教育課程部会 教育課程企画特別部会(第5回) 議事録

1.日時

平成27年4月15日(火曜日) 10時00分~12時30分

2.場所

文部科学省 旧文部省庁舎6階 第2講堂
東京都千代田区霞が関3-2-2

3.議題

  1. 初等中等教育の教育課程全体を通じた観点から改革が必要な事項について(意見交換)
  2. その他

4.議事録

【羽入主査】  皆様,おはようございます。定刻も過ぎましたので,ただいまから中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会教育課程企画特別部会の第5回を開催させていただきます。本日はお忙しい中おいでいただきまして,まことにありがとうございます。
まず事務局から,配付資料について確認をお願いいたします。
【大杉教育課程企画室長】  それでは,配付資料の確認をさせていただきます。本日は議事次第に掲載しておりますとおり,資料1から資料5を配付させていただいております。不足等ございましたら,事務局までお申し付けください。
【羽入主査】  それでは,本日の議事ですが,初等中等教育の教育課程全体を通じた観点から改革が必要な事項について,本日は意見交換を中心にいたしたいと思います。まず資料を配付させていただいておりますが,その資料に基づいて説明をさせていただいた後に自由討議に移ります。なお,委員から資料の御提出をいただいておりますので,自由討議の前に御提出いただきました資料に基づいて御発言をお願いするということにしたいと思います。
また,本日,報道関係者等より,会議の録音の希望がございます。これを許可しておりますので,御承知おきください。
では,まず事務局から資料に基づいて御説明をお願いしますが,この資料につきましては,これまでの会議の中で皆様の御発言を基にして少しまとめたものでございます。全体の構造を含め,これが最終的なものというわけではございませんので,今後,今日いただきます御議論も踏まえて,どのような方向でまとめていくか,柔軟な状況にありますことを御承知おきいただき,事務局から御説明をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
【大杉教育課程企画室長】  それでは,まず事務局から資料に基づいて説明をさせていただきます。本日の資料の中に資料4というのがございますが,これは前回における先生方の主な意見をまとめさせていただいたものでございます。新しい学習指導要領の在り方について,それから,育成すべき資質・能力等につきまして,育成すべき資質・能力と学習指導要領等の構造につきまして,また,評価の在り方につきまして,それから学習指導要領等の理念を実現する方策等につきまして,先生方の御発言をまとめさせていただいたものでございます。
この資料4,並びに1,2,3回における様々な御意見,ヒアリングにおける発表や資料,それから諮問文の内容もさることながら,報告された各種答申の内容,提言の内容,また調査の結果,補足の資料の内容などを基にしまして,お手元資料1-1といたしまして,今後の教育課程の在り方についてということで,これまでの議論等の要点をまとめさせていただいたものでございます。
1の(1)から少し簡単に御説明を申し上げます。初等中等教育の教育課程に関する現状と課題ということで,社会の質的変化等と教育課程の課題について,これまでの御発言等まとめさせていただいております。阪神・淡路,東日本の二つの震災を経て公共心やきずなに対する評価は高まったものの,一方で様々な地域の関わりや他者との関わりを軽視する傾向も懸念されるのではないか。
また,人口減少社会というものを正面から取り上げ,子育てや介護をリスクと捉えるのではなく,自分の生き方等との関わりの中で考えていく必要があるのではないか。
また,持続可能な社会作り,ESDというような観点から子供たちを育成していく,その中で社会や世界に開かれた学校ということをイメージしていく必要があるのではないか。
グローバル化の中で自分の意見を説得的に主張していくことも重要ではないか。自国の文化を語れることも重要ではないか。
また,雇用ニーズにおける高い問題解決能力に対するニーズの高まり,社会の変化のスピード感への対応。
また,親がどれだけ教育に関心を持つか,経済的背景等によって二極化が懸念されるのではないか。また,今後の社会を考えたときに,自分の行動等をセルフコントロールできるということもますます求められるのではないかというような御意見を頂いたところでございます。
ここにつきましては,また,科学技術の進展でありますとか,グローバル化といった社会の変化の観点から今後御意見を頂き,反映させていければと思っております。
1枚おめくりいただきまして,前回改訂の成果と次回改訂に向けた課題ということでございますけれども,上の三つは主に諮問から引用させていただいておりますけれども,これまでも学習指導要領については様々な見直しが図られ,特に学力の三要素から成る確かな学力をバランスよく育てることとされたこと。これを踏まえて各学校で真摯な取組が重ねられ,成果が出てきているということ。一方で,学習意欲や社会参画への意欲等に関しては課題が見られ,教育基本法の理念が十分に実現するとは言い難い状況ではないかということ。
また,こうした観点から,これまでの学習指導要領について,学問的な体系ということでは体系化されているが,どういう力を育てるかという観点からの構造化はまだまだではないかというような御指摘を頂いたところでございます。
3ページ目から新しい学習指導要領等が目指す姿ということでございますけれども,新しい指導要領が目指す姿につきまして,終戦70年という節目において,子供たちに必要な力をどう育成していくかという観点から改訂していくべきではないか。子供はもともと学びたがっている存在,そうした力を洗練させるという観点に立つ必要があるのではないか。子供自身のニーズに応えるような価値観の転換が必要ではないか。子供たちが何をできるようになるかということが明確になる必要があるのではないか。また,対話の中で相手の主張を取り込みながら自分の考えの適用範囲を広げていくというようなことを,学校というシステムの社会機能として果たしていくことを考えていく必要があるのではないか。また,学ぶことがおもしろい,楽しいという観点を取り入れるべきではないか。また,学校と地域社会とのつながりを持った教育課程として外の風を教育の中に入れていくということ。それから,PISAの結果に満足するのではなく,次のステップへ進もうとしているということ。諸外国の例をキャッチアップということではなく,超えるようなものとして捉えていく必要があるのではないかということ。
4ページに移りまして,特に高校教育改革につきましては大学入試改革とセットで進めていかなければいけないのではないかということ。専門高校でも,また,社会に求められる人材との隔たりが大きくならないよう教育そのものの在り方を考えていく時期ではないかということ。高校生に地域と向き合う機会を持たせるということで,機会の重要性。様々な異年齢,他学年との交流の重要性。それから,特別支援教育につきましては,対象となる子供たちが倍増する中で,特別支援学校か,通常の学校かと分ける二極的な考え方には限界があるのではないかということ。また,2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックに向けて,これがゴールではなく,出発点となり,新たな文化が生まれるような改訂とすることが重要ではないかということ。こうした点を新しい学習指導要領の在り方について頂いているところでございます。
続きまして,育成すべき資質・能力につきましては,基本的な考え方といたしまして,冒頭で少し,前回無藤先生から御発表いただいた検討会の内容を引かせていただいておりますけれども,資質・能力の上位としては常に教育基本法の人格の完成が位置付けられる必要があるのではないかということ。それから,グローバル化,情報通信技術の進展など,社会の変化を見据えながら,主体性,自立性に関わる力,対人関係能力等々の力の育成を考えていくこと。また,クリエーティブな力でありますとか,意欲や志ということ,思いやりや優しさということも重要。また,芸術やスポーツの分野で育まれる資質・能力の重要性。また,こうした資質・能力を総体的にどういう目標に使っていくかという観点から,人間のよさや可能性を最大限に発揮できるようにすることの重要性。新しい時代に求められる資質・能力について御意見を頂いているところでございます。
続きまして,こうした資質・能力をどういう構造として捉えるかということで,一面を知識理解,側面を技能・能力,それから天井の面をタイトル・価値というような立方体を膨らませるようなイメージで人間が大きく成長していくように考えるべきではないかということ。学力の三要素を議論の出発点としながら,主体的に学ぶ情意でありますとか,協同性,認知面,情意面を統合するメタ認知などに拡張して考えていく必要があるのではないかということ。
6ページに移っていただきまして,知識については個別の知識をばらばらではなくネットワーク化されるように活用されるように伸ばしていく必要があるのではないかということ。思考するためのスキルを教えていくべきではないかということ。知識を知っているだけではなく,どう使われるかという観点から考えていく必要があるということ。また,学習意欲についても御意見を頂いたところでございます。
こうした指導要領の資質・能力の観点からの構造化ということにつきましては,お手元の資料2の28ページを御覧いただければと思います。下の構造図になりますけれども,指導要領等の構造化のイメージということで,これまで頂いた御意見を基に少しイメージを作らせていただいているところでございます。上のところに人格の完成を目指すという中で,教科横断的に総合的に育成すべき様々な資質・能力があるであろうということ。それを学力の三要素,知識・技能,思考力と学習意欲,これを先ほどの御意見のとおり少し拡張して考えますと,その下にありますような個別の知識・技能,何を知っているか,何ができるか,教科等の本質に根差した見方や考え方,知っていること,できることをどう使うか,それから,情意面,態度面に関わるような,どのように社会や世界と関わり,より良い人生を送っていくかという,大まかにこのような三つが観念され,これらを総合的に育成する学習プロセスが必要ではないかということ。
それから,縦のつながりを見ていただきますと,教科学習,総合的な学習,特別活動,道徳教育,それぞれの意義があるわけですけれども,これらを往還させながら,カリキュラム・マネジメントの中で総合的に考えていく必要があるのではないかということ。これまで頂いた御意見を少しまとめさせていただきますと,このような図がイメージされるのかなということで付けさせていただいておるところでございます。
恐縮ですが,資料1-1にまた戻っていただきます。6ページ,これからの時代に求められる資質・能力の少し個別的な話になりますが,一つ目はシチズンシップ,一つの固有の組織においてどのように生きるかということではなく,他者と一緒に課題を解決していくということで捉える必要性。また,市民性の基礎ということ。日本文化ということをグローバル化の中で学ぶことの必要性。歴史的な過程を語り合える能力や姿勢を重視すること。近現代史の歴史的な過程を知ることによって歴史の中で自分がどのような立場にあるのかについて議論できるようになることの重要性。自国とグローバル,双方の観点から地理的,歴史的に考える力の重要性。国語の重視。早くから外国語になれ親しむことの重視。多様性という観点から,英語だけではなく,他の言語の重視。それから,基礎的な健康コントロールという観点から懸念されること。社会の変動の中で規範ということの重要性。また,レジリエンシーということを付けさせていくことの重要性。それから,様々な〇〇教育ということに対する考え方を述べさせていただいております。
発達段階や成長過程のつながりということでは,幼小や小中など校種間の接続連携を含めた議論が必要であるということ。学習の土台となるようなスキルをしっかり身に付けて次の学校種へ送っていくということの重要性。また,現場の先生方が子供たちにどんな力を付ける必要性があるのかということを再構成できるということが必要ではないかということの観点。また,幼児教育の質を高めるということと,幼小のカリキュラムのつながりという観点を記させていただいております。資質・能力と学習指導要領の構造化の方向性,これは先ほどの構造図でも少し示させていただいているところですけれども,それを使って何ができるようになるかということまで議論するということが必要ではないかということ。コンピテンシーと呼んでいるものの中に教科依存的なものと横断的なものに二つの層があるのではないかということ。コンピテンシーをブレークダウンしていくという観点もあるかもしれないが,むしろ各教科の本質というところから迫っていくことも必要ではないかということ。また,構造といったときには,総則から特活に至るまでの評価の構造と目標の明示化や内容の取り扱いといった構成というような観点があるのではないか。その中でアクティブ・ラーニングについて捉えていく必要があるのではないか。また,表現ということに関しましては,様々な表現,それから対話ということを学びの中で重視していくことの重要性。子供たち自身がこの教科で学ぶ意味ということを捉えることの重要性。先ほど申しましたとおり,ボトムアップ的なプロセスは正当なやり方であるが,一方で出口でどういうことを保障していくかということも重要ではないかということ。また,最低基準である学習指導要領の一方で探求の力を植えるようなより高いレベルの力を身に付けていくということも必要ではないかということなどの御意見を頂いているところでございます。
続きまして,10ページ目が学習活動の示し方やアクティブ・ラーニングの観点でございますけれども,子供たちがどのように学ぶかというプロセスを通じて技能を獲得する。知識・技能の習得とともに実社会や実生活の中で活用しながら探求していけることが重要ではないかということ。学習活動と教科内容を結ぶ構造化は有効であるけれども,一方で,内容と資質を押さえることによって学習活動が固定化されてはならないということ。学習指導方法が単なる手練手管やテクニックにならないようにすることが必要であること。表現と対話の重要性。システム的思考やクリティカルシンキングを育む重要性。各教科ならではの物の見方,考え方ということの重要性。言語活動に関する分析を踏まえますと,見通しを立て,課題の発見,解決に取り組む,振り返るといった過程が重要ではないかということ。指導要領のみならず,解説書や指導事例集も含めた全体の姿の中でアクティブ・ラーニングということを考えていくことの必要性。また,事例集というものの重要性。
それから次のページに移りまして,発達の特性を踏まえた学習のスタイルの違いを踏まえることの重要性。意欲や態度をいかにアクティブ・ラーニングで高めていくかということ。社会とのつながり。また,子供自身が何を見出していくかという観点の重要性。
