教員養成部会 教員免許制度ワーキンググループ(第10回) 配付資料

1.日時

平成17年10月7日(金曜日) 10時~12時35分

2.場所

如水会館 2階 「オリオンルーム」

3.議題

  1. 教員養成・免許制度の改革について

4.配付資料

5.出席者

委員

 梶田部会長、野村主査、門川委員、甲田委員、佐々木委員、渡久山委員、八尾坂委員、山極委員

文部科学省

 板東審議官、山中審議官、徳永審議官、戸渡教職員課長、浅田専門教育課長、勝野視学官 他

6.議事

(1)教員免許制度の改革、とりわけ教員免許更新制の導入について

 事務局から配付資料の説明の後、資料3、4の論点ごとに自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○:委員、●:事務局)

委員
 前回まで、大学で教職課程委員会(仮称)をつくり、そこで最小限必要な資質能力の有無を認定する案が検討されていたが、義務教育特別部会では、大学として判定するのは難しいという意見があった。それを踏まえて本日の案になったと思われるが、経緯を知りたい。また、教職の意義等に関する科目を1単位減じて、「教職実践演習(仮称)」を設けることについて、昨今、教員に限らず、人間としての生き方といった人生観が欠けてきていると指摘されており、教職の意義等に関する科目は必要なので、減ずるのではなく、単位数を追加した方が良いのではないか。

事務局
 大学として責任を持って学生を送り出してもらう上で、最後に教職課程委員会(仮称)で確認を行うとなると、一点のみでチェックする感が否めず、むしろ科目の形できちんと時間数を確保し、必要な資質能力の形成に向けての指導を行ってもらい、単位認定という形で評価してもらう方が、全ての大学できちんと行ってもらえるのではないかとの考えから、今回の案となった。今回の案は、総単位数を増やさない前提に立っているが、これは、教職の意義等に関する科目は、教職課程の初期段階で教職の意義を理解して、動機付けを図っていくため、平成10年に創設したが、その趣旨を反映するならば、最終段階で必要な資質能力の形成ができたという部分につながる科目も意義があるので、このように整理した。現在、例えば中学校の一種免許状でも、67単位が最低修得単位数となっており、一般大学では、免許状取得に必要な単位数がかなり多い。前回の免許法改正の際も、総単位数を増やすことが難しい中で、科目の構成や教科・教職科目の考え方を議論いただいた経緯も踏まえ、この案を示させていただいた。

委員
 教職課程委員会(仮称)で確認する案よりも、科目を新設して、教職指導も法令上に謳えば、大学が全体として責任を持って教員を養成する方向に導けるのではないかとのことで、この案になっている。また、教育観や人間観、世界観といった教育哲学の形成は重要だが、それは教育原理等で行ってもらい、教職入門2単位の1単位分を「教職実践演習(仮称)」に充てようという提案である。

委員
 科目の新設は、当ワーキンググループでも以前から出ており、全体の方向はすっきりしている。科目を新設し、この中で最小限必要な資質能力を全般に見るとされているが、ここで言いたいのは、教職指導の質的な充実や向上ではないか。そうであれば、外部評価等とセットで考えるということが記述されていれば、一層大学側の緊張感が増すのではないか。

委員
 具体的に踏み込んだ内容であり、全体としては賛成である。「教職実践演習(仮称)」の内容を見ると、京都市の教員採用試験と同じであり、従前から、一次試験で面接試験と小論文試験を全員に行い、二次試験で演習的なグループ討議と模擬授業を行わせ、模擬授業の前に指導案を作成させている。採用試験が7~8月に行われているという時期の問題もあるが、大学で指導案を書かせることはあまり行われていないためである。大学で、「教職実践演習(仮称)」をきちんと行ってもらうことは大事だが、1単位で良いのか。総単位数の問題はあるが、2単位でも良い。「教職実践演習(仮称)」を通じて、大学が仕上がり基準を示していくことはわかるが、単位の修得だけになりかねないと感じるので、今回の案の「教員養成カリキュラム委員会」の充実・強化を促進させる必要があるとのことだが、設置の義務付けが難しければ、外部評価を関連付けていくことが必要ではないか。大学が責任を持って教員養成を行わざるを得なくなり、評価に耐え得るシステムをこの機会につくる必要がある。

