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参考

教育課程部会における審議内容に関して寄せられた主な意見(概要)


(国語教育に関するもの)

【国語教育の在り方、国語の重視する力】
物事を論理的に捉え、思考し、分析し、表現する力を育成することは、問題発見能力・問題解決型能力を育成する「言語操作能力」を育成し、高めること、文章作成能力をつけること、小論文指導をすることにほかならない。 今の文章指導(作文や感想文)では「何を書けばいいの?」「どれくらい書けばいいの?」という生徒の否定的な声しか出ない。幼少期から文章の書き方を体系的に理論的に指導し、(併せて基本的な漢字力・語彙を早期につけ)「何について書けばいいの?」という積極的な声が出るような文章力をつけることが急務と思われる。

読解力の低下の問題点が、多方面に影響を与えている。国語では、評価の決まった作品の指導を少し減らし、読んで、考えて表現する一連の流れを重視し、連続型テキストの種類と非連続型テキストの扱いを増やす必要があるのではないか。

論理的思考やコミュニケーション能力を涵養するものとしての国語を強化すること。そのためには作文、読解(素読も含めて)、自己表現などが必要である。

国語は、あらゆる学習の基礎である。「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」等の学習内容や言語活動の定着がしっかりと図られることで、教育内容の充実が図られる。例えば、総合的な学習の時間におけるコミュニケーション能力は、直接的に教科としての「ねらい」に明示されてる国語教育との相互作用により大きく前進する。また、各教科等の学習内容の理解にも、国語の力が大きく左右する。そこで、国語科の学習で学ぶ内容と、他教科・領域の指導内容と言語活動との関連を整理することが必要である。加えて、生きる力をはぐくむための読書活動は、これからますます重視されななくてはならない。

国語は、各教科の基礎・基本を育成するためには大切な教科だが、話す聞く能力については、教員の研修体制が十分ではないとの意見もある。また、読むことについては、図書館教育の充実が必要である。このことについての検討を要望する。

【読書習慣の形成】
小学生低学年で読書習慣をつけるために、低学年の教室に図書室から貸し出して絵本等を配置することを提案する。初めから全員が本を読むとは限らないが、そのうち本を読む児童が増加するのではないか。

【書写】
小・中学校で書道の時間が減っていることに関して見直しをしてもらいたい。教師が手にとり、一緒に書いてあげたり、一クラスを二つに分け少人数にし、指導することが大切だと思う。一人一人にかける時間を増やす事がどの教科に関しても一番大事だと考える。現代は、パソコン・メールなど便利なものがあり、字を書く子供が減っている。漢字は読めても書けない、などといった問題がある。字を書く事の基本・大切さを義務教育でもっと教えるべきである。

文字は活字のように書ければよいのではなく、目的や用途に応じて手書き文字(書道的に書く)として書くべきである。幼児の絵本の文字も「とめ」「はね」「はらい」を失ったデザイン活字が目に付く。手書き文字を見る機会を子供たちから奪っているために、印刷活字の読み書きはできても、肉筆による文字の読み書きが満足にできない。この問題を解決するためには書写力は必修である。肉筆で書かれた文字は、楷書体ばかりでなく、行書体、草書体があり、また、仮名文字、旧漢字、書写体、異体字もある。このような筆記体で書かれた文字を、まず読みこなせることが必要である。英語の習得同様、漢字のふるさと中国の文字への理解も必要である。歴史的、国際的な視野に立った文字教育を行うことが必要であり、行書、仮名文字を含めた毛筆による手書き文字に対する理解が必要である。

海外留学した子供達が「日本の文化について、もっと知っておけばよかった」と、口々に言っている。とりわけ書道は、海外に於て、日本の文化として、とても喜ばれており、日本の芸術として、広く日本人の心に残るよう若いうちの教育を重視して欲しい。

小中の「書写」授業が十分に行われておらず、子供達の文字への関心や力が、極めて憂うべき状況に来ている。その原因は、教える教員の質の問題にある。小学校の教員は、大学で「書写」指導の単位はわずか2単位で、教えるには少なすぎる単位数であり、指導力が不足することは当然である。

最近中学校で「書写」が行われていない現状がある。その原因のひとつに、指導者がいない。つまり不得手な教員が多いために、後回しに(国語の中に入っているために、やらなくてもみえない。)されている。高校の教員が小中の生徒を教えられるシステムを作っていただきたい。

小中の書写の授業が十分に行われていない原因は、小中の教員の文字に対する力不足だと思うので、高校の教員が、小中の研修会に出かけ指導したり、「書写」「書道」の様に特別な部分については、交流できるシステムの構築をお願いしたい。



(算数・数学教育に関するもの)

 小学校の算数教育については、数量や図形についての基礎的・基本的な知識・技能の習得に加えて、数学的なものの見方・考え方を育てるために興味・関心・意欲の喚起が重視されなければならない。そのためには、児童が楽しみながら学ぶことができる学習内容と学習環境が大事である。また、学習した内容が児童の実生活において役立つという実感を持たせる必要がある。

 中学校において、計算力や数学的思考力が十分に身に付いていないとの意見がある。学習内容については、論理性や思考力を育成する内容の検討を要望する。

 我が国では、学校週5日制の結果として、義務教育修了時点の数学の内容上の履修水準が後退した。図形の証明において、必修履修する日本と選択履修する米国とで達成度は同等との調査もあり、条件が同じであれば、量が確保されない限り質が保てない。人材確保は、教育の量と質の両面に支えられている。履修されるコアを質・量ともに一層確保することを前提にした上で、質を追求し選択化する教育のあり方が期待される。

 各教科の教育内容については、文科省が細部の具体的事例まで示す必要はなく、学習指導要領の記述程度にとどめるべきである。具体的な内容や指導方法については、各学校において子どもたちの実態に応じて創意工夫すべきである。