また,アクティブ・ラーニングの進め方として,時数の確保が難しいとの見方もあるが,学年を超えて長期的に取り組むことで効果的,効率的な学習が可能になるという視点も重要ではないかということを御指摘いただいております。
12ページ目は評価の在り方になります。自己肯定感を高める評価の在り方。現代的な学びに対応した評価の開発の必要性。目標に準拠した評価ということの考え方。また,評価の観点として三要素との関連性。評価を出口として考えるだけではなく,それまでのプロセスの中で考えることの重要性なども御指摘いただきました。
最後に,指導要領の理念を実現するために必要な方策ということで,アクティブ・ラーニングの実現に向けて必要な支援方策になります。学校現場がさらに忙しくなる懸念もありますけれども,子供たちのためになるものであり,取り組む必要性は高い。様々な支援が必要ではないかということ。
指導要領にいろいろ盛り込んだとしても,結局は教員の資質・能力ということが重要であり,教員養成・研修や,それに伴う時間の確保は必要ではないかということ。また,教科書など教材の在り方との関係性。社会人の教育現場への参画というものをより活性化していくことの重要性。ICTの活用,教科書の在り方,教材の在り方について御意見を頂いております。また,カリキュラム・マネジメントということで,子供たちの資質・能力を捉えられる教員の目を養うという観点から,カリキュラム・マネジメントの観点が重要ではないか。指導要領の在り方と各学校におけるカリキュラム・マネジメントの在り方をつないでいくことの重要性。
14ページに移りまして,言語活動の議論のように,教科の枠を超えた柔軟な話し合いを実現するような仕組みが必要ではないかということ。カリキュラム・マネジメントを実際各学校でどのように行っていくかということの重要性等について御意見を頂いたところでございます。
最後5ポツは空白になっておりますけれども,これにつきましては各学校種,各教科等ごとにまた次回以降御議論をいただき,追記させていただく予定でおります。
また,お手元資料1-2といたしまして,今回資料1-1で少しまとめさせていただいたこととつながるような参考データを整理させていただいております。社会の変化や人口の推移,学力の状況,子供たちの状況,学校現場の状況等々についてまとめさせていただいております。これにつきましても今後充実を図ってまいりたいと思いますが,少し眺めながら,また御議論をいただければと思っております。
長くなりましたが,私からは以上になります。
【羽入主査】  ありがとうございました。それでは,議論に移りたいと思いますが,先ほど少し申し上げたかと思いますが,前回資料を御提出いただいておりました市川委員の御説明の時間をとることができませんでしたので,今回,この資料に基づいて御説明いただきたいのと,ほかにお二方の委員から資料が提出されています。資料5にまとめられておりますけれども,意見交換の前にこの資料に基づいた御説明をいただきたいと思います。
なお,今事務局から説明をさせていただきましたこのペーパーの位置付け,そして今後の我々の議論の位置付けについては次のように考えております。今回いわば総論としてこれを議論する。そして,その後,今月末ぐらいになろうかと思いますけれども,幼稚園,そして義務教育に関係する議論,そしてその次に高等学校の教育に関する議論を2回ぐらいと考えております。その後もう一度総論に移る。そういうようなスケジュールでおよそ予定しております。もちろん様々な議論の中でいろいろな御発言が入り組むことは当然予想されることだと思いますが,おおよその方向性としてはそんなふうに考えておりますので,御承知おきいただければ大変幸いです。
それではまず前回御用意いただいておりました市川委員に資料に基づいた御説明をお願いいたします。
【市川委員】  それでは,時間を与えてくださいまして,ありがとうございます。私の方からは特に今回資質・能力の育成,あるいはアクティブ・ラーニングということに絡めて,教えて考えさせる授業の趣旨と動向という話をさせていただきたいと思います。
スライドがたくさんありますが,時間もありませんし,きょう,授業ビデオも少しお見せしたいと思っていますので,読んでいただければ分かるようなところはカットしていきたいと思います。
教えて考えさせる授業というのを私が言葉として使ったのは2001年からなんですが,いわゆる教えるだけの授業にならないように,あるいは教師が教えずに子供にただ考えさせるだけの授業にもならないようにという,ごく当たり前の提案だと私は思っております。中教審答申の中では2008年に次のような言葉が出てきます。教えて考えさせる指導を──「指導」になっています──徹底し,基礎的・基本的な知識・技能の習得を図ることが重要なことは言うまでもない,というかなり強い調子の文面が出てきています。これは90年代の特に小学校の先生にとっては当時タブー視されていたような非常に厳しい言葉が出てくるきつい文言に見えるかもしれません。まず教える。これは良くない言葉とされた。それから,考えさせるというような使役形はいけません。指導ではなくて支援です。それから,知識というのは非常に悪いイメージを持たされた。そういう中でこういう文言が中教審答申で出てきた。これはある意味,少しきつ過ぎるというふうに思われますが,昔の教え込みに戻ろうということでは決してありません。むしろ子供の理解ということを重視して,教材や教具を工夫した分かりやすい教え方をするとか,あるいは子供がどれだけ分かっているのかという理解度を把握しながら教えることが大切であるという注がこの指導要領にも出ています。
教えて考えさせる授業というのは,子供の理解ということを大変重視した考え方です。浅い理解から深い理解に行くということを学習と考える。理解が深まった状態といってもなかなか目には見えませんから,自分の言葉でほかの人に学習内容を説明できるかどうか。あるいは意味内容に関する質問に答えられるかどうか。あるいは類似問題に転移することができるか。こういうようなことをもって子供が理解していると判断します。
私たち大人でも何かを理解しようというときに,こういう習得の学習をしていくと思います。初めは受容学習。これは新聞を読んだり本を読んだり,あるいは先生の話を聞いたりという人からの情報を受け入れるという学習です。しかし,それだけではなくて,自分の言葉で要約してみるとか,こちらからいろいろな質問をしてみるとか,能動的な表現をしてみて,受容学習も進む。さらに,それを使った問題解決や討論をやってみる。問題解決をすると間違えるということもたくさんあります。学習のプロセスの間違いというのはむしろ大事なことで,その間違いからどういうことを教訓として得たかということをはっきりさせる。こういうことによって習得ということも進んでいくと思われます。
いわゆる習得と探求と。この言葉を私自身が使い出したのは2001年だったんですが,最近,文科省の指導要領の中でも習得,活用,探求。活用というのも中教審の中で出てきた言葉です。そういう言葉として使われていますが,教えて考えさせる授業というのは,あくまでも習得の授業の一つの在り方です。その中でも非常にオーソドックスなものと私は思っていますが,よくある誤解は,習得で教えて,探求で考えさせる。これが教えて考えさせるであるという誤解,これがよくあります。そうではなくて,むしろ習得の中でこそ教えてばかりではなくて,教える場面と考えさせる場面をしっかり持ってほしい。探求の方はむしろ考えさせながら時々先生が教えるというような完全に子供主体のやり方でいいと思います。
ただ,よく授業の主人公は子供であるという言葉があります。私もそう思います。しかし,特に習得の授業ではシナリオライターや監督まで子供ではないと私は思っています。指導案というシナリオを書くのは先生です。授業をマネージしていくのも先生です。その中で,子供が主人公として活躍する。それが習得の授業であろうと思います。その中に先ほどの受容学習に当たる部分,これが教師の説明,これが教えるです。次の能動的な表現に当たるところが理解確認。そして,その先の問題解決,討論に当たる部分が理解深化。そして,自己評価。ここできょう自分が学んだことは一体何だったのか,まだよく分からないことは何なのかということを振り返る。自分の言葉で表現するというのが自己評価です。授業の前の予習,授業の後の復習ということで習得を図っていくというのが教えて考えさせる授業です。
この後のスライドは見ていただければ分かると思いますので,少し飛ばしていきます。展開状況。それから,導入校の変化というようなことを書きました。あくまでもうまくいっているところはということです。最初の1年くらいでどういう混乱が起きることがあるかというようなことも実は後ろの方のスライドには出てくるんですが,お手元にはそれは配付していません。ただ,いきなりこうなるわけではない。継続的にしっかりやっているところはということだと思ってください。
紹介リソース。これも見ていただければ分かると思います。書籍,ビデオ,あとセミナーなどです。
そこで,教えて考えさせる授業は実際にどんな様子なのかということをビデオクリップにまとめたものがありますので,これを見ていただきたいと思います。
(映像上映)
これは岡山県倉敷市にあります柏島小学校というところです。1年半くらい前に行われた研究発表です。教えて考えさせる授業を導入して,2年半たったところでの発表です。
生徒さん,みんな制服を着ていますが,岡山県は小学校でも制服を着ています。決して特別な学校ではありません。附属のように見えますが,普通の公立校です。学力的には岡山県そのものが,申し訳ないんですが,余り高くないですね。その岡山県の中でもさらに低いと言われていたという学校です。それが2年半くらいたって,こういうような感じになってきたということで見てください。
(映像上映)
これは予習してきたことの確認といいますか,どういうことが分からなかったか,あるいは自分のきょうの目当てをどこに据えたいかというようなことをやっています。5分か10分でもいいから予習してきましょうということを先生は言っています。
(映像上映)
これが教えている場面ということになります。
(映像上映)
ここからが理解深化課題ということになります。
(映像上映)
ビデオは以上なんですけれども,教えて考えさせる授業と聞く,あるいは私の本を読んだ方,すごく硬いイメージを持たれる方もたくさんいるようなんですが,大事なことはめり張りをはっきり付けるということで,先生が教える部分は分かりやすく丁寧に,それも対話的に教えていくと。しかし,その後は机を島型にしたりしてグループでの理解深化,つまり,ここはかなりアクティブ・ラーニングの要素を入れているわけですが,そういうものを入れていくと。ふだんの教科の授業の中,しかも習得の授業,日常的な授業の中でもそういうことを入れていってほしい。しかし,アクティブ・ラーニングだけで決して習得ができるわけではなくて,教師が教える部分というのも大事にしたいということです。
この後授業の協議会などがありますが,例えば理解深化課題,これはいろいろな代替案をできるだけみんなで出し合って,レパートリーを広げましょうというようなことを言っています。これはこのとき私が出した代替案の一つです。実は,計算して値を求めなくても,こういうものは全部同じになるということが分かる。式を見れば1掛ける1だったら3.14。2倍になれば2掛ける2掛ける3.14ですから,4倍になる。3掛ける3になれば9倍になるとか,そういうことがこの公式の意味なので,むしろその意味ということをみんなで考えるというような理解深化課題。私はできればそういうやったことの意味を理解するというようなところに行ってくれればと思っています。そういう案をいろいろ出し合う。何がベストかということではなくて,いろいろな案を出し合って,自分が授業をするときに,子供の実態に即して使えるようにしていきましょうというようなことです。
ひとまず時間も長引いてしまいましたが,私の方からの発表とさせていただきました。どうもありがとうございました。
【羽入主査】  ありがとうございました。それでは続きまして,品川委員からお願いしてよろしいですか。
【品川委員】  ありがとうございます。教育ジャーナリストの品川です。
お手元の今の市川先生の資料の次に私が出した資料がございます。詳細は10分程度では説明できないと思ったので,全部書きましたので,お読みいただければいいなと思っております。
最初にまずこの資料を提出した背景なんですが,それは私がナンバリングしてなかったので恐縮なんですが,一番最後のページにちょっと書いてあります。これまでこの会議に参加させていただいて,能力とか方法論に関する事例紹介とか,議論はずっと拝聴させていただいたんですが,もう少し資質に対する議論を深める必要があるのではないかというふうに考えております。というのは,個々のニーズとか学習スタイルに応じて指導すれば,あるいはそういった指導を受ければ成果が上がるということを,教育者だけではなくて,子供や保護者も共通して理解することが,不適応を減らすということに直結していくわけですね。そこの理解及び実践が広がらない限り,インクルーシブな社会を求めていくためにはなかなか実現は遠のくではないか。と同時に,そこを丁寧にやらないと,当然,将来的には社会保障費も増えていくと。
それからもう一点は,これは多分,皆さんには余り聞きなれないことだと思うんですが,学力向上のエビデンスだけではなくて,それを基にした教育論だけではなくて,逸脱を考える学問というのがあるんですね。犯罪学だったり,公衆衛生なんかもそうだと思いますけれども。これらに要はエビデンスがございますので,そういったものを是非入れていった方がいい,入れていきたいなというふうに考えています。というのは,一つの指導法で全ての子供が分かるという議論ですと,どうしても個々の子供の発達特性を無視してしまうことになってしまうので,実は処遇効果評価研究という分野では,どういう指導をしたらどういう成果が上がるかというのがあるので,そういった視点を入れていく必要があるのではないかということを基にして書いたものです。
頭に戻っていただいて,それでは一体どういうことかということなんですが,簡単に言いますと,ここで言う犯罪学というのは法に触れることだけではなくて,反社会的行動,全て含めます。ですので,いじめも入りますし,ネットに悪口を書くのも入るし,無視したり,人を攻撃したり,大人に反発したり,そういうのが全部入ってきます。ですから,ただ法に触れる行為だけではないですね。
そういった学問においては,リスク要因と保護要因という,二つの領域で考えていくんですね。それについては2ページ目に少しだけ抜粋してあるんですが,これは一次研究から出てきているものですけれども,いろいろな学者がいろいろ言ってて,共通しているものを選んでいます。