委員
 科目の新設もやむを得ないが、従来の単位認定と変わらないのであれば、教科が増えただけになる。現在、必ずしも大学が適切な教員養成を行っていないという問題がある中で、きちんと対応できるのか疑問であり、教員養成課程におけるカリキュラムの問題や、大学教員の教え方、講義内容の問題等も含めて、問いかける必要がある。また、新設科目は、適格性の養成や適格性の判断の尺度になるのか。今、教員は適格性が問われており、特に使命感や情熱、将来教員としてやっていける資質があるのかが問われている。そうであれば、教職の意義等に関する2単位に加えて、新設科目も2単位とすることが必要ではないか。総単位数は、なぜ増やさないのか。また、新設科目において、学校現場との交流や体験交流を行うのなら、教育実習と同じであるため、どのように区別するのか。実習公害など教育実習の問題点があるが、その解決をどのように行うのか。新設科目が出てくると、両者の区別の他に、問題点の解決策も考えなければならない。

委員
 総単位数を増やさないと決定したわけではない。増やすべきとの意見になれば、案として出さなければならない。単位数を増やさない案としたのは、平成10年の免許法改正時に、教科専門科目を減らし、教職専門科目を増やしたことに対して批判があった上、1~2単位増やすことについても批判を受けた経緯があったためである。

委員
 教科専門科目と教職専門科目を総合する形で、第三のカテゴリーとして設定することは意味がある。この科目の新設が問われているのは、現在の教員養成が必ずしも十分でなく、工夫・改善すべき点があり、特に、具体の教職指導面や教員としての在り方、気概等で批判されるべき点があるからである。それを考えると、既存科目の単位数の削減が良いのか、議論が必要である。新科目は複数教員の協力方式で実施するとあるが、教職課程の総仕上げの意味を込めて設けるのだから、それにふさわしい単位認定方式が必要となる。一人の教員が単位認定をするのか、複数の教員の一致した評価を求めるのか、議論が必要となる。教職課程全体を通じた教職指導の実施を法令上、明確にするとの記述があるが、その意味は何か。「教職実践演習(仮称)」を新設する際、この科目が仕上げ段階であることを考えると、最初の段階の「教職の意義等に関する科目」は、教職に関する科目の枠内で良いのか。第三のカテゴリーをつくるのであれば、始めと終わりに配置して、体系的に行われるような工夫も必要ではないか。

事務局
 現在、免許法施行規則第22条で、「認定課程を有する大学は、(中略)必要な授業科目を開設し、体系的に教育課程を編成しなければならない」とされており、課程認定の審査においても、体系的なカリキュラムが組まれているか確認していただいているが、教育課程の体系的編成と同時に、必要な教育的指導を行わなければならないと明確に位置付け、その点を課程認定の中でも、どのような実施が予定されているか確認してはどうかという趣旨である。

委員
 「教職実践演習(仮称)」を何単位にするかは、多角的な検討を要する。個々の大学で最低限必要なものとして新科目が位置付けられるが、それで終わるわけではなく、これが更新制につながっていく。10年ごとの更新において、「教職実践演習(仮称)」で行われた内容が実践の中でどれだけ行われているかを見るために、この科目を教職課程に入れるというように、連続性を考えた方が良い。

