資料18:品川委員提出資料

2010年10月5日提出
品川裕香
教育ジャーナリスト

中央教育審議会初等中等教育分科会
特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第4回)

障害のある幼児児童生徒の特性・ニーズに応じた
教育・支援のための教職員の確保及び専門性の向上
のための方策についての私見

 

1.取材から見えてくる、教育現場の現状と課題

 過日、就学相談・就学先決定ほど自治体による差が大きいものはなく、その結果、「すべての子どもの健全発達、将来社会に参加し市民として生きる権利の保障」にはつながってはおらず、子ども自身が不利益を被っている現状が少なからずあることを指摘した。その背景はこれまで説明してきたとおりだが、では特別支援教育が始まって以降、現場における具体的な課題は何であろうか? 全国津々浦々取材していると、いくつかの共通項があることに気が付く。たとえば、○1教育現場に医学モデル偏重の動きがあり、ADHDの子にはこう、アスペルガー症候群の子にはこうといった場当たり的な個別指導ばかりが広まり、結果として成長や発達段階を踏まえた教育的ニーズに応えていない ○2「障害は個性、だから無理はさせない、みんなわかってあげよう」的な障害観が「子どもの将来の可能性を踏まえ徹底的に教育する」という姿勢にブレーキをかけ、子どもたちの健全なボンズが育つことを阻んでいる ○3「障害があれば特別支援学級/学校、なければ通常学級」といった従来通りの教育観からパラダイムシフトできていないため、通常学級内にいる課題のある子は「お客様」状態になりがちである ○4今、居心地のいい環境を提供することに終始しがちで、子どもが社会に出たあとのことを考慮しない/できないまま指導している ○5現場の教師に知識や理解、思いがあっても管理職にない、あるいはその逆、あるいは教師同士で共有できないなど、現場と管理職、現場同士の間の意識や知識の格差が大きく、知識や思いのある教師/管理職の心身の負担ばかりが増大し、結果としてそういう人たちが追い詰められ病んでいくケースも少なくない などといった点だ。
 これらの結果、教師間、学校間、自治体間、保護者/地域間の理解/指導の格差がますます広がり、子ども自身が不利益を被るリスク要因が増える。

 

2.障害のある幼児児童生徒の特性・ニーズに応じた教育・支援のための教職員の確保及び専門性の向上のための方策についての提案

(ア)発達障害は連続性・複合性があること、傾向を持つ人たちが非常に多いこと等を踏まえ、教育に携わるすべての人(保育士・教師・管理職・事務職など)は、人間の認知特性(メタ認知)や学習スタイル、見え方聞こえ方、短期記憶、情報処理(聴覚・視覚/同時・継次など)、注意集中、衝動性等に多様性があること、それぞれの違いによって情報の受け取り方、理解の仕方がまったく異なることなど基礎的な知識や理解を持つことを義務化する。