 これまでの中学校・高等学校の数学教育では、系統付けられた内容の理解と表現・処理の力が中心になっていたが、これからは数学の内容を系統的に理解するだけでなく、数学を用いた問題解決やコミュニケーション(他への発信、他から受信する活動)の力を、英国のように発達段階を配慮し時間をかけて養い、「使える数学」にすることが日本の学校教育にとって不可欠と考える。例えば、中学校第1〜第2 学年の間に、数値データを収集・整理し統計グラフ等で表現することを問題解決領域として位置付けることや、高等学校で、例えばモデル化領域を教育課程に明確に位置付け、現象を行列モデルで表すことなどを扱うことが考えられる。

 「数と計算」領域の指導内容について
(1)  「12ひく2」のような計算は、「12ひく9」のような計算より簡単であると同時に 「12ひく9」の計算の基礎となるものである。しかし、これは内容として示されていないなど、数と計算についての児童生徒の認識の仕方や学習過程が十分考慮されていない。そこで、新たな計算の仕方を考えるのに必要と思われる計算としてどのようなものがあるかを考慮して内容を構成したい。
(2)  算数・数学を学ぶ楽しさやよさである「発展的に考える」場を積極的に示したい。特に、新たな問題を考えることができるように内容を示すようにしたい。
 児童生徒の問題意識や認識力について十分調査するとともに、一人一人の能力に応じて発展的に考える能力が育てられるようにしてほしい。具体的には、次のような内容を加えることが考えられる。
 
小1: 20までの数から1位数を引く計算、100を単位にして数をとらえる900までの何百の数、120までの数
小2: 十、百の位で繰り上がり繰り下がりのない3位数、4位数の加減 (何十、何百)かける(何)の計算…
小6: 計算の可能性の問題意識から負の数の導入
中2: 有理数、無理数
中3: 複素数 (選択教科としての扱いでも導入したい)

 「図形」領域の指導内容について
(1)  図形に関する学習は、数と計算に関する学習が左脳の働きを活発にするのに対して、右脳の働きを活発にすると言われる。このような観点から図形に関する学習内容を増やすことが大切である。特に、立体図形に対する認識力を小学校段階から培いたい。
(2)  「発展的に問題を見いだす」という観点からどのような内容があるかを明示したい。
小3: 箱の形の学習の後、投影図、あるいは透視図の基礎的なものを扱う。
小4: 平面上の垂直、並行の学習の後、空間の位置にある垂直、並行の学習を取り入れる。その際、位置の表し方として、(x、y)座標、(x、y、z)座標の学習を扱う。なお、平面上の位置の表し方として(角度と距離)でも表せることにも気づかせる。
小5: 立方体、直方体、及びそれらの複合、欠損図形とそれらの見取り図や透視図
小6: 柱体、錐体とそれらの見取り図や透視図、表面積、体積。
中3: 初歩的な位相幾何学

 科学技術を重視し国際競争力を高め、科学リテラシーのある社会人を輩出するため、数学及び理科の教育には、次の点が重要と考える。
 理解が困難な事項を高学年に移行するのではなく、前倒して低学年から導入してほしい。同時に、小学校の理科、算数の教育には、理工科系出身の専任教師の導入を望みたい。

 「教育内容の厳選を図る必要がある」のは当然だが、専門家(数学、物理、化学等々の学者など)から何の事項を何学年に配置すべきかを厳選してもらうべきである。

 「ゆとり」教育は現在の我が国には不要であり、その時間や総合的な学習の時間を算数・数学、理科に充てるべきである。また、知識の習得を排斥するのではなく、科学技術の基本的叡智を教えることが、資源小国の我が国にとって重要なことである。

 [生きる力]を育成する教育の高い目標は理解できるが、知識が乏しく未熟な小学生には、知識を感動とともに授けることが重要である。全人格の優れた教師が教科を教える過程から、生徒は[生きる力]を学び取り身に付けていくものと考える。教師の採用について検討し、再教育に力を入れるべきである。

 習熟度別の少人数授業を行っているが、一人一人に関わる時間の確保ができ、学習以外(生徒指導等)への効果も見られた。今後も少人数授業ができるような教員加配をお願いしたい。また、子供たちが塾に行かなくてもよい環境作りをして欲しい。学校教育(公教育)で十分な数学の力を付けることができ、繰り返しドリルの時間が確保できる、そのような時間確保、学習指導要領作りをお願いしたい。



(理科教育に関するもの)

【学習指導要領、教科の在り方・学習内容に関する意見】

教育内容は基本的概念,法則の基礎をなすものにする。

21世紀の国際社会では、日本は、改めて、「ものつくり」を大切にした「科学技術立国」を目指す必要がある。小・中・高校を通じて、生徒全体を対象とした理科教育に、現在以上に時間を割く必要がある。

次期指導要領改訂では、様々な工夫をして、理科の時間数を確保するよう提言する。

科学技術に関する教育が初等,中等教育には無いため,その拡充をする必要がある。物理化学の学習を通覧してわかるとおり,目的やはたらきを持った人工のシステムを把握し理解し運用する能力は,自然科学の法則性の理解だけでは不十分であり、科学技術の教育のために,工学の固有性を背景とした教科(または理科に第3分野等)が必要だと考える。

小中高を見渡して,理科の必要な内容が生徒の認識力の発展に対応しながら教えられていくことが必要である。小中高を通じて,実験的内容の授業が,教師,時間,予算,受験等の問題があり、実施しにくい状況である。

科学的な知識が必要な場面は広がっているのに、現行の学習指導要領では内容を削減している。科学の研究は進歩している。真に国民に必要な内容を再検討して、教えるべきことは削除せずに教えるように、削減してしまった内容であっても復活させることが必要である。

