資料3-1:特別支援教育の在り方に関する特別委員会及び合理的配慮等環境整備検討ワーキンググループにおける意見の概要

1.「合理的配慮」について

(1)合理的配慮の定義

○1 合理的配慮の内容については、基本的な考え方として、状況に応じて提供されるもの、多様かつ個別性が高いもの、法律で合理的配慮の概念を定め、具体的な配慮の内容等については、配慮の視点を類型化しつつ、指針として定めることが適当である、ということは基本的にそうだろうと思う。一人一人の教育的ニーズに対応するということで特別支援教育が進んできている。具体的にどのような配慮が必要か、また逆に、合理的な配慮とは何かを考えていく方向もあろうかと思う。具体的な配慮、指針を考える中で、合理的配慮は何かということの合意が、このワーキンググループで形成されていくことが望ましい。

○2 「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」という記述があるが、これは何と比べて均衡を失したのか、過度の負担なのかという部分を、きちんと議論していく必要がある。

○3 「財政面、体制面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないものとする」はガイドライン的なもの、どの程度まではということを示さなければ、まとまらないと思われる。

○4 「財政面、体制面」の体制面にカリキュラムやソフト面も含めて考えるかどうか。

○5 「過度の負担」あるいは「均衡を失した」については、公教育を担当する国や地方公共団体がということになろうが、地方公共団体は財政的な面でいろいろ差が大きく、それもある程度勘案し、個別に判断する必要がある。

○6 「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」とは、学校の設置者に対して、市町村によってはそれぞれ事情が違うという配慮のもとに、過度の負担を課さないものとするという表現は、極めて明確で良いが、設置者にとっては非常に良い言葉である。「過度の負担を課さないものとする」と限定した場合、合理的配慮が果して、受け取る側としてはどうしてもウェイトが軽くならないか。非常に都合のいい文言になっている。今の財政は厳しいところがほとんどであり、担当市町村としては出来るだけ自分の所の判断で、「過度の負担」と判断する。第三者委員会がなければが保護者や子供にとって希望を逸らされ、インクルーシブな教育にとって大きな障害にならないかと危惧する。

○7 「過度の負担」あるいは「均衡を失した」については、公教育を担当する国や地方公共団体がということになろうが、地方公共団体は財政的な面でいろいろ差が大きく、それもある程度勘案し、個別に判断する必要がある。

○8 「均衡を失した又は過度の負担」の前半の「均衡を失する」というところは、障害者施策、教育でも福祉でも障害者には基本的にお金がかかるものであり、現在の教員数でも、通常の学校の教員一人当たり何人の生徒を見ているかという統計があるが、特別支援学校は非常に恵まれており、お金がかかっている。必然的に均衡は失しているもので、同じような基準で判断されると、障害児教育はできない。過度の負担が自治体によって違うように、「均衡を失した負担」というのは非常に難しいのではないか。

○9 「他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するために必要かつ適当な変更及び調整」というのは、子どもがすべて、地域の学校に通うという前提ではなく、特別支援学校に通うことも保証しながら、且つそのうえで、地域の子供たちが安心して通える環境を保証する意味と受け止めた。

○10 「必要な変更や調整」を詰めていくと、例えば人の配置やバリアフリーなどが出てくる。日本の場合、教育課程を組むときには、教科書の採択、教育課程、評価をどのように考えていくか。特別な教育課程を組むことになれば、当然特別支援学級を作るなど人的なものを用意することが出てくる。

(2)合理的配慮の範囲

○1 合理的配慮を通常の学級においてはこういうことが必要というものと特別支援学校においてはこういうことが必要というものに分けて整理しないと、混同してしまって議論が拡散するのではないか。

○2 合理的配慮については、特別支援学校までも含めるとすると教育制度全般に入っていって、焦点が十分に見えなくなる。

○3 子どものニーズは子どもがどこに居ても変わらない。特別支援学校における合理的配慮と、通常の学級における合理的配慮を分けて検討するという話もあるが、合理的配慮を検討するに当たっては、分けて考える必要はないのではないか。

○4 論点整理の中に「多様で柔軟な学びの場を用意する」とあり、柔軟性、多様性は当然確保していく必要がある。現実的に特別支援学校、特別支援学級、通常の学級があることを考えると、それぞれにおける合理的配慮も考えていく必要があると感じている。現実的な出発は、いくつかの多様な柔軟性のある学びの場で、どのように合理的配慮を提供し、「可能な最大限の発達を目指す」ことを考えていく必要がある。

