| ○ |
「言語事項」の指導は、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の各領域の指導を通して行うものであると示されている。それは、子どもたちに生きて働く言葉の力を身に付けさせる上で大事なことである。 |
| ○ |
言語事項は、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の中にあるエッセンスである。高校では、文と文のつながりなどは言語事項として取り上げられているが、内容に移した方がよいのではないか。 |
| ○ |
文法の指導事項については、学習指導要領でもう少し具体的に示した方が学校では指導がしやすいのでないか。漢字のように別項目で示すことも一つの方法として考えられる。 |
| ○ |
例えば、引用する、例える、比喩の表現、接続の表現というように、文法事項や言語表現を分類して、学年段階や学校段階で順序づけ、体系化して示していく必要がある。 |
| ○ |
大学生は、社会に出ることに向けて、敬語が使えないことを非常に不安に感じている。日常でも使う機会もほとんどなく、手紙や葉書も書いていない。こうしたことを、言語事項の言葉遣いとして徹底的に行うことが必要である。 |
| ○ |
横書きへの対応や小学校の段階で文字感覚を養うことが必要である。書く文字や言葉を選んだり、子どもたちに言葉選びの主体性を持たせることが大切であり、文字を書くことを意図的に増やしていくことが大事である。 |
| ○ |
手を使ってきちんとした文字を書くことは、3領域に関わるものであり、また、一人一人の個性という面からも大事に扱っていく必要がある。 |
| ○ |
書写は国語と異質の学習内容を持っていると思われがちで、お手本と同じように書けばよいとする技能偏重が多く、知識・理解の部分が欠けていた。中学校の教員が技能的に優れていないから教えられないというのは誤りである。 |
| ○ |
書写の授業の実態として、お手本と同じように書くということに目標が置かれているために、本来の学習指導要領上の目標が非常に希薄になっているのではないか。 |
| ○ |
現在の書写の評価は、書かれた結果を評価しているが、書かれる過程を重視する方向にしていく必要がある。 |
| ○ |
書写と書写以外の言語事項を融和して、その中で漢字を教材として取り上げながら、書写のほうの原理原則の仕組みも含めて指導ができるような形にできないか。 |
| ○ |
書写の最終的な目標は、手紙とか、ノートを書くとか、ポスターを書くとか、力をつけることであり、その上で、「この学年では何を指導したらいいか」という体系的なものを構築していく必要がある。 |
| ○ |
書写においては、硬筆で何年も同じことを繰り返すよりは、抵抗感のある、難易度の高い筆記具で学習することが学習意欲を低下させないこととなる |
| ○ |
書写は芸術としての書道と日常的な文章の記録ということとのすみ分けが現場では不鮮明ではないか。 |
| ○ |
書写の指導について、現状は字形の指導ばかりに偏っている。今回は、実生活に役立つということが示されているので、基礎・基本を大事にしながら、指導の方向性に変化をもたらすことに期待している。 |
| ○ |
最近は手書き文字が減っている。また手書き文字が活字化しているようにも感じている。手書き文字の効用についても学習する必要がある。 |
| ○ |
読みやすさのためにワープロを使って文字の大きさやゴシック体などにしたり、音声においてアクセントやイントネーションといった声の使い方など、言語事項の中で表現の効果という観点を広げていくことが必要である。 |
| ○ |
国語は、伝えるにしても、読むにしても、読み取る技術にシフトした方がよい。例えば編集という作業を行うと書く方に反映される。 |
| ○ |
ワープロを使うことにより、論文は読みやすくなったが、スキャナなどを使って引用したりするため、文章が長くなっている。不要な部分を削り、いい文章にするように指導することが必要である。 |
| ○ |
言葉の学習である国語科にとって語彙力はとても大事で、漢語よりも和語に不安を覚える教員が多い。そのためにいろんな文章に触れる多読が必要であり、教科書では限界があるので、言語環境を整えていくことが必要である。 |