義務教育終了までにどの程度の科学的素養を身に着けておくべきかという視点から、理科の教育内容を考える必要がある。現在の学習指導要領では、この点の配慮が感じられなく、進化やイオンが中学校理科からはずされているが、このままでは、高校に進学して生物や化学を選択しない限り、進化やイオンについて全く知らない日本人が出てくることになる。

従来の学習指導要領の作成過程では,学校種を超えた連携が十分に図られていない。機械的な内容削減,上級校への先送りがされた結果,電子,イオン,運動の法則,仕事とエネルギー,進化など重要な概念が義務教育段階で学ばれず,高校では選択制で,科学リテラシーの欠如した一般市民を大量に生み出し,国の政策決定に致命的なことにならないか。

小学校理科の選択項目と中学校の選択教科を廃止する必要がある。児童生徒の多様性に対応することを目的にしている「選択」の考え方は,児童生徒に自ら選択する能力がある場合に初めて,その有効性を発揮することができる。

生活科には、理科としての要素が目標としてなく、とりわけ、空気、磁石、水などの子どもに取って身近な素材を遊びを通して認識する体験ができなくなっている。生活科を廃止し、理科を復活させるか、もし生活科が廃止できない場合にも、生活科の目標に、理科の要素を入れることを提案する。

中学校での選択の時間をなくすまたは減少する。選択の時間をなくすか、減少させて理科の時間数を増やすことが望まれる。

高校では多くの選択科目が設定されており、全員の高校生が共通に学ぶ内容が存在しない状況である。そこで、高校理科の科目設定を以下のように提案する。@高校1,2年次において、物理・化学・生物・地学の基礎的な内容を盛り込んだ総合科目を設置し、全員が必修で学習させる。その合計履修単位数は8単位程度とする。A専門的に理科を学ぶ必要のある生徒は、3年次に物理・化学・生物・地学(各科目とも4単位程度)の中から、必要に応じて2科目程度選択履修させる。

高校の理科教育については、物理、化学、生物の3教科を必修とする。現代社会において科学知識は、個人の生活および仕事の上で不可欠であるばかりか、我々の生活に重要な影響をおよぼすエネルギー政策や環境政策を国民が判断する際にも政治基盤として必要不可欠である。従ってその基礎となる物理、化学、生物の3教科は高校生まで必修にすべきである。

学習内容を規定するにあたっては、教科間の関連をもっと考慮すべきである。特に、小学校では算数と理科の関連に配慮が必要である。算数でまだ教わっていない概念が理科で出てくるようでは、学校現場を混乱させるだけでなく、学習指導要領への信頼性も著しく損ねることになる。

「物理」、「化学」、「生物」、「地学」の4科目および関連する「技術」、「家庭」、「保健」の内容の再整理を行う必要がある。そのためには海外の理科(科学)教育課程を十分に検討し、参考とすべきである。「総合的学習の時間」についても、各教科との関連の下に実験・探求学習が進められるよう、評価の問題も含めて孤立的な扱いとならないよう改善すべきである。特に地学の分野についてはその内容が多岐の分野にわたることから、児童生徒の発達段階による内容の取り扱いについて、他科目との有機的な関係に配慮すべきである。

小学校学習指導要領解説の理科編第2章第1節に、“新しい科学観”として、いわゆる相対主義的科学観と理解される考え方が記されている。評価がいまだ定まらない、あるいは広く受入れられていない学説を公教育の場に導入するには慎重である必要がある。

学習指導要領が「最低基準」であるならば,それを指導要領に明記し,発展学習の内容については現場の裁量に任せるべきである。教育の硬直化を改善するには,文部科学省が出す指示はできるだけ少なくし,現場での自由な研究と運営の裁量を保証するシステムを作るべきである。

小学校でも、算数で立体や立方体の体積を計算するが、その辺にある石の体積を学ぶ場面や、「体積とは何か」を扱う場面はあるのか。「ものには体積がある」とか「ものには重さがある」ということを小学校で学習し、また、質量、密度、重力は、中学でしっかり学習できるようにする必要がある。

現在の学習指導要領では、これまで中学校で扱っていた力の合成分解の内容が高等学校へ移行したが、力は質量や体積とは違い、いわゆる「平行四辺形の法則」を用いないと加法ができないという性質を持っている。力を他の量と大きく区別する性質を学ばないことは、国民の科学リテラシーを低下させることになる。

現状の理科教育における問題は次の2点である。(1)基礎からの積み重ね:科学教育は知識の習得とそれを用いた演習を基礎から積み重ねることによってなされるものであるから、一旦落ちこぼれるとその程度はますますひどくなり、その結果、理科嫌いになってしまう。(2)物理を基礎とした体系的知識:その知識といっても、科学の性格からして、断片的な辞書的知識ではなく、論理的に関連づけられ体系化された知識でなければならない。基礎物理からの積み重ねにより体系的知識を学び、それによって各分野の相互関係を理解して科学的自然観を養うことが大切である。したがって、物理を抜いた理科教育は間違っていると言いたい。それゆえ、理科の教科目選択制を廃して、物理を基礎にし、かつ扇の要とする包括理科を必須とすべきである。

物理現象で、熱の学習を行わないことは大きな問題である。物理領域の重要な教育目標は運動やエネルギー概念の形成であり、熱はエネルギー概念形成に必須なものと考える。これに関連して、“比熱”の概念についても学習しなくなったために、第二分野(4)「天気とその変化」で、大陸は岩石からできているために比熱が小さく、“温まり易くて冷え易い”、海は水でできているために“温まり難く、冷え難い”という事実を理解しておくことが、気圧配置等を理解するのに大切である。

