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資料13

算数・数学専門部会(第3期第1回〜第8回)における主な意見(論点ごとに整理)

 本資料は、これまでの算数・数学専門部会(第3期第1回〜第8回)における主な意見や文書による意見等を事務局で論点ごとに整理したものであり、今後変更があり得る。

1. 算数・数学教育の現状についての認識と課題

  (算数・数学教育の現状)
 子どもたちは計算はできるが、その意味をうまく表すことができない例が見られる。

 子ども自身も、結果の正解だけにとらわれ、間違ったり、途中までしかできなかったりした解決の過程をすぐに消してしまう傾向が見られる。

 子どもたちが算数・数学について豊かに学んでいても、ともすればその能力を点数のみで見ることに陥っていないか。

 子どもが問題を解いた後、明らかな間違いに気付かない者がいる。答えが出たところで終わりになり、振り返っていないものと思われる。

 算数・数学で体験を重視し、積極的に取り組んでいる学校もある。

 4つの観点ごとに評価規準を設け目標に準拠した評価が進められる中で、以前より算数への関心・意欲・態度や数学的な考え方を目標に掲げた授業が増えてきた印象がある。

 中学校は選択教科や課題学習による指導の工夫など個別の対応が取り入れられつつあるが、まだ十分に子どもたちの学習状況に応じ切れていないのではないか。

 中学校段階あたりから純粋な数学だけになってしまい、日常性の感覚からかけ離れている感じがする。

 中学校では、必修の授業時間中にも発展的な学習が行われるようになったので、選択教科における発展との関係の整理が課題である。

 現在の高等学校は多様化が進んでおり、その対応が課題である。高等学校段階でも、考える力の育成や体験を重視した授業が求められることは分かっているが、大学入試があり、多くの問題を解いていく授業になりがちである。

 大学のアドミッション・オフィス(AO)入試で、数学の分野で会ってみたいと思う学生がいない。数学については、一般的に、自分の発想を発展させる能力をみるのではなく、ここまで到達しているといった見方をしがちだからではないか。

 県が実施している学力テストの結果によると、基礎的・基本的な内容は身に付いているが、中学校数学の空間図形について少し弱いところがある。

 実生活の事柄を数学的に見ることができないという児童生徒が多いのではないか。入れ物に水を入れる問題で時間と水の高さの関係を表すことができない、一次関数として見ることができないという課題がある。

 特定の課題に関する調査では、小4から中1まで同じ問題あるいは類似問題を実施している。それをみると、反復、スパイラルが必要であり、練習しないと落ちてしまう。同じ問題でも具体の場面を設定した場合は、正答率が上がっていることに留意すべき。

 小学校6年生で反比例を比例と関連付けて学習しなくなったことや場合の数を習わず、中学校2年生の余事象がなくなってしまったことで、中学校における反比例や確率の定着が少し弱くなった。

 学んだ数学を使う場面があまりに少な過ぎるのではないか。

(算数・数学教育を考える上での課題)
 各種調査では、国際的に見ても算数・数学の達成度は高いが、算数・数学が大切だと思う者の減少といった情意面について課題がある。また、生徒の勉強時間の少なさは、算数・数学教育にとっても大きな課題ではないか。

 小・中学校では、習熟度別指導や少人数指導が進められているが、一部に安易な取組や、テストの点数を上げることのみに力が注がれる傾向もみられる。算数的活動・数学的活動をもっと大事にするなど、子どもたちが算数・数学を好きになるよう工夫していくことが重要である。

 県が実施している中学校を対象にした調査(4、5月実施)では、小学校6年から中学校1年になったときに、学習意欲は小学校6年のときよりいっとき上がるが、また落ちてしまう。上がった意欲を落とさない工夫が大事である。

 数学に自信を持たせるために、数学的な見方や考え方を指導する観点が大事である。

 個に応じた指導については、補充的な学習が多くみられるが、発展的な学習にも目を向ける必要がある。

 算数・数学教育への関心が高まり、教育改善に熱心に取り組む教員が増えてきたと感じられることは喜ばしい。教員を支援する施策や環境づくりが必要である。特に多忙な状況を改善する必要があるのではないか。

 上位層・中位層で、基礎・基本が十分身に付いている生徒に対し、基礎・基本をやらせれば、やらせるほど逆に、記述式に対しておっくうな資質を生徒にはぐくむことはないか。

 学んだことを系統立て自分のものにできる必要があるが、数学的には能力の高い大学生でも知識をばらばらに覚えている。教師は、他の学習内容との関連を考えさせる授業を行っているといわれるが、生徒側に学んだことを結びつける意識が薄いようであれば、学習内容としてスパイラル的なものが入ってこないと、つながりができにくいのではないか。

 数学を大学まで学んだ者でも、その本当の面白さが分かっていない者がいる。役に立つことの実感が湧かないところに課題があるのではないか。

 小学校では17年度から、発展的な内容が記述された教科書が使用されるが、こうした内容を教えるには、十分な時間が必要である。また、教えた学校と教えていない学校との間での格差が生じうることが当面の課題となるのではないか。

 算数・数学について、現実的な応用の部分があるというところを先生方がうまく生徒に語ってあげられるようなものがあればよい。

 例えば、マスコミに協力いただくなどして、社会全体で数学は重要であるとか、楽しいということを感じ取るのが大事である。

2. 今後重視すべき算数・数学教育のねらいと育てたい力等

  (基本的な考え方や全体にかかわる事項)
 算数・数学教育の目的や目標は何か、学校教育の中で算数・数学教育が担うべき役割は何か、社会全体が何を期待しているか、算数・数学教育の中でどのようなことが求められているか、他教科との関連でどのような位置付けにあるのかなどについて、きちんと議論しておく必要がある。

 どういう子どもたちになってほしいのか、そのためには算数・数学教育についてどういうありようが望ましいのかを考えてはどうか。

 目標にはいわゆる方向目標と到達目標があるが、算数・数学においては総論的には方向目標でよいと考えるが、具体的な項目については到達させることが求められる。

 学習指導要領の目標は、総括的な目標と具体的な目標の二層構造で示してはどうか。

 学習指導要領の目標には、内容の理解や思考力の育成、文化の享受・継承など今後の算数・数学教育においても引き続き大切にしていくべき面があるとともに、表現力やコミュニケーション能力、課題解決能力など時代や社会背景に応じて強調すべき面とがある。

 学習指導要領の各学年あるいは各領域、各単元ごとに、ここまでが基礎・基本で、それ以外は発展だということを明示するなど、おおむね満足できる到達点を明らかにする必要があるのではないか。

