ここからサイトの主なメニューです

教育課程部会 外国語専門部会(第14回) 議事録

1. 日時
  平成18年3月27日(月曜日)13時~15時

2. 場所
  丸の内東京會舘「ゴールドルーム」

3. 議題
  「小学校における英語教育について(外国語専門部会における審議の状況)(案)」について
 
(1)   小学校における英語教育の現状と課題について
(2) 小学校における英語教育の目標と内容について
(3) 小学校における英語教育に関する教育条件について
(4) 小学校における英語教育の教育課程上の位置付けについて

4. 配付資料
 
資料1   外国語専門部会におけるこれまでの主な意見の概要
資料2 小学校における英語教育の在り方に係る現状と課題、主な意見(PDF:244KB)
(※(第12回)議事録・配付資料へリンク)
資料3-1 小学校における英語教育について (外国語専門部会における審議の状況)(案)(反映版)
資料3-2 小学校における英語教育について(外国語専門部会における審議の状況)(案)(見え消し修正版)
資料3-3 小学校段階における英語教育についての審議に関する参考資料
資料4 外国語専門部会におけるこれまでの主な意見
資料5 中央教育審議会教育課程部会「審議経過報告」(平成18年2月13日)に関する意見募集の概要(中間集計:小学校における英語教育関係)

5. 出席者
 
(委員)
中嶋主査,田村主査代理,金森委員,島委員,杉本委員,太郎良委員,仲野委員,萩原委員,松川委員,松本委員,無藤委員,門馬委員,山岡委員

(事務局)
文部科学省: 山中初等中等教育担当審議官,布村初等中等教育担当審議官,常盤教育課程課長,手塚国際教育課長,合田教育課程企画室長,南野専門官, 杉浦専門官,増子専門官,根本主任視学官,廣瀬視学官,小串視学官,平田視学官,太田教科調査官,菅教科調査官

6. 議事
  (1)事務局より資料について説明の後,小学校における英語教育の現状と課題について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員,△=事務局)

委員  1ページ目中程の2に,「小学校の段階では,会話技術などのスキルを教えることよりも,むしろ英語を用いて,聞くことや話すこと,相手を理解したり……」の記述があるが,「英語を用いて,聞くことや話すこと」は会話技術のスキルではないのか。これと会話技術のスキルとの違いをどのようにとらえているか。以前に県の教育庁から,総合的な学習の時間における小学校英語では文字を指導しないようにという指導があり,現場の教員が苦労したことがあった。こうしたことを明確にしないと,カリキュラムの作成段階で困難が生じる。

事務局  6ページに教育目標の記述がある。一つは,1英語のスキルをより充実させる考え方,もう一つは,2英語を用いて言語や文化に対する理解,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度,国際理解を深め,国際コミュニケーションをより重視する考え方である。その上でどちらをより重視していくかについて述べている。それを受けた記述を「はじめに」の部分で表したものである。
 7ページでは,2の考え方を基本とすることが適当であるとしているが,3行目からあるように,この場においても,1の側面について,小学生の柔軟な適応力を生かして,英語の音声や基本的な表現に慣れ親しみ,聞く力を育てることなどが教育内容として適当と考えられると述べている。つまり,どちらかを全くやらないといったものではなく,教育の目標を考えている中で,どちらに重点を置くのかについて,全体的な考え方,基本的な考え方を述べたものであるとご理解いただきたい。

委員  「会話技術などのスキルを教えることよりも」の部分は削除し,そのまま「小学校の段階では,英語を用いて」とした方がよいように感じる。

委員  この1ページの2について,「会話技術などのスキルを教えることよりも」という否定的な表現が1ページの最初に来るのは,あまりよくないのではないか。
 しかし同時に,事務方はパターン・プラクティス風のドリルのような活動が入るのを懸念しているだろう。例えば,「子どもにとって意義ある活動の中で英語を用いて」のように,聞く,話すということの前の部分に,子どもにとって親しみがもてるような形容を入れることにより,積極的な表現になるのではないか。
 要するに,1ページという最初の部分では,現場での活動を縛る表現ではなく,「こういうことに頑張って取り組みましょう。」という積極的な表現の方がよい。