周期律表は、物理、化学、生物のすべての分野にとって重要な知識、人類の知的財産である。周期律表を暗記させるのではなく、必要になったときには、周期律表から情報が取り出せるように教育するべきである。

化学の教育の目的は、化学の裾野を広げる → 科学の時代を豊かに生きる現代人の素養として、化学のレベルを上げる → 専門家を養成する基礎としてである。そのためには,上記のどちらにも対応できる新しい化学教育の体系が必要である。そのコンセプトは、 同じことを何度でも教える(スパイラル・アップ方式)→ 誤りやすい概念は角度を変えて指導する。中高一貫の流れとし,小学校から大学初年度までつなげる →身近な現象と最先端の科学がひとつながりのものであることを知る。先の(より進んだ)項目に対する指示とネットワーク(プルダウン方式)→ 興味をもった事柄は自分で進んで学習し、先端までの知識を得られる場を提供する。その際,生活や自然との関連を重視する。→ 化学が、広く自然科学・社会科学の各分野と関連し,種々の自然現象の底にあることを学ぶ。

生物の学習の特徴は、「生物の多様性」と「統一性」にある。多様性の生じる原因も進化にあり、また多様性の中に統一性を求める際にも「進化的な考察」が重要である。是非「進化」に関する学習を復活すれば、各大項目にも進化的な内容を盛り込むこともできる。

@『実社会からの乖離』若者達や実社会のニーズである「遺伝子・DNA」、「ガン・エイズ・免疫・臓器移植などの医学的内容」、「バイオテクノロジー」などをほとんど全く扱わない現行教育課程では、何のために学んでいるのかわからないのは当たり前である。A『科学的思考という楽しさからの乖離』→理科教育再生のキーワード「難しいけど面白い」への転換 B『自分という生命からの乖離』→ヒトに関する記述はほとんどなく「自分とは一体何なのか」ということに極力ふれず、「生と死」を実感しない科目になっている。

必修科目「生命科学」(高校必修3単位)設立を提案する。必修科目「生命科学」とは、科学や思考をエンジョイしながら、生命の本質「自分・人間・心とは何か」に迫るものであり、生命に対し、科学に対し、「生命はすごい、科学は面白い」という感動や衝撃を与え、「もっと勉強したい」と思わせるものである。キーワードになると考えられるのは、「人間」「自分」「心」「遺伝子」「環境」「進化」「生命(いのち)の教育」などである。

高校教育での「生命(いのち)の教育」の実践を提案する「自己決定」が基本といわれる「生と死」に関する諸問題(脳死・臓器移植・尊厳死・末期緩和医療・不妊対策生殖医療・遺伝子診断などの)が、一般市民にとって無視できない状況となっているのは周知の通りである。

天文分野は小学校4年に学習すると中学校3年まで学習がなく,逆に地質分野は小学校5,6年と中学校1年がほとんど同じ内容である。現在の枠内で考えられるよりよい配列は,小学校4年で気象,5年で地質,6年で天文,中学校1年で気象,2年で地質,3年で天文とすることだと思う。

天文分野は小学校4年生の理科C区分で、満月、三日月程度しか扱わない。中学校の「地球と宇宙」では、太陽系や恒星を中心に学習が進められるが、太陽と各惑星の関係を理解するには、「三次元的な見方」が必要である。

中学校における天文分野の学習について、現在の学習指導要領では、太陽系を中心に取り扱い、恒星については簡単な取り扱いに留まっている。簡単でも「恒星の世界」や「宇宙」について学習することが望ましい。

プレートテクトニクスの扱い方が、中途半端である。理科総合Bでは、プレートテクトニクスが、かなり大きな比重を占めているが、地学Tではあまり取り上げられていない。物事を総合的にとらえるという力を養成する上でプレートテクトニクスは適切な教材と思うのでその辺の取り扱いを考えるべきである。

初等中等教育理科においてもっと「地学」を重視する必要がある。具体的には、カリキュラム内に地学を定着させまた分量を増やすこと。地学教員の採用を増やすこと。空間的には広大な宇宙をそして、150億年という時間を取り扱い、その目的は、「この広大な空間と悠久の時間の流れの中で個人がどういう位置にいるか」を認識させることにある。このように「個人の大切さ、他人への思いやり」を認識させることができる教科・科目は他にない。ただ、資源・環境・防災だけでなく、このような「地学教育の大切な役割」を考慮して、教育の在り方、学習指導要領など教育課程の基準作りにあたっていただくことを強くお願いする。

「地学」や「地理」を通した環境教育の重要性は高まっており、全生徒が履修する科目として、またいろいろな教科が関わるものとしての環境教育科目を考える必要があるのではないか。

より一層の地震教育,地震災害・防災教育が必要である。理科,および総合学習で適当な教材であり,生きる力,考える力をつけるのにも適しており、小学校の単元で必修化する。中学校では、自然災害の教材を火山や地震から地域の特性で選ぶ形式は不十分であり、各々の自然災害に関して教えることが重要である。高等学校では「地学」履修者数が極端に減少している現状を憂えている。高等学校での教材として「地震」は適当であり,「地学」のあり方も含めて様々な角度から検討して貰いたい。


【実験等の設備の整備や関係機関との連携についての意見】

自然観察教材が地域・学校によって、容易にできるところとできないところがあり、教師の頭を悩ませるところとなっており、物的支援が必要である。

理科の設備予算が減少している。理振法の予算が年々削られ、地方の学校では設備の予算がほとんどゼロで、理科室が惨憺たる状況である。昭和40年当時は、大きな予算があり、設備が充実していたが、今、それらの設備、機器が寿命になりつつある。新しい設備を更新できず苦慮している。理振法を含め、十分な理科教育のできる環境を確保して欲しい。

