資料2 中央教育審議会初等中等教育分科会 教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ (第9回) 議事要旨(案)

1.日時

 平成17年8月5日(金曜日)13時~15時30分

2.場所

 如水会館 2階 「オリオンルーム」

3.出席者

 野村主査、門川委員、佐々木委員、角田委員、八尾坂委員、山極委員

文部科学省関係者

 銭谷初等中等教育局長、山中審議官、布村審議官、板東審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他

4.議事

(1)教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

 事務局から配付資料の説明の後、資料3の論点ごとに自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、●:事務局)

委員
 個々の教授任せではなく、大学として教職課程委員会(仮称)を設置して適格性を判断することは、有効に機能すれば大きな力になる。教職大学院の制度設計で重視されている実務経験者について、教職課程委員会(仮称)の中にも、実務経験者の参画を義務付けることは可能なのではないか。専門性の判定をきちんと行うことになれば、教育実習やインターンシップ等が自ずと重要視され、そのような取組みがなければ専門性が育たず、判定できないということもあるかもしれない。教育実習の充実やインターンシップ等にも踏み込んで記述してもらいたい。

委員
 資料3‐1、2の適格性の判定方法で、「教職課程の履修を通じて身に付けた資質能力」とあるが、学部4年間について、縦軸に学年、横軸に適格性を置き、その中で1年から4年まで積み上げながら、適格性を見る仕組みをつくっていく必要がある。この中には、例えば教育委員会との連携や学校現場に出向いての活動も含まれ、教育委員会や学校現場も関与することになる。最終的には教育実習につながるが、学部4年間で適格性を見る1つのイメージをつくっておくのが良いのではないか。

委員
 教職課程において、教員としての適格性を涵養し、免許状の授与にあたって、適格性を備えているかどうかを判断する仕組みは必要である。教職課程において適格性をどのような方法で涵養していくのか。例えば、教職専門科目として適格性を涵養する科目を用意するのか、具体的な方法を確認したい。また、大学においては、必要単位を修得すれば卒業認定される仕組みになっているので、教職課程委員会(仮称)やその判定の位置付けをどのように考えるのか。単位を修得しても、自動的に卒業とはならず、卒業認定が行われるわけだから、学長等が行う卒業認定の際に、教員養成大学については教職課程委員会における審査を経て認められた場合に、卒業認定をするという考え方を取るのか。

事務局
 大学の卒業認定は、大学における学修の成果が得られたことに関する、総合的な判定であるから、それとは別に考えるべきである。大学が判定し得るのは、教職課程の履修を通じて教員として必要な資質能力が修得されたかどうかであり、教職としての適格性そのものまでは判断し得ないと考えている。

事務局
 適格性の形成方法については、教育実習の充実を図ることが1つ挙げられる。また、適格性に関する科目を義務付けるかどうかは別として、教職への志向や一体感の形成に係る授業科目を特に開設している大学等もあるが、教職課程委員会(仮称)を設置するにあたって、新たに適格性に関する科目の履修を義務付けることまでは考えていない。従来からも、教職科目や教育実習の中で、教員として最小限必要な資質能力は形成されてきており、それは単位修得の形で判定しているが、その枠外で、個々の学生に形成されているとみなして免許状を授与していた、そのみなし部分を実質的に確認するために教職課程委員会(仮称)を設置し、そこで全体的な最終判断をする位置付けが可能ではないかと案で整理している。

委員
 教職専門科目や教科専門科目の一定単位数の履修を前提としつつ、それらを含めた学生生活全体の中で、適格性や専門性が身に付いているかどうかを総合的に判定する教職課程委員会(仮称)の判断があって初めて、免許状が授与されるのであって、単位修得がなされていれば、卒業自体は大学として認めるということか。卒業と適格性の判断はリンクさせず、免許状授与は別途審査を経た上で判断するものと理解する。

委員
 教職課程は誰でも履修できる大学がある一方、面接等を実施した上で履修を認める大学もあるなど、大学によって異なるため、教職課程委員会(仮称)には、免許状授与の出口部分だけでなく、入口段階も含めた教職課程の4年間のプロセスを確認するという位置付けも必要ではないか。教職課程委員会(仮称)の役割を明確化しても良い。