委員
 教職の意義等に関する科目は、入門段階であるため、大講義室で行われているのが現状ではないか。仕上げの段階が、多くても数十人単位の演習というのは意義があり、また、この段階で、教員の職務等を再確認して、教員として育っていく基本を教える意義はある。「教員養成カリキュラム委員会」が打ち出されているが、各大学がこの中で、カリキュラムや「教職実践演習(仮称)」の中身をどうつくっていくかの責任が問われるのではないか。大学自身に自覚させ、カリキュラムを全体的な視点でつくっていくことが必要である。少人数の演習の実施も含めて、大学側の負担の問題もあるが、教員を育てる科目を設けるわけだから、自覚を促す上でも良いことである。

委員
 「教職実践演習(仮称)」のイメージ案について、教職専門科目に関係する内容が多く、教科専門科目に関する内容があまりないが、できれば、例えば教材解釈の方法論といった、教科専門科目に関わる内容のチェックを入れるべきではないか。

委員
 イメージ案の1~4は何単位で、どのような講座になるのかイメージがわかない。4は演習的なものとなっているが、どれくらいの人数に分けて、何人の教員で担当し、内容を消化するのか。また、1~4を見ると、原理論や方法論の他、板書といった実習のようなものもある。総仕上げ的であれば、時間もかかるし、研究も必要になってくる。その時間の確保が多くの学生を抱える私学でできるのか。結局、消化しきれないとなれば、大講座で行われ、形骸化していくのではないか。単位を増やすのであれば、2単位をベースにすべきである。私学を含めて、大学が耐え得るかどうか、実習を行うとした時にどのようになるのか、もう少し具体的にする必要があるのではないか。

委員
 このイメージ案の内容は、大学での養成の後も続くものである。採用後の研修も含めれば、ほぼこれに等しい。養成段階で全て決着しようと考えなくて良く、教員になった後も、研修を行っていくのであり、ここで終わりではないので、このイメージ案になるのではないか。教育実習でも、学校によっては、1を校長が行い、2を副校長が担当するなど、1~4にあることを教育実習の中で行っている。教育実習の単位数とどのように区分けして、あるいは再編成していくのかを工夫できるのではないか。ただし、その際には、これまでの教育実習とは違うということを現場に周知しなければいけないし、現場も新たな教育実習の在り方を構築しなければいけない。大学の評価の在り方や教育実習への関わり方も、新たなものになっていくのだろう。

委員
 このイメージ案にあることが行われるということは、教育実習や各授業科目がずいぶん変わってくるだろう。教員としての使命の確認と明確化が、これまで以上に各専門科目の中でなされるようになり、再度この演習でトータルにチェックされることになる。きちんとした基準を設けて単位認定を行う大学が増えてくるのではないか。教育実習から戻ってきた学生に対して、1単位でもこの演習の中で授業を行うことによって、教員に向く芽が出て、その中で学んで力をつけていくことも期待している。

委員
 教育実習について、各大学で実習の前に、学生の学業態度や教職への情熱等を勘案して、履修許可を出すよう、免許法施行規則等の中に入れられないものか。各学科の判断で、セレクトしている私立大学がある一方、国立大学はほとんどセレクトなしで行かせている。法令上、教育実習の履修許可の要件が加えられれば良いのではないか。

委員
 京都市でも、かつて実習公害と言われることがあったが、現在は、大学と協定を結んで、小・中学校を中心に800人近い学生に入ってもらっている。ボランティアとは別に、インターンシップとして学校に入ってもらっている。さらに、大学が夜間や土曜日等を使って、カリキュラム開発支援センターやそこの指導主事を活用しながら、授業案の作成なども行っている。新しい制度について課題はあるだろうが、先進的な大学等ではすでに取り組まれている。学校も困難な面はあるが、受け入れる度量を持っていかなければならない。教員養成のためには、双方の努力が必要で、双方が批判し合っていたことは乗り越えなければならない。

