資料3-2 和田委員

第8回高等学校教育部会への意見

和田 孫博

◎高大接続について

 第7回部会でも高大接続テスト(大学入学資格試験)が話題になったが、すでに大学入試センター試験が定着していることから、技術的には実施は可能であろう。ただその際一番の問題は、選抜試験と資格試験の違いを明確にできるかどうかである。
 例えば、そのテストである基準を設けて、それをクリアしなければどこの大学も入れないとするのか。その場合、基準が厳しければ入学資格保持者が大学定員を大幅に下回ることが考えられるし、一方で基準が緩ければ事実上形骸化する。
 逆に、各大学がそれぞれ自校の入学基準を設けることも考えられるが、その場合、大学の格差は今よりも明確化される恐れがある。これを避けるために、このテストは大学を志願する資格試験とし、大学独自の入学試験を実施することを認めるとすれば、事実上、現在の制度が続くだけということになってしまう。
 それを抜本的に変えるとすれば、前回の部会で北城委員がおっしゃったように、各大学が学力検査以外で選抜する方式を徹底するしかないが、はたして大学側がそれを良しとするか、国民がそれを良しとするか、疑問を抱かざるを得ない。
 欧米の大学ではアドミッション・オフィス方式の入学者選抜が定着していると言われるが、それはそもそも門戸を広く開けて、入学後選別するシステムがあるからだ。日本では少なくとも国公立大学では定員制度が厳しく(国からの補助金のあり方も影響していると聞くが)、欧米と同じやり方が可能かどうか。仮に定員を大幅にオーバーして生徒の入学を認めることができたとしても、教員数の問題も出てくる。また、入学後選別されて中退するあるいは放校になる学生を他大学なり社会なりが受け入れる素地も必要になってくる。いわゆる、大学生のセーフティネットを社会全体として用意できるかどうかが問題となってくると思われる。
 もう一つは、日本人の選抜に対する公平感を変えることができるかどうかだ。現在は私学の小・中の入試、公立も含めた高校入試、大学の一般入試など、選抜試験においては1点の差(大学入試の場合はセンター試験の換算点とかがあるため小数点以下の差)で合否が決まっている。しかしこれで不合格になっても、ほとんどの人は「惜しい」とは思うが「おかしい」とは思わない。むしろ、調査書や面接などの要素で逆転が起こった場合などには「おかしい、何で?」という声が上がる。これが日本人が抱く試験での公平感である。そういう意識を変えていかなければ、逆に不満が高まってしまう危険性がある。

◎学校運営と人事のあり方について
 校長がリーダーシップを発揮できるように、校長の権限を強化するべきだという意見が出たが、そのことには賛成である。しかし公立学校の場合、その校長が教育委員会の人事によって2~3年で変わっていく現状では、校長が指導力を発揮することなど絵に描いた餅である。もっと長期ビジョンを描いて実行できるぐらい1つの学校に腰を落ち着けることができるようにすべきである。本当のことを言えば、各学校にある評議員会(教職員、保護者、地域の人たち、学識経験者からなる)によって教職員すべてを独自採用し、その中で管理職を選んで(あるいは他から引っ張ってくるなりして)中長期で運営をする。そういうシステムこそ学校に真の独自性を生み、全体として見た場合、多様な学校が存立することになると思う。
 教職員も自ら希望してある学校にアプローチし採用されてこそ、職場意識とか学校愛が生まれ、その学校をよくしようという気概が生まれる。不適格ならば学校評議会や校長の判断で免職も可能だし、逆に教員は職場に不満があれば自らのリスクで他校に転職することも許される。教育委員会による強制配転制度(すべての自治体でそれが行われているのかどうかは知らないが)はそれを阻害している。
 これは決して教育委員会の否定ではないが、各公立学校が私学並みに教育委員会からの独立性を強めるためには絶対に必要なことだと信じている。

◎教科の大綱化について
 現在の指導要領では、教科をさらに細かい科目に分け、それぞれの科目に標準単位数を振っているため、ある科目が得意な生徒は時間を持て余し退屈し、逆に不得意な生徒は消化不良を起こしてしまう。そこで、各教科で何単位分学習したかを履修単位数とする考え方を取るのが一つの方策である。例えば数学を仮に各学年4単位分ずつ履修するとして、生徒によっては初歩から微積・統計まで修得することも可能だし、生徒によっては初歩に時間をかけ、極端な例としては必修となっている数学1のみを3年かかって修得することも可能というような考え方を取るのである。指導要録や調査書等の学習の記録には、数学を何単位時間履修したか、そしてその間にどういう項目を修得できたかを記録する。現在科目に細分化されている理科や社会についても、3年間で教科として何単位分履修したか、その間にどういう項目・内容を修得できたかを記録するというやり方である。現実的には生徒ごとに教育内容を違えることは難しいだろうから、学校単位で各教科の展開の方針を決めねばならないとしても、多様な生徒、あるいは多様な学校の現実を踏まえて、それぞれに実のある教育を行うには、このような形で教科の大綱化が必要だと思う。

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