委員  私立小学校の調査についてのデータが出ているのは大変よい。私立小学校は全国にどれくらいの数があるのか。

事務局  今回調査を依頼した日本私立小学校連合会に加盟する私立小学校であり,大多数である。

事務局  数字的には,平成17年5月1日現在で,小学校は全国で2万3,123校ある。そのうち,私立学校は194校で,率にして0.8パーセントである。

委員  一般の方の中には,全国に私立小学校が何千校も存在すると誤解している方もあるだろうから,校数などの数値を書き込んだ方がよい。

委員  私立小学校について,本文でなく,資料部分でもよいが,何年生から開始しているか,週あるいは,年間何時間実施しているかなどの情報を示した方がよい。

  (2)事務局より資料について説明の後,小学校における英語教育の目標と内容について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員,△=事務局)

委員  6ページの教育目標の1に,「音声やリズムを柔軟に」という表現があるが,後半では,音声はリズム,イントネーションというふうに分かれているところもある。なぜ,リズムだけがここに入ってきているのかということに疑問を感じる。また,リズムに関して小学生に特別に能力があるというデータがあるのか。「音声」という表現にとどめれば,すべて含まれるのではないか。

委員  リズム感は,幼児教育,感性教育,英語教育で非常に大切な部分であると感じているがいかがか。

委員  リズム感については,実は明らかにされていない部分が多い。音楽などのリズムと言語のリズムが,同じなのかどうかも不明である。リズムについては,高さ,強さ,長さなど,様々な要素を含めてリズムを感じているはずであるが,どの部分を教えているのかも不明確である。また,指導法もはっきりしていない。そうした状況で,「リズム」と書くと,指導する側は理解できない。ただ手をたたいてリズムを教えればいいということになりがちである。そうならないためにも,リズムという言葉は,逆に入れないほうがよいと思う。

委員  ここで「音声,リズム,イントネーション」と記述することにより,「音声」の意味が「発音」という意味に変わってくるように感じる。したがって,「リズム,イントネーション」を入れずに「音声」とすれば,「リズム,イントネーションを含んだすべての音による学習」という意味になるのではないか。

事務局  確かに,音声だけにする,あるいは,リズム,イントネーションまで入れるということによって,受け取られ方がかなり異なってくるので,文言の吟味が難しい。「音声」だけにした場合,包括的に様々な要素が含まれてきてしまう。それにより,いろいろなことができると考えられるということも起きてくる。再度検討して吟味したい。

委員  「はじめに」の部分で会話技術のことが話題になったが,6ページの1も,実態を考えると,「会話技術」というより,「会話表現」というふうにしたほうがよいのではないか。

委員  11ページから12ページにかけて,「現行学習指導要領で目標としているところの実践的コミュニケーション能力の改善」と書かれている。「コミュニケーション能力の改善」とはどういうものか。「コミュニケーション能力の育成の指導法の改善」や「コミュニケーション能力を向上させるための指導の改善」という意味であると解釈してよいか。「コミュニケーション能力を改善する」というのは,意味不明である。

事務局  能力をよい方向に向上させていくという意味合いである。

委員  「向上」という意味ならば,具体的に学習指導要領で明記されている「実践的コミュニケーション能力の向上を目指した指導法を改善していく」ということを明記すべきである。
 11ページの上の部分で,よく英語に対する意欲とか関心という言葉が出てくる。例えば,学習指導要領で,「関心・意欲・態度」は一つのセットフレーズとして使われているが,「意欲・関心」と書くことにより,議論が生まれる。いろいろ考え方があるが,まず,関心があり,意欲が出てきて,態度化するという形で,「関心・意欲・態度」という言葉を併記していると考えている。それに対して,あえてここで「意欲」を前に,「関心」を後に配すことには意図があるのか。意図がないのであれば,今まで学習指導要領などで明記されているように,「関心」を前に,「意欲」を後にする方が無難である。

委員  7ページの一番上のまるについて,「何のために英語を学ぶのかという動機付けを重視する」が,「言語やコミュニケーション」に係る形容詞となっているのか。この部分の表現が読みにくい。

