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「体育」の目的の特定に係る留意事項の『1空間的な広がり(学校・家庭・地域)への配慮』について、『学校から家庭・地域への発信』という内容で整理されているが、「学校から家庭」というよりは、「学校へのつながり」という観点から考えていかないと、すべて学校に責任を負わされてしまうことになる。「家庭や地域がスポーツ活動をどう考えていくのか。どう学校につなげていくのか。」という視点を入れた方が良い。
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−1(1)〜(3)の関係をどのように理解すれば良いか。
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(1)は個別の狭い範囲の能力、すなわち個々のエッセンスに関する能力を表している。(1)がある程度まとまることによって(2)が生まれる。更に(2)がまとまって(3)の大きなスキルになる。
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イギリスで普及していたムーブメント・エデュケーションの考え方では、運動を三層で理解しているが、この資料も、運動をいわば動きの階層として捉えていると考えて良いか。
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階層として捉えているわけではない。結果としてそういう感じになっている。
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このまとめは先生方のご発言をまとめたものであって、これがそのまま議論のまとめとなるわけではない。これまでの経緯や専門部会が設けられた理由、専門部会の役割など、専門部会全体に関わる内容がまず冒頭部分にくると考えている。それについては、次次会で案を提示する。
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現行の学習指導要領とこの専門部会の議論の差異についても含める必要がある。
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『身体能力の「エッセンス」に係る目的(代位的な目的達成指標)』のまとめ方は、現在専門家の中で議論になっている「体育はスポーツの教育をする教科である。」という考え方にマッチした捉え方となっているが、何故50 を8秒で走らなければいけないか、という問いに答えるのは難しい。その点を考えると、このまとめの右側に、体育の内容についての記述がある方が、理屈が上手く成り立つと思われる。
この資料は、「体育とは、丈夫な体を作る教育である」という考え方ではなく、「体育とはスポーツの教育である」という考え方を持った上での資料なのか?
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この専門部会で議論してもらいたいことは、全ての子どもにとってのミニマムは何かということ、全ての子どもについて何を目指すのか、ということについてであり、今回の資料はそのためのたたき台である。その基準は定性的でも、定量的でも良いが、測定できなければいけない。
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現場の教員としては、3ページ『(1)身体能力の「エッセンス」に係る目的(代位的な目的達成指標』のような指標は出してもらいたくない。また、そもそも1の(1)〜(3)の枠組み自体が理解しにくい。『(2)巧みに運動する身体能力に係る目的』の「身体能力」の考え方を、「健康安全に生活する身体能力」と「運動することに関わる身体能力」に分ける方が良いのではないか。そうでないと、「これからの体育は、筋力、筋持久力、瞬発力を高めれば良い」という短絡的な理解に走ってしまうことが懸念される。
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「身体能力のエッセンス」という言葉は、体力の要因のみを重視していると感じられる。確かに、動きを測定できれば、このようなエッセンスを測定することも可能であるが、運動する時には、エッセンス的な要素のみでなく、将来的な予測ができるかどうかも重要である。将来的な予測を感じ取れる能力は、「身体能力のエッセンス」で表される体力の要因からは測定しにくいが、そのような予測能力の育成が体育教育の中で最も重要だと思われる。
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数値目標を示すと、体力や技術中心の、全ての子どもに同じ種目・同じ目標を与えて一律に指導する、という教育に戻っていくことが懸念される。また、ここに示された数値の根拠自体が説明できない。従って数値目標の設定には反対である。
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ミニマムの体力とは何か?ミニマムの体力より下がっているかどうかが問題である。必要なミニマムの議論をしないで体力低下の議論をするのはおかしいと考えている。文部科学省では、子どもの達成度に関する基準が明確でなく「何を教えるか」という基準しかない。しかし、教育を受ける権利を持っているのは一人一人の子どもであるのだから、「政府としてはいろいろなことをやっているが、どの家のどの子どもにとっても、最低限ここまではやります。」ということを言えないといけない。本専門部会は、この点について議論することが目的であるから、本専門部会で、「数値目標を出すのは良くない。」という結論が出ても良い。数値目標はあくまでも問題提起である。委員の先生方には、「何を基本目標とするか。ミニマムの目標とするか。」ということの提案をして欲しい。
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筋力や持久力等の体力の測定項目は、授業で教えている内容と対応してはいない。もう少し、教えている内容との関連で基準(行動目標や評価基準)が出てくることが望ましいため、このような形で基準となる項目を設定することは意味を持つと感じる。また、国民に対するインパクトもあるし、親に対する説明責任を果たしたり、教師の指導の方向付けをする上でも意味を持つ。ただし、概ね数値で決定できるものとそうでないものがあるため、全ての基準を数値で表して良いとは思わない。もっと議論を重ね、最低限(ミニマムやエッセンス)といえるものを特定していくべきである。また、1−(3)については、「豊かなスポーツライフ」や「安全な生活」といったより具体的な表現で、「スポーツを享受する能力」を表現できると意味を持つのではないか。「社会生活」という言葉は良くわからない。もっとスポーツ又は文化に近づけて表現した方が分かりやすい。