委員
 教育実習に行かせるかどうか、適格性を判断している大学や、一定単位を修得していれば母校実習に行かせている大学もある。学生がきちんとした意志で実習に行くつもりか見極める大学側の責任はあるだろうし、また、実質的に実習校の判断が単位認定の判断になるが、母校に行って単位を落としたという者は経験上いない。教育実習の出口も、今回のイメージ案のような判断基準で、厳しく対処することが必要になってくるのではないか。大学も学校も、きちんとした責任を持つという考え方が必要である。

委員
 総合的に教員としての資質能力を見るのであれば、第三のカテゴリーとして、複数の教員が少人数の演習で実施し、また、例えば、他国で行われているように、採用試験の前に色々な面接や研修、仮想授業等を行えるような形にすれば良い。大学がもう少し責任を持って、取り組んでもらわなければ、どんな改革案も生きてこない。専修免許状の所有者は、高等学校でも3割以下である。高等学校の場合は教科中心だからまだ良いが、中学校では生きていないし、専修免許状の所有者は少ない。専修免許状の在り方も含めて、大学における教員養成が現場から乖離している。この際、その点も含めて包括的に議論を行い、大学で実践してもらえるような案にしてもらいたい。

事務局
 今までは、中教審等でカリキュラムの在り方が問われ、議論されても、それを具体的に担保するものは免許法の科目名称と単位数でしかなかったが、今回は、イメージ案を提示していることが大きなポイントである。問題はむしろ、今後、イメージ案をどのように位置付けていくのかである。例えば、医学等の分野では、大学関係者の協議による自主的なモデルカリキュラム案の提示が行われているが、今回、このような形で初めて具体的な内容や方法、対応をイメージ案として示した。今後、これを具体的に報告や答申の中で、どのように取り扱い、担保していくのかが重要になってくるが、そうなると、他の教職に関する科目や教科に関する科目はどうするのかという議論に発展していくのではないか。

委員
 学校週5日制になり、授業時間の確保も難しい中で、公立学校では、なぜ教育実習を受け入れなければならないのかという声がある。必修科目を履修した者でなければ、実習に行かせないという条件を付けている大学もある。教育実習に行かせるための条件を法令上明示すべきとの意見があった。教育実習を総合化して、事前事後と4週間の実習を行うかというだけでなく、例えば、1年時からボランティアやインターンシップを行い、3・4年時に教育実習で収束させるというように、各大学が教育実習の全体構想を持てば、「教職実践演習(仮称)」との相乗効果で優れた教員養成ができるのではないか。

委員
 p.5の「7.その他」の1つ目のまるについて、小学校の教員免許状は取得しにくいが、質の良い教員を迎えるため、門戸を開いていくことが大事である。農学部や工学部の出身者の中に、子どもが好きで、ものづくりや自然観察が得意で小学校の教員になりたいという者がいるので、免許状を取得しやすくする方策も必要ではないか。最低限の資質は押さえておかなければいけないが、この○の記述は価値のあるものである。

委員
 開放制の下で、大学が責任を持って教員養成を行うことが求められており、p.1の2.1.(1)の「取組むことを期待」や、3つ目の○の「設置を促進」という表現は、「設置すべき」とすべきである。また、p.2(2)の「検討」について、答申全体が検討してもらうことを謳うと思われるため、「検討」という表現は必要ないのではないか。2.の4つ目のまるにある「期待」という表現も検討して欲しい。p.4の3に「有効期限の満了時の直近1年間程度」とあるが、10年更新となれば、2年間でじっくり講習を受けてもらうのが良いのではないか。特に、ペーパーティーチャーの場合、教員免許を更新していくためにじっくり勉強してもらうなら、1~2年かけた方が良い。2年でも、講習を受ける効果は変わらないと思われ、3年でも良いと感じる。p.5の7.の1つ目の○に関連して、中・高の採用試験の競争率が高いため、京都市では、不合格者をスクールサポーターとして採用し、小学校1・2年生のクラスに配置しながら、1年間、大学の通信教育で学ばせて、小学校の免許を取得してもらっている。小学校の教員採用において、非常勤で勤務している者の方が合格率が高く、質の良い教員が採用できる。このような取組は、幅広い人材を小学校に導ける利点があると感じられ、もう少し具体的に示せれば良い。また、5.の3つ目のまるにある「条件附採用期間制度の厳格な運用」については、2年又は3年にするのが良いのではないか。

