題があるのではないかというようなことが課題としてございます。
次ページ目以降に少し詳しくございますけれども,55ページ。例えば赤い部分,教科書にあることを丁寧に教える授業などを心掛けているというような先生は多いわけですけれども,青い部分,話し合ったり,考えをまとめたり,生徒自身が課題を選択してまとめたりする授業というのはまだまだ割合が低いということで,先ほど申し上げたような課題につながるところでございます。
また,56ページ目も国研の調査の結果が出ております。例えば文章の内容を評価して目的に応じて適切に活用することができるというような割合が低いということとか,教師質問紙の部分でございますけれども,文字,音声,画像などのメディアによって表現された情報を読み取ったり,まとめたりといったようなことについて課題があるのではないかということで,生徒の思考力・判断力・表現力の一部に課題があるということとか,例えばメディアリテラシーといった部分についても課題があるのではないかということが指摘されているところでございます。
また,57ページでございますけれども,前回改訂で導入されました言語活動でございますが,これについて,目的意識や位置付けが不明確であること,指導計画に効果的に位置付けられていないということが,先ほど申し上げたような思考力・判断力・表現力の育成につながっていないというような課題があるのではないかということでございます。
また,58ページ目,国語の学習につきまして,特に古典ですけれども「古文は好きだ」,「漢文は好きだ」というような質問に対して,「そう思わない」,「どちらかといえばそう思わない」という否定的な回答が依然として多いということで,特に古典に対する興味関心を高める指導,現代の問題意識につながるような古典の学習というようなことに課題があるのではないかということでございます。
59ページ目は,普通科,専門学科それぞれにおける科目の開設状況でございます。現行の各科目の指導内容が,済みません,飛んでいただきまして63ページにございます。63ページ,国語総合の領域等との関連から見た各選択科目の指導事項でございますけれども,国語総合におきましては,それぞれの領域,事項を満遍なくという形になっておりまして,それぞれ現代文A,現代文B,古典A,古典Bに関しましては,A科目におきまして,伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項が,B科目におきまして,読むことが指導の中心となるという形になっております。59ページ目戻っていただきますと,A科目の開設率が低いということでございまして,比較的読むことの指導が中心になり,言語文化に関する学習が不十分ではないかというような指摘もされているところでございます。
また,60ページは,古文に関する意識調査ということです。古文に関する興味関心とともに,その学習の必要性を感じさせる指導についても課題があるのではないか,学習意欲についての課題なども指摘されているところでございます。
61ページ目は読書活動についての課題でございます。
こういったことを踏まえますと,62ページ目でございますけれども,全体的な課題と致しましては,他教科でも活用できるような汎用的なスキルの育成の必要とか,読むことのみの指導に偏らず,様々な話し合いや論述,話すこと・聞くこと,書くことの学習活動も重視していく必要があるのではないかということ。また,動画なども含めた様々なメディア表現に対する解釈などの力も,先ほど情報能力の話もございましたけれども,必要ではないかということ。それから,言語文化に関しましては,特に古語,古文なども含めまして関心を高める学習指導に課題があるのではないかということ。また,文学的文章の創作など含めまして,創造力の育成に課題があるのではないか。こういった指摘がされているところでございます。
検討の方向性につきましては,特に黄色の部分の必履修科目の在り方についてをごらんいただければと思います。話し合いや論述なども含めた実社会・実生活に生きる国語の能力の育成ということとか,古典も含む我が国の言語文化に関する理解を深めるといった観点から,必履修科目の在り方の見直しを図っていくことが必要ではないかと考えられるということでございます。
64ページ目は様々な研修,指導事例集など,指導方法の変革を支援する方策をまとめさせていただいております。
大変長くなりましており恐縮ですけれども,65ページ目から英語教育になります。英語教育の現状です。66ページ目,平成21年改訂でございますけれども,科目の構成はごらんのとおりとなっております。言語活動につきましては四つの領域の言語活動の統合を図るとともに,発信力の向上や,中学校との円滑な接続を図るという観点から科目の構成及び内容を改正しているところでございます。
現在,67ページにごらんいただけますように,「新」という部分でございますけれども,4技能の総合的,統合的な育成を一層強化するためのコミュニケーション英語の科目のシリーズ,それから,論理的に表現する能力の育成に焦点を当てた英語表現,それから,身近な話題について英語で会話する能力の育成,英語会話という構造になっているところでございます。
次ページ目以降から,英語教育に関する現状と課題についてまとめさせていただいております。高3生の英語力の現状,学習意欲の現状,それから,教員についての課題,これについては一度御紹介をさせていただきましたけれども,ごらんのとおりとなっているところでございます。
また,70ページ目以降は,9月にまとめられました有識者会議の抜粋でございます。有識者会議の報告としてまとめられました内容につきましては,70ページ目の高等学校における改善の方向というところでございます。幅広い話題について抽象的な内容を理解できる,英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養うという観点から,言語活動の高度化を図っていく必要があるのではないか。例えば社会的な話題などについて考えなどを的確に理解するとともに適切に伝えていくということ。英語を使って課題を解決していく力を育成するコミュニケーション能力を育んでいくということ。また,中学校で学習した内容をしっかりと踏まえながら,様々な言語活動を工夫して,言語の運用能力を高めていくということ。また,専門学科における科目設定の在り方についても検討が必要というような指摘がされているところでございます。
71ページ目におきましては,振興基本計画,それから,有識者会議の抜粋を再度載せさせていただいております。
次ページ以降,科目の開設状況とか,生徒・教員の英語力,指導状況につきまして,これはまた一度御紹介をさせていただいておるところでございます。
74ページ目,高校生の英語力の推移でございます。ごらんのとおり上昇という形になっております。77ページ目以降,高校3年生の英語力調査の結果の概要ということで,これは既に御紹介をさせていただいたところでございます。課題と致しましては,生徒の英語力,特に書く・話すが課題,学習意欲が課題,言語活動についての課題,78ページ目,技能統合型の言語活動指導が十分ではないといったような課題があるところでございます。
大変駆け足で恐縮ですけれども,意識調査の結果などもそこに載せさせていただいており,83ページ目からは,各学校の取組事例と致しまして,思考力・表現力を伸ばす指導でコミュニケーションツールとしての英語力を鍛えるというような事例とか,独自教材と評価の方法によって4技能を総合的に伸ばすという事例とか,85ページ目,CAN-DOリストを活用した授業といったことも掲載させていただいております。86ページ目はCAN-DOリストの設定状況でございます。
87ページ目からは諸外国の状況でございます。例えば88ページ目,中国におきましては,達成目標を級別にかなり詳細に決めまして,また,技能項目別にかなり詳細に定めているというような状況があるわけでございます。また,89ページ目,本会議におきましても何度か出てきておりますけれども,CEFRと呼ばれるヨーロッパ言語共通参照枠について,ごらんのようなレベルというようなことでございます。
90ページ目は,現行の学習指導要領の取組についてということでございます。例えば高校教員につきまして,「発話をおおむね英語で行っている」,「半分以上を英語で行っている」といった教員の割合が48%ということで,教員が授業を英語で展開し,生徒の英語による言語活動が授業の中心になってきているということが見てとれる。また,各高等学校において,CAN-DOリストの形で明確な学習到達目標を設定しつつあるというような状況も傾向として見てとれるわけでございます。91ページ目以降は,そのような事例と,また,92ページ目は,岩手県におけるCAN-DOリストの例でございます。
93ページは,海外の教科書の事例を少し載せさせていただいております。基本となる教科書から,発表,討論,交渉といった言語活動をかなり重視した教材が豊富であるということとか,また,単元ごとの目標,学習プロセスがかなり明確に示されている,学習者のレベルに合わせた学習活動が可能になっているというような教材でございます。
こういった状況も踏まえまして,95ページ目,英語科目の今後の在り方です。改訂の方向性というところにございますように,生徒が実社会や実生活の中で自ら課題を発見し,主体的・協働的に探究し,英語で考えや気持ちを互いに伝え合うということを目的とした学習を重視していく必要があるのではないかということでございます。英語による思考力・判断力・表現力を高めていくということの見直しを考えていく。その中で,4技能統合型の科目,必履修科目も含めてでございますけれども,複数の技能を統合させた言語活動を中心とした科目,また発信能力の育成を更に強化していくスピーチやプレゼンテーション,ディベートやディスカッションなどの言語活動を中心としたそういった科目,この二つの柱をしっかりと押さえていくのではないか。いずれにしても,世界標準になっている,先ほど御紹介申し上げたCEFRを参考に,指標形式での目標の設定を検討し,多様化,高度化に対応していく必要があるのではないかというようなことでございます。
96ページ目以降は,様々な指導の変革,それから,98ページ目は,教員の指導力向上研修なども含めて英語改革の実施スケジュールのイメージでございます。
大変長くなりまして恐縮ですが,最後に情報教育でございます。情報教育,100ページ目をごらんいただきますように,平成元年に,高等学校におきましては数学科,理科,家庭科等にコンピューター等に関する内容が取り入れられたところでございます。その後,類似のまとめを経まして,平成17年改訂で普通教科「情報」が新設されまして,必履修教科とされてございます。
101ページ目に,前回改訂のポイントがございます。共通教科「情報」における改訂のポイントでございますけれども,社会の情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育成する観点から,情報の科学的な理解や情報社会に参画する態度を柱に改善をされたところでございます。現在は「社会と情報」又は「情報の科学」,その二つの科目のうちのどちらかを履修するという形になっております。
最近,日本再興戦略を含めまして,また,先ほど御紹介申し上げた教育再生実行会議の第7次提言を含めまして,情報活用能力の育成,プログラミング等も含めまして,こういった社会的な変化の中でますます重視していくべきというようなごらんのとおりの御指摘がされているところでございます。
一方で,情報における各科目の履修率ということでございます。主に情報の収集とか,効果的なコミュニケーションとか,情報モラルということに重点を置いた「社会と情報」が8割,一方で,問題解決のために必要な様々な科学的な考え方などを重視した「情報の科学」は2割というような状況にあるところでございます。
次のページにおきましては,諸外国における情報教育の取組ということでございます。いずれの国におきましても,ComputingとかComputer Studiesというような形で重視がされてきているということでございます。
情報科目につきましては,104ページ目の右下の方にございますように,高度な情報技術の進展に伴い,文理の別や卒業後の進路を問わずに,情報の科学的な理解に裏打ちされた情報活用能力を身に付けるということが必要になってくるのではないかということでございます。
真ん中に育成する資質・能力ということで情報活用能力ということがございますけれども,情報とそれを扱う技術を問題の発見・解決に活用するための科学的な考え方,情報通信ネットワークを使って円滑にコミュニケーションを行う力,情報機器やネットワークを用いて情報収集・加工・発信する力,情報モラル,知的財産の保護,情報安全等に関する実践的な態度,情報社会に主体的に参画し寄与する態度と能力といったことを育むために,共通必履修科目として,情報と情報技術を問題の発見と解決に活用するための科学的な考え方を育成する科目ということをしっかり打ち立てていってはどうかということでございます。