なぜこれを挙げたかというと,前回伺っていたときに挙がっていた汎用的なスキルとかメタ認知とかいう話は,犯罪学上は全部保護要因に当たるんですね。逸脱を防ぐということを考えたときに,当然これを付けるべきものである。逸脱を防ぐということを考えたときに。それで,皆さんが考えていらっしゃることは重なると思ったので,詳細はここに挙げていますから是非見ていただければいいなと思っています。
ちなみに保護要因にしてもリスク要因にしても,個々の要素には影響度があるので,影響度の順番に書いているんですが,例えば個人の保護要因だったら,社会性があるとか,問題解決スキルがあるとか,それから打たれ強いとか,我慢強いとか,自己効力感があるとか,あとセルフコントロールがあるとかですね。一方,リスクの中では,例えば攻撃性があるとか,多動が強いとか,認知,時間の感覚が欠如しているとか,不正直であるとか,ストレスに弱いとか,いっぱい出ているわけです。こういったものをしっかりと身に付けさせることがなぜ大事かといったら,犯罪学では,こういったリスク要因は個々の子供のニーズの裏返しと指摘されているんですね。将来の社会参加とか,自立とか,社会貢献を考えていったときに,こういった力があれば,ちゃんと社会参加していけるのだということが証明されているということが言えるわけです。
もちろん保護要因にしてもリスク要因にしても,運用そのものについては当然限界はあるんですが,学習指導要領においては,特に本人とか学校とか,所属する集団の仲間とかといった視点を入れていくことが,実際的に非常に使用可能なツールとして使えるのかなということが言えるかなと思っています。
具体的には,6ページ目に図をかいているんですが,まず最初に大事なのは,ここの表でいう真ん中一番下のところにあるしっかり土台があるということなんですね。今申し上げた犯罪学的な視点と同時に,もう一つ,資質というところで皆さんに御議論いただきたいなと思っておりますのは,就学前の段階からしっかり学習レディネスの部分を徹底指導するということを明記するということであろうというふうに考えています。学習レディネスというのは,皆さん御存じのように,教育とか,学習が効果的に行われる発達素地と言われていますね。実は発達素地が備わっていなければ,教科教育が定着しづらいのはもちろんですし,問題解決スキルとか,社会性とか,いろいろ言っても,そもそもの土台がなければなかなか定着はしない。さらに発達障害と診断されていたら,もちろん定着はしづらい。診断されてなくても発達的な偏りがある子供たちというのは非常に多いですし,環境的な要因から学習レディネスが十分に育っていないという児童生徒,それから若者もよく拝見するんですね。
今までは,実はその段階でつまずいてきた子供たちというのは,怠けているとか,やる気がないとか,本人に問題があるとか,家庭に問題があるというような理由で残念ながら放置されてきているんですね。それで,本人自身もどうせ自分はできないやと思ってしまう。結果的に反社会的行動だったり,非社会的行動だったり,あるいは学校という枠組みを出た後に不適応を起こしてしまうというケースが非常に多いので,まずは土台をしっかり作る。
ここで言う土台というのが,私の資料で言うと5ページ目に学習レディネスというふうに書いてありますが,まず体がしっかり使えるとか,粗大運動ができるとか,協応運動ができるとか,巧緻性があるとか,そういった土台ができて,さらに音韻の処理ができるとか,モーラが分かるとか,そういった学習の土台を作った上で,やっと教科教育に入るベーシックスキルができて,同時に,是非提案したいのは,前も申し上げましたが,規範意識を育てていくということです。その上で,ここで言っているリスク要因を下げて,保護要因を強化する。この段階を踏まないと,いきなり社会性を入れましょうとか,問題解決するスキルを付けていきましょうといっても,定着する子は定着する,定着しない子は定着しないという,また同じ現象が起こってしまうであろうということが想像に難くない。
さらに,発達を踏まえるということは,例えば同じ社会性を付けていくのであっても,付け方を変えていくということ。要は身に付けるべきスキルは変わらないんだけれども,指導する方法を変えていく。その子の学習のスタイルを踏まえて指導していくというふうに実践していかないと成果は上がりづらいだろうということがあるわけです。
最後に,これはハーバードのモデルにも最後にメタ認知とありましたけれども,メタ認知を強化しなければ,モニタリングもコントロールも付かないので,それはもちろんそのとおりなんですが,イメージとしては6ページにかいてあるような図になってきます。学習レディネスを付ける。これは全ての子供に小学校に上がる前からやる。
これはどこが実践しているかというと,昔フィンランドに取材に行ったときに,フィンランドは,小学校に上がる前の1年間で,学習レディネスをとことん訓練していたんですね。結局,音韻が苦手だということがその段階で分かれば,その段階からトレーニングすると,少しでも学校に上がってからの学習障害の子供たちの状態像を変えていくことができるとか,体をしっかり使うということが例えば集中力を高めていくとかということが分かっていますから,それを実際にフィンランドは実践されていたので,なるほど,それはPISAのデータがいいのも理にかなっているなということをすごく思ったことを覚えています。
残念ながら我が国の場合には,私はいろいろな学校に行きますし,自治体も拝見するんですが,そこをやっていらっしゃるところとやっていないところの差が非常に烈しくて,やっていないケースは全然,子供たちはそのまま従来どおり,できないままだということなので,しっかりそこを明記するということは大事なのかなというふうに考えています。
それともう一つ,これからの時代,7枚目のところに書いたんですが,学習のスタイルを踏まえた評価ということを導入していくということ。例えば現状では正しいノートのとり方をもって関心,意欲,態度の評価を行っている学校が多いけれども,個々の発達課題を踏まえると,これほど公平性,公正性に欠くことはないわけで,聞いた方が分かる子供がノートをとることに集中して結局何を書いているか分からないということは多々散見されるわけですね。いま一度その評価の仕方を,学習のスタイルを踏まえることが必要なのかなと思います。それと同時に,道徳とか規範意識というのは絶対評価になじまないものなんです。市民として守らなければいけないルールというのは,障害があろうがなかろうが関係ないわけですからね。ということは,いま一度相対評価をどのようにもう一回入れていくのかとか,あるいは絶対評価そのもののありようも是非検討していただきたいと思っています。
例えば私が取材している学習障害の子供たちというのは,現状の評価では幾ら頑張っても同じような点がとれない。本人の持っている能力がなかなか発揮できず,ペーパーテストではなかなか点が上がらない。そうすると,中学校2年の夏休み以降に進路相談が始まるとき,内申が良くないんですね。本人が持っている意欲とか,ペーパー上は評価されませんから,そうすると本人の意欲と先生が進路指導する方向性に乖離が出てきて,非常にしんどい思いをして,結局,高校に行きました,やめましたというケースが多々散見されるんですね。そこのありようなんかも是非検討していく必要があるのかなというふうに思っています。
皆さんからすると突然の話かもしれないんですが,実はこういったことで,ちゃんと成果を上げていたのが,以前私が取材していた宇治少年院とか,広島少年院ですので,そういった視点を是非持っていただきたいなと思っています。
実際に例えばオーストラリア政府なんかが出している,これは学校でいじめられている子供たちという資料なんですが,こういうところにもプロテクティブファクターはこういうことだ,リスクファクターはこういうことだとしっかり明記されているんですね。なぜいじめが問題かと言うと,いじめの加害者は将来的に反社会的行動をとるリスクが高いということが分かっているんです。一方,被害者もリスクが上がるということも分かっているんですね。だから,学習指導要領の中にそういった視点を入れていくということが将来的な逸脱も防ぐし,社会参加に直結していくのかなというふうに考えています。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では続けて,天笠委員,お願いします。
【天笠主査代理】  失礼します。ただいまの品川委員の資料の次に私の資料をとじていただきましたので,この資料を基にしながら説明させていただきたいと思います。
カリキュラム・マネジメントということがアクティブ・ラーニングとともに,今回の学習指導要領改訂の一つのキーワードになっているのではないかと,そういう認識を持っております。ただ,カリキュラム・マネジメントという言葉自体も多義性を持っているというんでしょうか,そういうことで少し交通整理をさせていただいた方がよろしいのかなという思いと,私の個人的な立場と思いとしては,それぞれの学校においてカリキュラム・マネジメントについての発想と手法というのが普及,定着するという方向になっていくとよろしいのかなという思い,立場から,現在御覧いただいている資料に少しその点をまとめさせていただきました。
それで,まず1枚目なんですけれども,学習指導要領改訂に関わってカリキュラム・マネジメントという,そういうキーワードが扱われたのは,私の記憶ですと,現行の学習指導要領の元になりました平成20年の中教審答申のときにカリキュラム・マネジメントという言葉が取り上げられているということと,それから,先だっての資質の論議に関わっての論点整理のところで再度カリキュラム・マネジメントのそれが取り上げられたということで,1ページ目のところはその文言を抜き取ったものであります。また詳しくは後ほど確認いただければというふうに思います。
2ページ目の上のところもそれであります。
続きまして,2ページ目の真ん中のあたりのところはちょっと省かせていただいて,そういう中で一体カリキュラム・マネジメントということがどういう使われ方をしているのか,あるいはその中にどういう中身的なものというんですか,含意があるのかどうなのかということなんですけれども,私のさせていただいた整理でいくと,2ページから3ページにありますように,三つの側面でそれぞれカリキュラム・マネジメントということが言われているのかなというふうに捉えております。
まず2ページの下のところなんですけれども,一つ目というのは教育内容の関連を図ったりですとか,各教科等間の関連のそれを図ったりですとか,言うならば教育内容を一つの教科にとどまらずに相互の関係で捉えていくというふうな,そういう手法,発想。ある意味で教科横断的という,そういう言葉になったりですとか,教育内容の相互の関連を捉えるとか,あるいは教育課程全体を捉えるとかということで,このあたり一つ目の立場というのは主として教育内容にかなり踏み込んで,そのあたりの扱い方についてということで,まさに教育内容を扱う組織に配列するというような,そういう視点が一つかと思います。
右の3ページの上になりますけれども,二つ目は,言うならば,カリキュラム,教育課程のPDCAサイクルを確立するんだということで,前回の中教審答申の文言の中身はこのことでありまして,教育課程のPDCAサイクルを確立せよという,そういうことがその趣旨であったかと思いますし,そのために学校評価とのつながりをよりしっかりすべきだというふうな,こういう提言だったかと思います。それに対して,それを基にしながら,先ほど申し上げた第一の点というのが,今回の資質・能力の論点整理の中では,むしろこの第一の方の立場をより強調するような形の扱い方であったかというふうに思います。
その上でもう一つ挙げるとすると,三つ目として,それは教育の中身,あるいは授業という方法と諸条件の整備とか活用という,この両者の関係をより緻密に接近させていくというふうな,そういうこととして捉えていくというんでしょうか。御承知のとおり,教育は,今さらでありますけれども,教育学の発展を振り返ってみたときには,領域として教育内容とか,方法を固めていくということと,片や条件整備に関わっての教育行政とか,経営というのが,それぞれがそれぞれとして発展,発達してきたということで,この両者をどういうふうに向き合わせていくのかとか,つなげていくのかというあたりのところがうまく発展し切れなかったような現状があるんじゃないか。それがある意味で言うと内容は内容,それから,条件整備は条件整備だという,別建てのような形になっているわけですけれども,三つ目の側面というのは教育課程と諸条件の整備等,しっかり捉えていくというふうなことで,そういう観点からカリキュラム・マネジメントということの必要性とか,大切さというのがあるわけで,もちろん教育行政,教育委員会が単位になるんですけれども,一つの学校の単位の中で,学校における条件とそこにおける授業と内容とをどう組み立てながら,その学校としての目指すところを整えていくかどうかというような,そういう姿をどんな形で作り出していくのかどうなのかというふうなこと,それが今回の場合の私は大きなテーマの一つではないかと思うわけですけれども,そのあたりの手だてを4ページ,5ページのところに幾つかの方策という形で挙げさせていただきました。
そのことと現場の先生方の捉え方からすると,教育課程とかカリキュラムというのが,なかなか共有された実在のあるものとしてそこに存在するというよりも,いろいろなそれぞれの立場立場,捉え方で教育課程というのが捉えられるようなところがありまして,このあたりの教育課程ということについてのイメージをどう豊かにしていくのかということ,それは学習指導要領のある意味で豊かな読み取り方ということですとか,さらに言うならば,総則の在り方というんでしょうか,そういうことともつながっていくということが言えるかと思います。
それから,5ページのところの方策5なんですけれども,そういう中で,具体的にカリキュラム・マネジメントはかくしかじかだという定義をどうしていくという,それも一つの方法かもしれませんけれども,むしろ校内研修の在り方というふうなところに目を向けてみたときに,これまでの校内研修というのは,小学校の場合ですと,一つの単独の教科を取り上げてそこに全員を集中させていくとか,中学校の場合ですと,教科は横に置いておいて,共通の例えば特別活動ですとか,そういうものに取り上げていくというのがこれまでの比較的多く見られたスタイルなんですけれども,むしろ小学校でも複数の教科を取り上げて研修を進めていくとか,あるいは中学校においては教科の横ぐしを刺すという言い方がありますけれども,そういう取組というのがあるのではないかと。
