資料3 高等学校教育部会(第15回)における委員からの主な御意見

1 コアに関連した意見

1. 評価の対象としやすいものとそれ以外のもの

  • 市民性を身に付けるということは、意識だけでなく、その背景として関連の知識やそれを活用できる能力も持ってなければならない。知識はもちろん、思考力、判断力、表現力等の範囲も測れないものではなく、市民性の基礎となる部分は測れる教科の中にある。
  • 高等学校教育改革でまず求められたのは知識だが、勉強は、勉強したいという気持ちが生まれないと長続きしない。では、ペーパーテストでは測れないような、学習意欲はどのように身に付けるのかと考えると、やはり知識がないと学習意欲は付かないし、活用する場面を経験しないと付かないものであり、総合的な学習の時間を活用することが必要になる。
  • 総合的な学習の時間の評価は、自分の経験では、ペーパーテストでやっても優位な差が全く出てこず、失敗した。ならば、そのプロセスを見るしかないとなり、また、学生に振り返りをさせることにしたら、こちらは非常に効果的だった。非常に手間のかかることだが、こういう手間のかかることをするのが高校教育なのではないか。
  • 評価の対象としやすいものとそれ以外のものをどう分けるかは難しい問題だが、片方はテストで測り、もう一方はルーブリックの活用といったことも含めてということで、やっていかなければならない。
  • 評価しやすいものとそうでないものとを、それぞれの役割は確認しつつ、連動的に捉える仕組みや視点を作っていくかということを今後議論する必要がある。

2. コアの範囲/評価の対象とするものの範囲

  • ある試験をして、定量的に評価する個々の科目についていい点数を取ることは、ある意味複合能力の結果である。複合的な能力を出す基となる素能力みたいなものがあり、そうしたことも評価できるようにする必要がある。それを評価するためには、コアの中に定量的な評価ができないものも一部加えておく必要がある。
  • 質保証とコアは絞り込んだもので、高いレベルのものでなくて良い。また、コアには、定量的なもの以外に、定性的なものも、本当に高校生のコアとして必要なものであれば含めるべき。
  • コアについて、評価しやすい部分だけでなく、評価しにくい意欲や態度等も含めて考えるべき。きちんとした評価をすることは非常に大事だが、なるべく適正な評価をして、一人一人の生徒に対して知らせて、そこを補強する様々な手だてを学校で行うことが一番大事。
  • 産業界の要望として人間性や社会性が重要と論じられており、コアや質保証考える際に、何か限定的なテスト評価だけにつながるものにしてはいけない。
  • 評価できる、できないに関わらず、重要なものであればやはり質保証の対象に入れた方がよい。知識、技能、意欲は、実際に作業をやらせてみて観察していかないといけない。一回の観察で能力を評価するのは難しく、観察する側が、しっかりとどこを見ていくのか、何を評価するのかという観点を持っていることが非常に大事である。
  • 質保証とコアは、重なる部分もあるが、違うわけである。

2 評価の仕組みに関連した意見

1. 評価(客観的な評価の取組)の目的

  • 高校入試で入り口を、大学入試で出口を見ているというが、問題はそこが非常に疑問を持たれているところ。高校現場からは、現状をよく聞くが、現状がうまく機能しているように見えないから社会的に色々問われている。この点で、国のレベルで何らかの形で、何らかのシステムを作っていく必要がある。
  • 客観的な評価の結果を指導の改善に役立てることも重要だが、社会が求めている質保証は出口のところ。定性的な評価と定量的な評価は切り離せないが、単に改善のためだけではなく、出口の保証をすることが必要。その際、一定の水準を保証するのか、いわゆる成長・伸びという観点から質保証を考えるのか検討する必要。
  • 何のための質保証かというときに、大学に入るためという観点は高大接続部会で考えればよく、高校部会で求める質保証は、日本の社会を担うだけの力を持っているかどうか、つまり社会人として、十分な基礎的な知識、意欲、技能をもっているかどうかを考えればよい。
  • 質保証が課題として持ち上がった背景は、高等学校教育が社会の求める基礎学力を身に付けさせているかというところから議論が始まっており、社会への説明責任という論点は外せない。
  • 学校における指導の改善という目的は、(現在、小中学校を対象に行われている)「全国学力・学習状況調査」の趣旨と同じだと思うが、高校教育に今求められている客観的な評価の仕組みを考えるなら、生徒一人一人が自らの学習状況を把握し、生徒の学習意欲の向上につながる評価の仕組みとしないといけない。
  • (現行の大学入試センター試験を高校到達度試験に変えていくことを念頭に)インセンティブを与えることが大事なのであって、そのためには、評価するということは、認証しなければいけない。そこにつながるような仕組みに変えていくことが、非常に重要だと思う。