委員
 直近1年間程度の間に更新講習を受講することの意味は、10年間の間に体系的な行政研修を受け、あるいは自主研修を行い、そして直近1年間程度の間に受講するという意味だと考えている。更新講習まで何もしないのでは、子どもが犠牲になるので、教員は絶えず体系的な研修を受けて、質を向上させなければならない。

事務局
 p.1の「期待」や「促進」との表現は、ワーキンググループとしてきちんと大学に取り組んでもらいたいというニュアンスが伝わるよう表現を工夫したい。p.2の「検討」については、その方向を目指しながらも、具体的にどのような形でできるのか、細部の検討がこれから必要と思われるため、「検討」と表現している。

事務局
 10年の間に、色々な教育内容の変化があり、社会状況の変化等に対応して、その時々に求められる資質能力にリニューアルしていくという考え方の下で、何年であれば適当かという議論である。事務局案としては、社会の時々に応じた資質にリニューアルするという意味で、1年くらいが適当としているが、2年だとリニューアルにならないのかということまでは、議論されていないと思う。

委員
 p.4の4について、初回の更新を10年間とした場合、10年経験者研修と関係してくるので、検討が必要である。最初の5年間はきちんと指導するという考え方もあるので、検討が必要である。各自治体では、法定研修の他、5年次研修等独自の取組があるので、研修の整合性について、各自治体に任せることは必要になってくると思う。8について、例えば、小学校と中学校では免許状の性格が違うので、小学校の免許状の更新だけで、自動的に中学校の免許状も更新されるのではなく、単位の軽減が多少あるとしても、何らかを課す必要があるのではないか。米国でも、単位削減の配慮はしているが、通常はそのようにしている。9について、ここで言われている法制度上の課題とは、どのような課題なのか。3の最初の○について、教育委員会が行う更新講習は、常に大学の指導の下に開設されるのか気。p.5の7.の1つ目の○について、これからは小学校の教員採用が増え、質は当然だが、量への対応も重要となってくる。免許状を取得していない者や中・高等学校の免許状を取得した者、民間経験のある者が小学校教員になりたい場合の受け皿をつくることも必要ではないか。例えば、大学が小学校教員を養成するセンターのようなものを設置すること、卒業生を対象とした小学校教員に特化した教員養成を行うことなどがあって良いのではないか。

委員
 平成14年答申後に、指導力不足教員に対処する制度もできたし、10年経験者研修も義務付けられた。同答申は、ある程度フォローアップされているのではないか。基本的な考え方の中に、平成14年以降の問題や更新制の導入の必然性が説明されなければならないし、その妥当性も含め、説得力を持った内容が書き込まれなければならない。他の資格制度との関係からも、更新制を導入する必然性について検討しなければならない。また、教員だけに更新制を課すことが妥当なのか、公務員制度との関係でも検討しなければならない。現在、民間人校長の登用が行われ、民間人の教員採用も進めるべきとの議論もなされているが、そうであれば、教員免許について厳しく対応する意味があるのか。大事なのは、今、教育現場で起きている問題の解決のために、更新制が最も必要な方策なのかを検討しなければ、誤ることになる。「教員養成カリキュラム委員会」の設置は、必置としなくても、ある程度、促すことが必要で、大学はこれまでの教員養成について反省し、何をすべきか検討すべきである。p.3のリニューアルの表現について、単なる社会的な変化ではなく、学術文化の進展や教育技術の進歩について、理論的・技術的にもリニューアルしていくための講習が必要である。また、研修の強化は大事だが、行政研修に偏らず、民間が行う研修への参加も評価することが大事である。そのためには、研修のための定数を2年間保障することが大事である。p.4の4について、有効期限を10年とすると、定年までに3回受けることになるが、そんなに必要なのか。また、1回目の更新が10年経験者研修と関係するため、検討が必要である。自動車運転免許の場合は、更新しても、免許の有効性が継続するのみだが、教員免許の場合もそうなるのか、それとも処遇に反映させるのか。更新されない場合は失効するとなっているが、これは教員としての身分を失うことを意味する。訴訟が起きる可能性があるので、法制的な対応も検討しなければならない。9について、現職教員に適用するのは無理であるが、分限制度や人事管理システム、研修により、対応しなければならないだろう。現在、採用1年で退職する教員が多く、また、採用を増やさなければならない状況で、更新制により、教員を目指す者の間口を狭くすることにならないか。更新制の導入は、慎重であるべきである。

