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素案を読み、全体的に後退していると感じている。「検討する」は、具体的に誰が、いつまで検討するのかを示すべき。
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最終的に特殊学級がどうなるのかがよくわからない。「 」の「特別支援教室(仮称)について」は、単に意見の羅列、両論併記ということで、パブリックコメントとして皆さんのご意見を広く公に聞くということであれば一つの考え方だが、中間報告としては中途半端である。結局は、特殊学級は変わらないという印象が強くなるイメージの書き方である。特殊学級についての明確な方向性を出せないなら、出さないというのも一つの方向。
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都道府県と市町村では行政的なシステムが異なる。特別支援教育をそれぞれの町の教育委員会が進めていこうとした場合、予算的な措置、町長部局とどう渡り合っていくかということも出てくる。期間を区切っても良いので、何年度までやるということが出てこないと現場レベルでは動きにくい。
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この報告から、現実にどういう形になるのか、具体的な姿が見えてこない。ノーマライゼーションの理念のもとでの改革であるが、一人一人の教育的ニーズに合わせた教育という視点をもって考えていきたい。
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ノーマライゼーションだから、皆で一緒にやればいいということでは、支援すべきものが支援されないままに終わってしまう。その子の自立が遅れたり、発達が遅滞する状態になってはいけない。教育は現実に進んでいて、最近の教育改革は、形だけを変えてどうなるのかという心配をしている。今までのはみんな御破算で、これから全く新しく再構築するんだということでは、その混乱期は子どもたちの上に大きな影響をもたらす。歴史や蓄積を生かしつつ、新しい提起にどう対応していくのか。
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特別支援教室については、研究開発学校制度の活用でその成果を検証すること、都道府県あるいは国で教職員の教職員の配置システムと具体的な制度内容に関する検討を進めることでまとまるのではないか。通常の学級と特殊学級との関係及び交流については、既に学習指導要領に書かれているところであり、特別支援教育を推進する際には、これをより一層進める必要がある。
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国立特殊教育総合研究所(以下、「特殊研」とする。)のデータでは、特殊学級に在籍する児童生徒の通常級との交流状況について、既に柔軟な対応をしていると言っている。この部分をあまり書いていない。今後固定学級をどうしていくか、あるいは特別支援教室との関連性を明確に打ち出していく必要性があるのではないか。総合的に小・中学校における特別支援教育をどう推進していくのかということが見えにくい。特殊研の調査を反映させていく方向性が良い。現状は、既に固定学級ではな方向で走っていることを踏まえた上で論議すべきである。
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特別支援教室と通級、特殊学級という部分が対立的に併置されているが、現実は柔軟に、弾力的に運用されているのであれば、名称は良いのではないか。特殊学級、通級学級がなくなると不安に思う向きもある。特別支援教室だと通級的にそれぞれのニーズに応じて、教育的ニーズに応じて使えるが、特殊学級は固定的だというような対立を示すのではなく、現状を柔軟に、弾力的に利用されている部分を明確に打ち出しながら、それぞれの子どものニーズに応じて、固定的にも、通級的にも使えることを打ち出すべきである。
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特別支援教室については、目指すべきものを謳った上で、特殊学級の見直しが必要であることを整理するとよい。体制的に全てが整って事が始まるのではなく、そのための準備期間も必要。目指すところは特別支援教室であるが、そのためには従来の弾力的な運用をする期間も数年は必要であり、それが明確にわかるように打ち出した方が良い。長いスパンではなく、短い期間で行われることが望ましい。また、専門家チーム、養護学校のセンター的機能、市町村の就学指導委員会の関連と果たすべき役割を議論する必要がある。
LD・ADHD・高機能自閉症等(以下、「LD等」とする。)の児童生徒について「授業時間外における個別指導を基本」とあるが、児童生徒にとって時間外に指導されることが常に一番ベストであるとは限らない。また、巡回による指導のところで、LD等はサービスを受けることができるとあり、それ以外の障害は対象にできないとあるが、子どものニーズを中心に考えたとき、受けられる子どもと受けられない子どもがあってはいけない。
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小・中学校における特別支援教育の推進について、個別の教育支援計画に基づいて、その子どもに合ったサービスを提供するということを記述する必要がある。それぞれのニーズにあった制度はどうやってつくれるかという流れになった方が良い。
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個別の教育支援計画は、小・中学校だけではなく、盲・聾・養護学校についても作成をすることになっている。来年度中にまず盲・聾・養護学校で策定したい。そのため、小・中学校だけでなく、全体に関わってくることで、学校体制、コーディネーター等を含めどうやっていくかという問題であり、関連する諸課題のところでまとめて記載している。巡回による指導については、既にLD、ADHD等の子どもに、いわゆる通級の要件を満たさない週1回未満の形でそういったものが行われている例があり、それを位置づけるということで原案にしている。その他の障害種については、巡回による指導という形で、教育課程の一部に入れていくことが適当であるか議論していない。制度をつくる際に、改めて検討しなくてはならない課題であると考えている。