 数学は、ものごとを理論的に言い表す普遍的な言語であり、それゆえに他の教科の中に数理的な概念・方法が多く用いられているとの認識が大事である。

 数学の理論を理解・応用できるためには、概念を体系的、構造的に結び付けてとらえ、考えるようにすることが大事である。

 算数・数学が大切だと思う者の減少といった情意面の課題について、目標や内容、指導法にわたってその克服のための方策を検討する必要がある。

 平成13年度の教育課程実施状況調査結果から、「当該教科の勉強は大切だ」という質問に対して、小5で約8割、中3でも約7割が「そう思う」又は「どちらかといえばそう思う」と回答している。こうした児童生徒の算数・数学の意識を大切にすべき。

 数学の能力を発揮しようと思うと、それ以外の数多くの能力が求められるところがある。

 例えば、台形の面積を三角形をもとに考えるということは、すべての子どもたちが三角形の面積を求められる必要があるが定着が十分でない。前回、前々回の教育課程実施状況調査の結果も踏まえ、基礎・基本の習得をきちんと吟味していく必要がある。

 「円の面積を求める」「分数の除法の計算ができる」ことなどは、学習指導要領にそのまま明示されており、基礎的・基本的な内容であるが、なかなか定着していない状況について検討が必要。

 算数・数学教育の意義や重要性を社会にアピールする方策についても検討する必要があるのではないか。

 チョムスキーの言語学、スポーツ科学でも数学は使われている。数学をやることがよいというメッセージをもっと打ち出すべき。

 国際調査で分数と小数の換算の問題の正答率が低下したからといって、その配当学年を変える必要はない。子どもたちの状況や指導のあり方を踏まえて我が国なりに考えていくという方向でよいのではないか。

 日常的な概念の形成、多様な表現力、柔軟な幅広い解釈力、論理的な思考等、算数・数学教育に関連する国語力の育成は不可欠である。

(算数・数学教育のねらいや育てたい力)
 自分がどのように考えを進めてきたかを数式、言語、図などで表現する力の育成を重視すべきではないか。

 算数・数学教育で共通に求めたい資質として、例えば、計算や統計などのような日常生活に結びついた数学的リテラシー、物事を論理的に考え合理的に表現するための基礎力の形成、探究心や創造性豊かな人間形成などが考えられる。

 創造性を育てることは各教科等を通じて求められるが、算数・数学では、多面的にものを見る力や論理的に考える力など創造性の基礎を育てることを引き続き大切にしていく必要がある。

 数学的な考え方を育てることや算数的活動・数学的活動を重視することについては、引き続き目標に適切に位置付けていくことが必要である。

 子どもたちの実態からすれば、「楽しさ」を実感できる算数・数学教育が大切であり、学習指導要領算数・数学の目標に「活動の楽しさ」を継続して明記していくべきである。

 コンテクスト(状況)の中でどう数学を使うか、その思考プロセスはどうかといったことを学習指導要領の中に組み込めるとよいのではないか。

 数や図形についての感覚を豊かにすることについては、学習指導要領上、小学校低学年には明示されているが、小学校第3学年以降高校に至るまで同様に大事ではないか。

 数量感覚、図形に対する感覚、アルゴリズムのスキルの育成が大事ではないか。

 知識・技能だけでなく、数の感覚、量の感覚、図形の感覚といった感覚や感性を育成する必要がある。

 細かな知識と同時に、概数でとらえるといったように、大まかなイメージをとらえるのが今の子どもたちは弱い。具体的な事象と結びつけて考えることも大事であるが、大体これぐらいになるのではないか、といったような感覚をもつことが必要。その際、差としての概数だけでなく比として概数というのが大切である。

 学習指導要領の小学校1、2年生の目標に数に対する感覚を豊かにするとある。例えば、200たす300は100と1を考えることができれば、2たす3に帰着させることができるということ。数の世界が広がっていく。

 「数量や図形についての豊かな感覚」は、数で言うとどちらが大きいか小さいかがわかるということ。国際調査では、0.7と10分の7のどちらが大きいかが分からない子もいた。実感を伴った理解が重要。

 子どもたちは遊びや生活を通して培った直観力をもっており、実験等を通じて更にその直観力を高めるにはどうしたらよいかを考える必要がある。

 算数・数学においては、例えば、考えをまとめて整理したりするなど、自分でじっくり考える過程を大切にすべきではないか。

 教科書を自分で読んで判断する力が大切。数学は他の教科に比べ、先生が例示してようやく勉強がはじまるスタイルになりがち。テキストを自分で読んで自分で理解する力を育てたい。

 基礎・基本や原理・法則を明確にすれば、子どもは根拠をもとに考えを作り出していけるのではないか。そのためには、統合的な見方やどこを発展させていけばよいのかという考察を重視する必要がある。

 仕事を進める上でもスピードや感覚は大事であり、例えば、数字を見た途端に大体の答えが分かるような四則計算や、式の変形を正しく行えるといった基礎的能力などをしっかり身に付けさせるべきである。

 数式は数学を用いて書かれた言葉であり、立式などは数学的な言葉を使って表現できるということである。また、数学的な言葉の意味が分かるというのは、論証など論理的な流れが分かるということであり、グラフからの読み取りは数学的に表現されたものから日常的な言葉を読み取っていくことである。こうした言葉としての数学をきちんと身に付けていく能力を強調すべきではないか。

 言葉としての数学を考える場合、立式が大切である。例えば、中学校の文字式の学習の前に小学校でしかくなどを用いて立式をする。また、しかくを用いる前に言葉で単価かける数量イコール代金、のように言葉で立式する。その前に、かけ算で2たす2たす2で6、これを2かける3と表します、と。このように、式に表すということは表現力という観点から見ても重要ではないか。

 学校教育における算数・数学教育では、計算などの基礎だけにとどまらず、証明などきちんと論理立てて説明できる力を育てることが必要。

 図表にすると分かりやすくなるということがあるが、そうした力が弱くなってきているのではないか。また、統計については、何を読むためのものなのか、という解釈をする力を身に付けさせる必要がある。

 国語であっても、明確な文章を書く訓練は、よい文章を読んでそれを学ぶ、まねるところから入る。数学で記述的な訓練をする際にも、きちんとした、わかりやすい回答を書く訓練が重要ではないか。国語の読解力、特に論説文の指導の充実が必要ではないか。

 ある子どもの考え方を授業の中で取り上げて、議論したり、表現についての指導を工夫するなど、推論の過程を的確に表現する力を高めることが重要。

 数学の知識をもつことは大事であるが、それをいつ、どのように使えばいいかということとうまく結びつけば、もっと数学のおもしろさを味わうことができ、自分の学んだ知識を効果的に生かすことができる。