○5 合理的配慮は、障害のある子どもと障害のない子どもが同じ場にいた場合であると考えるが、現実的に通級、特別支援学級、特別支援学校において、どのような支援が妥当で合理的か定められていないことを考えると、現段階で何が良いか明確にすることは保護者としてありがたい。

○6 合理的配慮は、教育を受ける場所に付随するものではなく、障害のある子ども本人の個別ニーズによって規定されて、保障されるべきものである。インクルーシブ教育システムは多様な子どものニーズに合わせた支援を行うことだと理解している。

○7 従来の障害児教育における考え方は、分離あるいは統合なのかという二元論が主流であったが、「支援の拠りどころ」として、場所と個別ニーズを付け加えると、分離教育も統合教育も場所に依拠した支援である、という点については変わらない。統合教育について共に学ぶことのみを強調される方もいるが、インクルーシブな教育は子どもの個別ニーズ、障害特性に依拠した支援という、新しい考え方に基づくものと理解するのが分かりやすい。

○8 学校、行政側と保護者、子どもの話合いにより、何ができなくてどれは可能なのかなどの整理をしていく必要がある。学校全部を同じように考えるのではなく、それぞれの子供に合った環境の中で考えていく必要があると考える。

(3)合理的配慮の内容・実効性

○1 合理的配慮が、理想論、文言で終わることなく、実効性の伴うものにすべきである。そのための財源的な裏付け、法律面での支援がないと、なかなか難しい。

○2 合理的配慮については、例えば通常学校での合理的配慮では四つに分けていることがある。一つは、物理的なアクセスをできるよう、クラスの子どもと同じように平等にアクセスできるようにするための配慮。例えば、スロープをつくるとか、情報がわかるような手立て。それから、授業がわかるようにする手立て。席を前の方にするなど具体的な授業へのアクセスの配慮。もう一つは、テストへの合理的配慮。中身の平等性を確保しながら、障害のある方の配慮をしながらテストをする。もう一つは、カリキュラムへのアクセスをどう配慮するか。どうしても通常学級に知的障害のある方が入るときに検討すべき問題となる。また、障害種ごとに特有な、欠けてしまうものをどう補うかという配慮。例えば視覚障害であれば点字や歩行の学習を、通常の学校の時間に加えてしなければいけない。

○3 合理的配慮を、「絶対的合理的配慮」と「相対的合理的配慮」の二つに分けて整理してはどうか。「絶対的合理的配慮」は、手当てできないと人権問題、差別となるものを類型化して列挙する。例えば、教育を受ける権利、就学先の選択権、アクセス権、保護者の付添いを求めないことなど、最低限のレベルを法令で担保することが望ましい。一方、「相対的な合理的配慮」は、学校教育においては一律に上限や制限というものを設けるべきではなく、地方自治体や学校現場の努力、あるいは創意工夫を促し生かす位置付けが必要である。ガイドラインにより類型化し、列挙するのではなく例示することが大事である。

○4 例えば、教育を受ける権利、就学先選択権、アクセス権(通学、バリアフリー)、保護者の付添いを求めないことを絶対的合理的配慮として実行に移すとなると、各市町村にある程度の財政力がないと実効性がない。実際困るのは、配慮を受けるべき保護者、児童生徒にならないか、という危惧がある。

○5 合理的配慮提供の実効性担保について、指針等により好事例を示しつつ、当事者間の話し合いや第三者が入ってのアドバイスの中で、必要なものを個別に考えていく。好事例を示すとは、我々の議論の中では、「こういった配慮が必要」というものになるのではないか。国立特別支援教育総合研究所の報告等も含めて、好事例を集め、合理的配慮について検討していきたい。また、第三者が入ってのアドバイスの中で必要なものを個別に考えていくという考え方は、教育の分野における個別の指導計画とか、個別の教育支援計画の考え方と通じるものである。

○6 合理的配慮、個別の指導計画は、別々に討議しなければいけないが、あまりにも分けられてしまうと、分かりにくくなる。合理的配慮の個々の内容は、個別ニーズの個別の指導計画に織り込まれるべきである。保護者としてはそれを分けると分かりにくい。