2人1組で実験を行えるように、理科室を充実・拡大する。理科教育等設備補助の増額理振法に基づく補助の増額する。中学校には複数の理科室を設置する。「理科大好きスクール」「スーパーサイエンスハイスクール」のような重点化事業の規模を拡大し、全国的網羅的に行うために予算を増額する。IT活用事業を生かした授業を行うための情報インフラの充実のための予算化する。

理科の授業において,できれば学級の人数そのものが30人以下になることが理想的だと思う。一人の理科教員に対して40人よりも30人の方が,顕微鏡やガスバーナーの使い方を丁寧に指導できるのは当然である。根本的な解決策として,学級の人数を30人以下にしていただきたい。

大学内に設置され、高校教育に精通し連携教育のノウハウをもった教職員を中心に、大学の研究員・学生や施設を感動の対象としてうまく活用する連携教育センターの設立を提案する。


【教員の指導力の向上等に関する意見】

教員養成課程に基本的な理科素養を勉強する講座を必修とすることが求められる。

小学校の理科は理科専門でない教員が教える場合が多く、しかも現在、小学校教員養成課程は高校の進路指導や受験産業において文系として扱われているときく。理科を苦手とする受験生が、入学後も充分に自然科学を学ぶことのないまま教員免許を取得して教壇に立ち、理科を教授するのは甚だ好ましくない状況である。

小学校の高学年の理科を専科教師が担当できるよう条件整備をすること。

教科専門に強い小・中学校教員を養成していくためには、教科専門教育体制が整った教育系大学で6年一貫教育を行うことや、学部で免許を取得していない理工系大学学部卒業生を主対象とし小学校免許取得も可能なような教育専門大学院の設立も考えていくことがこれからは必要と考える。

教材や情報(資料)の収集、野外観察を中心とした研修などを行い教員をサポートする機関を各地域に設置することを提案する。

教員が能力を高め、教育内容・方法の質を高めていくため、「自主的な」研究を行えるように条件を整えていく必要がある。

コンピュータ及び視聴覚教材を生かす授業方法を形成すべきであって、その方策を検討する必要がある。

日本の熱心な教師が作り上げてきた教材、実験、方法などをもっと活用する施策をお願いしたい。


【その他の意見(教科書、外部機関・人材との連携、評価の在り方等)】

科学的な素養の基礎である重要な概念や法則(原子・分子・電子、重さ、力と運動、仕事とエネルギーなど)の多くは、従来の教科書では理解度が低いというような理由で、小・中教育から次々と削除され貧弱化しており、教科書の内容を充実するなど教科書の編纂の見直しを行う必要がある。また、教科書検定に当たっては、科学的事実の間違いや誤記誤植の指摘だけにとどめるようにする必要がある。

高等学校では、教科書をできるだけ早く終え、センター試験対策、二次試験対策、実験などしたつもりで結果を覚えさせるような授業が中心であり、このままでは将来を担う科学者の育成に支障をきたすことから、この問題を解決する方法として、大学入試問題の検討,センター試験の廃止などを考える必要がある。

博物館、科学館、プラネタリウム、水族館などには教員免許や学芸員資格をもち、専門分野の豊富な知識経験を有する職員が少なくない。このような、ミュージアムの人材を理科教育に参加させてみてはどうだろうか。

理科教育の重要性が指摘される中、生徒の理科に対する関心・意欲の低下が懸念されている。指導と評価の在り方についての検討を要望する。



(外国語教育に関するもの)

【外国語教育全体の在り方、中学校・高等学校における外国語教育の在り方】
英和辞典の使用、英単語の日本語訳暗記、構文の把握、文法の学習、英文和訳はやめて、生の英語を吸収することに専念するように希望する。具体的には、絵本から始めて児童書、易しい英語の読み物、一般書と少しずつ難しい本を読むこと。これまでの英語教育は「英語に関する勉強」となっており、「使える英語の習得」にはなっていない。

コミュニケーション能力についての指導が大切である。また、外国人を正規の学校教職員として採用することも必要であり、検討を要望する。

現在の英文法の説明の仕方は、英語を分析するためのものとなっており、英語を使うためのものになっていない。

解読能力よりも流暢性に重点をおきながら、語彙が限定されている本を用いる速読方法を導入してほしい。

英語コミュニケーション能力の最終到達目標を策定し、小学校から高校まで一貫する英語教育システムを再構築することの方向を設定することを決め、大学生の20%が英検1級、TOEFL(600点)、TOEIC(874点)を平成41年から平成46年までに目指すべきである。

現在の日本の英語教育は中学・高校・大学の間で、高校入試、大学入試が阻んでおり、一貫した教育が行われていないので、使える力がつく時間がない。中学1〜2年、高校1〜2年ではある程度使える英語を目指した教育が行われるが、中3、高3で文法訳読中心の英語になってしまっている。

大学入試では、例年、和文英訳、英文和訳問題が課されているが、これは高校生の英語コミュニケーション能力の育成のためになっていない。日本語を介在させずに英語に直面して処理する訓練を多くしないと英語コミュニケーション能力は養成できない。中学・高校で和文英訳、英文和訳の練習に使っている時間でやさしい英語の多読と多聴をさせれば、英語に直面させる時間が増せる。また、国立大学入試に日本語による出題、解答要求を禁じる指導等ができないか。

真に使える英単語を増やすには、多読法が能率的で効果的だが、入試に備えると和訳と対応させた単語を丸暗記しようとしがちで、多読のように英語そのものに触れる時間が不足しがちである。この弊害を除くため、国立大学英語入試では、2000語レベル以上の単語は、入門者用英英辞典の語義解説を引用すべきである。