振り返ってみると,この間の例えば言語活動の充実ですとか,掲げる資質・能力を育てるためにというのは今申し上げたような校内研修の在り方自体も動かしつつあると申し上げていいのではないかと思うんですが,今回の資質・能力の検討というのは,そのような意味で言うと,教科横断的な研修の在り方ですとか,あるいは教科を横断して,カリキュラム,教育課程全体として校内研修で取り組んでいくとか,そういう方向性を広げつつあるかと思っております。その方向とカリキュラム・マネジメントの具体的な姿というのを重ねながら展開していくというのも,申し上げたような学校の現状を動かしていく,変えていく。あるいは今回の改訂の方向の趣旨というものと重ね合わせながらいくときの一つの手だて,方向になるのではないかというふうに思いますので,また皆さん方で御検討,議論いただけるとありがたいかなと思います。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございました。それでは,資料1-1に従いまして,皆様から御意見を伺いたいと思います。御発言のある場合は挙手をして,名札を立てていただければと思います。では,廣田委員,キャンベル委員,まずお願いいたします。
【廣田委員】  ありがとうございます。きょうの発表を聞いていまして,市川委員の発表は大変共感を覚えました。私どもも今,ちょうど4月になりまして,新入社員がたくさん入ってきて,新入社員研修の真っただ中にあります。ビジネスマナーから実務の研修のところまでやっているんですけれども,一番強く彼らに訴えているのは,学校では問題が出されて,それへの解を作るということであったが,社会に入ってからは,問題も自分で作ることが必要だということを強く彼らには訴えています。その意味では,品川委員の中ではクリティカルシンキングという言葉が出ていましたけど,アクティブシンキングというか,考えることは非常に重要だと。常に考えろというふうに言っていますし,そのためには広範な知識が必要だと。広範な知識があってこそ考えることができるんだと。そういった本質的なとらまえ方をしろということを強く言っています。比較的受動的なタイプの人間,若者が多い中で,そういったことを教えているわけですけれども,初等中等教育の段階からこういった教えて考えるということをトレーニングといいますか,教育されていくということは非常に大切なことだなというふうに感じた次第です。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,キャンベル委員,どうぞ。
【キャンベル委員】  ありがとうございました。まず私は品川委員にちょっとお聞きしたいと思っています。大変興味深く今の発表を聞かせていただきました。リスク要因と保護要因という広義の犯罪学から教育の現場を見詰め直すという,目新しい,私にも耳なれないといいますか,新しい切り口で大変興味深かったんです。リスク要因というものが指導要領から考えると,それは要するに,できるだけ減少させ,あるいは予防する。そうするのにどうすればよいかということを必ずしも今まで学習の要領の中には書き込まれていなくて,別のファクターとして取り組まれていたんだろうと思うんですけれども,しかし,リスク要因というものがあるということを,これはどこにもあるということで,発達素地というものが,子供によって,家庭によって,学習環境によって変わり,それが直面しないと実際にここで次の学習要領が大きく掲げようとしているアクティブ・ラーニングというものが成就できないということは,私は説得力があるように感じました。
私は,3年ほど前から,これは学校の外から逆の観点から,逆の視点からですけれども,外から見た場合に,私は東北,仙台と福岡にありますNPO法人子どもの村という児童養護施設に預けられている子供たちが,そこから出ていって,家庭的なといいますか,育親という,親代わりの人がいて,そこで一緒に暮らす。コミュニティーと一緒に暮らして,学校にその子を通わせるという試みです。特に仙台では3.11以降,被災地で,多くの災害,震災孤児ができまして,そこで急遽,去年11月に開村を迎えたばかりで,子どもがそこに少ないですけれども,7,8人ぐらいいるんですが,そこに行きますと,一緒に活動しているんですが,学校の中で児童相談所に相談が来る前に大体学校の中で報告があったり,問題を起こした子どもの報告があったり,学校の中でそのことが報告されたり,状態が分かるけれども,児童相談所に報告が来る前に何か学校の中でできたのではないかというようなこと。つまり,今,品川さんがおっしゃっているような例えば学習障害を抱えている子どもたちの把握であったり,学習の中で子どもたちを排除する,あるいは別のものとして隔てていくということではなくて,その中でできることができれば理想ですねということはよく議論がなされているわけです。
もう一つは,現在,よく知られているように,日本の子どもの相対的貧困率が非常に上がっていまして,16%,去年上回っているということでして,いわゆる発達的素地であるとか,今品川さんがおっしゃっていた規範意識を育てるということにおいても,状況や環境がすごく変わっている,変化しようとしているというような情勢もあると思います。
そこで品川さんにちょっとお聞きしたいのは,規範意識を育てるべきだということはそのとおりだと思いますが,もう一歩踏み込んで,ここで今まで規範意識ということが倫理であったり,生きる強さとして生きる力を育てるものとして重要だということは,この中で意識が共有されていると思うんですが,きょうの話に即して,もう一つ具体的に規範意識を,学校の中で問題を抱えているかもしれない子どもたちに対してどういったことが手当てできるかということを,もしお考えがあれば伺いたいと思います。
長くなりました。
【品川委員】  ありがとうございます。多分,規範意識を高めましょう,だから,こういうプログラムをやりましょうということでは,なかなか上がらないんですね。犯罪学の論文を読んでておもしろいのは,どの要素もクロスカリキュラムでやっていくという考え。だから,道徳の授業だけを通して規範意識を教えるわけではなくて,例えば国語の授業を通してでも,例えばルールを守るとか,クラスの中のルールを守っていくとか,倫理を守るとかということは指導が可能なわけなので,今から規範意識を高める授業を始めます,じゃ,やりましょうといって定着するものではなかなかなく,いかにそれをクロスカリキュラムで教えていくか。
そして,規範意識を高めていくためには,大事なことはメタ認知があるということを言われています。メタ認知があれば,自分が今どういう状況に置かれているのかとか,自分自身を振り返っていく力につながっていく。だから,幾ら規範意識を教えてもメタ認知が育っておらず,セルフコントロールにつながらなければ,結果的には規範意識が幾らあってもそれは遂行できないということになってしまうんですね。犯罪学のおもしろいところというのは,1対1で考えなくて,非常にシステマティックに考えていくというか,システム論で考えていくというやり方をしています。
実際に,では,具体的にどうするかということなんですが,例えば規範意識は,いきなり小学校1年生になりました,さあ,規範意識を育てましょうではなくて,これはもちろん本来は生まれたときから家庭で教えていくものでもあるわけですね。ですが,ご存じのように,子供は生まれてくる親を選べないわけですし,地域も選べないわけですから,だからこそ学校の中にいいことはいい,だめなことはだめということをしっかり教えていくと同時に,規範意識が育つということは,もう一方で良心を育てるということをよく言われています。良心というのは簡単に言うと,他者の痛みが分かるとか,そういったことは恐らくいろいろな評価を通して,さらにもう一つ大事なのはその子のいる集団ですね。その子のいる学級という集団が望ましい準拠集団になっているということが大事だということです。
集団というのはただ集まれば望ましい集団になるわけではなくて,そこにしっかりと社会的ボンズがあるということですね。信頼関係があったり,アタッチメントがあったり。それは子供同士であったり,子供と教員との間でもボンズがある。そのボンズがある,そして,目的を持っている組織の中で規範というのは育っていく。だから,幾らうちの子に規範意識を教えても,その子が所属する集団のグループの規範がずれていたら,当然規範はずれていくわけです。だから,そういった意味でシステマティックに考えていくということがとても大事になってきます。
先ほどの子どもの村のケース,児相に引き渡す前にできたことがあったのではないか。もちろんできたことはあったわけで,それはしっかりと組織経営,若しくは学校が組織経営できていたかということは,まず一番に問われてくるかなと思っています。例えばあの子,ちょっと変わった子だから,あっちに行ってくださいみたいなことをやれば,当然逸脱するリスクは上がるということなんですね。ポイントは,例えばここに学校のリスク要因の中に,実はこういう学業成績が低いというのは一番影響度が高いわけですね。逸脱するというのは,学校に行かなくなる。学校に行くことは余り意味のないことだということを学習してしまうと,当然逸脱のリスクは上がるので,そういうことを含めていくと,学校でできることはすごくいろいろあるのかなと思っています。
余り答えになっていないかもしれませんが,そんな感じです。
【キャンベル委員】  ありがとうございます。
【羽入主査】  ありがとうございます。ただいま御発言いただきました点につきましては,先ほどの資料1-1で申し上げれば,4ページの育成すべき資質・能力についてというような位置付けになるのではないかというふうに思います。もちろんこの資料はこのままフィクスした構造ではございませんけれども,この資料との関連で少し御発言をいただけましたらと思います。渡瀬委員,吉田委員の順でお願いいたします。【渡瀬委員】  申し訳ありません。その前に市川先生と天笠先生のお話を伺ったことについてちょっと発言させていただきたかったものですから。失礼いたします。 市川先生のお話で,習得と探求のバランスのこと,習得の段階にも探求があるというお話などを伺いまして,私は現場の教員でしたので,時々,教員の中には習得と探求とか活用を全く別物のように考えてしまう傾向があるのは間違いなので,いろいろな議論もそこのバランスですとか,それから習得のところにどういうふうに探求的な,活用的なこと──活用的というのはおかしいんですけど,探求的な手法を入れながら習得していくかということも考えていかなくてはいけないということを感じていたので,そこのところが整理させていただけたのはよかったと思うんです。
それで,現行の指導要領でもセンスのいい教員とか,優秀な教員はそこは上手にできていて,問題がないわけですけれども,ただ,指導要領に書かれているとおりにしか授業ができない教員であってはいけないわけですけれども,天笠先生がおっしゃった学習指導要領を豊かに読み取れるかどうかというところというのが非常に難しくて,結局,豊かに読み取るということについての具体的な記述はないわけですし,それを記述することがいいのかどうかということも分かりませんけれども,天笠先生のお考えの中に具体的に豊かにということは言葉に,もうちょっと具体的にするとそれってどういうことなのか。それは市川先生からもお伺いできたらというふうに思います。よろしくお願いします。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,市川先生,天笠先生の順でお答えいただいてよろしいですか。
【市川委員】  初めに習得と探求という言葉,これは言葉の使い方の問題なんですけれども,私は習得の中にも探求はあるという言い方はしていないんですね。そう言うとちょっとごっちゃになってしまうので。習得の中にも問題解決の場面がある。問題解決や討論の場面がある。それは例えば理解確認でしたら,今先生から習ったばかりのことを説明する。これは比較的易しい問題解決ですね。これは易しいように見えますが,実際やってみると,物すごく難しいんですね。今先生が説明したばかりのこと,教科書にも出ていること,でも,自分の言葉で説明してごらんというと,これが結構できない。よく分かってないわけですけれども,これは理解確認で行っていることです。
次に,理解深化,これはもう少しレベルの高い,理解を深めるような問題解決や討論なんですが,これを実は私は探求とは呼んでいないんですね。問題解決ではありますが。探求の方は大学で言えば卒論のようなものです。先ほど出ました自分で問題を発見して,そして,興味関心に応じてそれを追求していくような学習。これを探求と呼んでいます。大学で言えば,普通の広義で行っているようなことは習得なんですね。ある知識・技能を身に付ける。既存の知識・技能をしっかり身に付ける。それを先生がただ説明するだけではなくて,そこにも問題解決や討論の要素がある。特に理解深化課題ですね。それを通して習得する。
探求のときの問題解決と何が違うかといいますと,理解深化課題の場合はその課題を決めているのは先生なんですね。先ほどので言えば,先生が円と面積の問題を出していました。どっちのピザが大きいでしょうとかですね。あと,私の代案というのもそうです。つとむ君の考え方を説明しましょう。これはもちろん子どもたち一生懸命考えて討論したりしているわけですが,課題を与えているのは実は先生です。きょうの習得目標に照らしてこの課題をすることがそれに一番適切であろうということで,先生が選んで持ってきている。それを理解深化課題における問題解決と呼んでいます。
探求の方は子供自身が課題設定,計画,実施,考察,最後は発表討論というようなところまで持っていく。こういうことをやってほしい。学校で言えば,今総合的な学習の時間というのは,まさにそういうことをやってほしい。各教科の中でも各教科の内容に即したこういう探求的な学習も入れてほしいというのが,一応私の言葉の使い方です。中教審や学習指導要領の言葉遣いともそんなに齟齬はないと思っております。一つは私の方から補足です。
【天笠主査代理】  どうも。私の方から学習指導要領の趣旨を伝えるという,こういうことですね。このことは大変必要なことだと思います。ただ,そこである意味で止まっているというんでしょうか。というのが多くの実情なのかな。また,学校も先生方もそれをもって学習指導要領を受け止めた,理解したというのが,大体一般的な関係というんでしょうか,送り出す側と受け止める側という,こういうことですから。ですから,時には学習指導要領に示された語句の意味とか定義をめぐってやりとりするとか,そういうことがあるんですけれども,それはいかに受け止めるかという,そういう現場の立場ですね。というところのそれでありますので,豊かというところまではなかなか行きづらいところがというのは,その場合の豊かというのは,そこから発展的に物事を捉えたりですとか。というならば,ある意味で言うと,学習指導要領の現場における実践的な研究というんでしょうか。ということがそこでということですけれども,私のこれまでの経験からしますと,研究開発学校で先生方とお会いして,研究開発学校の中身をやりとりしたときに,言うならば学習指導要領をその中で多面的に読み取ったりですとか,研究したりというふうな,そういう姿というのは,そこで現れることが時々というか,ままあるわけなんですね。要するに,研究開発の場合ですと,その学習指導要領をどういうふうにそもそも読み取ったらいいかから始まって,どういうふうに動かしていったらいいかから,さらには次に,場合によっては新しい教科の始まりがとか,教育課程全体を見詰めるとか,そのプロセス自体が実は学習指導要領を捉えていく,そこの耕しているとか,豊かさにつながっていくような,そういう先生方の学習支援に対する物の見方,考え方を深めるような場面になっていくということに折々出会うことがありましてね。ですから,そういう意味で言うと,伝えるということの必要性と大切さはこれまでと同時にあるにして,さらにそれをどういうふうに受け止めるかというと,先ほど申し上げたカリキュラム・マネジメントというあたりのところの内的な中身をより豊かにしていくなんていうことが一つの方向性としてあるのかなというふうに個人的には思っております。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。それでは吉田委員,そして小川委員の順でお願いします。
