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学級担任による指導が望ましいか,専科教員による指導が望ましいかについて,資料5にある小学校教員への意識調査で,学級担任がよいが4割にとどまっているのは,ただでさえ忙しいのに,さらに英語が導入されるとたまらない,あるいは英語の指導に対して自信がないからであると思う。そのあたりを洞察しながらこの数字を見ていったほうがいいと思う。
小学校の英語をどの学年から始めるかを明確にしないと,学級担任がよいのか,専科教員がよいのかは判断できないと思う。
学校現場の立場からは,英語はもとより各教科をどれほど意欲をもって取り組んでくれるのか,教壇に立っている人たちはどう感じ,どう考えているのかを把握した上で方向性を出していく必要があると思う。参考資料4はそれを探るものである。
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(参考資料4「中学校の英語教員(180名)を対象とした小学校英語に関する意識調査」について説明)対象は中学校の管理職並びに教員である。調査対象は,東京都の全市区町村の,特に英語にかかわる管理職並びに教員,そして全国の都道府県,政令都市の会長,事務局長,約200校である。いずれも英語に対して大変意識の高い人たちであり,中身の信頼性は相当あると考えてよいかと思われる。
現在,小学校では,総合的な学習の中で英語活動が行われている例が圧倒的に多いが,この形をもっと充実させてもよいのではないかという意見が多数を占めたのは,非常に興味深く思われた。
あわせて,条件整備が不十分なままで導入されてもかえって混乱するのではないかという意見が非常に強いと思った。
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資料5にある小学校教員への意識調査で,小学校の英語教育は学級担任がよいが4割,専科教員がよいは8割とあることについて,小学校に携わる者として推察すると,英語は特別な技能を有するという固定観念があるので,専科教員がよいとする割合が高いのだと思う。
専科教員による場合と学級担任による場合では,それぞれにメリットとデメリットがあるので,どちらかが行うという二者択一ではなく,両方で行うことが望ましいと考える。高学年では専科教員,低・中学年ではALTと学級担任のT・T(ティーム・ティーチング)で行うのが望ましいのではないか。
小学校ではどうして教科担任制でないのかを考えてみると,学習指導と生活指導が切り離せないからだと思う。
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学校現場を見る限り,学級担任が係っていない場合にはあまりうまくいっていないということは間違いないだろう。参考資料1の38頁に学校現場の教員が英語活動を実施する上での課題の中に,74パーセントの教員がALTや英語の堪能な民間人などの外部人材の確保を挙げている。おそらく7割から8割の教員が英語教育をやろうと思うが,きちんとサポート体制をつくってほしいと思っている。これは最低限のことである。
やりたい教員にやってもらうことは大切だが,支援がほしいという教員に対しては,ここまで支援できるということを示す必要がある。
教育現場では教員に対して多様なニーズが出てくると,それに対応するシステムとして特別非常勤講師制度などがすでに実施されている。そうしたシステムをフルに活用すれば対応できると思われる。
担任がこのことに対して責任をもつことは必要だが,現場に対して頑張ってくださいだけでは,現場からかなり反発があると思う。日本の今の教育の体制で一番よくないのは,予算はありません,頑張ってくださいということばかりを言っていることである。そして結局OECDの中で一番教育費が低い国になってきている。専科教員や地域の人材,ALTなどを活用するための予算を確保していただきたい。
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資料3の「小学校段階の英語教育の目標・内容の考え方についての論点整理メモ」との関連で,スキルを重視するのであれば専科教員を多く使うべきだということになるが,スキルを学習することが副次的・二次的な目的であるならば,英語は他の教科と同じ取扱いになり,学級担任が指導するという体制になる。目的が何であるかを定めていないのに方法論だけを議論できない。
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英語のスキルか国際コミュニケーションかは別の問題として考える必要はない。英語のスキルをもった人が国際理解の要素を踏まえてシラバスをつくればよい。
宇部市の例を示す。2000年度から「地域で進める外国語教育の推進」という企画が3年間行われた。一年目に採用条件は英語検定2級で子どもの好きな人であるとして指導者を募集したところ60名集まった。その人たちに30時間近く研修をしていただいた。その研修はスキルと国際コミュニケーションを柱にしてシラバスを立てたものであった。その後,各地域のコミュニティーセンターで英語教育をやっていただいた。これはうまくいったという評判を得ている。