 知識・技能をなぜ身に付ける必要があるのか。先人の遺産の継承、思考の節約などがあると考えるが、知識・技能が大切な働きをしていることを理解することが大切。

 問題の答えが出た喜びだけでなく、自分の答えの正しさに自信をもち、理論を理解できた喜びを体験することが重要である。

 答えが出た後にそれでよいか振り返って自分の判断に責任をもつこととともに、新しい学習をした際に新たな視点からこれまでの学習を振り返り、自分の中で再構成できるようにすることを積極的に位置付けていく必要がある。

 確かめる、吟味する、振り返るという資質・能力は、これからの社会の様々な面で要請される力と思われる。その際、結論が早く見える、確認がしやすいといった面で算数、数学が担う点があるのではないか。

 事柄の中には正しいと説明できること、出来ないこと、どちらとも分からないものとがある。こうした場面で判断する力を育成することが大切ではないか。

 例えば、分数の割り算の場合、数値を整数に変えてみるとできるということがあるので、問題の数値を自分で変えてみるとか、問題を自分で設定し直すといった力が必要である。

 自分の考えを大切にしながら、異なる考えの人と数学的に議論でき、考えを深めていくことができる力を育てることを重視してはどうか。

 社会では答えやプロセスは一つではない。対象について、自分としてはどこを問題としてとらえるのかを明確にし、自分の考えを説明することができる力を育てることが大切ではないか。

 算数、数学では、何ができれば証明したことになるか、といった考え方は日常の場面でも出てくることから、こうした力を付けさせることが必要ではないか。

3. 算数・数学の教育内容の系統性及び適時性等

  (基本的な考え方や全体にかかわる事項)
 我が国の算数・数学の学習指導要領は世界的にみても優れており、誇りにし大切にすべきではないか。

 学習指導要領の内容の大枠は現行でよいのではないか。

 義務教育段階か、高等学校第一学年までかは検討の余地があるが、国民として共通に学ぶべき算数・数学の内容を明確にする必要がある。

 学習指導要領の基準性を明確にし、教育内容を基礎的・基本的なものに厳選し、補充的な学習を工夫するなどしてその定着を図るとともに、選択教科を含め必要に応じて発展的な学習を取り入れるという幅のある現行の考え方は、今後も維持した方がよいのではないか。

 基礎的・基本的な内容を身に付けるためには、発展的な内容も取り入れながら考え方を広げていくということも必要であり、そうすることにより、基礎・基本の確実な定着につながるのではないか。

 高等学校段階で、職業選択等に応じた選択科目を増やすことはよいが、数学は積み上げていく教科であり、中学校段階までは、数学の時間をある程度確保してその中で発展的な学習や補充的な学習を考える方向がよいのではないか。

 系統的なカリキュラム編成のためには、子どもの発達も踏まえて、できる学年、適切な学年で指導するといった適時性を踏まえる必要がある。

 学習指導要領を考えていくにあたって、内容の系統性だけでなく、認識の過程という別の座標軸を考えて、それの順番に積み重ねていくという意味での、もう一つ軸を入れた系統性が必要。

 事実として単に覚えさせればよい知識と理解を伴って活用できる知識とは質的な違いがあるのではないか。

 子どもにとって基礎基本として働くということは、知識・技能が使えるという視点が必要である。また、知識・技能があるとないとでは大違いであることを理解させる必要がある。

 例えば、分数の計算はできるが、立式は十分にできないなどの現状がある。立式をする際に必要な意味理解を重視することが大切。

 計算ができるということは技能であって、子どもが計算する技能を十分駆使して問題が解けたときに、基礎基本であることを認識するのではないか。

 かけ算九九など非常に狭い意味での基礎基本の上に、どのような基礎基本の力を付けるかが問われている。この意味で数量や図形に対する感覚が大切である。小学校では、繰り返し学習だけでなく、自分がやっていることの意味が分かる、具体的な事例なども通して自分が何をやっているかが分かるような面を数量や図形に対して持つ必要がある。

 算数的活動や数学的活動の活用には時間を要する。また、考えることを重要視することからも時間増が求められる。特に、小学校から接続する中学校第1学年の在り方について検討が必要ではないか。

 いまの問題解決は、ある数学的な知識をうまく教えるための方法的なものになりがちだが、実生活と関連付け、ある問題を解くためにいろいろな知識を総合し活用するといった本来の活動ができるような内容の示し方やそのための指導時間を確保できないか。

 小学校の場合には、教材の中でどういう観点ができれば、数学的な考え方が身に付いたことになるかを具体化する。中学校については、証明が単に論理的な思考をさせるだけになっているので、なぜ、きちんとした物事の認識につながるかというような、もう一歩進んだ認識を教師が持つ必要がある。

 中学校の場合、数学的な考え方を育てるには、作業をしたり操作をしたり試行錯誤をする中で、アイデアが出てくることがあるが、そのためには時間が必要である。数学的にじっくり考えさせることは、数学の楽しさやよさを味わうことができたり、基礎的・基本的な内容を確実にすることもできる。

 数学的な考え方を育てるに際し、例えば、子どもたちが自分で問題をつくり、問題の条件をかえてみたらどうかなど、発展的に考えることによって、数学をつくり上げていくような工夫が考えられる。

 数学的な見方や考え方について、典型的なものを例示して、分析的に示す必要がある。例えば、数学を身の回りの事象の考察に活用するというとき、数学的なモデリングを行うことなどを例示してはどうか。

 数学的な見方や考え方を育成するには、知識や技能と数学的なものの見方を統合して、数学を活用する例や数学を深め発展させる例など、典型的な活動を示した新しい領域を設定してはどうか。

 数学的な見方や考え方について考える場合、知識については、数学的な事実、性質や定義にかかわる知識と、数学的なものの見方などに関する方法についての知識と2つある。

 数学的なものの見方とは、テクニックではなくて、問題が何を意味しているかをよく理解する力、相手が何をいわんとしているのかよみとる力ではないか。

 例えば、最近のキーワードである地震ということに対して、算数・数学の授業で扱うかというと理科にお任せというのがほとんどではないか。他教科との連携というのは、先生方の頭の中でつくっている垣根を取り払い、物理における学習を引用して、算数・数学の授業を進めることではないか。

 中学校2、3年以降になると学習状況に開きが出てきて、学年の枠で学習ペースを固定しては多様な学習状況やニーズに応じきれない。現在、高校ではそれを科目という形で吸収しているが、前期中等教育と後期中等教育との間をつないで、必要な内容の学習を実質的に保障できる柔軟な仕組みが工夫できないか。