事務局
 大学として総合的に判定するのは、大学としての教育成果の確認であるから、大学の判断によって外部の人間を加えることはあり得るが、外部の人間を加えることを中教審で決めることは、大学の自治に反する。

委員
 現在、どの大学でも、教職課程委員会等の組織はあると思われるが、それらが実際に、ここで示されている機能を果たしていない。

委員
 今まで大学において、教員としての適格性を育てる取組みが不十分だったとの前提に立って、教職課程委員会(仮称)をつくるわけだが、大学として適格性を漸次育てていく方策は考えなければならない。今までも、各大学で適格性を育てる工夫はしてきているが、中教審として、適格性を育てるために何をすれば良いのか、どのようなことが望ましいのかについて、何らかの提言をしておかなければならないのではないか。

委員
 教職課程委員会(仮称)が、適格性の判定だけでなく、4年間の教職課程やあらゆる教育活動を点検し、資質向上の役に立ってもらわなければならないが、国立大学法人になったことを契機に、外部評価等の取組みがなされていることから、大学の自治を侵さない範囲で、新たな仕組みをつくらなければ、努力しない大学はそのまま在り続けるのではないか。

事務局
 同じようなことが、法曹養成の場でも議論されている。従来、司法修習所で行われていたことを、大学教育の場に移して法曹養成しているわけだが、さらに、法曹としての適格性を求めるために、大学の成績認定や進級管理、卒業認定に至るまで、法曹三者が関わるべきとの意見さえある。しかし、司法修習の場で行われてきた法曹養成を、大学教育の仕組みを使うことにした段階で、その仕組みの中で対応していかなければならない。したがって、大学の教育機能を使う以上、大学の教育研究に関する自立性が尊重されるべきで、それは、国立大学法人化されても、何ら変わることはない。

委員
 例えば、教育実習でも、子どもの前に立てるだけの資質能力を持った者でなければ、学校現場はその者を引き受けないので、当然大学はそれについて配慮しなければならない。最小限必要な資質能力を持った者を送り出すには、どのような仕組みにすれば良いかを、大学自身が考えなければならないし、考えない大学は教職課程の認定をすべきではない。実地視察では、大学の授業まで視察し、それに対して意見を求めることもあり、大学も教員養成のために変わってきている。ここでは、表現を「望ましい」等にすれば、結果的に、大学の判断により、教職課程委員会(仮称)に実務家教員が入ることになるだろう。

委員
 免許状授与の際の判定項目と、更新の際の判定項目は若干違ってくるのではないか。免許状授与の際は学生の身分であるため、「学習指導要領の趣旨・内容を理解しているか」より、「教科等の基礎的な知識や技能が身に付いているのか」等にウェイトを置きながら、項目を検討した方が良い。現場に行かなければ身に付かない、「学習内容の定着状況の把握」等の項目は変えてもらいたい。また、適格性の養成については、そのための講座を設ける等、学部4年間で対応できる部分があり、また、大学を主体としながら、教育委員会や学校と連携した取組みにより、適格性を見ていくことや、既存の適性検査等を行うことも考えられる。

委員
 資料3‐3の(1)2社会性や対人関係能力に関する項目で、「保護者や地域の関係者と円滑に接することができるか」とあるが、保護者に対する指導力・説得力といったコミュニケーション能力が必要である。これからの教育にとって大事なのは、親を変えなければ子どもは変わらないということなので、この表現ではかえって消極的イメージを与えるので、「保護者や地域の関係者とのコミュニケーション能力を発揮できるか」とした方が良い。

委員
 教育で一番大事なのは、子ども観と教育観である。子どもという存在をどのように捉えるか、教育をどう捉えるかによって決まる。子ども観や教育観に問題があれば、研修を積めば積むほど、問題教員になる。適格性や専門性の判定基準の1つは、そのような子ども観や教育観だろう。