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特別支援教育コーディネーターについて、生徒指導との関連において、全体のバランスの中で特別支援教育を考えることは大事。また、「特別支援教育の普及啓発については、国、都道府県、また市町村の教育委員会、また現場一体となってというようなニュアンスがほしい。
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特別支援教育コーディネーターについて、特に盲・聾・養護学校の特別支援教育コーディネーターは重要な役割を果たすが、センター的機能の具体的な内容を中核的に果たす存在だと思う。それならば、単なる校務の軽減よりも、むしろ専任化するぐらいの位置づけがあって、若干他の校務を関連してやるぐらいの位置づけが必要。また、センター的機能については、医療、福祉、労働機関との連携調整機能についても言及する必要がある。
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盲・聾・養護学校のコーディネーターについては、専任化というニュアンスが出ると良い。また、教職員免許の見直しのワーキンググループにおいても議論されているが、基礎的な教職科目の中に特別支援教育に関わる内容を入れる必要がある。14ページの上から2番目のパラグラフ、教室として制度化した場合、教員配置システムがうまく教室で機能するような検討が必要である。
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小・中学校で特別支援教室の形で設置されると、かなり専門性の高いところを目指しているので、ぜひ免許状を持つような形にしていく必要がある。現在、特殊学級の教員が1年交代をしているところがある。実際上、特学級では、免許を持つ人がいない、交代で持つ、あるいは50歳を過ぎた人が持つ、通常の学級を受け持ちできない教員が持つと言われている。今後の課題として、学級編制の問題、担当教員の資質、専門性、教育内容・方法を挙げることが大事である。専門性を裏付ける免許は大事。
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国の役割として、障害者基本法にも規定されている障害を理由にした差別禁止に言及していない。中間報告の一番最初で、基本的な理念のところで書き込む必要がある。
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小・中学校の特別支援教育コーディネーターは、特別支援教育のほうに専念させ、職務内容をしっかりさせる方が良い。
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個別の教育支援計画が、就学指導委員会で子どもの就学先を決定していくこととどう絡むかがわからない。福祉は、契約というところでプランができてくるが、教育の部分は、本当にこの子にとって望んだことが実現するような力を持ったものになっていくか、なっていかないか。就学指導委員会に関する記述がない。
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個別の教育支援計画をもう少し具体的にイメージ化する必要がある。いつごろ、誰が、どのようにして策定するのか。
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最終的にこの答申の中にそこまで書き込むのか、あるいはここに書き込んでおけば、事務局、文部科学省が工程表のようなものを作る必要がある。
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特別支援教育コーディネータの職務に関しては、ADHDの約10%が不登校になっている。この記述のように、生徒指導体制の整備と関連づけた活用を含め、連携しながらやっていくという表現は残しておくべきである。
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個別の教育支援計画については、基本的な考え方の中に組み込まれていることを先に入れておき、後でそれが関わってくることが分かれば少しクリアになる。また、適当な場所に、就業を目指した職業教育の充実について言及する必要がある。全体的なところでは、将来、こういう形になっていくという、見せるものを明確に出す必要がある。
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不登校等への対応については、文部科学省の中にもいろいろ動きがあり、総合化されていないという問題がある。生徒指導体制の整備、スクールカウンセラーの配置等、特別支援教育コーディネーターとがオーバーラップして、いろいろな問題も出てきているので、総合化していく必要性がある。
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いじめの場合は、被害者と加害者的なものがある。障害のある人は被害者のほうであって、その人たちはコーディネーターが良いが、加害者に対することまでするとコーディネーターとしては仕事が多くなると思う。職務を別にした方が良い。
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障害種別を超えた学校制度と盲・聾・養護学校制度とがどう違うかということについて表現が弱いので、柔軟な対応ができる仕組みに持って行くこと、障害種を超えた学校制度だということがはっきり書き込まれる必要がある。地域の身近な場で教育を受けられるようにすべきである。複数の障害に対応できるような視点は、これまでの制度とは違うことを明らかにする必要がある。専門性が障害種に応じて担保されたことは大事な視点で、教育部門を設けるのではなく、と言い切るのはで良いのか。