 発展的な内容でも、学習しなかった子どもが将来不利益をこうむるようなものがあれば、共通に学習する内容に含めた方がよいのではないか。

 発展的な学習は、余力のある子だけでなく、取り上げる内容を変えるなどして遅れがちな子にも、活動や体験をさせるべきであり、今後は数学的な見方・考え方の中で発展的にものを見たり考えたりすることを強調する必要がある。

 算数・数学の内容が大切なことは分かるが、児童生徒の授業の理解度の現状や小学校では全教科担任制であることなどを考えると、内容の総量を増やすことについては、慎重に検討する必要がある。厳選した基礎・基本をすべての子どもに定着させることができるようにすべきではないか。

 小学校で準備して中学校でしっかり指導する、中学校で準備して高等学校で指導するというスパイラル方式の必要性やよさといったものを再検討する必要がある。

 歯どめ規定にかかる部分について、もう少し緩めたり、少し膨らませて考えてみることはどうか。

 基礎・基本が強調され過ぎると計算練習なども苦役のようなものになってしまいがちだが、基礎・基本を融合的に使うと問題が解けるといったことをもっと強調すべきではないか。

 グラフを使って事象を説明するときに、表をつくり、計算が必要となる。単に問題練習をやればいいのではなくて、データを活用する活動の中に基礎・基本に盛り込むべき。

 内容の配当や指導方法を考えるに当たっては、現在の脳科学の成果も踏まえ、年齢など発達段階に十分留意する必要がある。例えば、小学校低学年では、習熟的、経験的な学習などが大事であり、ドリル的な学習の弊害とは区別して考える必要がある。学年が進むにつれ、論理的、体系的な学習が必要となる。

 資料に基づいて判断する、根拠に基づいて説明することは、今後、基礎・基本として重要。こうした内容を小・中・高で位置付けるとともに、社会や理科、他の活動との関連を視野に入れた系統づくりが課題である。

 円の面積、分数の除法、証明などは、従来から子どもたちに理解が難しいと指摘されているが、理解が困難という理由で義務教育段階からはずすというのは良くない。定着しない内容について指導の手立てを考えることが課題である。

 小・中学校では帰納的に理解していく、体験から理解していくといった点を確立していくのが大切で、高校は演繹的に抽象的な議論ができていくといった点が大事である。

 学習指導要領の内容は、教科の背景にある純粋数学を意識したネーミングで整理されているが、評価の観点や評価規準を参考にして内容を整理する新たな視点を工夫できないか。

 例えば、三角形や平行四辺形の面積の求め方にポイントを置き、そこで培った力を基礎的・基本的な考え方として、台形やひし形の面積を求めていくという現行学習指導要領の考え方はよいが、この考え方を充実させるための具体的な方法を検討することが重要である。

 学習指導要領の内容には、知識や技能にとどまらず、計算の仕方や面積の求め方を「考える」ことなどが明示されているが、更に「よさ」や「楽しさ」についても具体的に示すことによって、4つの観点全体にわたって育成しようとしているという趣旨が学校現場に伝わりやすくなるのではないか。

 専門性が特に高い仕事を除き、技術職の場合でも大学までの数学があれば十分であり、それ以外は高等学校までの数学があれば大体十分である。そして、日常は、中学校までの数学で十分というところで生活しているのではないか。

 高等学校までの教育では、基礎的なところをきちんと指導する必要があるが、単に知識として知っているのではなく、学習したことを自分で使いこなせること、思い出して少し勉強すれば使えるようになることが大切である。

 小・中学校にも、高校の「数学基礎」の精神を取り入れ、不思議さや役に立つ実感などが得られる、楽しい算数・数学の学習をさせる必要がある。

 科学技術創造立国を目指す現代においては、新たな意味での教育内容の「現代化」を考えるべきではないか。

 算数・数学は、先人の苦労によってつくり上げた原理や法則を勉強しているということを内容の一部に盛り込むことはできないか。その際、数学がなぜ生まれたのかということや追体験を通じて数学の価値を学ぶことを大切にすべきではないか。

 学習指導要領の中に、例えば問題解決など、内容を指導する過程についてもある程度盛り込むことはできないか。

 問題解決的な学習は、どの内容についても行われていることではないか。

 算数的活動や数学的活動については、時間があれば、必ず指導され効果が上がるか、あるいは、十分理解されているかというと必ずしもそうとはいえない。ねらいを実現するためにも、具体的な活動内容について例示してみたり、既存の領域を組み合わせて、活用や工夫することを主眼とする領域を設けることを検討してはどうか。

 算数的・数学的活動については、小学校段階では具体的な活動が中心、中学校では帰納的なものから論証への過渡期、高等学校では論証的な面にウエイトを置くなどしてはどうか。

 「表現」「読解力」は一方向であり、数学では双方向のコミュニケーション能力を育てることが重要。考えるとは自分自身との対話であり、ディスカッションは複数の人が関わることが前提。思考力とコミュニケーション能力は表裏一体のものである。

 算数・数学の問題を解く場合でも、児童生徒は文章を読んだり表現したりすることを嫌う傾向があるが、国語科など他教科とも連携して表現や読解など日本語の操作能力を育てることが大事である。

 算数・数学の問題の文章について、児童生徒にもっと分かりやすいものにする配慮が必要ではないか。

 コンピュータを使うことについては、それによってある能力が育つ面と阻害される面とがあることを考える必要がある。

 算数・数学の授業時数、特に中学校の授業時数は不足しており、せっかくのよい指導方法の工夫も学校現場ではそれに取り組む余裕がないのではないか。

 いまの子どもたちは多様な経験が少なく、数量や図形に関する感覚が十分培われていないため、実感を伴った理解のためには一定程度時間をかけることが必要である。

 相似と地図の縮尺、反比例とてこの原理など、数学的概念と他教科の学習内容との関係を十分踏まえて、各段階の内容を検討する必要がある。

 国語や歴史などと違って、数学は社会に出てから学ぶ機会が少ないので、学校教育であまり内容を限定しないでほしい。

 算数・数学の教育内容を検討するに当たっては、日常の生活の中で数学がどのような分野でどのように使われているかを検討することが必要ではないか。

 日常性との結びつきや他教科、特に理科あるいは社会との関連を重視することは大切であるが、今の子どもたちに自然体験学習、社会体験、工作体験が不足しているという現実を見据えた上で、関連を図る必要がある。