 本部会でも、これまで「発達障害の子がいるから授業経営が困難」「発達障害の子がいるから学級崩壊が起こりやすい」「専門家が足りない」というような意見が紹介された。こういった意見は、特に特別支援教育がスタートしたこの3年、偏っていたり、裏付けのない一方的な情報を得たりして、それらを批判的に吟味していない教師や管理職等が指摘しがちなことであると、取材を通して実感している。
 発達障害と診断されている子どもであれば、学級や学校を崩壊に導くようなメタ認知や対人関係スキル等は弱いはずで、だからこそいじめられたり不登校になったりするなど不適応を起こしやすく、将来的にも不利益を被りやすい。そもそも学級崩壊が教師の指導力の問題であることは、教育関係者であれば知っていることであろう。こういった指摘の背景には、やる気や力量不足の教師の存在、問題親と言われる人たちの存在、アカデミズム以外の雑務が非常に多いなど教師の仕事量が多岐にわたっていてそのこと自体が負担になっている現状など、現場が抱える別の課題が潜むこと思われるが、それならばそうと指摘されるべきではないかと考える。
 ところで、発達障害と一口に言うが、どれくらいの子どもたちのことを言っているのかご存じであろうか? 2010年度の文科省調査によれば、本年度の小学生は699万3433人、中学生は355万8159人にいるわけだが、2003年度の文科省発表の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」に基づくと、知的発達に遅れはないものの学習面や行動面で著しい困難を示す児童生徒の割合は6.3%であることがあきらかになっている。この6.3%という数字だけが独り歩きしているが、これを本年度の児童生徒に当てはめてみると、66万4750人にも上ることをご存じだろうか。「学習面に著しい困難を示す」児童生徒の割合は4.5%で47万4821人、「読むまたは書くに著しい困難を示す」児童生徒の割合は2.5%で26万3789人である。さらに、付け加えるなら、筑波大学の宇野らの調査によると、小学生で漢字の「読み」に困難を持つ児童は6.9%、すなわち48万2546人で、漢字の「書き」に困難を持つ児童は6%で41万9605人もいることが分かっている。
 これまでも繰り返し説明しているが、エビデンスがあることは自閉症圏だけでなくディスレクシア(読み書き困難・LDの中心症状)も連続性があるということ(Snowling, Hulme 2003)。つまり、診断されているとか、教師からみて明らかに読み書きがしんどい児童生徒以外にも、何らかの困難さを持つ児童生徒はいて、こういう子どもたちは上記の数には含まれていない可能性が高いのだ。現場では「ここからがアスペルガー症候群」「ここからがディスレクシア」と明確な線は引けず、アスペルガー症候群やADHDなどといった医学診断名からだけでは子どもの教育的ニーズはわからないことを踏まえると、教育に携わるすべての人(保育士・教師・管理職・事務職など)に、人間には見え方や聞こえ方、認知特性や学習スタイル、同時的か継次的かなど情報処理の仕方、短期記憶のあり方、聴覚情報や視覚情報の優位差、メタ認知のありよう、注意集中や衝動性等に多様性があることを共通理解として知ることを義務付ける必要がある。そういった特性の多様性から児童生徒への理解を進め、児童生徒指導、授業づくりを行っていく。
 こういった多様性を知る必要があるのは、注意集中に課題がある、衝動性が高い、攻撃性が高い、対人関係が苦手、読み書き計算が苦手等の傾向を見せる児童生徒が即発達的な課題があるとは言えないからだ。両親が不仲など家庭に葛藤がある、虐待など被暴力体験がある、介護をしていたり家族に病人がいる、経済的に困窮している、転校、いじめなどといった環境的な要因のほか、軽度外傷性脳損傷やうつなどがあっても記憶力や理解力に課題が出ることが分かっているからでもある。
 インクルーシブ教育を実質的に行うのであれば、こういった子どもたちをもまた対象に踏まえるべきであることは言うまでもない。

(イ)多様性のある児童生徒のいる学級/学校マネジメント能力の向上

 児童生徒を発達的な視点から理解して指導することと同時に必要なのは、そういった多様性のある子どもたちを踏まえたマネジメントノウハウの獲得である。このスキル向上のための研修も必須である。

(ウ)護身術の導入

 前回も提案したが、課題のある子どもたちに限らず、対教師・対児童生徒への暴力行為は増える一方である以上、児童生徒指導担当の教師はいうまでもなく、管理職も担任も基礎的な護身術を学び、子どもを傷つけず自分も傷つかない方法を学ぶ必要がある。

 

 上記(ア)~(ウ)は障害のある児童生徒を受け入れる云々に関係なく、教育に関わるすべての人(保育士・教師・管理職・事務職など)に必須要件であり、知識等の習得を義務化する。そのうえで、学校単位での専門家の配置を検討する。

 

(エ)都道府県単位で多角的な、専門性のある学際チームによる判定・相談・検証を行う機関を設置すれば、より専門的な指導はこの機関が担えばよい。逆にいえば、こういう専門機関がなければ自治体間・学校間・教師間の格差は埋まらない。