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盲・聾・養護学校の必要性をずっと訴えてきた。この10〜20年の間に、子どもの調和的な発達という観点から、再度聾学校の必要性が見直されている。バランスを持って各公共団体が地域のニーズに合わせて学校を置いていくというふうにするのが適切だと思うが、聾学校は少なくても県に一つ以上は事実として残っていくものと思う。
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特別支援学校として総合的な視点からとらえていくということを前提としながら、今まで培ってきた専門性や、一定規模の障害集団というのがいるということについては考慮されなければならないという書き方であるほうがわかりやすい。肢体不自由の養護学校についても、現在、非常に重度化をしている。中等度以下の軽い肢体不自由については、普通学校へ行くという傾向が出てきているが、彼らが活躍する場面が普通学校の中で保障されるわけではなく、一定規模の集団というのは保障されなければならない。特別支援学校も通級的に、一定の時間数通うというのもあっても良い。今の流れを明確にしながら、特殊性や考慮すべき点を並置した書き方で出していくことが必要。
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現行の特殊学級について、最大の課題は障害の状態が多様化していることである、という認識はあたらないと思う。
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東京でさえも幼稚部や小学部の低学年で、通学時間が1時間半から2時間になろうとしている。地域に生きる子どもという観点から、盲・聾・養護学校制度を柔軟化していく必要がある。教育部門というのは、障害に特化した教育を推進しないということではない。部門として位置づけ、その子の障害に対応する必要がある。聾学校や盲学校をなくすと言っているわけではない。1,000校をうまく活用することで、今の1,000校が2,000校の機能を果たせるようにすることが必要である。障害種別を超えた学校制度をきちんと言っておく必要性がある。
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教育ニーズとは何かという説明がない。「特別な教育ニーズ」イコール「障害」と読み替える人も多いと思う。一人一人の教育ニーズをどういうふうにとらえているかという、注を載せてもらえると、障害の今までとの違いが見えてくる。
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全般的に3点申し上げたい。1点目は、制度設計の手法、今後の進め方、国の支援の在り方について、文科省、あるいは厚生労働省とタイアップして、特別支援教育にかかわるグランドデザインなり、ガイドラインなり、あるいは大きな目的・方向づけは明確にし、効果的な国としての必要な支援策を示す視点が、盛り込まれれば、地方は非常に安心する。2点目は、人材育成、人材確保に関して、単位を大学時代にただ認定するというだけでなく、インターンシップの導入により、教職志望の学生を試用期間として使ってみるといったようなことも制度の中に組み込んでいかないと、人材の育成政策はうまくいかないのではないか。現状を糊塗するようなやり方では、指導力不足教員を身障学級に配置したりという現状があり、それを克服していくような新しいポリシーを持った教員養成計画を推進していくべきであろうと思う。3点目は、成果の検証であるが、専門性があるからすぐ効果が上がるというのではなく、ケース・バイ・ケースで指導実践の成果が検証されなければいけない。これは臨床的な事例研究的な、あるいは研修、研究の積み上げにより、初めて効果的な指導体制の確立が図られていく。非常に長期にわたる推進計画が必要かと思う。地域によって様々やり方がある。その成果の検証の場を設定し、これを評価しつつ、よりよい制度の確立を図る斬新的な方法をとる必要がある。国・都道府県・市町村の各レベルによって、研修、交流を積み上げ、帰納的な、経験主義的な研修の積み上げて、3〜4年かけてしっかりした特別支援教育体制を確立していくことが求められている。教育改革の基本理念、方向、自立と共生社会の実現、要するに障害の有無にかかわらず、価値創造的な国民の育成を目指すという方向で、教育改革との整合性の中でこれがまとまっていけばという要望を持っている。
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「保護者」という言葉が全体で数ヵ所しかない。一人一人の児童生徒のニーズで、誰がニーズを決めるか書いてない。教育は教える側の立場として考える時代ではなくなっていると思うので、保護者の立場という視点を入れておく必要がある。
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国の役割について、費用、コストについて、少しだけ関連している。「教職員配置等の条件整備」というのが具体的には必要不可欠な課題であり、ここがはっきりしないと、具体的なことと連動しないと思う。具体的にかかる費用についてどうするかというのを全く触れないのは少し気になる。
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義務教育費の国庫負担が制度として外されてしまう議論が現在進行している。特別支援教育の推進に当たっては、やはり人の配置を財政的にどう確保するかということを抜きしては、絵に描いた餅になりかねないという危機感を持っている。特別支援教育の充実という観点でも、国の財政的な関与がなくなったときに、惨憺たるものになるのではないか。特別支援教育の新たな体制も、人の体制抜きにしては考えられない。 |