【吉田委員】  先ほど主査からもありましたけれども,論点の方ですね。資料1のところに,特にこれからの時代に求められる資質・能力というところで意見が幾つか載っていたと思うんですが,その点について,英語教育に携わっている方の立場から少し皆さんの御意見を伺いたいというふうに思います。
この意見の中にできるだけ早い時期から外国語,特に英語には触れさせる必要があるというような御意見であるとか,多様性ということを考えたときには外国語の教育は非常に大切であるということが述べられているわけですけれども,私たちはちょうど2013年12月ですか。文部科学省の方から出されましたグローバル化に対応した英語教育改革実施計画というものをベースに英語教育の在り方に関する有識者会議というものを開いていろいろ議論させていただきました。その実施計画の中で,文部科学省の方から一つは英語の導入時期を現在の5,6年生から3,4年生,中学年まで引き下ろしましょうという話がありましたし,それから5年生から教科化していこうというような話になっております。
それについては有識者会議の中でもいろいろ議論させていただきましたが,一つの大きな問題点として,最初の方でもお話に出ましたけれども,今後小学校において,低学年,中学年から英語を入れた場合にどれだけの時間数,それに割けるのかというのは非常に大きな問題になりますね。さらに教科化されていくということで,果たしてどれくらいの時間がとれるのか。全体の中での話になると思いますので,その点について皆さんの御意見を聞きたいと思うんですね。
一応,今のところ私たちは今までこの実施計画の中で示されているものとして受け止めているのが3,4年生の外国語活動,英語はまだ1から2時間ぐらいはやった方がいいだろう。それぐらい必要だろう。なれ親しみですから,それぐらいで済むかもしれませんが,問題は,じゃ,5,6年生で教科になったときに1,2時間でいいのかという問題ですね。実施計画の中ではできれば3時間というような,そういうような意見も出ているわけです。確かに中学校から完全に教科としてやっているわけですから,それにつなげていく上でも余り時数が1時間とか2時間──1時間ではとてもつながりが悪いだろうというふうに思いますので,その点,2時間,あるいは3時間,それが果たして本当にとれるものなのかどうかですね。ほかの教科のいろいろな御事情もあるかと思いますので,ここで皆さんの御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
【羽入主査】  ありがとうございます。その議論をというふうに申し上げてもよろしいんですけれども,先ほど私,順番で次に小川委員,それから神長委員,平川委員,松川委員という順番でお願いをまずしたら,できればと思います。その御発言の中で今吉田委員がおっしゃったことについて触れていただいても結構かと思います。小川委員,お願いします。
【小川委員】  ありがとうございます。市川委員の御発表の方,大変興味深く聞かせていただきました。私も自分で学べる児童を育成するということはすごく大切だというふうに思っていますし,習得のサイクルの中に予習という活動が入ってくるということも大変興味深く思っております。その中に,先生にお聞かせいただきたいのですけれども,教えて考える授業の展開状況が今のところ小学校の方が6割というような形でございますけれども,予習という活動はどちらかと言えば中学校とか,小学校といっても高学年ぐらいからフィットするのかなというような感覚として持っております。そのあたりのところについてお考えを。また,教科で算数が7割ということなんですけど,このあたりは教科によるそういった効果みたいなものがあるのかどうかといったこと。
あともう一点は,導入校の変化ということで様々なことが示されてありますけれども,ここに至るまでのいろいろな過程で御苦労があったこととか,工夫されたこととか,先生方が乗り越えてこられたこととか,そういったこと,もし具体的なものがあればお聞かせいただきたいと思います。よろしくお願いします。
【羽入主査】  市川委員,どうぞお願いいたします。
【市川委員】  御質問ありがとうございます。まず予習についてですけれども,これは先生おっしゃるとおり,小学校1年生,2年生から予習ということは,私はもともとあまり考えていませんでした。そもそも教えて考えさせる授業というのは,私はどちらかというと,中学校,高校向け。小学校の高学年から中高くらい向けと思って提案したものです。予習とか,先生が今教えてくれたこと,ペアになって説明し合ってみましょうとか,自己評価で今日分かったこと,分からないことを書きましょうとか,相当高度な言語活動を求めています。こういうことができるのは小学校高学年くらいから中高かなと思っていたんですが,実際にこれを提案してから小学校でなさるところが非常に多いですよね。私も,小学校ではやめた方がいいですとは言えなくて,実践を見ていますと,非常にいい実践も出てきたというのが実感です。
ただ,予習については小学校3,4年から徐々に簡単なものが入って,5,6年から今ビデオでありましたように,予習段階で分かったこと,分からないことをさっとメモしてくるとか,一番簡単なのは,よく分からなかったところ,教科書を読んでも分からないところに付せんを張ってから授業に出ましょうぐらいの簡単なことでいいと思っています。中高でも予習は10分でもいいんだと。でも,手ぶらで授業に出るよりは,大体のことが分かって,あとここが分からなかったということをはっきりさせるのが予習の目的というので,余りヘビーなことを求めていません。その点で,反転授業と似ているのかとよく言われますが,反転授業ほどヘビーなものを求めているわけではありません。知識は家で得ていらっしゃいなどというつもりはありません。むしろ,分からなかったことをはっきりさせて,授業に臨んでほしいということくらいです。
それから,小学校で多い。算数が多いということも連動していますが,算数というのは,習得目標が非常にはっきりしている教科なんですね。この時間ではこの2ページのことを学んでほしい。習得の授業として教えて考えさせる授業が提案されていますので,習得目標がはっきりしているものほどやりやすいです。そのためには何を教えたらいいかということがはっきりしているものがやりやすい。そういう意味では私はやりやすいのは実技教科の基礎基本の習得。例えば体育で言うとマット運動とか,音楽で言うと縦笛の吹き方とか,こういうものと数学,理科がやりやすいと思っています。国語とか社会になってくると,少しやりにくい面が出てくると。そういう意味では小学校では算数をテーマとするということも割と学校全体が取り組めるんですね。中高になりますと,いろいろな教科で取り組んでいくというのはなかなか合意がとりにくいということもあって,小学校で非常に多い。でも,私は,本当は中学校,高校でと思っています。
ちなみに,さっき言い忘れたんですが,中学校でこれをやってみて,子供たちがどういうふうに教えて考えさせる授業を評価しているということがこの後の資料に付いています。これは中学生です。小学校のときにはこういう授業をやっていなかったけれども,中学校でこういう授業を受けてどう思ったか。生徒たちは相当肯定的です。この授業の仕方の方がずっと授業もよく分かるし,理解深化でかなりチャレンジングな問題も取り組めるということで,非常に肯定的なんですが,これもあくまでもうまくいっている学校です。
こうなるまでの苦労というのはちょっと簡単には説明し切れないんですが,初めは趣旨が伝わりにくい。教えて考えさせる授業という言葉に抵抗があって,教え込みに戻るのかと言われたり,それから,逆にそんなことはずっとやっていますよと。よく高校などでも言われることがあります。要するに,教える場面と考えさせる場面があればいいんでしょうと。そうすると,先生がわっと説明して,その後,じゃこの問題を解きましょうと言って考えさせている。みんな黙々と解いている。これでも教えて考えさせる授業になっていると誤解されてしまう。実際には先生が説明した後の理解確認など全く入ってない。生徒たちは,先生が何を言っているかよく分からないまま,問題を解きましょうというところに入ってしまう。それから,授業が終わった後の授業評価ですね。自己評価です。今日の授業で自分が分かったことは何か。まだよく分からないことは何か。これを考えることがまさにメタ認知なんですが,自分の理解状態を自分で診断するというようなことが入っている高校の授業というのは残念ながら,まずない。そういうことを考える活動の中で入れてほしいのですということが伝わりにくい。
それから,協同学習を入れることは私は非常に大事だと思っているんですが,協同学習,これは地域により,校種によりかなり抵抗があるところもあります。今,かなり協同学習が大事だと言われていますが,そんなことをやると時間がむだになるとか言われてしまったり,資質・能力という点から言っても,協同学習がうまく入っていくといいんだと。だからといって協同学習ばかりではだめ。このあたりのバランスのとり方というのが非常に難しい。1時間の授業の中,若しくは2時間でもいいと思うんですが,この4段階をどう入れていくかということで,先生は,最初1年くらいは結構試行錯誤なさるようです。
【羽入主査】  ありがとうございます。それでは神長委員。
【神長委員】  ありがとうございます。私は,先ほどの3人の先生のお話と,また論点,1-1の資料の項目と関連させながら話をしたいと思います。1-1の資料ですと主に7ページの発達段階や成長過程のつながりというところとの関連でお話ししたいと思っております。
大変興味深く話を伺いました。ありがとうございます。改めて,話を伺いながら,幼児期から一貫した形で学ぶ力をしっかり育てていくことの大切さということを幼児教育の立場から感じたというところが大きなところです。そのとき二つの視点が大事かなというふうに思っております。一つは,それぞれの学校段階で,また,発達段階ですけれども,身に付けていくべきこと。幼児期の場合ですと,育てていくべきこと,経験させていくべきことということをしっかりと見通したカリキュラムを持つ,教育課程を持ち,それを実践していく。そういう力を持って教育に当たることが大事かなというふうに思っております。
先ほどの映像の中で,市川先生の御発表の中で,なるほど,そうだねという子供たちの言葉や先生の言葉などを伺っておりますと,幼児期の場合には,幼稚園の場合には本当に生活の身近なところでなるほど,そうだねと子供が分かった,やったという,遊びの中ですから,本当に生活の中にあること,ささいなことなんですけれども,砂遊び一つとってもその中に体験することなんですけれども,そういう中で未知なる世界に向かう力といいますか,それを自分の世界に取り込んだときの充実感というものをしっかり味わうということは大事ですし,それをしっかりと先生方は指導の見通し,教育の計画の中にしっかり位置付けていきながら,修了までに一人一人に力を付けていくということに責任を負わなくてはいけないというふうに思います。そういう意味で,幼児期の場合に見えない教育で分かりづらいところがありますけれども,育てるべきことということをしっかりと見通していかなくてはいけないなというふうに思っております。
同時に,そのときにこの時期ですと,今まさに小学校入学するこの時期ですと,ランドセルをしょって,わくわく,どきどきしながら,小学校の門をくぐる子供たちがいるわけですけれども,子供たちは,小学生になるということは,子供たちにとってみると世界が広がることですから,うれしいことで,自然にわくわく,どきどきしながらそこの中に入っていくわけですけれども,先ほどの話と関連するんですけれども,そこに学ぶ喜びということをしっかりと体験できるためには,先生や友達と一緒に活動することが楽しいとか,そこで自分の意見を発表して,それを受け入れてもらい,相手の意見を聞きながら,また自分なりに考えを深めていくという,そういうことをこれまでのいわゆる幼児期の学校教育の中で体験していくということはとても大事で,学ぶ喜びということと,身に付ける力というものがいつもセットでないと,せっかくわくわく,どきどきしながら義務教育の中に入っていっても,子供たちがそこでもう一度,さらに大きく力を発揮することができないのではないかなというふうに思うわけですね。
そのためにもう一つの点なんですけれども,保護者といいますか,家庭との連携というのは非常に大事だなというふうに思います。3歳,4歳の生活の中で,子供たちは自然に力を付けていくところはあるんですけれども,4歳から5歳,5歳から1年生というステップアップしていくときに,保護者の方がとても不安になることがたくさんあります。そういう意味では,子供たちが今身に付けようとしている力に対して,しっかり理解しながら,一緒に育つことを支える,そういう関係をいかに家庭との連携という形で作っていくかということは幼児期の課題かなというふうに思っております。特に幼児期の学校教育の場合には,今認定こども園等,幅広く多様化して,幼稚園だけではなく,認定こども園,さらにはその先には保育園ということもありますので,そういう意味では多様化する中で保護者をしっかり育てていくということを幼児期の学校教育の中では考えていかなくてはいけないのではないかなというふうに考えております。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,平川委員。
【平川委員】  平川でございます。ありがとうございます。本日の議題は初等中等教育の教育課程全体を通じた観点から改革が必要な事項についてということですので,それに絞らせてお話しさせていただきます。品川委員の方から非常に興味深い御提案をいただきまして,特に4の部分のこの会議でのテーマではなく,チャレンジ的でもあるがというところが非常に私も賛同させていただきます。子供が選べるというような状況を作っていかないと,幾ら内容をここでお話ししたところで実現できません。