委員
 大学の事後点検・評価は、大学が提出する資料にすぎず、第三者評価が重要となるので、大学評価・学位授与機構等が定期的に第三者評価を行うのが良いのではないか。また、現在の実地視察は不十分なので、最低3日間の外部査察と結果の公表を行うことや、それに対応できる専門家集団を組織することが必要である。

委員
 大学には認証評価制度があるが、これは大学全体の評価なので、教職課程の評価は専門領域別となる。この場合の評価については、まず、自大学の教職課程に特化した自己評価を行い、その報告を基に課程認定委員会や第三者機関等が外部評価するシステムが良いのではないか。

委員
 評価は、する方も受ける方も負担が大きい。大学も、様々な評価対象になって、物理的・精神的な負担を強いられている。現在、認証評価は機関評価が行われているが、中教審答申では、分野別評価等が今後の課題として取り上げられているので、そのような分野別評価とも関連させながら、評価の在り方を議論した方が良い。

委員
 大学でも教員の授業力が問われている。大学は、権威ある教授に対して意見を言えるような相互批判の関係がない。学問研究のみであればそれで良いのかもしれないが、教員養成については問題となる。資料3‐3について、子ども観や教育観は一番大事だが、「保護者や地域の関係者と円滑に接することができる」という表現は、親や地域の関係者とトラブルを起こさないという意味に取れる。そのような資質能力を見るのではなく、例えトラブルが起きても、親や地域の関係者に対して意見できることが必要で、「円滑」という表現は好ましくない。そもそも、トラブルに対してバックアップするのが学校組織であり、教育行政でなければいけない。

委員
 免許状の授与という一番大事な部分を大学に任せている以上、教職課程を外部から評価しなければ、うまくいかないのではないか。大学に免許状の授与を任せるのであれば、大学がそれに相応しい体制や機能を整えているかを指摘する必要がある。その場合、必要最低限の書類だけを求めても良いし、問題が認められる大学だけを対象に、課程認定委員会が評価する形でも良い。場合によっては、採用した教員に問題がある場合には、各教育委員会からその教員の出身大学に対する意見を聞くこと等、何らかの調査をすることも考えられる。書類のみの評価ではなく、いくつかのルートから情報を集めながら、常に全体をカバーして、問題が生じている場合には的確に調査し、その問題を明らかにする仕組みをつくることを提言しなければならない。

委員
 課程認定委員会の実地視察は、最近は、優れた教員養成を行っている大学も視察して、優良モデルとして公表している。しかし、実際には、大学が全て読んでいるわけではなく、過去の教養審答申を読まずに教員養成を行っている大学もあるのが実情である。そのため、教職課程に必要な授業科目だけは設定しているものの、専任教員が不足していることもある。このようなことを考えると、外部評価は行わなければならないが、どのような形で行うのが一番良いのかは検討していきたい。

委員
 更新要件については、資料3‐2の案2が良い。免許状は、大学が実質的に授与する以上、卒業後も責任を持ってもらう必要がある。そのために、大学が単独あるいは教育委員会との連携の下で行う、あるいは教育委員会主催でも大学が関与する、質の高い講習を定期的に行っていくのが良い。現行の研修では、受講生の評価は行われていないが、これではいけないのであって、講習を修了すれば評価し、その結果を校長や教育委員会に報告するシステムをつくらなければならない。講習を受けた結果、授業改善等にフィードバックされるように、講習を受ける教員には講習に対する意気込みを持ってもらいたい。

委員
 案1の問題教員のみをチェックする勤務評価の形より、案2が良い。ペーパーティーチャーは地域の優れた教育力になっているので、それらの者が、案2の講習を受けながら、非常勤講師や教育ボランティアとして関われる形が良い。案1では、分限制度が十分に機能すれば意味がなくなる面もあった。案2の講習について、更新の要件として有効期限内の受講歴を見ていくことになるが、既存の研修を十分に受けている現職教員や教育活動に熱心な校長が、講習を受けなければならないのは無駄なので、そうならない仕組みを考える必要がある。また、「大学の指導の下に教育委員会が開設する講習」については、問題のある大学もあるので、「大学と教育委員会の協議によって開催される講習」等の表現にした方が良いのではないか。