これらの中身につきましては,例えば情報モラルにつきましては,冒頭に御紹介申し上げたような,公民科目の新たな科目で扱うということも考えられるわけでございますし,また,105ページ目にございますように,高校だけで重視するということでは不十分でございますので,小中高,順を追ってしっかりと育んでいくというようなことが重要であるというふうに考えております。
大変長くなりましたが,本日御用意させていただいた資料は以上になります。御審議よろしくお願い申し上げます。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,議論に移りたいと思いますが,残りが1時間半ぐらいでしょうか。それで,今御説明いただいた事柄は内容が豊富であるがゆえに時間が長くかかったわけですが,私たちがここで議論するにはもっと多くの時間が必要だと思います。
それで,ここでの議論の今後の位置付けを少し考えておいた方がいいと思うのですけれども,先ほどのスケジュールの紙にもございましたが,ここでおおよその方向性を出し,その後,それぞれの学校種ごと,教科等別に専門の部会で議論がなされます。そのいわば骨子に当たる部分をここで議論するということでよろしいでしょうか。
それで,今御説明いただいたのが7科目でございました。それぞれのところに検討素案が1ページ盛り込まれておりまして,主にここでの議論はそれを中心にということでよろしいですか。もちろんほかのところの議論になっても結構だと思いますけれども,そのようなことで議論を進めていきたいと思います。また,時間的な問題もございますし,とてもここで御意見を全てお出しいただくのは不可能だと思いますので,是非今回は特に御意見を後ほど事務局の方にお寄せいただければと思います。
私どもは,学校教育を全体として捉えるということを常に基本的なスタンスとして議論してきたと思います。次回高等学校教育に関して,今回は教科ごとの議論になりますが,それも全体を考えた上での教科の議論とするのが適切ではないかと思っております。
それではどうぞ,いつものように札を上げ,お名前をお願いいたします。簡単に計算しましたところ,一人最大5分以内かと思っています。では,キャンベル委員からどうぞ。
【キャンベル委員】  ありがとうございます。今読み上げていただいた科目それぞれの課題と検討素案について,最後の英語教育はとても多くの課題,問題を抱えていまして,多分これは時間がかなり割かれると思うんですけれども,それに先立って,私は歴史科目と国語科目について,きょうの話を伺いながら思ったことを一,二点,提案ということで申し上げたいと思います。
まずは歴史科目ですけれども,33ページの検討素案に書かれていますように,課題として,世界史か日本史かの二者択一という状況,それを今まで,例えば21ページに経緯が書いてありますけれども,世界史AかBか,あるいは日本史A云々というふうに履修を選択する中で,世界史か日本史。世界史Bを選択する場合に日本史との関連が関わってくるだろうと思うんですけれども,私が長年,大学に入ってくる1年生の状況を見ていきますと,選ばなかった方が基礎的な知識を含めてほとんど欠けている。
例えば幕末,明治維新という大変重要な事象を把握するために,19世紀の世界史の潮流,様々な事象を基礎として知っておかないといけない。それから,幕末,維新を逆に世界史に逆照射していってそこから話し合ったり,歴史認識を育むために,総合の基本的な足場といいましょうか,学習が不可欠だと思います。これは昭和史,例えば昭和恐慌についても,第1次大戦からの金本位制からの脱落,その過程を世界史の中で日本あるいは日本政府,日本の歴史に何があったかということを相互に照合し合いながらということがあって初めて,まさに歴史の活学,アクティブ・ラーニング,生きた学びとして立ち上がるものだというふうに痛感しています。この部分が是非改善するといいますか,どのようにしっかり日本史の時系列で,全て大学入試希望者テストに向かうためにあるものではなくて,総合的にそれが照射していくと。
特に海外の事柄あるいは外国人と日本について語る場合に,日本の歴史的な事項あるいは事象を用いて世界史について語り合っていたり提案をしたりするということはとても重要だと思うんですが,現在の指導要領の下で育っている学生たちは,本当に片方がしっかりとあって,片方が非常に欠けているということが全体として相乗的に大きなマイナスに働いているのではないかなと思います。まさに28ページのアメリカの教科書の表紙に書かれていますように,PATTERNS OF INTERACTION,相関の模様,様々な模様が学びのより中心に位置付けられるように設計を是非お願いしていきたいと思います。
二つ目が国語です。55ページに書かれていますように,多くの生徒は,丁寧に説明がなされていて,科目の運営あるいは運び方については肯定的な意見もあるんですけれども,圧倒的に古文と漢文に対して否定的な印象というものがやはりあるわけです。これはまた大学の1年生たちを多く長く見ている者からいいますと,分かる感じはします。高等学校の参考書あるいは授業の中でなされていることは,日本の言語文化の最も対極にある,例えば中古の仮名書きの物語というものをしっかりと読み,そして,一方では現文を読むわけですけれども,橋渡しのようなものがありません。そして,これがまたやっぱり受験のために,特に東京大学などは,決まったように中古の文章の中に和歌が一つあるという,その一つの様式にずっとなってきています。
もともとその物語を読み,その中の論理的な,理論的な世界に共感できる生徒たちもいるわけだし,それは非常にいいと思うんですけれども,そうではない生徒も多いと思います。日本の言語文化が持つ,もっと豊かなグラデーションといいますか,例えば近世あるいは幕末の片仮名混じりや平仮名混じりで書かれた随筆とか,あるいは明治初期の古文で書かれた,当時は普通文と呼ばれるような文体,これを十分に古文として認識し,学ぶことが必要。同時に,それが今日的な様々な関心事や人々の生活に結び付けやすい題材あるいは課題を抱えている文献あるいは領域が多くあります。
なかなかこれは入試を作るときに,それを選ぶ,そういった材料を選ぶことが大変勇気が要るもので,高校の学生たちは『源氏物語』や『土佐日記』を読んでいるので,全く読んでいないものを学力試験で試すということは,これは大変な不公平じゃないかというふうに議論がなされていると思うんですけれども,高校時代では大学の入試は中古の仮名書き,仮名文が中心だということで,それ以外の古文,漢文――漢文もそうです。江戸時代に非常に豊かな日本の精神文化あるいは実質的な生活,常民の生活含めた証言が多く含まれているので,それをもっと現文と古文あるいは漢文を,融合させるということはなかなかできないかもしれませんけれども,相互に近付けて,それが多くの生徒たちが関心が持てる,それから,アクティブ・ラーニングの題材になるように開発していくという必要をとても強く感じているわけです。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,奈須委員,どうぞ。
【奈須委員】  個別具体的な教科の話ということですが,それに入る前に原理的なことを1点申し上げたいんです。各教科の教育の内容編成が現実状況に沿った方向で改革が進むような御提案で,いずれも私自身は好ましいかなと思っています。ただ,ここで書かれているイメージが,従来型の領域固有知識として累積していくというイメージで捉えられると,教育課程はもうパンクしてしまうだろうと。また,アクティブ・ラーニングは相応の時間を要しますから,したがって,このような改革をいずれの教科についても進めていくとなると,教育内容の再整理,統合化,その原理的な確立が不可避であろうと思います。
一つのアプローチは,欧米で既に進められてきたLess is more,内容をあえて絞ることによって豊かな学びを実現する,それによって学力を向上するという論理ではないかと思います。そのためにも,改めて教科の本質を明確にする必要があるだろうと。しかも,それは学問の純粋性に向かうような内部論理的なものだけではなくて,社会現実や生活に開かれたもの,今の素案もそうなっていると思いますけれども,そちらの方向で教科の本質を明確にするということがまず緊要かと思います。
その上で,より具体的に各教科の中で何が本質的な問いであるかということを明確にし,それに収れんする中で,各教育内容の編成がされていくということが一つのやり方かなと思います。先ほど事務局説明の中にあった各種の提案や戦略も,多くはその方向の体現として集約的に理解できるかと思います。
その上で,領域固有知識の百科全書的な意味での網羅的習得,これが学力と従来言われてきたかと思いますが,それについてはやはり一定程度断念せざるを得ないということを意思決定する必要があろうかと思います。ただ,これについては,先のゆとりと充実の教育に対しての学力低下という批判がまさにそこに来ていたわけで,それを再燃させないためにも,しっかりとした学力論の形成と周知が必要です。こんなことも知らないという重箱の隅的で揚げ足取り的な批判をさせないためには,どのような学力論を説得的なものとして形成し,分かりやすく周知していくかという戦略が必要かと思います。
またそのためにも,これは資質・能力会議からずっと言われていることですが,何を知っているかではなくて,知識・技能を活用してどのような問題解決を現に成し遂げることができるかということを学力論の重心にするということが一つの可能性かと思います。また,そのように教育内容を再整理,統合し,項目を一定程度減らすということによって,教育内容の刷新としてのアクティブ・ラーニングもようやく現実可能になるでしょうし,その教育方法の刷新と教育内容の整理が相まって新しい学力が着実に育成されるかなと思います。
また,もう1点,きょうは教科の議論なんですけれども,総合の話をしておきたいと思います。教科の刷新に関わる点は全て好ましく,また,高校改革の中核的課題かと思います。子供主体の探究的で協働的な学習あるいはアクティブ・ラーニングによって,従来の領域固有知識の量的習得にとどまることなく,教科の本質を体現する,体得する。さらにそこから汎用性のある資質・能力,いわゆるコンピテンシーの実現にまで進むような教科改革が構想されているかと思います。
実は従来,こういった教育的価値,子供主体の探究的で協働的な学習,今日でいうアクティブ・ラーニングの実施とか,それを通した豊かな体験やダイナミックな活動を通して汎用性のある資質・能力,いわゆるコンピテンシーを育成するということは,まさに総合的な学習の時間に期待され,実際にも,本会の荒瀬委員が校長を務められた京都の堀川高等学校の実践などによって,その具体的な成果,子供の姿を我々は確認してきたかと思います。
今回の改訂を通して教科の刷新が進むという見通しがあるわけですが,そういった教育的価値や特質は教科でも十分に達成できるということになってくるかと思いますし,また,達成していきたいと考えるわけですが,そうすると,あるいは総合的な学習の無用論が出はしないか,あるいは歴史的使命はもう終わったんだというような議論がなされる可能性があるのではないかというふうに,ちょっと心配し過ぎかもしれませんけれども,そんなことを逆に危惧をしております。
そして,それは違うだろうと。第1に,教科でコンピテンシーの育成が進むと仮にしたとしても,それを更に補充,深化,統合する。あるいは,様々な学びを生徒が明晰に自覚し,またそれを自分の興味関心のある課題,課題研究というような話もございましたが,そこで自由に闊達に適用する。それを通して一層コンピテンシーのようなものが着実に定着し,生きて働くようになるのだと,一種の要の時間としての総合の役割はいよいよもって高まるのではないかと思いますし,また実効性を持つだろうと。
第2に,教科というのはあくまでも個別的科学,学問,芸術を基盤としております。したがって,そこでアクティブ・ラーニングがなされ,資質・能力の獲得が行われるとしても,総合とは少し違ってくるんじゃないか。つまり,総合的な学習は小学校低学年の生活科を足場に接続しているということからも分かるように,内容編成上,教科とはかなり原理が異なる。歴史的に,いわゆる生活教育と呼ばれる系譜にあるもので,そもそも教育課程上の内容編成的な守備範囲が教科とは違うんだろうと思います。つまり,学問をいくら束ねても生活にはなりません。学問と生活はやはり少し違ってくる。総合的な学習の時間には,教科に解消されない,そういった生活の学びとしての独自の内容編成的使命があるということをむしろ確認し,充実できる時代が来るかなと期待をしております。