このたび私は市ヶ尾中学校から中川西中学校という中学校に異動いたしました。生徒数1,072人。この中で,市ヶ尾中学校は600人だったんですけれども,不登校が15人ぐらい,私が着任したときいましたが,出てくるとき,ゼロにいたしました。また今度,中川西中学校で30人おります。特に多い方ではありません。横浜市の不登校率が3.2%と言われていますので,多い方ではないんですけど,30人もいるのかと。それから,特別な支援を配慮する生徒が,きのう,研修がありましたけど,100人以上います。これが現実でございます。そうしますと,幾ら内容を議論したところで,ここの選べるニーズ,子供の学び方であるとか,学ぶペースというのを保障する。到達事項は決めても,そこを制度化するとか,システム的にどうにかしていかないと,制度疲労を起こしているというふうに現場では感じております。
それからもう一つ,アクティブ・ラーニングということでございますが,教員を育てるためにはやはり時間の確保が必要でして,部活動,ここを何とか解決していただきたい。OECDの方で世界一忙しいのは中学校の教員というふうに出ましたので,そこを解決するとか,考えていかないとどうしようもありませんので,ここの部分,何が課題ですか,何が解決するのに必要ですかと言われたら,この二つを提案させていただきたいと思います。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。それでは松川委員。
【松川委員】  岐阜県教育委員会の松川でございます。冒頭の座長の今後のスケジュールから言えば後の各論の部分,義務教育段階のところで発言すべきかと思いますけれども,先ほどの吉田委員の御発言を受けて,特に本日の資料ですと7ページですか。6から7の今後これからの時代に求められる資質・能力の中の英語の能力について,少し発言させていただきたいというふうに思っております。
母語でのコミュニケーション能力に加えて,外国語でのコミュニケーション能力が必要だということは異論はないというふうに思います。その中で,7ページの上の方に3つほどポツがありまして,まとめが出ておりますけれども,今日は時間もありませんので,論点を小学校の高学年における英語の教科化ということだけに絞って発言をさせていただきたいと思います。
御承知のように,平成23年から現行の指導要領で高学年など外国語活動というのが必修になって,4年たったわけです。御承知のように,それ以前に総合的な学習の時間の中でやるところはやっていたということもありますので,やっているところは15年近く,いろいろな形でやっている学校があるということでございます。ですが,必修という形になったのはここ4年です。これについては,全国的な4年間の成果と課題について,いずれどこかでまとめて報告していただければ幸いだと思うんですが,岐阜県の状況をざっと見ておりますと,こんなことが言えるのではないかというふうに思っております。その子たちが中学校に入っているわけですけれども,いい点と悪い点があるわけです。小学校の外国語活動を経験してきて,積極的に英語でコミュニケーションしようという態度は育っていると。今までの中学生よりも意欲的に話したりするようになっているということは,指摘される中学校の先生は多いです。しかしながら,小学校段階の外国語活動と中学校の英語教育にギャップがあることは確かでありまして,子供に聞くと,小学校のときにもう少し読むこと,書くことを教えてもらいたかったというような意見もあるわけでございます。
今現実に5,6年で外国語活動というのは体験型でやっておりますけれども,高学年の知的なレベルからすると,体験的な学習だけでは物足りないと。7ページの一番上のポツにもありますけれども,やっぱり国語教育と,外国語教育との関連というか,外国語を学ぶことによって言葉全体に対する気付きとか,そういうものが出てくるわけです。それに応えるような内容を,文字指導も含めて小学校の高学年で系統的な英語教育の学習をやるべき段階に来ているのではないかというふうに私は思っております。そういう意味では,体験型の学習ではなくて,系統的な学習をする教科型に持っていくべきだというふうに思っております。
ただ,問題は,先ほど吉田委員もおっしゃいましたけれども,今まで1コマでやっているものを一気に3コマにすることができるかどうかということが大きな課題だろうというふうに思っております。先ほど天笠委員もおっしゃいましたけれども,期待される教育内容とか,指導方法というのはあるわけですけれども,一方で,それを実現するための条件整備,小学校の教員の陣容とか,実際の英語の免許の保有率等々を見ると,高学年で3コマの教科型を今の陣容でやるというのは,実際問題として私は厳しいなというふうに思っております。
ですから,仮に教科型を2コマにしろ,やるにつけても,教材ですね。紙の教科書以外の音声教材も含めたかなりの教材を国の方で用意する必要があると思いますし,それから,教員の養成段階から小学校教員の養成から研修,学校全体での支援体制など,条件整備があった上でないと,期待は大きいんですけれども,実際やってみると,なかなか成果が上がらないということになるのではないかというふうに思っております。ですので,今後の各論の議論の中で,やっぱりこれまでやってきたことから,一足飛びに変わったものはできないわけでして,これまでの外国語活動の取組,それから,先進的な事例,それから今,英語教育強化地域拠点授業というのをやっているはずですけれども,そこのところの成果,課題というのを報告していただいて,それを踏まえた議論をしていくことが必要だというふうに考えております。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。先ほど吉田委員からも御提案がありました委員の方々の御意見をこの点について伺いたいということでございました。今7名の委員の方の札が上がっていますが,8名になりましたが,その中で今の点に関しての御発言がおありの方を先に。髙木委員,お願いします。
【髙木委員】  皆様の机上に学習指導要領があるので,ちょっと御覧いただけますか。小学校の10ページと中学校の12ページです。今まさに私,松川委員の言われたことというのは非常によく分かるので,理念と現実のすり合わせ,外国語教育というのは,これからグローバル化の中で大変大事だと思っております。実は,何時間という話になりますと,総枠の問題が出てきておりまして,小学校ですと,1週間に大体28時間,1日6時間やって,5日やると,月曜日から金曜日までで30時間で,幾つかの学校へ伺って,先生方に1週間30時間になったらどうですかといったら,とてもじゃないけどやっていけないと。今の28でぎりぎりだという話も出ている。そうすると,ここを御覧いただけると,35で割っていくと,全部週当たりの時間数が見えるんですが,小学校だけで見ていると多い教科,少ない教科,例えば中学校へ行きますと,例えば国語より英語の方が時間数は多いんですね。母語の教育よりも外国語の教育が多く,今日本はなっています。そういうことに対してもどうなのかということをトータルに見ていきませんと,これからの子供たちに必要な,先ほど最初に品川委員がグローバル化とか,インクルーシブ化ということ,そういうことも含めながら,全体像の中で,それぞれの教科の枠組みを,例えば小学校,中学校,中等教育で言うと高等学校の必履修の時間も含めて,これはバランスを考えない限り何時間だという議論だけでは済まない。ということは,今後これからここの議論を深めながら,どういった人材の育成とか子供たちの未来を作る学力を作っていくかということをきちんとこのところで示して考えてまいりたいと思います。各論が先にどうしてもあると。ただし,繰り返しますが,各論で言えば,この時間数というのがあるんだという現状を踏まえながら,理念を考えてまいりたいというふうに思っております。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。ほかに名札を立てていらっしゃる方で,今の点で。荒瀬委員,どうぞ。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。じゃ,英語に関してのみ。誤解を招くようなことを申し上げるかもしれませんが,子供たちの英語力を上げていこうとしたら,学校教育の時間数だけの問題ではなかなか補い切れないところがあると思います。じゃ,英会話教室に行くとか,塾に行くとかいうふうなことではなくて,高等学校での話ですが,英語の時間だけが英語の活用の時間ではなくて,例えば前から申し上げているんですけれども,数学の授業ですとか,理科の授業ですとか,他の教科,もっと言えば国語の授業だって,言語という点では外国語を使うということは当然あるわけで,現に漢文をやるときには中国語を一定教えているような授業も現実にはありますから。だから,様々な形で英語を習得していく。しかも,早い段階から英語になれ親しんで英語を使うことが怖くないといいますか,少々文法的に間違っていてもどんどん英語を使っていくということをしていくことが大切ではないかと思っています。
私が知っている高等学校なんかでは,複数ありますけれども,今日は1日英語の日と決めて,それぞれの教科の全てが英語,オールイングリッシュにはならないですけれども,しかし,相当各教科の担当が英語を使うことを考える。その際,当然ブロークンでありますけれども,かつまた,生徒たちも友達同士の会話も可能な限り英語を使う。そういったこと,日本語と英語が行き来している状態ということを作り上げていくというのも大切ではないか。このあたりは,多分天笠先生のおっしゃったカリキュラム・マネジメントと直接つながるかどうか分からないですけれども,恐らくそういったことも含めたカリキュラム・マネジメントをしていくということが大事ではないか。もちろん時間数をどうしていくかというのは非常に重要な問題だと思いますが,そういったことも英語教育という点では大事な気がいたします。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。今の点に関連して。では,吉田委員から一度。それで品川委員もそれに関連してでしょうか。清水,品川委員ということでお願いします。
【吉田委員】  どうもありがとうございます。今,荒瀬委員がおっしゃった,そのとおりだと思います。今回の有識者会議の報告書の中にも書いてあるんですけれども,小学校においても,中学校においても,他教科との関連について書いていますし,さらに生徒たちの実際の生活場面というものを教材化していくという。そこの中でいかに英語を使っていく場面を増やしていくかということを明確に書いてございます。ですから,そういう意味で言うと,先ほど天笠委員がおっしゃったカリキュラム・マネジメントの内容の部分というので,他教科との関連性を持っていくというのはそのとおり,大切な部分だと思いますし,私たちの分野ではCLILという内容言語統合型学習というので,既に小中高でも,大学でも多少始めているんですね。ですから,おっしゃったとおり,単なる時間数の問題では決してないと思いますが,ただ,時間がないと定着になかなかつながらないですね。そこのところだけはやはりきちんとある程度確保する必要があるというふうに思っております。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,清水委員,お待たせいたしました。
【清水委員】  よろしくお願いします。先ほど髙木委員の方からも時間についてのお話もありましたが,今学校現場としては実際に教えなければならないことが余りにも多く存在しているというのは間違いない事実かなと思います。この求められる内容を限られた時間の中でどう落とし込めるかということをしっかり議論していかないと,どんな教育課程が出来上がっていっても絵にかいたもちになってしまうのではないかなというところを非常に危惧しているところです。
また,良い先生としてよく取り上げられるのは,いろいろなことを教えてくれる先生というようなことも挙げられることがあるかもしれませんが,今の活動を多く見ていると教員が教え過ぎてしまっていて,子供たちが考えようとする時間を奪ってしまっている傾向にもあるのではないかなというふうにも考えられます。そういった観点からも,先ほど市川委員の方から,教えて考える授業ということでいろいろ御提案もいただいておりますけれども,子供たちにそういった考える時間をどう与えられるか。限られた時間の中で,どういうふうな教育活動をしていくのかということ,さらにアクティブ・ラーニングということもありますので,そういった観点からもいろいろ議論が必要なのではないかなというふうに考えております。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,品川委員の後に札を上げていただいた順番で,牧田委員,山口委員,無藤委員,池野委員の順番で行きたいと思います。よろしくお願いします。
【品川委員】  1点だけ先ほどの吉田先生の英語の件なんですが,現状の学習指導要領もそうなんですけれども,先ほど私が自分の発表のときに学習レディネスというお話をさせていただいたんですが,特に英語の場合,音素の理解がないと,どれだけ英語をやっても当然定着はせず,音素の理解がなければ読めても書けないということが出てくるわけですから,実はなれ親しむ,音のシャワー,言葉のシャワーを浴びるのは当然大事なんですが,早い段階で英語で落ちこぼす子供を作らないためには,実はタヌキの頭の音は「タ」ではなくて,「t」という音だということが理解できるような教育を小学校の段階からしていかないと,どうしても中学校になってやっぱり英語は苦手だということが出てくる。ということで,音素の理解とかという点をしっかりと書き込んでいくということが中学校段階への英語の教育にはつながるかなと。私は,言うまでもないですが,それは是非書き入れていただきたいなと思って,申し入れました。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,牧田委員。
【牧田委員】  ありがとうございます。カリキュラム・マネジメントの観点から少しお話しさせていただきたいと思います。天笠委員の方からまとめていただきまして,私も少しすっきりしてきたところでございます。ところが,実態としてはカリキュラムといったときに,与えられるものと考えている教員が非常に多くて,指導要領は決まっているんだけど,カリキュラムは各学校で決めていけばいい。あるいは一人一人の教員が作っていけばいいという感覚が余りなくて,その辺を少し確認しておきたいなと思うんですね。したがって,与えられるものという観点で授業をしている教員は教科書をそのまま進めてしまう。例えば極端な例を言うと,今日1日,2ページなり,3ページなりを本日のノルマとして進めていってしまうというようなことになりますと,どうしても内容中心の授業から抜けられないということになります。