委員
 p.4の3の「大学の指導のもとに」は、「大学との協議により」と代えられないか。現職教員については、教育委員会の研修等で代替できるのなら、この更新講習も大学の指導に基づかなければならないというのではなく、「大学との協議」としても問題ないのではないか。また、直近1年間程度については、ペーパーティーチャーにとっては、1年間程度は短いと思われるので、配慮が必要である。私学教員もいるので、大学との協議のもとに、私学団体等が大学と一緒に行う研修もあって良いのではないか。

委員
 今回、更新制の導入に当たり、リニューアルの概念を用いているので、「社会状況の変化等」という概括的な理由を具体化することにより、理由は説明できるのではないか。例えば、現在、特別支援教育に対する能力は全ての教員に要求されるし、学習指導要領が変われば、教員に大きな影響を及ぼす。その意味で、「社会状況の変化等」だけでなく、教育の内容や方法に本質的な影響を及ぼすことは、10年間に必然的に起こり得るだろうということをきちんと記述し、刷新の必要性を納得できるようにすることにより、新たな概念の導入を説明できるのではないか。更新制の導入意義として3つ挙げられているが、本来的な意義と、副次的な意義が混在しているのではないか。直接的意義は(1)と(3)であり、(2)は副次的な効果なので、同列に表記するのはどうか。p.3の3.(1)2で、「個人の素質や性格等に起因するような適格性」について触れていて、そこは直接的な関係はない形になっているが、教員として必要な資質能力という場合、専門的な能力の他に、子どもに対する愛情や使命感といったものが、必要なのである。初めは、そのような能力を持っていても、ある時点で発揮できない者も出てくるわけだから、その時々で、子どもに対する愛情や使命感も、当然必要な資質能力として測られるので、専門性の向上を直接的な効果として取り上げるのは疑問である。1点確認したいのは、現在、免許状の失効制度があるが、失効後に再度免許状を取得する方法はどうなっているのか。

事務局
 例えば、懲戒免職等を受けた場合、免許状は効力を失うが、3年経過すると、再授与の申請は可能となる。改めて教職課程を履修するのではなく、従来から持っていた基礎資格と単位修得の確認により、再度授与されている。明確に定めた規定はなく、行政実例としてそのように行われている。

委員
 行政解釈として、大学で修得した単位の効力が継続しており、その前提で申請をすれば再授与されるとの理解で良いか。

事務局
 免許状授与の要件として、免許法第5条の規定が、基礎資格と必要な単位の修得となっており、他に法令上の規定がないこともあって、改めて講習等を課すという取り扱いはしていないが、制度上、そのような仕組みを取り入れることも可能ではないか。