 日常生活との関連で統計、確率などを充実してはどうか。特に確率における余事象の考え方は必要である。また、速さ、エネルギー、ものの落下など二次方程式や二次関数の充実も必要ではないか。

 数値を検証したり活用したりするため、サンプル数や有意差に着目したり、棒グラフや折れ線グラフの違いに気付きながら電卓やコンピュータを活用するなど実社会向け、日常生活向けの数学を扱ってはどうか。

 最低基準の内容について、どの子にもしっかり身に付けさせるためには、一定の時間内ということにこだわらずに、小学校高学年以上は、少し幅を見て、学年の枠を弾力化することも考えるべきではないか。

(小学校)
 小学校の学習指導要領はよくできていると思うが、例えば小数や分数の計算など数と計算の内容が小学校で完結しないで中学校にまたがっている点などについては検討の余地がある。

 教育内容を考える際は、領域間のバランスに留意する必要がある。

 具体的な事物に対する活動が貧弱なため、子どもの空間認識が十分育っていないのではないか。いろいろな具体的な活動をさせるとともに、概念を言葉で表現するような学習をもっと取り入れてもよいのではないか。

 小学校の授業ではかなり具体物を使った活動を行っているが、そのことと、例えば面の平行や垂直など概念が定着することとがつながっていないのではないか。

 知識・技能をかなり限定的に解釈すれば、身に付けさせたい知識・技能とは、整数に関する加減乗除ではないか。ただし、数学的活動や数学的な見方、考え方を通じて身に付けることなので、狭い意味だけでとらえるのは難しい。

 例えば、面積を求める場合、公式の機械的な適用になりがちであるが、面積を求める過程や意味を理解することが重要であるので、基礎基本の適用範囲を広げてとらえるべきではないか。

 小学校における図形に関する内容は薄くなっているのではないか。例えば合同や対称、正多角形を扱うようにするとともに、図形と図形を関係付けて見る視点を大切にするなど、図形に対する感覚を豊かにすることが求められる。

 拡大・縮小や対称などは、各教科等の学習活動の様々な場面に表れる。それらを算数の言葉でまとめていくことで豊かな学習になる。これらの内容の位置付けについて検討する必要がある。

 繰り返し学習することが必要な内容については、その必要性を検討した上で意図的に位置付けることも考えるべきではないか。

 小数、分数の指導時期は今次改訂で、1学年遅れて開始しているが、量や割合ではなく、数として分数、小数を見ていく場合、難しい概念は早いうちに学習させ、何度も何度も繰り返すことで、分かるようになるのではないか。

 前の段階で一定の学習経験や体験があることで、後の段階の学習が分かりやすくなるといった、いわば学習の素地となるような活動について検討する必要はないか。

 小学校から中学校へ移行した内容については、その学習内容の素地づくりにどのような影響を与えているかをみる必要がある。

 「数と計算」について、現行では学年ごとの内容を桁数によって区切ってあるが、計算の簡単さなど他にも内容を整理する観点があるのではないか。

 ある概念を理解しようとするとき似て非なる別な概念を示してはじめて分かることもある。比例と反比例は小学校で教えるべきである。

 理解の質的な面を系統的に整理して積み重ねていくようにする必要がある。単に比例がやさしく、非線形なものは難しいということではなくて、2つの数の乗法的な関係を考慮し、正比例・反比例を一緒に扱うというような観点が必要。

 反比例は理科ではてこの中で、グラフ関係は社会科の中でたくさん扱われているので、他教科との関連という視点が必要。

 教育課程実施状況調査の結果などからは、円や台形の面積の求め方についての理解は、表面的には問題となって出てきていないけれども、あまり十分ではないのではないか。

 円の面積については確かに難しいが、円そのものは非常に身近なものであり、感覚的にも知っておく必要がある。求め方が十分理解できなくとも、扱う必要があるのではないか。

(中学校)
 中学校の図形について、相似を第2学年から第3学年に移行するなど内容が整理されたことによって学習がしやすくなり、より生徒に定着しやすくなったのではないか。

 中学校の選択教科で数学をとる場合の上限は70単位時間であるが、数学を好きな生徒がもっと学習できるようにしてもらいたい。

 数学については、例えば式を見て図に表すといったように、式・図・言葉の三つを相互に変換できるようにすることが大事である。幾何を通じて、図形が変化していくイメージを養うことが大切ではないか。

 数学的な表現やコミュニケーションについては、数学として論理が成り立っていなければならないという面と、人と関わり相手に伝えて理解してもらうという面とがある。中学校の段階から論理立てて相手を納得させることを取り入れてほしい。

 一旦解決したことでも、もう一度自分自身で振り返ったり、みんなで振り返ったりすることが大事である。

 式も一つの文章であるという意識をもっともつことが大事である。

 これまで中学校で学習していた統計的な内容や標本調査は高等学校に移行されたが、数学の内容の中では社会生活とのかかわりが深い。社会人として身に付けておくことが求められる内容について検討が必要である。

 指導時間が足りないと言われるが、数学はすべての教科の基礎であり、例えば数学的な概念を他教科の活動の中で生かすことで実感もって理解できるようにするなど、他教科と連携協力する工夫が大事ではないか。

(高等学校)
 高等学校の場合、目標に沿って内容をどう考えるか。例えば文系と理系で指導すべき内容を変えるほうがよいのか、それとももっと多様な構成にすべきなのか。

 高校によって目指すものが違う。ものすごく多様化している。系統性と多様性の双方に配慮したものが欠かせない。

 文系、理系を数学ができるかどうかで決めている実態がある。数学は経済や商業にとっても必要。文系の先生にも分かってもらいたい。

 文系でも数学を使う状況は増えている。広範囲に必要になっていることを踏まえ、将来の利用に備えて、その準備を高校でするということ。内容はいろいろなものがある。、方法は筋の通ったものとすべき。

 高等学校でも、実生活との関連を持たせて学ぶことや活用する態度を育てることが大事である。高等学校の各科目について、数学をつくる過程を大切にし、数学的活動をもっと導入することを検討する必要があるのではないか。

 高校数学は、世の中の道具として存在するだけではなく、数としての美しさとか論理を追求していくという方向で位置付けてみてはどうか。

 高等学校の必履修科目の設定の仕方や科目の内容の一部を選択して履修させる選択科目の構成の在り方等について検討すべきである。

 学習指導要領上では高等学校の指導内容はうまくできているが、実際上は、内容選択の科目もあり、例えば統計に関する内容が十分指導されていないのではないか。各学校で学習指導要領の趣旨を生かせるようにすることが重要である。