○7 就学相談については、教育委員会において個別の教育支援計画を作成する中で適切に行う。この中に合理的配慮が含まれている、入学後については、それを引き継いで、更に継続的に見直しを行っていく方法ではどうか。

○8 一般的に、合理的配慮という言葉を使うとき、「すべきこと、しなければならない」と「望ましい、努力していきたいこと」、そのような二つの使い分けをする。「配慮すべき事項」という場合には、最低限これだけは用意しなければならない、という意味で受けとめることが、一般的である。「すべきこと」、「望ましいこと」、と言い方を分ける必要がある。特別支援学校の教育環境は、一般の学校に比べれば整備されている。「すべきこと」が、地域の学校の中ではやれることか、それを考えると問題も出てくる。「すべきこと」の基準を整理していく、そして望ましいが、例えば、予算上問題があり、できないという意見が出た場合、「やるべきであるが望ましい」という言い方が適切かを整理するべきである。

○9 過度の負担は、経済的なことばかりに目が向くが、実際は障害を持っている当事者の子どもにとっても地域の学校で学ぶということは本当に大変なことである。また、同じ障害を持った子どもとの交流も必要である。そうした意味での心理的な、教える側も、そこで学ぶ者にとっても、いろんな意味で負担がないような配慮になってほしい。

○10 合理的配慮について、国が努力すべきこと、都道府県が努力すべきこと、設置者である地方教育委員会が努力すべきこと、学校の経営者である校長先生にやっていただかなければならない部分等、責任を明確にした方がより徹底していくのではないか。

○11 公教育においては、設置者である市町村の財政規模等も考えなければいけないが、一方、保護者や当事者からすると、住んでいる場所によるのは、やはり公平感に欠ける。労働の場合、設置者側、雇用側は私企業が非常に多く環境や規模などを個別性として配慮しなければいけないが、公教育の場合は、一定のミニマムのところを守らなければいけないとなるのではないか。

○12 労働分野のような私事一般の合理的配慮と、公教育における合理的配慮は、自ずとレベルが違ってしかるべきと考える。

○13 保護者と教員のコミュニケーションのための情報保障は合理的配慮に含めるべき。

○14 当事者の教職員を配置した場合に、そのための合理的配慮について議論する必要がある。モデルになる学校の先生から学べること、当事者である学校の教職員がきちんとした教育活動ができるような環境を整備することも、合理的配慮の中に盛り込むべきである。

○15 合理的配慮、要するに必要かつ適当な変更及び調整について、特にポイントにしているのは人的支援である。例えば、介助職員等の専門職の種類がある。人的なサポートが重要である。ハード面についてもバリアフリーは当然のこととして、それで終わるのではなく、介護職員や色々な形での支援員を配置することが絶対に必要であるという立場である。

(4)合理的配慮の内容の決定

○1 通常は学校あるいは設置者で、そのガイドラインや個別の事例に基づいて、きちんと対応していく。但し、揉めた場合は第3者的な委員会を作って、そこで仲裁をしていくべき。

○2 合理的配慮について、疑義・紛争は当然生じる可能性があり、その場合、教育委員会ではなくて第三者機関による調査・判定、あるいは不作為に対する不服申し立ての仕組みづくりなども必要になってくる。

○3 疑義や紛争が生じた場合の第三者機関については、保護者から見ると、教育委員会あるいは設置者側があるが、もう少し第三者として公平に見てくれるようなところについて、何かの方向性を案に入れていただきたい。

○4 第三者が判定すると、時間がかかるのが心配。急に転校する例もあり、合理的配慮の必要性の有無、その程度の判断に非常に時間がかかると、その子供は不利益を被る。自治体や学校などが独自に判断することは難しいが、時間との勝負であり、それも考慮した第三者機関でなければいけない。

○5 国においてガイドラインとして具体例を示したものを示せば良い。第三者機関は、基準を決めるのではなく、ここが何か揉めたときに仲裁できるようなものとして第三者の委員会が出て、そこを決めていくのが良い。

○6 Reasonable accommodationの考え方自体は、アメリカやカナダでは内容のレベルは下げないで、質問のレベルを子どもに分かるような文言にするなどであり、単に、子どもにカリキュラムを合わせていけば良いというものではなく、通常子どもが学習する内容を、いかに障害のある子どもに分かり易く行うかという工夫がいる。