委員
 更新要件を満たさない場合は免許状は失効し、講習を受講して修了すれば、再授与される形をとるわけだから、これまでの免許状失効との整合性をどうするのか、法制的に明確にしておいていただきたい。現職教員への更新制の導入については、法制的な問題は別として、慎重な扱いが必要だと思っているが、更新制とは切り離して、実質的に同様な措置をとることも可能であるから、そういったものを活用していく方が妥当ではないか。p.3の上から2つ目の○で、国家試験の実施について言及しているが、大学における教員養成や開放制の原則を前提に免許制度改革を論じているので、ここで言及する必然性はない。p.5の最後の○、「大学院修士レベルまで含めた6年間の養成へとシフトしていくことが適当」に関連して、教職大学院の設置の意義や必要性において、修士課程に学部卒を直接受け入れて教育することに意義があり、そのような人材が教育界に入っていくことが、教育界全体にとっても大事であることを前提にして、学部卒を直接受け入れることにしているわけである。この記述の前提として、6年制志向が妥当との考え方に立っているように思われるので、ここは教職大学院との関連でどう考えるのかが記述されるべきで、この部分で取り上げるのが妥当なのか、検討する必要がある。

委員
 p.3に3.(1)「2平成14年中央教育審議会答申との関係」があるが、その他に、3.「(1)導入の基本的な考え方」に平成14年答申との関係を入れるべきということなのか。それとも、3.(2)「1基本的な考え方」の中に入れるべきということなのか。

委員
 p.3の2についてはこれで良いが、「基本的な考え方」といった場合、これまでの答申の趣旨や流れ、考え方を初めに押さえるべきなので、流れを入れた方が良いということである。現在は、懲戒処分により失効となった場合、一定期間経過後の再申請で再交付される場合とされない場合がある。更新制が導入されれば、免許の効力は10年となり、更新しなければ失効するため、更新手続をしなければ、再交付の申請ができなくなる。10年を目途にして、前後1~2年の範囲内で更新するということであれば良いが、2~3年経っても更新する気がなければ失効してしまい、例えば5年後に申請しても再交付されないとなるのか。

委員
 失効しても、毎年講習を受けてもらい、それでも駄目なら、そういう者は子どもの前には立てない、立ってもらっては困ると、国民は考えている。

事務局
 講習の機会は1回ではないので、1度で修了できなかった者でも、次の機会に受けてもらえば良いし、それでも免許が失効した者やその時点で更新の必要がないという者は、後日、同様の講習を受講し、修了認定を受ければ、再授与申請を可能とする方向で検討しており、不利益を被らない形で整理している。何度も更新機会があるが、どうしてもクリアできない者が免許を持つことが適当なのかどうかという問題はある。

委員
 更新制は、指導力不足教員や免職されるような教員に教えられる子どもを出さないとの前提で議論が続いてきた。子どもや教育についての研究が進歩しており、研究の成果に立って教育しなければならないことから、リニューアルの概念が出てきている。教員に対する社会的な信頼や尊敬が薄れてきている中で、教員が自信と誇りを持って教育にあたり、信頼や尊敬が得られるように、公証されるようにということで、更新制の議論が続いてきているので、基本的な考え方の中に、それが書き込まれるようにして欲しい。現職教員への適用については、法制度上、難しいとなった場合でも、その理論付けや現職教員への対応が国民の納得するものでなければ、批判が出る。現職教員もリニューアルされた教員であることが公証されるようなシステムを追求しなければならない。また、例えば、現行の教育学研究科で学ぶ教員が、現職教員に講習等を行った場合には、単位を与えて、短期間で専修免許状を取得できるようにするなど、多くの者が専修免許状を持てるシステムを考えなければならない。1回目と2回目以降の更新講習の質が同じかどうかについては、もう少し検討が必要ではないか。

事務局
 p.3に「教員として身に付けておくべき必要な資質能力の確認を行う」とあるが、専門性だけを確認するのであれば、任命権者である教育委員会と協議を行うのだろうが、このような要素が入っている以上、協議という形にはなりにくい。その時々に必要な専門的指導力の確認が主となると、2回目以降もその時々に必要なものが確認されたということに過ぎないが、その際、適格性のようなものの確認も入ってくると、その確認に任命権者が加わることは難しいのではないか。

