教員養成部会 専門職大学院ワーキンググループ(第1回) 配付資料

1.日時

平成17年3月17日(木曜日) 14時45分~16時30分

2.場所

東京會舘 12階 ロイヤルルーム

3.議題

  1. 主査の選任について
  2. 教員養成における専門職大学院の在り方について

4.配付資料

5.出席者

委員

 横須賀主査、小原副主査、岩田委員、上野委員、小関委員、古賀委員、鈴木委員、野原委員、長谷川委員、畑井委員、平出委員

文部科学省

 石川高等教育局長、徳永高等教育局担当審議官、樋口初等中等教育局担当審議官、杉野専門教育課長、戸渡教職員課長、勝野初等中等教育局視学官 他

5.議事概要

(1)主査の選任

 委員の互選により、横須賀委員を主査に選任した。また、横須賀主査の指名により小原委員を副主査に選任した。

(2)教員養成における専門職大学院の在り方について

 事務局からの配付資料の説明の後、自由討議が行われた。主な発言の概要は以下のとおり。(○:委員、△:事務局)

委員
 一般学部、教員養成大学、新教育大学の定員があるが、この中で実際に教師になる、部止まりはどれくらいか。
 また、学部と教員養成大学、普通の大学の専修免許状で一番問題となっているのはどこか。問題がはっきりすると解決案は半分くらい出てくる。課題を直視して座学が多すぎてオン・ザ・ジョブのところが弱いのか、教科教育はできるが人間教育、ヒューマン教育、コミュニケーションが下手なのか、或いはそもそも子どもが好きで教育に情熱を持った人が来るのが少ないのか。今の教育制度でも問題点をどこをどう調べればいいか。

事務局
 教員養成目的学部というのがほとんど国立大学であり、私立は3校しかないため、国立で紹介すると、約55パーセントの就職率である。その4年前は35パーセントという状況であった。教員に実際どれくらいなるのかは、実際の需要、教育委員会側がどの程度採用するかに大きく左右される。最近教員の退職者数が増えており急速に需要が高まっていることにより、最近では55パーセント強という状況である。

委員
 教員免許状取得者の何割程度がその年教員になっているか。

事務局
 養成機関別の免許状取得者数、教員就職者数というデータがある。卒業者数は教員免許課程の認定を受けている学科の卒業者数であり、そのうちの免許状取得者の割合と、卒業後すぐに正規教員として就職した者の数であり、卒業後2・3年経ってから、臨時、非常勤をやりながら最終的に教員になった者は入っていない。
 また関連するデータとして、採用側から見たデータがある。それぞれ教員養成大学、一般大学、大学院からの受験者数、採用者数、採用率となっている。これには卒業後2・3年経った人も含んだデータである。他方、受験者・採用者に占める新規学卒者・既卒者の割合がある。

委員
 文部科学大臣の諮問理由説明中、「現在の教員養成については、例えば、教職課程の科目は理論や講義が中心で、演習や実験、実習等の時間が必ずしも十分でないという指摘がある」とあるが、これは前々からいわれていることであるが、教員養成を目的とする大学院の数はよくわかるが、どのような教育・研究活動が行われているかのデータがあるか。
 また、12月に発表された国際学力調査の中でフィンランドがトップだという報道がなされたが、県議会でもなぜフィンランドが1位かと、なぜ日本が下位に落ちたのかという議論があり、フィンランドの教員養成について注目が高まっていると思う。フィンランドの教員養成は1990年半ばから原則として大学院の卒業者に限るという制度変更がなされ、そのことが教員の資質向上のレベルアップに寄与していると聞いているが、資料では大学院の教員養成課程が5年ないしは6年で大学院がプラスとなっており免許状取得に修士号が必要と解してよいか。

委員
 前者の質問については、平成13年の「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書」がある。

事務局
 「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書」は、平成13年に国立教員養成大学・学部について検討していただいた報告書であり、どのようなカリキュラムになっているかということについて、資料的なものは入っていないが、学部とともに、大学院についても現状がどうなっているのか、課題は何かということが網羅的に書かれている。次回、現在の教員養成システムの現状・課題について、どのような指摘がなされているのかについても紹介させていただきたい。