事務局
 「大学の指導」については、大学と教育委員会のどちらが上に立つとかという趣旨で表現していない。免許法の体系の中で、大学における教職課程の修了が免許状授与の実質的な要件になるので、上進制度も含めて、免許状授与の実績を積み上げている大学が関与していることが、法令上の基本体系になっているので、それを踏まえて、全体の整合性を図るために、今回の案の表現にしている。

委員
 大学が、学生の卒業後も講習等で関与することになれば、大学の質が変わってくる。講習の在り方について、多人数受講による一方的な講義形式だけでなく、少人数形式やディスカッション、模擬授業等を取り入れた形も必要である。教育現場に目を向けないような旧来の講義だけでは、大学はそっぽを向かれることになるので、大学の教員養成の在り方も自然に変わってくるのではないか。

委員
 教職大学院も、1~3年間のコース以外に、短期間の講習も行わなければならないだろう。講習は、教育委員会の指導を受けながら行うことになるだろう。「指導」という表現については、「緊密な協力体制の下に」といった表現にした方が良いのではないか。

委員
 これまで、一定の勤務実績を更新要件とし、講習等の受講は義務付けず、努力義務とする議論になっていた。そう考えると、米国では講習等による単位取得を義務付けているが、日本では、国レベルで初任者研修や10年経験者研修、自治体レベルで5年目や15年目、20年目の研修を行っているので、それに照らせば案1の方がすっきりしている。また、専門性の向上については、上進制度とも関わらせて、機械的に更新するのではなく、一定の講習の受講を努力義務とする方法も良いのではないか。資料3‐4の案2で、事例2の卒業後5年目で正規採用された場合、22歳で1種免許状を授与されているが、授与時点で免許に有効期限が付されているため、採用された27歳の時点で第1回目の更新が来ている。更新要件として、これまで勤務実績等が含まれていたので、この場合にはどのように更新が行われるのか。

事務局
 この事例では、最初の有効期限が5年なので、22歳で免許を取得して、1回目の更新が27歳となる。更新要件を案2とすると、更新前に一定以上の講習の受講が課される。仮に、更新要件が案1の場合、一定の勤務実績が課されるが、例えば非常勤講師や臨採での勤務実績も可能とすれば、その評価により更新の可否が決定されることになる。もし、勤務実績がないとなると、更新時にそのような評価が難しくなるという問題がある。

委員
 更新要件の案1・案2については、一本化して部会に上げてもらいたい。案1は雇用関係と個人の資格との関係で問題が残る。免許とは、その職種に係る個人の適格性を証明するもので、雇用の前提になることはあるが、雇用関係とは切り離される。雇用関係の在り方が、免許に係る適格性の判定に影響するのは問題であるので、案2は雇用関係と免許を切り離した点で良い。大学が実質的に免許を与え、それに基づいて、学校法人や教育委員会が雇用を決めるという形になるので、更新についてもそのような形になるのではないか。勤務実績に代わるものとして、案2では講習があり、したがって、講習も実態として教育委員会が行うことになっても良いが、受講対象者を当該教育委員会管下の教員に限るのではなく、私学の教員やペーパーティーチャーにも認めなければならない。ワーキンググループでは、案を1つに絞り、その案を選択することで副作用が起こらないようにする方策を検討してもらいたい。

委員
 案2では、ペーパーティーチャーの問題が解決する。講習の在り方については、質の高い研修と更新における講習の関係をどうするかという問題が残っている。

委員
 案1では勤務実績が更新要件となっているが、勤務実績を問わなければ案1も選択できるのではないか。ペーパーティーチャーも常に更新しなければならないという論理は良いが、更新要件を一定以上の講習の受講とした場合、講習の内容や事務手続の煩雑さ等の問題もある。