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私が小学校時代は数値目標があった。このような数値目標は、「練習しなくてもこのくらいのことは出来て欲しい」といった「出来る方が望ましい」という考え方であって、ある程度幅のある数値目標を設定することは良いのではないか?「ボールが避けられない。」とか「顔面で受けてしまう。」ということは命に関わることである。小学校時代は、ボールを避けることができるような動きを体育で教えて、中学校に入ったら、スポーツ競技の部分に対応できるような動きを指導していったら良いのではないか。
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測定項目が一番最初に出てくるのは受け入れにくい。次のような整理の延長線上に測定項目が出来てくると納得できる。
| (1) |
健康安全に生活する身体能力 |
険回避の能力: |
転倒する際に手をつく。危険なものを避ける。怪我を予測して動く。 |
体を支える能力: |
正しい姿勢で座る。(ただし「何分間座っていられるのか」ということは必要ない。)安定した姿勢で立つ。 |
柔軟な体 |
| (2) |
運動することに関わる身体能力 |
たくましい体 巧みに動く能力 身体を支配する能力
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体力測定は現場ではどのように捉えていて、文部科学省としてはどのような指導をしているのか。
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中学校と高校では、測定それ自体が独立した学習内容となっているわけではないが、関連内容が学習内容として位置付いている。測定結果を体力の高め方につなげて学習されている。
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中学校では、体力運動能力調査は個人的な目標設定には役立っている。測定数値に直結してはいないが、1年間の積み重ねが次の年度の測定結果の若干の変化に影響しているという感覚を子ども達は持っている。しかし、教師にも子どもにも、直接的に、体力力を高めるために各運動領域の単元をしている、という雰囲気はない。
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小学校でも、「自分の体力を理解し、体力をどのように実践するか」ということを知るために、新体力テストを活用している。学校によっては、学校行事や教科体育の中に位置付けているところもある。千葉県は全校が実施している。とはいえ、体育の目標をどうするか、といったとき、体力や数値だけが全面に出てくることは良くない。各学校や各学年、各学級などで、ある時期、ある種目で数値目標が設定されることはあって良いが、国の施策として数値目標が設定されるのは問題である。
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親は、自分の子どもがどの位置にいるのかを知りたいと思う。従って、数値目標が出てきても困らないし、逆に数値目標がない方が困る。ただし、数値的に位置付けられると指導上問題があるということであれば、使い分けをする必要があって良い。
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生育歴の異なる児童に対して指標や目標値を設定するのは難しいが、一方で、指標や数値目標がないと、評価につなげることが難しくなる。
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現在の指導要領では、学校の中での目的が中心に書かれているが、生涯スポーツ社会に向けて、「社会に出た後、体育で学んだことがどう生かされるか。」という面についても記述した方が良い。その点から考えると、体育で身につけておく必要がある能力は、「体力」「巧みさ」「知識」である。また、単なる発育発達で変化していく項目を見て、数値が良くなったと評価することには意味がない。体育の授業の中で働きかけた身体運動によって変わり得るものは何か、またそれはどういう方向に変わっていくのが良いのか、ということが重要である。
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運動能力の二極化が問題となっている中で、一番求められていることは、出来ない子どもたちをどのように指導して必要な能力を備えさせるか、ということである。この点を解決するすることによって、体力の問題も解決していく。できない子どもに運動種目を指導するためにはどうすれば良いか、ということをもっと真剣に考え、指導法を開発していくことが、二極化への対応方法である。
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数値については、更に詳細な吟味が必要である。昭和52年の学習指導要領以降、体育の授業では、「体つくりについては、6時間の体操の時間をやれば良い。」という実践が定着してしまった。6時間程度体操をしたからといって体つくりの効果があるわけがない。しかしその一方で、毎時間トレーニングをしなくても自然に体はつくられてくる。しかし、体育にはもっと特別の意味があるのだから、体育の授業全般において、体に関わる能力を育てることを意識させるべきである。そのためには、このような項目を設定し、目標を定めることに意味がある。
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『2−(1)運動に関する知識』の「運動が心と体に与える影響に関する知識」の記述は、単に「・・・すると・・・という効果がある」「・・・すると病気になる」といった内容にとどまらず、体ほぐしの運動の視点も含める内容の方が良い。
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態度の基準が入っていることは評価できる。運動があまり得意でない子どもは、態度の項目で評価できるからである。態度、或いは経験の中にフェアプレーやルールを守る精神、譲り合いの精神をはじめとしたスポーツで獲得できる協力精神など、「スポーツに関するモラル」についても含めるべきである。
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「スポーツに関するモラル」の問題はスポーツを通して教えるのが一番良いし、それは単にスポーツの世界にとどまらず、社会生活の中でも生かされる。
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態度については、以下の内容で整理できるのではないか。