事務局
 フィンランドの教員養成課程が5・6年というのは、修士課程まで含めてということであり、学部段階が前提にあり、修士課程に進み修士号を取得すると教員となることができ、修士号を取っていることが教員になる上で不可欠となっている。そのような意味で修士号が教員免許状に相当している。次回もう少しフィンランドの仕組みについて説明させていただきたい。

委員
 教員採用において新卒者等が受験するが、その中には既卒者も含まれており、特に講師経験者の採用が多くなってきている。これは採用数にも関連しており、ここ数年、なかなか教員が採用できなかったが、その合格者の中で講師経験者が多くなってきている。新卒者よりも講師経験者の方が長けている部分が採用の際重んじられる。これに関し、講師経験者の採用数というのは掴めているか。本県では割合が多くなっているが全国的に同じような傾向にあると理解してよいか。

事務局
 新規採用者に占める教職経験者等のデータでは、平成16年度で小学校教員で5,796人、採用者に占める率が55.3パーセントとなっている。前年53.6パーセントに比べて上がっているが、ここ数年で急増しているという感じではない。

事務局
 教員採用者については、平成12・13年頃がボトムであり、1万人を切ろうかという状況であったのが、現在では1万7・8千人程度まで回復基調となっている。第7次教職員定数改善計画で13年度から17年度までに26,900人の教員の計画増をこの間図ってきており、この中で、基本的教科で少人数指導ができる手立てを進めてきていることとあわせ、教員の平均年齢全体が高くなってきており、ここしばらくの間は自然退職が相当増えてくる、というこれら2つの要因から、教員需要が今後増していくだろうと考えている。
 特に小学校では、志願倍率は全体としては低くなってきている。大都市圏の、例えば関西圏では特に志願倍率が低くなっており優れた教員を採りにくいという問題が生じてきている。他方、中学校になるとまだ志願倍率が高くなっており、学校種によって需給関係が違っている。また、首都圏・関西圏では採用者数を増やしているため、新規採用者は全体として増えて来ている感じであるが、地方ではまだまだ採用者が多くなく、従来とおり新規採用よりも臨時採用教員でまずやって、2・3年したら採用されるという伝統的な方針を採っているところも多く、これは地域的なばらつきもある。各県毎の教員採用施策は、今の教員需給を踏まえていて県により随分異なっている。地域により、教員採用の在り方、特に初等教育においては今後優秀な教員を確保するということについて、それぞれの都道府県教委は頭を痛めているのが一般的な見通しといえる。

委員
 講師経験者が多いのは、採用者数が少なくなってきたから、なかなか採用にならないという面と、採用側が新卒者よりも経験者の方が安心だという面の2つがあるのではないか。

委員
 各都道府県では、特に小学校では教員が足りなくなってくる。優れた教員を確保するにはどうしたらいいのかが最も大きな課題であり、これまででは講師をしていた者からを採っていくということができたが、今後はなかなかそうは行かないことから、優れた教員を確保するためにはどうしたらいいのかが各都道府県の大きな課題となっている。その意味で、卒業してすぐ免許状を与えて採用して教壇に立つのがいいのか、もう少し現場経験を経た上で正規の教員として教壇に立つのがいいのか、その辺が課題となってくるのではないか。

委員
 採用に関しては非常勤講師や臨時採用を経験した教員が増えているのではないかと思う。本市の場合、10年前でも平均採用年齢は27歳くらいだったと思う。今ではもう少し上がっているかもしれない。受験年齢も34歳までというのを39歳まで延長したり、優れた教員ということで臨時任用の経験が2年あれば学科試験は免除するなど、即戦力になる教員を採りたいという方針になっている。本市の場合、小・中・高521校程度あり、採用で700人程度採用するが研修にお金を賭けても他県に戻ってしまうというようなことがあり、そうすると悪循環でまた採用しなくてはいけない。このような実態に都道府県等教委は悩んでいるのではないかと思う。
 採用試験も面接重視になっており、大学を出てすぐの者よりも経験者の方が強い。ただ、新卒者の人でも学部、高校時代にボランティア活動や、子どもと関わっている人というのは、子どもをイメージしながら話したり授業したりできる。このような専門職大学院制度ができた場合、何らか実際に現場と関わりながら学ぶということを考えている。