2. 基礎的な知識・技能、思考力・表現力・判断力等の評価の仕組み

ア) 客観的な評価の仕組みの在り方

  • PISAのような基礎的な数的能力あるいは読み書きの能力、さらに推論能力や論理能力など、測れる部分については、一定の何らかの測定をして、それで足りなければ何らかの措置をするような手段を用いるべき。
  • 仮に、「客観的な評価の取組」の目的を高等学校3年間全体の教育課程の質保証とするのであれば、2年生の終わりか3年生に実施しないと確認できないのではないか。
  • 評価の仕組みは、生徒の学習意欲の向上につながるものでないといけない。職業系の資格試験や技能検定については、生徒の学習意欲の向上につながっていると思うが、さらに、普通教科の筆記試験が、学習意欲の向上につながる仕組みとなるかどうかが、大きな鍵になるのではないか。
  • 高校は入学段階で入学選抜が行われ、既に学校が学力別になっている。そんな中、年度の途中でテストを行うという措置が、どれほど生徒達のやる気を起こすのか、意欲的に学ぼうとすることにつながるのかといったことは、あまり考えられていないのではないか。
  • 例えば、広域通信制高校の生徒などは、サポート校でサポートを受け、同じレポートを出して、みんなで卒業という実態になっており、知識・学力そのものも、非常に怪しいのではないか。そのあたりの学力保証をどうするのかということであれば、高校卒業認定試験のようなものを課していくなどということも、一つの方法論であろう。
  • 高大接続部会では大学受験する人に共通テストを受けさせるという話が出ているが、ここで念頭に置かれているのは、全ての生徒を対象とした全国学力調査のような共通テストではないと考えられる。
    大学との接続では、すでに大学入試センター試験があり、現役高校生の4割以上がこの試験を受けている状況にあるのに、その上、さらにすべての高校生を対象にした新たな到達度テスト・共通テストを考えるというのは、理解できない。
    高校生の達成度の判定は、もともと大学入試センターの目的にも入っており、センター試験を考慮しないで、新たなテストで到達度テストを実施するは無駄な労力である。まずは、センター試験を本来のあるべき到達度をしっかりと捉える形にすることから考えるべきではないか。
  • 社会人として、十分な基礎的な知識、意欲、技能をもっているかどうかを保証すればよいとすれば、測れるものは測るが、そこで求めるものは最低限達成してほしいという質保証であり、高い点数を取るかどうかは問題ではない。測れないものについては、例えば生徒一人一人について先生がどう評価したか、その評価の仕組みがうまく機能しているかなどを全体で保証すればいいのではないか。測れる学力は全国一律でテストをしてもらい、それは最低限のものであり、これ以上採っていればいいという試験を作っていただければいい。
  • 生徒一人一人の学習を確認していく何らかのテストの有り様はもう少し肯定的に捉えても良いのではないか。基礎的な知識や技能、思考力の基本的な一部を高校生としてしっかり身に付けさせ、そういう学習をきっちり確認する。全ての高校生に強制的に一律に受験させるのではなく、生徒の進路に応じて、任意的、選択制に、むしろ主体的に活用していけるような試験の在り様というのも選択肢の一つとして考えられると思う。