 学習指導要領の内容はよいとしても、それが十分生徒に身に付いていないということをどう解決するかが大きな問題である。

 高等学校からみると、中学校ですべての生徒が一定の内容を身に付けてくるようにしてほしい。

 「数学基礎」の教科書をみると、様々なタイプのものがあるが、ある程度数学を学んだ生徒が発展として学習すると、数学の活用や応用という面で面白いのではないか。

 「数学基礎」は豊かな内容を含んだ発展性のある科目と思う。学び直しが可能な科目として、きちんと位置付けたいが、科目の名称がネック。3年の文系で履修がよいと思っても、生徒や保護者から基礎で恥ずかしいといった指摘が出てくる。

 高校時代に選んだ進路を将来変更する場合もある。高等学校の教育内容について、別の道に進む可能性に配慮して検討することも大事ではないか。

 「数学基礎」の内容である「数学と人間の活動」や「社会生活における数理的な思考」の趣旨が、他の科目の主な内容にも取り入れられないか。

 数学について、新しいメディアを取り込んだ新しいスタイルの学習を念頭に置いた科目を検討してはどうか。

 高等学校でも、教材等を含めて他教科との連携協力が大事ではないか。

 「確率・統計」は高等学校では共通に勉強されていない。高等学校でも「資料の活用」を重視すべきである。

 不等式は「数学1」で学習するが、もう少し早くから学習してもよいのではないか。

 スパイラル学習が本来ならばいいはずの一元一次不等式などは、高校では、二次不等式を解くための道具になってしまうので、中学校の段階で、具体的体験的に学習することが望ましい。

 球の体積とか表面積は、高校で具体的に扱う場合は、数3まで行かなければできないので、中学校で直観的に理解させたほうがよい。

 相似形の面積比、体積比などは小学校や中学校でも実生活上も必要であるので、小学校・中学校段階でもっと時間を増やすなどして、帰納的に必要なものは扱うべきである。

4. 算数・数学の指導方法の工夫・改善と指導力の向上等

  (基本的な考え方や全体にかかわる事項)
 算数・数学を大切だという子どもたちの思いや、あきらめずに問題解決に取り組む姿勢に応えるためにも、指導方法の改善とそれが実現しやすい仕組まで視野に入れて検討していく必要がある。

 少人数指導や補充的な学習など指導法の改善や、目標に準拠した評価が進められつつあるが、指導に当たる教員の力量を高めることが必要である。

 教科書どおりに授業が行われ、指導上の創意工夫が十分なされていないのではないか。

 指導法を工夫改善している学校はあるが、それが広がっていかないことが問題である。そのため、学習指導要領に指導法も含めて明記していくことが今後必要になってくるのではないか。

 教員自らが数学を愛し、学び続ける姿勢が必要である。

 教員は、よりよい授業をするための個別のポイントに配慮するとともに、全体を通じて生徒が感動するような授業を目指すことが大事ではないか。

 指導方法には、すべての教員がきちんと身に付けるべき基礎的・基本的なものと、それを発展させ工夫して身に付けていく、やや高度なものとがあるのではないか。

 「算数的活動、数学的活動」、「問題解決」、「習熟」、「練習」といった用語について、教員によって理解の内容が異なる。それらのねらいや趣旨、それが意味あるものとして働く条件などについて教員が共通理解することが重要である。国や教育委員会もそのための支援や検証を行うことが必要ではないか。

 算数・数学教育と総合的な学習の時間との関連を一層密接なものにしていくことが必要ではないか。

 理数系の職業に就く女性が諸外国に比して少ないのではないか。様々な要因が考えられるが、そうした点を指導に当たって考慮に入れる必要はないか。

(指導方法の工夫・改善)
 カリキュラムが、どうしてそのような組み立てになっているかといった構成理由を踏まえた指導法の工夫が大事ではないか。

 どのような指導方法をとるかについては、指導のねらいや内容、教材と一体的に検討する必要がある。

 指導方法の工夫改善について、1教材研究も含め例えば問題解決的な展開といった授業づくりの工夫、2子どもの実態に即したきめ細かな指導を進めるための評価の活用、3ティームティーチングや習熟度別指導等の授業形態の改善などに整理することができるのではないか。

 実際の授業でも行われているが、失敗や誤答を受け入れ、その間違いを取り除くにはどうしたらよいか、という誤答や間違いを指導に生かす工夫をする必要がある。間違いを恐れず自分の考えや意見を出していくことが大切。また、うまく行かなくとも解決法を素晴らしいと感じたり、図表を見て素敵だとおもうような算数、数学を鑑賞し楽しむことを工夫してはどうか。

 具体的に、関心・意欲・態度や数学的な考え方を育てる授業にすること、また体験活動の後や考えさせた後の指導の充実が課題である。

 6割方子どもが答えたとしても、もう一度問い返すことにより、考え方が生徒全員にだんだん明確に意識されていくということがある。

 数学的な見方、考え方が育つには、目に見えにくく、時間がかかる。しかし、他の3観点(「数学への関心・意欲・態度」、「数学的な表現・処理、数量」、「図形などについての知識・理解」)へ、波及する観点である。

 企業研修では、暗記させたり、穴埋めをさせたり、事例を使ったり、記憶の理論を使って、多種多様な教え方をしている。応用問題の使い方とか記述問題など学校でも応用できる点があるのではないか。

〈思考力を育てる〉
 数学は論理的な思考を表す言葉であり、記述式の訓練をきちんと行うことが重要である。小学校の段階から立式をすることなど解答の書き方を指導することが必要である。

 数学は、実際に自分で調べ、図や式を整理して書くことを通じて考え方を深めていく要素が多いことからも、生徒に立式や作図をさせるなどの工夫が必要ではないか。

 子どもたちがもつ規則性や法則性を発見する力を生かして法則まで導く支援や、日常的な感覚や言葉と式や数学的な概念とのずれに気付かせ、日常の言葉と数学的な言葉を双方向で円滑に置き換えることができるようにする指導が大切ではないか。

 方程式を単純に解くことはできても、文章題で方程式を立てることができにくい。数学的な事実、性質や定義などの知識とともに、方法についての知識も指導することが必要である。「例題」と「問題」の意味の違いを踏まえ、子どもたちに「例題」は何の代表なのかといったことを意識させる指導をきちんと行う必要がある。

 ディベートで相手を説得することは、まさに論理的な思考を働かせることである。例えば証明について、生徒が互いに相手を納得させようとするディベートだという観点を取り入れることで学習指導も変わるのではないか。