委員
 採用試験に際して、こんなに一生懸命やっているのに臨時採用や非常勤講師をなぜ優遇してくれないのかという意見もある。これは、地方公務員法に臨時的任用は、正式採用に際し、いかなる優先権も与えるものではないという条文があることもある。他方、臨時採用の時点では一生懸命やってたが、正式採用後は特段そうでもないということもある。その辺も参考にしながら、大学院でどのような教育内容にしていくのか考えていかなければならないと思う。

委員
 私は学部・大学院の授業を担当しているが、本学の大学院を含め現在ある大学院の抱える問題は、研究指向の部分と実践指向の部分が混在している点である。大学院の学生にも2つの層があり、1つはストレートマスターの層であり、もう1つは現職教員の層である。この両者が混在しており、指導体制がうまく機能していない。教員養成系大学であることから実践的な教育が大事だということで、プログラムを強化し事例を豊富に体験させても、実践的に捉えて分析するという力が身に付くかというと必ずしもそうではなく、また研究者の卵を育てるという意味でも十分機能していない。今回、専門職大学院の枠組みの中に教員養成を当てはめることを検討しようという話が出てきた背景には、このような現状があると思う。既存の大学院における研究的な部分をうまく担保することが必要である一方で、よりスキルの高い教員を出していくという議論とうまく切り分けることが目指すべきところではないかと理解している。
 ただ、教育学の研究をやっている立場からすると、実は教育の現実は、教育と研究とがうまくきりわけられないというところに本質的なところがある。教育学は座学だからいけないというわけではなく、中身に関わる問題として、それが教育実践と繋がる形で実践されていないという反省は、教員養成系大学にはあるのではないか。

委員
 本学の一例だが、理科教育の専門に大変強い院生が一人、私学の中高一貫校に就職した。ストレートマスターであったが、その修論は奈良教育大にある竜舌蘭という、30年に一度花を咲かせる花がちょうど花を咲かせたときに修士に入ったことから、これをテーマにし大変注目され、本人も朝晩観察をして大変緻密な修士論文を書いた学生であった。就職後その理事長に会った際、先方から「大変いい先生を送っていただいた。子どもたちが理科好きになる。教育というのは本当に先生ですなあ」といわれ大変励まされた。その後3ヶ月経ち再度その理事長に会った際、「そのことは喜んでいるのだが保護者の対応が少し難しい、だから、子どもにきちんと教育するのと保護者に接するとでは違った力がいるのですなあ」といわれ、今の教員に求められる諸々の要素を考えさせられた。
 今の教員に必要な力が様々言われており、大変謙虚に受け止めながら大学院のことも学部のことも考えないといけないと思う。1点目として、求められる実践力の中身をもう少し深めないといけない。先程の話にあった面接重視になっているところは、元気な学生がほしい、覇気のある学生がほしいということではないか。もちろん基礎的な力は必要だが、模擬授業であれどんな問題場面であれ、それほど厳密なことは問われておらず、そこで活発に覇気を持って前向きに様々考えているかというところを見たいのだろうと思う。その関係からすると、問われているのは実践力の中身である。教員養成の成果が問われているが、座学が矢面に立って否定されてしまうが、座学ということ自体は批判を受けていることはもちろんだが、あちこちで体験を重ねれば実践力が付くかというと必ずしもそうでもない。本学ではボランティアで学生を学校に送っているが、ボランティアで行ってどこかに目の付けどころをきちんと定めて何かを身に付けてくる学生と、或いはただ子どもと触れただけという学生とでは差がある。その際指導教官が付いているので、学生に目の付けどころを伝え、学生自身もディスカッションやミーティングを重ねているが、こういう場合は成果が上がる。このように、実践力といったときに座学の否定ではなく、体験と学びの繋がりのところを強調しないことには、単に座学が批判されても成果が上がらない。授業の分析力というか、自分の実践をやっても、体験ですませる人と、その体験を通して次の課題を発見できる人との差がある。失敗でも成功でも、体験を通して次の課題を出していける、そういう実践力を身に付けないといけない。
 2点目として、社会との新しい動きの中で実践を捉えていく必要がある。経団連の報告書を見て思ったが、教員がその時代、社会の動きを掴みながら問題を作ったり授業展開をすることが1つのポイントになる。
 3点目として少人数教育をあげたい。学校規模によりそれが難しい場合には日本では研究指定校などにより教員の質の底上げを図ってきた。そのような実践の蓄積は日本に多いわけであり、新規採用教員がどのような学校に配置されるによりその後の育ち方が変わる。現職教員の院生の方が学校に帰ってからそれを生かされないケースがある。学校支援と重ねるというのがよいのではないか。こういうことで、大学と教育委員会とが一緒にやっていければ様々に取り沙汰されていることの回答が出されるのではないか。