○7 子どもの具体的な指導時間を特別な指導時間が見える形まで個別の指導計画を作って、特別な指導の内容・到達点どれぐらい必要かを、丁寧に日本の中でも組み上げていく必要があるのではないか。

2.共通事項について

(1)配慮事項のまとめ方について

○1 ガイドライン、仕組みをどうするかが重要。それぞれの子どもの将来の社会参加や自立に向けて、どう教育を成立させるかを考えた時に、障害種としては一つの障害種であっても、いろいろな子どもが入ってくる。その子どもの状況を見極める必要がある。その子の状況により、どのような配慮が必要か、各区市町村の財源で、できることとできないこと、教育内容は学校、施設・設備は各区市町村の教育委員会などと仕切りをつけながら、ガイドラインを整備する必要がある。

○2 労働・雇用分野における考え方を一つの参考としつつ、実際に行われている好事例をたくさん集め、そして、その中から概念化、類型化等も図るべく議論していくべきではないか。

○3 ガイドラインができることは、通常の学級に、いろいろな障害の方が入ってくれば、こういったものを用意しなければならないといった指針になる。今までは、施設だけではなく、例えば教員の意識にしても、そのようなものを持ち得ていなかった。示されることは良いことであるが、肢体不自由であれ、知的障害であれ、子どもによって状態は様々である。この障害はこうすれば良いというのが、必ずしも通用するとは限らない。個々のニーズに応じる必要があり、ガイドラインができたとしても、いろいろな状況の子どもがいるというのが今後の課題。

○4 障害種別のまとめでは、例えば通常の学級に障害のある子どもが入った時に最低限このぐらいは必要、ということが、合理的配慮に近いところと思うが、プラスアルファで欲しい支援があると良い、ということも入っており、整理しないといけない。

○5 特別支援学校を含めた各障害種別の配慮を整理する必要がある。通常学校でも行う配慮が、特別支援学校等でも根拠があるものであるということをきちんと整理する必要がある。それによって生徒が安心して力を伸ばせる。

○6 ヒアリングのみならず、ほかの情報もかなり広く収集し盛り込んでいき、まとめていくことも必要ではないか。

○7 例えば、個に応じた支援が必要、個別性がある、といった障害種別を超えて共通するもの、障害種別に特有のもの、さらに、個のニーズがあればできる限り応じるというプラスアルファのようなもの、その三段階の構成をつくると分かりやすい。

○8 特別支援学級や通級による指導に言及されている障害種とそうでないものとあるので横並びで整理してほしい。

○9 特別支援学校において現に提供されている支援の水準を維持・向上しつつ、地域の学校に就学している障害のある子どもたちの支援の水準を底上げするということを基本的な考え方としたい。

○10 現在の特別支援学校のレベルを維持する、あるいはそれ以上のものを供給するというのが、大事なことではないか。特別支援学校は長い歴史があり、今までそれなりの成果も上げてきている。インクルーシブな教育という概念で地域の学校に入ったときに、特別支援学校で行われている教材、教具の提供であるとか、専門性を持った教師の配置等がどれぐらい地域の学校で提供できるかというのがネックではないか。

○11 例えば、共通事項としてハード面の問題、就学前の教育の在り方など様々なものがある。また、その障害に特有なものもあり、それを整理するべきである。

○12 「学校教育に求めること」と「配慮すべき事項」の線引きは難しいと思うが、学校教育に求めることと具体的な配慮事項との関係をある程度整理して書くことが必要である。

○13 「学校教育に求めること」については、障害種別にいろいろなまとめ方になっており、まとめる場合には、肢体不自由を例にすれば、自立を目指した教育、あるいは一人一人の教育的ニーズに応じた教育、これらは共通の範囲、また、肢体不自由の障害種別で焦点化したものを書くことが良い。共通で取り上げたものを再度、例えば肢体不自由や病弱の中で、それぞれの障害別に合わせて焦点化して詳細に書くこともあり得る。

○14 特別支援学校や特別支援学級から見ると当然のことが、通常の小学校や中学校では、「障害の状態に応じて」どこまでできるのか不安なところがある。特別支援学校と通常の小中学校とを書き分ける必要がある。