委員
 1回目の更新と2回目以降の更新を同じ内容で行っていたのでは、職能成長との関係から批判されるので、各講習の狙い等を明確にするとともに、講習履歴として1人1人がどのような講習を積み重ねてきたかわかるようにしなければならない。学習指導要領は約10年に1度改訂されるが、それは時代の変化に応じて行われるので、新学習指導要領の講習会を受ければ良いかというと、そうではないので、更新を行う以上は、きちんとしたものを行ってもらいたい。

事務局
 更新制は、その時々に必要な知識等に刷新していくというレベルであり、それ以上のものとして講習が開設されることもある。実際の講習が、それ以上のものとして色々開設されることによって、例えば、上進制度に活用できるような講習として位置付けることもあり得るのではないか。また、講習の履歴を免許状に裏書きしていくことも考えられるのではないか。

委員
 10年間現場にいる現職とペーパーティーチャーとは、何かが違ってくるはずである。専門性がどんなに高くても、十分に子どもを指導できない教員がいたり、二種免許状を持っている教員の方が専修免許状を持っている教員よりも優れている場合もあるので、免許状の問題だけで検討すべきではない。p.5の一番下の○について、国際的に教員の高学歴化が進んでいる中、我が国の将来の教員像は、学部4年+修士2年を念頭に置かなければならないのではないか。現職教員を中心に、教職大学院をつくる発想が当初あったと思うが、現在の案では結局、ストレートマスター中心の大学院をつくるように思われる。現職教員は、教職を辞めて大学院に入ることになるのか。そうであれば、2年間大学院で学んだ後の優遇措置と復帰する職場の保障をしなければ、十分ではないのではないか。

委員
 更新制には賛成だが、現場の実態を知らない大学の指導を得て、教育委員会が研修を行うことは反対である。法理論に固執すれば、これまで積み重ねきた議論がおかしくなる懸念があるので、熱意溢れる現場の教員が意欲を高められるものとなるようにして欲しい。その意味で、上進制度との関連や、現職教員について一部又は全部を免除すること等が考慮されなければ、教員が負担感ばかりを感じることになりかねない。

委員
 免許とは専門性の最低保障であり、その保障の上に、実際に教壇に立たせるハードルとして、採用試験があり、すでに教壇に立っている者をどのように磨いていくかという研修が、位置付けられる。教職大学院の検討は、1番目の専門性の最低保障にも関わるが、3番目の研修等の部分から派生してきたものである。このレベルの違いは、きちんと中間報告で記述しなければならない。現職研修について、更新講習に代わり得るかどうか、代用できる方向を検討しなければならないのではないか。最低保障の段階と実際に教職に就いている者は同じレベルでは良くない。今の教員養成系大学・学部をこのままにしておくわけにはいかないので、現場から大学を改革することにつながればと期待する。また、教育を理解していない教員が講義や演習を行い、単位認定することで免許が取得できる大学が多いので、教職課程の外部評価は不可欠である。新科目は良いが、1~2単位であるので、他の多くの必修科目の教育もきちんとしてもらわなければ意味がない。課程認定時には厳格な審査でチェックしているが、その後、担当者やシラバスが変わっている場合もあるので、その点のチェックをしていかなければならない。大学に一番大きな影響を与えることができるのは教育委員会であり、例えば、教育委員会と大学が共同で講習プログラムを開発する中で、教育委員会側から担当教員に対する評価や希望も出てくるのではないか。

委員
 p.4の3の一番上の○は、「課程認定大学の主体的な判断により開設する講習」とあるが、学問の研究成果に立ち、リニューアルのための講習でなければならないので、大学にとっては厳しい要求である。「大学が教育委員会と協議」とするのか、「大学の主体的な判断」とするのか、表現を変えながら検討しなければならない。

7.閉会

お問合せ先

総合教育政策局教育人材政策課

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(総合教育政策局教育人材政策課)