イ) 質保証・評価における国の役割、各学校・教員の役割

  • 質保証は各学校の教員一人一人がやることで、教員の質の向上、あるいはフィードバックして正しく生徒を伸ばしていくシステムを国として何ができるか、という視点で議論することも必要である。
  • 評価をするためにはその前提として、学習目標を設定する必要がある。これは、最終的には目標の提示は学校ごとに示す必要があるのではないか。

ウ) その他

  • 専門学科で学ぶ生徒は外部検定等の活用で把握すると書かれているが、受験料は様々で、経済力の差で受けられる人とそうでない人がおり、何らかの手当が必要。
  • 今現在の問題は、教科が多様化したため、学習目的が不明確になり、具体的な到達すべき知識・技能が不明確であること。また、学習時間も減っていることが非常に重要な問題だ。

3. 幅広い能力等(客観的な評価の対象としやすいもの以外のもの)の評価の仕組み

ア) 評価の在り方

  • 企業の中には、定量的な側面で存在感を示せる人と、定性的な部分で示せる人の二通りがある。よって、質保証も、定量的なもののほかに、定性的なものという観点を入れる必要がある。
  • 人を選ぶ方法には2種類あり、一つは定量的に見るということで、もう一つは先生が資質を見出すということであるが、資質の見い出し方にもある程度の仕組みがあってもよいのではないか。
  • 市民性等、知識や能力という単語では表せない習慣なども能力である。昔は小中学校での問題であったが、今は高等学校までそれを考えないといけなくなっている。ルーブリックはそういう意味で見ると非常によい項目立てとなっており、利用していくことはできると思う。成績を上げることは重要だが、数字で評価できないこともできるだけ評価対象とすべき。
  • (PISAのような基礎的な数的能力あるいは読み書きの能力、さらに推論能力や論理能力など、測れる部分については、一定の何らかの測定をして、それで足りなければ何らかの措置をするような手段を用いるべき。)人格的な発達については、一人一人に標準的な点数を与えるのは不可能であり、そのように点数化することは本当に必要なのか。それは高等学校に任せればよい。ルーブリックも教師が生徒の発達を把握するための道具であり、教師あるいは高等学校が発達させていくべきものであり、ここで議論すべき事はそうしたものを踏まえて、システムとしてどこの部分を強化すべきなのか焦点を当てるべき。

イ) 評価の充実方策

  • (評価の対象としにくいものについて)評価者側のトレーニングの内容を充実させることが非常に重要。評価に完璧なものはなく、納得できる議論をして具体化していった方がよい。

ウ) 評価結果の活用

  • 高校現場でも、様々な観点からの評価を取り入れることとなったら、大学でもその評価を活用しながら、個別入試で活用力を確認する、人物評価するなど、大学との接続が多面的に評価され決まっていくことが必要。

エ) その他

  • 高等学校側は、学習指導要領にあるように、学習だけでなくそれ以外の能力、人間性も身に付けるよう努力している。ただ、その内容について企業や大学へ知らせる方法は調査書しかない。評価についてもっと効果的な方法があるならば検討した方がいいが、むしろ能力を身に付けさせるためにどのように高等学校教育の中でやっていくかを考えていくべきではないか。
  • 問題発見する力や人間関係形成力、コミュニケーション力などが知・徳・体のいずれかに収まるのかは違和感がある。教科の範囲を超えた思考力、判断力、表現力を高校の授業の中で身に付けさせることはできていない。こうした力を高等学校の現場のどういう場面で身に付けさせるのかがはっきり示されていないのが現状だ。
  • 授業の中で、どのように意欲を持たせるかを検討する必要がある。
  • 人間性の育成は、教室の授業よりもクラブ活動や学校行事等様々な活動の方がより人間性を高める機会がある。インターンシップ等を学校でもやっているが、授業時間以外でのコンタクトが難しく、これらをコーディネートする人が必要。
  • 限られた高等学校の学校生活の中で、人間力を強めるためのいろいろな取組、課外活動を含めてやるべきということであれば、教育課程部会かもしれないが、学習指導要領で指定されている教科・科目の在り方や時間数など、それが妥当かどうか検討いただきたい。

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