委員
 案2を選択するべきである。免許は、個人の資格なので、その資格を更新によって持ち続けられるかどうかの問題であり、資格を与えた者がその資格を継続させるかどうかを決定すべきだろう。したがって、更新の可否を決めるのは、免許状を授与した者になるので、それが案1では都道府県教育委員会であり、案2では大学であり、そこが本質的な違いである。免許状の授与権者は、形式的には都道府県教育委員会だが、実質的には大学である。その意味では、大学が実質的に免許状を授与する者として免許状の更新を認めるかどうかについても決定すべきなので、案2が妥当なのではないか。確認したいのは、大学が行う一定以上の講習について、その講習の質・量をどの程度考えているのか。また、講習の修了が要件だが、修了認定については、具体的な考えがあるのか。免許状の授与にあたっては、教職課程委員会(仮称)において評価した上で免許状を授与するという仕組みなので、講習修了に係る手続きや仕組みを確認したい。資格を継続させる意味においては、更新も重い判断であり、それに一定の権威付けを与える意味において、何らかの行為を介在させるのか。

事務局
 講習の受講方式については整理中だが、講習の内容としては、免許状授与の際に判定する5項目の講習を受けてもらう形になるだろう。免許状の授与段階で、面接や模擬授業、場面指導等を取り入れて判定するのであれば、更新の講習でも、単に講義のみでなく、面接等を取り入れてもらい、それがきちんとできるかどうかが評価・判定されるのが望ましいが、専門的に検討する必要がある。講習時間については、委員の専門的な立場から検討いただくことになるが、米国の例では、5年の間に約125~150時間となっている。我が国で、有効期限の切れる約1年前に講習を行うとすれば、1年で約20~30時間が適当ではないかと思うが、検討いただきたい。修了認定については、免許状授与の際には全体としての適格性及び専門性を判定していて、それは免許の有効期限内は維持されている前提だが、更新時に受講した講習で1つでも修了できないものがあれば、維持されていた部分が欠けていることを意味するので、全体としての判定を行わなくても、更新しないとする判定ができるのではないかと考えている。

委員
 事実上、講習を受講すれば良く、受講してそれが具体的にどの程度受講者に身に付いたかの判定は必要ないのか。

事務局
 受講すれば良いということではなく、講習の内容については、免許状授与の際の判定項目の視点を踏まえた講習を受けてもらい、それを講習実施者がきちんと評価し、身に付いたと認定できた者について修了証を授与することは必要である。更新時に、判定項目全体を含めて、何らかの委員会等がもう一度評価を行う仕組みまでは必要ないということである。

委員
 案1では、せっかく資格を取得しても、勤務実績がないことで失効することになるので、案2ですっきりした形になっているのではないか。例えば、海外に在住している等、勤務できる条件にない者が何の手立ても無く失効するのはおかしいので、講習を受ければ更新されるという仕組みは残さなければならない。案1でペーパーティーチャーを対象とした更新の仕組みをつくれば、案2に似てくる。また、案2の場合に、誰から見ても優れた教育実践をしている者が、講習を受けなければならないのもおかしいので、そういう者については、講習を免除する仕組みがあっても良いのではないか。現在、現職研修は色々行われており、大学の講座を受講している現職教員もいることから、飽和状態になっている懸念がある。現場の研究授業等を充実して、学校現場で実践により教員が育つ仕組みを組織化する、不十分な部分の研修を集中的に行う、あるいは得意分野を伸ばす研修を行う等、研修の特化・自由化・組織化が行われている中で、新たに講習を受けなければならないとすると、無駄になる部分がある。現職研修とこの講習をうまく融合させなければ、屋上屋を重ねることになるので、十分な制度設計が必要となる。

委員
 案2の場合に、例えば、A国立大学とB私立大学が同じ地域にあり、両大学が更新の講習の実施を希望した場合はどうするのか。また、更新の講習は、例えば、文部科学大臣が認定する形を取るのか、国立の教員養成系大学に特化するのか。講習は、10年なら10年の中でコンスタントに受けず、特定の時期だけ受ける形だと、それを受けるまでの間に実力が欠けた場合には子どもが被害者になるので、特定の期間だけに限って受けることは問題がある。そこも含めて、研修と講習との関係についての事務局の考えを聞きたい。

