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ESCdoc03-01
2003年4月19日

「算数」・「数学」はなぜ学校教育に必要なのか

日本学術会議数学研究連絡委員会附置 数学教育小委員会

 数と図形と言語は社会生活を営む基盤として必須のものである。数の四則演算の習得の必要性はいうまでもなく、対称性や立体感覚など図形に関する感覚も学習を通して豊かになるものであり、数と図形に関する学習は豊かな日常生活を送る上で不可欠なものである。「読み・書き・そろばん」という言葉が江戸時代からあるように、こうした日常生活で必要となる知識の習得のために、それぞれの時代と社会は教育のシステムを作ってきた。小学校の「算数」、「国語」は社会生活をおくる上で必要な最低限の知識を保証する役割を果たす必要がある。

 今日の科学技術文明では、多くのものが数値化されて表示される。その意味を数量的に的確に把握する数量感覚が現在は特に必要となっている。また、安心して生活をおくるためには今まで以上に高度な数学が要求されるようになっている。たとえば、電卓が自由に使えるには加減乗除や小数の意味、さらには数の指数表示の意味が分かっている必要があり、地震や騒音のことがきちんと分かるためにはマグニチュードやデシベルが対数を基本にした単位系であることを理解しておく必要がある。しかし、こうした日常生活で必要な「算数」・「数学」の学習成果はあまりに基本的であるために、ちょうど水や空気のように、通常はその必要性さえ意識されることはない。

 さらに、数学は単に社会生活をおくる上で基本となるものだけでなく、多くの学問を記述する言語としての重要な役割を果たしている。「自然は数学の言葉を使って書かれている」というガリレオ・ガリレイの言葉は有名であるが、今日では、自然科学や工学のみならず、社会科学や人文科学でも数学を必要とする学問分野が多くなっている。それは今日の社会が数量的な把握を要求していることと無関係ではない。このような「言葉としての数学」に習熟することは、学校で他の教科を理解し、さらに進んで種々の学問を理解するために必要となってくる。小学校から大学初年時までの数学の学習は、こうした「言葉としての数学」を習得するプロセスとしての側面を備えていることは言うまでもない。

 しかしながら、数学を学ぶ必要性は「数学が役に立つ」からにとどまるものではない。過去を振り返ってみれば、数学の歴史は思いこみから自由になる歴史でもある。方程式の項を左辺から右辺に移項することも、文字を使って式を表示することも一朝一夕にできるようになったのではない。今日では当たり前と思われることの多くが実は千年、二千年の長い時間にわたる人類の成果であることも知るべきである。そして、数知れぬ人々の思索の結果、数学は深められ、特有の美しさを持つに至っている。こうした数学の美しさを体験することも数学の学習では必要である。

 ところで、問題を自ら考え自らの力で解いたときの楽しさを味わうのに数学は最適の教科の一つである。江戸時代から私たち日本人は問題を解くことに多くの喜びを感じてきた。この側面は今後も積極的に生かすべきであり、学ぶ楽しみを数学教育はもっと重視すべきである。数学の問題を解く過程では様々な試行錯誤が必要とされる。その際、特徴的なことは、面白いアイディアは必ずしも論理的な考えから出てくるわけではないが、そのアイディアをもとに問題を解決していく過程では論理的な思考が重要であることである。また、得られた解答を論理的に説明することによって万人が理解できるようになる。他者とのコミュニケーションは言葉と論理に基づいているが、その基礎は数学の学習を通して身につけることができる。

 また、数学は日常の素朴な問題から出発しても、それを解くために問題を抽象的に考察することが多く、抽象化の結果、数学の適用範囲がさらに拡がるという歴史を繰り返してきた。こうした数学の考え方、数学の働きを学ぶことも大切である。特に、対象を分析し、問題の本質が何であるかを考察する数学の学問としてのあり方は、複雑化の一方をたどる現代社会の中で、対象の構造を明確に把握し考察するシステム的な思考の基本をなすものでもあり、今後ますます重要なものとなってくる。

 数学を学ぶ意味は広くかつ深い。数学のカリキュラムは数学の持つこうした多面的な側面を生かし、かつ学ぶ楽しみを通して数学の持つ美しさ、深さを実感することのできるものでなければならない。ところが、残念なことに、受験問題の解法のテクニックのみを教えることに特化した「受験にのみ役立つ数学」が、盛んになっている。高等学校で「受験にのみ役立つ数学」が盛んになる重大な原因の一つが、短時間に多数の解答を要求するセンター試験にあることは否定できない事実であり、早急に改善することが必要とされる。さらに、現在、高等学校の多くで大学受験で必要とする数学に基づいて、理系と文系に生徒を分けて数学教育が行われているが、これは上述した数学の教育の趣旨に背くものであり、数学を必要とする分野の増大という現在の学問の動きにも逆行している。また、「受験にのみ役立つ数学」は、「数学は公式を暗記してそれに数値を当てはめて問題を解くこと」という誤解を広め、多くの「数学嫌い」の生徒を生み出している。しかし、多くの「数学嫌い」の生徒は、本当は数学を分かりたいと密かに願っている。その願いに応える数学の教育を構築する必要がある。

 上で述べたような数学の教育を充実させるためには小学校から大学初年級まで一貫した考えに基づくカリキュラムを作ることが必要である。もちろん、こうしたカリキュラムは唯一つではなく複数あるべきである。学習者の精神年齢にふさわしい題材を選び、以前に学んだ内容をさらに高い立場から理解を深める形のカリキュラムが求められている。日本学術会議数学研究連絡委員会附置 数学教育小委員会は全国の数学者・数学教育関係者と協力してこうしたカリキュラムづくりに取り組んでいきたいと考えている。また、本委員会のみならず、様々な場所から理想のカリキュラムが提案され、数学の教育が活気あるものになることを切に希望する。

(平成15年2月22日 数学教育小委員会決定)
(平成15年3月25日 数学研究連絡委員会で対外的に公表することを承認)

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