委員  11ページの小・中・高の教育目標について,ここにぜひ「小・中・高の連携」という文言を盛り込んでいただきたい。小学校の英語活動,英語教育の実態を知らないまま,中学校の教員が授業をする,また逆に,高等学校の教員が中学校の内容を知らないまま,旧態依然とした教育を行っているということが,ボトムワークでなかなか変わっていかない大きな原因だと思われる。やはり,中学校の教員が小学校の英語活動を見学し,研究をし,共同で研修を深めるなど,小・中・高の連携を密にした一貫教育を目指す必要があるというような文言を,どこかにぜひ入れていただきたい。

  (3)事務局より資料について説明の後,小学校における英語教育に関する教育条件について自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員,△=事務局)

委員  16ページについて,少し順序を整理したほうが,読み手からすると分かりやすいと思われる部分がある。
 二つ目のまるから五つについて,はじめに,「学級担任及び担当教員は」から2行目の「身に付けることが求められる」というところで一端区切る。その後に,次の「スキルについては……」を配す。次に,一つ飛んだ「英語を指導するための能力としては……」を配して,三つを併記する。その次に,最初のまるの後半3行に当たる「国においては……内容や程度を明らかにすることが必要である」を配す。その後に,これらについて内容に沿って研修を企画するということで,「これらの技能を身に付けるための研修としては」という部分と,一つ飛んだまるの「これらの内容を身に付けるための研修としては」という部分をまとめる。こうすることで読みやすくなると思われるが,いかがか。

委員  教員研修については,文部科学省が過去に4年間にわたって,「小学校英語活動指導者養成講座」を実施し,延べ2,000人以上の方が,その研修を受けているはずである。その方たちは今現在,どうなっているのか。その方たちをどのように活用するのか。研修修了者約2,000人は,一つの県にすれば50人以上となる。これらの人材をしかるべき指導的なポジションにつける等々の具体的な活用を考えることは重要なことである。研修はゼロから始めるということではなく,やはり,継続性の中で実施すべきである。このことについては,必ずしも議論してこなかったので,報告書に記載するかどうかは別としても,ぜひご検討いただきたい。

委員  小学校の教員の研修について,当然小学校英語においては,音声面での指導が重視されることが大前提となっている。したがって,教員研修の中でも,やはり,音声面のスキルを身に付け,音声にかかわる指導ができるようなトレーニングを入れるべきである。語彙の習得や,文法事項の再習得ということだけが文言として出ているように見受けられるので,どこか音声面の指導技術あたりを入れてもらうとありがたい。

  (4)事務局より資料について説明の後,小学校における英語教育の教育課程上の位置付けについて自由討議が行われた。主な発言は以下のとおり。(○=委員,△=事務局)

委員  教育課程上の位置付けについて,教科として,領域として,そして総合的な学習の時間の中でという三つの位置付け方を説明し,それぞれの利点と課題を説明している箇所がある。特に21ページから23ページにかけての利点と課題の書き方について,まず最初に教科として位置付ける場合には最も具体性が高くなるという言い方がしてある。その次に,総合的な学習の時間に位置付ける場合の説明があり,最後に領域として位置付ける場合には,教科に準じて相当程度具体的なものにすることができるという書きぶりになっている。この配列は,まず教科,領域,総合的な学習の時間という順序で配列されるべきものであると思う。この順序性は,具体性という概念で説明できるものなのかどうかも考える必要がある。
 総合的な学習の時間の中で位置付ける場合においても,国が,ある程度具体的な目標,内容,授業時間数等を示すという書き方がしてあるが,一般的には,教科,領域,総合的な学習の時間がどう違うのかということについては,具体性という概念だけでは説明できないのではないか。
 現在の総合的な学習の時間は,かなり内容に柔軟性があり,学校裁量がある。それが,領域,教科になっていくにしたがって,目標,内容の具体性が上がるということだけではなく,共通基準性や拘束性も上がるのである。つまり,自由度に差があると言える。こうした軸に基づいて見ていくのが普通ではないか。この部分については,不鮮明な記述になっている。
 外国語専門部会として,「高学年においては,領域ないしは総合的な学習の時間で位置付けることが望ましい。」「中学年においては,総合的な学習の時間で位置付ける。」という考え方を,この段階での最終的な結論として報告することになる。そのときに,なぜそうなのかという理由を,もう少し説明できないものかという思いがある。
 一般の方は,「総合的な学習の時間ならば,ねらいは関心,意欲,態度や,あるいは国際理解である。」「教科になれば,スキルである。」という理解をされている方も少なからずいる。
 今回の全体の討論の中で,小学校段階における英語教育の目標は,12とあるが,2に重点を置いていくということを打ち出している。そのことと,教育課程上の位置付けがどう関係するのかを明確にしたい。
 目標は,中期,長期的な見通しの中でぶれては困る。今の目標が,5年後になったら変わっていくということでは継続性がないことになる。目標は,教育課程上の位置付けがどうあろうとぶれないものでなければならない。「目標はかくかくしかじかだが,今現在の位置付けはこうする」ということをはっきりさせることが重要である。
 一般の方は,教科ならスキルだと考えている。どこかの段階で教科にするときには,スキルが目標になるというような理解で,長期的な展望をもたれる心配がある。今回,教科と領域か総合的な学習かということについては,どちらでもよいような書き方で,教育課程部会に報告するわけだが,この3つの位置付け方の根本的な違いは何か,そして,なぜ今回こういう教育課程上の位置付けをするのかが,今ひとつ明確になっていないのではないか。