事務局
 どういう講習を更新要件とするかだが、現行でも文部科学大臣が認定する免許法認定講習があり、一定の水準を満たしていれば、国公私立の別なく認定する形になっているので、同じような仕組みで更新認定講習が考えられるのではないか。実施主体についても、大学だけでなく、教育委員会や特殊教育総合研究所等、適切なところであれば幅広く認定していく形が考えられる。一定水準以上のものが一定規模以上、各地域において展開されることが必要である。また、更新講習と現職研修とは直接連動しないので、別々に実施されるが、例えば10年経験者研修や教育委員会が行っている5年次研修、あるいは分野別の課題研修も、大学の関与の中で実施されているもので一定水準以上であり、更新時期と重なるものについては、それをもって更新の講習に代えることができるかどうかも検討が必要ではないかと考えている。

委員
 案2は、米国と似通っており、米国と同じ方針のようである。米国の場合は、地方分権により各州で講習を行っているので、我が国にあてはめれば、認定講習を行うのと同じ発想である。更新における単位についても、我が国であれば、初任者研修や10年経験者研修が国レベルで行われているので、それを仮に米国で行っているものとすると、それらの研修を更新の講習に読み替えることも、出てくるのではないか。また、更新回数については、5年目まではきちんと資質向上を図った方が良いという議論だったので、最初は5年、その後は10年単位で更新を考えても良いのではないか。

委員
 問題は22歳ですぐ採用される者と、免許状取得後5年くらい経って採用される者がいることである。

委員
 案2の考え方は、ペーパーティーチャーも含めて、免許状を保有している者全てを対象としたものであるから、免許状を更新したい者は、全て講習が義務付けられるので、採用とは切り離すことが可能である。

事務局
 資料3‐4について、案1と案2でパターンを示しているが、採用との関係では様々なパターンがあるため、教職生活でどれくらいの更新回数となるのかをイメージするために準備したものである。案2は、初回を5年としているが、免許の取得に、学部段階で4年、専修免許状では6年かかるため、初回の有効期限を5年と設定することで良いかという論点もあると思われるので、その点も議論していただきたい。

委員
 免許状を取得した者に、教職への意欲を高めさせる意味からすれば、初回を10年とする意味はある。免許を有効期限付きにする前提をとっても、初回を10年にするのは1つの考えである。学生の立場なら、5年で失効するのは、教職に対する意欲がそがれるのではないか。また、専門性の向上のために専修免許状を取得する必要性も議論で出ているので、単に繰り返し10年ごとに更新するのではなく、上位免許状を取得する視点を忘れてはならない。

委員
 上進制度はうまく活用されることが大事なので、教職経験の中での自己研鑽を評価していく制度は良い。教職経験は、長いから尊いということはなく、常に自己研鑽と一体のものでなければならないので、経験年数による単位軽減はなくし、1年間でどのような研修を積んできたかのみで評価しても良いのではないか。研究授業等の研修を受けていれば1年何単位として、最大15単位まで軽減していくという形が良い。

事務局
 現在の上進制度では、一種免から専修免への上進の場合、良好な勤務実績が15単位相当で評価される仕組みになっている。資料3‐2について、現職経験だけでも一定の単位数が軽減される仕組みが必要ではないかと整理したのは、どこの学校にいても自己研鑽の機会を時間数で証明できるかという点を考えた時に、へき地や島しょの学校では難しい面があるのではないかと考えられたため、勤務が良好であることによって軽減させることは、制度の枠組みの中で残した方が適切ではないかということで、資料ではその案を示している。