ところが,私,授業を見ていて,これはすばらしい授業だなと。何で判断するかといいますと,授業の時間が終わったときの子供の瞬間の顔なんですね。チャイムが鳴ったときに,先生が終わりましょうといっても,なおかつどんどんやめないで隣の子供たちと話をしたり,自分で次は何をしたいというようなことを言いながら,休み時間でも前の授業のことを引きずっている。こんな授業は物すごく豊かな授業で,実際そういう授業は行われています。それは何を重視しているかというと,授業と授業のつながりなんですね。すなわち1時間,1時間,均質な授業を重ねていくというのではなくて,単元全体をその先生がコーディネートしていると。単元全体を通じて,次はどんなことを考えていくのかということを子供自身が考えられるような仕立てをしていっていると。そういうことをしていくのがカリキュラム・マネジメントのまず第一歩ではないかと思うんですね。そのために軽重を付けたカリキュラム,めり張りを付けたカリキュラムというのが必要になると思います。
そこで,先ほども話が出ましたが,例えば協働学習なんかを入れると,そこで時間をとってしまって,ちゃんと伝えるべきことが伝えられないなんていう心配ももしかしたらあるかもしれないんですけれども,単元全体を通じて,今この場では十分時間をとって議論すべき,ここのところはさっさと進めていけばいいというようなマネジメントが必要ではないかと思います。実際,これも私の経験上,非常にうまくいった例というのは,単元の最初の部分にすごく時間が掛かる。いろいろな頭出しをして,いろいろな課題を子供たちが出して,それをじゃ,どこから料理していこうかと。子供たちの本当の課題になって子供の課題になるまでが少し時間が掛かるんですが,子供の課題になったら,それはどんどんあとは加速度的に授業が進められていきます。そういうふうなことが,私は軽重を付けた授業じゃないかと思いまして,カリキュラム・マネジメントの重要な視点だと思うわけです。
そうしますと,それを教科の話だけでとどまらず,学校全体でその学校は何を大事にしているのかという先ほどの校内研修で何を語るかということにつながってきまして,学校全体が活性化してくるということになります。また,こういうふうにつながりが重視された授業ですと,子供たちが単元全体を通して再生することが可能になります。この単元で何と何がつながってこうなって,誰々の発言からこうなって,あのとき先生がこんな資料を出したから,こういう結論が生まれたというストーリー性が生まれてきますと,言語活動にもつながりますが,子供たちがレポートにまとめていって,学ぶ意味を実感するということにもつながります。したがって,カリキュラム・マネジメントを校内でしっかりやっていくということが,これからの資質能力を育成するという視点に立つと非常に重要な点であると私は考えております。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,山口委員,お願いいたします。
【山口委員】  もう時間が12時半ですけど,大丈夫でしょうか。
【羽入主査】  今日は大体12時25分ぐらいまでディスカッションできればと思います。
【山口委員】  分かりました。少し総論的な話になってしまうかと思うんですけれども,初等中等教育というところで,育成すべき資質・能力といったときに,ここに「個々の」というのが多分付くはずだと思うんですね。全体のアベレージを上げていくということもあると思うんですけれども,個々の持っている資質・能力をいかに高めていくか。そういった意味で言うと,考えさせるとか,グループワークであるとか,いろいろなことがあるんですが,能力別といいますか,レベルに応じてどのようにクラスを作っていくかとか,主張していくかということが子供たちのモチベーションには非常に大きいと思います。特に幼児教育との関連もあると思うんですけれども,早いお子さんは幼児教育の時点から英語をされていたり,読み書きをしたりとか,そこで進んでいる子もいるんですね。その子が小学校に上がったときに,もう一回1からやらされたときに,その子はモチベーションが持てるか。逆に下げて,ならされていってしまうんですね。これは運動も同じです。ひとりでも進んでできる子が同じようにやりなさいと言われることは,その子にとっては苦痛なことであって,楽しいということではないんですね。ですから,日本の教育が今ここで少し踏み込んで考えなければいけないのは,それぞれの持っている能力をどう生かしていくかという。平等とか,そういった観点に立つと能力別ってなかなか言いづらいんですけれども。エリートという言葉も日本人は嫌いです。でも,やはりそこを少し考えないと,本当の意味で考えるといっても,同じグループでも温度差があるとどうしても置いていかれる子というのが出てきますね。そういうことを考えていく必要があるなと思います。
それから,私はスポーツの専門ですので,そういった立場から言わせていただきますと,例えばスポーツでもそうです。突出した能力を持っている子というのはいます。学力でも同じだと思います。その子たちを伸ばしていくということが大事な反面,その子たちが親もそうです。教員もそうです。突出した能力に甘んじて,ほかのことをスポイルしているという傾向も否めません。運動ができれば全て許される。勉強も同じです。親はほかの部分で足りないところがあっても,この子は勉強はすごくできるから,あとは見ないことにしようと。それが後々の問題行動といっては何ですけれども,いろいろな問題を,学ぶべきところで学べなかった。それは子供たちの責任ではなくて,親や教師や学校がそこに目を向けなかった責任も多いと思いますし,これからは余計にそういったことが加速していくような気がします。
IT化が進んでバーチャルな世界になっていきます。そこで私たち運動といいますか,体育だったり,スポーツの一つ示せるところは,分かるということとできるということの違いです。人間は頭で理解したことが全てできるわけじゃないですね。それは例えば頭がとてもよくて,理解はできるんだけれども,体で示せますかといったらできない。そこで限界を感じる。今子供たちの世界で怖いのは,限界がなくなっていることですね。何でもバーチャルな世界で,これができるんじゃないか,こうしてみたらおもしろいんじゃないか。でも,それは人間が踏み込めない世界がありますし,そこの兼ね合いをとってくれるのが体育であり,スポーツ,体を動かすということなんじゃないかなというふうに私は考えています。
ですから,運動のできる子も突出した──運動だけじゃありません。勉強もそうです。突出した能力を持っている子が,初等中等教育でやらなければいけないことは,できないことへの挑戦だと思っているんですね。できることだけを評価するのではなくて,できないことに取り組むこと。ですから,将来的に考えると,突出した能力を持って,小さい頃に非常に評価が高かった人間ほど大人になってつまずく子が多いです。今まで褒められたことしかない。できる,できる,神童と言われてきた。でも,大人になったら違うところで評価されて。ですから,そういった意味で,小学校,中学校のときに教員であったり,学校といったところが,幅広い教科を学ばせることの意味というところを踏まえておく必要があるかなと思います。ちょっと総論的な話になって申し訳ありません。
【羽入主査】  ありがとうございました。荒瀬委員は先ほど一部分だけ御発言になりましたが,どうぞほかの。
【荒瀬委員】  申し訳ありません。ありがとうございます。3人の方の発表,本当に私も大変勉強になりました。とりわけ大変僣越ながら,市川先生の習得と探求につきましては大賛成でございます。実際にそういう形で具体的にやりたいと思って高等学校でやってきたという経緯もありまして,大賛成であります。
予習につきましてもおっしゃいましたけれども,ヘビーでなくてもよいということもこれも大賛成でありまして,分かったと思うところと分からないと思うところが,それだけが分かればそれで十分授業には主体的に参加できるようになると思います。私は,高等学校で,30分でできる予習法というのを言ってきましたけれども,一度も見ないんじゃなくて,一度だけ見たらそれで済む。問題を解かなくていいということも言ってまいりました。そういう点で非常に勉強になりました。
先ほど吉田委員のところで申し上げたんですけれども,実は平成20年の中教審答申のときに,英語教育を入れるというのは大変賛否が分かれる議論になりました。そのときに,私は私なりにどう理解したかといいますと,幅広く言語教育をしていくのだという観点が,これが大切だということを思いました。じゃ,具体的にALTをどうするのかといったようなこともありまして,予算の関係もありますので。しかし,あのときから言語教育をどのような形でしていくのかというのがスタートしたはずですので,そういった観点で今後も新たな教育課程については議論していくべきだということを思います。
一番言いたいのは,このペーパーの資料1の13ページから14ページにかけて,最後の部分でありますけれども,教員のことです。これは多分カリキュラム・マネジメントと深く関わるところだと思うんですが,私は,高大接続に関して,大学入試が変わっていくということで,幾つかの場面でお話をさせていただく機会を得まして,そこでお話をして,高校の先生方に申し上げているのは,是非お考えを外に出していただきたい。議論して外に出していただきたいということを申し上げ続けています。ところが,まじめに聞いてくださった先生方に限って,どこに出せばいいのですかという御質問が返ってきます。恐らく校内的にも,高等学校内において,大学入試が大きく変わろうとしているということに対して,不安ばかりがあって,具体的にこのように変えていったらいいのではないかというふうな提案をしてくださいということを申し上げても,そういったことを言える場面がないということもおっしゃいます。
ですから,一つには情報がきちっと入っていないということと,もう一つには情報が入って,それをどのように自分なりに理解して自分の言葉で再構築して,そして,ほかの人と話し合うかという,まさに私たちが教育課程で求めているような,その場面が高等学校の教員の世界にはなかなか生まれていないのではないかという,もしそれが事実であれば大変なことでありますけれども,そういった危惧を持つ次第です。
かつまた,総合的な学習の時間というのをいろいろな大学の大学生によく聞くんですけれども,総合的な学習の時間をやってきましたかと聞きますと,やっていないと答える学生が非常に多いという。どこまで認識しているかは別といたしまして,非常に多いというのも,私が聞いた範囲では事実です。そういった学生にさらにこんなことをしてなかったとか,例えば教科とは関わらなくて,自分たちでこんな問題があるねということに気付いて,自分たちで調べてみるとか,あるいはまた,学校の方で用意された課題に対して取り組むといったようなことをやってきたかと聞くと,そういったことをしてないということを,少なくとも記憶には残っていない。思い出としても残っていないというふうなことを言う学生が多いという事実があります。
これらを考えますと,せっかく教育課程を作っても,先ほどの天笠先生の,学習指導要領を豊かに読み取るというふうな言葉に至るそれ以前の問題として,そもそもが学習指導要領が何を目指して書かれているのかということの最低限の範囲の理解というのがされていても,現実問題教科書であるとか,教科書の問題,前回も私,申し上げましたけれども,実は教科書よりも問題集だったりして,そういったところで授業の内容が決まっていっているとしたら,これはやはり大きな問題でありますので,それを具体的に学びを子供たちのためにどのように具体化していくかということを今後の議論の中では考えていかなければならないのではないかと思う次第であります。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,続けて無藤委員。
【無藤教育課程部会長】  私,最初に事務方の方で整理して,整理というんですかね。案の案ぐらいなんだと思いますけれども,それについてのちょっと意見というか,感想です。
全体として,多分,この部会に課せられたことというのは,最終的に学習指導要領の在り方についての基本的な枠組みの提言だと思うんですが,そういう意味で言うと,当初からの課せられた使命の中にありましたが,結局,大きく言えば三つのパートなんだと思います。1番目は資質・能力の考えに基づく学力の在り方で,2番目は方法,指導,あるいは学習の方法の在り方について。そして3番目がカリキュラム・マネジメントということなんだろうと思います。特に3番目のカリキュラム・マネジメントというのは,これから特に学校単位のカリキュラム作り,そして,学校において様々な学習指導要領や教科書を含めたリソースを活用して,カリキュラム,学習指導要領を具体化していただくために不可欠な部分だと。これは非常に大きな意義があると思います。
最初の学力の面というのは,私,前回発表させていただいたのの補足になりますけれども,その折にも申し上げましたが,学力の三要素として知識技能,思考,学習する態度と,大ざっぱに言えばそうなるわけです。大事なことは,それらの間のつながりを十分付けていくことだと思います。そうすると,例えば知識技能の部分というのは,教科の中身,中核的な部分の間のつながりを付ける知識のネットワーク化というのが課題になってくると思います。また,思考については表現し,対話することを通してより自覚的に学ぶ。つまり,メタ認知の在り方に発展していくと思います。そして,態度の面というのは,意欲のみならず,意思とか,挑戦するとか,あるいは品川委員御指摘のセルフコントロールとか,そういうふうに広げていくことができると思います。そういう意味で委員の様々な議論というものを拡張していく中で取り入れられるのではないか。
そして,指導や学習の方法というのは,例えば市川委員の御指摘のようなことを含めて,様々な協働的な学びの在り方とか,体験的な学びの在り方とか,教えて考えていく指導の在り方,アクティブ・ラーニングのようなことが入ってくると思いますし,また,部活動を含めた英語の言い方で言うとエクストラ・カリキュラム・アクティビティー,カリキュラム外活動というんでしょうか。そういう問題として考えることができます。それは指導要領そのものからはみ出す部分が結構多いかと思いますけれども,小学校などでもクラブ活動や,あるいはそれ以外のまさに放課後の活動,あるいは最近進んできているのは土曜日の活用でありますけれど,そういうことを含めたことへの見通しもそこに入れていくことができるのではないか。そんな感想を持ちました。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。それでは今札を上げていただいています池野委員,三浦委員,上田委員,そして天笠委員の順で,今日はそのぐらいかと思います。では,よろしくお願いいたします。