英語のスキルと国際コミュニケーションは分けて考える問題ではなく,カリキュラムやシラバスの中に2つの要素を入れればうまくいくと思う。
指導者の英語力は英語検定2級ぐらいのレベルでないとうまくいかない。
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文部科学省が小学校に英語を導入するに当たって,スキル重視でいくのか。
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それでいくのではない。全体的には国際コミュニケーションでいくという枠組みが強かったが,スキルを無視するわけではなく,両方とも行うのである。
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実態はそうだが,理念的にどちらに立つのかが重要である。
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理念的にどちらに立つかを敢えて分けなくてよい。All or nothingでなくてもよい。
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やるのはall or nothingでなくてよい。立場としてどちらを取るかによって,小学校の教員養成課程の内容や教材の組み立て,教員研修の在り方とその中身も変わると思う。
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おそらくこの問題は何年生から導入するかという問題とも関係する。
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確かにall or nothingであるという必要はないが,軸足をどちらに置くかを決めないといけないのではないか。
国際コミュニケーションに軸足をもっていくと,何故英語なのかということになる。軸足はスキルに置かないとおかしいと思う。そうしないと専科教員はどういう教員にすればよいのかが大きな問題になる。
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義務教育終了段階でどのような力を付けさせるのかを明記すべき。英語教育は教科であれ領域であれ,スキルを無視することはできない。小学校段階でスキルをどこまで要求するのかを明らかにしていかないと議論が進まない。それを明らかにすれば,必要な授業時間や開始時期,学級担任なのか専科教員なのか議論できるのではないか。
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スキルか国際コミュニケーションかについては,これまでの研究開発学校では国際コミュニケーションのほうが多かったと思う。研究開発学校が行ってきたことを最大限利用する方向で行くべきである。
研究開発学校は国際コミュニケーションを目的に取り組んできており,かなり成果が現れているが,次の段階としてはスキルであるという発言が以前の会議であった。だからどちらかと言うと,軸足は国際コミュニケーションの方から考えていけば無理が少ないのではないかと思う。
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スキルのほうに軸足を置くべきである。小学校に英語が導入されたとき,中学校はどうなるのかを考えなければならなくなる。国際理解に軸足があった場合,英語のスキルを小学校6年ではどこまで行うのかが曖昧になり,中学校への接続に関する議論も難しくなるような気がする。
まず軸足としてはスキルとし,そのスキルを生かすために内容やコンテンツが必要になってくるのだから,当然国際理解が入ってくることになる。
カリキュラムをつくる上では,スキルをベースにしたほうがよいのではないか。
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この議論は前回の時にもあった。そのときも話したが,この考え方は,大きな流れとして小学校での英語教育を扱っているので,英語か国際理解かの対比とは考えていない。あくまでも小学校段階での英語教育を充実させるという流れの中で考えているので,総合的な学習の時間の中で英語活動としてやっているのが現状であり,それをより充実させるという考え方である。
英語も国語も通しながら英語を使っていくことに対する積極的な意欲や関心を充実させていくところに,より重点を置きたい。
国際理解かスキルかというように対比させれば,何故英語をやるのかという問題が出てくる。あくまで英語をやることが大前提であって,現状の小学校の英語活動を見ても,教科として取り組んでいる研究開発学校の実態を見ても,小学校段階でスキルに力点を置くことには無理があり,実情に合っていないという結果が出ている。どちらかというと国際コミュニケーションを重視するほうがよい。