○15 ガイドラインという形で作成するのであれば、ガイドラインはあくまでも例示を列挙したものであるべきである。ガイドラインにおいて「望ましい」などという価値判断を含んだ文言を書き記すのは、望ましくないのではないか。

○16 参加するにはどうしたらいいのかという視点が一番大事である。例えば、エレベーターを設置するということではなく、「垂直移動の自由を確保する」などの形にまとめていけば、「望ましい」という言葉が取れてくるのではないか。

(2)各障害種に共通する事項

○1 医療的ケアについては、各障害種において濃淡はあるものの触れられている。各障害種において詳細に触れても良いが、視覚障害から重複障害まである分類以外に、医療的ケアというまとめを一つ設けることもあり得るのではないか。その場合、医療的ケアと病弱の線引きが難しい。

○2 全体的に共通する部分として早期教育が挙げられる。早期教育の必要性については、すべての障害種で求められており検討範囲に入れるべきではないか。早期教育では、保護者の取組が大きいが、保護者も一緒に訓練を受ける必要があるなど、仕事をやめる、経済的な負担が重いため放棄されている。

○3 「学校教育に求めること」については、障害は、早期発見、早期対応が大事である。例えば、個別の教育支援計画と個別の指導計画の作成については、いつ、どのような機関が、どのような方法で行うのか。予算その他も伴うかもしれず、ある程度踏み込んだことも配慮事項その他で具体化しないといけないという懸念を持っている。例えば、市町村において、発達支援を行う専門家集団が保護者を支援する、といったものがないと、学校に入ってからの先生の対応だけではうまくいかないのではないか、という懸念を持っている。例えば、スクールカウンセラーの派遣と同様に各教育委員会、学校に、特別支援教育関連の専門家を派遣できるシステムが今後必要ではないか。

○4 就学前の段階で保護者がどのぐらい本人のことをきちんと把握しているか、考えられるか、という基盤が必要になってくる。合理的配慮等の前段階として、保護者が教育に臨む段階で、本人のニーズが何かをしっかり認識できるような支援の仕組みがあることが大前提である。

○5 平常時のシステムだけではなく、災害時のシステムの中でも考えておかないと、命に関わる問題である。その災害時のシステムを入れるべき。

○6 特別支援学校においては、すべての子どもたちが必要とする整備が全国的にそろっているわけではない。特別支援学校においても、ハード面、ソフト面、教育面において、まだ不十分なところがある。

○7 肢体不自由の特別支援学校においては、肢体不自由と知的障害の重複の子どもは非常に多い。重複障害とのすみ分けをどうするかが課題である。

○8 どの障害についても、主障害以外の部分の障害の配慮についても押さえることが重要ではないか。特に、発達障害等の目に見えにくい障害の場合は、主障害の物差しでのみ測ると、発達障害等がその物差しが測りにくい。

○9 重複障害については、知的障害・肢体不自由に関する重複障害と、視覚障害・聴覚障害の重複障害が取り上げられているが、視覚障害や聴覚障害の特別支援学校にも、知的障害を伴う重複障害の子どもたちがおり、言及されるべき。

○10 「盲ろう」というのは、単に視覚障害と聴覚障害それぞれの特性を配慮すれば良いものではなく、全く別の障害とは言わないが、視覚障害、聴覚障害の従来の指導では補えない部分もある。単に視覚障害、聴覚障害の配慮を合わせれば「盲ろう」の配慮事項になるというものではない。

○11 個別のニーズに基づく配慮は大事であり、それが実効性の担保になる。主籍と副籍という学籍の問題で、インクルーシブな教育だから、すべての籍を地域の学校に置くということではなく、特別なニーズを求めている児童生徒については、特別支援学校に主籍を置いた上で、副籍を地域の学校に置くなどの弾力的な制度の仕組みをつくらないと、機械的に、インクルーシブだから地域が良いということにつながる心配がある。主籍、副籍という考え方を入れてほしい。

○12 学校に主籍と副籍を置くということは、これからの特別支援教育にとって、とても大事な部分であり、できるだけ早く導入の方向で考えられればと思う。

○13 知的障害では、特別支援学級のことが述べられているが、他の障害についても、特別支援学級の位置付けを明確にしておく必要があるのではないか、それは、交流及び共同学習を考える上で、大事な内容になってくるのではないか。