また最後に,総合的な学習の教育目標は,その文末表現にあるとおり,自己の生き方を考えることができるようにするということなわけですが,とりわけ実は高校の方は,この生き方が,生き方・在り方となっている点に大きな特徴がございます。この文言解釈については,生き方というのは現代社会の問題あるいは地域社会の問題,あるいはキャリア,ジェンダーといった具体的な生活実践課題と格闘する中で,個別的な課題に対してあしたからは自分はこういうふうにしていこうということを身に付ける。
そういう意味でのとても具体的な生き方,いわゆるDoingに対して,在り方については,そういった個別具体的な生き方を踏まえ,自分は人間としてどうあるべきなのか,どのようにありたいかということをより哲学的,思索的,理念的に考究するということが考えられていたのではないかと。また,そう分節化するという見方が適切であるように私も思います。つまり,生き方はDoingの学び,在り方はBeingの形成というふうに考えていい。そして,小中学校でのDoingの学びを足場に,高等学校ですから人生の岐路もあるでしょう。それをBeingとして深め,高めていくことが高校の総合に独自にして重要な存在的価値として再確認されるといいかなと思っています。
とりわけ実は道徳が教育課程上,高校には位置付けられておりません。道徳と総合はかなり違っていますけれども,人間の在り方をより哲学的に思索し,考究し,成長しようとしていくという学び,Beingの学びとしては総合が高校における独自な位置を占めるということがいよいよ重要になってくるかなと思っています。
教科の刷新によって総合は更に先に進むことができるのでしょうし,それによっていよいよ大きな実りを子供たちにもたらすことが期待されると思います。いわゆる知の総合化によって,教科の学びと総合の学び,学問の学びと暮らしの学びがいい形で連携,統合していくという前回教育課程の中で示された動きが,今回の教科の刷新によっていよいよ進む。その意味で,総合的な学習と教科の学習のハーモナイズということが今後の教育課程においていよいよ大事になってくるし,期待されるかと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,髙木委員,お願いします。
【髙木委員】  今の奈須委員の教科の刷新,それから,科目構成・内容の再編につきましては,大変共感を持って伺っておりました。聞いていったところです。そのことをもう少し具体的に考えますと,二つの点からお話をしたいと思います。一つは全体のこと,もう一つは国語についてです。
全体の話から申し上げますと,現行の学習指導要領もそうなんですが,これまで義務教育段階の学習の定着を図るということでずっと下から積み上げてきているわけで,今回は,学力という問題から考えますと,やっぱり高校段階の出口で,その出口でどのような学力を育成するかということをまず明確にすべきであろうと。それによって,中学校,小学校の内容を考えていく。
例えば中学校国語学習指導要領,今,本当は,机上にありますので開いていただきたいんですけれども,時間がないから場所だけ申し上げますが,中学校学習指導要領国語の27ページ,書くことのエにどういうことが書いてあるかというと,「書いた内容を互いに読み合い,論理の展開などについて評価して,自分の表現に役立てるとともに,物の見方や考え方を深めること」と書いてあるんですが,これは本当に中学校卒業段階でどこまでできるかって大変高度。高校生でもできるかどうかという疑問もあるわけです。
このような内容になるのは,どうしても指導事項が,小学校,中学校と積み上げながら学習指導要領が作成されてきた結果ではないかと思います。そこで,今回は,高等学校卒業段階での到達すべき学力をきちんと明示し,そこから中学校,小学校の各段階で育成すべき学力の内容を検討してはどうかということを申し上げたいと思います。それが全体に関わることです。
2番目です。高校の古典教育です。資料2の58ページのところ,先ほども御紹介がございましたけれども,70%を超える生徒が古文・漢文が嫌いと回答しているわけです。大変ゆゆしきことだと思います。このことは高等学校における古典の授業が,大学入試を目標として解釈中心の授業に偏っているからであります。現行の高等学校の国語の学習指導要領解説にも,詳細な古典文法の指導をしないと書いてあるわけです。にもかかわらず,特に進学校を中心にそういった進学重点の文法指導が行われている。この現状をやはり変えていかなければいけないと思っています。
本来,古典の面白さや楽しさ,更に言えば,日本の伝統文化を含めて古典を学ぶことが,日本における,自国における言語についての理解を深めることになりますし,そのことを通してグローバル教育。グローバル教育というのは,英語だけではなくて自国の文化についても知ることは大変大事だと思いますので,やはり自国の文化を知る意味でも,新しい古典教育を含めた科目構成に転換する時期に来ていると思います。
例えば古典においても現代に通じることがいっぱいありまして,例えば桃の節句といった後に端午の節句があって,その後,菊の節句というのが実は9月9日,重陽の節句ってあるんですが,聞いてもなかなか分からない。これはやはり文化だと思うんです。十干十二支などもそうですし,例えば月を見て,立待の月,寝待の月,宵待の月ということも,これも現代につながってくる。こういったことを古典とつながる言語文化として,これまでの解釈中心にした古典教育よりも重視していく必要があると思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
池野委員,どうぞ。
【池野委員】  済みません,大きくは三つお話しさせていただきたいんですけれども,前も申し上げたんですけれども,やっぱり高等学校の役割といいますか,大学とのつながりで高等学校の役割を考えるのか,あるいはやっぱり高等学校は一定程度学校教育の最終段階としてどこまでするのか。基本的には普通教育としてあるわけですから,市民として,あるいは国民としての基本的な一定の資質や能力をここまで育てるという役割の方がまず第1だと思われます。
だから,今回の各教科の素案も,緑のところの真ん中に資質・能力はこういうことですよというように書かれているのは,とてもある面,出口を設定することだと思うので,それはいいことだと思うんです。ただ,それが各教科ばらばらに見えるんです。見えて,全体として何をどうしたいのかということがやっぱり分からない。先ほど奈須先生がお話しされたように,教科の本質をしながら教科の中の連携を一定程度する必要があるということは分かっているんですけれども,やっぱりどうしても教科のそれぞれの固有の知識の方に先生方は目に置いて,本来教科の本質として培わないといけない力だとか資質や能力という方になかなか行かない。
先ほど,これはキャンベル先生にはちょっと申し訳ないんですけれども,明治維新は,私のような60歳を超えた者がある面若き頃は100年前だったんですけれども,今は明治維新はものすごく遠い世界になったわけです。今,子供たちにとって,我々が100年前と言っていたものが実は昭和の初めの時代になっているわけです。昔は1950年代,60年代に生まれた人たちにとって100年前は明治維新だったんですけれども,今の子供たちは,100年前というのは昭和初期,1900年代ですから,その頃が100年前なんです。ですから,やっぱり時間が変わってくると100年前の意識が全然違ってくるので,いろいろな個別な知識だけを全て同じようにやっていてはなかなか難しいんじゃないかなと思います。
そこで,私は三つ提案したいんですけれども,資質・能力自体を全体としてやっぱり何かを作ってくる,全体として関連付けるような組織が一つ要るんじゃないかなということ。その中で各教科がどういう担当をするのかということがやっぱり書かれないと,いつまでたっても,これは狭い意味の教科の問題だけにしかとどまらないんじゃないかなと思います。これが一つ目です。ですから,資質・能力は書いてあるけれども,全体との関わりが必要じゃないかということが一つ。
それから,先ほど述べられましたけれども,やっぱり高校は出口ですから,中学校や小学校との連携が出てこないと,高等学校だけを議論していてはなかなか難しいんではないかなと。当然,高等学校の教科はこういうように変えようということは中学校はこういう関係がありますよというのが,この検討の素案の中に少なくとも出してほしいなと思いますし,出てこないといけないんじゃないかなと思います。
さらにまた,小学校と連携されるともっと良いと思うんです。小学校でこうだから中学校こうだという考え方もありましょうし,高等学校の出口がこうだから,高等学校はこうで,中学校はこういうふうにする。その中で,実際に何をそれぞれ,中学校の役割はするのか,高等学校の役割はするかを決めていかないと,高等学校の出口だけ,あるいは高等学校の新しい教科だけを議論しとってはなかなか難しいんじゃないかなと。
私は専門は社会科で地理や歴史や公民なんですけれども,今回新しい教科にしても,あるいは地理や歴史にしても,どうしても高等学校の地理や歴史の問題だけになっているんですけれども,実は中学校の地理的分野や歴史的分野でどこまでをどれだけするのか,それが高等学校にどういうふうに伸びていくのかということは全く考えずに,子供たちは全て日本史の知識を忘れていますよ,世界史の知識を覚えてませんよと。
はっきり言えば,そんなの忘れます。現実は,子供たちはそんなのは剥落する知識です。覚えている知識なんてない。それよりも,歴史や地理の何かを使って自分たちが問題解決できるようなことが本来高等学校でやるべきことだろうと思うんです。だから,個別の日本史の知識だとか世界史の知識をたくさん教えるよりも,そういうことをした方がいいんじゃないかなというのが二つ目です。
それから,三つ目は,実際にこういう新しい科目やそういうものを作られることとともに,やっぱりもっと厳選するというか,特別活動や総合的な学習だとかとの連携を考えないと,多分あらゆるところで似たようなことをいっぱいやる。例えば社会科の関係でいうと,情報というものは,情報という科目もあるし,数学もあるし,メディアの中では公民的な分野でも取り扱うわけです。ですから,よく似たことをいろいろなところでやるけれども,別々に取り扱って結び付けることはない。
例えば国語の中にも,社会科や理科や数学のいろいろな内容が出てくるけれども,それは教材としてするだけで,内容的には全く別々のものとして取り扱ってしまっていて,連携することがない。そんなことをやっていたら,いつまでたっても時間は足らないし,全てを教えないといけないというようになるので,いかに厳選して,何と何をこの教科やこの科目では担当するかという,その中核になることをやっぱり新たに示していかないといけないんじゃないかなと思っています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,天笠委員,どうぞ。
【天笠主査代理】  済みません,既に委員の方から言われていることと同様の趣旨を申し上げることになるかと思いますけれども,一つは,104ページにあります,共通教科「情報」について,こういう文言が目を引きました。この中身的なものとして,情報モラルなど,社会生活を営むに当たり必要な知識や果たすべき役割等については新たな公民科目で扱うことを検討するという,このことなんですけれども,ちょっと判断を留保せざるを得ないというのを申し上げさせていただきたいのが一つであります。
というのはどういうことかというと,ここで言うところの科学的な理解に関わる内容は共通教科「情報」のところにとどめ,そして,情報モラルなど,社会生活を営むことについては公民という,こういうことなんですけれども,言うならば,前回も委員の方から御発言ありましたけれども,教科の歴史的な経過からすると,そういう分離の現象が起こり得るというんでしょうか,人間としての生き方とか在り方,社会における云々というのは,これは教科からこちらの方に置いておいて。ついては,この話ですと,新たな公民科目が受け皿になりそうなそれなんですけれども,仮にこれがこういう構想で行くとするならば,私は,これがうまくいくという場合には,やっぱり教育課程がしっかり存在していて機能しているということの場合にはそのアイデアとか考え方というのは一定の功を奏するということだと思っているんです。
前回も私申しました一つの疑念は,高等学校は,教科の塊としては存在していますけれども,あるいは分離して教科がそれぞれ存在しているけれども,まとまった形の教育課程というのがなかなか非常に存在しづらいというのが高等学校のとりわけ一つの特徴なんじゃないかと。