| ○ |
常用漢字の学習は大切であり、音訓のうち、訓はそのまま言葉に、音はほかの語と一緒になって一つの言葉になり、漢字指導は語彙指導に結び付いている。書いて確かめて、認識して、自分の血や肉にしていくことが大切である。 |
| ○ |
漢字の学年指定はあるが、音訓の学年指定は示されていないので、できれば、音訓についても学年指定できないか。 |
| ○ |
子どもは「漢字を読めること」「漢字を書けること」に強い憧れを抱いている。認知心理学の知見でも、子どもにとって、漢字を認知する方が仮名を認知するよりもやさしいというデータもある。 |
| ○ |
その地域・学校・学級の使用頻度を考慮し、一定の範囲で使用頻度を考慮して「読むための漢字」「書くための漢字」を学年を超えて許容することを考えてはどうか。 |
| ○ |
交ぜ書きは好ましいと思わないが、例えば「心配」という語を、1年生と2年生でルビを振れば、教科書は読めるかもしれないが、教員がそれを板書し、子どもたちはノートに書かざるを得ず、その指導はどうするのかという現実的な問題がある。子どもの学習負担、教員の指導の在り方等を考えると、安易に交ぜ書きを全廃するような方向にならないよう、慎重に考えるべきである。 |
| ○ |
教科書と日常の言語生活は分けて考えるべきである。日常の言語生活の中でルビ付き漢字や難しい漢語、語彙に触れることは大切であり、子どもが背伸びして届くような文章に多く触れられるような環境を整えることが大切である。戦前の教科書でもルビ付き漢字は出ていない。ある程度の規準に対して評価しなければならないときに、あまり難しいことを全員に求めることは実際できないのではないか。 |
| ○ |
小学校の教科書における交ぜ書きは、学習段階で必要なことと考える。しかし、新聞などでは交ぜ書きは避けたい。教育上の交ぜ書きと日常生活の交ぜ書きは区別されるべきである。 |
| ○ |
ルビが振られていなければ、最初から漢字の形を入れ、その読み方を自覚化する作業をすることになるが、それは漢字の読みを認知しやすいというデータもある。日常の言語文化の中で何を目にするかというところで、表記を決めていくことが大事である。 |
| ○ |
高校生に授業をしていて、確実に漢字の書き取り・読み取りの力が落ちていると感じている。低学年から振り仮名付きで出して、漢字の読み書きをさせておくことは必要だと思う。 |
| ○ |
雑誌や新聞に出てくる頻度は高いが、子どもたちの読みの正答率、書きの正答率が低い漢字があり、配列を見直すことも必要である。 |
| ○ |
子どもたちにまず正しく美しい日本語を教えること、日本の奥深い文化に幼いころから触れさせ、日本の伝統や世界の中での日本について考えさせることが大切である。世代を通じての共通の言葉や情緒をもつため、日本人ならだれでも読んで覚えている共通の文章(古典)を選定し、学年ごとに配置することを考えてよい。 |
| ○ |
古典については、現代と古典の世界の時代との間には相当大きな開きがある。子どもたちにとってはその時代の変化が十分に理解できていないということがある。子どもたちがそのような時代的な変遷を学ぶ機会を古典の指導の中に取り入れるべきである。 |
| ○ |
低学年の古典の扱いについて、古典というにはそぐわないのかも知れないが名作といわれるような絵本を教材として扱うことがあっても良いのではないか。幼児期から低学年へのつなぎというようなことも考えてほしい。 |
| ○ |
子どもたちに国語への「関心・意欲・態度」をはぐくむことを重視し、学習指導要領の示し方も検討することが必要である。国語のおもしろさに気付かせていくようなことを盛り込み、古典の扱いでも、名文の暗唱など、子どもたちに言葉の宝として引き継いでやりたい。 |
| ○ |
教科書に載っている文章だけではなく、インターネットの文章など現実の多くの表現の提示により、どのような在り方が望ましいか考えることが必要。 |
| ○ |
教材の選定について、ノーベル文学賞を受賞した川端康成と大江健三郎の文体は、全く違うものである。両者とも世界的に認められている。このような文体の比較をするという視点も必要である。 |