○14 高等学校については、入試の問題をどう考えるかという課題はあるが、特別支援学級、通級による指導も視野に入れて考えていくと幅が広くなるのではないか。

(3)「学校教育に求めること」について

○1 施設・設備の整備については書かれているが、人的な配慮、介助員、看護師が校内だけではなく、例えば校外の学習活動でも利用できるようなことを入れる必要があるのではないか。

○2 現時点でそれぞれの学校が特別な配慮を全くしていないかと言うと、そうではなく、指導内容を30人いる中で、その子どもをピンポイントに、同じ内容だけど量を減らす、もっと噛み砕いた文章を別プリントで配るなどいろんな配慮を行っており、ここに書かれているようなことを現時点でも行っている。

○3 今現在も介助員や補助員などが学校現場の中に入っている。介助員・補助員の機能、例えば、学習を成立させるための補助が必要な子ども、あるいはその子どもにとっての安全面を確保するために必要な介助員など、教員以外の必要な大人の手が入るということが現状である。その人数の面だけでなく、子どもの学ぶ権利の保証等から、介助員や補助員の専門性が必要であり、学校の中で、教員も含めたレベルアップが今後必要である。

○4 「障害の状態に応じた」とは、認知特性や行動特性に応じたということであり、「一人一人の特性とニーズ」と整理できないか。

○5 <環境整備に関すること>のうち、「専門性のある指導体制(校長のリーダーシップ、専門性のある教員の配置、指導方針の共有化、チームによる指導)が確保されること」については、「専門性のある教員の配置」は設置者の役割であり、それ以外は校長の役割ではないか。「専門性のある教員の配置」は別項目にすべきである。

○6 現行の特別支援学校において重要な要素は、準ずる教育であり、学力の保証が重要である。インクルーシブな教育では、障害のある子とそうではない子が同じ教育の場で学ぶ、その中で配慮することが述べられているが、特に中学、高校と進むにつれ学力の保証は絶対に必要なことである。特別支援学校への入学に躊躇される保護者の考えの一つとして、高校受験や大学受験に不利になるのではないか、と言われる。成長するに従い、学力の保証は重要な要素になる。

○7 合理的な配慮とは、ニーズに対応するということを考えると、いわゆる個別の教育支援計画や個別の指導計画を踏まえて、合理的な配慮を考えていく。合理的配慮のアクションがどこから起きるのかということが必要である。

○8 「障害の状態に応じた必要な施設・設備整備が確保されること」については、児童生徒の数についても言及していただきたい。

○9 「交流及び共同学習」については、「学校における配慮事項」ではなく、「学校教育に求めること」に書いた方が良い。障害者基本法の中にも文言が入っており、また、学習指導要領の中にも明記されている。

○10 環境整備については、通常の学級の学級定数、特別支援学級の学級定数、特別支援学校の学級定数、特別支援学校の重複障害学級の学級定数がそれぞれ決まっており、これについても何か考える必要がある。

○11 特別支援学校を設置する基準として、児童生徒の人数に応じて教室を確保することについて疑問を感じざるを得ないような状況が、知的障害の部門では、起こっている状況がある。人数に対する学級だけではなく、その学級の設備の保持も大きい。

(4)学校における配慮事項について

○1 「障害の状態に応じた学習上又は生活上の困難を改善・克服する指導」については、困難を改善・克服するという言葉であり、障害基本法の改正の中で、医学モデルから社会モデルへ障害の定義が大きく変わりつつある中で、あまり相応しい言葉ではない。

○2 「障害の状態に応じた学習上又は生活上の困難を改善・克服する指導」については、自立活動の授業の保証と理解でき、その子どもの障害に対応した、改善・克服を目指す指導が絶対に必要である。通常の学級に行った時に、特別支援学校でやられている自立活動の時間をどのように保証できるのかが重要な要素になる。自立活動の時間を何らかの形で保証することは重要である。

○3 「障害の状態に応じた学習内容の変更、調整」については、合理的配慮の解釈においても「必要かつ適当な変更及び調整」という言葉がある。「学習内容の変更と調整」とは、指導目標の設定を変える、情報を配慮するなどが含まれるのではないか。