| (1) |
スポーツ志向性に関わる態度 |
好意: |
好きなスポーツからスポーツの大切さを感じる。 |
期待: |
スポーツの効果を期待する。 |
| (2) |
スポーツ継続性に関わる態度 |
必要: |
スポーツの必要性を健康維持・体力増強・気分高揚・生活充足等から感じる。 |
意志・意欲: |
スポーツを続けたいと思う態度。余暇にはスポーツをしたいと思う態度。 |
経験については、以下の内容で整理できるのではないか。
| (1) |
特性に係る経験:競う、出来る、高まる、表現する |
| (2) |
関係性の深まりに係る経験: 承認、賞賛 協力、協同、共生 |
| (3) |
人間形成に係る経験: |
感動・充実 |
(あきらめず粘り強くがんばり通した。自らの成長に感動した。) |
価値形成 |
(心の態勢が育ったという自己効力観を持つ。高い目標を達成することに喜びを感じる。)
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思考・判断を態度の中に入れるか、知識に関係させるのか、という点については議論があって良い。継続審議して欲しい。
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スポーツマンシップの内容については次回に向けて検討する。数値目標の設定については、反対意見があったが、本専門部会をおいた趣旨自体が、視点を「国家」から「個々の学習者や親」に変えるという点にあるのだから、本専門部会では、一人一人の子どもすべてに保証できる目標は何か、ということについて議論して欲しい。その点から考えると、数値でなくて定性的な目標でも良いが、とにかく測定可能な目標が設定されなければならない。測定するのは国家ではなく親であり、親が自分の子どもについて「学校に行ったからこう変わった。」と評価できるような基準でなくてはいけない。
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【「保健の授業」の目的(2)】
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「安全」については、潜在的な危険を予測できる能力や、予測した危険に対処したり改善したりすることができる能力が重要ではないか。
「保健」で命の大切さを教えることは重要な視点ではあるが、これは学校教育全体の課題であり、「保健」だけで直接扱うにはかなり大きな課題ではないか。
「保健」では、例えば、健康や安全に関心を高めるとか、自他の心や体を大切にするといった態度を養うといったことの裏に、「命の大切さ」があるといえるのではないか。
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「命の大切さ」といった場合に、他人の命とともに、自分の命も大切にしなければいけないということは重要な視点ではないか。
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「体の健康」について、疾病対処の視点は重要であるが、学校における健康教育の基本は1次予防ではないか。1次予防に関する教育内容の充実を図った上で、2次予防について学校教育で何を教えるかということを考えるべきではないか。
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「基本的な考え方について」の中で「自他の健康保持」とあるが、もう少し広い視野で健康の概念を理解することが重要ではないか。現代社会においては、社会環境が健康に及ぼす影響が大きいので、ヘルスプロモーションの考え方を「基本的な考え方について」の中で全面的に打ち出すべきではないか。
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保健の授業を実際に行っているが、知識だけではなかなか改善に結びつかないと感じている。ヘルスプロモーションの考え方を生かして、自らの健康を管理したり、改善していけるような資質や能力を身につけることが重要ではないか。
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3つ申し上げたい。
1つは、「自他の健康の保持」ということは、社会環境の改善や、ヘルスプロモーションの発想を生かす1つの方向になるのではないか。
次に、知識を行動に結びつける力、すなわち、自らの健康を改善することができる資質や能力が重要である。したがって、「すべての子どもが身につけるべきこと」を検討する際には、どのようなプロセスをとるかという観点も重要であり、「〜できる」という行動として捉えるよりも、行動を目標化して示した方が良いのではないか。
最後に、資料2について、健康に関する情報について理解する力が重要であると考えられるので、「健康に関する適切な情報選択」については、「体の健康」の項目ではなく、「基本的な考え方」の項目に位置付けた方が良いのではないか。
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「すべての子どもが身につけるべきこと」として多くのことが示されているが、どのように教科を構成して、どの教科で教えるかということは重要な問題である。また、「保健」の重要性について、学校関係者や地域社会の共通理解を得るための様々な工夫や努力が必要なのではないか。さらに、「すべての子どもが身につけるべきこと」を確実に子どもに身につけさせるためには、研修等を通じて、教員の資質・能力の向上を図ることが重要ではないか。
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他の教科で扱うことのできるものは、他の教科で取り扱うことも考えながら、これだけは「保健」でなければ扱えないというもの絞っていかないと、現場で対応しきれないのではないか。
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小学校3、4年生で、あるいは小学校5、6年生で、「保健」の授業は実際にどの程度行われているのか。
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悉皆の調査は行っていないが、研修会などで状況を伺っていると、平成4年に小学校5、6年生の保健の教科書が初めて作成された頃から、前回の御発言のあった「雨降り保健」の問題は徐々に解消されてきており、「保健」の授業の実践は少しずつ深まっていると考えている。
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教科書の内容は、大体全部行われているのか。