最近の大学生は、聴く力が以前よりはついてきているが、読む力が落ちている。中学・高校で多読をさせれば、英語が楽に読めるようになる。

若者の外国語コミュニケーション能力を向上させるために、図書館に中学生や高校生が読むことのできる外国語の副読本を大量に常備するべきである。

英語には少人数習熟度別授業が効果的であるが、さらに必要なことは中等学校生徒に与える英語内容を増やすことである。多くの英語を多読や多聴させる必要がある。また、図書館、できれば教室に英語の本を備え、生徒が英語に触れる機会を増やすべきである。

使える英語とは単に日常会話ができるだけでは十分ではない。そのためには導入時点から大量の英文を多読、多聴させて、英語を染み込ませなくてはいけない。

単語が出てこない絵だけの洋書から始め、1ページあたり、1単語、2単語というたいへんやさしい英語の本を読みつづけることによって、子どもたちが喜んでやさしい英語の本を借りていくようになる。

英語の文章の絶対量が短すぎるため、過度に文法の制限を受けすぎていて、かえって不自然な英語を生徒に教えるようになっている。教科書にやさしくてもっと長い文章を載せるか、図書館等に易しい洋書を置いて、意欲的な生徒は自分で生の英語に触れられるようにしてほしい。

インターネットをもっと利用することが望ましい。例えば、英語教育の最も大きな問題は、ほとんどの子供たちには現在英語を使う機会がそう多くないことであるが、インターネットを利用すれば、海外の子供たちとコミュニケーションさせることが可能である。

生徒がALTに対してプレゼンテーションし、そのアピール度をALTが評価するなど、ALTが観点別評価の一項目を担当することにより、各校に配置されたALTが責任感とプライドを持って英語教育に携わるようになる。

公立高校においても、各高校の判断で、私立高校と同じ程度に、カリキュラム編成上の自由度を与えられるようにしてほしい。


【小学校における外国語教育】
小学校英語については、必修として、小、中、高の一貫した外国語教育に向かう方向を明確に打ち出すべきである。

一日でも早く小学校に英語科いう教科が誕生すべきである。今の時代に英会話ができるのは当たり前の話であり、英語で会話できなければ、ビジネス界等さまざまな場で不利になる。

小学校の英語の教科化が早急に行われるべきである。総合的な学習の時間では成果はあまりにも低い。言語の学習をはじめるには12歳という年齢は遅すぎる。中高との連携をとり、中学・高校の英語も変えながら、小学校6年間のカリキュラムを作っていくべきである。

小学校に英語の授業を入れるべきだと思う。今はたくさんの英語教材があり、また、地域にいる英語を話せる人に、市、町がもっと協力をお願いしたらよい。

小学校から教科として英語教育を位置付けられることを願う。導入は,低学年から遊びを通して英語と出会わせ低学年なりの英語体験をさせておくことが大切であり、月2時間でも経験させたい。中学年、特に高学年では,最低週1時間は必要である。

小学校における英語教育は、単語や日常会話の決り文句をゲームなどでインプットしていく日常英会話教育ではなく、異文化に対する寛容な態度を育て、グローバル化の進んだ地球全体が今直面しているさまざまな問題(環境、人権など)に対する関心を持たせながら、地球市民として行動できる大人に育てる事を目標に、英語に対する肯定的な気持ちや、日本語では表現する事のない自分の気持ちや考えを掘り起こしていくような英語教育を進めて欲しいと願っている。日本は、どこでも日本語が通じるので、教室で学んだ英単語やフレーズが日常的に実践できる環境はなく、いくら単語などを叩き込んでも、充分話せるようにはならない。日常会話を話せる事を目標にせず、国際理解教育に基づくテーマで英語を学べば、子ども達は英語を学ぶ必要性を気付き、学ぶ意欲を出し、異文化コミュニケーションに欠かせない地球市民としての態度を育成する事ができる。

現在のほとんどの中学生、高校生は習った表現を活用して自分を伝える訓練もしないし、それがどんなに大切かということも教えてもらっていない。この欠陥を補うような英語科を小学校で実現し中学、高校の教育にもつなげてほしい。

小学校から英語を取り入れる場合には、とにかく楽しく、自然に身に付けられる様にしていただきたい。

易しい本を数百冊という単位で、大学生に読ませることを始めたが、結果として、大学生は無理なく読解力が身についた。初等教育レベルから各学校に易しい英語の本をたくさん揃えていただきたい。

総合的な学習の時間で英語を取り扱ってもいい,取り扱わなくてもいいという位置付けよりも,公教育の中ではすべての児童が英語に触れることができるという教科としての位置付けの方が望ましい。ただ,教科化される場合には,学習指導要領が作成されなければならないが、小学校英語の目標と内容について,慎重に検討する必要がある。

小学校英語については、学校や地域ごとであまりに差がありすぎることや中学英語の前倒しになることを心配している。今の小学校の英語のテキストは、絵こそ多いもののやはり中学の前倒しにすぎないのではないかと思う。

小学校での英語を教科にする際に懸念されるのは、中学校英語の前倒しのような指導がなされ、「英語嫌い」を早期に生み出すことである。また、教科になった際、何を評価し、テストするのかが心配。

小学校における英語教育のあり方について、中学校で行われているように学年ごとに教える単語や構文を1つ1つ決めてマニュアル化するのではなく、枠にとらわれないことば学習の環境を作ることが大切である。力のある専門の教師に任せて自由にやらせることこそが小学校の英語教育を成功に導く道だと思う。語学は、15分でも毎日学習すればたいていだれでも話せるようになるので、@教師選び:実践的な会話のトレーニングを受けた教師を採用する。A毎日15分ずつ、英語の授業をする。B教える内容は、大雑把なガイドライン程度に抑えて、教師に任せる。Cテストをしない。ことを提案する。