だれが教えるかについては,国際コミュニケーション重視を前提にするならば学級担任が主たる指導者になることは当然のことである。専科教員という考え方は,専科教員が1人で教えるということはないと思う。ただ専科的な人がいなくてよいわけでなく,教科担任の手助けやT・T(ティーム・ティーチング)を行うという意味で専科的な教員は必要である。
これも学級担任か専科教員なのかという対比ではなく,主体はあくまで学級担任であるが,専科教員という役割の人も必要である。
中学校の英語の免許を持っている人が専科教員になることが適切なのか,小学校で長年英語活動を行ってきたリーダー的な人が専科教員になることが適切なのかは,小学校段階での英語教育の目標や内容にある程度コンセンサスを得られた段階で考えていくべきである。
専科というのは,中学校や高等学校の英語の免許を持っている人が1人で教えるという形態は現状の流れからいうと不自然であるが,今後続けていく場合,高学年では専科教員の手助けがあったほうがよいというのも事実である。
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英語のスキルか国際コミュニケーションかという分け方があるが,国際コミュニケーションを本当に行うなら,スキルがなければできない。むしろ英語のスキルか異文化理解かという分け方であれば,分かるような気がする。
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国際コミュニケーションは主としてコミュニケーションのことを言っている。文部科学省は,関係性を重視した教育を行っていくのか,英語という言語に総括されたスキルを育成していくのかという大きな分岐点に立っていると思う。そういう意味で先の発言でまとめられた方向性は意義深いと思う。
学級担任が子どもの活動や授業の在り方等をコミュニケーションという視点から見直し,日本語が通じない相手とどのようにコミュニケーションを取っていくかと言うときに,外国語として最初にやるのは英語であるというのは,何故英語かということへの答えとなる。
もし何故英語かということが問題になるのであれば,中学校のほとんどが何故英語をやっているのかが問題になる。たがら,コミュニケーションに軸足を置いて,具体的に何年生から英語を取り入れて指導していくのかということで,うまくおさまるのではないか。
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国際コミュニケーションに軸足を置くべきであり,その中で,スキルをどこまで入れるのかの議論が必要である。その際に国際コミュニケーションという場合には,やはりコミュニケーションが大切であり,子どもにとって意味ある活動であると言ってもよいと思う。
参観して印象的であったある英語活動の中で,豆腐づくりのようなものづくりでキーワードを英語に直して行うものがあった。たまたま外国人に説明していたのだが,それは自国文化を理解しながら英語に直して発信するものであった。異文化理解や国際コミュニケーションは,特定の国を理解することよりも,発信型の教育や意味ある活動の中で,コミュニケートしていく力を伸ばすものであり,それを英語で行うという方向がよいのではないか。
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スキルと国際コミュニケーションの両方が包含されるものが必要であると思う。スキルと書かれると中学校でやっていることを教科で行うというようにとられる。国際コミュニケーションも英語ということが前提になっているので,コミュニケーションが中心になると思う。総合的な学習の時間である程度行われているような英語活動も,物怖じしないで英語を使えるようにするような活動がなされているが,その中で,スキルも身に付けさせることを考えていくことが大切である。
小学校での総合的な学習の時間に英語が導入されて,立派な成果を上げつつあるので,それを基盤にした上でスキル的なものが導入できるかを考えていった方がよい。
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スキルはコミュニケーションなくして存在し得ない。当然コミュニケーションを土台にしてやっていくわけで,それに対して反対はない。
実際に1年から6年までカリキュラムを編成するという具体的な作業になったとき,国際コミュニケーションを軸にしたときにどういう形の進展を見ることができるのか。このことを考えると,英語の力にある程度力点を置いたほうが,全体として見やすくなるのではないか。コミュニケーションを無視すれば言葉自体がなくなるので,国際コミュニケーションと切り分けて考える問題ではなく,カリキュラムをつくる際に,どちらのほうが分かりやすいのかということで話をしたのである。
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