 計算の技能を指導するときに、計算の意味理解をどう指導するか、子どものいろいろな考え方を取り上げて、話し合いの活動や比較検討するような場面を取り入れるといった指導方法の工夫が必要。

 数学的な考え方は、算数・数学教育史上においては何十年も、強調されてきているが十分ではなく、しっかり検証する必要がある。

〈学習過程〉
 子どもたちが学習のプロセスを大切にし生かしていくためには、教員がそれを受け止め、子どもがつまづきに気づいて軌道修正することを助けたり、考えをクラスに広げ感動や喜びを共有したりすることが必要ではないか。

 時間が足りないのは一般企業等でも同じであり、要点を押さえてプロセスを重視した指導の工夫をしてほしい。

〈体験を生かす〉
 子どもの実態を踏まえ、数式を使わないで、例えば身体を使って数学的な考え方を体感させることは考えられないか。

 公式は習っているが、どの場面で使うのかを体で実感できていない。そういう意味では繰り返し体験することでよい教育効果が期待できると思う。

 大学でも公式を与えれば解けるが、文章問題で自分で方程式を立式し解を導いていくことが難しい。学習する側の目線に立って実生活の中で直面する現象を例にして公式のもつ意味を説明していくことが大事である。また、1月後に別の例で公式を使ってみるなどの繰り返しを工夫することも考えられる。

〈問題解決的な学習〉
 小学校においては、学力向上フロンティア事業や学習指導カウンセラーを配置している学校を中心に、問題の提示や把握、全体や個別での解決、全体での比較検討、自分なりのまとめとふりかえり、更に発展につなげるといった問題解決型の授業がかなり定着してきており、一つの模範になるのではないか。

 問題解決的な学習や数学的活動が展開されていても、十分定着していない面があるのは、もう一度見直したり更によりよい解決に取り組むような、いわゆる振り返りの場面が少ないせいではないか。問題解決に取り組むとともに、それをもとにして定着したり、習熟したりするための指導も重要である。

〈振り返りやまとめ〉
 教員は授業で大事なことは説明しているはずだが、それが教員からの一方的なものになりがちではないか。また、中・高等学校になるほど、授業において教員自身が自分で意見をまとめてしまう。児童生徒が学んだことを自分の言葉でまとめ語り返す、その中で表現がこなれていく。教員はそれらをよく見極めて、大事だと思われることが児童生徒の中にきちんと入っているかを判断し、補っていくことが重要ではないか。そのことが定着につながる。

 観察、操作、実験等を通して事象に深く関わるようにするとともに、自分の考えを振り返る時間や場面を工夫して、子どもたちが自分がやったことを大切にしたり、責任をもつようにしていく必要があるのではないか。

 数学をしっかり身に付けていくプロセスでも、数学を使ってものを考えたり処理をするプロセスでも、一度判断を下したら、それについて最も素朴な方法で、確認することが大変重要である。

〈評価を生かす〉
 学校の実態に応じ、朝の時間や業間、放課後も活用しながら、事前のレディネステスト、単元間の形成的評価、単元末の総括的評価を取り入れ、評価を子どもたちが円滑に学習に入ったりつまずきを克服したりすることに生かす工夫が大切である。

 例えば「関心・意欲・態度」について、単に宿題をやってきたかだけでなく、子どもに学習したことを生かして関係する記事や写真を集めさせポートフォリオのような形で蓄積するといった工夫がされている。

〈学習集団や指導体制の工夫等〉
 単元の導入部分で関心・意欲・態度が深まるようにティームティーチングを行ったり、単元の最後で内容の定着を図るため少人数指導や習熟度別指導を取り入れるなど、一斉指導とともに、場面に的確に応じ一人一人に対応できるような指導形態を工夫し適切に組み合わせることが大事である。

 習熟度別指導が盛んになっているが、子どもが個別にプリントをやっているにとどまるものも見られる。一斉指導において皆で練り上げることや算数・数学を皆で楽しむような工夫も大切である。

 社会では、能力が同等の者だけを集める場合だけではなく、様々な者が組み合わさった方が問題を効果的に解決できる場合もある。習熟度別の指導もあるが、学力の異なる集団であることがかえって議論を深める場合もある。集団の中で一人一人の能力や特性を生かす方法も研究してみてはどうか。

〈情報技術や学校外施設の活用等〉
 数学に興味をもった子どもたちが、コンピュータやインターネットなどを活用し、自発的、継続的に学習を進めることができるよう学習環境を整えていく必要があるのではないか。

 博物館など学校以外の施設を教育の場として活用することができないか。

〈生徒評価の活用〉
 生徒の感想や意見を授業の改善に反映するような工夫が考えられないか。また、評価をするに当たっては、評価される側にも評価項目が事前に明確にされておくことが重要ではないか。

 生徒による授業評価は、全教科一斉に実施すると、生徒が「評価疲れ」を起こしてしまうことが課題である。また、教員はコミュニケーションを重視したいが、生徒にとってはそれが苦手で苦痛であり、そのような意見を授業改善にどう工夫するかが課題である。

〈中学校〉
 中学校における文字式の達成状況があまりよくない。文字式について丁寧な指導が求められる。

〈高等学校〉
 高等学校においては、授業の導入時には、数学的な活動を生かしつつどの生徒にも分かるところから出発し徐々に内容の程度を高めていくような工夫が必要ではないか。

 高等学校でも、教育課程実施状況調査の報告にあるように、生徒が自分の考えを表現し合い、お互いの考えを比較したり検討したりする指導の工夫に取り組む必要がある。

 高等学校段階で、抽象度の高い理論を数学の範囲内で実感させることは、教材的に難しい。理科や社会など他の教科の中で数学が使われており、理論的に解決すると確かに現実と合うというようなところで数学的な考え方のすばらしさが実感として理解できる。

 高等学校段階では、セミナー形式を取り入れ、例えば生徒に授業で学んだことなどについて話をさせることでより学習が深まることも考えられる。

(教員の指導力の向上)
 教員の指導力の向上を図るため、研究会などに積極的に参加するなどして研鑽を深めることを促進することが大事である。

 同じ問題を解いても学級ごとなどに正答率に差が出ることがある。教員による指導力の差が広がってはいないか。教員全体の指導力の向上を図ることが必要である。

 目標に準拠した評価の導入の契機に、年齢を超えて教員同士が互いの指導法や教材を提示し合いながら、具体的な場面での評価を検討するなど互いに研鑽し合う例も見られるようになった。

 教員の指導力は、経験年数ではなく、教育に対する柔軟性や変革していこうという気持ちによってずいぶん違ってくるのではないか。

 教員は自分の指導方法を確立していくことが大事であるが、問題解決などの授業の型を守るだけではなく、型を身に付けたら更にそれを離れ、子どもの実態に即して自分で新たな授業を作り上げていくステップアップが大事である。