小学校で英語教育を推進するのなら、読み・書きや文法の徹底ではなく、英語そのものに触れる機会や英語を話す多様な人種との触れ合いを重視すべきである。間違っても、従来の中学校以降の英語教育をそのまま小学校に下ろすだけの英語教育は避けるべきである。人的予算とともに環境設定の為の予算を十分検討し、新たな発想と学習内容の提案を期待したい。

クラス人数が40人では、なかなか効果がでないので、英語活動の時間だけでも、少人数(せめて20人)でできるようなシステム作りをお願いしたい。また、小学校英語が中学校英語の前倒しにならないために、教科書の配布はやめてほしい。楽しく英語をつかって活動することこそが、小学校で行う英語で意味があるのではないかと考える。

中学入学時点での格差があると中学の英語が混乱に陥るので、綿密なカリキュラムを組み、全小学校一斉に英語教育を実施すべき。また、英語導入を行う教師には専門の英語教師を投入すべき。小・中・高・大一貫した英語教育の最初として捉え 、無駄なく中学英語に繋げるべき。長期的な計画もなく、英語に親しませるために遊び中心の英語を導入すれば、中学の勉強中心の授業で英語嫌いを作り、逆効果になる。

「英語が使える日本人」の育成のためには、小学校において、@教師の研修、A各市に複数のJTEの配置、B教材費・JTEへの報酬の予算化が必要である。そして義務教育である中学校の英語を週4〜5時間に、そして教科書は今の2〜3倍の厚さにして、習った英語を4技能を通じて体験出来る様に充実させるべきである。小学校段階では、中学校以降の英語学習への動機付け、地球市民として「日本人」という枠を超えて視野を広げること、語学教育というよりは、他教科横断型の学習形態の中での英語活動をすべきだと思う。

現場の先生たちをもっと育成して担任によるLEARNING MODELを示しながら、小学校での英語教育がなされるとよいと思う。人数の少ないクラス(20人ぐらい)で、あまり異文化などにもとらわれずに、純粋に英語を楽しめるような授業が展開されていくことを望む。

ある小学校での英語活動では、日本語のひらがなで書かれたハローソングの紙を見て歌っているが、英語特有の発音やリズムを学ぶためには、彼らの耳に生の英語をたくさん聞かせてあげたい。

会話中心の教育をするため、小学校より外国人の教師を採用してほしい。

小学校に英語教育を導入するに当たっては、子どものニーズ、問題点を把握している担任教師が英語指導をする方がよいと思う。もちろん、ALTはじめ外部からの英語教師支援は大事であるが、担任教師の英語トレーニングを国として考えて頂きたい。

英語科を担当する人材については、十分な英語に関する知識をもち、自らの英語運用能力があり、児童を教える経験をつんだ、民間の児童英語教師が一番求められている人材像に近い。

現在の英語活動と同じように,コミュニケーションへの関心・意欲・態度の育成と異文化理解,異文化尊重の態度の育成という2つの大きな目標の下,「コミュニケーションに関すること」及び「(異)文化に関すること」の2つを内容項目の柱とし,多文化・多言語化に対応した教科英語であってほしいと思う。英語を使えるというのは高校卒業若しくは大学卒業時点までをトータルに見た場合の目標であり,小学校卒業時点で英語によるコミュニケーションをある程度完成させるような目標にすることは発達段階に即していない。小学生段階では言語や文化に対するモチベーションの育成を第一に置くべきだと考える。

小学校に英語を導入する必要があるが,中学以降との関連性がない状況での導入は意味がない。言語の発達段階をふまえた適切な導入が望まれる。

学校教育において小学校から英語を導入するには、行政、財政上の問題の焦点を文科省が明確に示す必要がある。小学校英語教育に特化したかなりの予算を継続的に投入しなければ、成功しない。

非英語圏における第二言語習得および指導に関する実証的な研究が不足している。限られた時間とリソースという環境の中で子どもたちにどのような力を付けることができるかが明確でないにも関わらず、期待感から非現実的な目標設定がなされたり、無理のある指導方法が採用されているケースも目にする。小学校の4年間または6年間で子どもたちにどのような力を付けたいのか、どのようにすればそれが可能なのかという十分な議論をしていただくことを期待する。

本当に英語教育を推進するつもりなら、英語ができる人材をしっかり配置することを計画していく必要がある。

小学校の英語の導入については、英語教育の継続性からの審議を要望する。

小学校での英語教育の問題点は、教員養成である。現行では、小学校において英語指導のための教員養成が行われていないので、低年齢の児童に英語を指導する専門的力量を備えた教員養成は制度的に存在していない。このような状況下における英語教育が望ましいとは決して考えられない。小学校での英語指導の専門的力量を大学で身につけて来なかった者に、教育委員会の研修等短時間の研修で免許認定を行うことができるほど、小学校における英語指導が安易にできるとは考えられない。

英語を聴き取り話せることが、今後の国際社会で活躍するには有利であることは否定できないが、すべての小学生対象に、5日制下の貴重な授業時間を割いて英語の授業を導入することには疑問。英語の早期教育には一理あるが、他教科との間で、優先順位の検討が必要である。言語習得や意志疎通手段の獲得、自国の文化・歴史背景理解という意味で、最優先されるべきは「母国語」であると考える。また、日本人にとって聞き取りにくい、又発音しにくいと言われる「R」や「L」音の判別・発音能力には、早期教育が有効であるとの意見があるが、早期教育で導入するのは、英語の歌などリズムを伴い記憶や復元に容易なものに限定することも考えられるが、小学校全期間に導入するかどうか、指導教科の優先順位・指導範囲等を勘案した慎重な審議が必要である。

