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国語については、学習指導要領上、文法の記述が弱いのではないか。言語を考えるときは、語彙の問題とそれがどう組み合わさっていくのかを考慮する必要がある。従って、基本的な文法をいつ、どこで、どのようにきちんと定着させるのかを考える必要があるのではないか。このことは、小学校英語にもかかわってくることである。日本語、英語としての言語をきちんと理解させるには、文法をしっかりと指導することが重要である。 |
| ○ |
言語の学習には、語彙の学習、文法の学習、社会的な場面でのコミュニケーションの3つの層がある。その場合、文法という意味で言えば、段落とか文章全体を構成するルールを身に付けるために、文と談話レベルの両方を組み合わせて学習する必要があるのではないか。また、実際の文章に即して様々な言語を使うルールを教える必要がある。その際、接続詞や助詞など、いくつかの鍵となる言葉を精選し、各学年ごとに段階的に教えていく必要があるのではないか。 |
| ○ |
「読解力」、記述力の低下についての課題はこれまでも言われてきたことであるが、その改善の方向性として、目標・内容について、資料5−1、2ページの目標や内容に挙げられていることを行えば解決できると考えているのか。 |
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資料の目標・内容については、ご指摘のような課題に対応するために視点を新たに構成し、現行学習指導要領の内容を改善する方向で考え提案したものである。 |
| ○ |
国語科にすべてを求めすぎているのではないか。国語科では、漢字や語彙、敬語、文法など、自分を表現し、他を理解するための技能とともに、国語に関する基礎的・基本的なことをきっちり教えこむことが必要である。 |
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国語については、母語教育としての位置付けを考えて、言語表現能力を学ばせる姿勢を一層強調すべきではないか。 |
| ○ |
「国語」を「日本語」とすることで、外国語との比較がなされ、日本語のすばらしさを知ることができるようになる。「国語」ではなく、「日本語」と位置付ける発想の転換が必要ではないか。 |
| ○ |
英語と国語のかかわりは大きいと認識しており、外国語専門部会でもその点について、意識して議論している。 |
| ○ |
「国語」を「日本語」とすると、国際化の中で、日本語を相対化し真の国際化ができると考える。そういう観点から考えると、「国語」という語を用いることは適切なのだろうか。 |
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国語について、資料4では、「論理的に理解し、思考し表現する」とあり、資料5−1では、「国語を適切に表現し理解する」とある。「理解し、表現する」と「表現し、理解する」ではどちらが先であるのか。現行学習指導要領においては「表現し、理解する」となっているが、認識の順序として「理解し、表現する」の方が良いのではないか。 |
| ○ |
資料5−1の現状には、「国語を尊重する態度を育てる」とあるが、目標・内容には「国語の尊重」という言葉は全く出てこない。ここでいう尊重とはどういうことを示唆しているのか。日本語は日本語として使い、表現し、理解していくものであるべきで、「尊重」という言葉により一つの価値観を認めているのかどうなのか。 |
| ○ |
「読解力」の問題を各教科通して真剣に考える必要があるのではないか。その際、日本語の中におけるリテラシーのありようを大事にすべきであり、日本語の中におけるキー・コンピテンシーは何かということに視点を置いて考えていくべきである。 |
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古典には、「理解する」部分と「鑑賞する」部分がある。小中学校の教育課程を考える際には、それぞれを合わせて、「親しむ」とするのではなく、もっと具体的な言葉で表現し、具体的な教材で選んでいくという方向性がよいのではないか。 |
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古典の理解・鑑賞の段階では、読書指導が重要である。国語の時間だけで鑑賞までやるのは難しいため、図書館を活用して、子どもたちの自主的な学習活動の中に古典の鑑賞を入れていくことは大事である。 |
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義務教育として何を教えるかを考えたとき、教えたいことが最終的に子どもに伝わり、それによって子どもが具体的に変わることが重要である。 |
| ○ |
目標・内容は、具体的にイメージできるものである必要がある。教師自身があいまいであれば、子どもに対しても伝わらない。実社会で使えるように訓練するなかで、何が大事なのかを理解してくる。子どもたちに分かりやすいように、もっと具体化していくべきである。 |
| ○ |
現場の中で、どれだけ具体例を子どもたちに見せるかが重要である。勉強の目的は、成績を上げるためだけではなく、社会で生きていくためであるということ。学校において、例えば、敬語の使い方では、校長先生と教師の会話を生徒に見せながら学ぶとか、実生活で使う状況を各教科、特に国語について入れていくことが必要ではないか。 |