ですから,そういうことからすると,基本的にこの教科の内容をこちらの教科に移すということは,二つの教科等が教育課程の中である程度束ねられているとか,連携が担保されているとか,そういう状態のときにそれが意味をなすのであって,その前提が,教育課程がそういう状態じゃないとすると,結果的には,教育課程のこっち側は勉強するけれども,横に移されたものについては余り学習がそこで成り立っていかないとかというようなことが起こり得る可能性,あるいは教科が教科として,それぞれがそれぞれとして学習するにとどまっていて,教科を相互に関連させながら全体としての力を付けていくというような辺りのところというのが非常にまだまだ耕されていない,そういうのが高等学校の現実の姿じゃないかと思うんです。
ですから,そういうことからすると,むしろ教科の中でこそ完結性を持つというのが一つの考え方とするならば,まさに教科「情報」の中にこそ,情報モラルとか,社会生活にこのことをしっかりと担保して,そういう教科を構想するんだということもまた選択肢としてあり得ることになるわけです。ただ,おそらくそのことは,先ほど来言っているように,教科の中身をどういうふうに精選していくかということとバッティングする可能性もそこには出てくるわけで,それをどう調整していくのか。資質・能力を提起するということは,そこのところをうまく越えていかれるかどうかが我々の課題として問われているところではないかと,そんなふうに受け止めております。
それから,二つ目なんですけれども,きょうはそれぞれに関わって関係の学校の事例校等のいろいろな御紹介をいただいて,大変参考になりました。あともう一つ,これ,情報として我々知っておく必要があるとするならば,都道府県のそれぞれの取組というんでしょうか,それについての情報もあるといいかなというふうに受け止めました。例えば義務教育段階での学校内容の確実な定着を図るための教科・科目の在り方ということもこの諮問文の中に出ているわけですけれども,それに類する取組というのは,それぞれ都道府県教育委員会の中で相応に工夫ということ等での高等学校等の取組にもあるようにと思いますので,先ほどの御意見とちょっと違うかもしれませんけれども,むしろ下からどう積み上げていくのかと。ついては,ここで言うところの確実な定着を図る科目の在り方ということと,小中高のつながりというのを,それぞれの都道府県の取組の状況から情報を収集して,我々として判断を下していくというふうな,そういうことがまたあっていいのかなと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,市川委員,牧田委員,キャンベル委員,上田委員の順でお願いします。
【市川委員】  大きく二つのことを申し上げたいと思います。第1のテーマといいますか,トピックが,今,7教科の話がありましたけれども,かなり共通項があると思うんです。一つは,知識のインプット重視だったものをもっと主体的な思考とか表現を重視するものにしていこうという方向ですね。それから,もう一つは,これまでの高校の教科といいますとかなり学問的な知識を教えていくというものだったのを社会生活へ活用していこうという方向,これがどの教科でも出ている。ただ,これ,何もいきなり出てきたことではなくて,近年言われていることではあると思うんですが,なかなかうまくいっていないんです。これが改革としてうまくいっていない。それをどういうところに原因があるか,どうしていけばいいかということをよほど丁寧に進めていかないと,また同じようになってしまう可能性がある。
主体的な思考・表現を重視ということなんですが,なぜなかなかこれに踏み切れないかというと,一つには評価の問題。評価が難しいと高校の先生はおっしゃるだろうと思います。入試でもそういう力は評価してくれないと。ふだんの活動の中でも,やっぱり定期テストに比べると評価しにくいわけです。評価されないものだと,生徒たちもあんまりやらなくなってしまう。生徒のモチベーションも低くなるし,先生も教えるかいがなくなるとなってしまう。
このことはこの前も少し申し上げたんですけれども,例えば総合的学習の成果物とか卒業論文とかを個別の大学に何千人が持ってこられても,とても大学は評価がし切れない。しかし,総合とか卒業研究とかそういうものを通じてどういう力を付けたのか,これは評価しようと思えばできると思うんです。それは個別の大学でなくても,入試センターなり,あるいは民間でもいいと思いますが,そういう思考力や表現力をしっかり測定する,評価するようなシステムを作っていただいて,そこできちんと評価して,それは大学入試に生かそうと思えば生かせるようなものと,評価のシステムをしっかり作っていくことかと思います。
それから,学問的な知識重視になりがちと。これはやっぱりそれぞれの分野の価値観とか系統性を重視するという傾向がどうしてもあるので,各専門部会に下ろしていくとどうしてもこれが重視されるようになってしまう。ただ,これが余り高度なものになり過ぎますと,子供たちも分からなくなったり,全ての人が例えば数学者になるわけではないとか,そういう論理で反対されてしまうので,これはおそらく三つの対応策があるんだろうと思います。
一つには,こういうことは一種の教養とか文化なのであると。これはもう従来言われてきたことです。生活に役に立つかは分からないけれども,一種の教養文化として学んでくださいと。これは教科教育の先生もよくおっしゃっていたことと。これは確かに大事な方向だと思いますが,なかなか何が教養文化かというのは決着付きにくいんですね。
2番目に出てきたのは,今まさに行われている,こういうことを通じて生徒たちの資質・能力,内容的には大人になって使わないかもしれないけれども,一種の資質・能力を育てているのだという形式陶冶的な考え方,これが言われてきたけれども,実はあんまり各教科の中で実現はされていなかった。評価もされていなかった。これを今度こそしっかり実現させて,その力も評価していこうというのが今回の指導要領の一つのポイントかと思います。
3番目に,応用的な活動を入れるということ。これも専門家の中では結構抵抗が出てくるんですね。応用的なもの,例えばプレゼンテーションとか,ディベートとか,ディスカッションとか,こういう話はどうも国語教育の専門家からは高く評価されない傾向がある。数学であれば,数学がほかの分野でどう使われるか,生活でどう使われるかということよりも,やっぱり数学の体系の中で大事なものを学んでほしいというふうに議論が行きがちと。これは非常に難しいと思うのですが,やはりこちらの部会のところからそういう方向を是非打ち出してほしいと。専門部会の中でもそういう応用,活用ということの専門家,例えば数学であれば,数学以外の物理学とか経済学とかそういう応用的分野の人も入れていただきたい。教科書の執筆者にもそういう方を入れていただきたいというような方向を打ち出していくべきかなと思います。これが一つの共通項を実現するためにどうしたらいいかという問題。
もう一つは,授業外の活動との連携です。教育課程部会ですからどうしても授業内,教育課程という話になるんですが,実際には子供の学力を付けるときに,授業外の活動との連携を視野に入れていかないとなかなかうまく行かないんじゃないかと。大きくは二つです。一つは,例えば数学とか英語のような基礎科目なんですが,先ほど奈須委員もおっしゃいましたけれども,ある程度内容的なことを少し削っていかないといけないと私もそう思うんですが,そうなるとやっぱり専門家からは不満も出るんですね。できるだけ高度な人材育成をしたいのに,削ってしまったらそうならないと。私は一つそれを補うのは,例えば数学であれば,大学とか,あるいは企業とか,高度な人材が欲しいというのであれば,高校の授業以外にそういうセミナーとかをどんどん開いていただいて,それは何らかの形で大学入試で評価されてもいいと思いますし,また大学に入ってからの単位になるというようなものでもいいと思います。
また,英語ですね。英語も一方では非常に高度な使い手が欲しいわけです。これも大学や企業がそういうことを授業外の学習としてどんどんやっていただいて,そういう人材を育てる。高校で一遍にこれをやろうとすると,とても付いていけないという子がもう大量に出てきます。でも,一方では高度な人材が欲しいというのでしたら,やっぱり高校外の活動との連携が必要だろうと。
あともう一つは,市民性教育に当たるようなことです。これも例えばボランティア活動とかキャリア教育とかを全て高校の教育課程の中に盛り込もうとすると,もう高校はパンクしてしまう。それでしたら,むしろ社会教育,地域教育の中でこういう活動を入れて,それも何らかの形で入試で評価することもできる。つまり,活動歴ですね。アメリカの大学などでは,やっぱりどういうボランティア活動をやってきたか,それに対する自分のレポートとかエッセイというのもやっぱり評価されているといいます。ですから,教育課程を変えていくと同時に,やっぱり子供たちにいろいろな力を付けてほしいというわけですから,社会教育との連携をしっかり視野に入れた改革が必要ではないかと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
それでは,牧田委員。
【牧田委員】  ありがとうございます。二つのことをお話ししたいと思います。
一つは,今の高校生の現状です。確かに18歳時点で社会に送り出すという視点は大事で,そのために,小さい大人と扱ってどんどん社会と交わらせて,実体験を積んで成長させようとすることは非常に大事なんですけれども,現状は非常に,一昔前の高校卒業時の子供たちと比べまして成長が遅いといいますか,とても大人とみなすにはまだまだだなというところが見られます。平均寿命が延びたということだとか,これから先行き見えないところへ飛び出すということに当たって非常に不安ばかり抱えているという状態です。
そういうことを考えますと,社会で必要なことを学習させて出すということも大事なんですが,生涯学習の視点に立って,これからこういうことが必要なんだからこういう芽をまいておこうという,生涯学習のスタート時点に立っているというような見方が必要なんじゃないかなと思うわけです。これは全ての教科にわたって言えることだと思うんです。余り過大評価しないで,これから君たちはこういうことをやっていくんだよと,学び続けるという素地を培うことを全教科でやっていく,総合も含めてやっていく必要があるんじゃないかなと思うんです。そういう意味でいいますと,社会人基礎力のまとめは非常に参考になって,実際,SSHを進めているような学校でも,社会人基礎力を指針として授業を構成しているということが見られますし,そういうところでは成果も得られているということが報告されています。以上が1点です。
2点目は,数学のことについて,理数教育のことについて意見を言わせていただきます。なかなか有用性を感じられないとかいう課題が出ていますけれども,だからといって,今の数学活用とか理科課題研究のようなものをもっと選択を増やして学ぶ機会を増やそうとしますと,なかなか学校現場はばたつくんじゃないかなと思うんです。先ほど奈須委員からもございましたが,Less is moreの考えが重要で,どんどん内容を取り入れていくと,かえって何がやりたいのか分からなくなってしまうということがございます。
私は,数学活用のような内容をなるべく数学Ⅰの方に入れていって,増やすんじゃなくて,統一していくような方向で検討していくのがいいと思います。今現在必履修である数学Ⅰのところでも,そういう学習は推奨されていると思いますが,トピック的になっています。これは教科書改革とも連動することでありますけれども,必履修のところでそういう活用的あるいは探究的なことも取り入れた教科編成にしていくといいのではないかなと思っています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,キャンベル委員,どうぞ。
【キャンベル委員】  ありがとうございます。先ほど私申し上げたことの補足をさせていただきたいと思います。先ほど池野委員が私が申し上げたことをもし誤解されているとすれば,それは多分私の言葉が足りなかったり,あるいは明晰ではなかったこともあったかもしれませんので,その辺りのことをちょっと補足したいと思います。
歴史教科について,世界史か日本史かというふうに二択を,世界史が必修化されていて,日本史をもし選ばなければ日本について語れないので,その相関関係。先ほどのアメリカの教科書が資料に出ているんですけれども,INTERACTIONということが相互に見えるようにカリキュラムを再構築すべきではないかということを申し上げたんです。それは例えば日本史を世界史の中に位置付けるとか,日本史を学ぶために必要なそれ自体の固有の学び方であったり,あるいはしっかりとそれを学ぶという時間やその割合を減らすとかいう意味では決してなくて,むしろしっかりとディシプリンとしてその姿を,学び方を生徒たちに示していくということが必須だと思っています。それが現在の状況では非常に欠けているということを懸念しての私の発言だったわけです。
