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特別支援教育の考え方がすべての「児童生徒の学力の向上につながる効果も期待される」という表現について、単に「学力」という表現を使うと、単純に成績に解釈されがち。確かな学力や、豊かな心という表現のほうがより良い。逆に障害のある児童生徒がいることにより、授業の進行が妨げられるという可能性もあり、建設的な考え方のほうがよい。
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従来の特殊教育から今後の特別支援教育の変化について、特別支援教育ではこうなるというのが見えにくい。従来の特殊教育対象の障害だけでなく、盲・聾・養護学校、あるいは特殊学級、通常の学級にいる特別なニーズを持った児童生徒への支援を行うとするのが、分かり易い表現のひとつだと思う。
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今後の特別支援教育において、様々なサービスや支援を受ける対象は障害のある児童生徒という表現になっており、障害の種類を増やしている印象になる。特別な教育ニーズのある児童生徒は、障害があるかもしれないし、まだ障害というジャンルに入っていない状態かもしれない。教育、学び、生活の中で、特別な支援が必要な児童生徒に対して支援をしていくということが書かれると良い。
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最終報告の文言に引きずられたところもある。もう一つは、障害ということにだけにポイントを置いて書いていくことが果たして適切かどうか。
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今の点は、重要な論点。今議論されているのは、特別支援教育の対象となる児童生徒について、仮に支援教育とすると、従来の特殊教育の枠をはるかに広げようという考え方になり、従来の特殊教育の対象であった全学齢児童生徒の1.5%から10倍程度の数の児童生徒まで対象にすると言うのかどうか。確かに将来的には、すべての児童生徒に対する教育支援という話になると思うが、現時点で、そこまで言ってしまうのかどうか。言うとすると、この素案の「第1章」「第2章」「第3章」「第4章」、全部壊していかないいけない。
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別のところで、特別支援教育の考え方が障害の有無に関わらず全ての児童生徒一人一人の教育的ニーズにあった教育を推進するきっかけになるということで、教育全体の改革につながるということをはっきりと宣言してある。ただ、現実的にバックアップが果たして可能なのかどうかということもある。
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本委員会では、障害のある児童生徒に対してどれだけきめ細やかな、しかも一体となった支援をしていくかという議論をしてきたわけで、そのための特別支援教育の理念と基本的な考え方に焦点を合わせている。その意味で「障害のある」という表現は誤りではないし、狭いものでもない。障害者に世の光を、ではなく、障害者を世の光に、という点では、一人一人の教育的ニーズにあった教育により、学級崩壊、いじめなどが克服されるきっかけにしていかなければいけないし、相互理解を図っていかなければいけない。確かな学力や豊かな心を培っていくという効果も十分持っているという指摘もあり、バランスがとれている。
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LD、ADHD、高機能自閉症は、障害があるとわかる前の段階で、いろいろな手だてが必要だと思う。どうしたらサービスが提供できるかが大切。
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今回、全体として何を目指しているかというところが欠けている気がする。一番最後の将来どうあるべき姿を示すことで、今やること、これからやることが明示される筈。障害があるとわかる前の児童生徒も含め対応できる仕組み作りが必要ではないか。
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本委員会の議論は、特定の教育的課題に対して解決策を示し、最終的には施策化しなければいけない。答申はやはり障害のある児童生徒に対する特別支援教育をどうするかということに限定すべき。
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この問題については、将来への展望等とする姿勢で臨んでいくということで取りまとめる必要がある。
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結局は、障害という言葉の問題。最終報告が出るまでの障害は、英語で言えばハンディキャップ、パーマネント的な要素があったと思うが、最終報告の後で、障害の種類が増えた。それらは、ディスオーダーであり、ディサビリティーで、連続体で変化する可能性もあるもの。そのニュアンスが入る。そういったものをまとめて障害という言葉にする場合には、一定の配慮が必要。 |