委員  確かに教科,領域,総合的な学習の時間の配列にすることが,より合理的で妥当であろう。

事務局  ここでは具体性を軸に配列されているが,教育課程上の一種の基準性が,教科,領域,総合的な学習と行くにしたがって弱くなっているということが一つある。
 もう一つは,評価の問題として,数量的な評価を伴うかどうかという点で段階が違うという問題がある。
 ただ,関心,意欲,態度を目標とするか,スキルを目標とするかによって教科,領域,総合的な学習の違いがあるとは言えない。
 今のようなことを前提として考えたときに,高学年において,領域,または総合的な学習の時間として位置付けるということは,その裏返しとして,今の段階では,教科として扱うには,例えば,教育内容の基準性を,必ずしも明確に準備できる状況にはないといえる。
 さらに本質的な問題として,ここに示された学習内容で,関心・意欲・態度を高めることをねらう場合に,小学校段階の学習評価として,数値的な評価が必ずしもなじみにくいということが裏側に込められた書き方になっている。そういうことを一つの根拠として,今の段階では,教科として位置付けることはしないが,今後の課題として検討するという整理であると受け止めている。

委員  一般的に学校でも,教科,総合,領域の違いについては,学校ではあまり議論されていない。どちらが上で,どちらが下ということではなく,その活動内容の質的な違いによる。例えば道徳は数値的な評価にそぐわない。また,特別活動も,評価とは違う目的がある。いずれ,教科,領域,総合的な学習の時間の概念については,議論の時間を取りたい。

委員  教科,領域,総合的な学習の時間の,どこに位置付けるか,特に教科と領域に分けるということについては,カリキュラム論として考えて,目標,内容が共通基準として明記されるか否かが一番重要である。領域の場合には,目標,内容も書かれるが,細分化の度合が異なっており,かなり大枠的で,達成の種類が違っている。
 評価のことは,それとリンクはしているがイコールではない。原理的には,教科においても数値的でない評価はあり得るが,一応分けて考えてよい。
 英語学習を導入する場合の教育課程上の位置付けについては,外国語専門部会のここまでの議論の範囲で考えたときに,教科として位置付けるだけの十分な提案がなされていない。教科とするなら,1学年単位か2学年単位で,かなり細かいところまで踏み込む必要があり,今後,議論を深めなければならない。
 ただし,今回の報告の内容を見たとき,目標,内容の大まかなところは,ある程度示されているので,総合的な学習の時間で各学校に任せるという形はなじまないように感じる。その判断は教育課程部会の議論に任せるということで構わない。

委員  ページ3の例で,I like apples.に変更されたが,I like music.の方がよいという意見もあった。いかがか。

事務局  研究開発学校の授業案などをすべて精査し検討した結果,教科や趣味にした場合,語彙がかなり難しくなるという問題がある。それは,学校現場で行われていることとのズレがあるため,従来のものにとどめさせていただいた。

委員   applesという複数が最初から出てくるという問題もあるので,再検討する。

  (5)事務局より今後の日程についての説明があり,閉会となった。

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)