ちなみに,先ほど皆さんで一緒に見た資料の28ページのところに,アメリカのMcDougal Littellの『MODERN WORLD HISTORY』というのが一つの例として掲げられています。これは良くできた世界史のテキストですけれども,20章から構成されています。その20章の中で,いわゆるアメリカあるいは欧米の世界が基軸として構成されていない章は三つしかないわけです。ですから,世界史というふうにはなっているわけですけれども,この世界史を通読することによって,例えばアメリカの高校生であれば,アメリカの主な世界史における足跡であったり,課題であったり,あるいは主張すべき点というものがその中にもう既に織り込まれているわけです。
そうしますと,日本の高校生が現在,世界史を選んで,日本史を選ばずに卒業したり,私は大学に入ってくる学生たちをたくさん見ているわけですけれども,そのような履修といいますか,学び方をしていないわけです。本当に基本的な,関東大震災はいつであったかとか,特に現近代についてはほとんどそこが切られている。その世界,そのことを語る場所から途絶しているようなことが多いように思います。
そのことを,また世界史ということを考える場合に,基軸はどこにあるのかということを考えつつ,その一方では日本史という学びをしっかりと。これは必修化するかどうかということの議論もあると思いますけれども,日本の文化としての担い手として主張すべきこと,あるいは疑問視すべきこと,どちらにしても基本的な知識がないと,世界の中ではそれは通用しない人材としてということだと思っているので,その辺りのことをちょっと補足させていただきたいと思います。もし誤解をされたようでしたら,申し訳ないんですが,よろしくお願いします。
【羽入主査】  ありがとうございました。
では,上田委員,どうぞ。
【上田委員】  ありがとうございます。3点あります。いろいろなデータを見て,そこから示される最も深刻な問題は何かというと,学びに対する意欲とか興味,モチベーションが大変低いということがその中の一つだと思います。他方,日本の生徒さんは大変勤勉で,一生懸命勉強して,しかも学力も高い。この一見反する二つをどう理解したらいいかという問題が私はかなり重要だと思います。
私の理解では,これは実際に彼らは学んでいます。しかしながら,喜びが分かるまで,自ら探究する喜びを知るまでに達してないんです。達したら面白いに決まっているんです。じゃ,なぜ達することができないかというと,これは高等学校学習指導要領における科目数の変遷をごらんいただくとすぐ分かりますけれども,科目数が多過ぎるんです。限られた時間の中で科目数を増やそうとすると,細分化,個別知識化せざるを得ません。そうすると,どうしても知識が重視で,語彙が増えます。そんなことをして楽しくなるわけでありません。したがって,私の提案は,内容を削るのではなくて,科目数を大胆に減らす,統合化する。そして,深化する。そうすることによって,本来大変勤勉な生徒さんが自ら探究的に学ぶこと,知的喜びを自ら体験するところまで達するだけの時間を与えてあげるということが必要だと思います。これが1点目です。
2点目です。とはいえ,科学の進歩は大変激しいです。例えば最近のiPSとかの発見によって,生物科目の語彙数はまた激増しています。生命関係の専門の先生方に聞きますと,このような現状は大変嘆かわしくて,現在の教科書を見ると,自分ですら生物を学ぶ意欲がなくなってしまうと,こういうことなんです。そのときに,じゃ,何が教えるに値する本質的なことなのか,何が喜びに通じることなのかと。iPSが例えば発見されたときに,生徒さんに「こんなことが発見されたんだよ」と語れる教員がいることがとても大切なんですね。そのためには,やはり教員の力量がますます問われるようになっていまして,とりわけ理科目に対する教員の力量はかつてなく高いレベルのものが要求されるようになっていると私は思っています。こういう意味で,博士の学位を取得した教員を少なくとも理科目においては大幅に拡充することを私は提案したいと思います。
3点目です。同じく統計データにございましたことは,トップ層の層が実は薄いということです。これは事実だと思います。例えば米国の大学がアジアのいろいろな国に支店を設けてリクルートをしているのはなぜかといいますと,実際にそれらの国のトップ層のレベルが極めて高いんです。米国あるいは欧米のトップの大学の研究アクティビティー,産業のアクティビティーは実は彼らが維持しています。したがって,トップ層の希薄というのは,国の産業の将来,国のナショナルセキュリティ,国の誇りにとってかなり致命的な問題だと思います。
何がそれを押さえ付けているのかというと,私の意見では,学生さん,生徒さんそのものの能力の問題では全くないんです。そうではなくて,むしろ学びたい,もっと学びたいという上限をむしろ押さえ付けているような雰囲気がどうしてもあるんです。一つは科目数が多過ぎる,学ぶことが多過ぎると,探究的なことができない。二つ目は,入試という関門がどうしてもありまして,入試というのは平均点で評価されがちなので,いろいろなことを満遍なく学ばないといけないということで,本当に伸びる時期に伸ばし切れてあげられないということを私は常に痛感しています。したがって,探究的な学習を高大が本当に連携して推進し,それで,彼ら探究的なことをやっている人たちを積極的に評価するようなシステムを作ることが必要だと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。上田先生,済みません。トップ層というのは,今どういう意味でおっしゃったんですか。
【上田委員】  トップ層というのは,例えば私の専門の物理学を申し上げますと,物理学の高校のレベルのトップ層は世界ではどういうふうに評価されるかというと,物理オリンピックです。例えば中国は,毎年金メダル以外はあり得ない。しかも,金メダルといってもランキングがありまして,世界のアブソルートウィナーというのは,本当の最高のトップというのは,ほとんど中国とか一部の熱心なアジアの層です。
彼らの学力はどういうものかというと,高校3年生の段階で大学の勉強は全て終わっています。全て終わってないと,最後のセレクションにかからないんです。そうすると,この人たちは,大学2年生の段階で実は世界の最高の学術論文が書けるんです。これが私が言っているトップ。
【羽入主査】  ありがとうございます。
済みません,私が口を挟みました。お待たせしています。渡瀬委員,品川委員,平川委員,小川委員,今村委員,無藤委員の順でお願いします。
【渡瀬委員】  それでは,SSHとSGHを実践している,その立場で3点お話しさせていただきます。SSH,SGHに認定していただいて,私どもの学校は本当にそのおかげでカリキュラムが育っているなと感じてありがたく思います。やはり課題研究を中心に,学んだ内容をどう活用して,どういうふうに探究して,思考して,表現していくかというところがメインであります。そして,それらの課題研究は合同発表会とかそういうところで仲間内で発表し合ったり,ほかの学校と交流して発表し合うような中で,彼らが探究したこと,考えたことがお互いに評価し合われている。そこの場所では,何をどれだけ覚えたかということはほとんど問題にはならないんですね。そこのところに生徒たちは面白さを感じますし,学びがいを感じながらそれを一生懸命やるということがございます。
ですから,SSHとかSGHを全部の学校が全部やることはできないわけですが,一般の普通のカリキュラムの中でそういうふうなSSH的な,SGH的なことが行われていったときに,探究したこと,思考したことがどういうふうに評価されるかということがとても問題になってくると思います。そういう意味では,市川委員がおっしゃったとおり,そこのところをどういうふうに評価していくかということがとても大事なポイントだと思います。
2つ目ですが,私の学校は幼小中高大と全部ある私立の学校ですけれども,やはり小学校の教員と高校の教員というのはたちがもともと違うんですね。小学校の教員というのは全科を教えていますから,仮に一つの教科を担当している教員でも,教科担当同士が話し合って,じゃ,ここの部分まではそっちの教科でやって,残りのこっちはこっちの教科で受け持つよみたいな,そういう教科をまたいでのやりとりがとてもしやすいですけれども,高校の先生方というのはなかなか難しい。それは教科ごとの専門性がとてもはっきりしていますし,天笠委員がおっしゃいましたけれども,もともとの教育課程の成り立ちも教科が先にあって,それらを合わせていくような形に出来ているというふうなことがございます。
ただ,このSSH,SGHの中で,こういうふうな探究力を育てたい,こういうふうな思考力を育てたいという中で,試みとして幾つかの教科が一緒になって学習指導をする。例えば理科と国語と一緒になって理系現代文みたいなようなものをやるとか,それから,英語と社会科が一緒にやるとか,理科と数学は同じ理系なんですけれども,あんまり今まで協力し合うことがありませんでしたけれども,SSHを機会に理科と数学が協力し合って,先生方が一緒にカリキュラムを考えるということが起こり始めたのです。
そのときには,理科で育てたいこと,数学で育てたいことというよりは,子供たちにどういう力を育てたいかというところで話し合ってカリキュラムを作っていくということが行われています。それは本当にSSH,SGHのおかげでそういうことができるようになってきています。そういうふうにやはり高校段階で何を育てたいかということがはっきりして,中心になる教育課程がはっきりしてきた上で,教科ごとが何を担当するかというふうに考えることが必要だと思います。
3つ目,私たちはSSHとSGHを両方認定していただいたのは大変ありがたいですけれども,大変忙しいです。ですから,上田委員がおっしゃったように,パンク寸前までは行っていませんけれども,やはりいいことだからといって何でもやっていると,結局何かを省かないと成り立たなくなっていきますので,そういう意味で,今度の教育課程の中で何を中心に据えて,何をやらないのかということを明らかにしていく必要があると思います。ありがとうございます。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,品川委員。
【品川委員】  ありがとうございます。4点,できるだけ手短にお話ししたいと思います。
まず1点目は,皆さんの御議論を拝聴しながら非常に共感を持って聞いておったのですが,おそらく高校においてどう考えるかというときに,これまでもいっぱいアクティブ・ラーニングの話が出てきたんですが,私は高校こそまさにアクティブラーナーを育てる最後のチャンスだと思っています。実はアクティブラーナーであるということがその人が生涯生きていく上で非常に大事な要素だと思うんですが,それを高校で実践するためには,やはり義務教育15歳修了までに何の力をどれだけ身に付けているかというか,それがちゃんと明確になって,じゃ,それを踏まえて高校ではどういうふうにそれを使って主体的に学んでいくかということなのかなと考えるんです。
ということは,つまり,小学校でしっかり土台を作り,枠組みを作り,中学校で徐々に自分たちで知識を使いながら,高校は基本的には自分でやっていくというふうに設定していくことが,実は18歳で社会人としてもしこれからもう認めていく,大人とするのであれば,それは必要なのかなと思っています。その点において,これからの教科がどういうふうに整理されていくのか,そこがもうちょっと明確になることが必要なのかなと考えます。
2点目は,先ほど教科を大胆に減らしていくことも必要ではないかという御意見がございました。私はそれについてはずっと考えていることなんですが,減らすということなのか,それよりも選択肢を増やす,つまり,自由度を上げるということです。ベーシックスキルが付いていれば,つまり,15歳の段階で私たちが望むベーシックスキルが付いていれば,それは科目を思い切り減らすということも可能だと思うんです。だけども,そこも付いていない。それでまた高校に来るとなると,そこで思い切り減らしてしまった段階で,じゃ,18歳のときにどうなるんだろうということがちょっと想像がつかないんです。
ということは,やはり個々の子供が,自分が将来社会に出ていくときに何の力が必要なのかということを子供自身がまず理解し,その上で科目を選択できると。英国などは,皆さん御存じのように,高校の段階では選択度合いが非常に強いですよね。ああいうふうにできていくことが大事なのかなと思っています。
そのときに,学校教育法の第51条に書いてあるように,高校を卒業することは何の力を付けるかということを踏まえつつ,同時に,過去にも,これまでにも話題になっていましたように,グローバル社会で生きていくとかいつもいっぱい書いてありますけれども,というときには,やはり私は,公民,新しい教科というのはなかなか面白くていいなと思っているんです。