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実践的に調べたり、考えさせたり、体験させたりするなど、丁寧に授業を展開すると時間が足りないこともあり、学級活動の時間を活用するなどして、関連した内容を発展させている例なども聞いている。
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自分の周りでは、小学校5、6年生の教科書が作成された時、それから、小学校3、4年生で「保健」が取り扱われるようになった時を契機として、担任と養護教諭がティームティーチングを実施したり、養護教諭が兼職発令を受けて「保健」の授業を「保健」の授業を担当するなどして、「保健」の授業が活発に行われるようになっている。
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現在の内容で十分かどうかという点はどうか。
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体験的、実践的な内容を重視した授業を行おうとすると、時間数が不足する場合もあるが、総合的な学習の時間や学級活動なども活用しながら内容を深めている。
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事務局に聞きたいが、「保健」の授業における心の健康の問題については、「豊かな心を育む教育の在り方に関する専門部会」で議論されるのか。
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「保健」の授業における心の健康の問題は、当部会で議論することになる。
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そうであれば、体ということにとらわれず、体ほぐしの運動なども心の健康にかかわると考えられるが、心の健康問題についても、この場で議論をした方が良いのではないか。
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体と心は切り離すこと自体がどうかということもあるが、特にここでは、「体育」、「保健」を扱う上では、やはり心は一緒に議論した方が良い。
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前回は心の健康の問題について御発言がなかった関係で、資料2の中には「心の健康」の問題、「安全」の問題を記述していないが、事務局としても、この問題について議論いただきたいと考えている。
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「安全」については、潜在的な危険を予測できる能力や、予測した危険に対処したり改善したりすることができる能力に加え、予防手段を考え、選択する能力も重要である。
予測できる得るものは予防できるという観点から、事故がないこと以上のものを目指すというセーフティプロモーションという考え方があるが、こうした考え方も参考にしてはどうか。
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現代の健康課題は基本的には一次予防が重要ということで、学校教育においても様々な課題が取り扱われているが、医療サイドのみの発想で取り扱うと、学校教育における本来のねらいと齟齬をきたすこともあるのではないか。「保健」という教科が学校教育全体の中でどのような位置づけなのか明確にすることが重要ではないか。
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参考資料において、「すべての子どもが身につけるべきこと」として様々なものが挙げられているが、これらを個別に見ていくと、他の関連教科等で対応できるのではないかなどという議論になりかねない。「保健」の授業の究極的なねらいは実践力の育成だと思うが、そこからいきなり個々具体的な内容を記述するのではなく、それらをある程度取りまとめた中間的な表現で「ねらい」のようなものを示した方が良いのではないか。
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様々な精神面の問題が増えている中、心の問題についても最低限必要な知識や、現代的な課題については、「保健」の授業の中で扱うべきではないか。
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学校における「保健」の授業については、生涯にわたって健康に関する様々な学習の機会がある子どもに対し、基礎・基本としてどのような力を身につけさせるべきかという観点からの検討も重要ではないか。
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確かに、学校時代の後にどのような影響をもたらすかという点で、確かに体育以上に重要になってくる。
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「保健」の授業の中で、共通に身につけるべき能力は、子どもたちが自らの力で健康にかかわる様々な情報を探して、それを正しく判断して、意志決定や行動選択につなげる力であると思う。こうした力は、どのような健康の領域であっても基礎になる力であり、中核に据えるべきものであると考える。
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「保健」については、小学校1年生から取り扱うべきと考えるが、その際、心と体の結びつきについて留意しつつ、子どもの心と体の発達の状態を踏まえた内容とすることが重要である。また、教員養成課程の中でも、学校保健に関する科目について、一層の充実を図るべきではないか。
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来年度から栄養教諭制度を創設し、学校における食に関する指導の一層の充実を図ろうとしているところであり、「体育」、「保健体育」においても、特別活動等との関連を図りながら内容を充実させるべきではないか。
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現行の学習指導要領と同様、実践力を身につけることの重要性を全面的に打ち出すのであれば、意思決定や行動選択が必要であることや、情報を収集して予測したりすることが必要であることについて、基本的な考え方として示しておくことが重要ではないか。
参考資料について、「できる」という表現と「できるようにする」という表現があるが、ヘルスプロモーションの考え方においてはプロセスを大事にすることを考えると、「できるようにする」という表現の方が良いのではないか。 |