| ○ |
言語活用能力は、受け取る力、考える力、判断する力、表現する力という順番で構成されていると思う。考えて判断するときには、自分一人で考えたり、いろいろな人と話し合って考えたり試行錯誤した上で判断し、表現する。したがって、「理解して表現する」という順をきちんと押さえることが必要である。その際には、発達段階に応じて、受け取り方、考え方、判断の仕方、表現の仕方の型を指導することも重要であり、それが自由な想像力につながると考える。 |
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「論理」には、答えがある。しかし、「思い」には答えがない。その「思い」が事実に基づいた「思い」か、誤解を基に陥った「思い」かというところまで踏み込んでいかないと、言語活用能力はなかなか身に付かないのではないか。 |
| ○ |
今後の目標として、言語活用能力と言語文化の継承・発展・創造の2つがある。 |
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言語活用能力を身に付けるには、国語だけでは完結しない。各教科からの支援が必要であり、各教科の相乗効果を期待しなければならない。 |
| ○ |
各種調査結果から出された改善の方向を踏まえて、議論を進めていくべきである。 |
| ○ |
教材の選定については、しっかり考えていく必要がある。 |
| ○ |
国語は、小学校低学年から学校で習うとともに実生活や家庭、社会の中で使っている。小学校では、これを教えるけれども、家庭、マスコミなどに対しては、こういうことをやってほしいと発信することが必要ではないか。 |
| ○ |
教材の選定は大きな問題である。国語については、教科書によって教材が異なる。だれもが知っている教材であれば、家族で論じ合うこともできるのではないか。日本全体として文化の継承を考えたとき、また、子どもに教わった力が定着しているかどうかを考えたとき、最低限必要と考えられる教材として、共通教材を考えていく必要があるのではないか。 |
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現行学習指導要領では、言語活動に関する事項が、ばらばらに示されている。例えば、これを総則で「国語力の育成」と位置付けることが有効ではないか。国語力育成のための年間指導計画を各学校が作成することになり、各学校の実態に応じた取組が推進されると考える。 |
| ○ |
言語活動の中で方言を考えることは大事である。 |
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国語能力の活性化のため、小・中・高等学校では図書館を中心に読書を広めていくことが重要である。 |
| ○ |
日本の国語教育では、文学教育が強すぎるのではないか。文学以外にも美しい日本語で書かれた文献は多数あり、そういったものを活用すべきである。また、義務教育で手紙の書き方など実用的な日本語をしっかり教えるべきである。 |
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方言の取り扱いは、文科省でやるのは難しいため、地方が、地域の方言を活性化させる観点から考えるべきことである。 |
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敬語については、今後の国語分科会での整理を踏まえて、考えていく必要がある。 |
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「国語」か「日本語」かということについては、過去の議論を踏まえる必要がある。 |
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資料1の3ページからも分かるように、漢字が日常生活に必要と考える子どもは、90パーセントいる。一方、文章を書くことについては、重要と考える子どもの数は減少する。この点を踏まえると、子どもたちが好きと考える漢字の学習を中心に授業を展開することも考えられるのではないか。 |
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小学校の国語教育が、幼児期までの話し言葉の基本を書き言葉に変換することであるとするならば、小学校初期の国語教育においては、幼児教育とのつながりを考える必要がある。 |
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国語については、「国語を適切に活用する能力を育てる」など、目標を具体的に示すべきである。 |
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特定課題に関する調査の「書き」の結果をみると、4分の1の児童が個別指導が必要な状態であるが、この子ども達のための指導の時間が確保できないところに教師の悩みがある。 |
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国語について、高等学校の科目構成に関しては、案1も案2も両方とも活かし、総合的にやったり、個別にやったり、どちらもできるようにすべきではないか。 |