先ほどキャンベル先生が,28ページの『MODERN WORLD HISTORY』の教科書のことをおっしゃっていたんですが,私はこの教科書の何がとてもすてきかなと思ったかというと,実は29ページなんです。それはここにSkillbuilder Handbookと書いてあるんです。つまり,これは,この歴史教育を通しながら,いかにReading Critically,それから,Higher-Order of Critical Thinkingという,その科目を通してこういう力を付けていくことがあなたには必要なんだよということがしっかり明記されているんです。
これは過去にもたしかニュージーランドとかフィンランドの教育内容について御説明を頂戴したときに,それぞれこの学びはこのスキルが付きますということを子供たちに明示しているという説明があったというふうに私は記憶しているんですが,これ,メタ認知を強化する上ではとても大事なこと。何をやっているかが分かります。例えばよく子供たちは,「数学分かりません。難しいです。」「社会で生きていく上で必要ありません。」と私に言ってくるんです。私がいつも子供たちに最初に言うことは,数学はただ計算ができることが目的ではなくて,数の概論,例えば図表が読めるということは,物事が整理できるとかという,それに直結するんだよと言うと,子供がはっと驚いたりするんですが,やっぱり教科教育が最終的に単なる知識だけではなくて,その知識を土台としてこういう力にいかにつながっていくかの道筋が見えることをこうやって教科書にしっかり書いてあるということはとても大事であり,是非これからも私たちはやっていく必要があるのかなと思っています。
これはたまたまクリティカルライティング,クリティカルシンキングについてですが,これがあらゆる教科の中に入っていくということが実は大事なのかなと思っています。先ほど情報モラルの話もございましたけれども,おっしゃるとおり,モラル教育は,はい,じゃ,公民でやりましょう,情報教育で必要ありませんということではなくて,これは全ての教科においてクロスカリキュラムでやっていくべきことなんです。それもやっぱりこういうふうにしっかりと,情報教育の中ではモラルはこうですよ,公民の中でのモラルはこうですよというところを出していくということが必要なのだろうなと思っています。
それから,歴史の話ですけれども,3点目です。皆さんが先ほどから英国,米国の教科書と我が国の話をしていましたが,私も小学校はアメリカの小学校にいたんですが,アメリカの小学校は当然,ヨーロッパの歴史から始まるんです。だって,移民の国ですから。アメリカの小学校でずっとルネサンスとかをやって,私は小学校6年生で埼玉県に引っ越すんですが,いきなり最初の教科書を見たら,埼玉の名産は何? と書いてあって衝撃を受け,私はもともと大阪なので,埼玉の名産って知らないし,何だろうと。イチゴ,防風林とか,何だ,こりゃみたいな。要は,国の成り立ちが全然違うから,それは当然なんですよね。
ですけれども,逆に言うと,国の成り立ちを知るということがものすごく後に国際的に,私は海外の人をよく取材するので,非常に私の土台になっているんですね。だからこそ,どっちが大事かじゃなくて,どっちも大事。ですが,先ほどから皆さんおっしゃっているように,やっぱり我が国は非常に近現代が弱いんですね。キャンベル先生がおっしゃっていましたが,やっぱり日本の江戸時代あるいは明治維新の頃よその国は何をやっていたかというこの連関性が,それは鎖国をしていたからしょうがないんですけれども,だからこそそこを知らないと,残念ながら海外の人と一緒に仕事をしていく上では,そこのお互い知っていて当然のところのこの知識の欠落が実は共同作業をしていくときの足を引っ張る場合が非常によくあるんです。だから,私はここはとても大事なことかなと思っています。
そして,4点目は,実はこの教科教育に入れていいのかどうか私もずっと悩んでいたんですが,きょう頂いたきょうのテーマのところに,義務教育の定着を図るとか,あるいはきょうの議論のテーマのところに,高校においてもうちょっと考えたら何がいいかというようなところがございましたので,それで今,あえて申し上げたいんです。
実はワーキングメモリーを強化するプログラムというものを私は積極的に,本当であればもう幼稚園から必要なんですが,特に高校の段階でワーキングメモリーをどの教科にでも入れ,強化するという意識を教員も持ち,かつ子供自身も持つということを提案したいなと思うんです。御存じのように,ワーキングメモリーというのは,長期記憶とか短期記憶とは異なって,いかに物事を意識して,意識的に情報を処理していくかという力です。
これまでも,英語教育どうしましょうとか,いろいろな議論が出ていますが,英語教育の土台も実はワーキングメモリーが強いか弱いか,これ,大きな違いがあるということは証明されています。それから,例えば学業成績とワーキングメモリ-のことももちろん証明されています。それから,スポーツですね。優秀な運動選手は実はワーキングメモリーがいいということも,これも科学的に証明されていることなんです。
以前取材したときに,スウェーデンでは,公立の小学校に,これ,視覚のワーキングメモリーですけれども,ワーキングメモリーのトレーニングを全小学校に,3,000校に入れたということをそのときクリングバーグという教授が言っていました。いろいろな教科教育の成果を上げるために,もうちょっと科学的なエビデンスを教科教育に入れていくということが必要なのではないかなと思っています。
特に五,六年前まではワーキングメモリーは持って生まれたもので固定的だと思われていたんですが,この五,六年で非常にこの分野の研究が進みまして,ワーキングメモリーは,ADHDがある子供でも,それから,認知症のある方でも,適切なトレーニングを受ければ確実に強化され,しかも定着するということが分かっているんです。ワーキングメモリーが上がるということが,従来から申し上げている例えばメタ認知の強化には当然なってくるし,判断力も上げるし,社会性も上げていく。それから,セルフコントロールにも直結するわけです。ということは,こういった教科の中にここではこういうふうにワーキングメモリーを鍛えましょうみたいなことも入れていくということが実は必要なのではないかと。
特にこれ,今,私たちが議論しているのは10年後の話ですから,この10年間で確実にこのワーキングメモリーは,今は例えばフロリダとか,あと,北欧はかなり強化を始めているんですが,我が国ではこの議論がまだまだ全然なされていないんですね。これを発達障害の子供たちだけではなくて,今既に優秀だと思われている子供たちでもトレーニングをすればもっと良くなるということが分かっているので,そういったことも入れていくようなことができればいいのかなと思っています。やっぱりワーキングメモリーが高いということがよりグローバル社会を生き抜いていく,そして,社会貢献できる力の土台になるのかなと思っています。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,平川委員,お待たせしました。
【平川委員】  ありがとうございます。冒頭に大杉室長がいろいろ説明をしてくださって,5ページ目の,ボランティア活動に興味が薄いとか,あるいはその次のページの6ページのところで,私の参加により,変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれないという期待感がとても薄いとか,あるいはその次のページの投票率が異常に低いとか,こういうことをやっぱり読んでいまして,今,諦め感がものすごく,上田先生が,やる気はあるけど興味関心がない子供が多いと言っていましたけれども,大人を見ても,やる気がないなという大人が多いというふうに捉えています。
そんな中で,思考,判断といいますけれども,思考なんてクリティカルなものを,学校の中で認められなかったら言ってもしょうがないじゃんとかいうふうになってしまうので,ここの部分をどうやったらクリティカルなものが学校でも育まれて……,クリティカルなものというのがないと,やっぱり思考,判断というのは本当に薄い,言葉の中だけというふうになってしまうんじゃないかなと思っています。例えば学校の中でも,先生方見ても,言っても教育委員会聞かないし,無駄じゃんとか,やったところで良くならないじゃんとか諦め感がものすごくありまして,どうせ私が言ったところでというのが。そういうことを言ったら何か一歩でも改善するかもしれないというふうに大人自身も含めてやっぱりどうにかしていかなければいけないなと思いながら聞きました。
そういう意味では,そもそも学習指導要領って一体何かと私ずっとこの議論8回来て思っているんですけれども,100%実現できることというのは二つしかないんじゃないかと思っています。一つは,教科書によって指導の内容を統一するということと,あとは,教科ごとの指導時間をこれだけ持ちなさいよということしか,この二つしか実は規定できないんじゃないかと。あとは,主体的になれとか何だかんだ言っても,やるのは先生とか子供で,ここでいろいろ議論してもできないものはできないというふうに私は思っています。
直感ですけれども,今,高校の卒業時の到達の学習のものを設置しようと言っていますけれども,中学校の立場から言わせてもらっても,小学校から来る子の大体二,三割小学校の学習指導要領を終えてないです。そういう中で,じゃ,中学校でまた積み残して高校に。彼らが本当に高校に行くべきかどうかというところも含めて考えていかなければならない。
あとは,学習指導要領自体が,全国的に津々浦々統一するということが実はもうおかしいんじゃないかなと思っています。それは三つの多様性を認めていないからです。一つは先生による多様性を認めていない。それから,子供による多様性を認めていない。それから,地域による多様性を認めていない。この三つが,状況がすごく違いがあるのに,ゆとり教育でだめだったからといって,いつもそこが出るんですね。
でも,ゆとり教育って,私自身そのときは校長をやっていませんでしたけれども,現場は10年かけてそれなりに方法論を確立していったと思っています。ゆとり教育は,反省すべき点というのは,導入に合わせて教員の育成と現場の支援をするという仕組みを作れなかった,ここが私は問題だと思っています。ゆとり教育で方法論,何がコントロールできて,何をコントロールしないべきか,何を現場の自由裁量に委ねるかということをもう少しはっきりくっきり学習指導要領の中で規定してほしいし,ここを実は話し合っていかなければ,教科をどうするか,科目をどうするかということを話しても改善されないんじゃないかと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
小川委員,その次に清水委員。
【小川委員】  ありがとうございます。小学校ですので,高等学校については,本日資料に基づいて,現状と課題,それから,今後の在り方ということで御説明いただいて,本当に率直な感想も含めてになるんですけれども,高等学校こそアクティブ・ラーニングがまさに求められているのだなということを改めて感じました。例えば様々な現状の課題の中に,観察,それから,調査,見学,また施設の活用などがほとんど行われずに教室内だけで学習が進められているとか,あとは,この資料の55ページのところが一番新しいデータだと思うんですけれども,グループで話し合い,考えなどをまとめるといったことや最終的にレポートを書いて発表するといったことが,国語だけでなく,全体を見ても非常に低いといったようなこと,そんな中で,科目についてもですけれども,本当にたくさん考えるべきことがあるのかなというふうに思いました。
私が話をするのはどうしても総合のことになってしまうんですけれども,総合は,高校の場合でも,現代社会の課題など,そういった横断的な課題について探究的に学ぶって,まさにアクティブ・ラーニングをもう進めているわけです。ですので,そういった総合の時間を今後も十分に確保していただいて用意していただければ,そのことが教科等とのアクティブ・ラーニングといった授業のイノベーションにつながっていくのではないかと思っております。
また,先ほど来話題に出ています,各教科をつなぐといったカリキュラムマネジメント,そういったものも総合を核にすることで促進されるのではないかなと思います。実際,各地では,高校においてもそういった学びが地域の活性化なども生み始めていますし,何といっても,生徒が本気になって学んでいますし,本気で社会参画,地域参画をしております。そういったことが教科だけではなく,実際に動き,活動するという中で,主体性や,それから,今後の学び続ける生涯学習にもつながっていくのではないかと思いますし,本日参考資料の中でお話があった創造性や起業家精神の育成ということにも大きく関わってくるのではないかなと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
清水委員,どうぞ。