 指導力向上のための授業研究には、学習指導案の作成、授業観察、研究協議といった要素がある。授業観察では、その時間のねらいが達成されたかといった観点からみることが重要であるが、何をどうみたらよいか案外分かっていないのではないか。

 子どもの反応や考えていることなど子どもの様子を見取り、自分が指導したことが子どもたちに十分伝わっているかを把握することができるかといった観点からの指導力の向上を図ることが重要である。

 教員に子どもの学習する姿が見えるようになるためには、自分がもっているものを一方的に子どもに与えていくという教授観を転換する必要がある。授業研究や研修を通じて自分の授業観や授業を問い直すことが大事ではないか。

 教員になろうとする者が学生のうちから、算数・数学で育てたい力の具体的な指導方法について、学び考えるようにすることが大事である。

〈モデルの重要性〉
 教員は自分で受けてきた授業をもとに考えがちで指導方法が変わりにくい。教員がよい授業を見て自分の授業に生かしていく工夫することが指導方法の改善につながる。

 教員の指導力向上のためには、自分の教え方の不十分な点に気付けるようなすばらしい先生に出会う機会や、そうなるためにどのようなステップを踏めばよいのかが明確になることが大事ではないか。

〈教員の数学的体験〉
 数学の授業は、物事を数理的、論理的に処理する能力を身に付ける面と数学の実用性を伝える面があるが、高等学校では実用性の面を十分伝え切れていないことから、教員自身が社会で数学がどのように生かされているのかを学ぶ必要がある。

 生徒が面白いと思うような数学的活動を展開するには、先生にもっと豊かな体験をさせる必要がある。

(支援策等)
 小学校に専科で配置された教員を、各学年全体を見渡し系統性に配慮するなどして教材や授業の改善に取り組む上でのリーダーとして機能させてはどうか。

 小学校では教科担任制ではなく学級担任制なので、算数の専門の先生などを各学校に配置し、その先生がリードして、問題解決的な授業とか子どもの考え方を生かすような授業などについて、専門的な観点から指導を行い、普及を行うことも重要ではないか。

 優れた指導力を持つ教員について、教頭や校長になって学校の経営に携わる道とともに、教科指導のエキスパートとして認め、後輩の指導に当たるような仕組を考えられないか。

 指導力のある複数の教員が学会等において模擬授業等を行いディスカッションするなどの工夫も考えられる。

 学校を訪問して、具体的な授業を通して、指導助言のできる人材の充実を図る必要がある。

 学力向上フロンティア事業については、指導方法や指導体制の工夫・改善がなされたとの報告が多く、実質的な成果も上がりつつあることから、次年度以降も継続ないしは発展的な新規事業を実施するなど、指導力の向上を引き続き支援する施策を推進する必要がある。

 国で指定している学習指導カウンセラー配置校では、大学の研究者が継続的に訪問し、校内研修会を中心に授業について研究する。例えば授業や研修会を録画し、事実に基づき根拠を明らかにして改善につなげている。こうした取組は、指導力向上を図る上で実のある方策ではないか。

 教員自身が豊かな数学とはどのようなものかを学ぶ経験をすることにより、数学のおもしろさを生徒に実感を伴って伝えることができるのではないか。高等学校をはじめ学校は適切な大学の研究者等との連携を進めてはどうか。

 コンピュータやインターネットなどを学習指導をはじめ教員への支援に一層活用するとともに、指導に役立つ情報や資料などを蓄積することが大切である。

 学んだ数学を使う機会が乏しいのではないか。社会科でも理科でも、発展でも総合的な学習の時間でも良いので、そういう教材を提供していく必要がある。

 教員の基礎的な指導力を底上げするため、例えばNPO等といった形態も活用し、日頃から指導に苦労や不安を感じている教員に対する相談や情報・資料提供を全国のいくつかのブロックごとに行うような仕組を整備することはできないか。

 日常や社会で、数学がどのように応用されているかなどの教師向け資料を作成してはどうか。例えば、測量や電気などの仕事で現実に応用する面白さを教えられる例はたくさんある。

 数学に関する固定性知識(一度覚えると定着する知識)と流動性知識(一度覚えても時間とともに失われる知識)がどのようなものか研究してはどうか。

 例えば、大学の入試のセンター試験で、(グラフ)電卓が導入できれば、統計や三角関数で日常的な数値を扱うことができる。また、そうすることによって、授業で、実生活から自分が探してきたデータをどう分析していくかとか、そのよさがわかっていくのではないか。

 勉強したことを実生活の中で活用できることを期待するが、そこまでできない場合には、自分ができる、自信を持って使える数学を活用し、身の回りのものを記述したり、処理したりすることを内容とすべきではないか。

 数学の実用性については、数学が役に立たないのではなく、数学を役に立てられないことが問題である。算数的活動や数学的活動を示し、活用できる数学を使って好きにさせることが大事ではないか。

 今回の学習指導要領の中で、いわゆる算数的活動・数学的活動を取り入れたことで、教科書の中に、例えば、教室の外へ出ての活動や折り紙を使うなど操作的なものが増えており、進歩が見られる。

 失敗やうまくいかなかったこと、どうすれば乗り越えられるかということを、もっと授業の中で取り入れていく。また、自分の解き方と他の人の解き方を披露し合ってコミュニケーションするといった自分の思考過程を書くということも数学的活動に含まれており、さらに伸ばしていく必要がある。

 理学部の学生に聞いても、例えば高校までで習った数学というのは役に立たないという。これは意識の問題として、自分が実生活には使わないという意味の役に立たないということではないか。このあたりは、きちんと分析し他教科や総合的な学習の時間との関連を図っていく必要がある。

 日常や社会で数学が用いられる場面での使い方を支援するための研究会を、企業等の協力を得ながら組織してはどうか。

 数学について、マスコミの方々に取り上げられるような努力をすることが大事で、そういう機会が増えることが望まれる。

 教育についても、法科大学院のように専門職大学院を設置して専門職としての力量の向上を図ることを検討してはどうか。

 できるだけそれに向いている教員が数学教育に携わることができるよう、筆記試験や面接、模擬授業の評価に加えて、ポートフォリオ評価などを工夫することも考えられる。

 企業では、指導者の育成に当たり専門知識に加え標準的な教え方をしっかり身に付けた上で、型をはずすような工夫をしたり一定期間ごとにライセンスを更新したりして常にブラッシュアップしていることが参考にならないか。


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