○4 「(1)教育内容・方法」については16の項目が並んでいるが、グループに分けてみると理解しやすいのではないか。

○5 2.(4)の○3については、「知的発達に遅れがある場合」と限る必要はないのではないか。すべての学校で個々の生徒の卒業後の生活を見据えない教育はなく、進路をどのように考えるか。特に義務教育段階修了で、高等学校への進路選択がある。「卒業後の生活」とするか「進路を見据えた」とするか。限るのであれば共通事項にする必要はない。

○6 3.(1)について、一生涯と考えると、早期、学齢期、卒業後ということになり、「卒業後を見通した」というものを一つ設けて、「個々の卒業後の生活を見据えた教育を提供する」、「将来の自立や社会参画に向けた」という内容等をまとめてはどうか。

○7 「認知特性・行動特性に応じた施設・設備面での配慮」に「(見えやすさ、分かりやすさ等)」の等に含まれているが「感覚」を入れていただきたい。

○8 ろうの子どもの集団が必要であり、今のろう学校を失くして地域に、という考え方ではなく、ろう学校をそのまま守るという立場でも書かれていると理解する。

○9 多くの内容について、どの学校でもやっている。通常の学級に在籍している子供に対し、個別の配慮を要するために、支援員、介助員、生活指導員等の名称で、マンツーマン的に付いている。目的は、教室の学習環境の維持のため、安全面の補助のためということが大きい。学力や学習習慣を向上させるのは二の次になっているという実態がある。学習環境の維持は、例えば35人学級であれば他の子どものために、できるだけ授業の進行を邪魔しないように、介助員がフォローしている。それが合理的配慮かといえば、授業中に大きな声を突如発しなければコミュニケーションができない子どもに静かに我慢させ、かえって子どもの学習を阻害するようなことになっていないか。

○10 その子に応じた配慮として、じっと教室にいるだけではなく時々取り出して指導を、例えば、特別支援学級とも連携して指導していくことも大事である。保護者の了解も得なければならないが、その子のことを考えた配慮も必要である。

○11 インクルーシブな教育とは、居住地の学校の通常の学級に入るのが大事な要件。ただ、合理的配慮を確保する中で、すべて他の一般の子どもがいる中で同時進行するのは難しい。必ずしも通常学級で全てをやるのではなく、その場合の取り出し指導を柔軟にできることが必要である。

○12 福祉サービスとの連携の辺りは現実的に活用や整備になってくると、教育だけで語れない要素がとても大きい。

○13 共生社会の実現をしていくのがインクルーシブな教育で、そのための必要な合理的配慮をしなければいけない。共生社会の実現は学校教育だけの問題ではなく、地域全体の問題であり、学校教育との関連で、地域の支援について語っても良いのではないか。そのことが卒業後の社会生活や自立に向けての共生社会を作っていく、学校教育の時点から共生社会を作っていくことが、共生社会の実現に繋がるのではないか。

○14 早期教育については重要性が言われているが、福祉、教育が双方の繋がりがなく縦割りになっており、例えば、早期に発見しても早期教育が必要であることを、病院が親に分かるように説明するということが欠けている。福祉行政と文部行政が連絡を更に密にして、早期教育について具体的な取り組みが必要である。

3.教職員等の専門性に関すること

○1 教員の専門性については、ある程度配慮事項の中にも触れる方向としつつも、専門性をどう維持、向上させるのかということは、特別委員会本体で検討いただき、ワーキンググループでは合理的配慮としての教員の専門性の意見を出していく。

○2 教員の専門性については、特に子どもの見立てが重要である。重複障害についても、子どもの見立てができることが基本になる。専門性の中でもアセスメントは押さえていただくことが重要ではないか。

○3 合理的配慮については、特別支援教育の専門性として、しっかりと位置付けていくということが必要である。これは担当教員、特別支援教育コーディネーター、学校外のボランティアといった特別支援教育に関わる方はもちろんのこと、全体として、合理的配慮に対する認識を高めていくということが重要である。全国民が認識することが重要ではあるが、まず、特別支援教育に関わる教員や担い手は、合理的配慮についての認識と行動力を持っていただきたい。

○4 専門性のある教員の確保と併せて、教員の養成課程において、障害児教育や特別支援教育のことなどを、学び体験できるような場を確保するべき。大学時代、1単位だけ障害児教育を学んだが、あまり実践的なことを習った記憶がないという話をよく聞く。

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初等中等教育局特別支援教育課

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