【清水委員】  ありがとうございます。本日説明がありました現状と課題,あとは,一緒に配られております教科・科目の変遷,これらを見てやはり思うのは,子供たちが学ぶことが非常に多くて,課題が非常にたくさんあるということを,これも改めて再認識したところでございます。そして,それを学ぶ子供たちが学びに対して興味関心が低くなっているということ,楽しいとは思わなくなっているということは,ある意味,国が求めている内容と,あと,子供たちの楽しみ,興味関心は逆の方向に向いてしまっているんではないかなというふうにも感じます。
私は工業系の人間として発言させていただこうと思いますが,例えば工業の分野でいえば,これまで日本は技術立国日本と言われるほど,高品質で高性能な製品を安く大量に世界に提供していた国であります。そこではメイドインジャパンという名も残しつつ,非常に日本というものを象徴していたと思うんですが,この頃からですかね,日本全体は非常に子供たちが将来を見て,夢を持って様々な活動をしていたんではないかなと思います。
今思うと,最近直近の課題として労働力人口の不足というものが大きな課題となっていて,こういったものをこれから日本はどう乗り越えていくのかということをもっと考えていかなければならない時期だろうということで,様々な省庁,各現場等でも検討が進んでいると思います。
その中で,過去のことなんですけれども,昭和45年に告示されました学習指導要領の内容なんですけれども,特に工業系の科目の中にこんなことが書いてありました。即戦力というものを非常に重視している,非常に社会と近い状態の内容が盛り込まれていたということ,あとは,科学的根拠をもっと理解させるというような内容が入っていました。
それが,その次の改訂の昭和53年ですか,ここでは,総則の中にこれらが消えてしまって,基礎・基本の重視というキーワードが,これ,ほかの教科・科目でも入っているようなんですけれども,基礎・基本というものを非常に重視。これ,埼玉県で当時教員をやっていた頃も,やはり基礎・基本を重視しなさいということを非常に強く指示されていた記憶がございます。この基礎・基本は学べば学ぶほど,学校でやっていく内容がどうしても教え込み型の教え方というんでしょうか,スクール形式という一斉学習,こういったものが中心となっていってどんどん教え込んでいく。これがどんどん積もり積もっていって,逆に子供たちの興味関心がどんどん薄れていってしまったようにも感じています。
こういったこともございますし,今これから教えなければならないことの一つとして,日本って一体何が強みで,これからどういうふうに生きていけばよいのかということをもっと考えられるような教科・科目の在り方というんでしょうか,日本の社会情勢だとか,そういったことまで踏まえて,どう生きていくのかということを子供たちにも問うような,そんな取組ができるといいかなというふうにも考えています。
先ほど平川委員もお話しされていましたけれども,やはり自由度というものをもっと私たちは欲しいなということも考えることがあります。また,先ほど教科の話もたくさん出ていましたけれども,非常に教科・科目が多い。この辺をもっと整理していかないと,やることが多くなり過ぎていって非常に厳しい状況に追い込まれていってしまう。この辺をしっかりと考えていかなければならないんではないかなと考えます。少し感想じみてしまいましたけれども,以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,今村委員,どうぞ。
【今村委員】  教科・科目の体系を議論しながら再編していくことをどんなに検討していっても,生徒にその気がなければ,結局その学びを面白いと思うことができなくて,1個の科目の1か所にでも面白いと思えば,逆にそれがテーマになって,生徒にとってはそれをきっかけに学びを深めていくことができると思うんですけれども,生徒がこれが面白いと思う学びの切り口を引き出すことが本当に難しくて,先生方が苦労されているところだなと思っています。
それがとにかく一つでもあれば,先ほど奈須委員のどこかの国の事例のお話がありましたけれども,一つでも切り口があれば,そこに重点を置いて生徒が学校生活を送れれば,そのほかの科目から学ぶことも,あ,そんなつながりがあったんだとか,歴史の偉人たちには,今,自分たちのいじめの問題の解決策が実は実践されていたんだとか,そういうひも付けを生徒自身が見出したり,また,先生方がそこにファシリテーターとして学びとひも付けることができると思うんですが,どうしても生徒自身がテーマを見付けるということが本当に難しい。
そこについてのテーマの見付け方,生徒自身の中から学びを始められるような,初期の段階の生徒と高校での学びの導入教育みたいなものが,入学してすぐのときに手間をかけられないものかなと思っています。それは教科横断的に先生方と熟議することから始めることなのか何なのか,もしかしたらワールドカフェみたいなことをするのか,どういう形がいいのか分からないんですが,大学教育の中では既に実践されているようなもの,企業研修などで行われているようなものにヒントがあるような気がしています。
特に生徒たちが高校生ぐらいになるとしなくなることで本当はした方がいいものでいうと,自分が怒りを感じていることとか,自分が喜ぶとか,感情を言葉にするということは日本の子供たちは避けていて,その感情を言葉にするということをする機会を持たないような傾向があるような気がします。そんな機会を子供たちが学校の中で,先生方と教科を通してではなく,同調圧力にも負けず,みんなと話せる機会が作れたらなと感じています。
また,そこには先生方の意欲が大切で,ここでいろいろな議論をして,教科を越えて先生方が何か取り組むような取組を下しても,先生方が生徒たちの学びに伴走して,教科書を教えるだけではなくて,生徒の学びや学びたいことに伴走する気を起こさせるためには,先生方の意欲が必要だと思うんです。そのためには,先生方が熟議することを,学校の配置が決まって先生方の人事が決まったときに,先生方自身が会議ではなくて熟議をすることを,義務付けるのはなかなか難しいかもしれないんですけれども,そこから始めることもポイントなんじゃないかと思っています。
私も不勉強なんですけれども,この学習指導要領の中には学校設定科目という言葉が明記されていましたが,もしかすると学校設定科目というものも,学校に裁量権があるんだ,先生方が熟議してこういう学びを生徒に実現したいよねというものは,下りてくるものではなくて,先生方の意見が反映されるものなんだということを先生方が実感することができれば,先生方も意欲を持ってもっと生徒に取り組めるんじゃないかと。今のように,高校の教科の準備室に先生方が閉じこもることなく,もっと職員室に先生方がいて,先生方同士が教科を越えて生徒のことが話し合えるような風土をもう一度高校に取り戻していけるんじゃないかと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,無藤委員。
【無藤教育課程部会長】  何人かの委員の方と重なる部分がありますが,きょう最初に事務局の方で御説明いただいた各教科の改革の方向に大いに賛成なんです。それは大きく言うと,おそらく各教科が受信型から発信型になり,更に参画型になるという方向性なんだろうと思います。その際に一つ非常に大きな問題は,社会における問題解決を思考するというときに,やはりある程度一定の知識ベースが必要なわけです。その知識ベースをどこまで個別の教科で細かく詳しく与えていくのかというのが大きな論点であると理解しております。
その際の解決方向は私は三つほどあると思います。第1は,各教科を,より深い学習を可能にするようなメーンアイデア,中核となるアイデアを中心としたものに再編し,それを明瞭にすることだと思います。
2番目は,総合的な学習の活用です。総合的な学習というものが高校でどうかという実情は様々だと思いますが,基本的には高校生という時期において,社会への能動的な参画や知の協働的な創造や自己の自覚的な形成などに資するということだと思いますけれども,その際に,具体的には問題解決を行う。特に何人かの委員御指摘のように,個別の教科を越えて,それらを橋渡しできるような場が必要だと思うんです。それは教科と教科を橋渡しするだけではなくて,例えば生徒一人一人の問題意識,興味と教科で与えられる学問的内容の橋渡しであるとか,あるいは学校で教育される中身と社会の現実において取り上げられる事柄の橋渡しであるとか,あるいは過去を現在に橋渡しし,さらに現在から未来へと橋渡しするような場が必要であると思います。
それから,3番目の解決方法は,市川委員御指摘でしたけれども,選択科目あるいは課外学習などの活用だと思います。とりわけ極めて優秀な能力あるいは才能を持った生徒をいかに伸ばすかということが重要だと思います。それはいわゆるエリート教育という意味ではないのでありますが,しかしながら,私は現在の高校教育で多くの才能のある生徒の才能をかなり言うなれば無駄遣いしているのではないかと思うわけです。
その代表がおそらく理数教育だろうと思いますので,それが一つです。あるいは,英語教育なども,極めて興味を持てば高いレベルにそれぞれ進んでいいわけですが,それを大部分の生徒が受講する科目で行うのは無理だと思います。例えば高校生でスポーツをやっていてプロレベル,プロに参加したり,あるいはオリンピックに参加する選手がいるわけですけれども,これを高校の体育の強化でやろうというのはそもそも無理です。芸術系もそうですけれども,既に高校の部活ですら無理で,むしろ地域のクラブその他で行うようになっております。そういうことを理数系などでも実現することは,受験のプレッシャーさえなければ可能になっていく部分があります。
一方で,そういういわゆるできる生徒だけを私は言いたいのではなくて,例えばボランティア活動,体験活動を通して,私などは自分の大学では幼稚園,保育園の先生になる人を養成しておりますけれども,そういう人たちの多くは中学,高校で幼稚園,保育園あるいは福祉施設でボランティア活動をすることが目覚めていきます。そういう機会を用意することがおそらく,極めて優秀な才能というのではないけれども,それぞれの人のポテンシャルとしての優れた点を引き出すのに役立つと思うので,やはりそれを全て同一の共通の科目ではなく,選べる部分,場合によっては学校の共通の枠組みのカリキュラムの外で,しかしながら,いろいろな機会を用意することを是非行っていただきたいと思います。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
ほかによろしいでしょうか。
どうぞ。
【奈須委員】  個別の教科で,社会科関連のことをちょっと言いたいというか,むしろ伺いたいんです。教科と学問の関係,親学問の力が強いので教科がどうしてもというお話が幾らかありましたけれども,世界史という科目を考えるんですけれども,世界史という学問体系や講座は大学にはあるんでしょうか。西洋史,日本史,東洋史という講座や研究室は私は見たことありますが,世界史を御専門とされる先生というのは多分いらっしゃらないんじゃないかと思うんです。つまり,世界史という学問の体系はないんじゃないかと。これ,先生方にお伺いしたいんですけれども。だからこそ,世界史というのはとても難しくなってしまっていて,時代区分ごとに地球上を行ったり来たりして,ヨーロッパが出たかと思ったら,中国に戻ったりするような教科書になっているんじゃないかと。これをどうやっていくかというのはまた難しい問題なのだろうと思います。
ある意味では思い切って,歴史学的な物の見方,考え方を中心にした一つの人類の歴史のストーリーを描くようなものにする。それによって,歴史ということの必然性や歴史が今後どう展開するかということを考え,まさに歴史学の物の見方,考え方を生かして人は生きていけるようになるということになるんでしょうけれども,そうなると,実証主義的歴史学の謙虚さや誠実さということも一方では大事で,余り強くストーリーを描いていくということがもたらす危険性ということも多分歴史の先生方はお考えになっていらっしゃって難しいことが起こっているんじゃないかなと。親学問を反映するということによって難しいこともあるんだけども,親学問と教科のこういったずれのようなものも,新教科の創造ということを考えるとまた出てくるかなと思っております。
地理学についても,例えば大学の教員養成は3科目必置になっています。系統地理学としての人文地理,自然地理と地誌学です。うちの大学でも設置していますけれども,学生は系統地理はとても面白いと言います。つまり,物知り的な地理ではなくて,地理学的な物の見方,考え方で特定のトピックを切っていく,地理学ってこんなに面白かったんだとうちの学生も言っています。それに対して高校の地理学というのは地誌学的なんだと。地誌学も実はとても大事ですし,地誌学にも系統があるというのは存じていますけれども,系統地理学的な物の見方でもっとぐんぐん踏み込んでいくようなことが今後どうできるかという話だろうと思います。