文科省は「英語が使える日本人」を育成しようとしているが、社会的コンセンサスが図られない中ですすめれば混乱が危惧される。国際理解教育をすすめる上のツールのひとつとして「英語」を利用することを否定しないが、小学校段階では多文化共生・国際理解を本旨とすべきであることから、英語に限定することなく、地域の実情に応じたものとすべきである。コミュニケーション力を育てる意味においても、小学校段階では母語による理解・思考・表現などの力を養い高めることを重視すべきである。また、小学校で新たな教科を設けることは、子どもの負担が増えるとともに、教員の研修、教材の開発、人材の確保等の条件整備が必要である。

英語教育をやったことのない先生がブロークンな英語で指導することは英語教育上も混乱を引き起こすことになるし、子どもたちの信頼をそこねることになる。クラスサイズの縮小や教員の多忙化の解消等の教育条件の整備、教員養成、そして中学校との連携などの課題をきちんとさせた上で実施すべき。

幼児期から外国語に親しむことは、これからの国際社会においては重要であるが、現行の学校週5日制の下での授業時数の中で、英語教育を授業として取り入れることはその内容、時数確保、指導体制等を考えると難しい。

小学校における英語教育の目的は、総合的な学習の時間での国際理解、異文化理解教育であると考える。世界の多様な民族との共生が求められている今日、英語に限らず世界の多様な言語、文化に触れ、コミュニケーション能力を身につけることが大切である。しかし、現在、教員が大学の教員養成課程で小学校英語の理論や実践を身につけていないことや週1時間では英語は身につかないこと、教材、教具、アドバイザー、ALT用に莫大な費用がかかっているなどの問題がある。

小学校の英語においては、民間やNPOのノウハウと力を借りて総合的な学習の時間の一部としての導入するに留まるべきである。英語はあくまでコミュニケーションの手段であり、国として今後国際競争力を維持できる人材育成を考えるならば、本質的な学力が身につけられる国語の学習に対する創意工夫(人材・教材・時間数)が必要である。

「英語指導」を小学校の段階から導入するか否かについては、各学校の判断にあくまでも任されるべきである。また、国際理解教育や外国語を「英語」に特定することは、地域や子どもの実態を無視することにもなる。子どもや学校現場のニーズに応じた弾力的な教育を保証するためにはどうすればいいのかという観点で審議を進めていただくよう強く要請する。

小学校での英語必修化に反対する。小学校では国民全員が必要とする事柄に限って教えるべきであり、成人してから英語を必要とする者は極めて少ない。

小学校英語については、授業としては導入すべきではない。中学における英語の学力向上を優先すべき(話す力)である。小学校では、算数・国語の学力の定着、特に国語(読むこと・書くこと・表現すること)の学習を、総合的な学習の時間に充てるべきである。

知的好奇心を育てる、知ることの喜びを得ることもなく、「わけがわからない」ことを無理やり繰り返し覚えさせようとするストレスを子どもに与え続ける事は、子どもの成長にとってむしろマイナスである。


【教員研修、教員の指導力に関する意見】
教育者には、経験と訓練が必要であり、JETプログラムでALTを配置するシステムを改善すべき。一人で授業を担当することができる英語教師のプロを任期なしで雇ってほしい。
「英語を使える日本人」育成を目的とするのであれば、まず「英語を使える教師」を指導者に選ぶべきである。英語教師の資格として、英語圏で1年以上の学校(大学)生活を義務付けること。もしくは、教員研修の一環として新教師を1年間英語圏の大学で勉強させること。また、ALTに英語教育のための資格をとらせるべき。


【教科書】
中学高校の英語の教科書が生徒の興味を引かない。特に中学生の教科書および高校のオーラルコミュニケーションの教科書は不自然な設定で、生徒の意欲を削ぐような内容である。教科書は薄く、1つの話は短く、同じ語彙・表現の繰り返しが少なすぎる。

中学・高校の教科書の英語は余りにも量が少ない。目から耳から大量の英語を繰り返し入れて、身体に覚えさせなければ、使えるようにはならない。

現在の教科書は子どもたちの触れる英文の量が少なすぎる。

中学の英語教科書にCDを付けるべきである。


【英語以外の外国語に関する意見】
初等中等教育における「外国語」も、それが英語一辺倒にならないようにすることによって、様々な民族・文化が存在することを学ばせることができるものであり、中央教育審議会外国語専門部会の委員に、少なくとも現在高等学校で学ばれている英語以外の外国語のうち、開設校数100校以上の「中国語」「フランス語」「朝鮮・韓国語」「ドイツ語」「スペイン語」の教育関係者も加えるべきである。

高等学校の段階で英語以外の外国語学習を拡大する方針を明確にしてほしい。各学校のレベルにおいて「国際化対応」と「特色ある学校」が求められている。全ての高校生が「こんにちは」の代わりにグッド・モーニングと言うのではなく、ニーハオ、ボン・ジュール、グーテン・ターク、ブエノス・ディアス等がいき交うクラスが多くなるようにしてほしい。

英語以外の外国語の教育を推進することの提案をする。隣国、韓国においては高校から英語以外の外国語を学ばせている。また、多くの国では高校で主要外国語以外に、例えばドイツ語を教えている。

多様な外国語の出来る日本人を作るため、中・高校では、英語を必修とすべきではない。英語は、ドイツ語、フランス語など英語以外の外国語を学ぶことによって初めて深い学力がつくので、英語以外の外国語を学びたい人の為に英語以外の外国語を学べる中学・高校を作るべきである。また、日本語を尊重すべきである。


【その他】
ローマ字筆記を小学校で教える意義はないと思う。そもそも日本語の母音と英語の母音はまるで違うので、中学生徒が英語をローマ字読みするのを誘導しているだけである。


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