【池野委員】  池野でございます。ありがとうございます。私は三つ,お話しさせていただきたいと思います。総論的なことになるかもしれませんけれども,一つは学習指導要領自体の在り方といいますか,構造的な問題を取り上げたいなと思います。これが一つですね。二つ目は,これに関連して学習指導要領が学校というものをどういうように位置付けるかという問題だと思います。それはまた3番目の問題で,そこの育てる子供像といいますか,どんな子供を結果的には作りたいのかということだと思います。これが資質・能力論につながっているのではないかなと思っています。
1番目の学習指導要領の構造といいますか,在り方みたいなものについてちょっと述べたいと思うんですけれども,ある面,学校の先生方に聞くと,川上から川下へなってて,川下の私たちのところには流れてきた水がなかなかおりてこないし,教科書だけもらってて,それをやるだけだということがあって,本来はフラットなところで,天笠先生が言われたように,カリキュラム・マネジメントして,それぞれの学校なり,そういう部署でそれぞれの教科なら教科のカリキュラムを自分なりに作っていくという自覚がないといけないんだと思うんですけど,与えられたものを受け取って,それを教えるという形になっているんだと思うんですね。だから,教えるだけじゃなくて考えることも大切ですよという問題になっているんだと思うんですけど,この構造は,明治以来ずっと日本の指導要領的なものが持っていたものと学校の基本的な考え方,あるいは先生方の考え方がそういう立場になってて,なかなかカリキュラム・マネジメント,自分たちが自分たちの学校のそれぞれの学校カリキュラムなり教科カリキュラムなりに総合的な学習の課外活動のカリキュラムを作っているという自覚がないと思うんですね。それを変えないといけないんじゃないかなと思います。
それこそ生きる力をあるところから日本の学習指導は変えたわけですね。これだけのことを教えるだけじゃなくて,こういう力を付けたいんですよという目標の方に本来学習指導要領は目的化されて,目標に準拠した評価活動をするという形になっているんですけど,実際には学習指導要領の目標,内容の内容の方が目的になっている。私,社会科が専門なんですけど,社会科の中だったら,歴史だったら江戸時代の三大革命を教えますよとか,地理たったら,こういうことをアメリカの農業だったらアメリカの農業を教えますよというようなことを重点化して,本来は歴史の流れだとか,農業の在り方がどういうように世界の中の問題と結びついているかというのは,本来目標に書いてあることを力を付ける。だから,何かを知ることが目的じゃなくて,何かができる。あるいは何かをすることができることが本来目標に書いてあるんですけど,そこに重点化されていないんだと思うんですね。それに21世紀の学習指導要領は変えないといけないというのが,生きる力以後の,特に遠山プラン以降のメッセージだったと思うんですけど,なかなかそれが現実化できないというのが今課題だと思うので,それは何か解決しないといけないんじゃないかなと思っています。これが一つです。
それは学校自体がどうしても社会の準備段階でしか今までは位置付けない。だから,これとこれとこれを教えれば,社会の中で働いたり生きていくために必要なものですよという内容的なものですね。基礎基本的な知識と言われているものですけれども,そういうものを持っていればいいと。だけど,それだけでは多分21世紀の子供たちは生きていけなくて,自分で問題を作ったり,考えたり,判断したりしないといけない。そういうことを何かすることができる力が要るようになっている。だから,学校自体が社会の準備段階であることも確かにそうだと思いますけれども,もう一つの役割として,学校自体は小社会ですよ。社会そのものですよ。その中で子供たちが何かができたり,することができるような側面を持たないといけないんじゃないかなと思うんですね。
それはヨーロッパやアメリカではスクールカウンシルと言われますけれども,子供たちがいろいろな形で学校の中のいろいろなところに関与したり。日本ではやっぱり児童会とか,生徒会の部分だけ子供たちがそういう部分を持っていますけれども,もっと広くやっていく。ある面,これは日本の中でも学習集団作りと言われている部分なんですけど,実際に社会科の授業,国語の授業の中でどういう仲間作りや集団作りをして,その中でどんな話し合いをするか。どういう関係を作っていって,どんな教室の中の社会を作っていくか。多数決で決めるのか,理念なり,理想なり,価値なり,あるいはまた理科の場合でしたら法則的なものに合っているかどうか。理論的に合っているかどうかというもので決めていくのか。何によってそれが決まるのか。意見が違った場合に,あるいは考えが違った場合にどういうようにその中で考えをお互いに戦い合わせながら,その中で決定していくのか。判断するのかというのが,ある面,学級集団,あるいは教科の授業そのものが社会の中の活動だと思うんですね。そういう側面を持っていかないといけないんじゃないかなと思います。これが二つ目ですね。
三つ目なんですけど,結局,子供たち自体が学ぶだけじゃなくて,市民としてといいますか,社会の中で生きているという側面を持っていかないといけない。それはある面,教科の中で英語だったら英語の知識を,ボキャブラリーを持つだけじゃなくて,もう一つは英語を使うということ。それから社会の中だったら社会の知識となって何かを解決するということが必要じゃないかなと思います。だから,生きていく力を作っていかないといけないんじゃないかなということです。
以上です。長くなって済みませんでした。
【羽入主査】  ありがとうございました。三浦委員,大変お待たせいたしました。よろしくお願いします。それで,上田委員で一応締めさせていただこうと思います。
【三浦委員】  三浦でございます。総論的な話になるかと思いますけれども,少し異なる視点でお話しさせていただければというふうに思います。
先頃,福島県の中にふたば未来学園高校という高校が誕生しました。これは原発の被災地のちりぢりばらばらになっている子供たちが集まって学ぶ,いわば地域再生の要としての学校ということができるかと思います。この高校というのは,先頃私が報告させていただきましたOECD東北スクールのプロジェクト学習を中心に組み込んでいる,そういったカリキュラムを持っている高校でございます。実際,OECD東北スクールの中で指導に当たった先生もその中でカリキュラム・マネジメントの仕事をしていて,まさにゼロベースで作り上げたというふうにおっしゃっています。既存の学習指導要領に準拠しながらも,ここまでユニークなカリキュラムが組めるのかというぐらい,本当に驚くべき変革的な学校ではないかなというふうに思っておるところでございます。
ふたば未来というのは確かに福島という特殊な地域の特別な目的を持った学校ということが言えなくもないんですけれども,また他方,日本社会がこれから直面する様々な課題に対応するいわば学校の変革のモデルケースとして誕生したという一面も持っているわけなんです。いわば生徒の問題意識といいますか,つまり,大学生に何のために勉強するのというふうに聞いてもほとんど答えられないような状況があるわけですけれども,そうではなくて,まさに社会の中で学校がどのような課題を引き受けて,それを教育の中でどのように返していけるのかという,そういったことが非常に重要かなというふうに考えているところでございます。その意味で,先ほど申し上げましたが,総論ではありますけれども,発達段階に応じながらも,そういった社会課題を学校教育目標とダイレクトにつなげていくということが私は重要かというふうに考えました。
【羽入主査】  ありがとうございます。上田委員,大変お待たせしました。
【上田委員】  お時間いただきまして,ありがとうございます。少し違った観点から,ただし,指導要領の今御議論していることを実現するためにかなり本質的だと思われることを最後に述べさせていただきます。
まず,ちょっと誤解があるかもしれませんが,日本の初等中等教育というのは,実は世界で最も成功しているものです。これは15歳段階でのPISAの結果を見ても明らかなんですね。もちろん英米でも非常にすぐれた教育を受けることができますが,これは大変お金が掛かります。ですから,現在の御議論していることは,これをさらに深化させるものであるというふうに私自身は理解しています。
じゃ,なぜ成功しているかといいますと,私の理解では二つの大きな要因があります。一つは限られた財政の中で現場の教員が極限的な努力をしているということなんですね。これは初等中等,あるいは大学も全て同じです。
二つ目は親の財政的支出に頼っているんですね。これは日本がかなり顕著なところです。資料の1-2の2ページを御覧ください。私たちが今議論しているのは初等中等教育ですね。14歳,あるいは18歳以下の方,彼らが日本の将来を背負っていくわけですけれども,これだけ減少してきます。これだけの少ない方に日本の将来を担っていただこうとしているわけですね。そういう意味で今御議論していることを実現するためには,やはり国の財政的支出を少なくとも諸外国のOECD並みに上げないと,制度疲労を起こすことが,私,現場感覚としてかなり明らかな気がします。ですから,こういう問題とも併せて議論しないと,せっかくの貴重な議論が実現できないのではないかと思います。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。では,天笠委員,一言で。
【天笠主査代理】  きょう提出していただいた資料の1-1のところなんですけれども,それについて簡単にコメントさせていただきますと,例えば3ページのところで,戦後70年云々ということですとか,それからその次の4ページのところには2020年がゴールではなく出発点云々というような,こういう文言が記されているわけなんですけれども,このあたりのところが,私は大切で,膨らませていくといいかなというふうに思っています。要するに,目指すところは今度の学習指導要領に当たってどういう未来というんでしょうか。あるいは全体的にバランスのとれた将来像というのをどう描いて,その中で,バランスのとれた学習指導要領の次の在り方を明示していくということが,この部会の一つの使命ではないか。そういうふうに認識しておりまして,そういう点で捉えたときに先の見通しがこういう形で示されている,このあたりのところをこれから少し意見を付け加えながら豊かにしていくとよろしいのかなと思いました。
以上です。
【羽入主査】  ありがとうございます。まだ札を立てようと思っていらっしゃる方がいらっしゃったことは明らかなんですけれども,恐縮ですが,ここで意見交換を閉じさせていただきたいと思います。皆様の御発言から受け取りましたことを簡単にまとめますと,今回の指導要領に対しては,指導要領について教員がどのように捉えるかということも重要な視点だという御意見が多々あったと思います。
それから,教科の話にもなりますけれども,教科全体の相互関係,あるいは全体的な視点が必要だということも御指摘があったかと思います。それから,評価は,教育の評価,あるいは質の評価だけではなくて,個々人の発達段階に応じた評価,あるいは発達段階を視野に入れた視点というのが重要なのではないかというようなことがあったかと思います。
また,私たちのこの議論で最初に多くの方々が注目していらっしゃったのは,学校と社会とのダイレクトな関係というようなこともあったかと思いますので,こういったことも含めて,きょうの総論の中で事務局が恐らく適宜まとめていただけるのではないかというふうに思います。
最後になりましたが,本日,鈴木補佐官がおいでくださっていますので,一言お話しいただければと思います。
【鈴木大臣補佐官】  まず,きょうも大変活発な有意義な御議論をいただきましたことを心から感謝を申し上げたいと思います。いよいよ佳境に入ってまいりましたので,きょう,言い残されたことも多々あるかと思いますので,是非事務局の方にお寄せいただければというふうに思います。
是非お願い申し上げたいことで申し上げますと,教育には当然連続的なものと非連続的なものと,こういう二つのことがあろうかと思いますけれども,これから学習指導要領で学ぶ子供たちというのは,恐らく2100年まで生きている可能性が非常に高いわけであります。そういう様々な人生を通じていろいろなことがあって,そこにかなり質的な変化が予想されたときに,もう一度どういう人材が必要なのか,あるいは改めてそういう時代を生きていく力というものがどういうことなのかということを,特に企画特別部会では御議論をいただきたいなと。逆に言うと,ここの部会がある意味で最後のチャンスといいますか,そこから今度は具体的な小学校,中学校,あるいは各教科,各科目への落とし込みという作業に入ってまいりますので,是非その点をお願い申し上げたいと思います。
きょうも品川先生の御発言にもありましたけど,あるいはOECDとの政策対話など議論していましても,メタ認知という言葉が相当出てくるんですね。そのことが犯罪行動の観点からも必要だというメッセージは非常に私にインプレッシブだったんですけれども,改めて知識と活用と思考,この言葉はこの10年以上使い古している言葉なわけでありますが,その思考力というものが意味するところが何であるのかとか,あるいは知識の活用といったときに10年前のインターネット検索の状況と今日の状況とで,全然,質的に本質的な非連続なことがあります。知識の活用という言葉一つとっても,さらに20年以降というのは劇的な変化があろうかと思います。そういう意味で是非皆様方のさらなる御議論,そして先ほど上田委員の発言にもありましたけれども,きのうもOECDの事務総長がお見えになっておりまして,今滞在していらっしゃいますけれども,きょう,あすも文部科学省とも懇談がありますが,日本は明らかにフロントランナーといいますか,OECD2030のパートナーとして日本を考えているという御発言もございました。ある意味でここの企画特別部会が人類全体のそういった課題についてフロントランナーで御議論いただいている場という言い方も決して大げさな言い方ではないなということを昨日改めて痛感した次第でございます。
三浦委員からも御発言がありましたふたば未来学園高等学校というアクティブ・ラーニングの実践というのも始まりましたので,そういう意味でいろいろなことがシンクロナイズしているのかなということで,大変皆さんお忙しい中,御協力いただいたことに感謝申し上げますが,さらに一層よろしくお願い申し上げまして,私のコメントとさせていただきます。どうもありがとうございました。
【羽入主査】  ありがとうございました。それでは,事務局から御連絡をお願いします。
【大杉教育課程企画室長】  次回の特別部会の日程につきましては4月28日火曜日10時から,本日と同じこの講堂にて開催を予定しております。内容といたしましては,幼稚園,義務教育に少し絞りまして議論していただければと思います。御意見等をメール等でお寄せいただければと思います。
以上です。
【羽入主査】  本日はまことにありがとうございました。

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