またもう一つは,自然地理というのは実は理系ですよね。大学も特に東京近郊,関東では多く理学部系統に置かれています。社会科は文系だというふうになっていて,私も社会科の免許を持っていて文系出身ですけれども,実は地理学のいくらかは理系なんです。その意味では文理という区分も本当にいいのかというようなことを考える必要がある。つまり,学問と教科の関係も随分複雑になっているということを踏まえて,特に社会科はそうかと思いますが,今後考えていく議論があろうかなと思います。
もう一つ,やっぱり伝統的な教科の枠組みを越えて踏み込むということでは,以前から申し上げていますが,教育基本法13条,14条でいう政治的教養,宗教的教養ということに向けてどう踏み込むかということも,公民科教育の辺りを考えるときには重要な課題かと思います。いわゆる良識ある公民として必要な政治的教養,あるいは宗教に関する寛容な態度,宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位というのが13,14条にある記述ですが,やはり政治的中立性という名の下に踏み込みは弱いし,ある意味ではやはり怖がっているということが,指導要領の作成もそうかもしれないし,教科書もそうかもしれないし,もちろん現場の先生もそうではないのかなと思っています。
グローバル化が進み,多様な文化的背景を持つ人たちとまさに協働して仕事をしていく,あるいは共に生きていくということが今の子供たちには当然のことになってくる中で,国際的な視野で政治的教養,宗教的教養,特定の政治的立場や宗教的立場を教えるのではなくて,政治的なリテラシー,宗教的なリテラシー,コンピテンシーとしての政治や宗教への踏み込みということも重要になってくるかなと思います。さらにそれと,学問体系的な知識との兼ね合わせ方ということが大きな課題になってくるかなと思っております。難しい課題ですが,ここに踏み込んでいくということが今回の指導要領の中で求められればと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,神長委員,どうぞ。それで,品川委員でおしまいにしましょう。
【神長委員】  ありがとうございます。私ももう皆さんがお話しなさったことと大変共通するんですけれども,義務教育という小学校,中学校の教育に対して,私は幼児教育ですけれども,その前の3年間とその後の3年間って重要な意味を持つんだなと思いながらきょうの議論を聞かせていただきました。義務教育で学んだ基礎的な力を今度,市民として,社会人として自立していくための3年間というのは,やはりそこの中でしっかりと身に付けていくべき資質・能力が重要だなというふうに思っています。
皆さんの議論の中には,これから社会の中で生きていく中で,いわゆる人間として豊かに生きていく,そういった学ぶ喜びというものをしっかり体験することが大事というお話がありましたけれども,まさしくそうだと思うんです。そのときに,私は最初に奈須先生がお話しした,学問の中で学ぶということと生活の中で学ぶということは全く異なるんだという,その話と重ねながら,いわゆる学ぶ喜びというところに関連して一つお話ししたいと思っています。
本当に私の体験なんですけれども,大学で1年生に入ってくる学生の話を聞くと,本当に多様です。先ほど無藤先生がお話ししてくださいましたけれども,やはり福祉や幼児教育に非常に志高く入ってくる学生もおりますし,いわゆる進学校で,体験が非常に少なく,何となく来てしまった学生ももちろんいるんですけれども,私の大学は特別なのかもしれませんけれども,古文・漢文はしっかり勉強してきて入ってくる学生が多いんです。私は,以前の大学はそれを入試の中に入れないというところで入ってくる学生で幼児教育,福祉を学ぶ学生がいて,今の大学のところは全く逆の人です。
そういった1年生の話を聞いて,昨年出会った学生なんですけれども,私は『古事記』という書物に非常に興味があると。そこの中の,生きるということと老いるということと病むという,病気,死という,そういうことに非常に関心があって,『古事記』を学んでいると。そのことと自分が今これから学ぼうとするということに一生懸命もがいているという,学問的にいえばまだまだ学ぶ喜びまでは行かない,もがいているというようなところで大学に入ってきた学生なんです。でも,そこの中でやはり,高校で学ぶべきこと,とてもいい古文を学んできたんだなと。先生と出会ったのかもしれない。教材と出会ったかもしれない。やはり高校の学び方ってものすごくその人の生き方を決めてくるものなんだなと思います。
そういう意味では,やはり高校の中の教科の刷新,内容の刷新ということと,やはりそれをどう生徒が出会えるような状況を作るかという意味では,やはり教師の在り方や指導法や内容やそういったカリキュラムの全てを刷新していかなくてはいけないんではないかなと思います。学び方によって学ぶ喜びというのは得られるんだなということを思いました。
【羽入主査】  ありがとうございます。
では,品川委員,恐縮ですが,一言でよろしいですか。
【品川委員】  済みません,山口先生がお帰りになったので。彼女がおっしゃるのかなと思って先ほど申し上げなかったんですが,きょう頂いた資料に,高校の保健体育が今どういう状況にあるかというのが私,見付けられなかったんですね。是非,高校の保健体育における現状を次回,資料で頂戴できればいいなと思っています。
というのは,先ほど申し上げたようなワーキングメモリーも,実はこれ,体育が非常に関係しています。運動することでワーキングメモリーが鍛えられるということは,これはもう科学的に証明されていますし,それから,保健という教科がこれから生涯生きていく上で非常に大事になってきます。今,既に学習指導要領の中には疾病教育のことも書いてありますが,保健教育の中で,エビデンスベースで脳の機能がこうなっているから,こういうふうにしていくとこうなるんだよというような話を,例えばセルフコントロールにしても,それから,ストレスのコントロールにしてもそうです。規範教育もそうです。実はこれ,全部,脳機能で説明がかなりできることを,これこそ本当は保健と体育でやっていくことが大事なのではないかなと思っています。
現状の体育は,本当にただスポーツを皆さんいろいろおやりになっていると思うんですが,例えば日体大がよくテレビでもやっていますけれども,行動訓練をするということがいかに協働作業である,いかに他者のことを理解しながらやっていくとか,本来18歳の段階で社会に出ていくときに必要ないろいろな力を付けられる,とてもいいワークショップになり得るものが実は体育であり,そして,その土台の指導ができるのが保健なんです。ですから,ここをもうちょっと次回教えていただければいいなと思っております。以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。
時間になりましたが,きょうの大変貴重な御意見を何とか論点の中に生かしていただきたいと思います。ごく簡単にまとめさせていただきますと,主な方向性,重要な点が2点あったのではないかと思います。
高等学校という特殊性から考えて,これを中心に見たとき,義務教育の次の段階であるということと,それから,高等学校から大学に行くことも考えられる,あるいはそこがキャリアの出発点ということもあり得る。そういう縦の軸で高等学校教育課程を考える必要があるということが一つです。それからもう一つは,先生方からお話がしばしばありましたが,教科間の関連あるいは融合,橋渡しなどをどういうふうに考えるか。その考え方によっては,相互性を視点にすれば,統合や精査ということもあり得るかもしれないというような御意見もありました。
こういった観点から一つ提案なんですが,論点のペーパーが用意されています資料1ですが,その中に,二つ目の枠の科目・教科等の構成や内容の在り方についてというようなところにきょうのような御議論を少し総括的に記入して,そして,高等学校というのがやはり一つの核になるという見方もあり得るということを記していくことができたらどうかと思います。このように先生方から大変貴重な議論をいただいておりますので,何としても新しい学習指導要領を先生方の意欲を損なわないような形で作るということが重要ではないかと思います。
最後になりましたが,補佐官。
【鈴木大臣補佐官】  本当にきょうも大事な御議論をありがとうございました。皆さんのおっしゃっていることはほとんどそのとおりだなと思っているんですけれども,この連立方程式をどうやって解くのかなということかなと思います。やはり高校でありますから,どれだけ学びをそれぞれの生徒に合ったパーソナライズなものにしていくかということ,要するに,個別化が非常に重要だなと思っております。そのときに,おそらくきょうおっしゃった話は全部正しくて,ただ,それを生徒に応じて優先順位だとか調合割合だとか,そういうものが変わっていくと。そうなったときに,やっぱりどれだけ自由度を増やしていき,ただ,自由というものがやらないということにつながらない担保をどう確保しというようなことが非常に重要なのかなと思わせていただきました。
そうなったときに,もちろん教科についての御議論は引き続き皆様方から御議論いただきたいんですけれども,やはり必修と選択必修と選択というものを,それぞれのターゲットを意識しながら,かつ高校の課程内でやる部分と,それから,授業外でやる部分と,それから,社会教育でやる部分をきちっと分ける。
しかもそこに,きょう思ったことは,高大接続も大事なんですけれども,学習指導要領と大学のアドミッションポリシーが非常に極めて特殊的な形で連動し過ぎてきたという分断は1回きれいにして,そして,アドミッションの側は,もちろん学習指導要領との連動ということもきちっと考えてメッセージとして発してもらわなければいけないんですけれども,やはり授業外のアクティビティーだとか,あるいは社会教育のアクティビティーだとか,そういうところをむしろ大学側のアドミッションで引き取って連動させていくというようなことを考えていかなければいけないのかなということを感じました。
確かに学習指導要領で決められることは,教科書の内容と指導時間ということはおっしゃるとおりなんですけれども,そういう中で,実は前回も議論がありましたけれども,今回はそういう各論も非常に重要になりますし,むしろこの企画部会が終わった後の各部会にはそういうところをお任せしなければいけないんだけど,この企画部会でやらなければいけないのは,やっぱり総則の議論と,それから,総合的な学習の議論をどうカスタマイズするということと,総合とどういうふうに合わせていって,総合のこれまでの反省点もちゃんと踏まえた形で総合という学習をどう再編集していくのかということによって,皆さんの御議論の連立方程式を解けるのかなと。なかなか難しいなと思いましたけれども,解ける糸口というか取っ掛かりがあるのかなということを思いました。
それから,私,一番最初の回で申し上げたと思うんですけれども,実は今回のまさに学びの改革というのは,合田君がいる中であれなんですけれども,教育課程の改革もさることながら,それ以上にまさにそれを教えられる指導者といいますか,教員及びそれをサポートする様々なソーシャルなリソース,そして,それを支援する財政的な支援と,こういったことと連動しなければ,教育課程を変えただけではまさに絵に描いた餅になってしまうということは強く思っております。
ただ,この企画特別部会は,そうしたことも含めて総合的に御議論いただく場でありますので,ここでの議論は教育課程にとどまらず,教職員養成の問題だったり,外部人材あるいは連携人材の活用の問題も御議論いただきたいと思っておりますので,そういう観点からも大変貴重な御意見を頂いておりますことに感謝を申し上げたいと思います。私もまだいろいろしゃべりたいことがあるんですけれども,かなり時間を超過しておりますので,また本当に引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
【羽入主査】  ありがとうございます。
事務局から。
【大杉教育課程企画室長】  次回の特別部会でございますけれども,6月9日月曜日10時から,本日と同じこの会場にて,主査から御案内ございましたように,次回も高校について御議論いただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
【羽入主査】  ありがとうございます。
先ほども申し上げましたけれども,御意見が更にございましたら,事務局の方にお寄せいただきますようにお願いいたします。
それでは,本日の部会はこれで終了いたします。誠にありがとうございました。

── 了 ──

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