委員
 教員が、子どもを前に提案授業を行い、その内容について同僚と議論しながら、資質向上を図ることが基本であるが、何年間も提案授業をしていない教員もおり、平成14年の中教審答申の際にも、PTAからそのような指摘があった。現場の校長のリーダーシップにより、全教員が提案授業を行い、資質を向上させるためにしっかりとした校内研修を据えることが大事である。また、子どもの教育をないがしろにして、研修ばかりに参加する教員がいることも事実なので、あまり研修を前面に出しすぎると、そのような問題も起こる可能性があるから、その点はおさえつつ、質の高い研修を受けた場合には、大学院の単位として認定し、専修免許状を取得できる形にするのが基本だろう。それが、教養審第二次答申の精神を活かすことでもあるので、上進制度の問題については、更新制の問題とは別に検討しなければならない。

委員
 現場から見ていると、やはり教員は多忙である。30代半ばを過ぎて学校のリーダーとして企画立案に携わってくるようになると、ゆとりがなくなってくるという事実があるし、校長としても、その者たちに研修で抜けられてしまうと厳しい。しかし、更新制の意義を考えると、受け入れざるを得ないが、せめて上進制度の中で、日常の教育活動をきちんと行っている者には単位を認めてもらいたい。ただし、その場合の提案授業は、小学校では年間6回行うのが精一杯である。提案授業は、全教員が見なければ意味が無いため、学校行事等を考えると、その程度が限界である。また、誰が提案授業を行うかとなると、基本的には若い教員に行ってもらい、先輩教員が指導助言をして鍛えるのが通常のパターンになっている。人事考課制度等とうまくリンクさせながら、勤務成績が良好であるとか、学校の中でリーダー的な役割を果たしているといったことから、単位を認定していくような制度設計も検討した方が良い。

委員
 教職大学院との関連も当然出てくる。修士号を取得して専修免許状を取得するケースが増えてくると思われるので、上進制度については、そのようなケースも代案として示しておく必要があるのではないか。また、大学院の在り方も、サテライト形式や土曜日開講等、受講しやすい環境が前提になる。案2の上進制度の中で、1年間の自己研鑽(行政研修、校内研修等)とあるが、校内研修は学校や地域により差異があるため、これにより単位を軽減するのは難しいのではないか。

委員
 良好な成績の勤務はもちろん大事だが、これからは一生懸命取り組んだことは必要条件に過ぎず、結果を出すことが求められている。したがって、結果については厳密に判断し、結果が出ればそれをポイントとして換算する制度を検討することが必要ではないか。

委員
 資料3‐2の上申制度について、1年間良好な成績で勤務した場合、自己研鑽と合わせて5単位まで軽減できるという考え方か。教育公務員特例法では、教員は研究と修養に努めなければならないとなっており、研修が努力義務になっているので、良好な成績で勤務することの中には、自己研鑽に努めることも当然に含まれているのではないか。それを、このようにダブルカウントすることが、本当に良いのか。

委員
 更新の初回を10年とすると、ほとんどの教員が上進制度を活用し、上位免許状を取得するのではないか。そうなると、更新制はペーパーティーチャーだけを対象としたものになる印象を受ける。単に繰り返される更新だけでは、モラルも高まらないのではないか。

委員
 更新制や上進制度によって、免許状授与時の適格性が維持されるが、それ以上に、時代の変化に応じて教育課題や子どもも変わっていく中で、適格性そのものをリニューアルして、より深めて、より高めるための刺激剤として、これらの制度があると捉えた方が良いのではないか。したがって、更新制導入の結果として、多くの教員が上進制度に流れても、良いのではないかと思う。

委員
 ペーパーティーチャーの更新時の判定基準は、現職教員とは変わってくるのか。10年間、全く勤めていない者が更新する場合、勤めた者とは経験や能力の面で変わってくるのではないか。

委員
 教職経験の有無により、講習内容には差をつけなければならないだろう。判定基準そのものは変わらなくて良いが、教壇に立っていない者は、その部分を補う講習を受けなければならない。教職経験が無い者には一定の講習を追加する、有る者には一定の講習を免除するという形で、講習全体の仕組みをつくらなければならないのではないか。

委員
 座学的な講習だけでなく、教育関係のボランティアを大いに行ってもらい、それが更新にあたってプラスに判断されるのならば、地域を上げての教育力向上に大いに役に立つのではないか。

5.閉会

お問合せ先

初等中等教育局教職員課