委員
 なぜ専門職大学院の活用かということについては様々あるが、1つは、現在、修士を修了して専修免許状を持った者に対して教育委員会が全く信頼していない、期待していないという事実がある。これがなぜかということを考えないといけない。
 東京学芸大学の博士課程を作るときに、博士課程はどのような理念を持つか、「教員養成学部としての独自の専門性の発揮」と「教員養成学部の教員の在り方」に焦点を絞って文部省に説明に何回も行った。座学は必ずしもよくないといえない意見があるが、座学が中心である。そういう意味では、内容が問題である。高度な実践的指導能力を身に付けるには、その内容をどのように整えていくか、それも専門職大学院のカリキュラムの中でやらなければいけない。

委員
 2つの大きな問題があると思う。1つは、現職の教員で修士課程や博士課程に来る人に変わった人が多くて、学校現場に適応できない人がかなり来ているのではないかという点である。そういうことで、どこかで県教委に関わってもらわないと本当の意味での研修が行われない。これから専門職大学院を活用した教員養成のための制度を作って高度化したいが、この点を気を付けないと、学歴はいいが現場に出て使い物にならない教員を輩出するということになる。本学では学生として280人の現職教員がいるが、その中には教育を語ることを嫌う人がたくさんいる。こういう人であっても大学院に行ったら新しい教育の芽が開けたといわれるにはどうしたらよいかということを考えている。また、教育を語れない人には研究費に格差を付けるといっている。本学は教育大学であるので、他の大学とは使命が違う。小・中・高校の教育内容の発展に繋がるものは業績と認め、それ以外はカウントしない、雑誌等でもそれ以外は廃止ということを学内でいっている。
 制度はきちんと作らなくてはいけないし、本当に動くように検討しなければならない。

委員
 医学部での経験から申し上げると、本学の医学部は20年前から入学試験で面接を行っているが、その際全員に同じ質問を一人残らずしたことがあり、その中で、現代国語に幸田露伴、森鴎外、夏目漱石などの一節がだいたい出てくるが、それを読んで、例えば、漱石の「草枕」の一節を読んでその後本屋に行って「草枕」を全部読んだことのある経験があるかという質問をした。一人も読んだという人はいなかった。これはどこか教育がおかしいのではないか。研究をする大学教員、源氏物語だったらそれを一生懸命やっているが、それはそれで結構だが、文学部でやることと教育学部でやることは違うのではないか。
 もう1つの事例は、私が講演する際に回帰するところは、結局、幼い頃読んだ「科学の事典」という本にある。超一流の先生ばかりでも、やるならやるでとことんやってほしいということを教育学部の教員にはお願いしている。やはり研究しないと教員としてのモチベーションが出ない。研究をやりながら、自分の見つけたモチベーションをどのように学生の教育に還元するか、これが大きな研究課題になっていくべきではないか。

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総合教育政策局教育人材政策課

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(総合教育政策局教育人材政策課)