 すでに各学校には特別支援教育コーディネーターが任命されており、また、学会主導で特別支援教育士や特別支援教育士スーパーバイザーといった教師の養成も進んでいるので、日常的にはこういった方々を活用したい。さらに高度な専門性を求めるときには、上記の専門機関から専門家が学校に関与すればよい。

 

 たとえば、福島県のある小学校では、昨年、1年生に全盲の児童が入学した。その子が通常学級に進学した理由は ○1盲学校が自宅からとても遠いこと ○2最近の盲学校は重複障害の児童生徒が非常に多く、視覚だけに課題のあり認知や行動、社会性の面に課題がない盲の児童の将来の社会参加を視野にいれたとき、学ぶべきことが盲学校では学べない可能性もあること などだ。そこで同自治体では、その児童に盲教育の専門家をつけてTTという形で通常学級に進学させた。その結果、○1全盲の児童が入学したことで、担任が自分の指導が視覚に頼っていることに気が付き、授業を行っていくときに指示語等を減らすなど学習スタイルの多様性を踏まえた。その結果、教師の使う語彙が増え、子どもたちの語彙力もまた上がった ○2教師がモデルとなって多様性を認めあえるクラス環境・学校環境ができあがり、とくにこのクラスの子どもたちには公平公正なボンズが育った ○3TTに入った盲教育の専門家は、そのほかの発達的な課題についての知識や理解、指導ノウハウも有していたため、ふだんはその全盲の児童にぴったりと付いているわけではなく同クラスにいるほかの「気になる子」の指導に回ることができた などといったプラスの結果が生まれた。一方、課題は、授業が続次処理的になりがちなので、同時処理が優位な子どもには辛くなりがちという面だ。これには、たとえばモジュール授業を週に何回か導入するなど工夫は可能であるが、そういった戦略を立てるためには、子どもの多様性を知らなければならない。このことが学校の共通理解となったとき、真のインクルーシブ教育が可能になる。

 

(オ)学習スタイルの多様性を踏まえた教科書・副教材の提供、および情報保障としての図書室/図書館の充実、また授業内でのデジタルカメラやICレコーダー等の利用等は必須である。デジタル教科書については定義すらあいまいなうえ、エビデンスにもとづいた議論が欠けている。

 前回も指摘したが、デジタル教科書やすべての子どもにパソコンを導入するなど検討されているが、LDやディスレクシアの子どもたちはパソコンがあればいい、デジタル教科書にすればいいというものではない。現状の教科書の場合、マンガやイラストが多い、多色使いすぎる、イラストのタッチなどの配慮がないなど、デザイン的にはLDやディスレクシア、ADHDの子どもたちには見づらい、使いづらい、結果として理解しづらい教科書になっている。これらは色遣いやレイアウトを変えることによって十分対応できることであり、まずはそういった視点で(紙の)教科書を作ることが急務である。デジタル教科書を作る場合にLDやディスレクシア、聴覚や視覚など感覚障害、自閉症スペクトラムなど認知特性に偏りのある児童生徒の特性を踏まえたうえで作ることもまた、指摘するまでもないことである。それまでのブリッジとして、教科書や副教材のpdfデータを配布することで、子どもの教育権を保障する。音声エンジンの質が向上している現在、pdfデータがあれば指定した箇所の音声化が可能になり、児童生徒の負担はかなり軽くなる。
 短期記憶や視覚情報・聴覚情報が苦手な児童生徒がいることを踏まえ、デジタルカメラの利用やICレコーダー等の利用も認められるべきであろう。この点については、現在、東京大学の中村らが携帯電話を使った学習スタイルの多様性を踏まえた支援の在り方について研究中なので、今後の報告を待ちたい。

 

★繰り返しているが、インクルーシブ教育を取り巻く諸問題をいかに解決しながら、制度を構築していくことが今後の重要な課題だと思料される。いずれにせよ、エビデンスに基づいた制度設計が必須である。

 

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